奥平純三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

奥平 純三(おくだいら じゅんぞう、1949年2月9日 - )は日本新左翼活動家、テロリスト奥平剛士は次兄。

人物[編集]

山口県下関市生まれ。1969年京都大学工学部に入学し、パルチザングループに所属。1973年卒業後に建設会社に勤務するが、1974年5月に偽造旅券で出国して日本赤軍に参加。1974年9月に和光晴生らとともにハーグ事件に参加し、警察官2人に発砲。1975年クアラルンプール事件に関わる。

1976年ヨルダン入国の際に偽造旅券の容疑で日高敏彦とともに逮捕され、10月13日に日本に移送される。1977年ダッカ日航機ハイジャック事件超法規的措置釈放され出国。

1987年6月9日ベネチア・サミット開催中、ローマアメリカ大使館イギリス大使館にロケット弾が発射された他、カナダ大使館で車が爆破されたローマ事件ではレンタカーから奥平の指紋が検出され、イタリア公安当局から奥平の犯行と断定されている。

1988年4月14日ナポリにあるアメリカ軍関連施設(USOクラブ)前で自動車爆弾テロにてアメリカ軍兵士が多数死傷した容疑でアメリカ政府は最大500万ドルの懸賞と安全な転居を保障される「リワード・フォー・ジャスティス・プログラム」により手配されている[1]1998年佐々木規夫とともに他人名義の旅券を不正に取得するため東京を訪れていたことがこれまでの捜査で明らかになっている。

現在も生死不明で、国際指名手配されている。2010年4月以降の手配写真は1998年に撮影されたものに差し替えられた[2][3]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]