東京都立戸山高等学校

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東京都立戸山高等学校
東京都立戸山高等学校正門
過去の名称 補充中學校
共立中學校
東京府城北尋常中學校
東京府城北中學校
東京府立第四中學校
東京都立第四中學校
東京都立第四新制高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 東京都
設立年月日 1888年9月16日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科(8学級)
学期 3学期制
高校コード 13207B
所在地 162-0052
外部リンク 公式サイト
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東京都立戸山高等学校(とうきょうとりつとやまこうとうがっこう)は、全日制普通科都立高等学校

目次

[編集] 概観

1888年設立。都立高校で2番目に古い歴史を持ち、府立四中を前身とする。進学指導重点校に指定されており、土曜授業試行校でもある。文理分けをしないいわゆる「教養主義」を採用し、理数系教育に力を入れてきたことから国立大学入試に強い[1]。校風は「自主自立」と表され、私服校である。現在は文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けている。

[編集] 教育方針

  • 自ら重んじ個性をのばす
  • 努力を尊び責任をはたす
  • 心を豊かに体を健やかにする

[編集] 沿革

[編集] 略歴

皇典講究所の附属の私立学校として創設されたのが当校の由来である。当初は東京府尋常中學(日比谷)の補充的位置にあったが、その連絡もなくなり私立の共立中學校[2]となった。ただ、1886年及び1891年の中学校令公布により、1府県1中学と定められたことや、受験生の上京が禁じられたことにより受験生が集まらなくなった私立各校とも軒並み経営が傾き、当時官公立校に対してだけ認められていた在学生に対する徴兵猶予や校地に対する免税、卒業生の判任官任用などの特権を得る便法としての有利な条件も働き、数多ある私学のうち、まず共立中學(戸山)が、次いで共立學校(開成)が東京府の管轄下に入りそれぞれ東京府城北中學、東京府開成中學と名を改めた。1900年、文部省が私立を公立として待遇することを廃したため、翌年開成は私立に戻り、戸山は府立第四中学と名称を改め、現在に至る[1][3][4]

当校が府の管轄に留まったのは、当時の私立は江戸時代以来の寺子屋や塾など雑多であり、或は受験予備校的色彩が強く教科目も偏り正統性を持ち得なかったこと、それに対して官公立諸学校が当時の国家存立の教育手段として革新的位置づけにあった為である。また補充中学以来「府立」の名を慕って入学してくる生徒も多かった[1]1908年、韓国 李完用内閣の学部大臣の依頼により韓国貴族(両班)の子弟12名が入学した[5]

深井鑑一郎校長(在任:1898 - 1938)の40年に及ぶ時代は、一中(日比谷)を追い越すことを念頭に東京一の中学を目指し、猛勉と規律を強制した[4][6]。現在の都立の環境からは想像できないが、始業式当日に式の後に授業があった程で、予習、復習をきっちりやらせ、それを怠った場合や指されて応答できなかった場合は居残りをさせた。校則も厳しく忘れ物も3回(あるいは5回)に及ぶと成績評価がワンランク下げられたりし、中退者も1割に達するなど当時の一部の世情は「死中」と呼ぶほどであった[7][8]。こうして、毎年第一高等学校合格者数で一中に肉迫するようになり、1935年以降は、ほぼ毎年旧制高等学校現役合格率で首位にいた。さらに深井の“スパルタ教育”の影響も色濃く、陸軍幼年学校陸軍士官学校海軍兵学校等の軍学校に多数が入学した[7]

1950-60年代には、日比谷高校・西高校新宿高校等と共に東京大学へ多数の進学者を輩出していた。1967年に導入された学校群制度等の影響下、当校や西高校においては、日比谷高校等多くの都立校の進学実績面における急落に比べると緩やかなものに留まっていた[9]。 平成に入ってからの数年間も東大であれば進学者数20-30人前後、その後も二桁の合格者を維持していたが最近は若干名にとどまっている[10]

[編集] 年表

[編集] 基礎データ

[編集] 所在地

早稲田大学に近く、理工学部は明治通りを挟んで目の前にある。また、学習院女子大学学習院女子高等科と隣接している。
正面と裏手の2箇所に分かれて広大な緑を有する都立戸山公園があり、一帯は緑豊かな文教エリアを形成している。

[編集] アクセス

屋上から目白方面を臨む

[編集] 生徒会活動

三権分立をひとつの特徴としており、評議会(立法)・執行委員会(行政)・監査委員会(司法)で権限を分散するねらいをもっている。

[編集] 部活動

新宿高校との間では、50年の伝統がある新宿戸山対抗戦が毎年行われている。

陸上競技部は2004年に全国大会に3種目出場し、男子1500Mでは東京都新記録を樹立。アメリカンフットボール部は都大会で優勝3回、準優勝4回を誇る強豪。また、ブラスバンド部は毎年戸山祭で「スーパーブラス」として演奏しており、浦清英、笠原直樹、新澤健一郎、菊地武、島裕介をはじめ多くのミュージシャンを輩出している。

[編集] 学校行事

新宿戦勝敗表
戸山祭の様子
  • 運動会は5月に4級対抗で行われる。
  • 1年生は10月に那須寮でHR合宿を行う。HR合宿ではHRごとに定めるテーマによる討論会を中心に行う。
新宿戸山対抗戦
毎年6月に行われる新宿高校との運動部対抗戦で、総合成績を競う。戸山高生にはもっぱら「新宿戦」と呼ばれる(対する新宿高校では「戸山戦」である)。近年は駒沢オリンピック公園で開催されている(但し、水泳部は新宿高校か戸山高校のプールで行われている)。競技の他にも、閉会式で両校のクラブによるダンスや、新宿高校のチアリーディング部の発表が行われるなどのプログラムが組まれている。
戸山祭
毎年9月に行われる文化祭。3年は自主制作映画、2年は演劇、1年は展示発表を行う。

[編集] 特色ある取り組み

理科系の大学教授によるSSH講演会が年に数回実施されている。また、以前はこれとは別に東大教授や医師弁護士、大使、検事総長、財界人など各界で活躍する著名な卒業生等による在校生のための講演会「世間と学問」が2・3ヶ月に1度開催されていた。

[編集] 学校施設

白を基調とした新校舎
吹き抜けの階段広場
廊下
3階建ての部室棟

2003年に5階建ての新校舎が竣工。校舎中央部は2階から吹き抜ける「階段広場」と3階から吹き抜ける「階段庭園」が存在するため、上空から見ると漢字の「日」のような形をしている。理科系の講義室が特に充実しており、各教科ごとに講義室や実験室に加えて、大学の教室のような階段教室もある。また新校舎1階には最先端の設備を備えた330人収容の講堂もある。校門を入ると左手に卒業生の寄贈による「ビオトープ」と100周年記念碑、正面には戸山の象徴「ラジアン池」がある。

校地面積は25,000m²強ある。施設は新校舎、新体育館、武道場、プール、グラウンドのほか、テニスコート4面、多目的コート3面などが整備されている。また、那須には敷地面積6万m²を超える那須寮があり、毎年1年生のHR合宿や各部活動の合宿、「戸山の教育を語る会」(戸山の保護者と教師の集まり)の合宿などに活用されている。那須寮は元々皇室の所有物だったが、深井校長が四中先輩・三矢宮松帝室林野局長官と交渉し安価で買い取ったものである[11]

[編集] スーパー・サイエンス・ハイスクール(SSH)

2006年度でSSHの指定は一旦終了したが、2007年度より再度指定を受けた(2012年度までの5年間)。

1年次にはSSH探究基礎、2年次にはSSH化学・物理・生物を受講できる(文科省の特別措置により、それぞれ情報・保健・総合の時間などの振り替え扱いとなる)。探究基礎では生物、地学などのフィールドワークなどを通して自然科学を幅広く学び、科学の楽しさを実感することを目指す。その成果は戸山祭や学校説明会の際の発表や掲示によって見ることができる。また、例年SSH全国大会に参加し、他校の様々な研究に触れることによって、さらなる研究発表の向上に努めている。

2年次では授業内容が専門化し、化学では化学IIの内容、生物では生物Iの内容の詳しい箇所、物理では相対性理論について学習・研究する。研究成果をSSH全国大会等で発表する機会もある。その他にもSSH数学、英語、論述基礎という講座が自由選択科目として設置されている。夏休みにハワイのキラウエアすばる望遠鏡等などを訪問する「海外サイエンスセミナーセミナー」という講座もある。

1年次にはSSH探究基礎を希望する生徒が多く例年抽選となっているものの、2年次にはその忙しさを敬遠され希望者は全員受講可能な状況である。

1・2年生のSSH受講者は特定のクラスに集められている。これは現在のSSH指定校では戸山高校だけに見られるシステムである。1年生はSSH受講者が100%のクラスが1クラス、2年生はSSH化学受講者が半分を占めるクラスとSSH生物・物理受講者が半分を占める2クラスがある。

学校の近くにあることもあり、早稲田大学との連携実習が行われている。

SSH講演会では東京大学大学院の教授をはじめ、様々な理系の教授を招いており、年に数回保護者の参加も可能な講演会を開いている。

2006年8月9-10日に開催されたSSH全国大会ではポスターセッション賞を受賞、また2008年の日本地球惑星科学連合大会では最優秀賞を受賞している。

[編集] 高校関係者と組織

[編集] 関連団体

[編集] 高校関係者一覧

[編集] 参考・関連書籍

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ a b c 『東京府立中学』(岡田孝一、同成社、2004年5月) P49、P84、P156、P158 などを参照。
  2. ^ 読み方は「きょうりゅう」となる。
  3. ^ 『東京都立戸山高等学校創立八十周年小史』を参照。
  4. ^ a b 『東京府公立中学校教育史』(桑原三二著・版 1981年) P28・P29を参照。
  5. ^ 『東京府立中学』(岡田孝一) P46
  6. ^ 新生通信編『日本の名門高校ベスト100 公立高校編』(新生通信・朝日新聞社)戸山高校編 を参照。
  7. ^ a b 『東京府立中学』(岡田孝一) P156 ~ P158を参照。
  8. ^ 戸川秋骨は、当時社会問題化しはじめた都会における中学受験熱を背景として、一中と四中の素行にまで及ぶ厳格な教育を批判し、特にある生徒の自殺に対する何気ない深井の言葉を槍玉に挙げたりしている。 『断じて府立へは入れない 上』 東京朝日新聞1927年3月30日付朝刊5面、『断じて府立へは入れない 下』 同1927年3月31日付朝刊5面 より。
  9. ^ 1980年代前後まで東大に40-50名前後が進学した。同時に、本校と同群の青山高校、および西高校と同群の富士高校それぞれの東大合格者数も常時30名以上合格させる相乗効果も伴った。
  10. ^ 『都立高校のすべてがわかる本』 (山崎謙 山下出版、2000年8月) P92〜、『名門復活 日比谷高校』 (長澤直臣・鈴木隆祐、学研新書、2009年3月) P22〜を参照。
  11. ^ 『東京府立中学』(岡田孝一) P182

[編集] 外部リンク

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