内海和子
内海 和子(うつみ かずこ - )は、日本の元タレント。元子役。本名、下山 和子(しもやま かずこ)。
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[編集] 略歴
幼少の頃から児童劇団に所属し、劇舞台の公演やテレビドラマに子役として出演して活動していた。高校受験を機にそれらの活動を休止させて子役時代の幕を閉じる。
芸能活動を再開したのは1985年4月。フジテレビの新番組だった『夕やけニャンニャン』のおニャン子クラブのメンバーオーディション・コーナー、「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に出場し、河合その子、富川春美と共に合格。翌週からおニャン子クラブのメンバーとして活動を開始。つまり、番組には実質的に第1回から出演している
平尾昌晃音楽教室に通っていたことから、おニャン子クラブのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカルの一員に抜擢。また、子役経験も買われて、幾つものおニャン子主体のドラマには主役格で出演をこなすなど、おニャン子クラブ活動前期の代表的メンバーとなった。立見里歌と共にとんねるずと番組本番中にケンカをしたことがある(立見里歌#石橋貴明とのケンカ参照)。
おニャン子クラブのシングルレコードB面にて、ソロで「思い出美人」「プリントの夏」を歌う。本格的なソロデビューが決まった際、ラジオで共演していた伊藤政則に「B面の女王、遂にソロデビュー!」と、大絶賛される。
1986年11月、「蒼いメモリーズ」でソロデビュー。このソロデビューを機に、それまでフジテレビの預かりだったのが、ホリプロ所属となる。1987年4月、おニャン子クラブを卒業するが、同年8月の番組終了時までには何回かゲスト出演をし、おニャン子クラブの解散コンサートにも出演。
1993年には『From Pheonix 内海和子写真集』でヘアヌードを披露して話題になった。
1989年あたりからタレント活動と並行しながらカーレーサーとしての活動を開始。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
- 蒼いメモリーズ (1986年11月7日、作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明)-「タッチ」挿入歌
- (c/w) 好きで、ごめん。
- 二十歳 (1987年2月25日、作詞:秋元康、作曲・編曲:後藤次利)
- (c/w) 桜が手を振る前に
- もう君の名前も呼べない (1987年5月21日、作詞:秋元康、作曲:国安わたる、編曲:松任谷正隆)
- (c/w) 波の上の小さな太陽
- 風はエンドレスストーリー (1989年7月21日、作詞:田口俊、作曲・編曲:松任谷正隆)
- (c/w) そんなふうに見つめないで
[編集] アルバム
- LUNCH TIME(1987年3月21日)
- MY これ!クション 内海和子・BEST(2002年3月19日)
[編集] 出演
[編集] バラエティ
[編集] テレビドラマ(子役時代)
- 超人バロム・1 第32話「魔人トゲゲルゲが死の山へ招く!!」 - かよ子
- 愛の戦士レインボーマン
- 流星人間ゾーン 第12話「恐獣基地 地球へ侵入!」 - ヒヨコを欲しがる少女
- 5年3組魔法組
- 特捜最前線
- 走れ!ケー100
- 仮面ライダースーパー1 第3話「行け! 地の果て ドグマの黄金郷」 - 白鳥さゆり
- 西部警察 第50話「少女の叫び」 - キョウコ
[編集] テレビドラマ
- 男が泣かない夜はない(1987年、フジテレビ)
- 土曜ワイド劇場「沖縄デラックスツアー殺人事件」(1989年、テレビ朝日)
[編集] 映画(子役時代)
- 女生きてます 盛り場渡り鳥(1972年、松竹/森崎東監督)
[編集] 映画
- おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!(1986年、東宝/原田眞人監督)
- 釣りバカ日誌4(1991年、松竹/栗山富夫監督)
[編集] 書籍
- 写真集
- from PHOENIX(1993年1月、野村誠一撮影、スコラ) ISBN 4796201017