デーモン閣下

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デーモン閣下が自称する概要
属性
悪魔 (悪魔教教祖
英名
His Excellency Demon (三人称)
Your Excellency Demon (二人称)
別称
小暮伝衛門(邦楽器コラボレート時)
通称
デーモン、閣下(かっか)
(世を忍ぶ仮の)本名
小暮(姓のみ公表、名は非公表)
発生日(誕生日)
魔暦:紀元前100,036年11月10日
西暦:紀元前98,038年11月10日
発生地(出身地)
地獄の都 Bitter Valley地区
(人間界における)世を忍ぶ仮の職業
(1) 表現家歌唱演劇テレビラジオ
(2) 演出家舞台演出CDプロデュース
(3) 文筆家評論エッセイ作詞
(4) 相撲評論家
(5) 思想家
(6) ジャーナリスト
デーモン閣下
Japan Expo2010での閣下
Japan Expo2010での閣下
基本情報
出生名 本名は姓のみ公表
出生 自称 BC98038年11月10日(満100049歳)
学歴 早稲田大学社会科学部
出身地 地獄の都Bitter Valley地区(東京都渋谷区
ジャンル J-POPロックヘヴィメタル
職業 マルチタレントミュージシャンジャーナリスト相撲評論家
活動期間 1982年 -
レーベル avex trax
事務所 吉本興業
影響 KISSジェフ・テイトスティーヴ・ペリー
公式サイト デーモン閣下オフィシャルHP

デーモン閣下(デーモンかっか、自称紀元前98038年11月10日 - 、英語表記:His Excellency Demon、二人称はYour Excellency Demon、世を忍ぶ仮の名(本名):小暮(姓のみ。名は非公表))は、ヘヴィメタル楽曲歌唱を中心に幅広く活動するマルチタレントミュージシャンジャーナリスト相撲評論家である。

桐蔭学園高等学校早稲田大学社会科学部卒業。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。

正式な芸名は、2010年初頭頃から「デーモン閣下」(それまでは「デーモン小暮閣下」)。通称は「デーモン」、「閣下(かっか)」。過去の芸名の「デーモン小暮閣下」および「小暮伝衛門」において本名の姓を用いて明らかにしているが、名はあくまで非公表である。また、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で世を忍ぶ仮の名前を「小暮ヨシノブ」と称していたこともある。著書『我は求め訴えたり』でもそう称している。

目次

人物

金色の髪を派手に逆立て、白色を基調とした(イメージとしては歌舞伎アメリカロックバンドKISSに近い)顔貌をしており、それが自身本来の悪魔の姿であり、ゼウスによって約10万年もの間地獄に封印されていたが、ゼウスの封印力が弱まり再び蘇り、人間界へと降り立ったと称して次のような主張を展開している。

紀元前98038年11月10日に発生、地獄の都Bitter Valley地区(東京都渋谷区)出身。NHKの大相撲中継にゲスト出演した際に、実況アナウンサーにその出自等を公表されている。11月10日はドラキュラ公の誕生日でもある。悪魔としての本名は地球上では可聴音域で発声できない(発声しても口パクにしか見えない)とのこと。
世を忍ぶ仮の小学時に広島市で布教活動歴があり閣下自身、人間界の故郷は広島である、としている(週刊文春、2007年3月22号、111頁)。自身が公私混同を非常に嫌がっていることから人間としての側面はあくまで「世を忍ぶ仮の姿」であり、「世を忍ぶ仮の」家族関係・生い立ち等については積極的には公表していないが、信者(ファン)間にとどまらず広く知れわたっている。地球上で閣下を一躍有名にしたのは、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の「テレフォンショッキング」に出演したことである。そのときに自身の年齢を「10万24歳」と答えた。また、司会のタモリから「ダンプ松本は友達か?」と聞かれたところ、本来の悪魔の姿のまま電車に乗っていたらダンプ松本に間違えられたことがあると答えた。元地獄副大魔王にして悪魔教教祖であり、布教に努めた結果西暦1999年12月31日に「地球征服」すると宣言。その年を「魔暦元年」と定めた。そして同年、公約通り「地球征服」を完了し、解散。
顔色が白いのは、メイクではなく素顔である。メイクが一部落ちているとの指摘に対しては、鱗粉のように剥がれることもあると説明している。洗顔ソープのCMに出演して顔を洗うシーンがあったが模様はまったく落ちていなかった。TBSの記者・キャスターを務めた小暮裕美子は世を忍ぶ仮の姉(実姉)で、幼少時から現在に至るまで、地上で唯一口喧嘩でかなわない相手であると畏怖されている。学生時代、裕美子が学園祭でロック・クイーンになっている勇姿を見て「コレだ!」とのヒントを得たと語っている(1988年頃、ゴールデンタイムテレビ放映のデーモン閣下特集番組にて)。裕美子の結婚式(1994年)には、そのままの出で立ちで列席したという。ただ、閣下自身が公私混同を非常に嫌がっているので披露宴に閣下は出席する予定はなかったが、急きょ悪魔の“素顔”で出席した。

上記のような主張を行っているため、本章で示されるような人間としての側面は、全て「世を忍ぶ仮のもの」であるとしており、例えば自分の母親のことを「世を忍ぶ仮の母親」とし、自分の小学生時代について「世を忍ぶ仮の小学生時代」とするなど、必ず「世を忍ぶ仮の」という一節を付加して表現している。以降、本項では省略することとする。

自称の際には「吾輩」と称することが多い。普段は「閣下」と呼ばれることを常とする[1]。現在では「閣下」の敬称までが正式な名称の一部となっており、諸活動を行う際の正式な名称・芸名とも「デーモン閣下」である(2010年1月14日発売の『週刊文春』「阿川佐和子のこの人に会いたい」の対談ゲストに登場、自らの芸名を「デーモン小暮閣下」から「小暮」を外した「デーモン閣下」にしたことを明らかにした)。閣下を敬称とすれば日本語としては破綻しているが、字幕スーパーで「デーモン小暮閣下さん」と表示されることも近年ではよくあった。近年では、『クローズアップ現代』(NHK総合2007年11月7日)にゲスト出演した際、キャスター国谷裕子に「デーモンさん」と呼ばれても許容していたように、「デーモンさん」と呼称されることに対しても拒否反応を示すことはない。姓である「小暮君」と呼ばれた際は「閣下と呼べ!」「せめてデーモン小暮と呼んでほしいのだが…」と許容しながらも反発したことはある。姓の「小暮」までであり、非公表である本名を呼称することは何人に対しても一切許容していない。

派手な外見や所作から来る印象ばかりを取り沙汰されることが多いが、「信者」と称されるファンの多くは「作品の内容」「言動」「エンターテイナーとしての技量」を大いに支持している。単に「神と悪魔と人間」という視点だけでなく、幼少時にアメリカに在住していた帰国子女としての体験があったため、異文化交流に関してのコメントも多い。合わせて日本伝統芸能文化に造詣が深く、純邦楽等と共演することが年間25回を超える。また、有数の好角家でもあり、その知識は他の好角家や大相撲関係者すら舌を巻くほどである(後述)。頭の回転が早く、テレビ番組での彼のやり取りを見た、閣下支持でも何でもなかった音楽評論家渋谷陽一を感心させている。同時に、裏方では芸能界での大先輩やスタッフに丁寧に接するなど几帳面な一面を見せている。

悪魔ちゃん命名騒動があった時期に、インタビューで「悪魔は子供が生まれたら“悪魔”と名づけるのか」と訊ねられ、「じゃあ、お前は自分の子供に“人間”と名前をつけるのか」と切り返した[要出典]

経歴

西暦1999年までは悪魔教教祖として組織「聖飢魔II」によって悪魔教布教活動を行っていたが、その後「地球征服を完了した」として基本的にソロ活動を展開している。

帰国子女として日本に帰国する以前の幼少時は、日本語よりも英語のほうが上手かったと自称している。2007年12月22日にNHKワールドTVBS1では12月23日)で放送された『WHAT'S ON JAPAN』で大相撲の1年を振り返るインタビューで出演し、英語でコメントしていたが、副音声日本語の吹き替え部分も本人自らコメントしていた(回答部分のみ)。取材でアメリカ在住時に通っていた小学校に悪魔の姿で訪問した際、その姿を訝しく思った校長に「君、college単科大学ないし専門学校)くらいは行っているよね?」と聞かれ、「University(総合大学、自身が通った早稲田大学のこと)を卒業してますよ」と答えた途端、その校長は生徒に向って「彼はこんな格好をしているが、ちゃんと勉強して大学に行っているんだ」と言い始めた事があった。幼少時アメリカに居住していたいわゆる帰国子女である経歴及び桐蔭学園高等学校を卒業したという学歴について『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)での放送にあたり「織田裕二の先輩」とともに暴露された際に認めている。

また、桐蔭学園高等学校 - 早稲田大学を通じた先輩であるやくみつるとは、在学中には面識がなかったものの共通の趣味である相撲を通じて親交を深め、やくみつるのことを「やく先輩」と呼ぶほどの関係となっていることでも知られている。やくとは相撲以外にも漢字力に優れるという共通点があり、過去2回民放のバラエティ番組で対決しているがいずれも敗北している。

デビュー前

小学校在学中に坂上二郎司会のラジオ番組に出演し、坂上のものまねで『学校の先生』を歌った。また早くも当時から広島市内で布教活動を手がけており、地球統一による平和への願いは「どの悪魔よりも強い」と自負している。

怪獣やヒーロー等、特撮フィルムのキャラクターについての造詣も深く、ゴジラの鳴き真似コンテストに出場して優勝した実績を持つ。(後に映画『ゴジラvsビオランテ』にスポット出演者(本人役)として登用された。)早稲田大学在学中に展開していたバンドでは、演目に「ウルトラマンの歌」(円谷プロウルトラマン』主題歌)を取り上げることも多かったという。右半身をウルトラマン・左半身をレッドキングに仮装して独りで格闘シーンを演ずるパフォーマンスなど、その特撮キャラクターのモノマネの巧みさから、同学の先輩で特撮映画出演実績もあるコメディアンラサール石井から真剣に入門勧誘を受けたとされている。同学在学中早慶戦の試合前にマイクパフォーマンスとしてゴジラの鳴き真似を披露し、スタジアム観衆全員からの喝采を浴びたことでも知られる。早稲田大学在学中にはフォークソングクラブに所属していた。「走り幅跳び」や「顔面大陸棚」「生老婆(ナマローバ)」「紫馬肥(ムラサキウマゴヤシ)」「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関するバンド」というバンドを組んでいたこともあり、演目には先に挙げたように『ウルトラマンの歌』を取り上げたことも多かった。同学の先輩であるサンプラザ中野がバンド爆風スランプを結成するのに伴い、中野の後を継いで「スーパースランプ」の2代目ボーカリストに就任している。

かつて、世を忍ぶ仮の名前・仮の姿で『たけしのお笑いサドンデス』(TBS系)に出演した事がある。司会のビートたけしから「将来タレントになれる」と評価され、たけしからは一目を置かれている。

対談番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)にゲストとして招かれた際、自身の早稲田大学卒業式にありのままの悪魔の姿で出席したため、当然ながら大学職員が制止したが「これは悪魔の正装だ!」「みな明日から社会に旅立つ姿で卒業式に来ている。吾輩が明日から社会に旅立つ姿がこれなのだ!」との発言を繰り返し強硬に押し切ったところ、通りがかった知らない教授に「最近は君のような気骨のある学生が少なくなった」と激励を受け、共に記念写真を撮った、というエピソードを披露している[2]

音楽活動

閣下曰く、生まれて初めて歌で稼いだ楽曲は北島三郎の「与作」で現在においてもカラオケの十八番であるらしい。これは世を忍ぶ仮の大学時代に当時の居酒屋で歌ったものが最初であるとのこと。

1982年魔暦紀元前17年)12月から本格的な悪魔教の「布教活動」を兼ねて聖飢魔IIのフロントマンとしてボーカルをつとめ、各地で「黒ミサ」(人間界でのコンサートやライブに相当)を主催してきた。また、所属していたレコード会社のCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)を「市谷悪魔教会」(当時CBSソニーの本社が新宿区市谷にあったため。現在のSME市ヶ谷ビル)と呼び、レコードCDを「教典」と称していた。1980年代末期の歌番組では「白い奇蹟」、「BAD AGAIN 〜美しき反逆〜」などのバラード曲でオーケストラと共演することが多かった。白い奇蹟のシングルジャケットではアラビアンナイト風の衣装を着用した。1988年ザ・ベストテン出演したとき、当時の通例として諸星和己に会話に割り込まれたが、全く動じず笑って返し、即興でパラダイス銀河の冒頭の弾き語りを演じた。

1990年8月24日、31日には当時新曲だった「有害ロック」で『ミュージックステーション』に出演。1回目・スタジオを破壊(出演者の頭を鷲掴みにする、スタジオの装飾を引き剥がすなど。デーモンが奪い取ったカメラで破壊を撮影する出演者、デーモンが破壊したセットの上で踊る者がいた。)2回目・消火器とおぼしきものをまき散らす(番組開始直後のトップバッター)も出演者は同グループのメンバーとともに気勢を上げていた。デーモンも片手におもちゃのM-16を持って司会と出演者の座る席に上り、出演者にバナナを無理矢理食わせる(季節が夏でありスタジオにはセットの装飾として果物が用意されていたが、これを丁寧に剥いた上で口に押し付けた。丁寧に押し付けられたためバナナは形が崩れず、出演者は曲が終わりCMに突入するときもそのまま食べていた。)という一幕もあった。消火器の噴射は主に司会者を標的として行われ、逃げる司会者はカメラで追跡された。後半は逃げる力を失った司会者にとどめの消火器噴射を行った。飛び散る消火剤は周囲も巻き込み、演奏中のルーク参謀がよけようとして軽くのけぞる、エース長官、ゼノン博士が呆然となるシーンもあった。また、歌い終わり、CMに入る際には「もっとぶち壊してやる、もっとぶち壊してやる、ぐわははははは」と破壊的なセリフを口にし、消火器攻撃の標的にした生島ヒロシにパイナップルを押し付けた。当時の新聞テレビ欄には「デーモン閣下大暴れ」と記されている。しかし、この演出についてはデーモンの暴走ではなく局側から依頼があってのことであると後に明かされている。

1999年(魔暦元年)の「地球征服完了」(よって聖飢魔IIとしての活動を停止)以降は単独で活動しているが、2005年(魔暦7年)に期間限定で聖飢魔IIを復活させた。究極の解散「黒ミサラスト」においてはEL-DORADO演奏前に「我々には新しい年はやってこない。だが、諸君たちには必ず、新しい年がやってくる」「ここにいる全員が聖飢魔IIに追いつき、追い越すことを達成したとき、必ずや、真の黄金の都は築かれるであろう。さあ、早く行け、見失わないうちに!」とメンバーと信者にエールを送った。

聖飢魔IIの再解散の翌年2006年(魔暦8年)に公式ファンクラブ「縁魔堂」が開設された。

デビュー当時から、話す時と歌う時の声が全くといってよい程違うと言われており(声の伸びが全く異なる)、声色変化のデビュー・アルバムの歌唱表現等をみる限り、彼本来の俳優志向を垣間見ることができる。

ライブでの負傷

1986年岡山県蒜山高原で行われた「蒜山ロックフェスティバル」での聖飢魔IIの「黒ミサ」中、野外ステージの屋根から機材セットに転落し脚を骨折した。しかし、負傷直後に信者(ファン)に対して「吾輩はたった今元気でなくなってしまった」との一言のみを発し、激痛に耐えながら公演を全うした。

その後、負傷した脚部を「改造手術」(人間界で言う「治療中」)し入院。その病室で、見舞いに来た者を労うために、付き添っていた実母に対して「まぁまぁ梨でも剥いてあげたら?」と依頼したことが、当時宝島社の編集者であった映画評論家、町山智浩により「ママぁ、剥いてー」と実母に甘えてせがんでいたとの都市伝説となった。デーモン自身がのちに著した書籍では、梨は皮ごと食べるので「梨剥いて」などと言うわけがないとも語っている。実母は閣下の「悪魔ぶり」を否定するどころか、普段楽屋を訪れた際に関係者に「デーモンの世を忍ぶ仮の母でございます」と挨拶したことがある。

好角家としての閣下

稀に見る好角家であり、閣下本人の公式サイト上にもプロフィールに明記されている。閣下は「ファン歴300年にもおよぶ相撲ファンである」と自称し、寛政年間=西暦1790年頃(魔暦紀元前210年頃)の、実質的な初の横綱とされている谷風小野川の取組なども当然観て来たと話している。

好角家となった経緯

閣下が好角家となったのは、祖父が旅順工科大学で相撲部に所属していたことも影響している。世を忍ぶ仮の小学生時代に祖父と話がしたくて相撲に関する文献を読みあさった。また小学時広島での布教活動中、砂場での相撲取りがのめり込む切っ掛けとなった。絵画教室で若浪がうっちゃりを見せる勇姿を秀逸に表現して周囲を驚かせ、高校生時代には、受験勉強もそこそこに当時の蔵前国技館近隣の古書店に足繁く通い、相撲に関する諸文献をむさぼるように読み漁り豊富な知識を培っていった(この古書店には後の逆鉾伸重らも頻繁に通っていたとされている)。

また、学園祭においては、相撲同好会の展示室の片隅で自ら相撲文字を書き続け、周囲を驚かせた。単に知識を蓄えるのみではなく、早稲田大学在学中には後述のフォーク同好会のみならず、相撲同好会にも所属して実践的かつ多角的な相撲競技の分析・稽古に取り組んでいた。大学の校舎の屋上で相撲をしたなどの逸話も残っている。体格に恵まれていれば力士になりたかったと語ったこともある(ベースボールマガジン社発行の大相撲情報誌『VAN VAN相撲界』にて連載コーナー「我輩は力士になりたかった」も持ち、タイトルページにはモノクロ写真が掲載されていた)。このため相撲に対する見識は高い。

閣下が特に熱狂的な相撲ファンとなったのは玉の海の活躍がきっかけであると言われており、以来国技館での本場所にとどまらず地方場所へも年に数回は必ず通っている。また、本人はあくまで悪魔の姿で観戦したかったが、日本相撲協会協会理事長直々に「お客さんが相撲に集中できなくなる」という理由で悪魔の姿での入館を謝絶(実態は禁止)されてきたので、通常は人間の姿での観戦に留まっている。閣下贔屓の力士は輪島であり、悪魔ヒーローとして崇めている(「悪魔のヒーロー」とは、人間界における蔑称を指すものではなく、魔界においては最高の尊称である)。

“相撲の”布教活動

かつて布教活動中にも、1987年から1990年(魔暦紀元前12 - 9年)に放送されたニッポン放送の人気深夜番組『デーモン小暮のオールナイトニッポン』では「大相撲を666倍楽しむ方法」(666は悪魔の数跡を指す)という大相撲を応援するコーナーを設け、さらに当時現役力士であった大徹にスポットを当てるコーナーを独立して用意し、最終的にはそのコーナーに大徹本人を生出演ゲストとして迎えるまでに至るという、当時の相撲協会の広報派遣としては異例の、深夜に現役力士がゲスト参加するという画期的コーナーにまで成長させた。

コーナーでは、とある回のゲストの南野陽子に発言させた「大徹さん頑張ってね」の声を録音しリミックスした「ダダダダ大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹 『頑張ってね』」という、番組前期の名フレーズとジングルまで登場した(その後、大徹がゲスト参加した際に自己紹介で挨拶した「大徹です」というフレーズをさらに付加し「ダダダダ大徹大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹 『頑張ってね』『大徹です』」というものも作成されている)。この縁がきっかけで、閣下は大徹引退後の断髪式にまで招聘されて鋏を入れているほか、大徹改め湊川親方は今に至るまで閣下の「黒ミサ」に頻繁に顔出しや差入れを行うなどの信頼関係が築かれている。

同番組には、芸能人・著名人の変な言動を集め競わせて番付を付ける「夜霧の横綱審議会」なるコーナーも設定され、そのネタハガキコーナーにおいて若年層中心の『オールナイトニッポン』リスナー層世代のイメージからはかけ離れた玄人裸足の相撲ネタも多数寄せられ、また若年層以外のリスナー層も厚く増やすなど、閣下が多数のリスナーに及ぼした大相撲啓蒙の功績は多大であったとされている。

番組最終回には、次期パーソナリティーであるロック歌手大槻ケンヂと電話で引継ぎのあいさつを行った際に人気の相撲コーナーの継続を要望したが、大槻が大相撲には無知・無関心であったためこれを辞退し、閣下は悲嘆にくれたことも知られている。

加えて、琴富士が悪魔組(聖飢魔IIのファンクラブ)会員であったこともあり、所属する佐渡ヶ嶽部屋とは永く親交が深く、2005年(魔暦7年)11月場所後には悪魔の姿で正客として佐渡ヶ嶽部屋に招かれ、稽古場上座に親方らと列座して大関琴欧州(当時・現琴欧洲)・関脇(当時・現大関)琴光喜らの稽古を中心に熱心に見覧している。

好角家としてのメディア出演

当初はその派手な言動も災いして、NHKには「出入り禁止」であった。どうしてもNHKに出たかった閣下は、向正面に悪魔姿で観客として陣取り、見事NHKの画面に登場することに成功した。その後閣下の好角家ぶりは広く認知されるに至り、メディア出演要請も現在では民放各社にとどまらずNHKからも一目置かれるまでになった。例えば2005年(魔暦7年)11月9日放送の『クローズアップ現代』ではスタジオ・ゲストとして悪魔の姿で琴欧州の話題を中心に大相撲の現状と展望を述べたほか、2006年(魔暦8年)1月15日の大相撲初場所8日目にはNHKの大相撲テレビ中継のゲスト解説者として午後1時のBS2の中継開始から午後6時の総合中継終了までの長時間にわたる出演に招かれ、2007年11月7日放送のクローズアップ現代でも時津風部屋力士暴行死事件と角界の抱える問題について「膿を出し切るいい機会ではないかと」と持論を展開。2010年6月21日のニュースウオッチ9では、多数の大相撲関係者が野球賭博に関与したこと名古屋場所の開催が危ぶまれていることに関して「(名古屋場所は)絶対に開催すべき。中止すればこつこつと努力している多数の力士がかわいそう。努力している力士で大相撲を守りきるのがファンへの罪滅ぼし」と電話インタビューで答えている音声が放送された。

大相撲中継のゲスト出演者は従来、まれに幕下中継に参加することもあるものの通常はあくまで中入り後の中継に参加するのみであり、しかも相撲に関して精通したゲストが招かれることはほとんどなかったが、中継開始から終了に至るまでの全てに出演しゲストが全編にわたって解説を展開するというのはNHK相撲中継史上初の特別な扱いであった(通常は場所入りする力士や場所界隈の風景の映像から始まる大相撲中継のオープニングも、ゲストである閣下が会場入りする模様からスタートしたほどである)。

閣下は、午後2時30分頃から約30分間のみ休憩したが、これはあくまで出演上の放送席を向正面から正面に移動するための時間である。

閣下は中継終了間際に感想を問われ、「(大相撲中継へのゲスト出演は)『紅白歌合戦』に初めて出たときよりも感激した」(謙虚な発言に実況アナウンサーから「らしくない」と指摘されると「また来るぞ、ウワハハハハ」と本来の語りで締めた)と述べていたが、これは前述の通り、布教活動中には観客の観戦集中を図るためとの名目で、日本相撲協会理事長から直々に悪魔の姿での国技館入館を謝絶されてきた抑制の時代があり、悪魔の姿で入館できるようになったことへの感激の念に他ならない。

ただ、従前からの理事長見解にも確かに理があり、事実、同日中継放送中にもかかわらず閣下を撮影するための観戦者のカメラフラッシュが間断なく焚かれていたほか、相撲観戦そっちのけで「デーモンだ!」「閣下!」等と叫び寄る観客も散見された。

解説の内容そのものについては、角界関係者・メディア・視聴者ともに概ね好評で、重ねての解説出演を望む声が上がったため、2007年(魔暦9年)1月14日の大相撲初場所8日目の放映に再度出演(15:55 - 放送終了まで)し横綱土俵入りの選択に関する知識を披露するなどした。

また世を忍ぶ仮の幼少時代にアメリカに在住した経験を買われ、2008年(魔暦10年)5月24日の大相撲夏場所14日目におけるデジタル総合衛星第2の英語副音声で解説をもつとめた(16:00 - 放送終了まで)。

2006年(魔暦8年)12月30日放送のNHK『大相撲この一年』では、北の富士勝昭舞の海秀平やくみつるらと共に座談会形式で角界の一年を振り返っており、以降毎年末に同じ面子による『大相撲とことん言います』が放送されている。

2008年12月7日の『ボクらの時代』(フジテレビ系)では、内館牧子、やくみつると大相撲談義を行った。

2009年(魔暦11年)1月18日、大相撲1月場所中日のNHK大相撲中継の正面解説を元横綱:輪島大士と共に務めた。当日の実況アナウンサーを務めた岩佐英治のアシストもあって中継では輪島に関する閣下自らの知識や記憶を披瀝し、またこの日の取組に対しても閣下独特の視点から厳しい解説をしていた。

2011年1月10日、大相撲1月場所2日目のNHK大相撲中継に出演。翌年の初場所で期待する「夢番付」を発表したが、このコーナーの中で番付中空白になっていた東前頭筆頭の欄に自ら「琴田宮」と琴光喜啓司の過去の四股名を書き込む一幕を見せた。これについて閣下は「琴光喜に関しては処分に疑問を持っている。反省したうえで十両下位からやり直してもいいのではという私見だった」と説明した。

本業とのジレンマ

なお、好角家であることが広く世に知られるようになってからは、本業のミュージシャンとしての仕事よりも大相撲に関わる仕事の方が増えてしまい、そのことに関し閣下自身は喜んでいるとのことだが、テレビ出演中に「我輩が歌手だということを忘れられてしまいそうだ」という危機感を吐露することもあった。また、大相撲においてスキャンダルが起きると、そのたびにマスコミからコメント求められることについては「我輩は大相撲界のトラブルの対処する専門家ではない」とブログでマスコミをたしなめるコメントも出している。2006年1月15日大相撲初場所NHKの大相撲テレビ中継出演時、実況の吉田賢アナウンサーに2度にわたって「世を忍ぶ仮の生年」を暴露されるなど、その人となりはコアな信者(ファン)にとどまることなく広く知れわたっている。[要出典]

2009年11月11日の自サイト啓示板内にて『「祝賀ビールかけ」「シャンパン・ファイト」は時代に逆行する卑しい行事』と非難、『地球という生命体に失礼な行為』であるとし、これを行う競技は応援しないことを宣言した。

主な音楽作品

アルバム

ビデオ

ショートフィルム

映画

客演

13.UNDER MY MARTIAL LAW feat.デーモン小暮閣下
2.ダーミー城の吸血悪魔(笑)

著作等

出演番組

現在

過去

パーソナリティ在任時、リスナーからの投書の「○○という本に書いてあったので本当の事です」との文章に対して、「書物や教科書に書いてある事が必ずしも事実とは限らない」と諫めた事がある。[要出典]
NHKワールドTVの夏の特集番組のひとつとして放送され、大相撲決まり手82種を紹介するというものである。「WHAT'S ON JAPAN」のスポーツコーナーや大相撲中継の英語実況などを担当している森田博士(ヒロ・モリタ)とともに出演。

キャスト

『バットマン』のプロモーション時では「JOKER 非力河童人間」という曲を提供している。この曲は「BAD AGAIN〜美しき反逆〜」のカップリング曲として収録されている。

脚注

  1. ^ 「元副大魔王[1]閣下」の意と推定される。(序列としては「(大魔王)サタン44世陛下」>「(摂政)ダミアン浜田殿下(後サタン45世)」>「(副大魔王)デーモン閣下」)ただし、「悪魔教教祖」としてであれば「猊下(His Holiness)」が適当である。
  2. ^ 著書『我は求め訴えたり』

関連項目

  • スーパースランプ (インディーズバンド)
  • 大槻ケンヂ
  • 平田オリザ - 小学校・中学校時代のクラスメイト
  • 中山千彰 - デーモン小暮のオールナイトニッポンディレクター。
  • 旗照夫 - デーモン小暮のオールナイトニッポンにゲスト出演。
  • 殿さまキングス - デーモン小暮のオールナイトニッポンにゲスト出演。
  • ルーク篁 - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • 大橋隆志 - 聖飢魔IIの元構成員。ギタリスト。中途で脱退。脱退理由は公式には「人間の女性を愛してしまったため、サタン44世陛下より人間になることを許される代わりに魔界追放となり聖飢魔II脱退」とされる。のちに「サタン44世陛下の特赦執行により悪魔として復活」したとされる。
  • ACE - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • 石川俊介 - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • 雷電湯澤 - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • 小暮裕美子 - 世を忍ぶ仮の姉。
  • やくみつる - 高校・大学の先輩で好角家。但し横浜ベイスターズファンのやくとは異なりデーモンは巨人ファン。
  • デイモン・ヒル - 日本語では「デーモン」と表記されることも多く、「同名」の縁で当時日本資本であった彼の所属チーム「ブラバム」に「聖飢魔II」がスポンサーとして付いていた。
  • タモリ
  • 谷村新司
  • 大川豊(大川興業) - 素人芸人時代から交友がある。
  • 写ルンです:本来の姿のまま、サラリーマン「小暮課長」役でCMに出演した。同CMは視聴者に非常に好評であり当初の小暮課長の出勤風景を描いたもののほか、家族サービス、温泉旅行、海外出張、万歳三唱など多数のバージョンが製作された。
  • 和角仁 - 早稲田ゼミナールで古文を教わる。
  • カイゲン:2007年に同社の風邪薬「改源」のCMに出演、アニメの風神と共演している。市販薬CMのお約束である注意事項のチャイム音の代わりに閣下の「デーモン」の一言で終わる。

外部リンク

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