宮城野由美子
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みやぎの ゆみこ 宮城野 由美子 | |
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本名 | 蔵原 キヨ子(くらはら きよこ) |
生年月日 | 1926年3月2日 |
没年月日 | 2018年12月29日(92歳没) |
出生地 | 東京都小石川区(現・東京都文京区) |
職業 | 女優 |
ジャンル | 宝塚歌劇団・映画 |
活動期間 | 1943年 - 1956年 |
著名な家族 | 蔵原惟繕(夫・1956年-2002年) |
宮城野 由美子(みやぎの ゆみこ、1926年3月2日 - 2018年12月29日)とは日本の元女優で元宝塚歌劇団花組・星組主演娘役クラスの宝塚歌劇団卒業生である。
本名は蔵原 キヨ子(くらはら きよこ 旧姓:關(新字体:関))。夫は映画監督の蔵原惟繕。東京都小石川区(現・文京区)出身。山形県立鶴岡高等女学校(現・山形県立鶴岡北高等学校)中退。宝塚時代の愛称は関さん(旧姓から)。
来歴
[編集]1940年に宝塚歌劇団30期生として、宝塚音楽舞踊学校(現在の宝塚音楽学校)に入学する。
1943年に宝塚歌劇団に入団する。宝塚入団時の成績は14人中2位[1]。
1950年、宝塚歌劇団在団中に東宝映画『佐々木小次郎』のまん役で映画デビューする。
1951年4月30日付[1]で宝塚歌劇団を退団する。最終出演公演の演目は花組『文福茶釜/ラ・ヴィオレテラ』[1]である。
退団後は映画女優として活動し、『姿三四郎第一部』(1955年版、田中重雄監督)、『二等兵物語』(福田晴一監督)が主な代表出演作で、宝塚退団から引退までおよそ5年間に多くの作品に出演している。
1956年、『四人の誓い』(田畠恒男監督)の出演を最後に、蔵原惟繕と結婚し、芸能界を引退した。
2014年、宝塚歌劇団100周年記念で設立された『宝塚歌劇の殿堂』に最初の100人のひとりとして殿堂入り。
宝塚歌劇団時代の主な舞台
[編集]- 『赤頭巾と狼』(花組)(1946年11月1日 - 11月29日、宝塚大劇場)
- 『踊る四季』(花組)(1947年1月1日 - 1月30日、宝塚大劇場)
- 『ハリウッドに榮光あれ』(花組)(1948年5月1日 - 5月29日、宝塚大劇場)
- 『ロマンス・パリ』(星組)(1949年2月18日 - 3月9日、宝塚大劇場)
- 『想ひ出の薔薇』(星組)(1949年6月1日 - 6月20日、宝塚大劇場)
- 『アラビアン・ナイト』(花組)(1950年8月1日 - 8月30日、宝塚大劇場)
映画出演
[編集]- 『佐々木小次郎』(第一部)(1950年)- まん 役
- 『風雪二十年』(1951年、東映)
- 『乾杯!東京娘』(1951年、大映)
- 『西陣の姉妹』(1952年、大映)- 久子 役
- 『振袖狂女』(1952年、大映)
- 『泣虫記者』(1952年、東映)
- 『秘密』(1952年、大映)
- 『蛇と鳩』(1953年、東映)
- 『山下奉文』(1953年、東映)- 片岡かほる 役
- 『君に捧げし命なりせば』(1953年、北星)
- 『早稲田大学』(1953年、東映)
- 『わが恋はリラの木蔭に』(1953年、新東宝)
- 『遊侠夫婦笠』(1953年)
- 『美しい人』(1954年、新東宝)
- 『かくて夢あり』(1954年)- 赤間裕子 役
- 『学生心中』(1954年)- 宮比佐子 役
- 『姿三四郎』第一部(1955年、東映) - 村井乙美 役
- 『森蘭丸』(1955年)
- 『貝殻と花』(1955年)
- 『六人の暗殺者』(1955年、日活)- お新 役
- 『新婚白書』(1955年)
- 『お役者小僧 江戸千両幟』(1955年)
- 『柔道開眼』(1955年)
- 『二等兵物語』(1955年、松竹)
- 『裏町のお嬢さん』(1956年)
- 『四人の誓い』(1956年、松竹)
脚注
[編集]- ^ a b c 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』監修:小林公一、阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、P38。ISBN 9784484146010
- ^ https://shop.tca-pictures.net/shop/g/g611122/