松浦勝人

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松浦勝人
生誕 1964年10月1日(47歳)
日本の旗 日本神奈川県横浜市港南区
別名 masato matsuura
職業 音楽プロデューサー
実業家(エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社 代表取締役社長・創業者社長)
配偶者 畑田亜希2003年結婚)
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松浦 勝人(まつうら まさと、1964年10月1日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身の音楽プロデューサー実業家エイベックス・グループ・ホールディングス代表取締役社長。通称:masato max matsuura(マサト・マックス・マツウラ)。横浜市立野庭中学校、横浜市立金沢高等学校日本大学経済学部産業経営学科卒業。妻・畑田亜希との間に2男1女[1]

目次

[編集] 略歴

  • 1988年4月 エイベックス・ディー・ディー株式会社 (現:エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社) 設立、取締役に就任
  • 1991年3月 専務取締役に就任
  • 2004年8月 専務取締役を辞任。直後に復帰し、執行役員に就任
  • 2004年9月 代表取締役社長に就任(現任)
  • 2005年4月 エイベックス・エンタテインメント(株)代表取締役社長(現任)エイベックス・プランニング&デベロップメント(株)取締役(現任)
  • 2006年3月 (株)エイベックス&イースト代表取締役社長(現任)
  • 2006年11月 AVEX CHINA CO.,LIMITED董事長(現任)
  • 2007年6月 コンプライアンス委員長(現任)
  • 2009年1月 エイベックス・エンタテインメント(株)音楽事業本部長(現任)エイベックス・マネジメント(株)代表取締役社長 兼 マネジメント事業本部長 兼 マネジメント事業本部芸能事業部長(現任)
  • 2009年4月 エイベックス通信放送(株)代表取締役会長(現任)

[編集] 来歴

  • 実家は中古車販売業を営んでいた。
  • 1985年、日本大学在学中(3年)に貸レコード店「友&愛」港南台店でアルバイトを始めた。この時、一緒にアルバイトをしていたのが、現・エイベックス・グループ・ホールディングス常務取締役である林真司、取締役の小林敏雄であった。林、小林ともに松浦と同じ横浜市立金沢高等学校の同級生である。また、当時高校生だった後のEXILEHIROと出会っている。奇遇にも彼も高校の後輩であり、以後、高校の学園祭にDJ役で顔を出したりして、親交を続けた。
  • 1986年、アルバイト先の「友&愛」港南台店のオーナーに商才を認められ、そのオーナーと松浦の父の共同出資により、株式会社ミニマックスを設立。代表取締役に就任。横浜市港南区上大岡駅前にフランチャイズの貸レコード店「友&愛」上大岡店を開業した。後にEvery Little Thingでデビューする五十嵐充アルバイトとして勤務しており、後に店長となる。
  • 1988年4月11日、エイベックス(現・エイベックス・グループ・ホールディングス)を設立。同社、取締役就任。レコードCD輸入卸売業を始めた。1990年、レコードレーベル・avex traxを設立。1991年に専務取締役となった。
  • 1995年、モデルの原口香と結婚。また、松浦の結婚記念楽曲「THE STORY OF MAX AND KAORI / HRG UNITED」がEUROBEAT FLASH VOL.5(1996年1月発売)に収録された。その後、離婚している。
  • 1998年4月3日から、オールナイトニッポンRプロデューサーズナイトで、3年半の間、月1回パーソナリティを務めた。
  • 1998年12月、エイベックスのアーティストオーディションを行うため、テレビ東京のオーディション番組ASAYANに出演した。
  • 2001年2月、元会長の依田巽の助言により松浦真在人に改名(後に2002年10月4日より、本名に戻す)。
  • 2001年9月、アメリカのニューヨークで起きた同時多発テロ事件小室哲哉と共に特別ユニットを作る。
  • 2003年11月、雑誌ViVi専属モデルの畑田亜希と再婚した。
  • 2004年9月28日、エイベックス・グループ持株会社エイベックス・グループ・ホールディングスの代表取締役社長に就任。

[編集] 人物

  • 浜崎あゆみとは深い絆で結ばれている。また浜崎自身も2004年に起きたavexお家騒動でもいち早く松浦を支持した。
  • 「友&愛」上大岡店を経営していた頃、ダンスミュージックの輸入版に独自のライナーノーツを付けて他店に卸すというビジネスを思いつき、成功していた。このビジネスに将来性を感じていた初代の社長らに別会社で一緒にやろうと勧誘され、エイベックス創業に参加した。創業時から役員を務めているのは松浦と小林だけである。
  • TEAM dreamdreamを中心メンバーとしたエイベックス所属の女性アイドルによって構成される芸能人女子フットサルチーム)の初代監督を務めた。その後、監督を退いたものの、青山のエイベックスビルの屋上にチーム強化のためフットサルコートを設置したことからみてもスフィアリーグが好きなようである。
  • 2004年のエイベックス内紛の際には「売り上げ中心の経営方針に異を唱え、新会社設立のため辞表を提出した」というのが松浦側のコメントだったが、依田側は「特定の作曲家に肩入れし、利益を上げる経営を追求しなかった」という微妙に食い違う内容だった[要出典]
  • エイベックス以外では、1995年当時東芝EMI所属だった、安室奈美恵withスーパーモンキーズ『TRY ME 〜私を信じて〜』のプロデュースを皮切りに、ソニー・ミュージックエンタテインメントから発売された松田聖子&郷ひろみTrue Love Story/さよならのKISSを忘れない』(2000年)と、華原朋美『Believe In Future 〜真夜中のシンデレラ〜』『One Fine Day』『Blue Sky』『as A person』をプロデュースしたことがある。
  • 花粉症がひどく、小室哲哉の裁判時に情状証人として出廷した際も、許可をもらって水を持ち込んだ。[2]
  • 第四回 渡辺晋賞 受賞
  • 小室哲哉とは、エイベックス経営開始当初からの公私にわたるパートナーであったものの、意見の食い違いにより一時期絶縁していた。2008年に小室が逮捕された際、被害弁済から約6億5000万円を個人的に融資した。恩師としての小室を思い出し、今後の音楽活動に賭けてみようと決心したという。また、弁済融資の他、社内に小室専用の部屋・制作スタジオも用意した[3][4]

[編集] 手掛けたアーティスト

プロデュースやエグゼクティブプロデュース、スペシャリーコーディネイト等

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 『仕事が遊びで遊びが仕事』第100回放送の中で発言。ちなみにこの回は父の日でもあった。
  2. ^ 【小室被告第2回公判(1)】エイベックス社長「小室さんは金が入って傲慢に…」より
  3. ^ 【小室被告第2回公判(2)】「浜崎あゆみも倖田來未も小室さんなしには生まれなかった」より
  4. ^ フジテレビ系列2009年12月20日放送『芸能人の告白』より。

[編集] 外部リンク

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