本田圭佑

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本田 圭佑 Football pictogram.svg
Keisuke Honda Lokomotiv-CSKA 2013 02.jpg
CSKAモスクワでの本田(2013年)
名前
愛称 ケイスケ
カタカナ ホンダ ケイスケ
ラテン文字 HONDA Keisuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1986年6月13日(27歳)
出身地 大阪府摂津市
身長 182cm[1]
体重 74kg[1]
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ACミラン
ポジション MF (OH, SH, CH) / FW (CF, ST)
背番号 10
利き足 左足
ユース
1994-1998 摂津FC
1999-2001 ガンバ大阪ジュニアユース
2002-2004 星稜高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2007 日本の旗 名古屋グランパス 90 (11)
2008-2010 オランダの旗 VVVフェンロー 68 (24)
2010-2013 ロシアの旗 CSKAモスクワ 94 (20)
2014- イタリアの旗 ACミラン 11
代表歴2
2005  日本 U-20 1 (0)
2006-2008  日本 U-23 18 (5)
2008- 日本の旗 日本 53 (20)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年3月30日現在。
2. 2014年3月5日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1986年6月13日 - )は、大阪府摂津市出身のプロサッカー選手セリエAACミラン所属。ポジションミッドフィールダーフォワード日本代表

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

大阪府摂津市出身。両親は本田が小学2年生の春に離婚[2]。幼少時は鳥飼さつき園に通っていた。摂津市立鳥飼北小学校2年時から地元の摂津FCに入団しサッカーを始めた。摂津市立第四中学校に入学。中学時代のあだ名はゴリ(赤いタンクトップにジーパンで腕相撲が強く体が大きかったため)[3]。その後、ガンバ大阪ジュニアユースに所属し家長昭博安田理大東口順昭らと共にプレーしたが[3]、当時からスタミナやスピードには難があり、ユースチームへの昇格内定が出なかったため[4]石川県星稜高校へ進学した[5]。1年時に高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝し、3年時には第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場して、石川県勢として初のベスト4に貢献した[5]。高校では、豊田陽平橋本晃司と共にプレーした。2004年には特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加し、ナビスコカップなどの公式戦にも起用されるなど数試合出場を果たした。同時期に横浜F・マリノスの練習にも参加したが獲得は見送られた[6]

名古屋グランパス[編集]

高校卒業に際して複数のJリーグクラブから勧誘を受け[5]名古屋とプロ契約を結んだ。名古屋加入時の契約では本人の希望により「オファーがあれば海外クラブへの移籍を認める」という条項が盛り込まれていた[7]。開幕戦から先発出場してアシストを決め翌年にはレギュラーに定着した。2005年のFIFAワールドユース選手権・オランダ大会U-20日本代表として招集され、初戦のオランダ戦に守備的な中盤として先発したが[8]、試合は前半にオランダが圧倒、後半は日本もペースをつかむ時間帯を得たが本田は途中交代となった(後半19分、水野晃樹。結果は1-2で敗戦)。この後チームは16強に進出するものの守備的な中盤、梶山陽平の復調もあって出場機会はなかった。2006年にはA代表にも飛び級で初招集されたが出場はなかった。2007年北京オリンピックアジア予選では主力として五輪出場権獲得に貢献した。

VVVフェンロー[編集]

VVVフェンローでの本田

2008年1月、エールディビジ(オランダ1部リーグ)のVVVフェンローへ移籍した。加入会見ではオランダ語で挨拶を行い、その日のうちに昨シーズンまで名古屋の監督を務めていたセフ・フェルホーセン率いるPSVとの試合に出場した。残りのシーズンはレギュラーとして出場したもののクラブは8月にエールステ・ディヴィジ(オランダ2部リーグ)への降格が決定した。8月に出場した北京オリンピックでは、中盤の主力として1次リーグ全3試合に出場して谷口博之や梶山陽平らと共に攻撃を牽引したが3連敗で1次リーグ敗退した。

2008-09シーズンはVVVフェンローに残留した。同シーズンのリーグ戦では、攻撃の軸として開幕から首位を独走するチームの原動力となり、シーズン途中からはフリーキッカーとキャプテンを任された。リーグ戦36試合に出場し16ゴール13アシストを挙げチームの2部リーグ優勝と1部復帰に貢献し2部リーグにおける年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した[9]

CSKAモスクワ[編集]

CSKAモスクワでの本田

2009-10シーズンVVVフェンローで開幕を迎えたが冬の移籍市場で移籍金900万ユーロ(約12億円)[10][11][12]、4年契約でロシア・プレミアリーグCSKAモスクワへの移籍した。

2010年2月24日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのセビージャ戦がCSKAでの初出場となり同時にチャンピオンズリーグ初出場となった。3月12日のリーグ開幕戦であるアムカル戦では、試合終了間際の後半ロスタイムに決勝点を決め、チームのシーズン初勝利に貢献[13]。セビージャとのアウェーでの2ndレグでは、前半39分にCL初のアシストを、後半10分にはゴール約30mの位置から決勝点となる直接FKを決め、CL初得点。2戦合計3-2でCSKAが勝利し、日本人初、クラブ史上初、ロシアリーグ所属チーム史上初となるCLベスト8への原動力となった。この試合ではマンオブザマッチに選ばれ、さらに1stレグ2ndレグ共に欧州の複数のスポーツ紙にてCL週間ベストイレブンに選ばれた[14][15]。リーグ前半終了時点でのロシアスポーツ紙の採点[16]では平均5.96で全選手中10位(1位は6.25)と、VVV時代とは違う不慣れなボランチでの出場が多いながらも高く評価され、シーズン4得点と結果を残し、CSKAモスクワのCL本戦出場権獲得に貢献した。

2011年5月22日に行われたロシア・カップ決勝のアラニア戦では途中出場で決勝点をアシストし、CSKAモスクワの2季ぶり6度目の優勝に貢献した。2011-12シーズンは、主にボランチではなく得意とする右サイドハーフで起用されたことで得点に絡む機会が増え、18試合で前シーズンを上回る7得点を挙げるなど好調を保っていたが、8月28日のスパルタク・モスクワ戦で右膝半月板を損傷し、後日手術を受け、全治には最大3カ月と発表された[17]。11月18日、ルビン・カザン戦で2カ月半ぶりに復帰を果たすも[18]、右膝の故障が再発しまたも戦線離脱となり、CLグループステージは全試合欠場した。2012年1月、イタリア・セリエAの強豪SSラツィオへの移籍が取り沙汰されたが、高額な移籍金がネックとなり移籍は破談となった[19]。2012年2月21日、CL決勝トーナメント1回戦1stレグレアル・マドリード戦で、約3カ月ぶりに公式戦復帰を果たした。しかし、2ndレグは左太ももの負傷で出場できずチームも敗退した。その後4月21日のディナモ・モスクワ戦で復帰、以降出場を続け、最終節ルビン・カザン戦で9カ月ぶりの得点を決めるもチームは敗れ、CL出場権を逃した。

2012-13シーズン、開幕から前半戦18試合で7得点を挙げるなど好調な活躍を見せていたが、2013年2月に左足首の負傷が分かりチームを離脱。以後、長期に渡り治療を余儀なくされ、3月のW杯アジア最終予選ヨルダン戦も欠場したが、4月21日のスパルタク・モスクワ戦で約4カ月半ぶりに実戦復帰を果たした。同シーズン、CSKAモスクワは6シーズンぶりのリーグ優勝を達成し、自身にとっても初の欧州一部リーグでの優勝となった。

2013-14シーズン初戦となったロシア・スーパーカップ・ゼニト戦では、2得点を挙げる活躍でCSKAモスクワのスーパーカップ制覇に貢献した。2013年12月、契約満了でCSKAモスクワを退団。

ACミラン[編集]

2013年12月11日、イタリアセリエAACミランへの完全移籍が正式発表された[20]。契約期間は3年半、FW登録で背番号は自ら希望した「10番」に決まった。2014年1月12日、セリエA第19節サッスオーロ戦で途中出場しセリエAデビューを果たした[21]。1月16日、初の先発出場となったコッパ・イタリア5回戦スペツィア(セリエB)戦で、移籍後初得点を決めた。4月7日、セリエA出場12試合目となるアウェーのジェノア戦で、リーグ戦初得点を決めた。

日本代表[編集]

2008年6月に開催されたFIFAワールドカップ・アジア3次予選の対バーレーン戦でA代表デビュー。2009年5月27日キリンカップの対チリ戦でA代表初得点を記録。

2010年6月に開催されたFIFAワールドカップ・南アフリカ大会では4試合にフル出場。大会直前にそれまで経験のないセンターフォワードのポジション(0トップ)に抜擢、グループリーグ初戦のカメルーン戦では決勝点をあげFIFA選定の「マン・オブ・ザ・マッチ(その試合での最優秀選手)」に選出された[22]。第3戦のデンマーク戦にて直接フリーキックで先制点を挙げ、岡崎慎司へのアシストも記録し日本代表の決勝トーナメント進出に貢献、この試合でも「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された[23]。 決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦では強烈なミドルシュートを放つなど強い印象を残したが、PK戦の末日本代表は敗れ(記録上は引き分け)た。しかし敗戦チームからは異例の今大会3度目となる「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された[24]。後に公表されたFIFAの技術研究グループが作成したW杯南アフリカ大会の報告書では、松井大輔と共にドリブル技術が高いと評価された[25]

2011年1月にカタールで開催されたアジアカップではグループリーグ第3戦のサウジアラビア戦を除く5試合にフル出場。グループリーグ第2戦のシリア戦ではPKで日本代表の通算1000点目となる勝ち越し点を決めた。準決勝の韓国戦でも全2得点に繋がるプレーを見せ、この2試合で「マン・オブ・ザ・マッチ」に選ばれた。準々決勝のカタール戦での2得点に繋がる縦パスを含め、出場した試合で日本代表が挙げた全9得点中6得点に絡む活躍で日本代表の2大会ぶりのアジア制覇に貢献し、同大会の最優秀選手(MVP)に選出された[26]

同年2月7日、全国のサッカー担当記者の投票による2010年度のフットボーラー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)に初選出。[27](50年の歴史がある賞だが海外のクラブでプレーする選手がこの賞を受賞するのは初)。3月29日に開催されたチャリティーマッチ「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」では、1点目のきっかけとなったフリーキックを獲得し岡崎の2点目をアシストする活躍を見せた。

2012年6月8日、2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選ヨルダン戦で自身A代表初のハットトリックを達成[28]。本田のハットトリックは高校時代以来でプロ入り以降は初めてであり[29]、またワールドカップ予選における日本人選手のハットトリックは、97年フランス大会予選の三浦知良以来15年ぶりの記録となった[29]。2013年の6月4日のオーストラリア戦では後半終了間際にPKを決め、ブラジルワールドカップ出場を決めた[30]。2013年は、12試合で8ゴールを上げる活躍で、その年のチーム得点王となった。

選手としての特徴[編集]

概要[編集]

ピッチに入る本田

高いテクニックと強靭なフィジカル、優れた得点力を備えたトップ下。ボールキープやパス能力に優れ、左足から放たれる強烈なシュートで積極的にゴールを狙う。以前は「自分の中の美学はパスだった」と語っており、名古屋時代、シュートへの意識はそれほど高くなかったが、海外移籍後は、ゴール数を残すことがキャリアアップへの近道と考え、どん欲にゴールを目指すスタイルを確立した。日本人としては珍しく屈強なフィジカルを持ち、外国人選手との一対一でも当たり負けすることは少なく、本人は「基本的に小さい頃からサッカーは倒れたら負けというつもりでやってきた」と語っている。またフリーキックの精度が高く、無回転とカーブする球を蹴り分けることができる[31][32][33]

運動量も豊富で、CSKAモスクワでは、チーム内で1位2位を争うほどの走行距離であり、FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では4試合390分で45.48kmとトップの遠藤保仁に次ぐ数値を記録している[34]。以前は日本代表において守備時の運動量の少なさを指摘されることもあった[35]。また全ての中盤のポジションとウイング、時にはセンターフォワードサイドバック[36]も務めユーティリティ性に優れている。

FIFAワールドカップ・南アフリカ大会のパラグアイ戦では、両チームの中で最速の29.43km/hのランを記録した。この数字は一瞬のもので、どれくらいの時間、持続していたかわからないが、少なくとも鈍足でないと言える[37]

評価[編集]

2010年のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会敗退直後、アーセナルアーセン・ヴェンゲル監督より「天才」「ここまでのベストプレーヤー」「間違いなくトップレベル」「日本のさらなる成長の為には本田のように能力が揃っているクローン選手を育成するべき、それが無理なら本田をさらに活かす為にビジャのような相棒を探すべき」との絶賛を受けた[38]。 10月には世界的なサッカー情報サイト「goal.com」が「アジア人最高のサッカー選手」と称える記事を掲載した[39]

人物[編集]

実兄で現在は本田の代理人を務める本田弘幸も元サッカー選手で、2005年には大分トリニータ入団が決まっていたが怪我の為に現役生活を終えた。1964年東京オリンピックカヌー競技のカナディアンペアに出場した本田大三郎は大叔父であり、その息子でレスリングのフリースタイルで3大会連続のオリンピック出場経験を持つプロレスラー本田多聞は従兄弟違い(父母の従兄弟)になる[5]。母親は広島の出身[40]

2008年7月に元保育園勤務の保育士の女性と結婚[41]。2012年秋に第一子となる長男が誕生[42][43]

名古屋時代は黒髪だったが、オランダに移籍してからは金髪にしており、現在では本田のトレードマークになっている[44]

プライベートでは、いつも両腕に腕時計をつけている[3]。2011年10月にはイタリアの腕時計メーカー「GaGa MILANO」とスポンサー契約を結んだ[45]。両腕にはめる理由について、2008年に安田理大から尋ねられた時は「誰が時計は片腕って決めたん?」とはぐらかしていたが[3]、2013年(CSKAモスクワ在籍中)にロシア誌『Futbol』のインタビューを受けた際は「僕のスタイルだからだが、別の意味もある。1つはロシア時間、もう1つは日本時間。間違えて夜中に電話やメールをしないように」と答えている[46]

スパイクはミズノ「イグニタス」を使用している[47]。W杯後に本田の活躍によりこのスパイクが急激に売れたとのこと。ちなみに右足は26.5cm、左足は27cmとサイズが異なるだけでなく、2010年W杯の時は右足のポイントを付け替え式、左足を固定式とするなど、左右非対称の構成を採用している。またメンテナンスは欧州移籍後も古巣・名古屋グランパスの用具担当である松浦紀典に依頼しており、松浦によれば「年間で約10 - 15足ほどを消費する」という[48]

ファッションが、メディアに取り上げられることが多い。2010年の南アフリカワールドカップから帰国した際は、チーム内で唯一のサングラス姿で到着ロビーに現われた[49]

エピソード[編集]

  • 利き足と生年月日が一緒である家長昭博とはガンバ大阪ジュニアユースの同期生であり、親友として互いに尊重しあう間柄である[50]
  • 中田英寿とは、日本代表のトップ下を務める新旧エースとして比較されることが多い。21歳で欧州リーグへ移籍し活躍していることをはじめ、日本人離れした強靭なフィジカルとメンタリティ、ファッションへの独自の拘りといった共通点が挙げられる。二人は南アフリカW杯の直前に放映された対談で初対面した。中田は本田について「彼は貪欲に上を目指せるタイプで、今後の日本を背負う選手」と期待を寄せている[51]
  • 北京五輪のグループリーグで敗退が決まった後の消化試合では、数名の選手と共に監督・反町康治の指示に造反していた事を明かした[52]。そのような背景にはサッカーに対する非常に高い向上心があり、これまでのインタビューでも、ガンバ大阪ユースに昇格出来なかった時の悔しさや、学生時代から常に世界で活躍するプロサッカー選手を見据えていたことなどを度々語っている。
  • VVVフェンローは「本田を放出した際の移籍金の一部を、新スタジアム建設に充てる」と発表した。NHKの取材に対してサポーターたちは「新スタジアムの名前は『ケイスケ・ホンダスタジアム』にすべきだ」「名前がダメならせめて銅像だけでも建てるべき」など、本田の功績と求心力が伺えるコメントを残し、VVVフェンローのハイ・ベルデン会長も「ケイスケのクラブに対する功績は何らかの形で残すつもりだ」と明言した[53]
  • 2ちゃんねるをはじめとしたインターネット掲示板ツイッターmixiYouTubeのコメント欄などにおいて本田△(意味:本田三角形→本田さんかっけー→本田さんカッコイイ)というのがネットスラングとして広がっており[54]、2010年度の「新語・流行語大賞」にもノミネートされた[55]
  • 2011年3月、東日本大震災の義援金として日本赤十字社を通じて5000万円を寄付した[56]。また、サッカーボール200個を被災地の子供たちに寄贈した[56]。さらに、「Notice of Honda災害支援基金」を設立して募金を募り、集まった950万円を超える基金を運用し、被災地の宮城県石巻市にフットサル場を建設した[56]
  • 2011年8月に、オランダ2部のVVVフェンローで2009-10シーズンMVPを獲得した活躍を称え、高校時代を過ごした第2の故郷・石川県金沢市内に子供向けの42メートル×28メートルの人工芝コート「本田圭佑クライフコート」が設置された[57]。 オランダのNPO法人ヨハン・クライフ財団からフェンローのベルデン会長を通じ、同コートを寄付したい旨の要望が日本サッカー協会に届いた。その後、日本協会が石川県協会、金沢市などの協力を経て実現する運びとなった。
  • 2012年5月、自身がプロデュースするサッカースクール「SOLTILO FAMILIA」を地元の大阪に開校[58]。同年11月には神戸にも開校している。SOLTILOはスペイン語の「SOL=太陽」と「ESTILO=スタイル」からの造語で、FAMILIAは家族を意味する。
  • 1999年から2004年に週刊少年サンデーで連載されていたサッカー漫画ファンタジスタ」のファンであり、2009年に作者の草場道輝と対談。これがきっかけで、2012年10月から連載されているファンタジスタの続編「ファンタジスタ ステラ」に原案という形で参画し、本人役で登場している[59]
  • カプコンの人気ゲーム『モンスターハンター』シリーズのファンで、総プレイ時間は185時間を越えている。2013年には3DS用ソフト『モンスターハンター4』のCMイメージキャラクターを務めた[60]
  • 小学生の卒業文集に「世界一のサッカー選手になる」「セリエAに入団し10番で活躍する」という将来の夢を書いている[61]。2014年1月、ACミランの入団会見で複数のクラブ[62]からオファーを受ける中、「なぜACミランを選んだのか」との質問に、「心の"リトルホンダ"に聞いたらミランでプレーしたいと言った」と答え[63]、「夢が1つ叶いました」とコメントした[64]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2004 名古屋 39 J1 0 0 1 0 - 1 0
2005 24 31 2 2 0 2 0 35 2
2006 29 6 4 2 1 0 34 8
2007 30 3 3 0 2 0 35 3
オランダ リーグ戦 リーグ杯 KNVBカップ 期間通算
2007-08 VVV 29 オランダ1部 14 2 - - 14 2
2008-09 10 オランダ2部 36 16 - 1 0 37 16
2009-10 オランダ1部 18 6 - 2 2 20 8
ロシア リーグ戦 ロシア杯 オープン杯 期間通算
2010 CSKAモスクワ 7 ロシア・プレミア 28 4 5 0 - 33 4
2011-12 25 8 1 0 - 26 8
2012-13 23 7 3 1 - 26 8
2013-14 18 1 0 0 - 18 1
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
2013-14 ミラン 10 セリエA
通算 日本 J1 90 11 10 2 5 0 105 13
オランダ オランダ1部 32 8 - 2 2 34 10
オランダ オランダ2部 36 16 - 1 0 37 16
ロシア ロシア・プレミア 94 20 9 1 - 103 21
イタリア セリエA -
総通算 252 55 19 3 8 2 279 60
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFA UEFA EL UEFA CL
2009-10 CSKAモスクワ 18 - 4 1
2010-11 7 7 1 -
2011-12 - 1 0
2013-14 - 6 2
通算 UEFA 7 1 11 3
その他の国際公式戦

年表[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

オランダの旗 VVVフェンロー
ロシアの旗 PFC CSKAモスクワ

代表[編集]

個人[編集]

代表歴[編集]

2009年8月21日、練習中

出場大会[編集]

試合数[編集]

国際Aマッチ 53試合 20得点(2008年- )


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2008 1 0
2009 10 3
2010 12 3
2011 8 2
2012 9 4
2013 12 8
2014 1 0
通算 53 20

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2009年5月27日 日本、大阪 チリの旗 チリ ○4-0 キリンカップサッカー2009
2. 2009年10月10日 日本、横浜 スコットランドの旗 スコットランド ○2-0 キリンチャレンジカップ2009
3. 2009年10月14日 日本、宮城 トーゴの旗 トーゴ ○5-0
4. 2010年3月3日 日本、豊田 バーレーンの旗 バーレーン ○2-0 AFCアジアカップ2011 予選
5. 2010年6月14日 南アフリカ、ブルームフォンテーン カメルーンの旗 カメルーン ○1-0 2010 FIFAワールドカップ
6. 2010年6月24日 南アフリカ、ルステンブルク デンマークの旗 デンマーク ○3-1
7. 2011年1月13日 カタール、ドーハ シリアの旗 シリア ○2-1 AFCアジアカップ2011
8. 2011年8月10日 日本、札幌 韓国の旗 韓国 ○3-0 キリンチャレンジカップ2011
9. 2012年6月3日 日本、埼玉 オマーンの旗 オマーン ○3-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
10. 2012年6月8日 日本、埼玉 ヨルダンの旗 ヨルダン ○6-0
11.
12.
13. 2013年2月6日 日本、神戸 ラトビアの旗 ラトビア ○3-0 キリンチャレンジカップ2013
14. 2013年6月4日 日本、埼玉 オーストラリアの旗 オーストラリア △1-1 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
15. 2013年6月19日 ブラジルレシフェ イタリアの旗 イタリア ●3-4 FIFAコンフェデレーションズカップ2013
16. 2013年8月15日 日本、宮城 ウルグアイの旗 ウルグアイ ●2-4 キリンチャレンジカップ2013
17. 2013年9月6日 日本、大阪 グアテマラの旗 グアテマラ ○3-0
18. 2013年9月10日 日本、横浜 ガーナの旗 ガーナ ○3-1
19. 2013年11月16日 ベルギーヘンク オランダの旗 オランダ △2-2 国際親善試合
20. 2013年11月19日 ベルギー、ブリュッセル ベルギーの旗 ベルギー ○3-2 国際親善試合

出演[編集]

CM
  • TBC 「メンズエステティック MEN'S TBC」
  • 日本コカ・コーラ株式会社アクエリアス「僕にはできる。」キャンペーン」
    • 『ボディスキャン』篇(2010年)
    • 『アクエリアス スパークリング「REFRESH」』篇(2010年)
    • 『ストリートフリーキック』篇(2010年)
    • 『アンセム』篇(2010年)
    • 『チェーンリアクション』篇(2011年)
    • 『Three Kings』篇(2011年)
    • 『スパークリングレモン 本田圭佑』篇(2012年)
    • 『W Honda』篇 FIFA ワールドカップ 公式スポーツ飲料「アクエリアス」 (2014年)
  • ユニクロ 「フリース」
    • 『本田圭佑』篇(2010年)
  • 現代自動車(2010年)
  • アサヒフードアンドヘルスケアミンティア
    • 『俺の登場』編(2012年)
    • 『俺のキャンペーン』編(2012年)
  • NTTドコモdocomo LTE Xi」(2013年)
  • カプコンモンスターハンター4」(2013年)
  • 日本マクドナルド Quarter Pounder ”BITE!”
    • クォーターパウンダー「生きざま・BLT篇」(2013年)
    • クォーターパウンダー「生きざま・ハバネロトマト篇」(2013年)他、同CMメイキング
  • Gaga Milano 「KEISUKE HONDA Photo shooting」(2013年)

脚注[編集]

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  1. ^ a b 本田圭佑オフィシャルWEBサイト - Profile
  2. ^ 本田圭佑スペシャルインタビュー「僕は世界一になれると確信している」”. サッカーキング (2012年9月12日). 2013年6月4日閲覧。
  3. ^ a b c d 安田理大 (2008年6月19日). “本田圭佑という男。”. 安田理大公式ブログ. 2008年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月5日閲覧。
  4. ^ 「『見る眼がない』と散々に言われた」。当時の育成担当者語る、本田圭佑がガンバユースに上がれなかった理由”. フットボールチャンネル (2014年1月15日). 2014年1月17日閲覧。
  5. ^ a b c d “一人立つ、夢への舞台 サッカー・本田圭佑さん”. 朝日新聞. (2008年7月14日). http://www2.asahi.com/olympic2008/column/TKY200807070134.html 2013年6月5日閲覧。 
  6. ^ “「得点に絡むプレーを」本田に切り札の期待”. サンケイスポーツ. (2010年5月10日). http://www.sanspo.com/worldcup2010/news/100510/wca1005101946036-n1.htm 2013年6月5日閲覧。 
  7. ^ 2010年6月16日付中日スポーツ紙面
  8. ^ 元川悦子 (2005年6月11日). “次につながる死闘を演じた大熊ジャパン(1/2)ワールドユース現地リポート”. スポーツナビ. 2013年6月5日閲覧。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]