川地民夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川地 民夫かわち たみお、本名:河地 猛(かわち たけし)、1938年7月21日 - )は、日本の俳優。過去に石原プロモーションに所属していた。

神奈川県逗子市に生まれる。逗子開成高等学校卒業、関東学院大学工学部中退。

目次

[編集] 来歴・人物

大学在学中、逗子の家の隣に石原裕次郎が住んでいたのが縁で、日活に入社する。1958年、『陽のあたる坂道』でデビュー。小林旭沢本忠雄と「三悪トリオ」として売り出し、アクション物青春物に次々と主演する。その後、脇役に転じてから独特の個性に磨きがかかり、特に1963年の『野獣の青春』以来、鈴木清順監督に重用された。

日活退社後は、東映への出演が多く、特に1971年から9本作られた、菅原文太と共演した『まむしの兄弟』シリーズで見せたユーモラスな演技は、大いに人気を博した。

1980年代当時の妻の癌闘病と逝去の悲しみ、川地自身の脊椎の怪我や胃潰瘍等に1990年代初頭まで苦しめられるなど自身の健康上の問題で苦労していた時期もあったが、これらを克服し仕事に復帰し現在にいたる。

[編集] 3度の結婚歴

  • 私生活では、三度の結婚(離婚と死別を各一度)、また事実婚とその破局を一度経験している。
    • 共演者として交際があった女優中原早苗と事実婚状態となるも未入籍のまま早期に破局。これは公私にわたるよき友人であった菅原と飲み歩きで家をあけることが度重なった結果中原との関係が拙くなり関係解消に至ったと『いつみても波瀾万丈』内で紹介された。
    • 中原との破局後一般人女性と初婚、この女性との間に女児が二人出生もこの妻との結婚生活は七年で破局。
    • 再婚相手は宝塚歌劇団卒業生月組男役,『ベルサイユのばら』初演(1974年)時のアンドレ役、この公演限りで退団)の麻生薫
      川地のいきつけの飲食店を運営していたのが麻生の母で、折りしも東京公演のため上京の合間をぬって母の店を手伝っていた麻生と知り合い、以降川地・麻生間に麻生の母らを交えた年来の交流が生まれた。
      1974年麻生がこの年限りでの宝塚退団を決意した際麻生の退団後の進路が未定だったこと、また川地の人柄に信頼をおいていた麻生の母から娘を貰ってくれないかの旨懇願され結婚を決意、退団翌年の1975年1月挙式。
      初婚とは対照的に川地・麻生の夫婦仲は円満であったが1984年に麻生に卵巣が発覚、川地らの懸命の看護の甲斐なく、1988年10月13日麻生は逝去(享年41)。
    • 麻生との死別後は長く独身を通していたがその後知り合った日本フランスアメリカのハーフの一般人女性[1]2001年に再々婚し現在に至る。

[編集] 主な出演

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティ・情報番組

[編集] オリジナルビデオ

[編集] CD

  • 『東京港(とうきょうみなと)』 (2006年、フリーボード)

[編集] 著書

  • 『動かない手でVサイン-ガンで逝った妻、多香子に捧ぐ』(1989年太田出版ISBN 978-4-900416-58-1 - ※麻生逝去の翌年上梓された。
  • 『平成忘れがたみ 映画俳優五十年』(2008年、たる出版)

[編集] 脚注

  1. ^レディス42008年10月9日放送分出演時に川地本人が談話。