自由民主党 (日本)
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自由民主党
Liberal Democratic Party (LDP)自由民主党本部 |
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|---|---|
| 総裁 | 麻生太郎 |
| 幹事長 | 細田博之 |
| 参議院議員総会長 | 尾辻秀久 |
| 成立年月日 | 1955年11月15日 |
| 本部所在地 |
〒100-0014
東京都千代田区永田町一丁目11番23号 |
| 衆議院(下院) |
304 / 480 (63%)
(2009年6月) |
| 参議院(上院) |
82 / 242 (34%)
(2009年6月) |
| 党員・党友数 |
1,210,323(党員のみ、党友は含まない)
(2006年政治資金収支報告書) |
| 政治的思想・立場 | 保守 中道右派 自由主義 |
| 機関紙 | 自由民主 |
| 政党交付金 |
約157億3,300万 円
(2009年度予算) |
| 公式サイト | 自由民主党 |
| シンボル | 太陽を仰ぐ二人の子ども ロゴマーク |
| 国際組織 | 未加盟 (かつては国際民主同盟に所属) |
| 党を後援する私企業や団体の集団入党も多い。 | |
自由民主党(じゆうみんしゅとう、略称:自民党、自民、Liberal Democratic Party、LDP)は、日本の政党。
2009年4月1日現在、麻生太郎内閣の与党であり、衆議院では第1会派、参議院では民主党に次ぐ第2会派を形成している。
鳩山由紀夫らによる民主党や小沢一郎による自由党の登場後は、「自由民主党」の正式名を使うと混同される恐れがあるため、「自民党」または「自民」の略称を使う頻度が増えている。機関紙も、それまでの『自由新報』から『自由民主』に改題した。
「太陽を仰ぐ二人の子ども」を広報宣伝用のシンボルマークに用いているが、正式な党章は紫地に白線で「14枚花弁菊紋の中央に「自民」のモノグラム」が入るものである。
目次 |
[編集] 概要
1955年、自由党と日本民主党が合併して成立。戦前の二大政党の一つである立憲政友会の流れを汲み、戦後の一時期を除いて結党以来ほぼ一貫して議会で多数を占め、政権与党の立場にある。日本国憲法の(復古的)改正を目指す政党として結成した。
結成直前の1954年から1964年まで、アメリカ合衆国(米国)政府の反共政策に基づいてアメリカ中央情報局 (CIA) の支援を受けていた[1][2]。また、政治評論家の森田実によると、現在においてもCIAの影響下にあると指摘されている[3]。
政治学者の北岡伸一の著書『自民党 政権党の38年』(読売新聞社、1995年11月)によると、政党発足当初は吉田派・反吉田派、党人派・官僚派、戦前派・戦後派など複雑な対立要素が絡んでいたため、“保守合同”の立役者となった三木武吉は「10年も一党体制を維持できればマシな方だろう」という程度の認識だったという。
かつては、地方の建設業界に対して一定の公共事業を発注するなど特定利権は生じるものの、「富の再分配政策」を行って地方の経済を回していくことを重視し、「一億総中流」を唱えるなど平等を重視する保守左派の保守本流派が主流であり、農山漁村や地方小都市など地方を支持基盤としてきた。一方、新住民層が多い大都市やそのベッドタウンでは日本社会党(社会党。党名は当時)や日本共産党(共産党)と票の奪い合いが続いていた。
しかし、1988年のリクルート事件や1992年の東京佐川急便事件により国民の政治不信が頂点に達し、自由民主党単独の長期連続政権による金権体質が度々指摘されるようになった。この流れを受けて、宮沢内閣の政治改革関連法案に反対した自由民主党議員が大量に離党、結果として1955年(昭和30年)の保守合同以来の自由民主党単独の長期連続政権(55年体制)に終止符が打たれた。
また、1990年代に入るとバブル経済が崩壊する。冷戦が終結しグローバル化が急速に進展したことにより、従来型の官僚主導による利益分配的な政治手法が機能しなくなり、主要銀行も巨額の不良債権を抱えるようになった。これにより銀行による貸し渋りや貸しはがしもおこり、企業倒産が相次ぐ。しかしながら経済政策を劇的に転換することことができず、経済成長効果のあまりなかったとされる公共事業を軸とした膨大な財政出動により国と地方も莫大な財政赤字を抱えるようになり、経済政策の転換を迫られることになった。
そうした時代的要請から2001年自由民主党の従来の政治手法を転換し、公共事業の削減などにより政府の財政出動を抑制し、中央政府の権限を民間企業や地方自治体に委譲すべきであると唱えた小泉純一郎が総裁として選出される。
小泉内閣は聖域なき構造改革を主張し旧来の地方への利益分配により政党の支持基盤を磐石なものとしてきた政策を転換した。またバブル崩壊後の金融業の最大の問題となっていた不良債権問題を解決するため、竹中平蔵を金融担当大臣に任命し銀行にたいして不良債権の厳しい査定を課し、金融危機収束の道筋をつけた。小さな政府路線を主張した小泉は、自身の最重要公約に、郵政事業の民営化を掲げた。2005年8月の通常国会で、郵政民営化法案が参議院で否決されると、衆議院を直ちに解散し、郵政民営化の是非を問う総選挙が行われる。この選挙に勝利し歴史的圧勝をおさめた(郵政選挙、小泉劇場)。郵政民営化法案は可決され、郵政事業は民営化された。
2005年の郵政選挙で保守派の議員が郵政民営化法案に反対票を投じたため党を除名されたり、落選したことで、党内保守派および保守系の議員連盟が大きな打撃を受けた結果、「自由民主党が保守政党でなくなっていく」可能性も指摘されている[4]。
小泉政権以降の政権は、小さな政府路線を目指す構造改革の負の部分に苦しむことになる。2007年、後任の安倍内閣は、公共事業によって成り立ってきた地方の反発を招き、本来地盤であった地方の自由民主党離れが進んだ。加えて、5000万件にもなる年金記録問題や閣僚のスキャンダルも続き、参議院選挙では民主党に惨敗し、結党以来初めて参議院で第1党から転落した。これにより、衆議院と参議院の多数派が異なる政党となり、与野党の対立が激化し、政策を決定し、実行するスピードが遅くなる。これにより首相の指導力も著しく低下し、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と総理総裁が毎年のように変わるようになる。
2008年9月に誕生した麻生内閣も経済危機下の経済政策の迷走や閣僚である中川昭一の国際舞台での酩酊疑惑、自身の失言、日本郵政社長の再任容認(鳩山邦夫総務相の更迭)、総選挙の先延ばし[5]などにより2割程度の支持率となっている。様々な世論調査(各報道機関により数字には大きな隔たりはあるが)によると与党自由民主党と野党民主党の支持率の逆転が多く見受けられる。
更に、公明党とその支持母体である宗教法人創価学会の選挙協力による組織的動員(F取り)なしには選挙戦を戦えない不安定な状態になっていると指摘されている。実際、自民民主党幹部が2008年8月に行った調査によると、創価学会と公明党の支援無しで自由民主党が総選挙に臨んだ場合、100未満の議席しか獲得できないという[6]。
2009年6月には、元たけし軍団の東国原英夫(旧そのまんま東)・宮崎県知事に次期衆院選への立候補を依頼するも、知事側から「東国原を次の総裁候補として衆院選を戦うこと」と「全国知事会の要請を党のマニフェストに全て盛り込むこと」の二つを、立候補の条件として逆に示された[7]。
[編集] 略史
- 1955年
- 1976年
- 1979年
- 10月7日 - 第35回衆議院議員総選挙で再び公認候補の当選者数が衆議院での過半数を割り(前回同様、保守系無所属議員の追加公認で過半数を確保)、四十日抗争へ。
- 1980年
- 1983年
- 12月18日 - 第37回衆議院議員総選挙で再び公認候補の当選者数が衆議院での過半数を割る(これまで同様、保守系無所属議員の追加公認で過半数を確保)。同月27日、新自由クラブと連立政権(第2次中曽根康弘内閣)。
- 1984年
- 9月19日 - 自由民主党本部放火襲撃事件。本部ビルの一部が焼失。
- 1989年
- 7月23日 - 第15回参議院議員通常選挙で日本社会党に大敗、初めて追加公認を合わせても参議院での過半数を失う。
- 1993年
- 1994年
- 1996年
- 1月11日 - 約2年半ぶりに自民党出身の内閣総理大臣(第1次橋本龍太郎内閣)。
- 1997年
- 1999年
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 7月29日 - 第21回参議院議員通常選挙で野党第1党である民主党に大敗。結党以来初めて参議院で第1党から転落。
[編集] 政策
- 経済政策は特に1990年代以降、政府の市場介入をできるだけ少なくする新保守主義・新自由主義的政策を取っている。
- 外交安全保障政策は日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約即ち日米同盟堅持を機軸とし、自由民主主義体制の国々との関係を重視している(価値観外交)。
- 2005年11月22日の党大会で新理念と新綱領を発表した[20]。綱領では新憲法制定(復古的改憲論・押し付け憲法論を唱える)、質の高い教育(日本教職員組合を敵視)、小さな政府、持続可能な社会保障制度、治安の安定、食糧・エネルギーの安定的確保、国際競争力の強化、循環型社会、男女が支え合う社会(ジェンダー是認と純潔教育推進)、生きがいとうるおいのある生活の実現を掲げている。
[編集] 組織
[編集] 党員
入党には党員の紹介が必要である。2007年末における党員数は1,102,460人。ピーク時の1991年には547万人いた。党費は年に4,000円。党員になれば、総裁選挙で投票することができる。一般党員と家族党員と特別党員という3種類の党員制度となっている。
[編集] 本部
国会議事堂の北西すぐに党本部がある。財団法人自由民主会館が所有する9階建てのビルで、「自由民主会館」という。その土地は国有地を借りたものである。延べ床面積は約1万5600平方メートルで大規模な本部ビル[21]ではあるが、約1万6000平方メートルある日本共産党本部の方が大きく、日本最大ではない[22]。
[編集] 地方組織
自民党は選挙区あるいは市区町村ごとに支部を擁しており、都道府県ごとに支部の連合会を設置している。この連合会のことを県連(けんれん)と略しており、正式には「自由民主党○○県支部連合会」という。東京都、大阪府、京都府、北海道においてはそれぞれ都連(とれん)、府連(ふれん)、道連(どうれん)になる。
[編集] 執行部役員表
麻生内閣:2008年(平成20年)9月24日発足後、2009年(平成21年)2月12日時点
詳しくは自由民主党 役員表や、幹事長、政策部会、自由民主党総務会、国会対策委員会を参照すること。 総裁12
- 麻生太郎(無派閥)
幹事長12
- 幹事長代理
総務会長12
- 総務会長代理
-
- 船田元(津島派)
政務調査会長12
- 保利耕輔(無派閥)
- 政務調査会長代理
選挙対策委員長12
- 古賀誠(古賀派)
- 選挙対策副委員長
国会対策委員長
- 国会対策筆頭副委員長
-
- 村田吉隆(古賀派)
衆議院議員総会長
- 島村宜伸(無派閥)
- 参議院自由民主党
参議院議員総会長1
- 尾辻秀久(津島派)
幹事長1
- 谷川秀善(町村派)
政策審議会長
- 吉村剛太郎(津島派)
国会対策委員長
- 鈴木政二(町村派)
- 役員会参加者。
- 総裁は派閥を正式に退会、党四役は形式的に派閥を離脱。
[編集] 歴代の執行部役員表
「自由民主党執行部」を参照
[編集] 自由民主党の政権ポスト
- 国務大臣
- 副大臣
- 大臣政務官
- 内閣府大臣政務官:宇野治、松浪健太(伊吹派)、並木正芳(町村派)
- 総務大臣政務官:坂本哲志(山崎派)、鈴木淳司(町村派)、中村博彦(参議院)
- 法務大臣政務官:早川忠孝(町村派)
- 外務大臣政務官:柴山昌彦、西村康稔(町村派)、御法川信英(無派閥)
- 財務大臣政務官:三ツ矢憲生(古賀派)、末松信介(参議院)
- 文部科学大臣政務官:萩生田光一(町村派)
- 厚生労働大臣政務官:金子善次郎(二階派)
- 農林水産大臣政務官:江藤拓(伊吹派)、野村哲郎(参議院)
- 経済産業大臣政務官:松村祥史(参議院)
- 国土交通大臣政務官:西銘恒三郎(津島派)、岡田直樹(参議院)
- 環境大臣政務官:古川禎久(山崎派)
- 防衛大臣政務官:武田良太(山崎派)、岸信夫(参議院)
[編集] 所属国会議員
「自由民主党国会議員一覧」を参照
[編集] 参議院自由民主党
参議院自由民主党は各種業界・団体代表者の割合が高い。1989年の第15回参議院議員通常選挙で大敗、過半数割れした結果、歴代の自民党政権・執行部は参院対策に重点を置いてきた。参院自民党の執行部人事は総裁の専権事項ではなく、また閣僚人事も派閥領袖より参院議員会長・参院幹事長の意向が優先される参議院枠が存在する、派閥に対する帰属が衆院に比べて弱い。
[編集] 派閥
詳細は「自由民主党の派閥」を参照
以下は現状の派閥構成人数。
| 町村派 | 津島派 | 古賀派 | 山崎派 | 伊吹派 | 高村派 | 二階派 | 麻生派 | 無派閥 | 計 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 衆議院 | 62 | 45 | 51 | 38 | 20 | 14 | 14 | 17 | 43 | 304 |
| 参議院 | 27 | 23 | 9 | 3 | 6 | 2 | 2 | 4※ | 6 | 82 |
| 計 | 89 | 68 | 60 | 41 | 26 | 16 | 16 | 21 | 49 | 386 |
[編集] 支持組織
[編集] 党友組織
[編集] 政治資金団体
[編集] 友好団体
「自由民主党の友好団体」を参照
[編集] 事実上の支援団体
| カテゴリー | 団体 |
|---|---|
| 財界団体 | ・日本経済団体連合会(日本経団連)・日本商工会議所(日商)・経済同友会 有力企業・経営者は基本的に自民党支援であり、「民主主義維持のためのコスト」として国民政治協会への政治献金も強く求められている。「経済同友会」と、日本経団連の前身の一つである「日本経営者団体連盟」(日経連)は、かつて保守合同を強力に促したことでも知られる。ただし、1993年の非自民による細川政権成立後は、「日本経団連」は公式には必ずしも自民支持ではなかった。しかし、2005年の第44回衆議院議員総選挙では、奥田碩会長は自民党単独支持を表明した(より正確には、奥田個人の発言という形を取り経団連としての支持表明ではなかったが、事実上そのように報道された。実際に、奥田会長のトヨタ自動車を始めとして、経団連の主要な企業の多くが自民党を支援した)。 近年は、郵政民営化や日本道路公団民営化、労働者派遣法の規制緩和、官民競争入札制度の導入、ホワイトカラーエグゼンプションなど経団連が支持する新自由主義経済政策が積極的に導入・議論されるなど、自民党と経団連の協力関係は一層に強化されており、高齢化等が進んで組織力を低下させている支持団体は自民党によって切り捨てられているとされる。 |
| 業界団体 |
・大樹全国会議 |
| 宗教団体 | ・創価学会(連立相手の公明党の支持母体) 1999年以降公明党が連立政権に参画し、公明党の支持母体である創価学会と衆院小選挙区・参院比例区を中心に選挙協力が進められている。 |
| 政治思想系 | ・日本会議 結成当時より党是は改憲であり、「GHQによる押しつけ憲法の廃止 - 自主憲法の制定」を唱え、また党綱領にもその旨定めている(→押し付け憲法論)。 |
[編集] 一般支持者
前述されたように自民党は財界や保守層からの支持が根強い。小泉純一郎政権時は、マスコミ報道を利用した「劇場型政治」や「ワンフレーズポリティクス」などと評され、従来の自民党支持層とは異なる都市部無党派層・政治に関心がない層からも幅広い支持を集めた。第44回衆議院議員総選挙からは党広報担当の世耕弘成が民間企業の広告代理店と協力しながら、より戦略的なメディア対策がなされるようになった。このような政治手法に対しては、敵対勢力からはポピュリズム政治であるとの評価がしばしばなされる。
[編集] 近年の動向
自民党は都市部と過疎地の経済的格差の是正を重視する政策を田中角栄内閣以来踏襲してきた。そのため農山漁村や地方小都市からの支持が根強かった。しかし近年のそうした政策が行き詰まり、より自由競争による経済効率を重視する政策へと転換を図ってきた。これにより公共事業の削減を進めてきたため、公共事業に大きく依存する経済構造であった農山漁村や地方小都市からの支持を失いつつある。したがって地方組織は弱体化しつつあり、党員数も減少傾向にある。また以前は大都市での支持が比較的高かった民主党が地方で議席を伸ばしたり健闘することが多くなってきている。 組織が崩壊傾向にあることもあって、近年は連立相手である公明党及びその支持母体創価学会への依存が高まりつつあるが、一方で従来自民党を支持していた宗教組織(立正佼成会等)の離反を招いているともされる。
[編集] 対外関係
[編集] 米国
党結成以来、日米同盟(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づく両国関係)を最重視している。
[編集] 韓国
日韓議員連盟に237名の議員が参加し、森喜朗元首相が現在も会長を務めるなど関係を重視している。
[編集] 中国
日中友好議員連盟には多数の議員が所属し、高村正彦衆院議員が会長、町村信孝が副会長を務める。また、北京オリンピックを支援する議員の会の河野洋平会長など100人以上の議員が参加している。なお日中緑化推進議員連盟には二階俊博らが所属している。
2007年夏の参院選後に、森喜朗元首相、古賀誠元幹事長・二階俊博国対委員長らが新たな日中友好議員連盟の結成を予定していると報じられた。2007年7月4日には、中華人民共和国の王毅大使と中国大使公邸で懇談し、協力を求めた。日中国交正常化35周年に合わせて日本と中国が進める「2万人交流」プロジェクトが今秋にも達成されるのに合わせ、双方で記念式典を開催することで一致したとされる[24]。
[編集] 朝鮮民主主義人民共和国
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟は自民党議員が中心となっている。
[編集] 党勢の推移
[編集] 衆議院
| 選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
|---|---|---|---|
| (結党時) | 299/- | 467 | 「自民党のあゆみ」によれば、298 |
| 第28回総選挙 | ○287/413 | 467 | 追加公認+11 |
| 第29回総選挙 | ○296/399 | 467 | 追加公認+4 |
| 第30回総選挙 | ○283/359 | 467 | 追加公認+11 |
| 第31回総選挙 | ○277/342 | 486 | 追加公認+3 |
| 第32回総選挙 | ○288/328 | 486 | 追加公認+12 |
| 第33回総選挙 | ●271/339 | 491 | 追加公認+13 |
| 第34回総選挙 | ●249/320 | 511 | 追加公認+12、死去-1 |
| 第35回総選挙 | ●248/322 | 511 | 追加公認+10 |
| 第36回総選挙 | ○284/310 | 511 | 追加公認+3 |
| 第37回総選挙 | ●250/339 | 511 | 追加公認+9 |
| 第38回総選挙 | ○300/322 | 512 | 追加公認+4、新自由クラブより合流+5 |
| 第39回総選挙 | ○275/338 | 512 | 追加公認+11 |
| 第40回総選挙 | ●223/285 | 511 | 追加公認+8、離党-3 |
| 第41回総選挙 | ○239/355 | 500 | |
| 第42回総選挙 | ●233/337 | 480 | |
| 第43回総選挙 | ○237/336 | 480 | 追加公認+4、保守新党より合流+4 |
| 第44回総選挙 | ○296/346 | 480 | 翌年の復党合流+11 |
[編集] 参議院
| 選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| (結党時) | 118/- | - | 250 | 「自民党のあゆみ」によれば、115 |
| 第4回通常選挙 | ○61/118 | 61 | 250 | 追加公認+2、死去-2、非改選入党+2 |
| 第5回通常選挙 | ○71/101 | 62 | 250 | 追加公認+2 |
| 第6回通常選挙 | ○69/100 | 73 | 250 | 追加公認+1 |
| 第7回通常選挙 | ○71/95 | 69 | 250 | |
| 第8回通常選挙 | ○69/93 | 68 | 250 | |
| 第9回通常選挙 | ●63/94 | 72 | 252 | 追加公認+1、繰り上げ当選+1 |
| 第10回通常選挙 | ●62/95 | 64 | 252 | 追加公認+1 |
| 第11回通常選挙 | ○63/77 | 61 | 252 | 追加公認+3、離党-2 |
| 第12回通常選挙 | ○69/77 | 66 | 252 | 追加公認+1、非改選入党+1 |
| 第13回通常選挙 | ○68/90 | 69 | 252 | |
| 第14回通常選挙 | ○72/83 | 71 | 252 | 追加公認+2 |
| 第15回通常選挙 | ●36/78 | 73 | 252 | 追加公認+2 |
| 第16回通常選挙 | ○69/82 | 39 | 252 | 追加公認+1 |
| 第17回通常選挙 | ●46/66 | 65 | 252 | |
| 第18回通常選挙 | ●44/87 | 59 | 252 | 追加公認+2 |
| 第19回通常選挙 | ○64/76 | 47 | 247 | (保守党5と統一会派) |
| 第20回通常選挙 | ●49/83 | 66 | 242 | |
| 第21回通常選挙 | ●37/84 | 46 | 242 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
- 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1990年 - 1999年)2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1996年 - 2003年)2 国会議員会派別議員数の推移(召集日現在)(衆議院、2001年 - 2008年)、(2) 参議院(2002年まで)(2)参議院 (召集日現在) (2001年 - 2008年)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はなく、国会の記録は、議長就任による党籍離脱が行われたあとで-1となっている。
[編集] 脚注
- ^ a b アメリカ合衆国国務省発行『米国の外交』第29巻第2部 2006年7月18日(Foreign Relations of the United States, 1964-1968, Vol. XXIX, Part 2, Japan)
- ^ a b 春名幹男『秘密のファイル(下) CIAの対日工作』 共同通信社 2000年3月、ティム・ワイナー『CIA秘録』 文藝春秋社
- ^ 大連立に反対、総理大臣とCIAの関係に関して(神林毅彦、JanJanニュース2009年1月9日号)
- ^ 「教科書・拉致・靖国…メンバー相次ぐ落選 自民「保守派」思わぬピンチ」(『産経新聞』 2005年9月14日)
- ^ 麻生太郎は『文藝春秋』2008年11月号に発表した「強い日本を!私の国家再建計画」と題する論文において、「私のこの(自民党総裁選の)勝利は初戦準決勝でしかない。決勝戦たる総選挙で勝ち、国民の信を背に、強く明るい政治を早く日本に取り戻さなければならない」「いま一度、国民、有権者の審判を仰ぎたい」「強い政治を取り戻す発射台としてまず国民の審判を仰ぐのが最初の使命だと思う」などと述べている。2009年6月末において衆議院の解散は行われていない。
- ^ 太田公明代表、23日再選へ 日本経済新聞 2008年9月8日
- ^ 自民、東国原氏に衆院選出馬要請 「総裁候補に」と逆提示共同通信 2009年6月23日
- ^ C.I.A. Spent Millions to Support Japanese Right in 50's and 60's New York Times, October 9, 1994(英語)
- ^ 左派弱体化狙い、秘密資金提供~CIAが50年前、日本の保革両勢力に U.S. FrontLine, 2006年07月19日
- ^ 自民にCIA資金 50年代後半〜60年代の初め 米外交史料が刊行 しんぶん赤旗 2006年7月20日
- ^ 離党した6名のうち後に自民党に復党したのは・西岡武夫(1980年)、河野洋平(1986年)、山口敏夫(同)。新自クを離党したのは小林正巳(1980年)と、参議院議員の有田一寿(1979年8月)
- ^ 離党した10名のうち後に自民党に復党したのは、三原朝彦(1996年に落選、翌年自民復党、2003年当選)、渡海紀三朗(1998年)、園田博之(1998年離党、1999年自民復党)、岩屋毅(1993年落選、新進党を経て2000年自民復党、当選)、さきがけを離党したのは佐藤謙一郎(1995年離党、1996年民主党結成に参加)
- ^ 離党した44名のうち後に自民党に復党した衆議院議員は、高橋一郎(1996年)、井奥貞雄(1996年)、杉山憲夫(1996年)、北村直人(1997年)、愛知和男(1997年)、船田元(1997年)、増田敏男(1997年)、仲村正治(1997年)、村井仁(1998年)、左藤恵(1998年)、古賀正浩(1998年)、山本幸三(1990年は自民公認で落選、1993年新生公認で当選、1998年自民復党)、松田岩夫(2000年)、魚住汎英(1993年落選、2000年参院議員当選、2001年自民復党)、星野行男(1996年落選、2002年自民復党)、井上喜一(2003年)、二階俊博(2003年)。参議院議員は、河本英典(1996年)、泉信也(2003年)。なお、同時期には鳩山邦夫(2000年自民復党)、山口敏夫も離党している。
- ^ 離党した6名のうち後に自民党に復党した衆議院議員は、吹田愰(1996年山口県知事選に落選、2000年自民復党、衆院選落選)
- ^ 1993年12月、衆議院議員の西岡武夫、石破茂、笹川尭、大石正光ら4名、1994年1月、参議院議員の木暮山人、星野朋市、石井一二ら3名、1994年2月、参議院議員の野末陳平、1994年4月、衆議院議員の小坂憲次、参議院議員の扇千景ら2名が離党。このうち自民党に復党したのは、石破(1997年)、笹川(1997年)、小坂(1998年)、扇(2003年)。
- ^ 離党した5名のうち後に自民党に復党した衆議院議員は、坂本剛二(1998年)、佐藤敬夫(2003年落選し、2005年自民復党、同年落選)。
- ^ 離党した6名のうち後に自民党に復党した衆議院議員は、柿沢弘治(1995年)、太田誠一(1995年)、佐藤静雄(1995年)、新井将敬(1997年)、米田建三(1997年)、山本拓(2000年)ら全員である。
- ^ 離党した6名のうち後に自民党に復党した衆議院議員は、津島雄二(1995年)、保岡興治(1995年)、今津寛(1996年)、野田毅(2002年)、海部俊樹(2003年)。
- ^ ちなみに単独過半数を回復した241人目は北村直人である。
- ^ 自由民主党立党50周年記念党大会 新理念・綱領発表
- ^ もっともかつて”世界一裕福な政党”といわれた中国国民党本部(野党転落を期に現在は売却)やフランス共産党本部(世界的建築家オスカー・ニーマイヤー設計)など、大規模な党本部施設をもつ政党は少なくない。
- ^ 共産党の新本部ビル完成 自民を上回り最大(共同通信)
- ^ パチンコ・チェーンストア協会には民主党議員も多数参加しており、また民主党娯楽産業健全育成研究会を中心にパチンコ業界を保護する動きをする等、民主党もパチンコ業界との繋がりがある。
- ^ 『毎日新聞』 2007年7月5日 東京朝刊
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 自由民主党(公式サイト)
- 自民党ニュース
- 自由民主党 (日本) 公式 YouTube チャンネル(自民党の動画サイト「LDPchannel」)
- 自由民主党 青年局
- 自由民主党 全国学生交流会 - 自由民主党青年局直轄の学生部組織。主に、首都圏大学生が参加。
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