長坂哲夫
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ながさか てつお
長坂 哲夫 |
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| プロフィール | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1967年1月20日(42歳) |
| 血液型 | O型 |
| 最終学歴 | 早稲田大学法学部 |
| 勤務局 | フジテレビジョン |
| 活動期間 | 1990年 - |
| ジャンル | スポーツ |
| 出演番組・活動 | |
| 現在 | 『BASEBALL SPECIAL〜野球道〜』 |
長坂 哲夫(ながさか てつお、1967年1月20日 - )はフジテレビジョンのアナウンサー。東京都渋谷区出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
東京都立戸山高等学校を経て早稲田大学法学部卒業。
1990年、フジテレビに入社。主にスポーツ中継(野球、サッカー、K-1など)を担当する。
「サッカー日本代表の試合をフジテレビで中継すると負けない」(勝利か引き分け)という不敗神話が生まれ、1997年11月16日のFIFAワールドカップフランス大会出場をかけたプレーオフで悲願の初出場を決めたイラン戦(いわゆるジョホールバルの歓喜)の中継をフジテレビが担当することになり、不敗神話の試合全てを実況していたのが偶然にも彼だった為、この大一番の実況を担当することになった。
また2002年同日韓大会で初勝利を挙げたロシア戦でも実況を務めた。岡野雅行が初のワールドカップ行きを決めるVゴールを決めた時の、「日本、勝った!」という声を裏返しながらの実況は、このシーンが流れたときによく耳にする。
ただ、最近はフジテレビが地上波で日本代表戦をあまり中継することが少ないため、彼が実況をする機会は少なくなっていたが、2008年1月26日のキリンチャレンジカップのチリ戦で約2年半ぶりに日本代表戦の実況を担当した。
1995年からF1グランプリの実況を担当し、2000年と2001年には日本グランプリの実況を務めた。2000年には全17戦中10戦と半分以上のレースの実況を担当するなど活躍していたが、2003年からのF1中継の放送体系に不満があって2002年を最後に実況を離れた(フジテレビ739の「フジアナスタジオ まる生」より)。
2007年からCSのF1中継で実況復帰し、2008年に2003年からF1中継のプロデューサーであり、同番組の「スポーツ中継」としての質を下げる発端となった人物で、上記のように反発のあった渡邉信治がスタッフから離れたこともあってか、地上波のF1中継の実況に復帰することになった。第4戦スペインGPでエンジンブローでリタイアしたニコ・ロズベルグに対して「見下ろせばニコ・ロズベルグ」と語録を残した。
2008年、北京オリンピックでは柔道と野球の実況を担当。柔道に於いては自身の長年の取材経験を生かし、上野雅恵が金メダルを獲得した際の表彰式では『オリンピックという最高の舞台で二連覇達成です。女王が四年の歳月をかけて、再びこの地に立ちます』と、上野のアテネから北京までの四年間の思いを簡潔に、そして静かに表現する実況コメントを発した。
[編集] 現在の出演番組
- BASEBALL SPECIAL〜野球道〜
- SWALLOWS BASEBALL L!VE
- FOOTBALL CX他スポーツ中継(出雲駅伝メイン実況、国際千葉駅伝男子メイン実況、ボクシング、K-1、バレーボール、世界柔道、F1など)
[編集] 過去の出演番組等
- 東京マラソン(2007年2月18日、メイン実況担当)
- メダマ!?ラジオ(2008年1月期・毎週金曜)
- お台場カジノインタラクティブ(BSフジ 放送日は不明だが、本来支配人を務めている升毅が都合により休んだことに伴う支配人代理として1度務めたことがある)
- FNSの日・FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'90(第4回の提供読み)
- ねばぎば!TOKIO
- 北京オリンピック(柔道、野球実況担当)
- 日本代表チームの監督になろう! (1998年、実況担当エニックス制作のセガサターンソフト)
[編集] 関連項目・人物
[編集] 同期アナウンサー
[編集] 外部リンク
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