下関市
しものせきし 下関市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方 | ||||
都道府県 | 山口県 | ||||
市町村コード | 35201-2 | ||||
法人番号 | 4000020352012 | ||||
面積 |
716.28km2 | ||||
総人口 |
242,086人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||
人口密度 | 338人/km2 | ||||
隣接自治体 |
長門市、美祢市、山陽小野田市 福岡県北九州市(関門海峡を挟んで隣接) | ||||
市の木 | クスノキ | ||||
市の花 | ハマユウ | ||||
他のシンボル |
市の花木:ツツジ、サクラ 市の魚:フク(フグ) 市の虫:ホタル 市の鳥:ペンギン 市の動物:クジラ | ||||
下関市役所 | |||||
市長 | 前田晋太郎 | ||||
所在地 |
〒750-8521 山口県下関市南部町1番1号 北緯33度57分28.4秒 東経130度56分28.8秒 / 北緯33.957889度 東経130.941333度座標: 北緯33度57分28.4秒 東経130度56分28.8秒 / 北緯33.957889度 東経130.941333度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
下関市(しものせきし)は、山口県の西部、本州最西端に位置する都市。山口県最大の都市であり、山口県で唯一中核市及び中枢中核都市に指定されている。
概要
本州の最西端、中国地方と九州地方の境目に位置し、古くから関門海峡北岸に面する港湾都市として栄えたこともあってその人口規模は山口県の県庁所在地でもある山口市を凌ぎ、中国地方でも広島市、岡山市、倉敷市、福山市に次ぐ5番目の人口規模の都市である。
中心部の一部の下関港周辺は、古くは「赤間関」(あかまがせき、あかませき、あかまのせき[1])と呼ばれており(対岸の門司は「もじがせき」と呼ばれていた)、これを赤馬関(あかまがせき)とも書いたことから、これを略した「馬関」(ばかん)という別名も用いられた(例えば、昔は下関駅を馬関駅と言い、今でも「しものせき馬関まつり」が毎年開催されている)。また、下関港を発着する関釜連絡船(現在の関釜フェリー)は、日本から朝鮮半島や中国大陸へ渡る主要ルートの1つとなったことから、東アジア諸国への玄関口としての機能をも有した。また陸上交通・海上交通の両面で重要な地点となったことから、戦時中には下関要塞として関門海峡沿岸部一帯が大日本帝国陸軍の支配下に置かれた。
1878年(明治11年)郡区町村編制法により、東京15区、大阪4区、京都2区、以下1区ずつで名古屋、横浜、堺などと共に赤間関区(あかまがせきく)が置かれたことに始まり、1889年(明治22年)4月1日の市制施行時には、日本で最初に市制を施行された31市の1つ(山口県で唯一)として赤間関市発足。1902年(明治35年)6月1日に現在の市名である『下関市』となった。現在の市制は2代目で、2005年(平成17年)2月13日に下関広域都市圏を構成していた(旧)下関市と豊浦郡の4町(菊川町、豊田町、豊浦町、豊北町)の計1市4町が合併(新設合併)して、新たに発足したものである。合併前の(旧)下関市は2002年(平成14年)4月1日に特例市に指定されていたが合併後に新たに特例市として再指定され、後に中核市に指定された。合併前の下関市・豊浦郡で下関都市圏(下関広域都市圏)を形成していたが現在は1市で都市圏を構成し、経済面でも山口県及び県西部の中心都市となっている。(詳細は経済を参照)
地理・人口
地勢
山口県の最西端かつ本州の最西端に位置する。関門海峡を挟んで西を日本海(響灘)、南を瀬戸内海(周防灘)に接する。周防灘に注ぐ木屋川や響灘に注ぐ綾羅木川などの河口付近に形成されている沖積平野部を除くと、稜線が海岸ぎりぎりまで接近する地形となっており、特に旧市街では平地が少ない。また下関中心部と長府地区を遮るように霊鷲山や大唐楯山、茶臼山が存在している。旧郡部ではいくつかの盆地が点在し、それぞれの盆地で集落を形成している。市内に位置する主な山としては、関門海峡に面し観光スポットにもなっている火の山、航空通信施設などのある華山、あるいは狗留孫山(くるそんざん)などがある。人の住む島としては、関門海峡に面した彦島、響灘に浮かぶ角島、蓋井島、六連島がある。
気候
下関市の気候は複雑で、日本海側気候と瀬戸内海式気候と太平洋側気候の境界に当たる。冬は北西の季節風の影響で曇天が多く、雨・雪の降る日もある。降雪量は少ない。
三方(西・南・東)を海に囲まれ、響灘を流れる対馬海流の影響もあり、旧市内及び響灘沿岸の日較差(日最高気温と日最低気温の差)は小さく、夏は山口県の他の地域に比べるとそれほど高温にならず、冬も低温にならない為、温暖で過ごしやすい地域と言える。しかし、豊田町や菊川町など山沿いの内陸部では寒暖の差は大きい。[2]
下関地方気象台(下関市竹崎町、標高3m)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 19.1 (66.4) |
22.9 (73.2) |
26.2 (79.2) |
29.7 (85.5) |
30.9 (87.6) |
33.7 (92.7) |
36.2 (97.2) |
37.0 (98.6) |
35.0 (95) |
30.6 (87.1) |
26.9 (80.4) |
26.2 (79.2) |
37.0 (98.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.4 (48.9) |
10.1 (50.2) |
13.1 (55.6) |
18.0 (64.4) |
22.1 (71.8) |
25.5 (77.9) |
29.4 (84.9) |
30.9 (87.6) |
27.5 (81.5) |
22.6 (72.7) |
17.2 (63) |
12.2 (54) |
19.83 (67.71) |
日平均気温 °C (°F) | 6.9 (44.4) |
7.2 (45) |
9.9 (49.8) |
14.5 (58.1) |
18.6 (65.5) |
22.3 (72.1) |
26.3 (79.3) |
27.6 (81.7) |
24.4 (75.9) |
19.4 (66.9) |
14.2 (57.6) |
9.4 (48.9) |
16.73 (62.1) |
平均最低気温 °C (°F) | 4.5 (40.1) |
4.6 (40.3) |
7.0 (44.6) |
11.4 (52.5) |
15.8 (60.4) |
19.9 (67.8) |
24.0 (75.2) |
25.4 (77.7) |
22.0 (71.6) |
16.6 (61.9) |
11.5 (52.7) |
6.9 (44.4) |
14.13 (57.43) |
最低気温記録 °C (°F) | −6.3 (20.7) |
−6.5 (20.3) |
−5.5 (22.1) |
0.5 (32.9) |
6.5 (43.7) |
9.5 (49.1) |
15.1 (59.2) |
17.5 (63.5) |
12.8 (55) |
5.9 (42.6) |
0.7 (33.3) |
−4.6 (23.7) |
−6.5 (20.3) |
降水量 mm (inch) | 75.5 (2.972) |
81.2 (3.197) |
128.4 (5.055) |
135.5 (5.335) |
165.5 (6.516) |
274.8 (10.819) |
287.1 (11.303) |
153.3 (6.035) |
173.9 (6.846) |
70.3 (2.768) |
78.8 (3.102) |
60.2 (2.37) |
1,684.5 (66.318) |
降雪量 cm (inch) | 2 (0.8) |
1 (0.4) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
4 (1.6) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 9.7 | 8.7 | 11.0 | 9.5 | 9.1 | 11.1 | 10.3 | 8.3 | 8.9 | 6.2 | 8.1 | 8.4 | 109.3 |
平均月間日照時間 | 96.6 | 114.2 | 154.7 | 185.9 | 200.3 | 154.6 | 175.1 | 209.5 | 162.2 | 177.7 | 134.8 | 110.0 | 1,875.6 |
出典:気象庁 |
豊田(下関市豊田町大字稲光字土橋、標高40m)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 8.4 (47.1) |
9.5 (49.1) |
12.9 (55.2) |
18.4 (65.1) |
22.8 (73) |
25.9 (78.6) |
29.3 (84.7) |
30.6 (87.1) |
27.0 (80.6) |
22.1 (71.8) |
16.5 (61.7) |
11.3 (52.3) |
19.56 (67.19) |
日平均気温 °C (°F) | 3.3 (37.9) |
4.7 (40.5) |
7.1 (44.8) |
12.2 (54) |
16.9 (62.4) |
21.0 (69.8) |
24.9 (76.8) |
25.6 (78.1) |
21.7 (71.1) |
15.6 (60.1) |
10.1 (50.2) |
5.3 (41.5) |
14.03 (57.27) |
平均最低気温 °C (°F) | −1.4 (29.5) |
−1.1 (30) |
1.4 (34.5) |
5.8 (42.4) |
11.0 (51.8) |
16.5 (61.7) |
21.2 (70.2) |
21.7 (71.1) |
17.4 (63.3) |
10.2 (50.4) |
4.7 (40.5) |
0.3 (32.5) |
8.98 (48.16) |
降水量 mm (inch) | 90.6 (3.567) |
91.1 (3.587) |
147.2 (5.795) |
157.4 (6.197) |
194.1 (7.642) |
299.3 (11.783) |
338.0 (13.307) |
160.1 (6.303) |
193.8 (7.63) |
84.9 (3.343) |
87.9 (3.461) |
73.6 (2.898) |
1,918 (75.513) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 11.8 | 10.7 | 12.5 | 10.3 | 10.4 | 11.9 | 11.7 | 9.4 | 10.6 | 7.9 | 9.7 | 10.9 | 127.8 |
平均月間日照時間 | 89.7 | 109.6 | 139.9 | 178.3 | 193.4 | 144.3 | 153.3 | 185.3 | 148.3 | 163.9 | 126.6 | 106.3 | 1,738.9 |
出典:気象庁 |
人口
下関市(に相当する地域)の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
旧下関市と旧豊浦郡合併時直近の国勢調査(2000年10月)に基づく旧1市4町の人口の合計が301,097人[3]と、(当時の)中核市移行の基準である30万人[注 1]を越えていたため、合併同年の2005年(平成17年)10月1日に中核市の指定を受けた[4]。ただし、合併以来実際の人口が30万人を超えたことがなく(2005年の国勢調査時点では290,693人[3])、現在の人口は26万人あまりであるが人口は山口県最大である。
隣接する自治体・行政区
地名
下関市の地名を参照。
北九州市との関係
下関市は、関門海峡の対岸に位置する北九州市とともに本州と九州の接点・大陸への玄関口として発達してきた。両市が中心となって形成される都市圏は関門都市圏とも呼ばれるように、両市の経済面および文化的な繋がりは極めて深い。観光(関門海峡花火大会)や行政サービスなどで両市の交流が盛んなほか、買い物・娯楽・通勤通学・交通機関利用(下関駅、小倉駅や北九州空港)等を目的とした両市間の人の流れが日常的にある。下関は北九州都市圏の5%都市圏であり実質、同一の生活圏を形成していると言える。ゆえに北九州市の商業・娯楽施設の動向が、下関市内にある同施設の経営戦略に影響を与えている。また、一時期ではあるが下関市と北九州市の道州制を見据えた越境合併及び関門特別市構想について両市で話し合いが行われたこともある。
歴史
古くより九州や中国・朝鮮半島といったアジア大陸からの本州の玄関口として栄え、江戸時代には「西の浪華」と呼ばれるほどの賑わいだった[5]。また日本史における数々の重要な出来事に関係している都市でもある。
「下関」の名称の初見は869年(貞観11年)[6] であるのに対し、「赤間関」の名称の初見は1185年(元暦2年)である[7]。ただし、これを関所の名称[8] と捉え、「あかま(赤間[9]・赤馬[10])」が地名であると解すると平安時代まで遡ることができる。いずれにしても鎌倉時代に「赤間関」という呼び名が成立し、付属する港湾や関門海峡の長門国側を指す広域地名、更には対岸の豊前国門司関を含めた関門海峡全体の別名としても用いられた[11]。
元寇をきっかけに赤間関を防衛するために長門守護は長門探題とされて北条氏一門が任ぜられた。北条氏が滅びると長門の御家人であった厚東氏が長門守護とされるが、南北朝の内乱の中で周防国の在庁官人・御家人であった大内氏が南朝方として周防・長門両国を征服、後に北朝方に離反して室町幕府から両国の守護、更に対岸の豊前国の守護にも任ぜられて赤間関を含めた関門海峡両岸を大内氏が支配する体制が16世紀中期まで200年近く続くことになる。大内氏は赤間関に代官を設置して直接管理し、港湾の管理・関銭や帆別銭の徴収・明や朝鮮などの外交使節への応対などにあたった[12]。
特に外国からの船舶が東へと向かうためには必ず赤間関に立ち寄って瀬戸内海を経由して京都方面に向かうことになり、朝鮮通信使(朝鮮の使節)が博多に寄らずに直接赤間関を目指した例もある。また、室町幕府が派遣した遣明船の往復の際にも必ず赤間関に立ち寄り、帰国時には赤間関から京都へ使者が送られていた。遣明船の記録でも、往路は寧波到着時に日本の年号から明の年号に改め、帰路は赤間関到着時に日本の年号に戻す慣例[13] があった[14]。また、16世紀に大内氏が日明貿易を独占すると遣明船から抽分銭を徴収する抽分司官が赤間関に置かれた他、明の朝廷に献上する貢物や輸出品を保管する倉庫も設置され[15]、朝鮮などの外国人も居住していた[16]。
この節の加筆が望まれています。 |
戦国時代まで
弥生時代には既に現在の下関市域には集落が複数存在しており、綾羅木郷遺跡(川中地区)、土井ヶ浜遺跡(現在の豊北地区)などに当時の遺構が現在も残る。
- 200年ころ - 日本書紀によれば、このころ仲哀天皇が現在の下関市長府に穴門豊浦宮を設置したとされる。
- 7世紀 - 長門国国府を現在の長府に設置。
- 991年(正暦2年) - 大宰府赴任途中の藤原佐理が長門赤馬泊(赤間関の古称)にて「離洛帖」(国宝)を記す。
- 1185年(元暦2年・寿永4年) - 壇ノ浦の戦いで平家滅亡、安徳天皇入水、源平合戦終結。
- 1276年(建治2年) - 鎌倉幕府が長門探題を設置。
- 1557年(弘治3年) - 大内義長が長府の長福寺(功山寺)にて自害、大内氏滅亡。
江戸時代
- 1600年(慶長5年) - 毛利秀元(長州藩主毛利輝元の養子)が長府に館を構え、長州藩の支藩として長府藩が成立。
- 1607年(慶長12年) - 朝鮮通信使来関。以後、当地が朝鮮通信使の寄港地の一つとなる。
- 1612年(慶長17年) - 巌流島にて宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われる。
- 1653年(承応2年) - 清末藩(長州藩の孫藩)が成立。(現在の清末地区)
- 1672年(寛文12年) - 西廻り航路の北前船が就航
- 1840年(天保11年) - 長州藩が港に越荷方を設置。
- 1863年(文久3年) - 関門海峡航行中のアメリカ商船を砲撃する事件(いわゆる下関事件)が発生。豊浦郡田耕村(現在の豊北地区)にて中山忠光が暗殺される。
- 1865年(元治元年) - 下関戦争(馬関戦争)が長州藩と連合国(イギリス・フランス・オランダ・アメリカ)との間で勃発。高杉晋作による奇兵隊の功山寺挙兵(元治の内乱)。
明治から第二次大戦まで
- 1889年(明治22年) - 市制施行し、赤間関市(あかまがせきし)発足。
- 1893年(明治26年) - 大阪に次ぐ全国で2番目の日銀支店として下関に日本銀行西部支店開設(初代支店長は高橋是清)。
- 1895年(明治28年) - 下関条約(日清講和条約)締結。下関要塞司令部設置。
- 1898年(明治31年) - 山陽鉄道子会社により門司港との間に定期航路(関門連絡船)が就航。
- 1901年(明治34年) - 旧下関英国領事館開設。馬関駅(現下関駅)が細江町に開業し、山陽鉄道の終点となる。
- 1902年(明治35年) - 下関市に改称。
- 1905年(明治38年) - 関釜連絡船が就航。
- 1906年(明治39年) - 上水道給水開始(全国で9番目)。
- 1911年(明治44年) - 内務省下関土木出張所が設置される(山口県・広島県・島根県の一部と九州・沖縄を担当)。
- 1912年(明治45年) - 新橋駅〜下関駅間で日本最初の特別急行列車運転開始。
- 1914年(大正3年) - 長州鉄道東下関〜小串間開通(現在の山陰本線)。
- 1921年(大正10年) - 生野村(山の田から東駅に至る領域)を編入合併。以後1955年(昭和30年)までに12の町村を編入合併し、市域を拡大。
- 1926年(大正15年) - 山陽電気軌道壇ノ浦〜松原間開通(以後路線拡張し、1971年まで営業)。
- 1940年(昭和15年) - 鉄道省が「東京・下関間新幹線建設基準(弾丸列車)」(現在の新幹線)を制定。
- 1942年(昭和17年) - 世界初の海底鉄道トンネルである関門鉄道トンネルが開通。下関駅が現在地(竹崎町)に移転。
- 1945年(昭和20年) - B-29による機雷敷設および市街地空襲。対馬海峡の封鎖により関釜連絡船が休止に。6月29日と7月2日の二度にわたる市街地への大規模な空襲で市街地の大半を焼失、死者324人の犠牲を出した。
第二次大戦後
- 1949年(昭和24年) - まるは球団(大洋ホエールズ、現在の横浜DeNAベイスターズ)が下関の地に創設。
- 1950年(昭和25年) - 下関大丸オープン。
- 1951年(昭和26年) - 下関港を特定重要港湾(現在名=国際拠点港湾)に指定。下関漁港が特定第3種漁港に指定。
- 1956年(昭和31年) - 下関市立水族館オープン。
- 1958年(昭和33年) - 世界初の海底国道トンネルである関門国道トンネルが開通。人道部も同時開通し、徒歩で九州に渡れるようになる。
- 1959年(昭和34年) - 韓国工作船明星号沈没事件。
- 1962年(昭和37年) - 下関市立大学開学。
- 1963年(昭和38年) - 水産大学校設置。
- 1966年(昭和41年) - 下関漁港が年間水揚げ量日本一となる。(約28万5千トン)
- 同年9月17日 - 北朝鮮の武装密航船が竹崎町岸壁に接岸。乗組員の脱北者数名が下関海上保安署に自首。(平新艇事件)
- 1970年(昭和45年) - 関釜フェリーが就航。1945年以来25年ぶりに朝鮮半島・釜山との海上連絡が復活。
- 1971年(昭和46年) - サントス市(ブラジル連邦共和国)と姉妹友好都市締結。
- 1972年(昭和47年) - イスタンブール市(トルコ共和国)と姉妹友好都市締結。
- 1973年(昭和48年) - 関門橋が開通。(開通時点では日本および東洋で最長の吊り橋)
- 1975年(昭和50年) - 山陽新幹線開業、市内の新幹線停車駅として新下関駅を設置(長門一ノ宮駅を改称)。新関門トンネル開通。(開通当時は日本一長い鉄道トンネル)
- 1976年(昭和51年) - 釜山市(大韓民国)と姉妹友好都市締結。
- 1977年(昭和52年) - シーモール下関(オープン当時、西日本最大の複合商業施設)が開店。
- 1979年(昭和54年) - 青島市(中華人民共和国)と姉妹友好都市締結。
- 1992年(平成4年) - 下関港をFAZ〔Foreign Access Zone〕輸入促進地域に指定。
- 1995年(平成7年) - 運輸省が下関港を中枢国際港湾に指定。
- 1996年(平成8年) - 山口県国際総合センター(海峡メッセ下関)オープン。
- 1998年(平成10年) - ピッツバーグ市(アメリカ合衆国)と姉妹友好都市締結。青島航路が週1便へ 。
- 2001年(平成13年) - しものせき水族館 海響館オープン。
- 2002年(平成14年) - 特例市に指定。海峡メッセ下関にて国際捕鯨委員会 (IWC) の年次総会を開催。
- 2005年(平成17年)2月13日 - 下記の合併により新たに下関市が発足。この合併により特例市に再指定。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 中核市に指定。
- 2006年(平成18年) - 蘇州航路就航。
- 2009年(平成21年) - 長州出島一部供用開始。ゆめシティオープン。
- 2011年(平成23年) - 国土交通省が下関港を日本海側拠点港および総合的拠点港に指定。光陽航路就航。
- 2016年(平成28年) - 釜山広域市との友好姉妹都市締結40周年。「下関ふく」の地理的表示(GI)水産区分で国内第1号認定。
- 2017年(平成29年) - 前田晋太郎新下関市長就任。トワイライトエクスプレス瑞風発出発。長州出島にガントリークレーン設置。朝鮮通信使がUNESCOの「世界の記憶」登録認定。
- 2018年(平成30年) - ボートレース下関過去最高売上。下関市立中央こども園開園。明治維新150周年記念事業。
- 2019年(平成31年/令和元年) - 4月30日をもって現上皇さまが退位。翌5月1日、新天皇即位。下関港が国際クルーズ拠点形成港湾に指定。下関陸上競技場リニューアルオープン。
- 2020年(令和2年) - 下関大丸が大丸松坂屋百貨店に吸収合併され消滅。大丸下関店へ改称。
行政区域の変遷
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市制の施行により、赤間関区の一部(六連島・彦島を除く)の区域、23町1村をもって赤間関市(あかまがせきし)が発足。日本で最初に市制施行した31市の中の一つとなる。市制施行時人口 26,556人。世帯数 5988世帯(明治22年12月31日)[17]
- 1902年(明治35年)6月1日 - 赤間関市が改称して下関市(第1次)となる。
- 1921年(大正10年)1月10日 - 生野村を編入。
- 1933年(昭和14年)3月20日 - 彦島町を編入。
- 1937年(昭和12年)3月26日 - 長府町を編入。
- 1937年(昭和12年)11月15日 - 安岡町・川中村を編入。
- 1939年(昭和14年)5月17日 - 小月町・清末村・王司村・勝山村・吉見村を編入。
- 1954年(昭和29年)8月1日 - 豊西村の一部(大字吉母・蓋井島および室津上の一部)を編入。
- 1955年(昭和30年)7月1日 - 王喜村と吉田村を編入。
- 1955年(昭和30年)11月1日 - 内日村を編入。
- 2005年(平成17年)2月13日 - 菊川町・豊田町・豊浦町・豊北町と合併し、改めて下関市(第2次)が発足。
経済
港湾都市として栄えたこともあり、古くから海運や貿易および金融に関連した産業が盛んであった。 現在も経済面で山口県の西部(長門国)の中心的都市であり、2016年の市内総生産は9174億85百万円で県内1位[18]。下関市に本社、あるいは営業拠点を置く企業も多く、中国・四国地方最大の金融グループである山口フィナンシャルグループ(山口FG)および傘下の山口銀行、山口県下最大(中国地方3位)の信用金庫である西中国信用金庫、山口県内一円を営業エリアとする一般ガス事業者の山口合同ガス、地方紙「山口新聞」や水産食品専門紙「みなと新聞」を発行するみなと山口合同新聞社が本社を置いている。また日本銀行も山口市ではなく下関市に日銀支店(日本銀行下関支店)を置いている。一方で、関門海峡対岸に位置する北九州市をはじめとする北部九州地域との交流も深く、下関市は北九州市とともに関門都市圏を形成している(詳細は北九州市との関係参照)。
企業
- 下関市に本社・本部を置く上場企業
- 下関市に本社・本部を置くその他主要企業
- 下関市に支社・生産拠点を置く主な企業
水産業
第一次産業では主に水産業が盛んで、以前は捕鯨が主であった。現在も下関は「近代捕鯨発祥の地」である上、全国有数の商業捕鯨基地であり、現在も調査捕鯨の基地である。現在はフグの水揚げ高が全国の8割を占め、水揚げ高は全国1位であり、市内にはふぐ専用の魚市場の南風泊(はえどまり)魚市場を構える(参照、下関とふく)。また最近になり、アンコウの水揚げ高も日本一であることがわかり、下関の新たな名物としてPR活動を行っている。
市内には、一般人にも開放された唐戸市場、ふぐ専用の卸売市場である南風泊市場、特定第3種漁港の下関漁港にある下関漁港市場、旧豊北町にある特牛市場などの水産物部門の卸売市場がある。
- 主な港湾
|
|
行政・議会
市長
- 第1代:江島潔(2005年3月27日 - 2009年3月26日) - 旧市長を1995年から2005年まで連続3期務める
- 第2代:中尾友昭(2009年3月27日 - 2017年3月26日)
- 第3代:前田晋太郎(2017年3月27日 - 現職)
歴代市長[19]
代 | 市長名 | 任期 | 任期数 | ||
---|---|---|---|---|---|
旧下関市長(官選) | |||||
初 | 伊藤房次郎 | 1889年(明治22年)4月28日 - 1891年(明治24年)7月19日 | 1 | ||
2 | 石川良平 | 1891年(明治24年)8月9日 - 1892年(明治25年)8月 | 1 | ||
3 | 内田一心 | 1892年(明治25年)8月 - 1896年(明治29年)2月 | 1 | ||
4 | 高洲素介 | 1896年(明治29年)2月 - 1899年(明治32年)3月 | 1 | ||
5 - 6 | 原勝一 | 1899年(明治32年)4月 - 1906年(明治39年)8月17日 | 2 | ||
7 | 白上俊一 | 1906年(明治39年)10月9日 - 1910年(明治43年)5月27日 | 1 | ||
8 | 小林重威 | 1910年(明治43年)10月5日 - 1913年(大正2年)11月15日 | 1 | ||
9 | 青木良雄 | 1914年(大正3年)7月7日 - 1917年(大正6年)5月29日 | 1 | ||
10 | 不破彦麿 | 1917年(大正6年)10月9日 - 1919年(大正8年)9月2日 | 1 | ||
11 | 李家隆介 | 1919年(大正8年)10月 - 1921年(大正10年)2月 | 1 | ||
12 - 13 | 山崎林太郎 | 1922年(大正11年)8月 - 1927年(昭和2年)1月 | 2 | ||
14 | 浮田茂太郎 | 1927年(昭和2年)1月26日 - 1931年(昭和6年)1月 | 1 | ||
15 - 18 | 松井信助 | 1931年(昭和6年)1月16日 - 1946年(昭和21年)2月 | 4 | ||
19 | 松尾守治 | 1946年(昭和21年)3月 - | 1 | ||
旧下関市長(公選) | |||||
20 | 松尾守治 | 1947年(昭和22年)4月 - 1951年(昭和26年)3月 | 1 | ||
21 - 23 | 福田泰三 | 1951年(昭和26年)5月10日 - 1963年(昭和38年)4月 | 3 | ||
24 | 木下友敬 | 1963年(昭和38年)5月2日 - 1967年(昭和42年)4月29日 | 1 | ||
25 - 27 | 井川克巳 | 1967年(昭和42年)4月30日 - 1979年(昭和54年)4月29日 | 3 | ||
28 - 30 | 泉田芳次 | 1979年(昭和54年)4月30日 - 1991年(平成3年)4月29日 | 3 | ||
31 | 亀田博 | 1991年(平成3年)4月30日 - 1995年(平成7年)4月29日 | 1 | ||
32 - 34 | 江島潔 | 1995年(平成7年)4月30日 - 2005年(平成17年)2月12日 | 3 | ||
下関市長 | |||||
初 | 江島潔 | 2005年(平成17年)3月27日 - 2009年(平成21年)3月26日 | 1 | ||
2 - 3 | 中尾友昭 | 2009年(平成21年)3月27日 - 2017年(平成29年)3月26日 | 2 | ||
4 | 前田晋太郎 | 2017年(平成29年)3月27日 - 現職 | 1 |
市長選挙
・2017年3月12日執行[20]
※当日有権者数:225,864[21]人 最終投票率:47.09%(前回比:+5.05pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
前田晋太郎 | 40 | 自由民主党 | 新 | 48,896票 | 46.39% | |
中尾友昭 | 67 | 無所属 | 現 | 45,546票 | 43.21% | |
松村正剛 | 63 | 無所属 | 新 | 10,958票 | 10.40% |
・2013年3月10日執行[22]
※当日有権者数:229,011人 最終投票率:42.04%(前回比:-11.43pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
中尾友昭 | 63 | 無所属 | 現 | 55,383票 | 58.27% | |
西本健治郎 | 36 | 無所属 | 新 | 39,656票 | 41.73% |
・2009年3月15日執行[23]
※当日有権者数:234,585人 最終投票率:53.47%(前回比:+4.17pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
中尾友昭 | 59 | 無所属 | 新 | 62,964票 | 50.75% | |
友田有 | 51 | 無所属 | 新 | 40,706票 | 32.81% | |
香川昌則 | 45 | 無所属 | 新 | 20,401票 | 16.44% |
・2005年3月27日執行[24]
※当日有権者数:238,549人 最終投票率:49.30%(前回比:pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
江島潔 | 47 | 無所属 | 現 | 45,938票 | 39.52% | |
中尾友昭 | 55 | 無所属 | 新 | 43,468票 | 37.39% | |
松原守 | 62 | 無所属 | 新 | 26,838票 | 23.09% |
下関市議会
- 定数:34人
- 任期:2019年2月13日 - 2023年2月12日[25]
- 議長:林透(みらい下関)
- 副議長:吉田真次(創世下関)
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表者) |
---|---|---|
創世下関 | 7 | ◎福田幸博、亀田博、吉田真次、井川典子、吉村武志、濵﨑伸浩、阪本祐季 |
みらい下関 | 7 | ◎戸澤昭夫、林透、木本暢一、田中義一、香川昌則、星出恒夫、林昂史 |
志誠会 | 6 | ◎林真一郎、関谷博、安岡克昌、小熊坂孝司、板谷正、村中良多 |
公明党市議団 | 5 | ◎前東直樹、恵良健一郎、平田陽道、坂本晴美、河野淳一 |
日本共産党下関市議団 | 4 | ◎桧垣徳雄、江原満寿男、片山房一、西岡広伸 |
市民連合 | 3 | ◎山下隆夫、濵岡歳生、東城しのぶ |
無所属 | 2 | 田辺よし子、本池涼子 |
計 | 34 |
(2019年2月27日現在[26])
山口県議会
- 選挙区:下関市選挙区
- 定数:9人
- 任期:2019年4月30日 - 2023年4月29日
- 投票日:2019年4月7日
- 当日有権者数:220,428人
- 投票率:38.89%
候補者名 | 当落 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
先城憲尚 | 当 | 63 | 公明党 | 現 | 14,205票 |
西本健治郎 | 当 | 42 | 自由民主党 | 現 | 11,435票 |
塩満久雄 | 当 | 72 | 自由民主党 | 現 | 9,651票 |
友田有 | 当 | 62 | 自由民主党 | 現 | 9,611票 |
木佐木大助 | 当 | 64 | 日本共産党 | 現 | 7,874票 |
平岡望 | 当 | 46 | 自由民主党 | 現 | 7,818票 |
高瀬利也 | 当 | 54 | 自由民主党 | 現 | 6,367票 |
林哲也 | 当 | 72 | 自由民主党 | 現 | 6,120票 |
酒本哲也 | 当 | 47 | 無所属 | 新 | 5,643票 |
有福精一郎 | 落 | 69 | 無所属 | 元 | 3,059票 |
吉村親房 | 落 | 78 | 無所属 | 現 | 1,615票 |
佐々木信夫 | 落 | 80 | 無所属 | 現 | 1,088票 |
衆議院
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 安倍晋三 | 63 | 自由民主党 | 前 | 104,825票 | |
藤田時雄 | 63 | 希望の党 | 新 | 18,567票 | ○ | |
西岡広伸 | 54 | 日本共産党 | 新 | 13,721票 | ||
黒川敦彦 | 39 | 無所属 | 新 | 6,687票 | ||
郡昭浩 | 56 | 無所属 | 新 | 645票 |
公共サービス
市役所
唐戸に隣接する南部町(なべちょう)に本庁を置くほか、2005年(平成17年)の合併前の旧郡部の各町に総合支所(4箇所)、旧下関市内に12支所、総合支所管内に11支所を配する。また、3つのサテライトオフィスと1つの事務所(東京事務所)、上田中町(かみたなかちょう)の旧下関図書館の建物を活用して下関市役所上田中町庁舎を置いている。
2004年の広域合併以降、市庁舎の位置を巡って紆余曲折が見られる。市長選挙でも度々、市役所移転問題(市役所を現在の位置のままにするか、新下関に移転するか)が取り上げられたが、結局は唐戸地区のままである。
地域区分
市役所本庁、総合支所、支所(総合支所内のものを除く)の所管する地域として、17の地区がある。
各地区の名称は、本庁の所管する区域は「本庁地区」、〇〇(総合)支所の所管する区域は「〇〇地区」と呼ばれる。
本庁地区の領域は市制施行(1889年)当初のものに旧生野町(1921年編入合併)を合わせたものである。そのほかの地区の領域は、概して、下関市への編入合併 (1933年(昭和8年)彦島 - 1955年(昭和30年)内日) や下関市との新設合併 (2005年(平成17年))によって消滅した各町村(旧豊浦郡や旧厚狭郡に属していた) の領域を引き継ぐものである。(本庁地区以外の領域の詳細は、支所設置条例 および 総合支所設置条例 を参照。)
警察機関
現在市内には、下関警察署・長府警察署・小串警察署の3つの警察署があり、下関管内に彦島幹部交番(旧彦島警察署)、長府管内に豊田幹部交番(旧豊田警察署)の2つの幹部交番がある。各警察署の管轄区域は以下のとおり。
- 下関警察署:本庁地区、川中地区、安岡地区、吉見地区、勝山地区、彦島地区
- 長府警察署:長府地区、王司地区、清末地区、小月地区、王喜地区、吉田地区、内日地区、菊川地区、豊田地区
- 小串警察署:豊浦地区、豊北地区
- 下関警察署管内
- 長府警察署管内
- 豊田幹部交番
- 小月交番
- 長府駅前交番
- 城下町長府交番
- 菊川交番
- 王喜警察官連絡所
- 吉田警察官駐在所
- 内日警察官駐在所
- 前田警察官連絡所
- 百合野警察官連絡所
- 豊田中警察官連絡所
- 殿居警察官駐在所
- 楢崎警察官連絡所
- 小串警察署管内
- 川棚警察官駐在所
- 黒井警察官駐在所
- 室津警察官駐在所
- 湯玉警察官駐在所
- 阿川警察官駐在所
- 粟野警察官駐在所
- 神玉警察官駐在所
- 神田警察官駐在所
- 滝部警察官駐在所
- 田耕警察官駐在所
- 角島警察官連絡所
- 二見警察官駐在所
消防
消防業務は下関市消防局が行っている。現在市内には、中央消防署・北消防署・西消防署・東消防署・豊浦西消防署・豊浦東消防署の6つの消防署がある。各消防署の管轄区域は以下のとおり。
- 中央消防署 :本庁地区(山の田を除く)
- 北消防署:本庁地区の山の田、川中地区、安岡地区、吉見地区
- 西消防署:彦島地区
- 東消防署:長府地区、王司地区、清末地区、小月地区、王喜地区、吉田地区、勝山地区、内日地区
- 豊浦西消防署:豊浦地区、豊北地区
- 豊浦東消防署:豊田地区、菊川地区
医療
- 国立病院機構関門医療センター(旧国立下関病院)(救命救急センター)
- 地方独立行政法人下関市立市民病院(旧下関市立中央病院)(二次救急)
- 地域医療機能推進機構下関医療センター(旧下関厚生病院)(二次救急)
- 山口県済生会下関総合病院(二次救急)
- 下関市夜間急病診療所(初期救急医療機関)
- 山口県済生会豊浦病院
- 下関市立豊田中央病院
- 下関リハビリテーション病院
- 下関病院
- 武久病院
- 昭和病院
- 安岡病院
- 桃崎病院
かつて二次救急を担う4医療機関はすべて本庁地区に所在していたが、2005年4月に済生会下関総合病院が安岡地区へ、2009年4月に関門医療センターが長府地区へ移転したため、救急指定病院の集中度が緩和された。それでも、4医療機関のすべてが旧市部に所在する状況は変わらず、旧郡部からの移動が1時間を超える地域もあるため、救急医療体制や交通網のさらなる充実が課題となっている(ただし、旧郡部の北側では、長門市の二次救急医療機関を利用するほうが少ない移動時間で済む場合がある)。
図書館
- 中央図書館、長府図書館、彦島図書館、菊川図書館、豊田図書館、豊浦図書館、豊北図書室の7図書館(室)と移動図書館がある。
- また、北九州市との協定で、下関市民は北九州市立図書関連施設(19施設)の貸出利用が可能。 このほか、 一般公開している学校図書館 (下関中等教育学校) もある。
市営斎場・墓地・霊園
駐日外国公館等
- 在下関大韓民国名誉総領事館
公庫
- 日本政策金融公庫下関支店
官公署
- 裁判所
- 法務省
- 山口地方法務局下関支局
- 山口保護観察所下関駐在官事務所
- 下関拘置支所
- 広島出入国在留管理局下関出張所
- 山口地方検察庁下関支部
- 下関区検察庁
- 財務省
- 厚生労働省
- 農林水産省
- 門司植物防疫所下関出張所
- 国土交通省
- 防衛省
- 山口県
- 木屋川ダム管理事務所
- 山口県企業局木屋川発電所
- 山口県企業局西部利水事務所
- 山口県貴船園
- 山口県国際総合センター(海峡メッセ下関)
- 山口県下関漁港地方卸売市場管理事務所
- 山口県下関児童相談所
- 山口県水産振興局
- 山口県下関土木建築事務所
- 山口県下関土木建築事務所豊田分室
- 山口県下関農業改良普及センター
- 山口県下関農林事務所
- 山口県西部家畜保健衛生所
- 山口県立西部高等産業技術学校
主な大型商業施設
* 大型商業施設のみの記載
- シーモール下関
- 大丸下関店(旧下関大丸)
- グリーンモール商店街
- 長門市場(「リトル・プサン」、毎年11月23日に「リトル釜山フェスタ」開催)
- 豊前田(ぶぜんだ、県内最大の歓楽街)
- 唐戸市場
- サンリブ唐戸
- ゆめタウン長府
- ゆめシティ
- ゆめモール下関
観光・催事
観光地
旧下関市街地では幕末前後から明治・大正時代にかけての歴史遺産を整備した名所旧跡や歴史的建築物(洋館、神社仏閣など)が多数存在するほか、城下町の長府地区には由緒ある神社仏閣や武家屋敷などが集まっている。また関門海峡周辺には観光施設が複数建設されており、夏には関門海峡花火大会が下関・門司両岸で開催されるなど、対岸の門司港レトロ地区(北九州市)と併せた周遊ルートとして多くの観光客で賑わっている。下関市は山口県のなかで、最も観光客数が多く、2017年の観光客数は、およそ705万5千人である。2018年の観光客数は、およそ700万人であった[27]。 また、旧4町では「角島大橋」のある角島、「瓦そば」が名物の川棚温泉や石柱渓、本州最西端の地である毘沙ノ鼻などの自然景観を生かした観光地が中心となる。
本庁地区・彦島
関門海峡に面したエリアに観光スポットが多く並ぶ。
- 唐戸・壇ノ浦エリア
-
- 亀山八幡宮 - 境内に亀山砲台跡、床屋発祥の地
- 唐戸市場
- カモンワーフ
- 唐戸桟橋
- 下関市立しものせき水族館(海響館)
- はい!からっと横丁
- 旧下関英国領事館(国重要文化財。現存する日本最古の領事館)
- 下関南部町郵便局(日本最古の現役郵便局舎)
- 旧秋田商会ビル(神戸より西で最初の鉄筋コンクリート造ビル)
- 青春交響の塔 (高杉晋作・坂本竜馬両名の記念碑)
- 朝鮮通信使上陸淹留之地記念碑 (朝鮮通信使記念碑)
- 田中絹代ぶんか館
- 藤原義江記念館
- 金子みすゞゆかりの地(金子みすゞ詩の小径)
- 林芙美子ゆかりの地
- 赤間神宮(安徳天皇陵。水天門と回廊は国の登録有形文化財)
- 春帆楼(下関条約/日清講和条約)締結会場。ふぐ料理公許全国第一号店)
- 関門海峡
- 関門橋
- 関門人道トンネル
- みもすそ川公園
- 壇ノ浦古戦場
- 平家の一杯水
- 火の山
- 彦島エリア
-
- 南風泊市場(ふくのせり市)
- 老の山公園
- ひこっとらんどマリンビーチ(西山海水浴場)
- ナイスビューパーク(風車、休憩所など)
- 下関漁港閘門(世界最小の運河としてギネスに登録)
山陽方面(周防灘沿岸)
- 長府エリア
山陰方面(響灘沿岸)
内陸部
県道34号沿いのエリア。
- 菊川エリア
-
- 植松古墳公園
- 中山渓
主な祭り・イベント
- 2月:下関ふくの日まつり
- 4月中旬:維新・海峡ウォーク
- 4月14日:東行忌
- 5月2日 - 4日:先帝祭(市指定無形文化財)
- 5月3日:しものせき海峡まつり
- 7月下旬:リトル釜山フェスタ in SUMMER
- 8月7日 - 13日:数方庭祭(県指定無形文化財)
- 8月13日:関門海峡花火大会
- 8月下旬:朝鮮通信使行列再現
- 8月下旬:馬関まつり(県内最大の祭り)
- 10月/11月:ツール・ド・しものせき
- 10月第4土曜日:福江八幡宮流鏑馬
- 11月:下関海響マラソン
- 11月23日:下関さかな祭
- 11月23日:リトル釜山フェスタ
名産品
下関四大名物
下関三大鍋料理
その他の名産品
- 辛子明太子(下関発祥)
- 瓶詰めウニ(下関発祥)
- 瓦そば(川棚温泉、下関発祥)
- 韓国料理
- 魚肉練り製品
- 角島・特牛(こっとい)のイカ
- 巌流焼・おそいぞ武蔵
- 亀の甲煎餅
- うにぱい
- 阿わ雪(淡雪)
- 二見饅頭(旧豊北町)
- 小月最中
- ふぐ提灯
- ふぐ凧
- 河豚笛
- 赤間硯
温泉
文化施設・スポーツ施設・主要公園
文化施設
- 下関市立しものせき水族館(海響館)
- 下関市立美術館
- 下関市立歴史博物館(旧市立長府博物館)
- 下関市立考古博物館
- 土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアム
- 深坂自然の森
- 豊田ホタルの里ミュージアム
- 田中絹代ぶんか館
- つのしま自然館
- 豊北歴史民俗資料館
- 下関市民会館
- 山口県国際総合センター(海峡メッセ下関)
- 海峡ゆめタワー
- 下関市立図書館・下関市生涯学習プラザ
スポーツ施設
- 山口県立下関武道館
- 下関市営下関陸上競技場
- 下関市体育館
- 下関市営下関庭球場
- 下関市弓道場
- 下関市相撲場
- 下関運動公園
- ヘルシーランド下関
- 下関市向洋グラウンド
- 下関市彦島体育館
- 下関市彦島庭球場
- 彦島地区公園多目的広場
- 下関市長府体育館
- 下関市市民プール
- 長府扇町第1・第2運動場
- オーヴィジョンスタジアム下関(下関球場)
- オーヴィジョンスタジアム下関第二球場(下関第二球場)
- 下関北運動公園庭球場
- 下関北運動公園多目的広場
- 下関市吉見体育館
- 下関市垢田運動場
- 下関市垢田体育館
- 下関市武道館
- 下関市彦島武道館
- 下関市長府武道館
- 下関市小月武道館
- 下関市川中武道館
- 下関市フットサル場
- 下関市豊浦体育センター
- 下関市豊浦夢が丘スポーツセンター
- 夢ヶ丘公園テニスコート
- 夢ヶ丘公園野球場
- 夢ヶ丘公園プール
- 菊川ベルちゃん体育館
- 下関市菊川運動公園
- 下関市菊川温泉プール
- 下関市豊田テニスコート
- 下関市豊田武道館
- 下関市豊北体育センター
- 下関市豊北総合運動公園
- 下関市豊北田耕市民グラウンド
- 下関市豊北神田市民グラウンド
主要公園
〈桜〉:桜名所、〈城〉:城跡、〈大〉:10ha以上の大規模都市公園
教育
大学・短期大学
4校
- 公立
-
- 下関市立大学
- 下関市立大学大学院
- 下関市立大学
- 私立
-
- 東亜大学
- 東亜大学大学院
- 梅光学院大学
- 梅光学院大学大学院
- 梅光学院大学女子短期大学部
- 下関短期大学
- 東亜大学
省庁大学校
1校
中等教育学校
1校
- 山口県立下関中等教育学校(旧山口県立下関第一高等学校)
高等学校
15校(公立10校、私立5校)
|
|
|
中学校
23校(公立22校、私立1校)
- 公立
|
|
|
- 私立
小学校
47校(すべて公立)
- 公立
|
|
|
認定こども園
- 公立(9園)
-
- 中央こども園
- 王喜こども園
- 垢田こども園
- 菊川こども園
- 西市こども園
- 豊田下こども園
- 川棚こども園
- 黒井こども園
- 豊北こども園
- 私立(14園)
-
- ひがし子ども園
- 下関短期大学付属第一幼稚園
- 下関短期大学付属第二幼稚園
- 下関天使幼稚園
- 泉幼稚園
- しおかぜの里こども園
- 聖母園
- でしまつ子ども園
- くりのみ子供園
- 長府幼稚園
- もみじ幼稚園
- 吉田緑こども園
- いちょう幼稚園
- 豊北きらきらこども園
幼稚園
- 公立(6園)
-
- 第一幼稚園
- 豊浦幼稚園
- 清末幼稚園
- 小月幼稚園
- 川中幼稚園
- 豊東幼稚園
- 私立(7園)
-
- 暁の星幼稚園
- めぐみ幼稚園
- 梅光学院幼稚園
- 海の星幼稚園
- 福王幼稚園
- 下関国際高等学校付属幼稚園
- 安岡幼稚園
保育園
- 公立(10園)
-
- 幸町保育園
- 名池保育園
- 幡生保育園
- 彦島第一保育園
- 長府第一保育園
- 長府第二保育園
- 長府第三保育園
- 長府第四保育園
- 吉見保育園
- 双葉保育園
- 私立(26園)
-
- 東光保育園
- 小波保育園
- ひまわり保育園
- 和光保育園
- 慈光保育園
- 弥生保育園
- のあ保育園
- 専立寺保育園
- すみれ保育園
- 鏡山保育園
- 王司保育園
- 新生保育園
- 清末保育園
- 小月保育園
- しょうや保育園
- 清和保育園
- 勝山保育園
- いずみ保育園
- 木の実保育園
- ひえだ保育園
- ゆたか保育園
- みどり保育園
- みのり保育園
- みそら保育園
- 二葉保育園
- 安楽保育園
特別支援学校
- 山口県立下関南総合支援学校(幼稚部・小学部・中学部・高等部)
- 山口県立山口南総合支援学校下関分校(幼稚部・小学部・中学部)
- 山口県立下関総合支援学校(小学部・中学部・高等部)
- 山口県立豊浦総合支援学校(小学部・中学部・高等部)
専修学校・各種学校・職業訓練校
- 山口県立西部高等産業技術学校(正式には学校教育法に規定される学校ではない)
- 山口朝鮮初中級学校
- 山口朝鮮高級学校
- 立修館高等専修学校
- 学校法人鹿島朝日高等学校
その他学校
- 下関理容美容専門学校
- 下関文化産業専門学校
- 下関福祉専門学校
- 下関看護リハビリテーション学校
- さくら国際言語学院
- 日本医療専門学校
- 下関看護専門学校
- 下関歯科技工専門学校
- ウエストジャパン看護専門学校
- 下関コンピュータビジネス学院
姉妹都市・提携都市
海外
- 姉妹都市
- サントス市(ブラジル連邦共和国 サンパウロ州)
- イスタンブール市(トルコ共和国 イスタンブール県)
- 釜山広域市(大韓民国 広域市)
- 青島市(中華人民共和国 山東省)
- ピッツバーグ市(アメリカ合衆国 カリフォルニア州)
- 友好都市
国内
- 姉妹都市
- その他
交通
交通の要衝
下関は山陽道と山陰道の結節点にあたり、さらには関門海峡を挟んで九州と対峙する位置にあったこと、大陸の玄関口であったことより、古来より陸と海における交通の要衝であり続けた。陸路の例として、山陽道(西国街道)の終点であったことや現在の国道9号の終点であること、また国道191号及び国道491号の起点であること。海路の例として、近世に北前船(西廻り航路)の経由地であったことや、現在、下関港が国際拠点港湾および中枢国際港湾、日本海側拠点港湾、総合的拠点港湾に、下関漁港が特定第3種漁港にそれぞれ指定されていることなどが挙げられる。
交通の要衝であることは、国土防衛上重要な地点であることも意味する。明治期から終戦にいたるまで、下関から門司にいたる関門海峡沿岸一帯が西日本最大と言われた要塞地帯である下関要塞地帯に指定され、写真撮影や地図作成などが厳しく制限された。現在も市内各所に当時の標柱や砲台跡など、要塞地帯の遺構が残っている。
戦前は、関釜連絡船就航によって中国本土や朝鮮半島への玄関口として活況を呈した。終戦時に下関港が在日韓国・朝鮮人送還の主要な出発港の一つになったこともあり、また、現在、日本で唯一毎日運航されている貨客国際航路である関釜フェリーの存在により、現在では市内全域に多くの韓国・朝鮮系住民が居住し、とくに下関駅北側グリーンモール商店街一帯は事実上コリア・タウンとなっている。現在、国際定期旅客航路としては、前述の関釜フェリー(韓国・釜山行)などが就航している。
航空
市内に空港はないが、近隣には北九州空港および山口宇部空港があり、後者は下関市内から路線バスで連絡している。また、福岡空港への高速バスも運行されている。なお、かつては北九州空港への路線バスも存在したが、2011年(平成23年)3月31日をもって廃止された[34]。
鉄道
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 九州旅客鉄道(JR九州)
-
- 山陽本線:下関駅
なお、かつては以下の鉄道事業者が現・下関市域を運行していた。
- 山陽電気軌道(路面電車・現サンデン交通):長府駅 - 下関駅 - 大和町、唐戸 - 東下関駅 - 幡生駅など。1971年廃止。
- 長門鉄道:小月 - 西市。1956年廃止。
- 長州鉄道:東下関駅 - 幡生 - 小串。幡生 - 小串間は1925年に国有化(現在の山陰本線の一部)、残区間は1928年に山陽電気軌道に譲渡。
- 山陽鉄道:小月 - 下関。1906年に国有化(現在の山陽本線の一部)。
海運
主な港湾
#経済の欄参照
下関港を発着する旅客航路
国際フェリー
- 関釜フェリー( 下関市 - 韓国 釜山広域市) 1日1便
- オリエントフェリー( 下関市 - 中国 青島)週2便
- 光陽フェリー( 下関市 - 韓国 光陽)週2便
- 蘇州下関フェリー( 下関市 - 中国 蘇州・太倉) 週2便
その他の航路
国内航路については長距離旅客航路の発着はなく下関市内の各島及び門司港への航路のみとなる。
バス
路線バス
- サンデン交通 - 2005年の市町村合併前からの下関市域全域と、旧菊川町域、旧豊田町域、旧豊浦町域の川棚温泉以南に路線を持つ。また、下関市周辺の都市と下関市を結ぶ路線もある。
- 下関市 - 山陽小野田市 - 宇部市
- 下関市 - 美祢市
- 下関市 - 長門市
- ブルーライン交通 - サンデン交通の子会社で、旧豊田町域、旧豊浦町域の豊洋台団地以北、旧豊北町域に路線を持つ。
- 下関市生活バス - 2005年の市町村合併により編入された各町のコミュニティバスを引き継いだコミュニティバスである。
かつては下関市内を発着・経由し、関門トンネルや関門橋を通り福岡県との間を運行する西鉄バス路線があったが、すべて廃止・撤退し現存しない。但し西鉄バスとサンデン交通が共同運行している高速バスは存在する(下記参照)。
高速バス
このほかかつては東京都(東京駅)・横浜市・広島市・山口市・北九州市などへも高速バスが運行されていたが、これらは廃止された。
タクシー
道路
山口県で唯一の道路基準地と県内の重要地の1つに指定されている[35]。
|
|
|
|
|
|
メディア
市内に立地するテレビ局
情報カメラ(お天気カメラ)は海峡ゆめタワー・火の山のどちらかか、両方に設置されていることが多い。
市内に立地するラジオ局
- COME ON! FM(コミュニティエフエム下関)
- FM山口
- NHK山口放送局下関支局
- KRY山口放送下関支社
新聞
通信社
下関とプロ野球
下関市は、大洋漁業株式会社(現:株式会社マルハニチロ水産)の創業の地であり、西日本地区におけるベースオフィスでもあったことから、当地を本拠地に大洋漁業(当初は林兼商店)野球部が活動し、1948年国民体育大会優勝、その他都市対抗野球などにも出場する強豪チームとして知られた。
1950年の2リーグ分裂により、同チームはプロ化して「株式会社まるは球団」を設立してチーム名も大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)として、セントラル野球連盟に加盟し、旧・市営野球場を本拠とした。大洋は経営的に不利な状況が続き、1951年には広島東洋カープとの合併も囁かれたが、広島市民の熱意で合併は一旦回避される。しかし、1953年のシーズン開幕前に松竹ロビンス(京都市)と電撃合併が決まり、チーム名も「大洋松竹(洋松)ロビンス」として大阪府大阪市を本拠地とすることになり、下関のホエールズは3シーズンで消滅した。
かつてホエールズが本拠地としていた旧・市営球場(現在の下関市立市民病院所在地)は1985年限りで老朽化のため解体され、1988年には下関北運動公園内に現在の市営球場が開場した[36]。「下関のホエールズ」が消滅してから半世紀近くが経過した1999年に福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)が本拠地を大阪市(大阪球場)から福岡県福岡市(平和台球場→福岡ドーム)に移転してから初のパ・リーグ優勝・日本一を決めて以来、福岡県に近い土地柄・「ホエールズの記憶」の風化から下関市内でもホークスファンが多くなった[36]。
2018年現在はホークスファンが下関市民の大勢を占めているが[37][38][36][39]、大洋が下関から撤退した後も準本拠地的に年数試合の主催ゲームが開かれるなど、今なおベイスターズの人気も根強い[36][39]。ホエールズ(当時の本拠地:川崎球場)が球団創設後初の日本一に輝いた1960年、それから38年ぶりにベイスターズ(本拠地:横浜スタジアム)が2度目の日本一に輝いた1998年には、それぞれ神奈川県内の本拠地所在地(川崎市・横浜市)のみならず発祥地・下関市内でも優勝パレードが開かれ、1998年の優勝パレードには約6万人が集まった[36]。
下関を主要な舞台にした作品
- 作品全体での主要舞台になっている場合のみ追加
- ドラマ
-
- TBS創立50周年記念番組「明るいほうへ明るいほうへ〜童謡詩人金子みすゞ〜」(長門市仙崎と共に)
- TBSドラマ特別企画「金子みすゞ物語〜みんなちがってみんないい〜」(長門市仙崎と共に)
- 少女には向かない職業(全10話)
- 月曜名作劇場『税務調査官・窓際太郎の事件簿31「下関うず潮に消えた愛」』(2016年12月12日放送)
- 小説
-
- キラプリおじさんと幼女先輩シリーズ(岩沢藍)
- 少女には向かない職業(桜庭一樹)
- 共喰い(田中慎弥)
出身有名人
政治
- 青木作雄(元衆議院議員)
- 大岡育造(元衆議院議長・元文部大臣)
- 徳永正利(元参議院議長・元運輸大臣 )[40]
- 湯浅倉平(元宮内大臣・元警視総監・元会計検査院長)
- 江藤智(元運輸大臣)
- 林義郎(元大蔵大臣・元厚生大臣、元衆議院議員、自由民主党)
- 林芳正(文部科学大臣・元農林水産大臣・元防衛大臣、参議院議員、自由民主党)
- 林平四郎(衆議院議員、貴族院議員)
- 髙木義明(元文部科学大臣、元衆議院議員、民主党)
- 田中和徳(元復興大臣、衆議院議員、自由民主党)
- 江島潔(参議院議員、自由民主党)
- 江島鐡雄(下関市会議員)
- 坂本実(元衆議院議員・自由党)
- 魚谷哲央(維新政党・新風設立者・初代代表)
- 福田正義(日本共産党(左派)設立者・議長)
- 出畑実(衆議院議員)
経済
- 宗岡正二(元新日鐵住金代表取締役会長兼CEO、全日本柔道連盟会長)
- 来島達夫(元JR西日本代表取締役社長、現JR西日本副会長)
- 山本正已(元富士通代表取締役社長、元電子情報技術産業協会会長)
- 河田正也(元日清紡ホールディングス社長、現日清紡ホールディングス会長)
- 末光鉄之助(関門日報社顧問、関門日日新聞社長、馬関物価日報社長、下関実業日報社長)
- 末光賢吉(関門日報社会長)
- 末光正人(関門日報社社長、読売新聞社記者、ジャーナリスト)
- 前田金造(石油燐寸商、穀物商)
- 瀧川辨三(実業家「日本のマッチ王」、滝川学園創立者)
- 白石正一郎(豪商)
- 伊藤助太夫(豪商)
- 岡崎富夢(株式会社PASIO代表取締役社長)
- 秋利美記雄(クイズ解答者)
- 上井文彦(元新日本プロレス営業本部長)
- 濱川豪児(株式会社ロックオン代表取締役社長)
- 中村良夫(本田技研工業常務・特別顧問、ホンダF1初代監督)
- 中山太一(中山太陽堂(現在のクラブコスメチックスグループ)創業社長)
- 吉田実 - (シーモール下関商業開発株式会社代表取締役社長)
行政
学術
文化
|
|
芸能
|
|
マスコミ
|
|
スポーツ
|
|
その他
- 三吉慎蔵(長府藩士。志士)
- 乃木希典(陸軍大将。伯爵)
- 服部潜蔵(大日本帝国海軍士官)
- 西山太吉(元毎日新聞記者、西山事件当事者)
- 木村晴美(国立障害者リハビリテーションセンター学院教官、NHK手話ニュース845キャスター)
- 奥平剛士(日本赤軍創設メンバーで最高幹部。テルアビブ空港乱射事件実行犯。奥平純三は実弟。)
- 奥平純三(日本赤軍メンバー。ハーグ事件、クアラルンプール事件、ダッカ日航機ハイジャック事件実行犯)
ゆかりのある人物
- 秋田寅之介(旧姓・秋富、秋田松次郎の養子、秋田商会社長、衆議院議員)
- 秋田三一(旧姓・武光、秋田寅之介の養子、貴族院議員)
- 安倍晋三(衆議院議員・第90・96・97代内閣総理大臣・自由民主党総裁、当地を含む山口県第4区選出で、自宅も下関市内にある)
- 松本清張(小説家)広島市で生まれ1歳で下関に引っ越し11歳頃まで下関で育つ。
- 林芙美子(小説家)林芙美子本人が、自分は下関生まれだと語っている。
- 森進一(歌手)生まれは山梨県甲府市。幼児期から中学3年途中まで下関で育つ
- 魁傑將晃(大相撲力士・元大関、第11代日本相撲協会理事長。小学3年から高校卒業まで下関で育つ)
- 八尋俊邦(元三井物産社長・会長、元経団連副会長)
- 韓昌祐(マルハン創業者)
市外局番・郵便番号
市外局番
- 下関MA(市外局番:083、市内局番:2xx(217を除く)、766 - 768、77x、78x)=市内全域
- 従前、下関・豊浦・美祢の3MAが混在し、市外局番も別であった。2008年3月1日より、郵政省告示改正により、MAの統合・分割が行われ、下関市全域が同一市外局番となった。
- それまで美祢MAに含まれていた下関市豊田町(旧市内局番:66 - 68)は、現在の美祢MA(旧美東町エリアを除く美祢市、市外局番:0837、市内局番:50 - 65、69)との相互通話は区域隣接通話となり、以前より通話料が高くなるほか新たに市外局番が必要である。
- 山口県西部の天気予報はそれまでの0832-177(旧・下関MA)から0836-177(宇部MA)に変更された。217局は山口県西部の天気予報(宇部MA)への誘導用のため使用できない。
郵便番号
- 下関郵便局:750-00xx、750-85xx、750-86xx、750-87xx
- 菊川郵便局:750-03xx、750-02xx[注 2]
- 豊田郵便局:750-04xx
- 小月郵便局:750-11xx
- 粟野郵便局:759-51xx
- 阿川郵便局:759-52xx
- 特牛郵便局:759-53xx
- 滝部郵便局:759-55xx
- 矢玉郵便局:759-61xx
- 豊浦郵便局:759-63xx
- 下関東郵便局:751-08xx、751-85xx、751-86xx、751-87xx、759-65xx、759-66xx[注 3]
- 長府郵便局:752-09xx、752-85xx、752-86xx、752-87xx
自動車のナンバープレート
自動車のナンバープレートは、以前は「山口」ナンバーであったが、2006年10月10日より、県内唯一のご当地ナンバーである「下関」ナンバー登録の地域となった。
脚注
注釈
出典
- ^ 下関市立中央図書館蔵、1982年初版発行・山口県教育委員会編「山口県百科事典」P369、「下関市」の欄にあかまのせきの記載有
- ^ 山口県の気象特性・地勢 下関地方気象台
- ^ a b “統計しものせき (地区別の数値)”. 下関市総務課 (2018年1月15日). 2018年7月24日閲覧。 から関連データを閲覧。
- ^ “魅力ある下関へ前進 合併10周年で記念式典”. 山口新聞. (2015年2月15日) 2018年7月23日閲覧。
- ^ 下関市立中央図書館蔵、山口県教育委員会編集 「山口県百科事典」参照
- ^ 「貞観11年9月27日太政官符」『類聚三代格』巻18所収。
- ^ 『吾妻鏡』元暦2年正月12日条。同年3月24日条にも記載あり。
- ^ 『続日本後紀』承和8年8月戊午条には「長門関司」の呼称が登場する。
- ^ 『大同類聚方』「赤間薬 長門国赤間稲置等家方」
- ^ 藤原佐理『離洛帖』「長門赤馬泊」
- ^ 須田牧子『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)P112-113
- ^ 須田牧子『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)P114-118
- ^ 『笑雲入明記』
- ^ 須田牧子『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)P121-123
- ^ 須田牧子『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)P123-124
- ^ 須田牧子『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)P127-128
- ^ 下関市『統計しものせき』2000年度版 参照
- ^ 下関市 2018年1月15日公開『統計しものせき』(全市の数値(2)経済基盤、行政基盤)〈C 経済基盤 市町村民経済計算 C11-01-0 市町村内総生産〉 及び 平成28年度山口県統計年鑑「所得」〈150 経済活動別市町内総生産:Excel〉参照。
- ^ 『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。『朝日新聞』。
- ^ 下関市長選挙(平成29年3月12日 執行)下関市
- ^ 下関市長選挙 確定投票状況下関市
- ^ 平成25年3月10日執行 下関市長選挙下関市
- ^ 平成21年3月15日執行 下関市長選挙下関市
- ^ 下関市長選挙 選挙結果選挙ドットコム
- ^ “国会議員、知事及び県議会議員任期満了日等一覧”. 山口県庁. 2019年12月20日閲覧。
- ^ 会派等一覧表 平成31年2月27日
- ^ "平成30年の下関市観光客数・宿泊者数" (pdf) (Press release). 下関市. 2020年7月14日閲覧。
- ^ http://www.city.shimonoseki.lg.jp/www/contents/1348532219552/index.html
- ^ http://www.city.shimonoseki.lg.jp/www/contents/1348548630389/index.html
- ^ http://www.city.shimonoseki.lg.jp/www/contents/1348623010060/index.html
- ^ http://www.city.shimonoseki.lg.jp/www/contents/1348547295286/index.html
- ^ http://www.city.shimonoseki.lg.jp/www/contents/1266190835766/index.html
- ^ “都市間交流宣言:龍馬の絆で結ぶ協定 全国8市区、観光・防災で交流へ”. 毎日新聞. (2014年11月16日)
- ^ 北九州空港エアポートバスは路線廃止致しました。 - サンデン交通
- ^ “都道府県において表示される基準地・重要地・主要地一覧表”. 国土交通省. 2018年8月23日閲覧。
- ^ a b c d e 相島聡司「西日本スポーツ野球プロ野球ボクの思い出スタヂアム 下関球場 ホエールズ発祥地 港町の誇り【西日本新聞掲載記事、2016年12月27日配信】」『西日本スポーツ』西日本新聞社、2016年11月1日。2018年8月1日閲覧。オリジナルの2018年8月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ “情報誌「083‐うみ やま たいよう」第6号(テキスト版)”. 下関市 (2010年3月1日). 2018年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月6日閲覧。
- ^ “情報誌「083‐うみ やま たいよう」第6号(PDF版)” (PDF). 下関市 (2010年3月1日). 2018年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月6日閲覧。
- ^ a b 白石昌幸「山口・下関の横浜ファン、鯨店に集う 一時期大洋が本拠」『朝日新聞デジタル(SPORTS BULL)』朝日新聞社、2017年11月2日。オリジナルの2018年8月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ 山口新聞2018年2月28日(水)掲載記事より[リンク切れ]
関連項目
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- しものせき観光ホームページ
- 下関観光プロモーションビデオ - 下関市広報広聴課
- ウィキトラベルには、下関市に関する旅行ガイドがあります。
- 下関市に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- ウィキボヤージュには、下関市(英語)に関する旅行情報があります。
- 地図 - Google マップ