日馬富士公平

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日馬富士 公平
四股名 安馬→日馬富士
本名 Davaanyam Byambadorj (ダワーニャム・ビャンバドルジ)
生年月日 1984年4月14日(25歳)
出身 モンゴルウランバートル
身長 185cm
体重 129kg
BMI 37.7
所属部屋 安治川部屋伊勢ヶ濱部屋
成績
現在の番付 西大関
最高位 西大関
生涯戦歴 360勝245敗1休(51場所)
幕内戦歴 245勝174敗1休(28場所)
優勝 幕内優勝1回
十両優勝1回
三段目優勝1回
序ノ口優勝1回
殊勲賞4回、敢闘賞1回、技能賞5回
データ
初土俵 2001年1月場所
入幕 2004年11月場所
備考
金星1個(朝青龍
2009年5月24日現在
  

日馬富士 公平(はるまふじ こうへい、1984年4月14日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身(呼び出しでは父の出身地であるモンゴル・ゴビアルタイ出身となっている)で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)所属の現役大相撲力士である。本名:Даваанямын Бямбадорж(Davaanyam Byambadorj:ダワーニャム ビャンバドルジ)。2008年11月場所までの四股名安馬(あま)。身長185cm、体重129kg、血液型はO型。最高位は西大関2009年5月場所)。得意手は突っ張り、右四つ、寄り、押し出し。インタビューの際の口癖は、「お客さんを喜ばせる激しい相撲をとりたい」。愛称はアマ。好きな言葉は「なんでやねん」。父はブフ(モンゴル相撲)の国家ザーン(大相撲での関脇に相当)。

目次

[編集] 来歴・取り口など

幕内最軽量の力士。尊敬している力士は同じく軽量だった初代貴ノ花。稽古熱心な力士として知られており、ビデオで初代貴ノ花の相撲を研究している。

体の重心が低い所にあり立合いが鋭いため読まれて逆にやられる危険性がある変化をする必要が少なく、正統派で真っ向勝負の相撲を心がけていると見られることが多い(自身のブログにも「真っ向勝負」の言葉が用いられている)。2005年11月場所9日目の琴欧州戦では、負けたものの「変化はしたくなかった。これからも対戦する相手だから」と語っていた。それだけに相手が立ち合いの変化を警戒しないことも多く、変化をした場合非常に決まりやすいため、[1]実際には2005年9月場所の露鵬琴奨菊2006年9月場所、2008年1月場所の稀勢の里戦など立合いの変化も用いていた。また2008年9月場所は12勝を挙げたが、勝ちにいく相撲を取っていたために変化が目立っており、客席からも冷ややかな声があったと夕刊フジの取材に答えている[2]。だが、その次の大関取りとなった11月場所では、変化を用いることなく13勝している[3]

しかしながら2009年5月場所では11日目の稀勢の里戦で立ち合い変化しとったりで勝利。全勝と1敗の対戦で熱戦が期待されていただけに館内は落胆の声に包まれた。

非常に強気な面が目立つ力士であり、物怖じしない言動が随所に見られる。2007年9月場所では、新入幕にして優勝争いを展開する新鋭の豪栄道の挑戦を送り吊り落としの大技で退け「三役をなめられては困る」と三役常連のプライドを示した。同年11月場所にも「全部勝ちたい。負ける相手はいないと思っている」と強気一辺倒の姿勢で臨み、見事2場所連続の二桁勝利を挙げて大関取りの足固めをした。2008年1月場所前の横審の稽古総見でも復帰した朝青龍白鵬の両横綱の申し合いにただ1人割って入り、朝青龍にぶつかっていく向こう意気の強さを見せるなどした。このような前向きな姿勢と場所ごとに力強さを増す取り口などから、強力な大関候補として期待されていた。

2008年5月場所8日目の若ノ鵬戦の決まり手はうっちゃりであったが、「決まり手は櫓投げにして欲しかったねえ」と北の富士に言わしめるダイナミックな一番であった。さらに10日目には横綱・白鵬も豪快な上手投げで破った。

同学年の白鵬にライバル意識を持っており、白鵬の横綱昇進後は6勝6敗(優勝決定戦を含めると7勝7敗)と五分の成績になっている(2009年5月場所終了時点)。

琴奨菊と相性が悪く、7勝15敗と大きく負け越している。本人は「苦手意識はない。稽古場では勝てる。相手の廻しが固すぎるからだ」と発言している。

[編集] 大関取り

大関取りのチャンスが最初に訪れたのは2008年1月場所であった。前2場所をともに10勝5敗で終えた安馬は、10日目に横綱白鵬を上手投げで破ったもののこの時点で6勝4敗であった。翌日、時天空に破れ5敗目を喫してから12日目の稀勢の里戦、13日目の雅山戦と2日続けて立合いの変化で勝ち2桁に望みをつないだものの14日目の朝赤龍戦では逆に立合い変化からの足取りで敗れ6敗目を喫した。白鵬を破ったことが評価され3場所連続で殊勲賞を受賞したが、大関取りは、振り出しに戻ってしまった。

次に大関取りのチャンスが訪れたのは2008年11月場所であった。前2場所を10勝5敗、12勝3敗で終えて訪れたこの場所の最大の焦点は安馬の大関昇進であった。ところが安馬は序盤では精彩を欠き3日目に稀勢の里に、4日目に豪栄道に敗れ2勝2敗となり大関取りが危ぶまれた。

しかし5日目からは立ち直り、途中休場した魁皇を除く大関を総なめし12日目には横綱・白鵬を破るなど、11連勝。千秋楽まで白鵬と並走し優勝争いを繰り広げた。白鵬との優勝決定戦では1分25秒の攻防の末に、頭を押さえつけながらの強引な上手投げの前に敗れて優勝同点に終わった。両者ともに力を出し切った熱戦に、相撲解説者の北の富士も「安馬も強くなったなあ」と唸った。

11月26日、11月場所の相撲内容が高く評価され相撲協会の臨時理事会で満場一致で大関昇進が決定。昇進伝達式が行われ、その場で四股名を安馬から「日馬富士」と改めることが発表された。伝達式の際は「謹んでお受け致します。今後も『全身全霊』で相撲道に精進します。本日はありがとうございました」と口上を述べた。

[編集] 大関時代

2009年1月場所は新大関としての初場所であったが、初日から4連敗し新大関のワースト記録を作った。

2009年5月24日、5月場所優勝決定戦で横綱白鵬を破り、自身初の幕内優勝を成し遂げた。伊勢ヶ濱部屋としては1969年7月場所の大関清國以来40年ぶりの幕内最高優勝力士の輩出となった。来場所では綱取りの期待も現実味を帯びて来た。

[編集] エピソード

  • 趣味のひとつでもある絵画はセミプロの腕前。13歳頃から始め、美術の専門学校であるイレドゥチョボル高校在学中に個展を開いた。2005年9月場所9日目、NHK大相撲中継の中入りの時間帯で憧れの富士山油絵で描く様子が紹介された。取材日前日までの台風の影響で少し雲がかかっていた富士山を見て「負けたり寂しいときに見る感じ」を表現したと言い、スタッフと相談して「孤高」というタイトルをつけた。次は「沖縄のきれいな海を描きたい」とのこと。
    • 解説の舞の海が、「『アマ』ではなく『プロ』ですな!」と感心した出来であった(同じ表現を舞の海は前述の豪栄道戦の相撲に対し、「(当時の)四股名は『アマ』ですが、これこそ『プロ』です!」と言い換えて用いていた)。
  • 2006年末に父親のダワーニャムと親族が交通事故により急死、次兄のラグバドルジも重傷を負った。この事故のため一旦帰国したが2007年1月場所出場のため同年1月6日に日本に戻り、悲しみを押し殺して場所を勤めた。その場所では10勝5敗と好成績で、翌場所三役に昇進した。同年3月場所からは、取組前の場内アナウンスの際読み上げられる出身地を父親の出身地であるゴビアルタイに変更した。
  • 尊敬する初代貴ノ花と同様、喫煙者である。2008年9月場所3日目の取り組み終了後に、2007年5月場所から禁煙となっている支度部屋で喫煙をしたと報道された[4]。翌日の朝稽古で師匠である伊勢ヶ濱親方に厳重注意された[5]
  • 初代若乃花の花田勝治氏が相撲雑誌内で「注目している」と名を挙げる。また「現役時代の自分に似ている」とも話している。
  • モンゴルでは同じ柔道クラブに所属、2004年3月場所でともに十両に昇進した時天空との対決は2005年から2006年前半にかけて毎回観客の期待するところとなっていた。また、モンゴルの先輩である朝青龍とは違う部屋でありながら場所中に何度も夜の街へ繰り出す程の仲である。2007年の朝青龍の出場停止処分のときはモンゴルに出迎えに行った。
  • 2009年5月場所で優勝した際、麻生太郎内閣総理大臣が自ら表彰式に参加したが、麻生が内閣総理大臣杯の授与を忘れかけた。また優勝インタビューでも土俵から降りるのを忘れかけ、インタビュアーの刈屋富士雄アナウンサーに促された。
  • 初優勝祝いに朝青龍から美顔器とプラチナローラーをプレゼントされた[6]

[編集] 略歴

  • 2001年1月場所 - 初土俵
  • 2001年3月場所 - 序ノ口優勝(西29枚目・7勝0敗)
  • 2002年3月場所 - 三段目優勝(西14枚目・7勝0敗)
  • 2004年3月場所 - 新十両
  • 2004年9月場所 - 十両優勝(東4枚目・11勝4敗)
  • 2004年11月場所 - 新入幕
  • 2005年1月場所 - 13日目(21日)に勝ち越しを決めていたものの、翌14日目(22日)に、前半戦の取組で痛めた尾てい骨部分の「臀部膿瘍」(でんぶのうよう)と診断され、入門以来初めて休場届を出す(勝ち越しを決めた13日目の対戦相手は同じモンゴル出身の朝赤龍)。
  • 2005年3月場所 - 西前頭11枚目で復帰。成績は9勝6敗と2桁勝利には及ばなかったものの、その相撲内容を高く評価され技能賞初受賞。
  • 2005年7月場所 - 幕内で初の負け越し(6勝9敗)。
  • 2005年9月場所 - 3日目(13日)の朝青龍横綱土俵入りで、初めて露払いを務める(この日、露払いの北勝力太刀持ち高見盛の対戦が組まれたため)。この場所は7勝8敗と負け越し。
  • 2006年1月場所 - 13日目(20日)の朝青龍戦で初めての金星。この金星は、朝青龍にとって幕内戦績100敗目だった。
  • 2006年5月場所 - 新小結。4勝11敗と負け越した。
  • 2006年10月 - 全日本力士選士権-優勝。平幕力士の優勝は25年振り、3回目。
  • 2007年1月場所 - 14日目に朝青龍を星1つの差で追っていた豊ノ島小褄取りの決まり手で破り「援護射撃」を果たし、朝青龍の20回目の優勝に貢献してしまった。取組後支度部屋に戻り朝青龍に最敬礼。部屋・一門を超えたモンゴル人同士の繋がりの深さを見せた。自身も千秋楽に稀勢の里を破って10勝目を挙げ、翌場所に小結復帰を果たす。
  • 2007年3月場所 -返り小結の場所で8勝7敗と勝ち越し。新関脇の琴奨菊が7勝8敗で負け越し関脇のポストが空いたため、翌場所は新関脇となった。以降、三役に定着する。
  • 2007年5月場所 - 新関脇で千秋楽に同じモンゴル出身の朝赤龍を破り勝ち越し。
  • 2007年9月場所 - 横綱白鵬を首投げで破った。12日目には新入幕で優勝争いの単独トップに立った豪栄道を送り吊り落としで破り、自らも13日目終了時点で白鵬と1差につけるがその後連敗し10勝5敗。この場所は、横綱を破った相撲等が評価され殊勲賞を受賞した。
  • 2007年11月場所 - 8日目横綱白鵬を下手投げで破り、2度目の殊勲賞受賞。関脇復帰は確実となり、来場所以降の大関取りに期待がかかる。14日目に白鵬を星1つの差で追っていた把瑠都を破り、白鵬の優勝に援護射撃する羽目になってしまった。
  • 2008年1月場所 - 10日目に横綱白鵬を上手投げで破る。5敗目を喫してから12日目の稀勢の里戦、13日目の雅山戦と2日続けて立合いの変化で勝ち2桁に望みをつないだものの14日目の朝赤龍戦では逆に立合い変化からの足取りで敗れ6敗目を喫し、大関取りは振り出しに戻った。白鵬が優勝したため3場所連続で殊勲賞を受賞した。
  • 2008年3月場所 - 11日目を終えて4勝7敗の成績であったが12日目以降4連勝し勝ち越し、関脇の地位を維持した。
  • 2008年5月場所 - 9勝6敗と2桁勝利とはならなかったが相撲内容は悪くなく、1横綱2大関を下して3回目の技能賞受賞。
  • 2008年7月場所 - 中日まで7勝1敗と優勝争いに絡むが9日目の若ノ鵬戦で立合いの変化についていったものの敗れ、その際に左膝を痛めた影響で10勝5敗に終わったが2場所連続の技能賞(4回目)受賞。
  • 2008年9月場所 - 13日目まで2敗で優勝候補に名前が上がっていたが、14日目に豪栄道に敗れ3敗。その日の取り組みで白鵬が勝ち、優勝を決められた。しかし1横綱4大関を倒しており4度目の殊勲賞を受賞。
  • 2008年11月場所 - 4日目まで2勝2敗で大関取りが危ぶまれるが5日目からは持ち直し11連勝。白鵬と千秋楽まで優勝争いを繰り広げた(12日目には白鵬を破っている)。5度目の技能賞を受賞し、場所後に大関に昇進。同時に四股名を「日馬富士」に改める。
  • 2009年1月場所 - 新大関。初日から4連敗をして昭和以降の新大関となった場所での初日からの連敗ワースト記録を塗り替える(それまでは千代大海らの3連敗)。その後は3勝6敗から10日目に横綱白鵬を破るなど5連勝し、14日目でようやく勝ち越しを決める。千秋楽に把瑠都に敗れ、最終結果は8勝7敗で終えた。
  • 2009年3月場所 - 初日、苦手の琴奨菊に敗れ、大関昇進後、2場所連続の黒星スタートとなった。2日目からは土俵際の逆転の連続で4連勝し徐々に調子を上げていったが、中日の時点で5勝3敗と優勝争いから取り残されてしまう。しかし、10日目に横綱・朝青龍を破り、13日目に勝ち越しを決めて10勝5敗。大関になってからは初めての2桁勝利となった。
  • 2009年5月場所 - 12日目まで全勝を続け、自己最多の初日からの12連勝となったが、全勝対決となった13日目の白鵬戦に敗れ初黒星を喫した。しかしその後2連勝し14勝1敗の成績で14日目に琴欧洲に敗れた白鵬との優勝決定戦となり、白鵬を下手投げで下して初優勝した。

[編集] 場所別成績

日馬富士公平
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2001年
(平成13年)
(番付外) 西 序ノ口 #29
7–0
 
東 序二段 #22
5–2
 
西 三段目 #88
5–2
 
東 三段目 #53
4–3
 
東 三段目 #42
4–3
 
2002年
(平成14年)
西 三段目 #28
4–3
 
西 三段目 #14
7–0
 
西 幕下 #15
2–5
 
西 幕下 #27
2–5
 
東 幕下 #46
5–2
 
西 幕下 #26
2–5
 
2003年
(平成15年)
東 幕下 #46
4–3
 
東 幕下 #38
5–2
 
東 幕下 #23
5–2
 
東 幕下 #11
5–2
 
東 幕下 #7
6–1
 
東 幕下 #1
3–4
 
2004年
(平成16年)
西 幕下 #2
4–3
 
東 十両 #12
10–5
 
東 十両 #7
6–9
 
東 十両 #9
9–6
 
東 十両 #4
11–4
 
西 前頭 #14
8–7
 
2005年
(平成17年)
東 前頭 #13
8–6–1
 
西 前頭 #11
9–6
東 前頭 # 9
8–7
 
東 前頭 # 8
6–9
 
東 前頭 #11
9–6
 
西 前頭 # 5
7–8
 
2006年
(平成18年)
東 前頭 #6
9–6
東 前頭 #2
8–7
西 小結
4–11
 
東 前頭 #4
6–9
 
東 前頭 #6
11–4
東 前頭 #1
6–9
 
2007年
(平成19年)
東 前頭 #4
10–5
 
東 小結
8–7
 
西 関脇
8–7
 
西 関脇
7–8
 
西 小結
10–5
東 小結
10–5
2008年
(平成20年)
西 関脇
9–6
東 関脇
8–7
 
東 関脇
9–6
東 関脇
10–5
東 関脇
12–3
東 関脇
13–2[7]
2009年
(平成21年)
東 大関 #3
8–7
 
西 大関 #2
10–5
 
西 大関
14–1[7]
 
東 大関
5–2
 
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下

三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口

幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

[編集] 主な力士との幕内対戦成績

2009年5月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
春日王 3 1 隆乃若 3 2 海鵬 0 2
普天王 9 1 玉春日 4 1 時津海 2 3
時天空 8 7 豊ノ島 14 3 闘牙 1 0
豊桜 3 0 隆の鶴 1 0 武雄山 1 2(1)
北勝力 8 3 琴欧洲 10 10 稀勢の里 10 10
十文字 4 1 霜鳳 2 1 出島 4 2
琴龍 1 0 朝赤龍 12 5 琴ノ若 3 1
石出 0 1 玉乃島 4 4 高見盛 3 4
皇司 1 0 露鵬 4 2 旭鷲山 1 2
豪風 11 0 琴奨菊 7 14 琴光喜 13 9
垣添 6 2 岩木山 2 3 黒海 2 4
旭天鵬 8 4 栃栄 1 0 土佐ノ海 1 1
白露山 2 0 玉飛鳥 0 1 若兎馬 1 0
雅山 8 6 朝青龍 4 14 魁皇 10 8
春日錦 0 1 栃東 1 5 白鵬 6 11
千代大海 11 7 若の里 5 1 把瑠都 6 3
豊真将 5 2 栃乃洋 3 4 鶴竜 5 2
豪栄道 5 3 若ノ鵬 1 2 豊響 1 0
栃ノ心 1 0 嘉風 0 1 栃煌山 1 1

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2009年5月現在、現役力士

[編集] 主な成績

2009年5月場所終了現在

  • 通算成績:360勝245敗1休(50場所)
  • 幕内成績:245勝174敗1休
  • 幕内在位:28場所
  • 三役在位:15場所(大関3場所、関脇8場所、小結4場所)

[編集] 各段優勝

  • 幕内最高優勝:1回(2009年5月場所、14勝1敗
  • 十両優勝:1回(2004年9月場所)
  • 三段目優勝:1回(2002年3月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(2001年3月場所)

[編集] 三賞・金星

  • 殊勲賞:4回(2007年9月場所、2007年11月場所、2008年1月場所、2008年9月場所)
  • 敢闘賞:1回(2006年9月場所)
  • 技能賞:5回(2005年3月場所、2006年3月場所、2008年5月場所、2008年7月場所、2008年11月場所)
  • 金星:1個(朝青龍)

[編集] 改名歴

  • 安馬 公平(あま こうへい)初土俵-2008年11月場所
  • 日馬富士 公平(はるまふじ -)2009年1月場所-

[編集] テレビ出演

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
琴光喜啓司
大関
(在位:2009年1月-)
次代:
-