渡哲也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。126.3.25.37 (会話) による 2021年11月26日 (金) 16:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (2001:268:9435:7AB1:8180:AF8B:82D7:A665 (会話) による ID:86664403 の版を取り消し 細かすぎます。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

わたり てつや
渡 哲也
渡 哲也
国際情報社『映画情報』第30巻第5号(1965年)より
本名 渡瀬 道彦(わたせ みちひこ)
生年月日 (1941-12-28) 1941年12月28日
没年月日 (2020-08-10) 2020年8月10日(78歳没)
出生地 日本の旗 日本島根県能義郡安来町(現・安来市
出身地 日本の旗 日本兵庫県津名郡淡路町淡路島[1]
死没地 日本の旗 日本東京都
身長 180 cm[1]
血液型 B型[1]
職業 俳優歌手実業家
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1964年 - 2020年
活動内容 1964年日活入社
1965年:『あばれ騎士道
1966年:『愛と死の記録
1968年:『無頼
1971年石原プロ入社
1974年:『勝海舟
1975年:『仁義の墓場
1976年:『大都会
1979年:『西部警察
1987年石原プロ社長就任
1996年:『秀吉
1997年:『誘拐
2004年:『レディ・ジョーカー
2005年紫綬褒章
2009年:『坂の上の雲
2011年石原プロ社長辞任
2013年旭日小綬章
2017年石原プロ取締役に復帰
配偶者 あり
著名な家族 渡瀬恒彦(弟)
事務所 石原プロモーション
主な作品
映画
あばれ騎士道』/『東京流れ者
無頼シリーズ』/『仁義の墓場
やくざの墓場 くちなしの花
わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語
誘拐』/『レディ・ジョーカー
テレビドラマ
勝海舟』/『大都会』シリーズ
西部警察』シリーズ /『浮浪雲
秀吉』/『新選組血風録
』/『義経』/『熟年離婚
マグロ』/『相棒』/『坂の上の雲
 
受賞
日本アカデミー賞
優秀主演男優賞
1997年誘拐
優秀助演男優賞
1996年わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語
ブルーリボン賞
主演男優賞
1976年やくざの墓場 くちなしの花
助演男優賞
1996年わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語
新人賞
1966年愛と死の記録
その他の賞
エランドール賞
新人賞
1965年あばれ騎士道
毎日映画コンクール
男優演技賞
1976年やくざの墓場 くちなしの花
キネマ旬報
男優助演賞
1996年わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語
日刊スポーツ映画大賞
男優主演賞
1997年誘拐
助演男優賞
1996年わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語
報知映画賞
助演男優賞
1996年わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語
紫綬褒章
2005年
旭日小綬章
2013年
備考
石原プロモーション代表取締役社長(2代目)
テンプレートを表示

渡 哲也(わたり てつや、本名:渡瀬 道彦[1](わたせ みちひこ)、1941年昭和16年〉12月28日 - 2020年令和2年〉8月10日[2][3])は、日本俳優歌手

兵庫県淡路島 出身[1]株式会社石原プロモーション相談取締役。俳優の渡瀬恒彦は実弟。

来歴

島根県能義郡安来町(現・安来市)生まれ[4][5]。父親は日立に勤務[6]広島県呉市の軍需工場などを転々として、日立の安来工場に勤務していた時、当地出身の渡の母と結婚していた[4][5]。戦時中の1943年[6]、父親は任地の日立呉工場を退職し[6]、実家がある兵庫県津名郡淡路町(現:淡路市)に戻り洋品店を開業、小学校一年生途中から淡路島で育った[4]。出身を淡路島にしているのは、日活に入ったとき石原が神戸市生まれなので、淡路島の方がイメージ的にいい、という判断で決めたからだという[4][5]。終戦後の物資不足で長男と四男は亡くなった[6]。淡路町立石屋小学校、三田学園中学校・高等学校(6年間の寮生活)[7]青山学院大学経済学部卒業。大学在学中は空手道部(流派は日本空手協会松濤館流)に在籍し、青山学院大学・空手道部OB会長・渡瀬道彦の札もかかっていた。空手弐段柔道初段

大学へ通うため上京。弟の渡瀬恒彦と共に新宿区柏木(現・北新宿)で下宿していたが、在学中に日活浅丘ルリ子主演100本記念映画の相手役となる新人「ミスターX」を募集していた。弟の渡瀬や所属していた空手部の仲間が内緒で応募したため、本人は激怒するが、就職を希望した日本航空の整備士社員の採用試験 (国語・数学・物理・化学) が全科目英語で不合格となり、「撮影所に行けば、石原裕次郎に会えるかも知れない」と友人から言われ、日活撮影所を訪問した。その時にスカウトを受けて1964年(昭和39年)に日活へ入社した[8]

既に斜陽期に差し掛かってた日活では高橋英樹に続くスター候補として、デビュー前の記者会見では破格の扱いを受け “映画界待望久し!日活に驚異の新星!渡哲也!!” の横断幕(実は模造紙)で大々的に売り出された。記者会見の場で瓦割りを披露し、翌日のスポーツ紙やニュース映像でも大きく取り上げられた。

1965年(昭和40年)3月『あばれ騎士道』で宍戸錠とのW主演でデビューし、この作品で、エランドール賞新人賞を受賞し、2作目の『青春の裁き』で単独主演しオープニングクレジット映像では空手の型・約束組手を披露し、本編での複数相手の乱闘シーンでは飛び蹴りや二段蹴りを連発し正拳突きで止めを刺すなど空手部キャプテンの実績を生かした作品になっている。ただし殺陣師から「そんなに腰を落としちゃスクリーンでの見栄えが悪い」として腰高に直され不本意な空手になってしまった、と述懐していた。同期で活躍しているのは太田雅子(後の梶芽衣子)。

1965年(昭和40年)12月『赤い谷間の決斗』で石原裕次郎と初共演[9]

1966年には監督鈴木清順 脚本川内康範東京流れ者』に主演し、主題歌「東京流れ者」も歌っている。

吉永小百合との初共演映画の『愛と死の記録』で第17回ブルーリボン賞新人賞を獲得。

また「裕次郎2世」と言われたことから、リバイバル版の『嵐を呼ぶ男』に主演。

1968年(昭和43年)舛田利雄監督による『無頼より・大幹部』から始まる『無頼』シリーズ6作品は渡の日活時代の代表作となった。

渡は『東京流れ者』や『無頼シリーズ』などで、一躍日活ニューアクション時代のスターとなったが、1971年、日活のロマンポルノ路線への転換にともない、1971年(昭和46年)7月封切の『関東破門状』を最後に日活を退社した[10]

その後、東映など映画会社数社から渡の引き合いがあるものの、石原への尊敬の念などから、渡は1971年(昭和46年)、借金で倒産寸前の石原プロモーションへ入社[11][10][12][13]

1971年(昭和46年)9月封切の『さらば掟』を手始めに『ゴキブリ刑事』、『野良犬』などの松竹東宝の作品に主演、準主演で出演した。また連続テレビドラマにも出演する中、1972年(昭和47年)、テレビ時代劇『忍法かげろう斬り』収録中に肋膜炎を発症し入院。第20話で降板となり、第21話から最終話(第26話)まで渡瀬恒彦が代役を務めた。その後、1974年(昭和49年)大河ドラマ勝海舟』の主演に抜擢されるが、収録中に高熱が続き入院。第9話で途中降板となる[9]。風邪をこじらせた後、急性肝機能不全症を併発し、入院は9か月に及んだ(その後、膠原病であったことが判明)[14][15]。なお代役には松方弘樹が抜擢された[9][14][16]。一方で前年1973年8月にリリースした「くちなしの花」が年明けからヒットチャートを上昇し、1974年の年間シングルチャートで7位を記録[17][18]オリコンセールス:77.4万枚[19]、累計150万枚を売り上げ[20]全日本有線放送大賞金賞も獲得し渡の代表曲となった。渡の体調も秋には回復し、年末の第25回NHK紅白歌合戦に初出場し、テレビで初めて生歌唱した[18]

1974年(昭和49年)、再び映画各社の間で激しい争奪戦が起こり[12][17][21]、特に弟・恒彦をスカウトした[22]岡田茂東映社長(当時)が[17]高倉健の次の東映の看板スターにしたい」と熱心に誘い[9][10][17][21][23]、渡自身も「アクション映画をやりたい、自分のキャラクターを活かしてくれるのは東映を置いて他にない」と強く東映入りを希望したとされたため[17][21]、1975年(昭和50年)に渡は東映入りと報道もされた[21]。当時の東映は実録ヤクザ路線の台頭から、俊藤浩滋が高倉らを伴い独立しようとしたお家騒動があり[17][21][24][25][26]、岡田は渡を高倉の後釜に据えようと画策していた[9][10]。もともと1973年の『仁義なき戦い』で菅原文太をスターダムに押し上げた広能昌三役も最初にキャスティングされたのは渡であったが[13][27][28]、この時期、渡は体調が優れず実現に至らなかった[4][24][27]。1974年暮れ、『脱獄広島殺人囚』「新仁義なき戦いシリーズ」とも渡は出演要請を受けたが[21][29][30][31]、体調がまだ万全ではなく断った[17][21]。岡田からの東映移籍の誘いは「私は石原裕次郎に恩義があります。石原裕次郎を裏切ることはできません」とキッパリ断った[9][10][12][23][32]。但し、東映の映画出演については了承したため[10][21]、1975年2月、東映実録ヤクザ路線極北といわれる『仁義の墓場[33]でようやく東映初出演、初主演した[9]。東映映画の出演は、岡田社長が『勝海舟』の代役をスムーズに進めてくれた返礼の意味もあった[34]。同作公開後、岡田社長は「今年はわが陣営に引き込んだ渡哲也君の"渡路線"を確立することだ」とぶち上げ[32][34]、この年4月の『大脱獄』で高倉健と[35][36]、5月の『県警対組織暴力』で菅原文太と競演させ[37]、6月の『スーパー・アクション/強奪』(『資金源強奪』として映画化)と8月の『日本暴力列島・北九州電撃戦』(映画化されず)で主演させ、"東映スター渡"をイメージ付けようとしたが[34]、『仁義の墓場』撮影後、再び病に倒れた[35][38][39]。先の『大脱獄』は、最初は高倉健、渡哲也、五木ひろしの三大共演を予定していたが[24][40]、五木がギャラ問題で降り、代わりに抜擢されたのが菅原文太で[24][40][41]、高倉、渡、菅原という三大共演の可能性もあり、実際に3人の名前の書かれたポスターも製作された[42]。しかし渡が前年に続き長期入院したため三大共演はおろか、渡と高倉、渡と菅原[注釈 1]の共演も永遠に実現することはなかった[32][36][40]。この1975年は、東宝系の芸苑社製作で今井正監督の水上勉原作『その橋まで』の映画化の主演も受けていたがこれも流れた[32][43]。入院は延べ2年半に及んだ[4]が、病み上がりで撮影中に体調が急激に悪化した『仁義の墓場』は[44]点滴を打ちながら演じる渡の負のエネルギーが、石川力夫の怨念が乗り移ったかのような迫力を持ち、評価が高い[28][38]キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編(1999年版)では、日本映画歴代38位に選出されている。1976年(昭和51年)『やくざの墓場 くちなしの花』の主演で第19回ブルーリボン賞主演男優賞を獲得。渡はこの後、石原プロのテレビドラマに専念するため、映画出演から一時的に撤退した。しかし、岡田茂との付き合いはその後も続き[45]、1996年に岡田から「もう映画を演ってもいいんじゃないか」と促され[46]、『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』の宮沢賢治の父・政次郎役で20年ぶりに映画界に本格復帰した[46][47]。本作でこの年の各映画賞助演男優賞を独占している。

石原プロは会社再建と経営安定のため、テレビドラマへ本格進出[12][48]。渡にとって復帰第1作及び主演ドラマ『大都会 闘いの日々』は『大都会 PARTII』『大都会 PARTIII』とシリーズ化、続いて主演した『西部警察』もシリーズ化され、5年間放映された。

これら刑事ドラマでの「角刈りにサングラス」というスタイルは渡のトレードマークとなった。

同時期に放送されていたTBSクイズ100人に聞きました』では、「サングラスと言えば誰?」の問題で渡哲也が圧倒的人数で第1位を獲得した。ちなみに第2位が「ルビーの指環」でメガヒットを飛ばした寺尾聰で、第3位は藤竜也であった。

渡は石原プロ再建に貢献し、石原の下で副社長も兼務していた。

1987年(昭和62年)7月17日に石原裕次郎が肝細胞癌のため、52歳で死去。10月、渡が石原プロの二代目社長に就任した。

1989年(平成元年)3月、渡が社長となって初の石原プロ制作作品『ゴリラ・警視庁捜査第8班』の第5話を撮影中、渡扮する倉本班長がヘリから降りて全力疾走するシーンで、ヘリから着地した際、左足に激痛が走ったが「ただの捻挫だろう」と、痛みを感じつつも撮影を続行した。しかし痛みは増すばかりで翌日、病院で診察を受けたところ、全治1か月半の「腓腹筋断裂」と診断された。これは、ヘリから着地した際の腓腹筋の捻挫が、その後の撮影続行で更にひどくなり、遂に断裂したのが原因だった。しかし渡は、撮影に穴を開けるわけにはいかないと、撮影続行を宣言。報道陣の前で「アクションと怪我は紙一重、やるっきゃありません」と、石原プロ社長としての責任感の強さをのぞかせた。その後、このケガが原因で、足をひきずって歩く後遺症が残った。

翌年放映された、時代劇スペシャル『大激闘! 四匹の用心棒』では、足を引きずって歩く主人公の浪人「かかしの半兵衛」こと金子半兵衛役を演じている。

1991年(平成3年)に自ら直腸癌であると発表。柏木純一の著書『渡哲也 俺』に壮絶な闘病記が記されている。これにより、オストメイト人工肛門使用者)であることを明らかにしている。

1996年(平成8年)に大河ドラマ秀吉』に出演。劇中では、主人公の秀吉(演・竹中直人)の主君である織田信長を演じ、退場回に放送された本能寺の変でのシーンは大きな反響を呼んだ。大河ドラマへの出演は、1974年(昭和49年)に病のため途中降板した『勝海舟』で主演をした時以来である。その後は2005年(平成17年)放送の『義経』に出演。劇中では、主人公の源義経(演・滝沢秀明)の物語上における父のような存在である平清盛を演じた。

2003年(平成15年)8月、テレビ朝日系『西部警察2003』のロケーションで、石原プロ所属俳優の自動車運転ミスにより、見物客5人が重軽傷を負う事故が発生。名古屋市内で会見した渡は、予定していた連続ドラマの制作、放送中止を明らかにした[49]。その後、第1弾として制作されたスペシャル版については紆余曲折を経て『西部警察 SPECIAL』のタイトルで、翌年2004年10月31日に放送された。

2005年(平成17年)に紫綬褒章を受章した。

2011年(平成23年)5月11日2009年(平成21年)の石原裕次郎23回忌を終えたことの区切りや、自らの健康上のこと、社長在籍期間が裕次郎の社長在籍期間と同じ24年目を迎え「それを越えるわけにはいかない」などの理由から、3月28日付をもって石原プロモーション社長を退任したことを発表した[50]。12月23日放送のTBSの年末スペシャルドラマ『帰郷』では、弟の恒彦と約40年ぶりの共演を果たした。1971年(昭和46年)4月から1972年(昭和47年)3月に放送のNHKの連続ドラマ『あまくちからくち』以来のことで、その時と同じく兄弟役で共演した[51][52]。その後恒彦とは、十津川警部シリーズ50「消えたタンカー」で再び共演、渡は犯人役で出演した。

2015年(平成27年)6月10日急性心筋梗塞で緊急入院、手術を受けていたことが、7月17日に明らかになる[53]。約1か月で退院。11月10日宝酒造「松竹梅」のCM撮影で仕事復帰(前年8月の同CM発表会見以来、1年3か月ぶり)[54]

2017年(平成29年)3月14日、弟・恒彦が胆嚢癌による多臓器不全のため72歳で死去[55]4月1日、石原プロモーションの経営陣に復帰[56]。「相談取締役」の肩書きで相談役取締役を兼任する。

2020年(令和2年)8月10日午後6時30分、肺炎のため死去[2][3]。78歳没。渡の遺志により直後の発表はされず、石原プロ関係者には8月12日に死去が知らされ、一般への公表は家族葬が終了した8月14日に行われた。お別れの会なども、渡の遺志により行われなかった[57]

戒名は「萬修院泰然自道居士」。墓所は目黒区碑文谷円融寺にある。

人物

人柄

  • 日活デビュー当時、食堂で食事をしていた石原裕次郎に挨拶に行った際、本来なら食事中に挨拶をするのは失礼なことであるにもかかわらず、石原は他の俳優達とは違い怒りもせず、立ち上がって自ら進んで握手し、「石原裕次郎です。君が新人の渡君ですか、頑張って下さいね」と声を掛けてくれたため、渡はとても感激した。渡もそれに習い、ベテランとして若手から挨拶を受ける立場になっても、石原と同じように立ち上がって握手しながら声を掛けているので、『西部警察』の撮影で初対面した舘ひろしや、ドラマで共演した岡田准一滝沢秀明世界のナベアツらは、かつての渡と同様に感激したとそれぞれ述べている。
石原の跡を継ぎ、石原プロモーションの社長となった渡は、所属俳優から「社長」と呼ばれている。入社した理由は、前述の石原との初対面での出来事に加え、石原と交友関係ができてから、石原から服や靴などをもらい、公私共に付き合いが深かったことや、日活時代から親しかった小林正彦が石原プロへ参加していたことだった。いろいろと世話になった石原の窮地を救うため、当時180万円の全財産を持って石原の元へ赴き、「社員の皆さんのお茶代にでも使って下さい」と差し出した[注釈 2]
  • 渡が東映に来るようになり、深作欣二の映画に出演した際、擬斗を担当していた菅原俊夫と深作の意見が合わず、渡の意見を聞くことになったが、まだ駆け出しの菅原の意見を渡が尊重し、気配りしたことに対し、菅原は呼吸ができなくなるほど感動し、渡の人柄に大きく心を引かれたと語った[58]
  • 『西部警察』などで演じた役柄のイメージが強く、性格が短気であるように誤解されがちだが、実際は温厚である。ただし、日活の新人時代には、取材に来た記者の失礼な態度に激怒し、その記者にアッパーカットを見舞って気絶させたこともあった。後年、渡はこのことについて「若気の至りというか、恥ずかしい限りです」と語っている。
  • 石橋貴明が『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の一企画で定岡正二との対決に負け、罰ゲームで石原プロに保管されている『西部警察』の特殊車両や渡の車を洗わされるということがあった。その後、石橋は舘ひろしの命令で報告に渡を訪ね、渡のCMの「松竹梅」、さらに「いいジャケット着てるな、テツ[注釈 3]。」と無理やり言わされる事態となった。しかし渡は石橋が「テツ」と言って肩をポンと叩いた直後、上にあったコップが割れんばかりの勢いでテーブルを蹴り上げた。驚いた石橋は廊下に飛び出したが渡はその後を追いかけて壁を背に立ち尽くす石橋に「この野郎!! 石橋!! テツ!?」「おい、ちょっと来い!!」「お前、松竹梅シャレできくけどな、お前になんで俺がテツって呼ばれなくちゃいけねんだ!!」「なめとんけワレ!」と怒号を浴びせて、石橋に猛烈に詰め寄る事態となった。
実は仕込みドッキリであり、事前に舘ひろしは「テツ」と言われたら本気で怒ってみせてほしいと頼んでいた。渡はこの頼みに対し当初は「いや、俺はそういうの苦手なんだよ」と渋ったが、舘はこの言葉に対して「いえ、得意です」とツッコみ、結局、承諾する羽目になった。
この直後、渡のあまりの勢いに驚いた仕掛人の舘が慌てて駆け寄ってネタばらしをし、渡自身も笑顔で仕込みであったことを明かしてフォローした。しかし恐怖に恐れおののいた石橋の顔からは舘が「顔色悪いよ!」と心配するほど血の気がなくなり、これ以後、石橋は渡の顔をまともに見られなくなってしまった。
  • 大都会 PARTIII』撮影時、共演していた宮本刑事役の苅谷俊介の夫人が入院していた。苅谷が金に困っているという話を聞いた渡は、撮影終了後に苅谷を呼び止め「お前怒るなよな。見舞いには花が相場なんだがあいにくないんでな。少ないけどこれ取っとけ」と言って金の入った封筒を渡した。苅谷は「帰っていく渡の後ろ姿を涙でまともに見られなかった」と語っている[59]

趣味・嗜好

  • 趣味は「焚火」。火が上がるような焚き火ではなく、煙が一筋昇るくらいがよいとのこだわりがあり、たなびく煙の行方を眺めているのが好きだとのこと[注釈 4]
  • ソフトクリームが好きで、石原プロワールドでは「渡哲也のヘルシーソフトクリーム」なる商品が販売されている。
  • 日本酒CMをしていたのとは裏腹に、下戸で飲めない酒を無理して飲んでいた。石原裕次郎の晩年にはヤケ酒のような飲み方をしていたが、次第に人並みに飲めるようになった。60歳を過ぎ、を患ってからは酒量も減った。タバコも『西部警察』などのドラマの中でも吸っていたが、闘病後は吸わなくなった。

その他

  • プロテニスプレイヤーの錦織圭は遠縁の親戚である。渡の祖母と錦織の曽祖父が兄弟にあたる。
  • 石原裕次郎と誕生日が同じである。年齢は7歳差。
  • 一般人の妻との間に息子が1人いる。妻子とも芸能活動はしていない。

モデル・オマージュ

  • 島崎譲著『THE STAR』第5巻で大門プロ副社長であり、大俳優の嶋哲也しま てつや、渡がモデル)が登場し、天下の大門プロが社運を賭けて巨費を投じて企画した新作刑事ドラマ『バイオレンス刑事(コップ)』で初監督をする。嶋の独断で初めて大門プロ以外の俳優として長瀬優也(主人公)を主役に抜擢し、どんなに危険な状況でもおもしろいものになれば撮影を続行し、仕事のためならなんでもする仕事の鬼だが、閉鎖的になっていく大門プロに一石を投じるために長瀬を起用し、人命さえもおびやかす危険なシーンをこんなにも美しい愛のシーンに変えてしまう長瀬の俳優としての力量に感謝している。
  • 新田たつお著『静かなるドン』の「静かなる慕情」の挿話で主人公の近藤静也(新鮮組)が敵対する日本最大の広域暴力団鬼州組若頭(No.2)として不渡哲也ふわたり てつや、渡がモデル)が登場し、六代目会長・海腐雄二からも力量を見込まれて、七代目襲名のための手柄として新鮮組に決戦を挑むも戦い慣れしていないことが災いして死亡する。
  • 宮崎克高岩ヨシヒロ著『松田優作物語』第4巻legend of you;36.「Illusion」では、映画監督:深作欣二のインタビューの中で深作が優作と撮る予定であった作品(口のきけないヤクザの話)について語られ、その内容を漫画で再現した挿話が描かれており、配役は口のきけないヤクザを松田優作、組長を渡が演じている[注釈 5]。劇中では組長の渡に従順に仕えるヤクザの優作が幼なじみで組長の情婦である女性との逢引きをマンションの外で待っていたところ、ベランダからヒットマンが侵入するのを目撃し、それを電話で渡に伝えようとするも伝えることができずにマンションに響く銃声を耳にして号泣する優作の姿が描かれている。
  • ゆでたまご原作の漫画・アニメ『キン肉マン』には、渡をモデルにした赤岩刑事(『大都会シリーズ』の黒岩刑事のパロディ)、または五分刈刑事が主にコメディパートに登場する。

逸話

  • 小学生時代、同級生のともだちに海に顔を付けられ、いじめられていたところをお父さんが助けてくれたということを発言している。
  • 1975年1月19日TBS林美雄アナウンサーが企画し、東京厚生年金会館大ホールで行われた「歌う銀幕スター 夢の狂宴」の壇上でインタビューされた際、病気をしてNHKの大河ドラマ『勝海舟』を降板したことを詫び、尊敬する高倉健から「もっと体を鍛えろ」と叱咤激励されたことを明かしている。
  • 2007年(平成19年)1月4日1月5日放送のテレビ朝日系特別ドラマ『マグロ』で釣ったマグロは本人が釣り上げたものである[注釈 6]
  • 山村聡と親子役で共演したこともある。

出演

太字は主演

映画

公開年 作品名 役名 制作(配給) 備考
1965年(昭和40年) あばれ騎士道 哲也 日活 デビュー作
青春の裁き 古島菊男 日活
真紅な海が呼んでるぜ 津川了次 日活
泣かせるぜ 白石浩 日活
拳銃無宿 脱獄のブルース 佐賀達次 日活
赤い谷間の決斗 渡辺健 日活
星と俺とできめたんだ 大日向三郎 日活
1966年(昭和41年) 東京流れ者 本堂哲也 日活
赤いグラス 速水弘志 日活
逢いたくて逢いたくて 梶貫太郎 日活
骨まで愛して 加納誠 日活
あなたの命 火野隆三 日活
愛と死の記録 三原幸雄 日活
白鳥 近藤淳 日活
続東京流れ者 海は真っ赤な恋の色 本堂哲也 日活
嵐を呼ぶ男 国分正一 日活
1967年(昭和42年) 青春の海 山崎次郎 日活
夢は夜ひらく 片桐誠 日活
星よ嘆くな 勝利の男 速水隆次 日活
陽のあたる坂道 田代信次 日活
燃える雲 朝日奈隆 日活
反逆 深沢礼治 日活
錆びたペンダント 志野英次 日活
紅の流れ星 杉浦五郎 日活
君は恋人 赤井 日活
東京市街戦 健太郎 日活
1968年(昭和43年) 無頼より 大幹部 藤川五郎 日活
男の掟 宗方玄造 日活
大幹部 無頼 藤川五郎 日活
わが命の歌 艶歌 津上卓也 日活
無頼非情 藤川五郎 日活
だれの椅子? 菅原謙一 日活
あゝひめゆりの塔 青年 日活
東シナ海 玉城尚敬 日活
無頼 人斬り五郎 藤川五郎 日活
燃える大陸 磯村敬一 日活
無頼 黒匕首 藤川五郎 日活
1969年(昭和44年) 花ひらく娘たち 信次 日活
地獄の破門状 松旭斎直八 日活
野獣を消せ 浅井徹也 日活
無頼 殺せ 藤川五郎 日活
やくざ渡り鳥 悪党稼業 香港ジョー 日活
前科 仮釈放 大原竜次 日活
博徒無情 高見沢村次 日活
前科 ドス嵐 松永竜次 日活
大幹部 殴り込み 風間哲 日活
荒い海 北見洋二 日活
昭和やくざ系図 長崎の顔 高間慶二 日活
やくざ番外地 抹殺 早川進 日活
嵐の勇者たち 唐沢恭 日活
1970年(昭和45年) やくざの横顔 本堂哲平 日活
富士山頂 加田雄平 日活・石原プロモーション
斬り込み 庄司新 日活
花の特攻隊 あゝ戦友よ 白石浩 日活
スパルタ教育 くたばれ親父 原和也 ダイニチ
大幹部 ケリをつけろ 朝倉竜次 ダイニチ
新宿アウトロー ぶっ飛ばせ 西神勇次 ダイニチ
1971年(昭和46年) 関東流れ者 滝村周次 ダイニチ
甦る大地 中館広之肋 松竹・石原プロモーション
関東幹部会 寺田次郎 ダイニチ
暁の挑戦 倉石鉄二郎 フジTV新国劇・松竹
関東破門状 寺田次郎 ダイニチ
さらば掟 武井吾郎 松竹
1972年(昭和47年) 追いつめる 武上次郎 松竹
剣と花 石津文三郎 松竹
人生劇場 青春・愛欲・残侠篇 宮川 松竹
1973年(昭和48年) 反逆の報酬 村木駿 東宝
花と龍 青雲篇 愛憎篇 怒涛篇 玉井金五郎 松竹
ゴキブリ刑事 鳴神涼 東宝・石原プロモーション
野良犬 村上 松竹
人間革命 ジャンパーの男 東宝・シナノ企画
日本侠花伝掟 田中清次郎 東宝
ザ・ゴキブリ 鳴神涼 東宝・石原プロモーション
1975年(昭和50年) 仁義の墓場 石川力夫 東映
1976年(昭和51年) 続・人間革命 島谷 東宝
やくざの墓場 くちなしの花 黒岩竜 東映
1986年(昭和61年) 時計 Adieu l'Hiver 高松二郎 日本ヘラルド・フジテレビ
1992年(平成4年) 三国志 第一部・英雄たちの夜明け 曹操孟徳 東映 声の出演
1993年(平成5年) 三国志 第二部・長江燃ゆ! 曹操孟徳 東映 声の出演
第1回欽ちゃんのシネマジャック「港」 下川仙一 東宝
1994年(平成6年) 第2回欽ちゃんのシネマジャック「蛍の光」「食べる ある愛のカタチ」 松矢一平 東宝
1996年(平成8年) わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語 宮沢政次郎 東映
1997年(平成9年) 誘拐 津波浩 東宝
1998年(平成10年) 時雨の記 壬生孝之助 東映
2000年(平成12年) 長崎ぶらぶら節 古賀十二郎 東映
2001年(平成13年) BROTHER 政会組長 オフィス北野・松竹
2002年(平成14年) 修羅の群れ 稲原裕之 ミュージアム
2004年(平成16年) レディ・ジョーカー 物井清三 東映
2005年(平成17年) 男たちの大和/YAMATO 伊藤整一 東映

テレビドラマ

舞台

歌番組

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1974年(昭和49年)/第25回 くちなしの花 13/25 都はるみ
1993年(平成5年)/第44回 2 くちなしの花(2回目) 08/26 いしだあゆみ 石原裕次郎7回忌の年に、第一部トリで歌唱
注意点
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

その他

  • ふたりのビッグショー(1994年1月2日、NHK)
    新春企画 渡哲也・加藤登紀子「青春のスタンダード 石原裕次郎を歌う」

ドキュメンタリー

他多数

CM

  • 宝酒造 松竹梅、松竹梅「天」(2003年9月 - 2021年9月予定)
    もともと石原裕次郎が出演していたもの(1968年 - 1987年)を石原の没後に引き継いだ(1989年 - )。引継ぎ以前の一時期、渡は同業他社の大関のCMに出演していた。大関では大瀧詠一がCMソングを手がけたものもあり、松竹梅では渡自らがCMソングのフレーズ「喜びの酒…」を歌うこともあった。1995年には実弟・渡瀬とも『松竹梅』のCMで共演を果たした[62][63]。1998年から3年間は吉永小百合と共演。2003年9月以降は、主力商品が「松竹梅 天」に移行し[64]、女優との共演は無かったが、2014年10 月から前田敦子と共演するCMが放送される[65]。松竹梅「天」のCMソングの最後には渡の「天」の声が挿入されている。
    2020年版では、過去映像の合成による「石原裕次郎との初共演版」として作られた。裕次郎出演版と渡出演版の過去映像を合成し[66]、2020年に収録した渡の音声を加えている[67]。今回のCM撮影を以って渡は松竹梅のCM出演から勇退し、2021年9月までの出演契約を更新しない予定。
  • 東芝 インバーターエアコン
  • カゴメ トマトジュース
  • 日本興亜損保 舘ひろし、神田正輝、深江卓次と共演
  • 日本コカ・コーラ ジョージア 木村拓哉SMAP)と共演
    • 登場篇(2006年6月 - )
    • ストリートミュージシャン編(2006年8月 - )
    • カミナリ篇(2006年10月 - )
    • ベンダー前篇(2006年11月 - )
    • オフィス篇(2006年11月 - )
    • 純金名刺・今年もよろしく篇(2007年1月 - )
    • 純金名刺・応募篇(2007年1月 - )
    • 呼び出し篇(2007年1月 - )
    • もう一本篇(2007年1月10日 - )
    • 純金名刺・締切迫る篇(2007年2月 - )
    • 湯気篇(2007年2月 - )
    • 桜篇(2007年3月21日 - )
    • 駅篇(2007年5月 - )佐藤めぐみと共演
    • 部下に心配される篇(2007年7月 - )木村祐一と共演
    • 上司にお詫び篇(2007年8月 - )山崎静代と共演
    • 女スパイ参上篇(2007年10月 - )ベイスー・ウーと共演
  • 第一三共
    • 企業 「どこの薬か」編(2008年3月 - )
    • リゲイン 「リジャパン 勇気のしるし」編(2012年4月 - )
  • 年末ジャンボ宝くじ(2013年11月・12月) - 木村拓哉壇蜜クリス松村との共演だが、人形での出演

ゲーム

作品

シングル

発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
クラウンレコード
1965年6月 EP CW-300 A 純愛のブルース[注釈 7] 星野哲郎 叶弦大 重松岩雄
B 真っ赤なドラム
1965年10月 EP CW-363 A 俺とお前の明日がある 関根浩子 叶弦大 安田彫花
B 男の波止場 星野哲郎 重松岩雄
1966年3月 EP CW-463 A 東京流れ者 川内和子 不詳 採譜・補作曲:叶弦大
B ラテン街の夜 星野哲郎 叶弦大 小杉仁三
1966年 EP CW-487[注釈 8] A 男がかける夢の橋[注釈 9] 原健三郎 谷淳雄 福田正
1966年8月 EP CW-530 A 海は真赤な恋の色[注釈 10] 川内和子 叶弦大 小杉仁三
B あの娘のために死ぬんだぜ[注釈 11] 北原じゅん 北原じゅん
1966年9月 EP CW-538 A 星よ嘆くな 水島哲 叶弦大 小杉仁三
B 星から来たあの娘
1967年1月 EP CW-604 A 嵐を呼ぶ男[注釈 12] 井上梅次 大森盛太郎 小杉仁三
B 世界でひとり 星野哲郎 叶弦大
1967年4月 EP CW-644 A 陽のあたる坂道 関根浩子 川上始 小杉仁三
B 青空抱いて 叶弦大
1967年8月 EP CW-681 A 夏の日の恋 星野哲郎 叶弦大 小杉仁三
B 俺の明日はどこにある 川内和子
1967年9月 EP CW-726 A 浜辺で逢えるさ 奥村英夫 清水路雄
B 白い貝がら
1967年12月 EP CW-772 A 海を見ていたジョニー 五木寛之 叶弦大 安藤実親
B 白い鳩 水島哲 小杉仁三
1968年2月 EP CW-781 A いつまでも二人で 水島哲 叶弦大 重松岩雄
B 愛の歌
1968年7月 EP CW-839 A 男の流転 藤田五郎 叶弦大 小杉仁三
B 男泣き
1968年12月 EP CW-888 A 燃える大陸 浜口庫之助 小杉仁三
B たった一度の恋 西川ひとみ 小杉仁三
1969年11月 EP CW-993 A 赤と黒のブルース 奥野椰子夫 加賀谷伸 小杉仁三
B さすらいは俺の恋人 水沢圭吾 叶弦大
テイチクレコード
1969年10月5日 EP SN-853 A ギターと旅びと[注釈 13] 池田充男 村沢良介 山倉たかし
B 荒野の赤い花
1969年12月 EP SN-893 A 赤い夕陽に 川内康範 村沢良介 山倉たかし
B 花と竜 野崎真一
1970年11月 EP SN-1034 A 渡世人 池田充男 野崎真一 山倉たかし
B 男のまごころ 高月ことば 上原賢六 山田栄一
1971年1月 EP SN-1051 A 東京流れ者 高月ことば 不詳 山倉たかし
B 網走番外地 伊藤一、タカオカンベ
1971年2月 EP SN-1080 A たそがれのブルース 滝田順 村沢良介 山倉たかし
B 関東流れ唄 宮原和男 由樹俊一郎
1971年7月 EP SN-1144 A 哀歌 池田充男 曽根幸明
B 幸福にくちづけを
1971年7月 EP SN-1197 A 流浪 ちあき哲也 曽根幸明
B 四つの壁
1972年4月 EP SN-1234 A 都会の子守唄 二条冬詩夫 南有二 山倉たかし
B 港の詩 池田充男 村沢良介
1972年8月 EP SN-1266 A 御意見無用のブルース 猪又良 猪俣公章 山倉たかし
B 青春挽歌
ポリドール・レコード
1973年 EP DR-1725 A 男の別れ歌 水木かおる 遠藤実 伊部晴美
B 昭和仁義
1973年8月21日 EP DR-1790 A くちなしの花[注釈 14][20] 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B 通りゃんせ仁義
1974年6月 EP DR-1855 A わかれ花(男の別れ歌) 水木かおる 遠藤実 伊部晴美
B 昭和仁義
1974年10月 EP DR-1899 A あじさいの雨 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B 夕陽
1975年4月 EP DR-1923 A あいつ 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B 郷愁
1975年11月21日 EP DR-1999 A みちづれ 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B さすらい紀行
1976年9月 EP DR-6044 A 水割り 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B 通り雨
1977年4月 EP DR-6090 A ひとり[注釈 15][69] 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B 朝やけ
1978年3月 EP DR-6190 A ほおずき ちあき哲也 杉本真人 斉藤恒夫
B 寒暖計 佐藤寛
1978年10月 EP DR-6250 A 日暮れ坂[注釈 16][70] 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B ふるさと灯り
1979年5月 EP DR-6305 A おもいで蛍 水木かおる 遠藤実
B 水割り
1979年5月 EP DR-6312 A みちづれ 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B あじさいの雨
1979年11月 EP DR-6365 A 妹へ ちあき哲也 伊部晴美
B 鳳仙花 杉本真人 伊部晴美
1980年6月 EP DR-6415 A 酒は男の子守唄 水木かおる 遠藤実
B 小さな春
1980年12月 EP 7DX-1026 A 旅路の雨 水木かおる 遠藤実
B 夢ふたつ
1981年10月 EP 7DRX-1119 A さざんかの女 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B 凩の街
トーラスレコード
1982年2月1日 EP 07TR-1006 A 雪わり草 搭山清 遠藤実 斉藤恒夫
B 歌い残した歌
1982年6月 EP 07TR-1015 A 無理をするなよ 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B 思い出酒場 塔山清 京建輔
1982年12月 EP 07TR-1026 A めぐり逢いしのび逢い[注釈 17] 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B さすらいの挽歌 搭山清
1983年11月 EP 07TR-1050 A 逢坂川 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B 大阪暮色
1984年11月 EP 07TR-1080 A 風車 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫
B 夢の中 池多孝春
1985年5月1日 EP 07TR-1090 A 流氷の街 小椋佳 竜崎孝路
B ほのあかり
1986年6月1日 EP 07TR-1121 A 風の舞う港から 小椋佳 竜崎孝路
B 花飾り
1986年11月 EP 07TR-1141 A わかれ道[注釈 18] 水木かおる 杉本真人 竜崎孝路
B 海鳴り
1987年7月 EP 07TR-1159 A 雨降り花 水木かおる 杉本真人 前田俊明
B 雨降りやまず
1988年9月15日 EP 07TR-1193

10TT-7117

A ラストシーンは見たくない[注釈 19] 水木かおる/杉本真人 杉本真人 佐藤寛
8cmCD B 春来川
1989年2月8日 8cmCD 10TT-7204 A 彷徨人[注釈 20] 水木かおる 杉本真人 佐藤寛
B 帰郷 塔山清 遠藤実 京建輔
1989年5月1日 8cmCD 10TT-7212 A 青春ばんから[注釈 21] ちあき哲也 杉本真人 川村栄二
B 酒よ 遠藤実 池多孝春
1991年1月30日 8cmCD TADL-7317 1 ありんこ[注釈 22] 門谷憲二 山崎稔 矢島賢
2 冬の駅
1992年9月30日 8cmCD TADL-7342 1 風蕭蕭と[注釈 23] 水木かおる 杉本真人 前田俊明
2 ひとり
1993年2月24日 8cmCD TADL-7353 1 酒がたり 里村龍一 三木たかし 竜崎孝路
2 北の駅舎
1993年8月25日 8cmCD TADL-7365 1 友よ 水木かおる 三木たかし 矢野立美
2 ひと吹きの風
1994年2月9日 8cmCD TADL-7370 1 酔挽歌 荒木とよひさ 三木たかし 矢野立美
2 時は何も知らずに 川村栄二
1995年3月29日 8cmCD TADL-7395 1 花あかり 水木かおる 浜圭介 前田俊明
2 花あかり~ワルツ~
1995年5月10日 8cmCD TADL-7396 1 花あかり 水木かおる 浜圭介 前田俊明
2 風花 三木たかし 矢野立美
Webkoo
2003年3月19日 CD WKSL-4001 1 逢いたいね 建石一 杉本真人
2 朝やけ 水木かおる 遠藤実

アルバム

  • 冬列島(ポリドール・レコード、MR-3092)
  • おもいで螢/みちづれ(ポリドール・レコード、MR-3181)
  • 酒は男の子守唄(1980年、ポリドール・レコード、28MX-1010)
  • 風の舞う港から(1986年、taurus、28TR-2110)
  • ラストシーンは見たくない(1988年、taurus、32TX-1088)
  • GOLDEN☆BEST 渡哲也(2004年6月2日、ユニバーサルミュージック)

受賞・受章

演じた俳優

脚注

注釈

  1. ^ 渡と菅原は2002年に公開された『修羅の群れ 第三部 完結編 大抗争列島!!』で2人が絡むシーンはないが出演している。
  2. ^ 財産は結局、石原裕次郎は気持ちだけ受け取ったという。このエピソードはドラマ『』でも触れられている。
  3. ^ 「テツ」というのは、公的な場以外で渡を呼ぶ際に石原が使う愛称で、この呼び方で渡を呼ぶのは石原だけであり、他の人間がその名で呼ぶことがはばかられていることは同番組にて舘など石原プロモーションの面々から証言されている。
  4. ^ 子供の頃、近所の浜辺で友達らと一緒によく魚介類を獲り、そのまま焚き火をして食べた思い出に原点があるとのこと[60]
  5. ^ 深作自身、キャストをその2人で構想を練っていたそうである[要出典]
  6. ^ 渡がマグロを釣り上げた話題は、スポーツ紙の芸能面でも記事になった[要出典]
  7. ^ デビュー曲。日活映画『真紅な海が呼んでるぜ』主題歌。
  8. ^ 片面は、小林旭&坂芳子の「かけ橋音頭」。
  9. ^ 坂芳子とのデュエット。
  10. ^ 日活映画『海は真赤な恋の色』主題歌。
  11. ^ 日活映画『あの娘のために死ぬんだぜ』主題歌。
  12. ^ 石原裕次郎のカバー。
  13. ^ 初のオリコンランクイン。最高位65位。
  14. ^ 150万枚の大ヒット。オリコン最高位4位。全日本有線放送大賞金賞受賞。
  15. ^ 日本テレビ系『大都会PARTII』挿入歌。50万枚の大ヒット。
  16. ^ 日本テレビ系『大都会PARTIII』主題歌。当時で15万枚ほど、最終的には「ひとり」の半分くらいの売上に留まる。
  17. ^ 多岐川裕美とのデュエット。
  18. ^ いしだあゆみとのデュエット。
  19. ^ 松坂慶子とのデュエット。
  20. ^ カシオ計算機「VALERIE」CMソング。
  21. ^ 宝酒造「松竹梅」CMソング。
  22. ^ ANB系ドラマ『代表取締役刑事』エンディング・テーマ。
  23. ^ ANB系ドラマ『用心棒かかし半兵衛』主題歌。

出典

  1. ^ a b c d e 石原プロモーション|渡哲也
  2. ^ a b “俳優 渡哲也さんが死去 78歳 肺炎のため”. NHKニュース. (2020年8月14日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200814/k10012567381000.html 2020年8月14日閲覧。 [リンク切れ]
  3. ^ a b “俳優の渡哲也さんが死去 肺炎、78歳、家族葬…故人の遺志によりお別れ会なし”. デイリースポーツ. (2020年8月14日). https://www.daily.co.jp/gossip/2020/08/14/0013603987.shtml 2020年8月14日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f 「渡哲也インタビュー 高平哲郎」『渡哲也 さすらいの詩』芳賀書店〈シネアルバム(67)〉、1978年、153-168頁。ISBN 4-8261-0067-1 
  5. ^ a b c 柏木 1997, pp. 38–47
  6. ^ a b c d 「スペシャル・インタビュー 渡哲也」『週刊明星』1982年8月26日号、集英社、40-45頁。 
  7. ^ 兵庫県三田市市勢要覧 三田をもっと伝えたい!! (1)fromさんだtoさんだ 三田から羽ばたく 青春を刻んだ街・三田 あらゆる世代を魅了する役者魂 俳優 渡 哲也さん”. 三田市. 2020年8月16日閲覧。
  8. ^ 柏木 1997, pp. 8–19
  9. ^ a b c d e f g “義理と人情…男の中の男 公私にわたり親交あったスポニチOBが渡さんを悼む”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2020年8月15日). オリジナルの2020年11月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20201114094315/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/08/15/kiji/20200814s00041000510000c.html 2020年11月14日閲覧。 
  10. ^ a b c d e f “渡哲也さん秘話 「高倉健の後釜に」東映社長のオファーを断った“仁義””. デイリー新潮. 週刊新潮. (2020年8月27日). オリジナルの2020年8月19日時点におけるアーカイブ。. https://archive.vn/6JoIW 2020年11月14日閲覧。 
  11. ^ 柏木 1997, pp. 69–71
  12. ^ a b c d “追悼・渡哲也「78歳壮絶死」までの「逆境無頼」56年(2)CM出演料を回転資金に…”. Asagei plus. 徳間書店. (2020年8月25日). オリジナルの2020年8月22日時点におけるアーカイブ。. https://archive.vn/jRj2B 2020年11月14日閲覧。 
  13. ^ a b 「解散しても不朽」石原裕次郎と石原軍団「感動の人情伝説」(Internet Archive)
  14. ^ a b 柏木 1997, pp. 144–153
  15. ^ “渡哲也は病を乗り越え11月復帰 「新人発掘」で次世代託す”. 日刊ゲンダイ: p. 2. (2015年8月8日). http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/162508/2 2020年8月16日閲覧。 
  16. ^ “「大河ドラマ降板」が「北の国から」を生んだ 倉本聰が明かした秘話”. デイリー新潮. 週刊新潮. (2019年2月27日). オリジナルの2019年12月27日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2019-1227-1302-19/https://www.dailyshincho.jp:443/article/2019/02270731/?all=1 2020年11月14日閲覧。 
  17. ^ a b c d e f g “【渡哲也さん 仁義の男の美学】「高倉健の次のスターに」東映・岡田茂社長からラブコール 交渉に同席したのは「裕次郎さんを慕う戦友」 (1/2ページ)”. zakzak. (2020年6月4日). オリジナルの2020年9月3日時点におけるアーカイブ。. https://www.zakzak.co.jp/ent/news/200904/enn2009040001-n1.html 2020年11月14日閲覧。 
  18. ^ a b “コラム 歌っていいな 渡哲也さんの闘病を支えた「くちなしの花」のヒット”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年8月30日). https://www.nikkansports.com/entertainment/column/songstory/news/202008280000355.html 2020年11月14日閲覧。 
  19. ^ 【1974年2月】くちなしの花/渡哲也 本人不在も大ヒット 紅白に出場したワケ”. 365日 あの頃ヒット曲ランキング 2月. スポーツニッポン. 2012年2月3日閲覧。
  20. ^ a b 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社現代教養文庫〉、2002年、79頁。ISBN 4-390-11649-5 
  21. ^ a b c d e f g h 「随想 東映スター渡哲也が誕生するまで」『キネマ旬報』1975年2月上旬号、48-49頁。 
  22. ^ 渡瀬恒彦さんと東映京都撮影所”. 撮影所マイスター対談vol9. 東映. 2020年8月16日閲覧。
  23. ^ a b 脇田巧彦 (2011年12月26日). “最後の活動屋 岡田茂 映画こそ我が人生 実録!! 東映六十年(76) 「渡哲也を石原プロから引き抜き作戦」”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): pp. 14 脇田巧彦 (2011年12月27日). “連載 最後のカツドウ屋 岡田茂 映画こそ我が人生 実録東映六十年(77) 「渡哲也 東映移籍を拒否」”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): pp. 14 
  24. ^ a b c d 「日本で急落、米で急騰の高倉健株」『サンデー毎日』、毎日新聞社、1975年5月25日、38頁。 
  25. ^ 「マキノ雅裕の映画界内緒ばなし(1)」『週刊文春』、文藝春秋、1981年9月3日、139-142頁。 
  26. ^ 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、94-95頁。ISBN 978-4103332312 
  27. ^ a b 杉作J太郎、植地毅「日下部五朗インタビュー インタビュアー・高平哲郎」『仁義なき戦い 浪漫アルバム』徳間書店、1998年、128-134頁。ISBN 978-4198608460 
  28. ^ a b 『鮮烈!アナーキー日本映画史 1959-1979』洋泉社映画秘宝EX〉、2012年、162頁。ISBN 4-86248-918-4 
  29. ^ 黒井和男「興行価値 日本映画 『新』を問われるヒット作の中身」『キネマ旬報』1975年1月上旬号、キネマ旬報社、198-199頁。 
  30. ^ 藤木TDC「さらば、松方弘樹 脱獄三部作の松方弘樹」『映画秘宝』2017年4月号、洋泉社、17頁。 
  31. ^ 「なぜ?この悲劇 酷使か原因か? 渡哲也がまたも緊急入院の全真相 俳優生活に危機」『週刊平凡』1975年3月30日号、平凡出版、34-39頁。 
  32. ^ a b c d 「邦画新作情報」『キネマ旬報』1975年4月春の特別号、201-202頁。 
  33. ^ 東映実録路線中毒 ANARCHY & VIOLENCE”. ラピュタ阿佐ケ谷. 2020年8月16日閲覧。
  34. ^ a b c 『映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也』朝日新聞出版〈週刊朝日MOOK〉、2020年、54頁。ISBN 9784022770608 
  35. ^ a b 石原まき子『石原裕次郎・渡哲也 石原プロモーション50年史 1963-2013』石原プロモーション、2014年、153-154頁。 
  36. ^ a b 柏木 1997, pp. 265–274
  37. ^ 深作 & 山根 2003, p. 324
  38. ^ a b 斯波司、青山栄『やくざ映画とその時代』筑摩書房、1998年、176-177頁。ISBN 4-480-057501 
  39. ^ 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、53-64頁。ISBN 978-4103332312 
  40. ^ a b c 松田秀彦 (2020年8月15日). “渡哲也さんが憧れた高倉健さんの「孤高」/連載3”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202008170000849.html 2020年11月14日閲覧。 
  41. ^ 「新作映画グラビア」『キネマ旬報』1975年4月下旬号、31-33頁。 
  42. ^ 大脱獄 - 日本映画製作者連盟
  43. ^ 「アングル76' 幻の映画を追って」『キネマ旬報』1976年正月特別号、166-167頁。 
  44. ^ 深作 & 山根 2003, pp. 316–324
  45. ^ 坂東護「加藤泰監督の『日本侠花伝』について語ろう」『キネマ旬報』1973年11月上旬号、77 - 78頁。 
  46. ^ a b 「1996年キネマ旬報ベスト・テン 受賞者インタビュー 助演男優賞・渡哲也」『キネマ旬報』1997年2月下旬号、179頁。 
  47. ^ 報知映画賞ヒストリー 1996(Internet Archive)
  48. ^ 柏木 1997, pp. 73–76
  49. ^ “「西部警察」放送中止、渡哲也社長が土下座謝罪”. SANSPO.COM. (2003年8月14日). オリジナルの2003年8月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20030815025911/http://www.sanspo.com/geino/top/gt200308/gt2003081401.html 2014年6月16日閲覧。 
  50. ^ “渡哲也「健康と年齢」理由に石原プロ社長勇退”. スポーツニッポン. (2011年5月12日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/12/kiji/K20110512000802910.html 2011年5月12日閲覧。 
  51. ^ ドラマ特別企画2011 『帰郷』”. TBSテレビ (2003年8月14日). 2014年6月17日閲覧。
  52. ^ 渡哲也&渡瀬恒彦兄弟が共演! 家族の絆を問うドラマ「帰郷」が完成!”. webザ・テレビジョン エンターテインメントニュース. KADOKAWA (2011年12月23日). 2020年8月16日閲覧。
  53. ^ “渡哲也が急性心筋梗塞で緊急手術していた”. 日刊スポーツ. (2015年7月17日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1508443.html 2015年7月17日閲覧。 
  54. ^ “渡哲也 1年3カ月ぶり仕事復帰”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2015年11月11日). http://www.daily.co.jp/gossip/2015/11/11/0008555762.shtml 2015年11月11日閲覧。 
  55. ^ "俳優の渡瀬恒彦さん死去、72歳 映画やTVドラマで活躍". 西日本新聞. 西日本新聞社. 16 March 2017. 2020年8月14日閲覧
  56. ^ “渡哲也6年ぶり石原プロ役員に復帰”. スポーツニッポン. (2017年3月31日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/31/kiji/20170330s00041000487000c.html 2017年4月9日閲覧。 
  57. ^ “「自分の訃報は…」渡哲也さんが妻に残した「遺言」”. スポーツニッポン. (2020年8月15日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202008140001155.html 2020年8月15日閲覧。 
  58. ^ 『時代劇マガジン』 VOL.12、辰巳出版〈タツミムック〉、2005年、45頁。ISBN 4-7778-0205-1 
  59. ^ 苅谷俊介『土と役者と考古学』山と溪谷社、2003年、[要ページ番号]頁。ISBN 4-635-33036-2 
  60. ^ 読売新聞のインタビューより[出典無効]
  61. ^ *番組エピソード 大河ドラマ『勝海舟』 -NHKアーカイブス
  62. ^ 結果的に兄弟揃って出演した唯一のCMとなった。
  63. ^ [youtu.be/1_TMk6P3n_o]
  64. ^ 宝酒造株式会社 / 企業情報 / 2003年ニュースリリース 「松竹梅「天(てん)」 新発売」(2012年12月13日閲覧)
  65. ^ “渡哲也“小百合以来”の共演女優が前田敦子「情感豊かな女性」”. Sponichi Annex. (2014年8月13日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/08/13/kiji/K20140813008735730.html 2014年8月14日閲覧。 
  66. ^ “渡哲也さんと裕次郎さん「松竹梅」CM半世紀に幕 247本目は「幻の共演」杯交わす”. 京都新聞. 京都新聞社. (2020年8月14日). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/328843 2020年8月15日閲覧。 
  67. ^ 渡哲也、石原裕次郎さんとテレビCM“初共演”で「松竹梅」有終の美 石原プロ解散に「私は後回し」 yahooニュース2020年7月29日配信
  68. ^ 人物”. 龍が如く0 誓いの場所. 2015年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月11日閲覧。
  69. ^ 山本 & 佐藤 2015, p. 168
  70. ^ 山本 & 佐藤 2015, p. 257
  71. ^ 『鬼滅の刃』石原裕次郎賞受賞 『罪の声』が「日刊スポーツ映画大賞」作品賞に」『ORICON NEWS』オリコン、2020年12月28日。2021年1月12日閲覧。

参考文献

追悼出版

関連項目

外部リンク