桂三枝

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桂 三枝
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本名: 河村 静也
生年月日: 1943年7月16日(65歳)
出身地: 大阪府堺市
事務所: 吉本興業
活動時期: 1966年 - 現在
結三柏は、桂文枝一門の定紋である

桂 三枝(かつら さんし、1943年7月16日 - )は、日本の落語家タレント司会者社団法人上方落語協会会長。本名は河村 静也(かわむら しずや)。桂小文枝(後の5代目桂文枝)の弟子。 時期は未定だが桂派の由緒ある名跡で師匠の名「6代目桂文枝」の襲名が予定されている[1]

目次

[編集] 概説

大阪府堺市東区北野田出身で、現在は大阪府池田市在住。出囃子は『軒すだれ』。

大阪市立市岡商業高等学校では、レツゴー正児2代目桂春蝶の下級生で、当時から付き合いがあった。同高卒業後、関西大学商学部に進学したが中退。

よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)のほか、個人事務所として三友事務所(自らの個人事務所)に籍を置いている。上記の肩書きのほか、財団法人いけだ市民文化振興財団名誉理事函館大学客員教授関西大学客員教授にも就任し、活躍している。
笑福亭仁鶴横山やすし・西川きよしザ・ドリフターズコント55号萩本欽一坂上二郎)、三波伸介らと共に1970年代から1980年代の日本のお笑いをリードしてきたエンターティナーである。

当たりギャグは「いらっしゃ〜い!」。

[編集] 人物

吉本興業においては西川きよし、笑福亭仁鶴と並ぶ、三巨頭の一人である。弟子や吉本の後輩芸人からは「三枝師匠」と呼ばれる。愛称は「サニー」「さんちゃん」(「さんちゃん」については、後輩である明石家さんまの愛称となり、そちらの方が一般的な認識となった)。

「いらっしゃ〜い!」「オヨヨ」「しっかりと!」などのギャグが有名。「オヨヨ」については、小林信彦から自著『オヨヨ』シリーズからの盗用であると抗議され、使用をやめたうえで謝罪することとなった(オヨヨ騒動)。しかし、三枝の「オヨヨ」は、俳優大河内傳次郎の物まねから派生したものであり、小林信彦の主張は無知による誤解である。

関西大学では一時期、卓球部に在籍した。その後、関西大学落語研究会「落語大学」の創設直後に、勧誘(当時商学部2部2年)を受けて加入した。

テレビ番組でおなじみの「箱の中身はなんだろな」や「たたいて・かぶって・ジャンケンポン」などは、三枝が考案した。子供の頃から、オリジナルのゲームや遊びを考案するのが好きで、それが、三枝の関係するクイズ番組などに活かされている。また、この持ち前の発想力が、創作落語(新作落語)を作る際の原動力となっている。

多くの芸人(特に吉本の後輩)からものまねされている(大平サブロー明石家さんま松本人志など)。また、関根勤東野幸治のかつての芸名「ラビット関根」や「バッテリー幸治」(フジテレビ系『明石家マンション物語』の番組内のみで使用)、池乃めだかセーラーズの名付け親でもある。

最近は、抜け毛が多くなり、どんなヘアースタイルにするか悩んでいる。また、白髪を染めるのをやめたようだが、資生堂のunoのCMに出演し、生まれて初めて金髪に染め、話題を呼んだ。CMの中で「いらっしゃ〜い!」と「金髪ってええな。」とセリフを言った。また、このCMでは、『新婚さんいらっしゃい!』の椅子ごとコケる動作や「オヨヨ」を、麒麟と共にしていた。

嫌いな食べ物は、茄子の浅漬け(フジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王決定戦」で発覚)。

[編集] 略歴

生後11か月で、銀行マンであった父が戦病死。1950年ジェーン台風と、翌1951年の火事で、堺在住時代の自宅が全損したため、幼い頃の写真は数えるほどしか残っていない。

関西大学時代には、ロマンチックをもじった「浪漫亭ちっく」の芸名で、アマチュア落語家として、ABCラジオの「漫才教室」に出演するなどし大阪では早くも名の知れた存在になった。関西大学在学中の1966年に、早稲田大学の落語研究会にいた都家南北6代目三遊亭圓生に弟子入りする話を聞いて、自身も落語家になることを夢見る。ある日番組出演などで知り合った知人に藤井康民(当時:松竹芸能文芸部員。現在:ケーエープロダクションの社長)桂小文枝の弟子になりたいことを打ち上げる。たまたま同じ場所に居合わせた高校先輩の2代目桂春蝶が「これから小文枝師匠とこ稽古行くさかい、ついて来るか? どうや?」いわれ帯同し弟子入り志願も「大学出は嫌や」と小文枝から断られたが藤井がすべて責任を持つという形で弟子入りが許される。その時母には「建設会社の人事課長」と偽って紹介するなど、入門までには紆余曲折があった。同年、京都花月で初舞台。

1967年毎日放送ラジオの深夜放送『歌え! MBSヤングタウン』に出演し、一躍大人気となる。その後は、テレビのバラエティ番組『ヤングおー!おー!』、『パンチDEデート』、『新婚さんいらっしゃい!』などの司会を務め、全国区の人気者となった。

1980年代はクイズ番組トーク番組の司会等で活躍し、超売れっ子でもあった。また、小文枝一門の中でもテレビ露出が最も多かった弟子でもある。

1990年代前半までは、長者番付関西芸能人ランキング首位を保ちつづけてきたが、近年はダウンタウンなど後進の台頭や、上沼恵美子やしきたかじんがテレビ司会者として活躍するなど、お笑い界や上方芸能界の変化もあって、関西芸能人のトップから陥落。この首位滑落には、相当ショックを受けていた。最近、テレビタレントとしては、全盛期の頃の勢いは鳴りを潜めているが、その分、落語家としての活動に比重を置くようになった。

古典をほとんどやっていない早い時期に、司会者やタレントで人気が出始めたため、師匠にしっかり稽古を付けてもらえなかったこと、本来の上方落語の世界に出てくる大阪言葉に馴染めなかったことなどがあり、自作落語一本になった。なお、この自作については、後世に語り継がれることを前提としているため、「新作落語」(古典落語の対語)とは呼ばせず、敢えて「創作落語」と呼ぶ(また、新作落語は概ね時期が過ぎたら、そのネタを「捨て」ざるを得なくなる運命にあり、それに反発したことにもよる)。

ラジオ大阪の深夜放送『ヒットでヒット バチョンといこう!』(日曜日)で舌足らずの甘えた声で三枝の担当日のアシスタントを務めて共演したタレントの高橋真由美と、番組終了後に結婚。当時のリスナーやファンには周知の事項であり、そのことは高座やテレビなどでもネタにしていた時期もあるが、関西圏以外のファンや以降の年代のファンにはあまり知られていないかもしれない。夫人との間に長男と長女がいる。テレビ番組で、妻と挙式した時の写真を披露したことがある。長男は三友事務所の社員である。

近年は、テレビにはあまり出演せず、本業の寄席や上方落語協会会長としての業務に邁進している。2006年元旦に、かつて裏番組としてしのぎを削り、東西の噺家タレントブームの一翼を共に担った『笑点』の新春特番『大笑点』に、『ヤングおー!おー!』時代の共演者である月亭八方らを引き連れて出演。その際、笑点メンバーからは「会長」と呼ばれていた。

1995年参議院議員選挙に出馬を決意し、記者会見まで開いたが、告示直前に事務所と家族が反対し、断念したことがある。

「三枝」の名は、落語系図によると2代目桂三木助の門人に、三枝の名が記載されている。後に2代目桂三木彌を名乗っている。

[編集] 受賞歴など

  • 1981年:第1回 花王名人大賞・落語部門名人賞を受賞。第10回上方お笑い大賞大賞を受賞。
  • 1982年:第2回 花王名人大賞大賞および落語部門名人賞を受賞。
  • 1983年:「創作落語の会」代表として大阪府民劇場奨励賞を受賞。創作落語「落語現在派宣言III」の口演で、第38回文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞。
  • 1984年:第4回 花王名人大賞特別功労賞を受賞。
  • 1985年:第13回 日本放送演芸大賞特別功労賞を受賞。
  • 2003年:「桂三枝の創作落語125撰ファイナル」の成果で文化庁芸術祭演芸部門(関西公演の部)大賞を受賞。夏、上方落語協会の第6代会長に就任。
  • 2005年関西大学客員教授就任。お笑いをテーマにした講義を担当することに。
  • 2006年紫綬褒章受賞。
  • 2007年菊池寛賞受賞。

[編集] 弟子

落語の弟子の芸名には、「三○」という風に「三」がついている。また、落語以外での弟子としては、フジテレビの『タモリのボキャブラ天国』に出演していた漫談の幹てつや吉本新喜劇に所属している中條健一、漫才師かつみ・さゆりのさゆり、ラジオDJのDJJIRO(高杉’Jay’二郎)らがいる。中條は、大学も所属サークルも三枝の後輩であり(関西大学落語研究会『落語大学』)、大学時代の芸名は「浪漫亭呂澪(ロミオ。「ロミオとジュリエット」より)」であった。2代目快楽亭ブラック立川談志に最初の破門をだされた際(その後談志一門に復帰したが、2006年現在、2度目の破門中)、一時だが三枝門下となっている。談志はこの点について、三枝に感謝しているとされる。

落語家としての弟子一覧
タレントとしての弟子一覧

[編集] 主な出演番組・映画

[編集] テレビ番組司会

[編集] クイズ番組司会

[編集] クイズ番組の解答者として

他 多数

[編集] ドラマ出演

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[編集] ラジオ番組

[編集] 映画

[編集] レコード

  • 夕陽のアンジェロ/たったひとつの愛(1969年8月)※桂三枝、ダボーズ名義‐MBS「歌えヤングタウン8月のうた」より
  • ぐりぐりソング/最後に泣くのはおんなです(1971年3月)
  • 三枝のムラムラ日記/僕の思い出さん(1975年12月)
  • ひと目逢ったその日から/パンチ体操(1976年2月)※共演西川きよし‐フジテレビ「パンチDEデート」より
  • 桂三枝の電線音頭/同カラオケ(1976年7月)‐NET「ドカンと一発60分」より
  • 面積ア・ゴーゴー/年令算と仕事算(1976年7月)
  • 四季の恋人/あなたに(1986年5月)‐関西テレビ「三枝の美女対談」より
  • 熱海あたりで/はっけよい(1991年10月)※共演八代亜紀
  • 好きだから/愛は季節の中で(1992年7月)※共演岡本夏生‐朝日放送「新婚さんいらっしゃい!」より

[編集] 主な持ちネタ

  • ゴルフ夜明け前
  • 『鯛』
  • 『ぼやき酒屋』
  • 『妻の旅行』
  • 『宿題』
  • 『作文』
  • 『お忘れ物承り所』
  • 『美しく青き道頓堀川』
  • 『大相撲夢甚句』
  • 『くもんもんしき学習塾』
  • 『真心サービスおじんタクシー』
  • 『ヘラクレスの心』

[編集] エピソード

  • 大の阪神タイガースファンである。かつては巨人ファンであったが、1987年11月に『七人のHOTめだま』(フジテレビ系)にレギュラー出演した時、江川卓が引退を決意した時の映像が流れたのを見て「今日限りで巨人ファンを辞めて阪神ファンになります!」と鞍替えを宣言し、司会の近藤正臣らの度肝を抜いた。1992年に「阪神が優勝しなければ坊主にする」と公約し、阪神が本当に優勝を逃したため、公約通り坊主頭にした。しかし、芸能活動の中心が関西であるため、阪神ファンを偽っているという話もある。2002年頃、生放送のバラエティ番組で「この番組は関西ではO.A.されてないよな?」と断った上で「私、実は巨人ファンなんです」と言ったことがある。藤田まこと(旧近鉄ファン)も三枝が「巨人ファン」であることを話題にしたことがある。
  • 実はまったくの野球オンチという説もある。『ヤングおー!おー!』時代「なんか、おもろい話ないか?」と後輩芸人に聞くのが常だったが、里見まさとが甲子園に行って、おもろいオバハンに会った話をしだすと、何も言わずにいなくなってしまい、まさとが「自分で聞き出してあれは何や、ああいうヤツ嫌いやわ」とキレだした。いつも温厚で静かなまさとの変貌に楽屋は凍りついたという(KTV『さんまのまんま』より)。
  • 『ドカンと一発!60分』の“三枝のお作法教室”というドッキリコーナーの中で、お吸い物のお椀の中にトカゲのおもちゃを入れキャンディーズをビックリさせようとしたが、お椀の蓋を開けた田中好子が本当に気絶。伊藤蘭藤村美樹が心配、スタジオも騒然となり、三枝の表情も不安になるが、結局これがドッキリと分かり(田中の気絶は演技で、伊藤と藤村も仕掛け人、つまり三枝が逆ドッキリにかけられた)、キレた三枝が介抱に使ったタライの水をセットにぶちまけた。
  • 芸人仲間での飛行機の移動中、大声で騒ぐ後輩に「お前ら!もうちょっと社会人らしゅうせえー!!」と言ったことが、明石家さんまらにしばらくネタにされる(しかし三枝に言わせると、実際は穏やかな口調で「お前らももう社会人なんやからもうちょっと静かにしたらどうや?」と諭すように語ったのだが、さんまらに誇張され、「いらっしゃーい」の髪を掻き揚げるポーズも組み合わされてしまった)。さんまは若手時代、「ちょっとこーい」「どーゆーこっちゃ」などと三枝から叱られたことを膨張させ、現在でも持ちネタにしている。また、西川のりおが楽屋で「アイツ、いつかぶっころしたんねん」と呟くのを複数の芸人が聞いているという。
  • ダウンタウンが大阪で売れ出した時代に舞台で三枝と共演し、稽古で松本人志が台本に書いてある三枝あてのツッコミ「出来るか!」という言葉を発したのだが、その言葉のあと三枝は控え室に引きこもってしまった。いつまでも控え室から戻ってこないことを心配していた松本に三枝の女性マネージャーから「松本君、謝って」と諭される。何を謝るのか解らない松本に「師匠は何も言わないけど、私は師匠とは長いから解るの。あの『出来るか!』はちょっと失礼じゃないのかな?」と事情を説明された。台本に書いてある言葉、しかもツッコミで怒る人がいるのかと半信半疑になりながらも三枝の元に行き、「師匠、何かすんません」と謝罪。すると三枝は「もう、ええねや」と松本をなだめ、松本は「やっぱり怒ってたんかい!」と思ったそうである。その後三枝が戻って舞台に参加し、松本が台本の台詞を「出来ますかいな〜」と柔らかく表現を変えたというエピソードがある。これは後に松本がダウンタウンのごっつええ感じでコント(サニーさん)として再現したり、人志松本のすべらない話でも語られた。
  • 1996年吉本女子プロレスJd'を立ち上げた際に、「覆面コミッショナー」として参画している。また、大阪プロレス所属のプロレスラー・くいしんぼう仮面の入場テーマでは、オープニングで「くいしんぼう仮面、いらっしゃ〜い!」の掛け声で出演するなど、プロレスとの縁もある。
  • 無名時代に始めた、京都・南禅寺『順正[1]』で行われる、湯豆腐食べ比べ大会の司会は、日本有数の落語家になった現在でも、ずっと続けている(2008年で第34回を迎えた)。

[編集] 出典

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