本田圭佑

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ACミランでの本田(2015年)
名前
愛称 オンダ(波)
カタカナ ホンダ ケイスケ
ラテン文字 HONDA Keisuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1986年6月13日(29歳)
出身地 大阪府摂津市
身長 182cm[1]
体重 74kg[1]
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ACミラン
ポジション FW / MF
背番号 10
利き足 左足
ユース
1994-1998 日本の旗 摂津FC
1999-2001 日本の旗 ガンバ大阪ジュニアユース
2002-2004 日本の旗 星稜高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2007 日本の旗 名古屋グランパス 90 (11)
2008-2010 オランダの旗 VVVフェンロ 68 (24)
2010-2013 ロシアの旗 CSKAモスクワ 94 (20)
2014- イタリアの旗 ACミラン 73 (8)
代表歴2
2005  日本 U-20 1 (0)
2006-2008  日本 U-23 18 (5)
2008-[2] 日本の旗 日本 80 (35)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年5月22日現在。
2. 2016年3月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1986年6月13日 - )は、大阪府摂津市出身のプロサッカー選手セリエAACミラン所属。ポジションフォワードミッドフィールダー日本代表オーストリアのサッカークラブであるSVホルンのオーナー。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

大阪府摂津市出身。両親は本田が小学2年生の春に離婚[3][4]。幼少時は鳥飼さつき園に通っていた。摂津市立鳥飼北小学校2年時から地元の摂津FCに入団しサッカーを始めた。摂津市立第四中学校に入学。あだ名はゴリ[5]。その後、ガンバ大阪ジュニアユースに所属し家長昭博安田理大東口順昭らとともにプレーしたが[5]、当時からスタミナやスピードには難があり、ユースチームへの昇格内定が出なかったため[6]石川県星稜高校へ進学した[7]。1年時に高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝し、3年時には第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場して、石川県勢として初のベスト4に貢献した[7]。高校では、豊田陽平橋本晃司とともにプレーした。2004年には特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加し、ナビスコカップなどの公式戦にも起用されるなど数試合出場を果たした。同時期に横浜F・マリノスの練習にも参加したが獲得は見送られた[8]

名古屋グランパスエイト[編集]

高校卒業に際して複数のJリーグクラブから勧誘を受け[7] 名古屋とプロ契約を結んだ。名古屋加入時の契約では本人の希望により「オファーがあれば海外クラブへの移籍を認める」という条項が盛り込まれていた[9]。開幕戦から先発出場してアシストを決め翌年にはレギュラーに定着した。

VVVフェンロー[編集]

VVVフェンローでの本田(2009年)

2008年1月、エールディヴィジ(オランダ1部リーグ)のVVVフェンローへ移籍した。加入会見ではオランダ語で挨拶を行い、その日のうちに昨シーズンまで名古屋の監督を務めていたセフ・フェルホーセン率いるPSVとの試合に出場した。残りのシーズンはレギュラーとして出場したもののクラブは8月にエールステ・ディヴィジ(オランダ2部リーグ)への降格が決定した。

2008-09シーズンはVVVフェンローに残留した。同シーズンのリーグ戦では、攻撃の軸として開幕から首位を独走するチームの原動力となり、シーズン途中からはフリーキッカーとキャプテンを任された。リーグ戦36試合に出場し16ゴール13アシストを挙げチームの2部リーグ優勝と1部復帰に貢献し2部リーグにおける年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した[10]

2009-10シーズンもフェンローで開幕を迎え前半戦18試合に出場し6ゴールを記録した。またオランダのテレビ番組で前半戦のベストゴールTOP10が発表され、本田がFCユトレヒト戦で決めた豪快なミドルシュートが選出された。

CSKAモスクワ[編集]

CSKAモスクワでの本田(2010年)

2010年1月、冬の移籍市場で移籍金900万ユーロ(約12億円)[11][12][13]、4年契約でロシア・プレミアリーグCSKAモスクワへ完全移籍。

2010年2月24日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのセビージャ戦がCSKAでの初出場となり同時にチャンピオンズリーグ初出場となった。3月12日のリーグ開幕戦であるアムカル戦では、試合終了間際の後半ロスタイムに決勝点を決め、チームのシーズン初勝利に貢献[14]。セビージャとのアウェーでの2ndレグでは、前半39分にCL初のアシストを、後半10分にはゴール約30mの位置から決勝点となる直接FKを決め、CL初得点。2戦合計3-2でCSKAが勝利し、日本人初、クラブ史上初、ロシアリーグ所属チーム史上初となるCLベスト8への原動力となった。この試合ではマンオブザマッチに選ばれ、さらに1stレグ2ndレグともに欧州の複数のスポーツ紙にてCL週間ベストイレブンに選ばれた[15][16]。リーグ前半終了時点でのロシアスポーツ紙の採点[17] では平均5.96で全選手中10位(1位は6.25)と、VVV時代とは違う不慣れなボランチでの出場が多いながらも高く評価され、シーズン4得点と結果を残し、CSKAモスクワのCL本戦出場権獲得に貢献した。

2011年5月22日に行われたロシア・カップ決勝のアラニア戦では途中出場で決勝点をアシストし、CSKAモスクワの2季ぶり6度目の優勝に貢献した。2011-12シーズンは、主にボランチではなく得意とする右サイドハーフで起用されたことで得点に絡む機会が増え、18試合で前シーズンを上回る7得点を挙げるなど好調を保っていたが、8月28日のスパルタク・モスクワ戦で右膝半月板を損傷し、後日手術を受け、全治には最大3カ月と発表された[18]。11月18日、ルビン・カザン戦で2カ月半ぶりに復帰を果たすも[19]、右膝の故障が再発しまたも戦線離脱となり、CLグループステージは全試合欠場した。2012年1月、イタリア・セリエAの強豪SSラツィオへの移籍が取り沙汰されたが、高額な移籍金がネックとなり移籍は破談となった[20]。2012年2月21日、CL決勝トーナメント1回戦1stレグレアル・マドリード戦で、約3カ月ぶりに公式戦復帰を果たした。しかし、2ndレグは左太ももの負傷で出場できずチームも敗退した。その後4月21日のディナモ・モスクワ戦で復帰、以降出場を続け、最終節ルビン・カザン戦で9カ月ぶりの得点を決めるもチームは敗れ、CL出場権を逃した。

2012-13シーズン、開幕から前半戦18試合で7得点を挙げるなど好調な活躍を見せていたが、2013年2月に左足首の負傷が分かりチームを離脱。以後、長期に渡り治療を余儀なくされ、3月のW杯アジア最終予選ヨルダン戦も欠場したが、4月21日のスパルタク・モスクワ戦で約4カ月半ぶりに実戦復帰を果たした。同シーズン、CSKAモスクワは6シーズンぶりのリーグ優勝を達成し、自身にとっても初の欧州一部リーグでの優勝となった。

2013-14シーズン初戦となったロシア・スーパーカップゼニト・サンクトペテルブルク戦では、2得点を挙げる活躍でCSKAモスクワのスーパーカップ制覇に貢献した。またCLグループリーグではバイエルン・ミュンヘン戦とFCヴィクトリア・プルゼニ戦で1ゴールを決めるなど2G2Aの活躍を見せたがチームは敗退した。一方、リーグ戦では18試合で1ゴールという不本意な結果に終わり、2013年12月、契約満了でCSKAモスクワを退団。

ACミラン[編集]

2013年12月11日、イタリアセリエAACミランへの完全移籍が正式発表された[21]。契約期間は3年半、FW登録で背番号は自ら希望した「10番」に決まった。2014年1月12日、セリエA第19節サッスオーロ戦で途中出場しセリエAデビューを果たした[22]。1月16日、初の先発出場となったコッパ・イタリア5回戦スペツィア(セリエB)戦で、移籍後初得点を決めた。4月7日、セリエA出場12試合目となるアウェーのジェノア戦で、リーグ戦初得点を決めた。その後、左足首捻挫で一時チームを離脱し約2週間後に復帰するも、インテル所属の長友佑都との日本人対決が注目された5月5日のミラノダービーでは出場機会はなく、移籍1年目は不完全燃焼に終わるシーズンとなった。

2014-15シーズンの開幕戦SSラツィオ戦では右WGとして先発出場し、先制点を挙げた[23]。第2節のパルマ戦では、ジャコモ・ボナヴェントゥーラの先制ゴールのアシストと、イニャツィオ・アバーテのクロスを頭で決め、1ゴール1アシストを記録した[24][25][26]。第7節のエラス・ヴェローナFC戦では2得点を挙げたが、その後は9試合連続得点なしで年内最終戦を終えた[27][28]。年明けも得点はなく、31試合得点なしでシーズン最終戦を終えた[29]

2015-16シーズンは監督がシニシャ・ミハイロヴィチに交代したこともあり、当初より出場機会が少なかった。2試合連続で出場機会がなくチームが2連敗を喫した10月4日のナポリ戦の後、チーム批判とも受け取られかねない発言をした[30]。前半戦は12試合に出場(内先発出場は5試合)。得点はなかったがアシストを記録している[31]。2016年2月14日のジェノアCFC戦ではセリエA483日ぶりとなるゴールを記録した[32]

日本代表[編集]

石川県選抜において、左SBの位置からステップなしでサイドチェンジを送る姿が大熊清U-20日本代表監督の目に留まり[33]、2005年のFIFAワールドユース選手権・オランダ大会にU-20日本代表として招集され、負傷明けの梶山陽平に代わって初戦のオランダ戦に守備的な中盤として先発[34]。しかし試合は前半にオランダが圧倒、後半は日本もペースをつかむ時間帯を得たが本田は途中交代となった(後半19分、水野晃樹。結果は1-2で敗戦)。この後チームは16強に進出するものの梶山の復調もあって出場機会はなかった。2006年にはA代表にも初招集されたが出場はなかった。2007年北京オリンピックアジア予選では主力として五輪出場権獲得に貢献した。

2008年6月に開催されたFIFAワールドカップ・アジア3次予選の対バーレーン戦でA代表デビュー[2]。8月に出場した北京オリンピックでは、中盤の主力として1次リーグ全3試合に出場して谷口博之や梶山陽平らとともに攻撃を牽引したが3連敗で1次リーグ敗退した。

2009年5月27日キリンカップの対チリ戦で、A代表初出場の当時18歳だった山田直輝からパスを受け、A代表初得点を記録した[2]

日本代表でプレイする本田(2010年)

2010年6月に開催されたFIFAワールドカップ・南アフリカ大会では4試合にフル出場[2]。大会直前にそれまで経験のないセンターフォワードのポジション(0トップ)に抜擢、グループリーグ初戦のカメルーン戦では決勝点をあげFIFA選定の「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された[35]。第3戦のデンマーク戦にて直接フリーキックで先制点を挙げ、岡崎慎司へのアシストも記録し日本代表の決勝トーナメント進出に貢献、この試合でも「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された[36]。決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦では強烈なミドルシュートを放つなど強い印象を残したが、PK戦の末日本代表は敗れた(記録上は引き分け)。しかし敗戦チームからは異例の今大会3度目となる「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された[37]

2011年1月にカタールで開催されたアジアカップではグループリーグ第3戦のサウジアラビア戦を除く5試合にフル出場。グループリーグ第2戦のシリア戦ではPKで日本代表の通算1000点目となる勝ち越し点を決めた。準決勝の韓国戦でも全2得点に繋がるプレーを見せ、この2試合で「マン・オブ・ザ・マッチ」に選ばれた。準々決勝のカタール戦での2得点に繋がる縦パスを含め、出場した試合で日本代表が挙げた全9得点中6得点に絡む活躍で日本代表の2大会ぶりのアジア制覇に貢献し、同大会の最優秀選手(MVP)に選出された[38]。同年2月7日、全国のサッカー担当記者の投票による2010年度のフットボーラー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)に有効投票202票のうち、75票を集めて初選出された[39]。50年の歴史がある賞だが、海外のクラブでプレーする選手が受賞するのは本田が初めてであった[注釈 1]。3月29日に開催されたチャリティーマッチ「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」では、1点目のきっかけとなったフリーキックを獲得し岡崎の2点目をアシストする活躍を見せた。

2012年6月8日、2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選ヨルダン戦で自身A代表初のハットトリックを達成[40]。本田のハットトリックは高校時代以来でプロ入り以降は初めてであり[41]、またワールドカップ予選における日本人選手のハットトリックは、97年フランス大会予選の三浦知良以来15年ぶりの記録となった[41]。2013年の6月4日のオーストラリア戦では後半終了間際にPKを決め、ブラジルワールドカップ出場を決めた[42]

2013年6月中旬に行われたコンフェデレーションズカップではグループリーグ第2戦のイタリア戦でPKで先制点を決めるが3-4で敗戦した。最終的にチームはグループリーグ3戦全敗で敗退した。しかし、本田自身はFIFA選定のグループリーグベストイレブンにアンドレス・イニエスタマリオ・バロテッリ等とともに日本人で唯一選出された。同年、12試合で8ゴールを上げる活躍でチーム得点王となった。

2014年6月に開催された2014 FIFAワールドカップでは全試合トップ下でスタメンフル出場。グループリーグ第1戦コートジボワール戦では先制点を決め、日本人のワールドカップ最多得点を記録したがチームは逆転負け。第2戦ギリシャ戦ではチームは引き分けに終わったもののFIFA選定の「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された。第3戦コロンビア戦では、岡崎慎司のゴールをアシストしたが、チームは1-4で敗れグループリーグ最下位での敗退となった。

アジアカップ2015ではグループリーグで3得点(その内2点がPK)を決めるも、PK戦となった準々決勝UAE戦ではPKに失敗。チームも敗れた[43]。同大会グループリーグでのベストイレブンに選出されている[44]

2015年11月17日に行われた2018 FIFAワールドカップのアジア2次予選のカンボジア戦でゴールを決め、日本サッカー史上初のワールドカップ予選5試合連続ゴールを記録[45]。2016年3月24日に行われたアフガニスタン戦は欠場したものの、3月29日に行われたシリア戦で得点を挙げ、ワールドカップ予選6試合連続ゴールを達成した[46]

指導者として[編集]

2012年5月、自身がプロデュースするサッカースクール「SOLTILO FAMILIA」を地元の大阪に開校[47]。同年11月には神戸にも開校している。SOLTILOはスペイン語の「SOL=太陽」と「ESTILO=スタイル」からの造語で、FAMILIAは家族を意味する。

2015年6月9日、自身のマネジメント事務所である『HONDA ESTILO 株式会社』が9日、オーストリア・3部リーグSVホルンの経営に参入することを発表した。8月19日、オーナーを務めるSVホルンSOLTILO FCのユース、ジュニアユースを新設することを発表した[48]

プレースタイル[編集]

ピッチに入る本田

以前は「自分の中の美学はパスだった」と語っており、名古屋時代、シュートへの意識はそれほど高くなかったが、海外移籍後は、ゴール数を残すことがキャリアアップへの近道と考え、どん欲にゴールを目指すスタイルを確立した[49][50]

フリーキックが得意と評されており[51][52]、距離的にはやや離れた位置が得意である[53]

以前は日本代表において守備時の運動量の少なさを指摘されることもあった[54]。また全ての中盤のポジションとウイング、時にはセンターフォワードサイドバックでもプレーし[注釈 2]ユーティリティ性に優れている。

FIFAワールドカップ・南アフリカ大会のパラグアイ戦では、両チームの中で最速の29.43 km/hのランを記録した。この数字は一瞬のもので、どれくらいの時間、持続していたかわからないが、少なくとも鈍足でないと言える[55]

評価[編集]

CSKAモスクワの監督であるレオニード・スルツキーは本田について「本田は最高のテクニックを備えた選手だ。ビッグクラブでも十分にやっていけるだけの強い精神力も持っている。高精度のラストパスに強烈なシュートと、近代サッカーの司令塔に求められる資質をすべて兼ね備えた選手。」などと語っている[56]

2010年のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会敗退直後、アーセナルアーセン・ヴェンゲル監督より「天才」「ここまでのベストプレーヤー」「間違いなくトップレベル」「日本のさらなる成長のためには本田のように能力が揃っているクローン選手を育成するべき、それが無理なら本田をさらに活かすためにビジャのような相棒を探すべき」との絶賛を受けた[57]。FIFAの技術研究グループが作成したW杯南アフリカ大会の報告書では、松井大輔とともにドリブル技術が高いと評価された[58]。10月には世界的なサッカー情報サイト「goal.com」が「アジア人最高のサッカー選手」と称える記事を掲載した[59]

2014年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会では日本国内からはワールドカップ直前のミランでの不調が響いたなどと低調な評価が多く報道されたが[60][61][62]、対照的に海外メディアはコートジボワール戦をイタリアのガゼッタ・デロ・スポルト[63]、フランスではル・モンド[64]レキップ[65]、コロンビア戦をブラジルのプラカール誌、ガゼッタ・エスポルチーバ、ランセ紙[66]、フォーリャ紙[67] など日本メディアとは総じて異なる高評価をしている。グループリーグ終了後に国際サッカー連盟 (FIFA) は、公式分析システムのカストロール・インデックスを使い、出場全選手736人のランキングを10点満点で発表し、本田は8.96点の全体37位及び日本選手では最上位と採点した[68][69][注釈 3]

13-14シーズン途中に移籍したACミランでは、イタリア主要紙コリエーレ・デラ・セラが発表した2013-14シーズンにおけるセリエAワースト25に選出[70]、スポーツメディア「ユーロスポーツイタリア版」が発表した2013-14シーズンにおけるセリエAワースト11に選出[71]、さらに、イタリアのスポーツサイト「sportcafe24.com」が発表した2013-14シーズンにおけるセリエAのワーストMFに選出されてしまうなどイタリアの多くのメディアから酷評され[72]、クラブOBのアレッサンドロ・コスタクルタは「現時点での本田は『ミランの10番』どころか、単に『ミランの一員』としても認めるわけにはいかないレベルにある、と言わざるを得ない。さらに言えば、セリエAでプレーできる水準の選手ではないとさえ僕は思っている」[73]、同OBのパオロ・マルディーニはミランの低迷を踏まえて「その救世主たり得るだけの実力を本田は残念ながら持ち合わせてはいない」[74]、と評された。

しかしOBでミラン監督のフィリッポ・インザーギは14-15シーズン前から「本田は勝利に必要なスピリットを随所で見せられる選手。(イタリアメディアが)本田に対して過小評価の報道をするのに納得できない」と、イタリアで報じられる本田不要説を一蹴[75]。14-15シーズン開幕後、元イタリア代表DFフルヴィオ・コッロヴァーティは「本田には驚いた。異なるサッカーから来た選手だからね。今の彼はマーケティングのためだけに獲得されたのではないということを示している。良いクオリティーを持った選手だ」[76]、 ミランOBのマウリツィオ・ガンツは「本当に素晴らしい活躍を見せている。ミランのクオリティを高めた」[77]、イタリア高級紙コリエーレ・デラ・セラは本田の得点力を「ミランのチェッキーノ(Cecchino:射撃の達人)」という異名をつけ[78]ガゼッタ・デロ・スポルトは「美徳と勇気を備えた男」と[79]、関係者・マスコミが次々と評価を翻している。

日本代表監督として4年間本田を指導していたアルベルト・ザッケローニからは「素晴らしい技術に恵まれた偉大なプロ意識の持ち主だ。彼は日本人選手としては珍しいタイプで、フィジカルが強い。際立ったパーソナリティーがあり、試合の中で多くのボールを必要とする」「彼は少し引っ込み思案なところがあって、たくさん喋るタイプではない。だが、ピッチの上では自分の方法でリーダーになる事を知っているね」と2016年に語られている[80]

人物[編集]

2009年8月21日、練習中

父親は熊本県坂本村の出身[81]。母親は広島の出身[82]。実兄の本田弘幸は元サッカー選手で2005年には大分トリニータ入団が決まっていたがケガのために現役生活を終え、現在は本田の代理人を務めている。

大叔父本田大三郎1964年東京オリンピックカヌー競技のカナディアンペアに出場し、その息子の本田多聞(圭佑の父母の従兄弟、圭佑からみて従兄弟違いになる)はレスリングフリースタイルで3大会連続のオリンピック出場経験を持つ、現役プロレスラー[7]

2008年7月に元保育園勤務の保育士の女性と結婚[83]。2012年秋に第一子となる長男が誕生[84][85]

1999年から2004年に週刊少年サンデーで連載されていたサッカー漫画ファンタジスタ」のファンであり、2009年に作者の草場道輝と対談。これがきっかけで、2012年10月から2015年まで連載されたファンタジスタの続編「ファンタジスタ ステラ」に原案という形で参画し、本人役で登場した[86]

名古屋時代は黒髪だったが、オランダに移籍してからは金髪にしており、現在では本田のトレードマークになっている[87]

プライベートでは、いつも両腕に腕時計をつけている[5]。2011年10月にはイタリアの腕時計メーカー「GaGa MILANO」とスポンサー契約を結んだ[88]。両腕にはめる理由について、2008年に安田理大から尋ねられたときは「誰が時計は片腕って決めたん?」とはぐらかしていたが[5]、2013年(CSKAモスクワ在籍中)にロシア誌『Futbol』のインタビューを受けた際は「僕のスタイルだからだが、別の意味もある。1つはロシア時間、もう1つは日本時間。間違えて夜中に電話やメールをしないように」と答えている[89]。このエピソードは本田の物真似をする芸人のじゅんいちダビッドソンも用いている。

スパイクはミズノ「イグニタス」を使用している[90]。W杯後に本田の活躍によりこのスパイクが急激に売れたとのこと。ちなみに右足は26.5 cm、左足は27cmとサイズが異なるだけでなく、2010年W杯のときは右足のポイントを付け替え式、左足を固定式とするなど、左右非対称の構成を採用している。またメンテナンスは欧州移籍後も古巣・名古屋グランパスの用具担当である松浦紀典に依頼しており、松浦によれば「年間で約10 - 15足ほどを消費する」という[91]

ファッションが、メディアに取り上げられることが多い。2010年の南アフリカワールドカップから帰国した際は、チーム内で唯一のサングラス姿で到着ロビーに現われた[92]

2012年、小学生を対象に始めたサッカースクールは日本国内で65(2016年4月)を数え、日本最大級のサッカースクールを運営する経営者となる。

エピソード[編集]

  • 利き足のみならず、利き手も左。サインも左手で書く。
  • 利き足と生年月日が一緒である家長昭博とはガンバ大阪ジュニアユースの同期生であり、親友として互いに尊重しあう間柄である[93]
  • 中田英寿とは、日本代表のトップ下を務める新旧エースとして比較されることが多い。21歳で欧州リーグへ移籍し活躍していることをはじめ、日本人離れした強靭なフィジカルとメンタリティ、ファッションへの独自の拘りといった共通点が挙げられる。二人は南アフリカW杯の直前に放映された対談で初対面した。中田は本田について「彼は貪欲に上を目指せるタイプで、今後の日本を背負う選手」と期待を寄せている[94]
  • 北京五輪のグループリーグで敗退が決まった後の消化試合では、数名の選手とともに監督・反町康治の指示に造反していたことを明かした[95]
  • VVVフェンローは「本田を放出した際の移籍金の一部を、新スタジアム建設に充てる」と発表した。NHKの取材に対してサポーターたちは「新スタジアムの名前は『ケイスケ・ホンダスタジアム』にすべきだ」「名前がダメならせめて銅像だけでも建てるべき」など、本田の功績と求心力が伺えるコメントを残し、VVVフェンローのハイ・ベルデン会長も「ケイスケのクラブに対する功績は何らかの形で残すつもりだ」と明言した[96]
  • 2ちゃんねるをはじめとしたインターネット掲示板ツイッターmixiニコニコ動画のコメント欄などにおいて本田△(意味:本田三角形→本田さんかっけー→本田さんカッコイイ)というのがネットスラングとして広がっており[97]、2010年度の「新語・流行語大賞」にもノミネートされた[98]
  • 2011年3月、東日本大震災の義援金として日本赤十字社を通じて5000万円を寄付した[99]。また、サッカーボール200個を被災地の子供たちに寄贈した[99]。さらに、「Notice of Honda災害支援基金」を設立して募金を募り、集まった950万円を超える基金を運用し、被災地の宮城県石巻市にフットサル場を建設した[100]
  • 2011年8月に、オランダ2部のVVVフェンローで2009-10シーズンMVPを獲得した活躍を称え、高校時代を過ごした第2の故郷・石川県金沢市内に子供向けの42メートル×28メートルの人工芝コート「本田圭佑クライフコート」が設置された[101]。オランダのNPO法人ヨハン・クライフ財団からフェンローのベルデン会長を通じ、同コートを寄付したい旨の要望が日本サッカー協会に届いた。その後、日本協会が石川県協会、金沢市などの協力を経て実現する運びとなった。
  • カプコンの人気ゲーム『モンスターハンター』シリーズのファンで、総プレイ時間は185時間を越えている。2013年には3DS用ソフト『モンスターハンター4』のCMイメージキャラクターを務めた[102]
  • 小学生の卒業文集に「世界一のサッカー選手になる」「セリエAに入団し10番で活躍する」という将来の夢を書いている[103]。2014年1月、ACミランの入団会見で複数のクラブ[104] からオファーを受ける中、「なぜACミランを選んだのか」との質問に、「心の"リトルホンダ"に聞いたらミランでプレーしたいと言った」と答え[105]、「夢が1つ叶いました」とコメントした[106]
  • 「ミランの経営では良い部分と反面教師にすべき部分を直に見ている。これは今後のビジネスに必ず生きてくる。だから経営者としてもミランでプレーすることは価値がある」と引退後に経営者としてサッカービジネスに携わることを公言している。

サッカースクール[編集]

2012年、小学生を対象に始めたサッカースクールは日本国内で65を数え、中学生を対象としたクラブは関東と関西で合計3、高校生のユースクラブは1と、わずか4年間で日本最大級のサッカースクールを運営する経営者となる(2016年4月)。「才能とは生まれ持ったものではなく、環境によって磨き上げられるもの。大きな夢を持ち、物事がうまくいかなかった時にも心の折れない人材を育成し、才能を開花させるために必要な環境、機会を与える」のがスークールのミッション。一現役選手がこれだけ本格的にスポーツビジネスに参画するのは、本場欧州でも異例。「誰も成しえていないことに挑戦する」という本田の哲学を体現するスクール経営を目指している。

所属クラブ[編集]

ユース経歴

プロ経歴

個人成績[編集]

クラブ[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2004 名古屋 39 J1 0 0 1 0 - 1 0
2005 24 31 2 2 0 2 0 35 2
2006 29 6 4 2 1 0 34 8
2007 30 3 3 0 2 0 35 3
オランダ リーグ戦 リーグ杯 KNVBカップ 期間通算
2007-08 VVV 29 オランダ1部 14 2 - - 14 2
2008-09 10 オランダ2部 36 16 - 1 0 37 16
2009-10 オランダ1部 18 6 - 2 2 20 8
ロシア リーグ戦 ロシア杯 オープン杯 期間通算
2010 CSKAモスクワ 7 ロシア・プレミア 28 4 5 0 - 33 4
2011-12 25 8 1 0 - 26 8
2012-13 23 7 3 1 - 26 8
2013-14 18 1 0 0 - 18 1
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
2013-14 ミラン 10 セリエA 14 1 2 1 - 16 2
2014-15 29 6 1 0 - 30 6
2015-16 30 1 7 1 - 37 2
通算 日本 J1 90 11 10 2 5 0 105 13
オランダ オランダ1部 32 8 - 2 2 34 10
オランダ オランダ2部 36 16 - 1 0 37 16
ロシア ロシア・プレミア 94 20 9 1 - 103 21
イタリア セリエA 73 8 10 2 - 83 10
総通算 325 63 29 5 8 2 362 70
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFA UEFA EL UEFA CL
2009-10 CSKAモスクワ 18 - 4 1
2010-11 7 7 1 -
2011-12 - 1 0
2013-14 - 6 2
通算 UEFA 7 1 11 3
その他の国際公式戦

代表[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

国際Aマッチ 80試合 35得点(2008年- )[2]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2008 1 0
2009 10 3
2010 12 3
2011 8 2
2012 9 4
2013 12 8
2014 13 4
2015 14 10
2016 1 1
通算 80 35

ゴール[編集]

年表[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

オランダの旗 VVVフェンロー
ロシアの旗 PFC CSKAモスクワ

代表[編集]

個人[編集]

出演[編集]

  • 「ファンタジスタ ステラ」草場道輝・著、本田圭佑・原案協力/小学館 (本人役) 2013年

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 2位は名古屋グランパスエイトのGK楢崎正剛で33票、3位はボルシア・ドルトムントのMF香川真司とDF田中マルクス闘莉王(名古屋)が22票[39]
  2. ^ 2006年はチームの事情により、左サイドバックを務めることが多かった。
  3. ^ 日本から100位以内に入ったのは他にMF山口蛍のみで、全体1位はコロンビアMFハメス・ロドリゲスで9.79点を記録した[69]
出典
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]