勇直子

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勇 直子(いさむ なおこ、1968年12月7日[1][2] - )は、日本女優・元アイドル歌手神奈川県逗子市出身。本名同じ[1]

来歴[編集]

埼玉県浦和市で出生[3]。兄がいる[1]。父親の転勤で1歳になる前に神奈川県横浜市に引っ越し[3]幼稚園に入る前に短期間、宮城県仙台市に移り[3]、幼稚園に入る直前に大阪府吹田市に引っ越し[3]青山幼稚園に通う[3]。吹田に小学校1年の一学期までいて、その後、広島県広島市へ越す[3]広島市立古田小学校へ小学5年生まで在籍[3]。このためデーモン閣下と在学時期が重なった可能性がある。山に囲まれた当地で自然児になり、男の子たちと木登りをしたり虫採りをしよく遊んだとデーモン閣下と同じような話をしている。広島を離れる時は悲しくて泣いたという[3]。小学6年のとき、神奈川県逗子市に引っ越し、デビュー前の引っ越しはこれで終了した[3]

小・中学生時代のニックネームは「トロちゃん」。大ボケでトロく、のんびり屋という意味から付けられたという[4]

神奈川県立高校在学中[1]の1985年、バレエのレッスンの帰りに原宿駅の券売機前で芸能プロダクション『K-HOUSE』(社長はイルカ)のスタッフにスカウトされ、芸能界入り[1]

翌1986年、『夏・体験物語2』(TBS)でドラマデビュー。同時期『センターラインが終わるとき』でRVC(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)より歌手としてもデビューし、非タイアップ曲ながら『歌のトップテン』(日本テレビ)に出演した他、各種新人賞レースにも4、5番手でノミネートされた。当時、作家の秋元康が彼女の才能に惚れこみ「本田美奈子を超える、新時代アイドル歌手になる」と語っていて、レコード会社は「女・吉川晃司を作る」と意気込み、本人はオリコン社長との対談にて「アイドルでもアーティストでもないニュータイプになりたい」と述べていた。「山下久美子が目標」と話していたこともある[1]

歌手活動のかたわら、数々のミュージカルやドラマにも出演。

1990年頃、芸能界引退。数年後には宮田和弥JUN SKY WALKER(S)のボーカル)と結婚、出産も経験。2002年、芸能プロダクションoregaと契約し、芸能界に復帰。現在も、女優や、CMタレントなどで活躍中。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

(以下RVCから発売)

  • センターラインが終わるとき/Boys And Girls - 当時オフコースに在籍していた大間ジローのプロデュースによるデビューシングル。作詞:秋元康・作曲:松尾一彦(オフコース、当時)(1986/7/17発売)
  • ナーバスにならないで/私の場合(1986/10/21発売)
  • さよならは落ち込まないで/ムンクの叫び(1987/2/21発売)
  • BOOM BOOM BOOM(Let's Go Back To Your Room)(ポール・レカキスの「BOOM BOOM」をカバー)編曲:角松敏生/Just A Beatnik(1987/5/21発売)
  • BOOM BOOM BOOM(12inch Club Mix)/BOOM BOOM BOOM(Radio Mix)/BOOM BOOM BOO(Inst.)
  • ラスト・パラシュート/ねじれた美学(1988/1/21発売)
  • ポラロイドのふたり/Fancy Free

アルバム[編集]

  • アスファルトの天使たち(RVCから1986年に発売)
  • コンプリート・ベスト(vivid soudから発売)

12インチシングル[編集]

(以下RVCから発売)

女優活動[編集]

映画[編集]

ドラマ[編集]

CM[編集]

ラジオ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 週刊テレビ番組(東京ポスト)1986年7月25日号 74頁「NEW VOICE」
  2. ^ a b c d 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、23頁。NDLJP:12276264/12 
  3. ^ a b c d e f g h i 「ズッとおてんば17年 勇直子 日本縦断6大都市育ち直子の生い立ちストーリー」『月刊平凡』、マガジンハウス、1986年10月、106-107頁。 
  4. ^ DUNK集英社)1986年7月号 p.95 勇直子記事

外部リンク[編集]