立見里歌

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立見 里歌(たつみ りか、1965年11月14日 - )は、日本アイドルグループおニャン子クラブの元メンバー。

プロフィール[編集]

元オールナイターズ[編集]

石橋貴明とのケンカ[編集]

  • 後に、「漢字が読めない」、「歌が下手」などといったおバカ(お笑い)キャラが発覚し、とんねるず石橋貴明によくその点を指摘されていた。1986年6月3日、火曜ワイドスペシャル枠にて放送された番組、おニャン子のアブない夜だよ 生放送の中でVTR出演の石橋が、当時在籍していたおニャン子クラブのメンバーをパネル写真を基に紹介するコーナーで、立見と内海和子のパネルを二つ折りになる程、拳で殴り紹介した。翌日の『夕やけニャンニャン』のコーナー『新エバッてんじゃねえよ おいにいの逆襲バージョン』本番中に立見が昨日の放送内容に対し石橋に怒りを露にした。また石橋も感情的に応対してとんねるずは番組途中で出演をボイコットした事件がおきた。その結果、その頃には『夕やけニャンニャン』に週1回の出演となっていたとんねるずが出演する曜日は立見が欠席するようになった。このケンカには内海が立見に同調し、とんねるずと顔をあわせないようにしていた。後日、夕やけニャンニャン本番中でその日のMCである立見が、「あのケンカは本気じゃないですから」という内容のコメントを沈静化の為に発している。
  • 当時のある雑誌投稿欄にはこの一件に関し、「どっちもどっち(立見と石橋)だが、石橋はもう少し大人の姿勢を示し、木梨も事態収拾をする訳でもなく、どっちつかず的に笑って「じゃあCM!」と言ってノーコメントとは、(芸能界ではおニャン子の先輩でもあり)いかがであろうか」と、投書されていた。
  • 2006年12月発売の雑誌で、1980年代ヒロインの特集が組まれ、立見のインタビュー記事が掲載。「本番中に石橋さんにマジ切れしちゃったこともありました。若かったですね。」と、懐古。解散後に就職したレコード会社のポニーキャニオンでは、石橋の宣伝担当をした事もあった。(『EX35plus』光文社刊より)
  • また、ハンマープライスに立見が(おニャン子クラブとして)ゲスト出演した際、立見の「私の事は覚えてますか?」との質問に対し、石橋は「貴方の事は良く知っています。」と答えた。
  • 2014年7月13日に放送された「さんまのスーパーからくりTV」の「芸能人かえうた王SP」に元おニャン子クラブとして出演し、替え歌内で「噂された立見・石橋(貴明)不仲説、あれまじ本当」と暴露した。

歌手活動[編集]

  • おニャン子クラブの樹原亜紀名越美香白石麻子と共に異色ユニット「ニャンギラス」のメンバー(メインボーカル)となり、1986年4月1日に『私は里歌ちゃん』でデビュー。同曲はオリコン1位を獲得した。また、この歌のラストの「里歌よ〜♪」の部分は毎回歌う度に音程が違っている。又、冒頭の「ねぇみんな〜 悩まないで…♪」との立見のソロ部分で既に音程が合っておらず、歌番組司会者から「…悩んじゃうよなー」とのジョークコメントもあった。(因みに、中島美春は立見と歌う時だけは、自分の歌は上手いと思っていたそうである。)
  • その後も、1986年6月21日に発売されたシングル第2弾『自分でゆーのもなんですけれど』でオリコン1位を獲得。その勢いに乗って1987年3月18日発売の『そんなつもりじゃなかったのに』でソロデビューをしたが、この頃番組自体の勢いが落ちていたこともあり、おニャン子クラブの売り上げ記録ワースト1を記録した。(このシングルのB面「立見の青春」では、コネでおニャン子クラブに入ったことが明らかにされている)。
  • 当初は「言語道断」というタイトルで12inch盤での発売が告知されていた。

卒業以降[編集]

音楽[編集]

シングル[編集]

  • そんなつもりじゃなかったのに / 立見の青春(1987年3月18日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]