金美齢

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金 美齢
出生 1934年2月7日(75歳)
台湾台北市
職業 評論家
各種表記
簡体字 金 美龄
繁体字 金 美齡
ピン音 jīn měi líng
和名表記 きん びれい
発音転記 ジン・メイリン
ラテン字 Kim Bí-lêng
英語名 Kin Alice Mei ling
(英国留学時に使用した表記)
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金 美齢きん びれい1934年(昭和9年)2月7日 - )は、台湾人評論家、学校法人柴永国際学園JET日本語学校理事長、元中華民国総統府国策顧問。夫は元東京理科大学教授周英明。長年台湾独立運動に関わってきた。

目次

[編集] 略歴

1934年日本統治下台湾台北の裕福な家庭に生まれる。1953年に台北市内の台北市立第一女子高級中学卒業後、国際学舎(留学生会館)勤務を経て1959年早稲田大学第一文学部英文学科に留学。翌1963年に同大修士課程に進学。1964年、東京大学大学院博士課程在学中の周英明と学生結婚し、二児をもうける。1971年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。

早稲田大学の大学院生時代から、首都圏の大学で非常勤講師を歴任。早稲田大学では、1996年3月まで20年以上英語の非常勤講師を勤めた。1975年から1976年まで、イギリスケンブリッジ大学客員研究員として渡英。

日本滞在中の1962年、台湾独立運動を推進していた台湾青年社(後の台湾独立建国連盟)に参加。早稲田大学在学中には、台湾独立建国連盟が発行する英語版の機関紙の編集長を務め、他の台湾人留学生らと早稲田大学の同窓会「台湾稲門会」を結成。そのため、金と夫の周は反政府活動家として政府のブラックリスト(黒名単)に掲載され、旅券は剥奪。日本で事実上の亡命生活を余儀なくされた。

1987年7月15日、台湾で1949年5月20日以来38年間続いた戒厳が解除。翌年、李登輝が台湾人初の中華民国総統に就任。急速な台湾民主化の流れの中でブラックリストも解除となり、金美齢は31年ぶりに帰国。1996年初めての総統直接選挙では、台湾独立派の人々が独立派の民主進歩党候補彭明敏を支持する中、金は李登輝を支持した。

2000年に発足した民進党の陳水扁政権では、日本に亡命していた黄昭堂(昭和女子大学名誉教授・台湾独立建國聯盟主席)ら、ブラックリスト組の200余名らとともに、中華民国総統府国策顧問の一員に迎えられた。

2001年2月に小林よしのりの『台湾論』出版とともに、台湾立法院(台湾の国会に相当)が小林の台湾入国禁止を決定。台湾のテレビ討論番組に出演し、「私は中華民国を認めない」と発言。これに対し他の出席者から、「中華民国の国策顧問が中華民国を認めないというのならば、即刻辞任しろ」と迫られと、「私は陳水扁総統の国策顧問であって、中華民国の国策顧問ではありません。私を辞任させられるのは陳総統だけです」と応酬した。[1][2]その後、陳総統が「台湾は民主主義国家であり、多様な意見を持つ国策顧問が存在するのは民主台湾の縮図である」と声明を出し、まもなく入国禁止措置は解除。その後も台湾、日本双方において、メディアや著作を通して台湾独立の主張を続けている[3]

2005年2月28日に総統府国策顧問を辞任、同年5月20日に復帰したが、2006年6月2日に総統府改革のため国策顧問を任命しないことになり辞任。2008年3月20日総統選挙では民進党候補の謝長廷を支持した。

[編集]

  1. ^ 小林よしのり・金美齢『入国拒否-『台湾論』はなぜ焼かれたか-』幻冬舎、2001年。
  2. ^ 金の発言に対し、司馬遼太郎の『台湾紀行』に「老台北」として登場した蔡焜燦(さい・こんさん)は「戦後50数年間台湾人が待ち望んだ発言」と著作の中で評している(蔡焜燦『台湾人と日本精神 (リップンチェンシン)-日本人よ胸を張りなさい-』小学館、2001年)。
  3. ^ 2002年(平成14)12月1日、東京都立川市曙町の女性総合センターで開催されていた「国際交流フェスタ」の催しの一つとして「アジアの今を語る」と題した金美齢の講演が予定されていた。ところが11月19日に「立川市民及び在勤者」を名乗る中国人ら計18人が「金氏は台湾独立の象徴そのものであり、講師に呼ぶことは中国人に対する侮辱」と記した抗議文を立川市と主催者側へ提出。主催者側は11月25日に予定していた講演を中止した。これに対して日本在住の台湾人医師及び歯科医師らからなる日本台湾医師連合が「講演中止は台湾人に対する侮辱」と記した抗議書を立川市長及び国際交流フェスタ実行委員長あてに送る事態に発展した。

[編集] 著作

[編集] 出演番組

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

  • 金美齢ホームページ(中断していたホームページを2008年9月に再開)
  • 金美齢 旧ホームページ (金美齢事務所の秘書としてホームページ管理にもあたっていた早川友久が台湾留学のため2005年1月末に退職。それに伴いHPは3月末をもって閉鎖されることとなったが、早川がデータを移行しアーカイブスとして公開したもの)
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