岩崎夏海

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岩崎 夏海
誕生 岩崎夏海
(1968-07-22) 1968年7月22日(55歳)
東京都新宿区
職業 小説家放送作家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 東京芸術大学
活動期間 2009年 - 現在
ジャンル 野球など
主題 一般
デビュー作 もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
公式サイト 岩崎夏海公式webサイト
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岩崎 夏海(いわさき なつみ、1968年7月22日 - )は、日本の男性放送作家小説家吉田正樹事務所所属。

略歴

東京都新宿区生まれ、日野市出身。父は筑波大学元助教授でアーバンデザイナー岩崎駿介。祖父は岩崎書店創業者の岩崎徹太。伯父は精神科医岩崎徹也

1979年12月(小5の冬休み)までは日野市内の公立小学校に通い、1980年1月から1981年3月まではタイバンコクインターナショナル・スクール、同年4月から12月まではバンコク日本人学校に通った[1]。帰国後の1982年1月(中1の3学期)、茗溪学園中学校に編入した[1]

高校時代は軟式野球部に所属し、投手をしていた。茗溪学園中学校・高等学校を卒業後、東京芸術大学美術学部建築科に進学。藝大へ進学した理由は特になく、建築家で藝大出身の父親の勧めによる[2]。しかし、大学在学中も卒業後も建築に対して興味を抱くことはなかったという。

夕やけニャンニャン』の大ファンで、『週刊プレイボーイ』に連載を持っていた秋元康の企画に葉書を送ったことで秋元と縁を持ち、大学卒業後は秋元康事務所の前身に当たるソールドアウトに所属して秋元康に師事した。

放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』『クイズ赤恥青恥』など、テレビ番組の制作に参加した後、2005年から2007年までAKB48アシスタントプロデューサーを務める。

2007年12月に秋元康事務所を退職。その後、株式会社インディソフトウェアに入社し、ゲームやウェブコンテンツの開発を経て、2009年4月から吉田正樹事務所所属。作家として活動を始める。

2009年12月、作家として初めての作品となる『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を発表し、ミリオンセラーを記録。2011年4月よりNHK総合でアニメ版が放送され、また同年6月よりAKB48前田敦子主演による映画版が公開された。

2015年7月、国立競技場の建設に関して「新しい建物はどさくさのうちに建てるしかない」「東京の新陳代謝はすぐに止まってしまう」「建築がばかばかしく巨大な方が面白い」と、計画が見直されたザハ・ハディド案を絶賛した[3]

2016年、叔父の岩崎弘明からひきつぎ、祖父が創業した児童書出版社・岩崎書店の社長に就任したが、2018年に退いた。

人物

離婚歴がある[4]。2012年1月、17歳年下のお笑い芸人・岩間よいこ(当時26歳)と再婚すると報道された[4]

作品

共著・監修

テレビ出演

論文

関連項目

脚注

  1. ^ a b マンガの80年代から90年代までを概観する:その59(1,612字):ハックルベリーに会いに行く”. ハックルベリーに会いに行く:ブロマガ - ニコニコチャンネル. 2022年8月26日閲覧。
  2. ^ 続・受験と私:「学校の勉強とは別 過去問で徹底攻略 毎日新聞 2012年1月15日
  3. ^ 岩崎夏海のメールマガジン「ハックルベリーに会いに行く」より 僕がザハ案の国立競技場の建設に賛成していた、たった一つの理由 - プレタポルテ by 夜間飛行、2015年7月29日
  4. ^ a b 「もしドラ」作家17歳年下お笑い芸人と結婚日刊スポーツ』 2012年1月27日
  5. ^ 宇宙飛行士・星出彰彦と『もしドラ』岩崎夏海は「同級生」 『FRIDAY』 2012年7月13日号86-87頁

外部リンク