由良道子
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由良 道子(ゆら みちこ、本名:細見 よね、1901年(明治34年)10月14日[1] - 1918年(大正7年)8月17日[1])は宝塚少女歌劇団男役スター。宝塚歌劇団1期生。同期生に大江文子、小倉みゆき、雲井浪子、高峰妙子や初代若菜君子らがいる。大阪府出身[1]。
この芸名は小倉百人一首の第46番:曽禰好忠の「由良の門を 渡る舟人 舵を絕え 行方も知らぬ 戀の道哉(ゆらのとを わたるふなびと かぢをたえ ゆくへもしらぬ こひのみちかな)」より、宝塚歌劇団創設者の小林一三によって命名された。
略歴・エピソード[編集]
1913年7月、宝塚唱歌隊(この年の12月に宝塚少女歌劇団養成会に改称、現在の宝塚音楽学校)に11歳で入隊。
1914年4月 - 5月、宝塚少女歌劇(現在の宝塚歌劇団)の初公演である『ドンブラコ』で雉を演じた。当時12歳であった。
在団中に病に倒れ、1918年8月17日に現役の劇団員のまま満16歳で死去した。宝塚歌劇団1期生そして宝塚歌劇団生徒として、最初の物故者である。また、記録に残っている宝塚歌劇団生徒の中では、最も短命だった人物でもある。
宝塚少女歌劇団時代の主な舞台出演[編集]
- 『ドンブラコ』- 雉 役、『浮れ達摩』『胡蝶』(1914年4月1日 - 5月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『雛祭』(1915年3月21日 - 5月23日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『三人獵師』(1915年10月20日 - 11月31日[要検証 ]、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『櫻大名』(1916年3月19日 - 5月21日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『松風村雨』(1916年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『笑の國』(1917年1月1日 - 1月10日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『爲朝』『藤あやめ』(1917年3月20日 - 5月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『桃色鸚鵡』『女曾我』(1917年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
脚注[編集]
- ^ a b c 『歌劇と歌劇俳優』藤波楽斎著、文星社、1919年、P96
- ^ 宝塚歌劇歴史年表・定着期(大正後期)大正7年
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