辛子明太子
辛子明太子(からしめんたいこ)とは、「明太子・たらこ」を唐辛子を主に使用し味付けしたもの[1]で、食材および食品の一種である(「すけとうだら」以外のマダラ等を材料とした製品は、「辛子明太子」と呼ぶ事は出来ない[2]事情などにより、「めんたい」・「明太子(めんたいこ)」などと略して表記される事も見受けられる)。
博多(福岡県福岡市)の名産品で、広く九州・山口地方の土産物としても知られる。
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[編集] 概要
辛子明太子のルーツは、韓国の「明太子のキムチ漬」と言われている[3]。
語源は複数の説がある。
- 中国語で、スケトウダラを「明太」(ミンタイ)もしくは「明太魚」(ミンタイユー)と呼んでいたことに由来とする説。つまり「明太子」とはスケトウダラの子、即ち「タラコ」という意味になる。なお、日本では「鱈」の字が文書に現れるのは1670年であり、そもそもはスケトという呼び名だった。またロシア語でもスケトウダラを「минтай(ミンタイ)」と呼び、北海道では、スケトウダラの干物を「ミンタイ」と言う。
- 韓国ではスケトウダラの事「明太(ミョンテ)」と呼び、その子だから「明太子」とされたとする説。朝鮮半島では辛子明太という食べ物があるが、これは唐辛子で味付けした「タラ」である。韓国では、日本で言う「辛子明太子」は「明卵漬」(명란젓、Myeongran jeot)と表記し、発音は「ミョンナンジョ」である。こちらはキムチと同じ味付けになっている。
[編集] 明太子・たらこ
『世宗実録』に「1424年、韓国の監司がタラの卵の塩辛を献上した」との記述が残っているが、タラコはどこにでもあるもので、学術的に辛子明太子と結びつけることはできない。スケトウダラを加工して食べる食文化は朝鮮半島でも広まり、また日本の江戸時代でも広まった。
国内においても古くからスケトウダラは漁獲されており、1903年頃から北海道においてスケトウダラ漁が本格化して、スケトウダラの卵の塩漬け(たらこ)が盛んに食べられるようになった。そして1910年から1921年にかけてスケトウダラの卵巣に食塩と食紅を添加した「紅葉子」が開発され、樽詰めにして北海道各地、山形、新潟、東京、名古屋、大阪、下関等に出荷された。
明太子とは「スケトウダラの子」という意味であり「たらこ」を示す言葉として使うのが正しい。元々たらこを示す言葉としての「明太子」が使われない地域に、お土産としてメジャーになった「辛子明太子」がもたらされ、そのうちにその「辛子明太子」の略称としての「明太子」が全国的に広がっていったと考えられている[4]。日本の各地において、「明太子」という言葉を辛子明太子のことを指す人もいるが、博多をはじめとした西日本の一部地域では、唐辛子を使わないいわゆる「たらこ」を示す言葉として辛子明太子と使い分けている[4]。料理名などでは、「明太スパゲティー」やさらに略した「明太」(めんたい)が「辛子明太子」を示す言葉として使われることも多い。
詳細は「たらこ」を参照
[編集] 歴史
2009年現在、辛子明太子の歴史は、辛子明太子業者や関係者に伝わる諸説が存在する。2008年8月に出版された今西一・中谷三男共著『明太子開発史』では、歴史的資料に基づいた辛子明太子の歴史が述べられている。
[編集] 朝鮮半島における辛子明太子
朝鮮半島では上述のように、古くからスケトウダラの卵が塩漬けにされ食されていた。1800年代には誰が考案したということもなく、韓国の辛子明太子は刻んだ唐辛子とともに塩漬けする方法が定着していた。
1900年頃、その歴史的背景から韓国には多数の日本人が居住していた。1907年、日本人の樋口伊都羽が漁民の自家消費となっていた辛子明太子を商品化し、大々的に販売した。翌年、樋口は店舗を釜山に移動し辛子明太子の製造元祖の商標で販売した(ただし1907年当時の有力な歴史資料はその多くが樋口及びその関係者による資料である)。
この時の辛子明太子は後述の唐辛子をまぶしたものでも、調味液に漬け込んだものでもなく、唐辛子入りの塩漬けである。
その後樋口商店は数々の重鎮・名将の支援をうけ隆盛を極めるが、終戦後、その財産の一切を失い引揚船で帰港。以後、樋口は農業に従事し、戦後の辛子明太子の中心は下関に移っていった。
[編集] まぶし型辛子明太子
日露戦争直後から太平洋戦争中にかけて、鉄道省(後の日本国有鉄道→現・JRグループ)は下関と当時日本領であった朝鮮(現・大韓民国)の釜山との間に関釜連絡船を運航していた。この連絡船を経由して、明太の卵巣の辛子漬け(「明卵漬(ミョンナッジョ)」)が下関へ輸入された。この当時は唐辛子やニンニクで漬け込んだ「キムチ」に近いものであった。
戦前において下関は朝鮮に近かったせいか、北海道産の紅葉子が大量に集まっていた。そして鉄道の整備とともにその取扱い量も増えていったが、戦争の影響で全国の紅葉子の取扱いがとまった。
1947年、終戦後下関の油政商店の山根孝三がいち早く紅葉子の仕入れを行った。さらに1947年から1949年の間、妻の実家である北海道から紅葉子を仕入れ唐辛子等を散布した辛子明太子を研究して少量ながら独自に販売していた高井英一郎が、山根の支援をうけて海産物販売の傍ら、宮本商店の前田一男とともに辛子明太子を販売した。その結果、1954年、高井が前田を取締役に迎え、登記簿に残る限り日本最初の辛子明太子専門店を下関に立ち上げた。
その頃の辛子明太子は通称:散布型・まぶし型明太子と呼ばれている。従来の紅葉子に唐辛子や酒粕を散布したものである。
また当時は原料を貨物列車により運搬しており、まぶし型の明太子が唐辛子や酒粕などをまぶすのには日数経過による品質劣化を改善する側面もあった。当時を知る者はこの辛子明太子を「改造明太子と呼んでいた」と説明する。また油政商店ではこれらの辛子明太子をどんぶりにいれ、酒を注ぎ、2-3日寝かせるとさらにおいしくなるという実験も行っていたという。
なお高井商店は1960年に倒産し、1961年同社に勤務していた前田が前田海産を設立する。さらに1980年、高井商店に勤務していた山本剛がはねうお食品を設立、同年、英一郎の次男・秀樹がイリイチ食品を設立などして今日に至る。
[編集] 漬け込み型辛子明太子
まぶして作る辛子明太子は徐々に減っていき、調味液漬けの辛子明太子がほとんどとなった[5]。この漬け込みでは「乳酸発酵」を伴う。漬け込みに際しては、各社工夫をして異なる方法や副材料を使用する事もある。
[編集] 辛子明太子の普及
ふくやの後を追って、1960年代には多くの同業者が設立された。1975年に山陽新幹線が博多駅まで繋がり、東京博多開全通後に設立された福さ屋が新幹線駅や東京の三越百貨店等へ販路を築き、全国的に知れ渡るようになった。近年では料亭や老舗醤油メーカーなども明太子を扱うようになり、良質の原材料を贅沢に使用した高級品の研究も進んでいる。
博多名産・辛子明太子のほうが全国へ波及したために下関のまぶし製法よりも博多で盛んであった漬け込み製法が主流となり、現在でも量販向けで広く流通している。まぶし製法も少数ながら生産されており市場向けの高級品として流通し、棲み分けがなされている。
1980年代には土産物の販売ルート以外にも、百貨店・量販店で広く販売されるようになり、全国でおにぎり・パスタの具として広く利用・販売されている。2007年には、おにぎりなどの加工用辛子明太子の出荷量が、ついに土産用の辛子明太子の出荷量を逆転した。
[編集] 元祖
辛子明太子は日本全国に広がり、その普及の裏で誰が辛子明太子の元祖かを調べ主張する者がいる。これはかつて各業者がそれぞれ自分だと名乗っていたから混乱が起きたのであり、日本統治時代の朝鮮で現地の辛子漬け明太子を初めて販売した樋口、戦後のパイオニアを育てた山根、まぶし型の始祖・高井、現在の辛子明太子の直系を造った川原の労があって今日に至っているという説がある。そもそも、この辛子明太子は日韓の地元漁師が食べていたものであり、突発的に生まれたものでもなく、多くの支援と努力により進化したものである。
[編集] 販売形態と産地
辛子明太子は、その形状によって販売価格・流通経路が大きく異なる。
卵巣の形を保ったままのものは「真子(まこ)」といい、比較的高値で取引される。主に贈答や接待に用いられる。皮が切れたものを「切れ子(きれこ)」と称し、比較的安価で家庭用として好まれる。さらにまったく形がなく粒のみのものを「ばら子(ばらこ)」という。ばら子はパック詰めにして業務用に使用されたり、チューブに入れたりして販売されている。切れ子には少し切れただけのものから、ほとんどばら子に近いようなものまで多種が存在する。なお、真子・切れ子・ばら子の品質には特に違いはない。
また、安価な商品の中には「未熟子」を使用したものがある。未熟子は原料卵が完全に成熟する前のものであり、粒だちが弱く生食するとやや苦味を伴う。ただし未熟子は火を通すと苦味が和らぎ、成熟卵よりもむしろ風味が際立つものが多い。なお未熟子の選別には厳密な規定がないため、市場で表記されることはない。よって苦味のあるものを購入した場合、焼いて食べると意外な味を楽しめることがある。
最近は見栄えのする「着色タイプ」と健康志向に対応した「無着色タイプ」が選べる店が多くなっている。さらにスケトウダラの卵にシシャモの卵等をまぜた商品も存在するが、これは商品名に「明太子」と表記することができず「明太子風」とされている。
さらに、明太子の原料は戦前の頃に比べはるかに細く痩せてしまったといわれるが、細い明太子に別のばらこを注入する技法も生み出された。中には安価なマダラの卵を注入し、それを明太子とうたって問題となった例もある。
明太子の産地について、原料となるスケトウダラの卵は日本近海、アメリカ・アラスカ、ロシアなどで獲れたものが中心であり、スーパーで見かけるものの多くがアメリカ産・ロシア産となっている。近年比較的安価で売り出されている「原産地 中国」と表記されたものを見かけるが、これは上述の卵を中国で加工した中国加工製品であり、中国産の原料卵を日本で加工しているわけではない。
なお2009年頃、不況や中国をめぐる食品問題のあおりを受け、中国に工場を構える業者の多くが撤退を開始していたが、近年再び中国加工のものが増え始めてきた。
[編集] 食品添加物
今日の辛子明太子は日本近海、アメリカ、ロシアなどで獲れた原料卵を加工して製造するが、辛子明太子はその過程において多くの食品添加物を使用する。着色料、発色剤、グルタミン酸ナトリウム(いわゆる味の素)などがその代表的なものである。
なかでも発色剤として広く使用される亜硝酸ナトリウムは発癌性物質としての疑いが強く、使用量も法律で規制されている。ただし亜硝酸ナトリウムは「身体に悪い」という側面だけでなく、その殺菌効果からアメリカ等では保存料として一般的に使用されている面も留意すべきである。
現在辛子明太子は着色料を使用しない「無着色タイプ」をよく目にするが、これらの多くには発色剤やグルタミン酸ナトリウム等が添加されている。そこで亜硝酸ナトリウム等を使用しない、さらに健康志向の「無添加タイプ」も作られている。
[編集] 食べ方
副菜としてそのまま、もしくは好みにより軽く焼いて食卓に供する。また、酒肴やおにぎり、お茶漬けの具材としても好まれる。NTTドコモ「みんなの声」における「好きなごはんのお供ランキング」では、「辛子明太子」が一位であった[6][7]。
マヨネーズと和えて「めんたいマヨネーズ」としたり、生クリームやチーズ、マヨネーズを加えたソースをパスタの上にかけて「たらこスパゲッティ」(辛くないほぐした明太子とバターをゆでたパスタとあえ、もみ海苔を降りかけたスパゲッティと混同する事もある)とすることもある。
マーガリンと合わせてペースト状にし、フランスパンに塗った「明太子フランス」が、パン屋でよく売られている。
[編集] 参考文献
- 平井明夫著・社団法人日本水産学会監修 『魚の卵のはなし』 成山堂書店、ISBN 978-4425851614 2003年。
- 博多の起業家:福さ屋・佐々木吉夫を中心として 藤川祐輔 中村学園大学『流通科学研究』 4(1) p43-56 2004年。
- 今西一・中谷 三男著 『明太子開発史 - そのルーツを探る』 成山堂書店、ISBN 978-4425883714 2008年。
[編集] 脚注
- ^ 「やまや」FAQ [1]
- ^ 辛子めんたいこ公取協
- ^ 辛子めんたい「福さ屋」 [2]
- ^ a b 市場ネットワーク
- ^ 全国辛子めんたいこ食品公正取引協議会
- ^ NTTドコモ「みんなの声」の「好きなごはんのお供ランキング」28785票(2011/5/15〜5/28)中、第一位が「辛子明太子」
- ^ goo 第一位が辛子明太子
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 辛子明太子の話(全国辛子めんたいこ食品公正取引協議会)