芦屋町

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あしやまち
芦屋町
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 福岡県
遠賀郡
団体コード 40381-4
面積 11.49 km²
総人口 14,485
推計人口、2014年3月1日)
人口密度 1,260人/km²
隣接自治体 北九州市
遠賀郡岡垣町遠賀町水巻町
町の木 黒松
町の花 はまゆう
他のシンボル -
芦屋町役場
所在地 807-0198
福岡県遠賀郡芦屋町幸町2番20号
北緯33度53分37.6秒東経130度39分50秒
Ashiya town office.JPG
外部リンク 芦屋町

芦屋町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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芦屋町(あしやまち)は、福岡県遠賀郡遠賀川河口に位置するで、北九州都市圏を構成する自治体である。周辺市町と比べ極めて公共交通の便が悪く、2002年過疎地域に指定されたが、近年は遠賀川東岸で北九州市ベッドタウン化が進む。

地理[編集]

遠賀川の河口両岸に町域があり西岸に町役場など町の中心街があるが、それ以外の西岸地域は大半が航空自衛隊芦屋基地の敷地とそれに隣接する芦屋競艇場の敷地で占められている。また遠賀川の水域面積も広く、実質的な可住区域は7.37km²と狭い。そのため、中高層住宅地区もあり市街地の集積度は人口比に対しては高い方である。町の北側は玄海国定公園に指定されている響灘に面しており、夏には海水浴客で賑わう芦屋海水浴場などがある。冬は強い北西の季節風が吹き、福岡県内でも風の強い地域である。寒波の時でも強風によりほとんど積雪しない地域であるが、その代わりに暴風波浪に注意が必要な日もある。

隣接する自治体・行政区[編集]

町勢[編集]

隣接する北九州市との密接な繋がりがあり、同市のベッドタウンとなっている。遠賀川を挟み西岸地区には古くからの市街地が形成されており、開発できる土地が限られ、また著しく公共交通の利便性が悪いため周辺市町への人口流出が止まらず、人口は減少している。近隣の遠賀町や北九州市若松区高須地区などへの転出も多い。一方、遠賀川の東岸では2000年代に入り、約480戸の分譲団地が開発された。町全体としては人口は減少傾向である。

人口[編集]

Demography40381.svg
芦屋町と全国の年齢別人口分布(2005年) 芦屋町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 芦屋町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
芦屋町(に該当する地域)の人口の推移
1970年 17,366人
1975年 19,762人
1980年 18,934人
1985年 18,643人
1990年 17,398人
1995年 16,685人
2000年 15,827人
2005年 16,247人
2010年 15,367人
総務省統計局 国勢調査より
  • 20代の男性が多いのは、航空自衛隊の隊員が基地内に定住しているためである。

歴史[編集]

弥生時代後期には「岡の津」と呼ばれ、豊津・宇佐と共に三大軍港の一つとして有名であった。当時は奥の深い広大な湾を成していたが、長年の遠賀川からの土砂の堆積と干拓により、かつての面影は無い。平安時代中期から芦屋津()として記録に残る。

1185年葦屋浦の戦い治承・寿永の乱)の合戦場となった。同年平家が滅び、鎌倉幕府の誕生と共に、幕府の命により、宇都宮氏地頭として赴任してきた。およそ1200年頃、土御門天皇の代に、宇都宮氏により「芦屋釜」が興された。

江戸時代から明治初期にかけては遠賀郡、筑豊の海陸、河川交通の要衛として栄え、現在の北九州市西部を含む郡域を統括する郡役所が設けられたほか、行政機関・学校等も置かれ地域の中心都市として繁栄した。 しかし、後に開通した筑豊興業鉄道、九州鉄道の路線が町域を通らなかったこと、1901年官営製鉄所が当時の八幡村に進出したことなどにより洞海湾沿岸部の村々が急激に都市化、また鉄道により折尾や若松が大いに発展したため地域の中心都市という優位性はなくなり、また交通の要衛から陸の孤島へと立場は変わり、行政機関は折尾村へ移転、1900年頃には1万人を超えていた人口は、1940年頃には6000人ほどにまでに減少し、衰退した。

しかし1941年北九州工業地帯の防衛のために新設された陸軍芦屋飛行場が完成し、敗戦後は米軍が接収する。1950年に朝鮮戦争が勃発すると芦屋基地は爆撃機の前線基地となったことで繁栄、隊員相手の歓楽街が形成され一気に人口は倍増した。それまで野原や芋畑ばかりであった現在の正門町地区にビアホールやダンスホール、遊興施設などが続々と完成しまさに眠らない町となった。

しかし、朝鮮戦争が休戦すると次第に米軍の規模は縮小。潮を引いたかのように好景気は去っていった。基地はその後1960年には返還される事となった。 この間人口は15000人前後で一進一退の状態であった。緑ヶ丘に存在した三井工作所の跡地に日本鋳鍛鋼の社宅を誘致、撤退した米軍基地の後継として航空自衛隊を誘致したため人口は急増、1970年代には2万人目前に迫ったもののこれをピークに人口は減少することとなった。


沿革[編集]

江戸時代には廻船問屋なども立ち並び活況を呈した。また、明治時代初頭にかけ、筑豊炭田の積出港として繁栄した。

行政区の変遷[編集]

市町村合併[編集]

合併をめぐる経緯

かつては競艇場の収入と自衛隊の交付金等で苅田町と並んで非常に裕福な町であった。その甲斐あり豪華な町庁舎や大規模な町営住宅群が建設され、下水道も全国トップ水準に整備された(全世帯の99%以上)。また、敬老補助や教育補助も手厚かった。そのため住民、行政とも合併には消極的であった。しかしその後、競艇事業が低迷し財政の悪化とともに合併推進派が現れ、次第に町を二分する大論争となり、2003年3月に住民投票が実施された。結果、合併賛成票が逆転で上回り遠賀郡4町での法定協議会に参加した。新市名・遠賀市となる方向で準備は進んでいたが、2004年9月に隣の岡垣町で行われた住民投票で反対意見が上回ったため同町が離脱し、法定協議会は解散した。

行政[編集]

町長[編集]

  • 波多野茂丸(2期目)
  • 任期:2015年4月30日

町議会[編集]

  • 条例定数:13人(法定上限議員定数:22人)
  • 任期:2015年4月30日

親善・姉妹都市[編集]

警察[編集]

元々は、1875年明治8年)に芦屋町内に警察掛巡視所(2年後の1877年(明治10年)に芦屋警察署と改称)が設置され、その後1891年(明治24年)に折尾に芦屋警察署管轄の派出所が設置された。その後芦屋町内の警察署は廃止、町内全域および町内の派出所は現在折尾署の管轄となっている。1967年まで芦屋警部派出所、1971年まで芦屋警部補派出所、以降は芦屋派出所→交番となっている。

国防[編集]

産業・経済[編集]

漁業[編集]

商業[編集]

個人商店のみ。郊外型大規模小売店は町内には無い。コンビニ、弁当店以外の全国チェーンの小売店すら存在しない。それらもJR九州系列の1店舗を除いて個人業者がFC営業している。

  • 昭和30-50年代までは芦屋橋から南へ伸びる本町通り商店街が栄えており、近隣市町からの買物客も多数いた。また映画館も存在していた。
  • 航空自衛隊芦屋基地が進出すると、町の中心部は次第に正門通り地区へ移りアーケード付きの商店街が形成された。昭和50年代から近隣市町に続々と駐車場を持つ大型店が進出したことから、町外からの買物客が減少するとともに町内の買い物客も町外へ流出することとなった。それでも2000年代前半までは、夕刻や土曜日の午前には活気のある商店街であった。しかし2007年には商店街の核となっていたスーパーが撤退、客離れが深刻化している。日中には活気のない商店街も、夜間は現在も自衛隊向けの個人経営の居酒屋・スナック等が多数営業している。
  • 2012年、買い物弱者対策のため全国でも例のない「公設民営」方式のスーパーが中心部に開店した。しかしその後、近接する民間ス-パーマーケットが撤退するなど、新たな問題も発生している。

教育[編集]

町内には町立の小中学校のみ存在する。公立高校普通科の学区は福岡県第4学区である。

小学校
中学校

航空自衛隊芦屋基地があり、演習時にはかなりの騒音が発生する。一部防音施工されているが、各学校教室の冷房設備等は基本的にはない。

交通[編集]

空港・鉄道・高速道路[編集]

町内に空港・鉄道・高速道路はいずれも存在しない。

バス[編集]

主に町内各地から近隣の鉄道駅を結んでいる。自衛隊前バス停から折尾駅までは約7kmである。1990年代までは経路により異なるものの、15-25分程度で運行していた。利用者の減少、沿線郊外の宅地化により年々経路が遠回りになり、2013年現在では約35分-40分を要す。乗換時分がさらに上乗せされるため、折尾駅を介した乗換には1時間程度を要することも珍しく無い。交通至便な近隣地域と比べると交通の便は極めて悪い。行政もこの課題には取り組んでおり、芦屋町役場バス停からJR折尾駅までラッシュ時には10分間おきに運行されている。 前述の通り、町域内にコンビニ、弁当店を除いた全国チェーンの小売店は一切存在せず、また町内に高校はなく買物や通学のために他の市町村までバスや自家用車に乗り移動する必要がある。特に高齢者にとっての経済負担も深刻で北九州市交通局発行の「ふれあい定期」は芦屋町域は利用不可で、芦屋タウンバスは通常の定期・回数券のみ(割引率は一般路線バスと同程度)、他の自治体のコミュニティバスでよく見られる高齢者の割引もなく、ほぼ現金を使わねばならない。また、直線距離は3キロ弱。自家用車だと5分足らず、徒歩でも40分程度で到達できる高須地区までもバスであれば25分程度を要する。

  • 西鉄バス北九州北九州市交通局共同運行
  • 北九州市交通局
    • 7 鶴松団地→花野路一丁目→青葉台→畠田→脇の浦→上原(若松高校前)→区役所→若松渡場
    • 80 粟屋 - 梅ノ木 - 頃末(水巻町中心部) - 折尾駅
    • 87 粟屋→鶴松団地→三ツ頭→折尾駅西口
    • 90 粟屋・鶴松団地 - 花野路一丁目 - 青葉台 - 高須 - 折尾駅(朝の折尾行き2本は快速)
    • 91 鶴松団地 - 芦屋総合体育館 - 花野路中央 - 青葉台 - 高須 - 折尾駅
  • 芦屋町タウンバス - 町が運営する、道路運送法第78条の2による白ナンバー路線バス(北九州市交通局に運行委託)
    • 芦屋町(芦屋中央病院、夏井ヶ浜(はまゆう団地)) - 遠賀町(遠賀川駅)

廃止されたバス路線[編集]

  • 西日本鉄道西鉄バス宗像西鉄バス北九州
    • 急行21・21 芦屋車庫 - 堤防 - 折尾(ここから急行) - 黒崎 - 中央町 - 到津遊園(現・到津の森公園) - 三萩野 - 小倉駅 - 浅野町(現・浅野)、小倉乗り入れ廃止後数年間、八幡駅行きが設定された時期もある。
    • 21 芦屋車庫 - 堤防 - 折尾車庫・黒崎駅穴生
    • 24 芦屋車庫 - 遠賀川駅・折尾車庫・黒崎駅・穴生
    • 25 芦屋車庫 - 堤防 - 引野口
    • 急行 芦屋車庫 - 堤防 - 引野口 - 北九州道路 - 砂津
  • 北九州市交通局
    • 粟屋 - 町役場 - はまゆう団地
    • 粟屋 - 江川橋 - 高須公営住宅 - 折尾駅
    • はまゆう団地 - 町役場 - 花野路一丁目 - 青葉台 - 高須 - 折尾駅

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

  • アクアシアン(町営レジャープール)
  • 芦屋海水浴場 - 毎年8月下旬に『砂浜の美術展』があり、毎年メイン砂像など巨大な砂像が造られる(現在[いつ?]は財源不足のため休止中)。
  • 芦屋釜の里 - 鎌倉時代から江戸時代初期にかけて作られた芦屋釜の研究、復元保存、展示を実施している。
  • 神武天皇社
  • 岡湊神社
  • 狩尾神社
  • 須賀神社
  • 麻生神社
  • 秋葉神社
  • 千光院大蘇鉄(日本三大蘇鉄)
  • 芦屋歴史の里(歴史民俗資料館)
  • 筑前芦屋 朴鶏の郷
  • 夏井ヶ浜(はまゆう群生地)
  • 狩尾岬(千畳敷)
  • 堂山・洞山
  • 国民宿舎マリンテラスあしや

公営競技[編集]

祭事・催事[編集]

  • 鉄供養(岡湊神社・千光院大蘇鉄) - 2月8日
  • 人形感謝祭(岡湊神社) - 4月末日
  • なんじゃもんじゃ開花(岡湊神社) - 4月末日~5月上旬
  • 芦屋祇園山笠(岡湊神社・狩尾神社) - 7月中旬
  • あしや花火大会(芦屋町観光協会) - 7月下旬
  • 精霊流し - 8月15日
  • 八朔の節句 - 9月1日(国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財の選択を受けている)
  • 筑前芦屋だごびーなとわら馬まつり - 9月下旬(八朔の節句にちなむ)
  • 潮風ウォーキングin芦屋 - 9月下旬
  • 芦屋基地航空祭(航空自衛隊芦屋基地) - 10月

以下は2013年現在休止または中止されている。

  • 砂浜の美術展(芦屋海水浴場)- 8月下旬
  • 芦屋サンバフェスティバル
  • 芦屋ロードレース - 9月

芦屋町出身の有名人[編集]

映画[編集]

下記の映画作品の撮影が当町で行われた。

妖怪[編集]

  • 海女 (妖怪)が当町の海に出没したという伝承が残っている。

脚注[編集]

外部リンク[編集]