狩野芳崖

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狩野 芳崖(かのう ほうがい、文政11年1月13日1828年2月27日) - 明治21年(1888年11月5日)は、明治期の日本画家。
近代日本画の父。

1828年下関狩野派の絵師の家に生まれる。長州藩御用絵師となるが、明治維新後、いわゆる「武士の商法」で養蚕業などを行うが失敗。ほぼ同時代を生きた高橋由一が、日本近代洋画の最初の画家だとすると、近代日本画史の最初を飾るのは芳崖であろう。由一にとってイギリス人画家ワーグマンとの出会いが決定的であったのと同様、芳崖にとってはアメリカ人の美術史家フェノロサとの出会いが重要であった。日本美術を高く評価していたフェノロサは、日本画の伝統に西洋絵画の写実や空間表現を取り入れた、新・日本画の創生を芳崖に託した。フェノロサと知り合った1882年、肺を病み、すでに54歳であった芳崖に残された時間はあまり多くなかったが、さまざまな試行錯誤の結果、畢生の名作「悲母観音」が誕生した。この絵の観音像の衣文表現などには仏画や水墨画の描法が看取される一方、色彩感覚や空間把握には西洋画の息吹が感じられる。芳崖は東京美術学校(後の東京藝術大学)の教官に任命されたが、「悲母観音」を書き上げた4日後の1888年11月5日、同校の開学を待たずに死去した。

[編集] 代表作品

  • 「悲母観音」(東京藝術大学、重要文化財)
  • 「不動明王」(東京藝術大学、重要文化財)
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