道徳再武装

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道徳再武装(どうとくさいぶそう、: Moral Re-Armament、略称MRA)は、2001年まで存在した、国際的な道徳と精神に関する運動である。1938年にフランク・ブックマン牧師が率いるオックスフォード・グループが発展する形で発足した。以後、ブックマンは1961年に死去するまでの23年間に渡って、この活動を率いた。

歴史[編集]

初期の道徳再武装運動は、ブックマンの個人的な信奉者の間で実践された。そのため、オックスフォード・グループから道徳再武装への名前の変化は、公式的なものではなく、徐々にもたらされた変化であった。ブックマンは、1925年オーストラリアを訪れた際に「道徳再武装」というフレーズを考案していた可能性があるが、当時はまだオックスフォード・グループという呼称で知られていた。また、道徳再武装という単語は、文学界では、英国テニス界の英雄であるH.W.オースティンが約50万部を売り上げた「道徳再武装(平和への闘い)」を編集した1938年に初めて使われた、と主張する者もいる。[1] ブックマンとオックスフォード・グループのリーダーたちは、道徳再武装という新造語を好んだため、団体の名称が変わった。ブックマンは、1938年5月29日に、道徳再武装に類似した表現を使っている。すなわち、彼は、欧州における再軍備の機運の高まりについて言及した際に、「現下の危機は、道徳の危機である。各国は、道徳を再武装しなければならない。道徳の回復が、経済の回復の先触れであるということが大切なのでだ。」と述べている。[2]

戦争が始まると、道徳再武装運動の従事者たちは多くが連合軍に参加した。彼らは、その勇敢さゆえに、多くの戦局で勲章を受けた。また、戦争関連の産業において、精神高揚などに従事したものも多くいた。のちにアメリカ大統領となる、ハリー・トルーマン上院議員が、上院の軍事関連契約を監督する委員会の委員長であったときに、1943年ワシントンで開かれた記者会見で、「障害は、疑念、対立、無関心、欲望に起因するものだ。こうした点に対処すべく、道徳再武装運動のグループが来てくれた。そして、人々が遠巻きに批判している中で、彼らは腕まくりをして、仕事に従事した。そして、彼らは、誰が正しいかではなく何が正しいか、という原理に則り、産業にチームワークを持ち込むという点で多大な功績を残している。」[3]と述べている。戦争が終了すると、道徳再武装運動の従事者は、永続的な平和を構築するための活動に戻ることとなる。

1946年には、道徳再武装運動は、スイスのコー (Caux)にある遺棄されていた巨大なホテルを購入、改修した。このホテルは、欧州における各国の和解の中心地となった。ドイツアデナウアー首相やフランス外相ロベール・シューマンをはじめとして、数多くの人々が集った。[4]歴史家のダグラス・ジョンストンシンシア・サプソンは、この動きを「近代国家の歴史の中での最も重大な業績(すなわち戦後におけるフランスとドイツの急速な和解)への大きな貢献」と評している。[5]

その後、数十年に渡って、道徳再武装運動は、世界中に広がった。特に、植民地支配からの脱却に向かっていたアフリカとアジアの各国で浸透が顕著だった。独立に向けた闘争の指導者の多くは、対立する集団間に和解をもたらし、独立への移行の道ならしをした道徳再武装の貢献に敬意を評した。1956年には、モロッコ国王ムハンマド5世がブックマンにメッセージを送り、「ここ最近の試練の年月の最中でモロッコのために貴殿がなされたことに対して、私は感謝の意を表します。道徳再武装は、我々ムスリム、あなた方クリスチャン、そしてあらゆる民族を動かす誘引に違いありません。」と述べた。[6]1960年には、キプロスの大統領であるマカリオス大司教と、副大統領であるクキュック副大統領が共同で独立キプロスの最初の国旗をコーにいたフランク・ブックマンにおくっている。これは、MRAの支援への感謝の意を示すものであった。[7]

日本での展開[8][編集]

  • 1949年(昭和24年)◇片山哲元首相御夫妻及び毎日新聞記者、MRA世界大会(スイス・コー)に出席。
  • 1950年(昭和25年)◇中曽根康弘氏ら国会議員7名・広島市長・長崎市長、石坂泰三氏・本田親男氏ら経済人、労働組合代表など72名がMRA国際チームの招待で、スイス・コーを始め独・仏・英を歴訪。吉田茂首相は「1870年日本の代表が西欧に行き、日本の歴史を変えた。今回の日本の代表がコーに行くことによって、新しい日本を築くことになろう」と述べた。
  • 1951年(昭和26年)◇加藤シヅエ参議院議員、戸叶里子衆議院議員、渋沢啓三元蔵相、片岡義信(国鉄)氏、木村行蔵氏(国警)、高橋東芝専務、長谷川東芝労組、久保等氏(全電通)ら、アメリカ・マキノ島でのMRA国際会議に参加。
  • 1955年(昭和30年)◇MRA劇「ボス」は、石川一郎経団連会長の後援により各地で上演された他、首相官邸でも特別公演が行われる。
  • 1956年(昭和31年)◇ブックマン博士来日。鳩山一郎首相と会見。日本の国際社会の復帰への貢献を賞し、勲二等旭日章を叙勲される。
  • 1961年(昭和36年)◇岸信介前首相、福田赳夫衆議院議員、コーのMRA世界大会に参加。
  • 1962年(昭和37年)◇小田原MRAアジアセンター開設。十河信二国鉄総裁他の努力による。池田勇人首相がオープニングの挨拶を行う。
  • 1975年(昭和50年)◇6月28日、国際MRA日本協会発足(土光敏夫会長)。
  • 1984年(昭和59年)◇8月1日、文部省認可のもと、社団法人として活動を始める。
  • 1986年(昭和61年)◇第1回日米欧経済人円卓会議(CRT)をコーで開催。日本からは山下俊彦、賀来龍三郎キヤノン社長、中島正樹三菱総研相談役、小笠原敏晶金森茂一郎他が参加。以後、毎年2回開催。
  • 1995年(平成7年)◇国連大学尾崎行雄記念財団と共に、「和解と共生への課題」のテーマで東京国際ダイアローグを開催。
  • 1996年(平成8年)◇経済広報センター、尾崎行雄記念財団と共に、「和解と共生への課題」のテーマで東京国際ダイアローグ’96を開催。羽田孜氏、鳩山由紀夫氏 、武者小路公秀氏、市岡揚一郎氏等をパネリストとして迎える。
  • 1998年(平成10年)◇MRA発足60周年を記念して「明日のために、今・・・」のテーマでパネル・ディスカッションを開催。パネリストとして、羽田孜氏、金森茂一郎氏、佐谷隆一氏(全東芝労働組合連合会議長)等を迎える。
  • 2002年(平成14年)◇東京において、「21世紀を対話と和解の世紀にするために~一人ひとりが変化をもたらすイニシエーターとなろう~」というテーマで、羽田孜氏、木内孝氏(三菱電機顧問、フューチャー500会長)、、杉谷義純氏(WCRP事務総長、天台宗元宗務総長)、保岡孝顕氏(上智大学社会正義研究所、国際カトリックプレス日本支部代表)をパネリストとしたシンポジウムが、加藤タキ氏コーディネートの下に開催された。
  • 2003年(平成15年)◇6月に(社)国際MRA日本協会から (社)国際IC日本協会にその名称を変更した。
  • 2012年(平成24年)◇8月1日、内閣府から認定され、公益社団法人として活動を始める。

道徳再武装(MRA)からイニシアティブス・オブ・チェンジ(IC)へ[編集]

2001年に、道徳再武装は、その名称をイニシアティブス・オブ・チェンジ(IofC、日本ではICと呼ばれることが多い)に変更し、ICインターナショナルという非政府組織(NGO)として、国際連合欧州評議会との連携も図ろうとしている。[9] ICインターナショナルは、NGOとして、スイスのコーに本拠地を置いており、法的かつ管理面の主体であり、各国の組織を国際連合との連携の中で束ねる役割を果たしている。 各国における取組には、アメリカにおける「都市における希望(Hope in the Cities)」やスイスにおける「人間の安全保障に関するコー会議」、インドの「ガバナンスのための拠点」、シエラレオネの「Hope Sierra Leone」などがある。

MRAの考え方[編集]

MRAはキリスト教に端を発するものであったものの、非政府の国際ネットワークとしてあらゆる宗教や社会的背景に属する人々によって構成されている。MRAは、「4つの絶対標準」と呼ばれる考え方に則っている。この4つ絶対標準は、「絶対正直」、「絶対純潔」、「絶対無私」、「絶対愛」から構成されるものである。また、MRAはその支持者に対して、政治的活動や社会的活動に参画することを奨励する。これは、MRAの考え方の中核にある、「世界の変革は、自己の変革を模索することから始まる」という点に起因するものである。

MRAから派生した運動[編集]

1935年には、アルコホーリクス・アノニマス(AA)と呼ばれる運動がビル・ウィルソンDr Robert Smithらによって始められた。彼らは、MRAの前身であるオックスフォード・グループと医学的治療の組み合わせによって、アルコール依存症を克服した経験があった。アルコホーリクス・アノニマスという名称を採用する前は、"the alcoholic squadron of the Oxford Groups"(オックスフォード・グループのアルコール依存症部隊)と呼ばれていた。AAの12のステップの一部は、オックスフォード・グループの考え方に基づくものである。ただし、考え方の大きな変化も見られ、AAは「4つの絶対標準」を放棄し、「完璧ではなく進歩を」という原則を好んだ。AAは、「我々自身を超える力」("a power greater than ourselves")という標語とともに、多くのアルコール依存症患者に広がっていくこととなり、非キリスト教徒も加わった。オックスフォードグループやMRAと異なり、AAはアルコール依存症患者の克服支援に活動範囲を明確に限定した。また、AAは、あらゆる宗教、政党、その他組織から独立した運動であった。

また、1965年には、 Up with People がMRAの支援とMRAメンバーの手によって、創設されている。

また、同じく1965年に、The National Viewers and Listeners Associationが創設されている。これは、メディア規制推進論者であった、メアリー・ホワイトハウスによるものである。彼女は、著書の中で「MRAの考え方に出会っていなければ、こうした運動を始めることに関心すらもたなかっただろう」と記している。[10]

MRAをめぐる論争[編集]

1930年代の初頭、ブックマンは、オックスフォード・グループに積極的に参加していたドイツ人と緊密な関係にあった。当時、ウィンストン・チャーチルカール・バルトは、民主主義への明確な非難を繰り返していたドイツの国家社会主義運動に対して、彼らが民主的な運動であることを証明する機会を与えようとしていた。当初、アドルフ・ヒトラーは、彼自身をキリスト教の守護者である、という説明をしていた。1928年には「我々は、キリスト教の考え方を破壊する者を許容しない」と宣言している。

ブックマンは、国家社会主義政権の精神的な変化なくして、世界大戦は不可避であると確信していた。また、ブックマンは、ドイツの指導者たちを含めてどんな人であれ、イエス・キリストの道徳的な価値観を伴ったクリスチャンの信仰心を見つけだすことができると信じていた。[11]

それゆえ、ブックマンはヒトラーとの面会を試みたが失敗した。しかし、彼は、ハインリッヒ・ヒムラーとは3度にわたって面会することに成功した。そして、ブックマンは、最終的に1936年にはヒムラーを「大した男」であると評した。[12]あるデンマーク人ジャーナリストである友人[13]に、ヒムラーへの最後の面会の数時間後に、ブックマンは、「扉はもはや閉ざされてしまった」と話している。「ドイツは、ひどく凶悪な力の支配のもとに置かれてしまった。これに立ち向かうアクションが絶対的に必要とされている。」のだ、と。[14]

実際には、ナチスは、1934年以来オックスフォードグループに疑いの目を向けていた。これは、ゲシュタポのドキュメントから明らかだ。オックスフォード・グループについてゲシュタポがはじめて作成した詳細な機密レポート(1936年11月)によると、オックスフォード・グループは、国家社会主義に対立する危険な存在と化した、と警戒している。[15] また、レポートでは、ボルシェビキにおけるスターリン主義者や、Catholic Actionなどのような非ナチスの全体主義の原型といえる集団についても、ナチズムにとっての脅威として分類している。[16]

ベルリンからニューヨークに戻ったブックマンは、多くの会見を行った。そのなかに、ブックマンの「ヒトラー観」を表すものとして批評家に広く引用されているものがある。その記事によると、ブックマンは次のように述べている。「アドルフ・ヒトラーのような人物がいることについて、天に感謝したい。彼は、共産主義の反キリスト教に対する防衛の最前線を打ち立てているのだ。」[17]ブックマンのプリンストン大学時代の同僚で、そのインタビューに同席していたGarrett Stearly牧師は、「この発言には驚いた。会見の内容と全くかみ合っていなかった。」と記しているが、タイム誌[18]は、ブックマンは、適切な者による独裁について全体的に好意を示しており、それが会見の全体に渡って現れている、と記している。ブックマンは、この記事に対して反応することを控えた。というのも、そうすることで、ドイツにいる彼の友人たちを危険に晒すこととなると感じたからであった。[19]

第二次世界大戦後、ゲシュタポの資料が従来以上に明らかになることで、ナチスがオックスフォード・グループを敵とみなしていたことが明確になった。1939年に作成された資料では、「オックスフォード・グループは、国民国家に対抗する革命を説いており、キリスト教による、国民国家の反対勢力となっていることは明確だ。」としている。また、1942年の文書では、「キリスト教の特徴をもって、国家の枠組みを超えることや、あらゆる人種の壁を取り払う、ということをここまで強調するキリスト教運動は他には存在しない」と分析されている。[20]

第二次世界大戦中には、ドイツ国内のオックスフォード・グループにも、ナチス政権への抵抗運動を積極的に続けた者もいた。ノルウェーのオスロでBishop Fjellbuが1945年に次のように語っている。「オックスフォード・グループの活動によって、ノルウェーの協会関係者が団結してナチズムへの抵抗運動を行う基礎ができている、ということを私は明らかにしたい。」[21]Bishop Fjellbuは、抵抗運動が原因で投獄されている。

英国では、全土にわたってオックスフォード・グループが積極的に活動をしていた。小説家であるDaphne du Maurierは、「Come Wind, Come Weather」を出版し、オックスフォード・グループの活動を通じて、平凡な英国人が新たな希望あふれる生活を手に入れる物語を描いた。彼女は、この小説を「そのビジョンでもって、この小説に現れる生き生きとした人物の世界を可能にしたフランク・ブックマン」に捧げた。そしてこう付け加えている。「人々が自身の課題を解決できるように、そして将来訪れる事態に準備できるようにと、グループは国じゅうで活動している。このことが今後国家的な重要性を持っている、ということが明らかになるだろう。」と。この本は、英国だけで65万部を売り上げた。[22]


参考文献[編集]

  1. ^ Lean, Garth Frank Buchman – a life, p279
  2. ^ Buchman, Frank N.D., Remaking the World (London, 1955), p. 46.
  3. ^ Lean, Garth Frank Buchman – a life, p. 324
  4. ^ Lean, Garth Frank Buchman – a life, p 382
  5. ^ Johnston and Sampson, Religion, the Missing Dimension of Statecraft, Oxford University Press, 1994
  6. ^ Lean, Garth Frank Buchman – a life, p 454
  7. ^ Lean, Garth Frank Buchman – a life, p 524
  8. ^ 国際IC日本協会 ICの歴史(詳細)
  9. ^ Official Website of Initiatives of Change
  10. ^ Obituary: Mary Whitehouse, The Daily Telegraph, November 2001
  11. ^ Lean, Garth Frank Buchman – a life, p233-237
  12. ^ The Family: The Secret Fundamentalism at the Heart of American Power,Jeff Sharlet,2008
  13. ^ Jacob Kronika, Berlin correspondent for Nationaltidende, Copenhagen and Svenska Dagbladet, Stockholm, and Chairman of the Association of Foreign Journalists in Berlin
  14. ^ Article by Kronika in Flensborg Avis, Denmark, 2 January 1962
  15. ^ Leitheft Die Oxford- oder Gruppenbewegung, herausgegeben vom Sicherheitshauptamt, November 1936. Geheim, Numeriertes Exemplar No. 1
  16. ^ The Family: The Secret Fundamentalism at the Heart of American Power,Jeff Sharlet,2008
  17. ^ New York World-Telegram, August 26, 1936
  18. ^ Religion: Moral Rearmament, 19 September 1938
  19. ^ Lean, Garth Frank Buchman – a life, p240
  20. ^ Lean, Garth Frank Buchman – a life, p. 242
  21. ^ Sermon in St Martin-in-the-Fields, London, 22 April 1945
  22. ^ Lean, Garth; Frank Buchman – a life; Constable 1985 p300

外部リンク[編集]

Initiatives of Change[編集]