FNSスーパースペシャルテレビ夢列島
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FNSスーパースペシャル テレビ夢列島 | |
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生放送が行われた河田町フジテレビ旧社屋 | |
ジャンル | バラエティ番組 / 特別番組 |
出演者 |
総合司会 タモリ(1987-1989年) 明石家さんま(1987・1989年) 笑福亭鶴瓶(1988年) 須田哲夫、河野景子(1990年) 桂三枝(現・六代桂文枝)、有賀さつき、八木亜希子(1991年) 進行 逸見政孝(1987年) 露木茂(1988年) ゲスト ビートたけし、島田紳助 ほか |
製作 | |
製作総指揮 |
鹿内春雄(1987年) 鹿内宏明(1988-1991年) 日枝久(制作代表) |
プロデューサー | 横澤彪(総合P) |
制作 | フジテレビ / フジネットワーク |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
回数 | 5 |
FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島 | |
放送期間 | 放送時間と同じ |
放送時間 | 1987年7月18日21:00 - 翌19日20:54 |
放送分 | 23時間54分 |
FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島'88 | |
放送期間 | 放送時間と同じ |
放送時間 | 1988年7月16日21:00 - 翌17日20:54 |
放送分 | 23時間54分 |
FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'89 | |
放送期間 | 放送時間と同じ |
放送時間 | 1989年7月15日20:00 - 翌16日20:54 |
放送分 | 24時間54分 |
FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'90 | |
放送期間 | 放送時間と同じ |
放送時間 | 1990年7月21日21:00 - 翌22日20:54 |
放送分 | 23時間54分 |
FNSスーパースペシャル 1億2000万人のテレビ夢列島'91 | |
放送期間 | 放送時間と同じ |
放送時間 | 1991年7月20日21:00 - 翌21日20:54 |
放送分 | 23時間54分 |
FNSの日・1億2500万人の超夢列島 そのうちなんとか…23時間 | |
放送期間 | 放送時間と同じ |
放送時間 | 1995年7月15日21:00 - 翌16日 19:58 |
放送分 | 22時間58分 |
FNSの日 十周年記念 1億2500万人の超夢リンピック | |
放送期間 | 放送時間と同じ |
放送時間 | 1996年7月13日18:00 - 翌14日23:24 |
放送分 | 29時間24分 |
『FNSスーパースペシャルテレビ夢列島』(エフエヌエススーパースペシャルテレビゆめれっとう)は、1987年から1991年までの『FNSの日』の通称であり、1年に1度夏に生放送された長時間特別番組である。通称は『夢列島』・『FNSテレビ夢列島』[1]。
この番組は2015年現在も『FNS27時間テレビ』として継続しており、このうち本項目では1995年の『FNSの日 1億2500万人の超夢列島』と1996年の『FNSの日十周年記念 1億2500万人の超夢リンピック』についても扱う他年度については該当記事参照)。
概要
フジテレビジョンの開局30周年記念番組として企画された大型バラエティ番組である。『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(日本テレビ)のパロディ及びアンチテーゼが番組の根幹にあり、チャリティーなしでお笑いだけをやる24時間の生放送番組として企画された。チャリティーを行っていないため最初の数年間は番組内でたびたび「募金は行っておりません」というテロップが出ていたが、勘違いして募金を放送局に持ってくる人もいた。また、当時フジテレビが行ったイベント『夢工場』の宣伝の要素もあった。
当初は1回きりの特別番組の予定だったが、初回放送の平均視聴率が19.9%、瞬間最高視聴率は38.1%という高視聴率となり、以降毎年継続して企画・放送されている。放送時間は23時間54分。視聴率の最高記録は1987年(第1回)の平均視聴率19.9%と、1992年(第6回)の瞬間視聴率38.3%である。
「夢列島」というタイトルは1998年から2001年・2008年の『FNS27時間テレビ』において、『FNS1億2700万人の27時間テレビ夢列島』、『FNS ALLSTARS27時間笑いの夢列島』『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』として再び使われている。
製作総指揮は第1回(1987年)は鹿内春雄、第2回から第5回(1988年 - 1991年)は鹿内宏明が務め[2]、制作代表は第2回から第5回(1988年 - 1991年)と第9回・第10回(1995年・1996年)は日枝久が務めた(後者は製作総指揮と兼任)。なお、日枝は『テレビ夢列島』(1988年 - 1991年)・『平成教育テレビ』(1992年)・『FNS27時間テレビ』(2001年 - 現在)で制作代表を務めた唯一の人物である。
番組タイトル・放送日・内容
第1回(1987年)FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島
総合司会はタモリと明石家さんまで、テーマは「夢家族」。系列局が推薦する全国24の"夢家族"をタレントたちが生中継で訪問する企画がメインであった。タモリとさんまの起用は『森田一義アワー 笑っていいとも!』と『オレたちひょうきん族』のスタッフの意向という[3]。
放送開始直前まで中継していた大洋×巨人戦の試合が伸びたため、本編内でも一部中継を行なった。
この番組のトークコーナーで、フライデー襲撃事件で謹慎中だったビートたけしがテレビ復帰を果たす。かつお笑いBIG3が生放送で久しぶりに共演した。
この年は、番宣CM、提供クレジットなどにおいて星形のステッキを持ったふくろうを模したキャラクターが登場した。
テーマ曲として松田聖子「夢のクレッセントムーン」(Boy Meets Girlの「Waiting for a Star to Fall」のカバー。レコード・CD化はされていない。)が起用された。CM前のジングルには、佐藤博「Sweet Inspiration (Extended Power Club Mix)」の5分56秒の部分(第2回(1988年)でも起用)などが使用された。
終盤にこの年の新人アナウンサー(青木美枝・笠井信輔・塩原恒夫・中井美穂)が24時間の提供スポンサーを生で読み上げた。これは恒例行事となって、その後も続いている。
出演者
- 総合司会
- 進行アナウンサー
- インフォメーション
- 「夢家族」リポーター
- ニュースファクトリー(FNNニュース工場)
- スーパータイムスペシャル
- その他
- ビートたけし
- 島田紳助
- 笑福亭鶴瓶
- オスマン・サンコン
- 具志堅用高
- 渡嘉敷勝男
- 輪島功一
- ガッツ石松
- 石原真理子
- 関根勤
- 和田アキ子
- 薬師丸ひろ子
- 関口宏
- ラサール石井
- 古舘伊知郎(大洋×巨人戦のゲスト実況)
- 平松政次
第2回(1988年)FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島'88
総合司会はタモリと笑福亭鶴瓶。この年もさんまに総合司会を依頼したが、さんまは「1回目を超えられない」という理由で断ったという。
1988年4月に鹿内春雄が死去したため、製作総指揮はこの年からフジテレビ会長に就任した義弟・鹿内宏明に交代した。
テーマは「結ぶ」。青函トンネルと瀬戸大橋が開通し日本が鉄道で繋がったため、JR旅客全6社が全面協力し東京六大学の鉄道研究会学生たちの監修のもと特別列車を走らせた。札幌と博多から数チームに分かれた芸能人・文化人(渡辺正行、小堺一機、海老一染之助・染太郎、山本晋也、林家こぶ平ほか)が全国各地の中継駅を回って東京・河田町にあったフジテレビまで戻って来られるように日程を組んだ。
キャプテンシステムを使い、独自の「おもしろ視聴率」を集計した。
前年参加しなかった鹿児島テレビが参加し25局ネットとなったが、翌年は再び非ネットとなった。
FNS各系列局が探した『おもしろ人間』を3分間のVTRにまとめて紹介するコーナーが番組内に設けられた。福岡・テレビ西日本が紹介したおもしろ人間は複数いたが、その一人にテレビ西日本でケーブルさばきのアルバイトをしていた当時大学生の松村邦洋がいた。彼は17日夕方の『スーパータイムデラックス』にて福岡・小呂島からの中継で登場。中継の最後で海にダイブした。このとき中継のため小呂島へ行っていた片岡鶴太郎との出会いが芸能界に入るきっかけとなった。また、『スーパータイムデラックス』のパートでは当時『FNNスーパータイム』の週末キャスターを担当していた黒岩祐治が東京上空から中継リポーターを務めた。
CGキャラクターのネーミングを募集し、『ノケゾリーナ』という名前に決まった。名付け親は当時小学生の栃木県在住の女の子。
CM前のジングル(佐藤博「Sweet Inspiration (Extended Power Club Mix)」)に合わせて、タモリを始めとする出演者一同が、大慌てで決めポーズをとるギャグが何度も行われた。 中継駅に行った芸能人が「北海道・食の祭典」や「よかトピア」などのコンパニオンガールからおみやげを受け取ったりするシーンが何度となくあった。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは青嶋達也・有賀さつき・河野景子・八木亜希子の男性1人、女性3人の合計4人。
出演者
- 総合司会
- 進行アナウンサー
- インフォメーション
- DATE LINEデラックス
- キャスター:露木茂・森田一義(タモリ)
- 天気予報:福井敏雄
- プロ野球ニュースデラックス
- スーパータイムデラックス
- キャスター:露木茂・森田一義(タモリ)
- スポーツ:笑福亭鶴瓶・塩原恒夫
- 東京上空からのヘリ中継:黒岩祐治
- レポーター:小田多恵子・野瀬義仁(東海テレビアナウンサー(当時))・片山さき子(関西テレビアナウンサー(当時))・ 笹栗実根(フジテレビ報道記者(当時))
- 天気予報:福井敏雄
- 笑っていいとも!増刊号デラックス 電リクスペシャル
- その他
- 明石家さんま
- 片岡鶴太郎
- ビートたけし
- 山本晋也
- 所ジョージ
- 渡辺正行
- 島田紳助
- 高田純次
- オスマン・サンコン
- 具志堅用高
- 渡嘉敷勝男
- 萬田久子
- 関根勤
- 和田アキ子
- 小堺一機
- 海老一染之助
- 海老一染太郎
- 林家こぶ平
- 清水ミチコ
- 富田靖子
第3回(1989年)FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'89
1989年7月15日20:00 - 翌日16日20:54 - 一昨年までの野球中継がなくなったことから、今回は20時からのスタート(25時間)となる。
テーマは「クイズ」
FNS系列局で行われた予選を勝ち残った一般人の解答者(1局あたり2人)と系列局のアナウンサーがフジテレビのスタジオに集結し、25時間ぶっ通しでクイズを行った。クイズはスタジオからのほか、当時放送されていた番組・映画やドラマの収録先、解答者の地元で留守を守る個性が豊かすぎる応援団(解答者の家族・親戚・近所の人や仲間)、さらに小堺一機と関根勤による移動中継(後述)、その他各コーナーからも出されていた。
地方からの中継は系列局のアナウンサーが担当していたが、タレントが担当していた局もあった。
小堺一機と関根勤は東京・新宿のスタジオアルタを出発地として『アルタ→タケシタ(竹下)通り』と次の中継先がしりとりになるように25時間東京近郊を回ってクイズを出し続けた。
今回から深夜のお色気企画が始まる。番組開始から十数時間が過ぎ、タモリ・さんまが一番辛いであろう時間帯に、癒しの企画として二人をジャングル風に仕立てたスタジオに招待した。そこでは鍼、鍼灸、整体、気孔などを体験したが、気孔を体験中、タモリが気のゆるみからかおならをしてしまった。タモリは「気が出た」と弁明した。
優勝は、1550点獲得の新潟総合テレビ。準優勝は山形テレビ(現在はテレビ朝日系列)、最下位が関西テレビ。優勝した新潟総合テレビには世界一周旅行、準優勝した山形テレビには沖縄旅行、関西テレビには北海道旅行が贈呈された。また、タモリ賞にはテレビ新広島の矢野寛樹アナウンサーにテレビが、さんま賞には福島テレビのポチ(出場した住職夫妻の飼い犬)にビデオが贈られた。
『スーパータイムデラックス』では舛添要一がゲスト出演し、スポーツのコーナーでは池谷幸雄・小菅麻里・小川直也がVTR出演した。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは木幡美子・智田裕一・佐藤里佳・田代尚子・境鶴丸・野島卓の男女3人ずつの合計6人。
今回以降、基本的にタモリ・さんまは総合司会を断るようになった(しかし、さんまは1995年・1996年に司会陣として加わった後、2008年に単独総合司会を務め、タモリも2012年に『笑っていいとも!』をベースとした『27時間テレビ』で単独総合司会を担当している)。
出演者
- 総合司会
- タモリ
- 明石家さんま
- 問題進行アナウンサー
- 長野智子
- インフォメーション
- 八木亜希子
- 小堺・関根の25時間移動中継(出題者)
- 小堺一機
- 関根勤
- 深夜のMr.レディーと大宴会
- 中継担当(出題者)
- 長野県美ヶ原:ABブラザーズ
- 北海道札幌市:海老一染之助・染太郎
- 名古屋世界デザイン博覧会: 楠田枝里子・大内ひろのしん
- 宮城県:斎藤清六
- 富山県:篠原勝之・松本明子
- 福井県:島崎俊郎(ヒップアップ)
- 沖縄県:東海林のり子
- 熊本県:田原俊彦
- 長崎県:デーモン小暮閣下
- 静岡県:松尾貴史
- 『日本の夜明け 東京の夜明け』:松村邦洋(ヘリリポーターのみ)
- 蒲郡プリンスホテル:山田邦子・沢口靖子・清水ミチコ
- トークゲスト(出題者)
- 愛川欽也(『なるほど!ザ・ワールド』出題者として)
- 石田純一
- 淡谷のり子
- 桂三枝(『クイズ!年の差なんて』出題者として)
- ジャイアント馬場
- 陣内孝則
- 田原総一朗
- 所ジョージ
- 野沢直子
- 原田大二郎・榊原郁恵・太平サブロー・シロー(『クイズなっとく歴史館』出題者として)
- 和田アキ子・ビートたけし[注 1]
- 森川由加里
- プロ野球ニュースデラックス
- DATE LINEデラックス
- スーパータイムデラックス
- キャスター:露木茂・森田一義(タモリ)
- スポーツ:中井美穂・明石家さんま
- 気象庁からの中継:横山隆晴(当時フジテレビ報道局)
- 伊豆東沖上空からのヘリ中継:黒岩祐治
- サミット中継:西村洋子
- ゲスト(参院選関連):舛添要一(政治評論家)・竹内貞男(フジテレビ報道局)
- 天気予報:福井敏雄
- 笑っていいとも!増刊号デラックス
- タモリ・さんまの癒やしのコーナー
- その他出演者(中継・VTR等)
第4回(1990年)FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'90
過去3回の総合司会はタモリと明石家さんま、笑福亭鶴瓶であったが、1990年は当時フジテレビアナウンサーのみで全コーナーを担当した。総合司会は須田哲夫と河野景子。フジテレビアナウンサーのみの総合司会は今回限りとなっている。
テーマは「おたく」("家"と"マニア"を指す)。宅八郎など典型的なマニアが登場した。この年から毎年、恒例の『夢列島・通し企画』が始まりその第1回目として『24時間以内に家を建てる』という無謀な企画を東海林のり子のリポートでやった。フジテレビをはじめとするFNSの各アナウンサーが、全国の家を回った。この年から昼のBIG3の企画がスタート。今回は『ビッグ3おたく座談会』と題して昭和30年代の家のセットの中でトーク。当時タモリが船舶免許を取得、ヨット乗船中に額を強打し頭にガーゼをつけたまま登場。露木茂が爆笑のあまりよだれをこぼした。
深夜のゲーム大会は、クイズに答えると女性が1枚ずつ服を脱いでいくというもの。そういう企画のため、そのスタジオに男性アナウンサー達が大勢やってきて大はしゃぎし、ついには露木茂も駆けつけ、コーナーが終わってもスタジオから戻って来ず、皆あきれていた。
深夜の『FNN NEWSCOMスペシャル』は、キャスターの川端健嗣が銀座にある実家のたばこ屋(川端たばこ店)から中継した。
FNS企画は「全国美人妻コンテスト」。第3位が石川テレビ、第2位がサガテレビ、優勝がテレビ静岡。
この年から『ちびまる子ちゃん』がアニメパートとして放送開始。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは大坪千夏・長坂哲夫・松井みどり・吉田伸男の男女2人ずつの合計4人。
出演者
- 総合司会
- 須田哲夫
- 河野景子
- FNN NEWSCOMスペシャル
- キャスター:川端健嗣・島森路子
- FNNスーパータイムスペシャル
- キャスター:黒岩祐治・八木亜希子
- その他
ほか
第5回(1991年)FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91
総合司会は桂三枝(現・六代桂文枝)、フジテレビアナウンサー(当時)有賀さつき・八木亜希子の3人。フジテレビアナウンサーの総合司会起用は2015年時点で1991年が最後となっている。日本の総人口に合わせ、タイトルが若干変更された。
テーマは「戦い」
通し企画は『東京さ行くだ!クイズ』。松本明子・牧原俊幸が札幌から、吉村明宏・木幡美子(途中からデーモン小暮のものまねをした太平シローが参加)が鹿児島からFNS各局の代表として一般人を大型バスに乗せ、各地で勝ち抜け方式のクイズをしながら東京を目指す企画。北ルートはゴールしたが、鹿児島からの南ルートは渋滞に巻き込まれ河田町のフジテレビまでたどり着けず、バス車内(中央道・八王子石川パーキングエリア)でエンディングを迎えることになった。
昼のBIG3企画『BIG3闘いゴルフ対談』はスタジオに小さなゴルフ練習場を作ってゴルフ対決。ここでたけしとタモリがさんまの自慢のクラブを壊そうと暴走。その後のフリートークで「誰が一番車の運転が上手いか」という話になり、さんまのレンジローバーを使って車庫入れをしようということになる。しかしたけしが暴走し、さんまのクラブで車体に傷をつけ、車庫入れではブロック塀でつくられた車庫に激突、さんまのレンジローバーはボロボロになってしまう。そしてこの因縁は翌年以降も続くことになる。
ニュースコーナーは夜が山田邦子司会の『FNN NEWSCOMスペシャル』、夕方は武田鉄矢司会の『FNNスーパータイムスペシャル』でどちらとも本番組のスタジオから放送され、露木がアシスタントを務めた。
深夜のゲーム大会は、前年に引き続きクイズに答えると女性が一枚ずつ服を脱いでいくというもの。そのスタジオに男性タレントのほか、スタッフまでもやってきて大はしゃぎし、番組のゼネラルプロデューサーの横澤彪も駆けつけた。
FNS各局対抗企画は「戦う!ビデオ大賞」
この年開局した岩手めんこいテレビがネット開始。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは近藤サト(岐阜県)・小泉陽一(神奈川県)・中村江里子(東京都)の男性1人・女性2人の合計3人。
出演者
- 総合司会
- 桂三枝(現・六代桂文枝)
- 有賀さつき
- 八木亜希子
- FNN NEWSCOMスペシャル
- プロ野球ニューススペシャル
- FNNスーパータイムスペシャル
- BIG3戦うゴルフ対談
- タモリ
- ビートたけし
- 明石家さんま
- 逸見政孝
- 輝け!戦うビデオ大賞
- 高田文夫(審査員)
- その他
ほか
第9回(1995年)FNSの日 1億2500万人の超夢列島 そのうち何とか23時間
総合司会:北野武、明石家さんま、所ジョージ、笑福亭鶴瓶、ヒロミ、今田耕司、東野幸治。
軸となる番組は「平成教育委員会」だが、1992年 - 1994年と比べその色合いは薄くなり[5]、「夢列島」時代のようにさまざまな特別コーナーなどを織り交ぜ放送した。
この年の各局対抗戦は「最優秀女子アナ決定戦」と題して、夜11時に「知力テスト」(「平成教育委員会」からの出題)、深夜の「意識調査」、朝の「料理の女鉄人」(当時、大人気番組だった「料理の鉄人」の女子アナ大会版・25局を3チームに分けての対抗戦)、昼の「愛ちゃんと卓球対決」の4ブロックで行い最高得点者にゴールデンマイクを授与した。さらに「最優秀女子アナ決定戦」の得点に加え、「めざめてるテレビ」の「そのうちなんとか合戦」(各ブロックでトップ賞となった局に得点)と「全国温泉○×王決定戦」(○×王が出た局に得点)の得点で優勝局を決定した。
「そのうちなんとか・・・23時間」とあるように、前年事故で重傷を負ったたけしをみんなで助け合って23時間がんばろうというのがメインテーマであった。そのため、たけしの出演時間は例年に比べ激減したが、さんま・所・鶴瓶を始め今田・東野(途中深夜からナインティナイン(最後まで)・よゐこ(朝まで))が長時間出演した。
BIG3コーナーでさんまの車が破壊された最後の回になった。なお番組の本編の企画はクイズ形式で一番成績の悪い者の車が破壊される、と言うものであったが当日のテレビ番組欄には「そしてさんまの車は…」と書かれていた他、問題もあからさまにさんまに不利なものであった。
お色気企画は今回で休止となっている。
上岡龍太郎、そのまんま東、トミーズ雅、フジテレビアナウンサーとして史上初のフルマラソン挑戦の武田祐子、木佐彩子の5人がオーストラリア・ゴールドコーストマラソンに挑戦。解説に大竹まこと、実況は三宅正治が担当した(前々年(1993年)と前年(1994年)は自転車レースの最高峰、ツール・ド・フランスの実況を担当した関係上、声のみの出演だった)。マラソンは全員完走尚且つベストタイム更新のおまけが付いてレギュラー番組「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」での公約にしたがって、後日大竹は坊主になった。また、このマラソン中継中に東野がこっそり食事中のところを発見され、指摘した鶴瓶らに「(マラソンなんて)どうでもええんじゃ!!」と暴言を吐いた。これに対し、フジテレビには視聴者から2万本の抗議の電話がきた。
ゴールドコーストの各ランナーのゴール時間帯は次の通り。上岡と東国原は料理の女鉄人の料理開始前/雅はドレミファドンのFAX受付締切と料理の女鉄人料理終了両直前/武田と木佐はいいとも内でのゴールとなった。雅のゴール時には東京の福井がゴールドコーストの三宅に『10:00迄にゴール出来ますか?』と伺っていたがこれはドレミファドンの事を気にしての質問だったと言う。
「プロ野球ニュース」は「超・プロ野球ニュース」として放送。司会役には当時放送していた『夢がMORI MORI』から通称・夢モリコンビと言われていた森口博子と森脇健児が担当。ナビゲート役には土曜日コメンテーターとしてパンチ佐藤が担当。また、アメリカのロサンゼルスとイギリスのシルバーストーンからダブル衛星中継。野茂英雄、武田修宏・北澤豪、ジャン・アレジがつなぎメッセージを放送。
松村邦洋が鹿児島テレビから河田町のフジテレビ旧本社(現在は解体され河田町コンフォガーデンに建て替えられている)までタクシーで横断する企画・名付けて「松村邦洋 鹿児島→東京 1520km/タクシーマラソン」を行い、グランドフィナーレで走破。
「魔法のランプ」でゴルフのショートホールニアピン大会を実施。余りの盛り上がり方に翌年は本格的なゴルフ大会に進化を遂げて仕舞い芸能人軍団・全滅への引き金をこの企画で引いて仕舞った。
「HEY!HEY!HEY!」スペシャルは事前収録。この際、以前「HEY!HEY!HEY!」のレギュラー放送で時間の関係で一部しか放送されなかったBOROの「大阪で生まれた女18」を、完全ノーカットで1番から18番までフルコーラス放送した。
視聴者参加クイズは、前回全問正解者が出なかったので、往年の人気クイズ番組を復活させた「賞金100万円!夜明けのイントロクイズ クイズ・ドレミファドン!」を実施。懐かしの映像を交えつつ(大阪での万国博覧会(第11問&第12問)、東京都庁落成式(第29問&最終・第30問)、ジュリアナ東京(第20問)、瀬戸大橋(第8問)、オイルショック(第2問)等)、30問のイントロクイズを出題した。問題のジャンルは3段階でイントロ・ウルトライントロ・超ウルトライントロが10問ずつ。
「料理の女鉄人」コーナーで、ゴールドコーストのトミーズ雅・ゴールと「賞金100万円!夜明けのイントロクイズ クイズ・ドレミファドン!」FAX受付終了の両直後に今田耕司が「あと2分」と無意識に言ったのが、奇跡的に的中(当たった理由はスタジオ内にあったカウントダウンタイマーがその様になった事)。視聴者からは称賛や絶賛の嵐となった。
「笑っていいとも!増刊号」スペシャル第二部は、さんま、タモリ、鶴瓶、関根の4人でやったゴルフで負けた鶴瓶がさんまの部屋を大掃除すると言う企画(録画)も放送された。第一部は片岡鶴太郎VS笑福亭鶴瓶の鶴鶴対決。
○×王は「全国温泉○×王座決定戦」として行われグランドフィナーレ寸前までもつれ込大接戦になったが前回覇者のサガテレビが○×王を防衛した(最後の問題では分かれた瞬間に司会のラサール石井が思わず我を忘れてガッツポーズするシーンがあった)。
明石家さんま主催の当時の特番「明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」でお馴染みの「オールスターフリースロー選手権」を生放送で開催。好評だったため、翌年さらに翌々年も開催された。ある意味、6つ上のゴルフ同様に視聴者の闘争本能に火をつけて仕舞いこちらに至っては芸能人軍団・2年連続の完全敗北を喫する。
この年のFNS25局対抗戦は「最優秀女子アナ決定戦」と「FNS25局総合優勝局決定戦」の2本立て。「最優秀女子アナ決定戦」は岡山放送の竹下美保アナウンサーが賞品の『ゴールデンマイク』を獲得。一方の「FNS25局対抗戦」はサガテレビが優勝、ジミー大西画伯が今度は「ジミー工房」と題し、ステンドグラスを使って制作された優勝賞品「飛蝗」を獲得した。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは伊藤利尋・菊間千乃・高木広子・森昭一郎の男女2人ずつの合計4人。今回の提供CG:番組ロゴに登場していた謎の青いキャラ(翌年放送ではピンク色に改められ、「ユメリン」と名づけられた)がジャンプする度に提供社名が切り替わる。
プロ野球中継が延長したため番組開始後もノーステブレでしばらく続き、番組タイトルコールを発したのは試合終了後の22時頃だった。また、この年は「FNNスーパータイム」も含めニュースは一切放送されなかった。衛星中継は史上初のフォース。1ヵ所目の フランスのパリ・エッフェル塔でのオープニング祭を筆頭に2ヵ所目は アメリカ合衆国のロサンゼルスにあるメジャーリーグの球団・ロサンゼルス・ドジャースの本拠地/ドジャースタジアムから野茂情報、3ヶ所目は イギリスのシルバーストーンサーキットからF1情報、そして最後の4ヵ所目は南半球の オーストラリアのクイーンズランド州にあるシーサイドシティー・ゴールドコーストからマラソン中継と海外四元中継が実現した。
エンディングはクラッカーと紙テープと紙吹雪が舞った。
第10回(1996年)FNSの日十周年記念1億2500万人の超夢リンピック
略称は「夢リンピック」。事前収録の「たけし・さんまの夜明けのスポーツ大バラエティ」と深夜に生放送された「スポクイバトル7」は後日再放送された。なお、番組タイトルの『夢リンピック』は『夢列島』と『オリンピック』を掛け合せた造語(この年はオリンピックイヤーでアトランタオリンピックの開幕直前だった)。
この年、初めて「番組パーソナリティー制」を導入、SMAPが就任する。
29回開催されている「FNSの日」の中でも史上最も放送時間が長い番組。(土曜18:00 - 日曜23:24/29時間24分)
主な出演者(大会委員は赤いジャケットに帽子というスタイルで出演)
たけし、さんまは土曜夜、日曜夕方 - 夜のコーナーに出演し、鶴瓶は土曜夜と日曜朝から昼にかけてメインを担当。所は土曜夜 - 深夜と日曜夜、田代は土曜夜と日曜夜に出演。それぞれ出演する裏番組時間帯は出演せず。たけしがメインを張るも、実際は「さんまのスポーツするぞ!大放送」がメイン企画。これは1995年までの「平成教育テレビ」の流れも引き継いでいるということでさんまをメイン司会に置かず、副委員長として置き、たけしを大会委員長とした。ビートたけしはこれより2008年まで「FNSの日」には出演せず、所ジョージも1997年以降「FNSの日」の出演はなし。 この年の総合主旨は「芸能人軍団VS素人軍団/超究極全面大戦争」として開催された。
テーマは「スポーツ」
大会役員の入場時にはヨコハマ・インスパイヤーズDrum&BugleCorpsが全面協力した。
メジャーリーグ 野茂英雄中継(ロサンゼルス・ドジャースVSサンフランシスコ・ジャイアンツ)があった。MLBオールスターゲーム後の後半戦・最初の野茂登板試合の模様をロサンゼルス・ドジャースタジアムと東京・フジテレビを衛星で結んで放送し映像は現地の映像を使用し途中からは日本のプロ野球中継で使われているサイン(何回の表・裏/チームの頭英語/スコア/SBO(現在はBSO)のカウント/ベースの状態<色が付いているベースはランナーがいる事>の5つ)も急遽、使用した。解説はパンチョ伊東/実況・司会・進行はKIZAKIが画面実況する形で担当した。試合は7対0でジャイアンツの無失点勝利となった。野茂の結果は6回までで投球数が113球/対戦打者数が31名/打たれたヒット数が7本/被本塁打と与四死が3本ずつ/奪った三振数が二桁の10奪三振だった。7回入った所で代打を出されて御役御免となった。
此処からは奇跡の大当たり現象・超怒涛の6連発の内、4発を紹介。上のメジャーリーグ中継に連動する形で西武ライオンズ球場(現在の西武ドーム)では超夢リンピックの予選会・第2弾/ゴルフ編としてゴルフ 池ポチャ・アプローチ選手権in西武球場が開催された。球場がゴルフ施設になったのは世界で初めて。此処で時間帯で言うと5発目だが司会の小堺一機がひとりになろうと言ったら何と決着が付くと言う1995・1996両年の今田を彷彿とさせる奇跡の大当たり現象が起きた。小堺には終了後に絶賛と称賛の嵐が起きた。
更に上のメジャーとゴルフにはこんな関係もあった。野茂の試合が終わったタイミングとゴルフ予選での決勝進出の8名(この時は9名)決定のタイミング(詳細的に言うとゴルフの決勝進出8名が出揃って水島選手と田代まさしが握手したタイミング)が偶然にも合っていた。時間帯で言うと最後の6発目の奇跡の大当たり現象となった。
前年、オーストラリアで開催した第17回「JALゴールドコーストマラソン'95」でトミーズ雅のゴールとこの年の視聴者参加クイズとして開催した賞金100万円!夜明けのイントロクイズクイズドレミファドン!のFAX受付締切の両直後に「料理の終了、あと2分!」と叫んで的中させた今田耕司がこの年にも奇跡の大当たり現象を達成させた。全国フリースロー選手権大会の予選会・準決勝で「よし、入った!」と言ったらバスケットボールに神が宿ったかの様にゴールリングに吸い込まれ、2年連続のミラクル的中達成に視聴者からは2年連続で絶賛と称賛の嵐が起きた。時間帯で言うと3発目の奇跡の大当たり現象となった。
其れに攣られてなのかナインティナインの岡村隆史がお前は外さない!と言うとこれ又、神が宿ったかの様にゴールが決まり岡村にも絶賛と称賛の嵐が起きた(どちらも準決勝で起きた出来事で前者の今田は第2試合で/後者の岡村は第1試合で其々、起こった出来事であった)。時間帯で言うと2発目の奇跡の大当たり現象となってこの他にも偶然当たりが2つ起る等とこの年は実に6つの偶然の大当たり現象が次々と起きて話題を呼んだ。
番組開始時間が夕方6時になったため、当時夕方6時に放送していた「FNNスーパータイム」は夕方5時30分に繰り上げ(2000年まで。2001年以降ニュースの通常放送時間が夕方5時30分に変更されている。)。
プロ野球ニュースは都内の居酒屋のあぶさんからの中継を行い、パンチョ伊東・漫画家の水島新司・声優の古谷徹等がゲスト参加した。又、五輪開幕直前のアメリカのアトランタからはTOKIOの松岡・長瀬が最新リポートを入れた。
富士山五合目からフジテレビまで26区間/130kmの系列局アナによる聖火リレーを実施。最終区間(新宿区富久町付近からフジテレビまで)の1kmを露木茂が走り、大声援の中フジテレビ内へ入った。大量の煙が出るためそれまで使用してきたトーチがスタジオで使えない事から、入口でトーチを小さなローソクのものに交換した上でゴールした。この区間は三宅の実況でCM無しで全区間を完全実況生中継。
深夜の「スポクイバトル7」では、たけし・さんま・SMAPが共演。番組内幾度となく「がんばりましょう」のサビが突如として流れ、メイン司会者のたけし・さんまもフリが分からない状態で踊りをやらされるハメになってしまうことになり、日曜日のビッグ3コーナーでたけしは「(フジテレビから自宅に)帰って倒れたもん!」と話した。なお、コーナーの後半では「スポクイカンカン!」を放送。スポーツをしているご本人が登場するなどスタジオは緊張感に包まれていた。このコーナー司会を担当した中居正広の司会進行ぶりがスタッフに高評価を呼んで後の総合司会・担当8回(1998年~2000年・2004年・2006年・2011年・2014年・2015年)を生んだ。
深夜のお色気企画に代わって深夜の女子アナリンピックが開催された。公式審判には山本小鉄氏が参加していた。
「たけし・さんま・SMAP」特設会場88mボウリング
たけし・さんまの夜明けのスポーツ大バラエティ(このコーナーのみ後日再放送)
たけしが日曜日の夜明けから夕方迄(06:00~19:00頃)居ないと言う前々年の重傷事故を引き攣る形があった。この間の順番はフリースロー・予選から始まりいいとも!、ゴルフ予選+野茂中継、クイズ結果、さんま、競馬、〇☓、ニュース、ちびまる子ちゃん、サザエさんの10のコーナー又は予選大会で繋げて行った。
10年の歴史をBIG3が鑑賞(二部構成)。19:00台に行われた第1部はタモリ・たけし・さんまのBIG3を迎えて10周年のハイライトを映像と共に振り返りその後に「特選!夢列島名場面集」と題して3人それぞれのリクエストを放送した(さんまは通常では裏番組の『さんまのスーパーからくりTV』に出演しているが、この日は休止であったためにそのまま出演)。第2部は超夢リンピックのゴルフ・ボウリングのUの字ボウリング・バスケットボールのフリースロー/3つ全ての決勝大会終了後に放送。「特選!夢列島名場面集」の続きを放送して第1部で放送出来なかった分を出演者全員で見た。ちなみに、第2部の1発目は露木のリクエストで「フジテレビ新人アナ披露」を放送。
系列局対抗企画は「1億2500万人の超夢リンピック 全国名所でバスケット・フリースロー スーパー大予選会」と題してフリースローの予選大会を開催。大塚範一と八木亜希子の総合司会・笑福亭鶴瓶、今田耕司、東野幸治、岡村隆史、矢部浩之の5人がゲスト兼立会人として登場して開幕戦から準決勝までの23試合を完全実況生中継でお届けした(トーナメント表は青枠で囲っているブロック)。試合が進むに連れてトーナメント表が勝ち上がり局だけが上に上がる形式をとった。予選大会後のインフォメーションでは決勝進出を決めた2局の女子アナが参加していた(ここでは長野放送の浅野薫と鹿児島テレビの佐藤陽子両アナが参加していた)。
夕方はラサール石井司会の『FNNスーパータイムスペシャル』(松山香織キャスターと共に)。
前年(1995年)の芸能人大会の好評に答えてFNS25局による第1回「全国フリースロー選手権大会」が開催された(「全国フリースロー選手権大会」については「さんまのスポーツするぞ」の項目を参照)。優勝はKTS鹿児島テレビ放送。「フリースロー・ドリームマッチ」でも芸能人軍団のタレント選抜&SMAPの2チームを一蹴し完全優勝を達成。
優勝した鹿児島から10代選手として参加した窪奈緒子選手と40代以上選手として参加した白水清美選手がダブルで大会MVPに選ばれた。選出理由は外したのは共にたった1投のみ(窪はドリームマッチの2投目・白水は決勝戦の1投目)と言う薩摩の若頭女王・薩摩の王者の名に相応しい活躍振りだった事が評価されての選出だった。更に20代選手の小浦康弘選手には特別賞のカムバック賞が贈られた。選出理由は予選では2回戦・準々決勝・準決勝の3投全てを外しチームの足を引っ張って仕舞い決勝大会での活躍が不安視されたが決勝大会では正しく別人。投げた4投中入ったのは3投と言う結果に西山アナから挽回出来ましたねと褒められていた。
競馬は札幌競馬場から札幌スプリントステークスを放送(進行は山田雅人・解説は井崎脩五郎・実況は吉田雅英)したが、このレースを制したノーブルグラスに騎乗の安田富男が全10場での重賞制覇の快挙を達成した。
「ゴルフ大会」は大山慶太選手が決勝大会の初戦(VS笑福亭鶴瓶)と準決勝で2度のホールインワンを達成。決勝戦でもあと一歩でトリプルホールインワン達成の所まで行ってまさに文句なしの優勝を決めて副賞の北海道ゴルフツアー・4名分の目録が贈られた(尚、自分自身から優勝候補と挙げていたさんまは準決勝第2試合で岡村隆史に敗れてそのショックは計り知れない程に相当なものになったのか決勝開始前には一人だけスタジオの隅で悔しさを大爆発させながら「どうぞ、やれば!やれば!」とさじを投げてしまって挙げ句の果てには優勝した大山選手にもこき使われていた)。Uの字ボウリングはSMAPが優勝。
○×王は「全国スポーツ○×王座決定戦」として開催。試合は明石家さんま・今田耕司・東野幸治の3人の過去によるパーソナルクイズまで入れないと決着が付かない程の○×大会・史上稀見る史上最大且つ史上最高の超大接戦になったが最後は仙台放送が勝利した(最後の問題になった東野クイズではスタジオにいた全員が声を嗄らす程に、そして吐き捨てるかの様に「分かれろ!」を大連呼しながら大絶叫して分かれた瞬間にはスタジオの殆どの出演者が隣にいる人を見つけてはガッツポーズやハイタッチをして喜びを大爆発させた。スタッフも同じ様に喜びを見せて中には万歳三唱をするスタッフも現れる程だった)。尚、〇☓王開始前には来春(1997年4月)に開局される新しいFNS局として山形さくらんぼテレビと高知さんさんテレビの2局が紹介され山形はさくらんぼを・高知は山桃を番組に提供、出演者達に応援してた。
通し企画は、松村邦洋がフジテレビ駐車場で888ゴール達成するまで延々とフリースロー(達成)。開始時間は富士山の山頂に聖火が付いたのを確認してのスタートとなった。
グランドフィナーレで「見てないと分からないクイズ」の車(日産・ウイングロード)当選者の兵庫県・中村卓さんに露木からビッグゴールデンキーが贈呈された。因みに当クイズに贈られた総数は1447名(通)で全問正解者は260名(通)に及んだ。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは竹下陽平・佐々木恭子・藤村さおりの男性1人と女性2人の合計3人。竹下・佐々木・藤村の3人は系列局の聖火リレーに最終走者兼最終区間の露木の伴走で参加した。
番組の最後でたけしが、聖火に見立てたローソクを吹き消すのに時間がかかり、結局吹き消そうとしているときに番組が終わった。
スペシャルドラマ
- 1987年:『真夏の忠臣蔵』
- 「オレたちひょうきん族」メンバーによる時代劇コント。
裏番組への対応
- タモリ
- 第1回から第3回までの総合司会であるタモリは土曜23:00 - 23:30に日本テレビで『今夜は最高!』が放送しているため退席し、その間は1987年・1989年は明石家さんま、1988年は笑福亭鶴瓶がそれぞれ一人で進行していた。
- 桂三枝(現・六代桂文枝)
- 第5回の総合司会である三枝はテレビ朝日にて『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送制作)が放送されている番組後半の12:45 - 13:15まで退席し、その間「戦う!ビデオ大賞」の審査員の一人だった高田文夫が三枝の代理を務めた。
- 明石家さんま
- 第9回の司会であるさんまは日本テレビにて『恋のから騒ぎ』が放送されるため、番組後半の23:00 - 23:30まで退席した。
スタッフ
- 構成:高平哲郎 / 詩村博史 / 鈴木しゅんじ、永井準、黒木一由、岩立良作、廣岡豊、谷口秀一、鶴間政行、加藤芳一、竹内忠司 / 大倉俊晴、清水東、藤井通、太田一水
- スタイリスト:矢野悦子(タモリ担当)
- 技術:本田殻 / 堀田満之、那須俊郎、笹川一男、川合大実、佐藤五十一、下田誠 / 豊田仁
- 照明:小宮俊彦
- 美術:重松照英、山本修身、水上啓光、金子隆、船場文雄、伊藤則緒、上瀬千春、岩崎光明、山口浩司、末松隆
- CGキャラクターデザイン:山田みどり(LINKS)(第2回)、清水新吾(第3回)
- CG:金田全央、藤井泰正
- ディレクター:荻野繁、大平司、三宅恵介、今村和敏、大野三郎、鈴木恵悟、木村基子、森川久、星野淳一郎、小畑芳和、及川俊明、佐山純三、田辺恵造、平林長務、永峰明、吉沢道博、小林延行、光野道夫、小林豊、東秀夫、上田健、竹内茂夫、加藤好喜、水口昌彦、堀越広行、中松武憲、豊島浩行、佐々木宗彦、星田良子、村社淳、稲木甲二、高島二六
- プロデューサー:浅野次良、山縣慎司、石黒正保、吉森治利、梅田一男、矢野順二、吉田正樹、佐藤義和、吉田寛、星野淳一郎
- 総合プロデューサー:横澤彪
- 製作総指揮:鹿内春雄(第1回)、鹿内宏明(第2回~第5回)、日枝久(第9回・第10回)
- 制作代表:日枝久(第2回~第5回)
- 技術協力:IMAGICA、ニユーテレス、八峯テレビ、共同テレビジョン、彩光、東京テレビ技術、O.C.Bプロ、O.K.K、スタジオアルタ、日放、RVC(1995年・1996年)、ジャイロ(1995年・1996年)
- 制作協力:田辺エージェンシー/イースト(1995年・1996年)
- 制作著作:フジネットワーク(1987年・1989年=24社、1988年・1990年=25社、1991年=26社、1995年・1996年=25社)
- 1995年
- 1996年
- 構成:高平哲郎 /三木聡、長谷川朝二、田代一朗、鈴木おさむ、鶴間政行
- コーナー担当ディレクター:小倉浩介、岡崎洋三、内藤和明、小松純也、手塚久、黒木省一郎、小林昇、矢延隆生、坪田譲治、本間学、豊島浩行、高崎邦雄
- プロデューサー:桜井郁子、角井英之(イースト)
- 総合演出・プロデューサー:小西康弘、水口昌彦、荒井昭博・三宅恵介、小須田和彦・王東順
- 制作著作:フジネットワーク25社
関連項目
- FNS
- 日本の長時間特別番組一覧
- FNS27時間テレビ
- 平成教育テレビ
- 27時間テレビ
- BIG3
- 森田一義アワー 笑っていいとも!
- 笑っていいとも!増刊号
- オレたちひょうきん族
- コミュニケーションカーニバル 夢工場'87
- 夢工場ドキドキパニック
脚注・出典
注釈
出典
- ^ 開始当初は日本テレビ系『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』に対抗して同じ24時間の放送時間であったため、『FNS24時間テレビ』という通称もあった。
- ^ 鹿内春雄死去のため。
- ^ 太田省一『中居正広という生き方』
- ^ http://www.news-postseven.com/archives/20150428_318094.html
- ^ 1992年度と1993年度の総合司会の一人であり、番組全体の雰囲気を引き締める役割を持っていた逸見政孝が1993年12月に逝去したことで企画自体が成立しなくなったことが大きく影響している。
外部リンク
フジテレビ系列 FNS27時間テレビ(1987年 - 1991年) | ||
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テレビ夢列島 |
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フジテレビ系列 FNS27時間テレビ(1995年) | ||
FNS総力スペシャル
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