鰹節
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鰹節(かつおぶし)は、カツオの肉を加熱してから乾燥させた日本の保存食品。「本枯節」と呼ばれる最後までの工程を経ていないものには「生利節」・「荒節」がある。鰹節は「世界で最も硬い食品」とされており[1]、硬い物の代名詞でもある。
薄く削ったものは削り節と言う。
「削り節」も参照
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[編集] 概要
基本的には、サバ科のカツオを材料とし、魚体から頭、鰭、腹皮と呼ばれる腹部の脂肪の多い部分を切り落とし、三枚以上におろし、「節」(ふし)と呼ばれる舟方に整形してから加工された物を指して鰹節と言う。
加工工程の差異によって、鰹を茹で干したのみの生利節(なまりぶし)、それを燻製にした荒節(あらぶし)、さらにカビを付けることにより水分を抜きながら熟成させた枯節(かれぶし)・本枯節(ほんかれぶし)がある。鰹節という呼称は燻製法ができる江戸時代以前にすでに用いられており、上記のような各種のものを総じて呼ぶ事もある。
鰹節や削り節はうま味成分のイノシン酸を多量に含有し、和風の調味料として好んで用いられる。ビタミンB群など栄養分を豊富に含む。カビを生やした枯節には、うま味成分やビタミン類が他の鰹節より多く含まれ、高級品として扱われている。
伝統的な枯節は、薩摩、土佐、阿波、紀伊、伊豆など太平洋沿岸のカツオ主産地で多く生産されてきた。
鰹を三枚におろしたものを亀節、三枚から背と腹におろしたものを本節、本節の中でも背側を使ったものを雄節(または背節)、腹側を使ったものを雌節という。
食用として利用する際には、かんなに似た歯を持つ削り器で削り「削り節」とするのが伝統的な方法で、削りたてのものは風味が高いが、手間が掛かる。このため、現在では工場で削って、窒素封入によって酸化や香りの飛散を防いだ包装の鰹節削り節(かつおぶしけずりぶし)や花鰹(はなかつお)、鰹削り節(かつおけずりぶし)などとして購入する家庭が多く、風味を大切にする店では使用する前に削る。この風味は揮発性であり、空気中で急速に失われる。
[編集] 歴史
[編集] 燻乾法以前
カツオ自体は古くから日本人の食用となっており、縄文時代にはすでに食べられていた形跡がある(青森県の八戸遺跡など)。5世紀頃には干しカツオが作られていたとみられるが、これらは現在の鰹節とはかなり異なったものであったようだ(記録によるといくつかの製法があったようだが、干物に近いものであったと思われる)。
宮下章氏が、『鰹節考』の中で「カツオほど古代人が貴重視したものはない。(中略)米食中心の食事が形成されて以来、カツオの煎汁だけが特に選ばれ、大豆製の発酵調味料と肩を並べていた」と述べているように、カツオが古代人にとっては最高の調味料だったといえる。
飛鳥時代(6世紀末-710年)の701年には大宝律令・賦役令により、この干しカツオなど(製法が異なる「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎汁」に分類されている)が献納品として指定される。うち「堅魚」は、伊豆・駿河・志摩・相模・安房・紀伊・阿波・土佐・豊後・日向から献納されることとなった。
現在の鰹節に比較的近いものが出現するのは室町時代(1338年-1573年)である。1489年のものとされる『四条流包丁書』の中に「花鰹」の文字があり、これはカツオ産品を削ったものと考えられることから、単なる干物ではない、かなりの硬さのものとなっていたことが想像できる。
[編集] 燻乾法の確立
江戸時代に、紀州印南浦(現和歌山県日高郡印南町)の甚太郎という人物が燻製で魚肉中の水分を除去する燻乾法(別名焙乾法)を考案し、現在の荒節に近いものが作られるようになった。焙乾法で作られた鰹節は熊野節(くまのぶし)として人気を呼び、土佐藩は藩を挙げて熊野節の製法を導入したという。
大坂・江戸などの鰹節の消費地から遠い土佐ではカビの発生に悩まされたが、逆にカビを利用して乾燥させる方法が考案された。この改良土佐節は大坂や江戸までの長期輸送はもちろん、消費地での長期保存にも耐えることができたばかりか味もよいと評判を呼び、土佐節の全盛期を迎える。改良土佐節は燻乾法を土佐に伝えた甚太郎の故郷に教えた以外は土佐藩の秘伝とされたが、印南浦の土佐与一(とさのよいち)という人物が安永10年(1781年)に安房へ、享和元年(1801年)に伊豆へ製法を広めてしまったほか、別の人物が薩摩にも伝えてしまい、のちに土佐節・薩摩節・伊豆節が三大名産品と呼ばれるようになる。
江戸期には国内での海運が盛んになり、九州や四国などの鰹節も江戸に運ばれるようになり、遠州(静岡)の「清水節」、薩摩の「屋久島節」などを大関とする鰹節の番付表が作成された。
- 参考・文政五年(1822年)の諸国鰹節番付
- 大関 - 清水節(東方・遠州)、役島節(西方・薩摩)
- 関脇 - 宇佐節(東方・遠州)、御前節(西方・土佐)
- 小結 - 福島節(東方・遠州)、須崎節(西方・土佐)
- 以下、行司、前頭、世話方、勧進元が続く。
- なお、土佐節、薩摩節などは土佐、薩摩などで作られた節の総称である。
枯節のカビは当初自然発生させていたが、昭和以降は純粋培養したカツオブシカビ(コウジカビの一種、学名Aspergillus glaucus)を噴霧することで完成までの日数短縮と、好ましくないカビが発生する問題の回避を行なうのが主流になっている。
1883年(明治16年)に東京の上野公園で「第一回水産博覧会」で、1908年(明治41年)に「大日本水産会第一回鰹節即売品評会」が開催されるなど、各地で鰹節の品評が行なわれ、東の焼津節・西の土佐節の品質が高く評価された。
明治以降、尖閣諸島の魚釣島や日本が国際連盟の委任統治領としていた南洋諸島(南太平洋の島々)や20世紀に日本が統治をしていた台湾でも製造されるようになった。特に南洋ものは安価であったことから大いに市場を拡大したが、南洋諸島が第二次世界大戦後に日本の統治を離れたことで、この地域での鰹節産業は終焉を迎えた。しかし、台湾では、日本食品として鰹節の利用も根付いた。「柴魚」と呼び、現在も東部の台東県や花蓮県で製造されており、麺線などの台湾料理のスープを取るのにも用いられる。花蓮県新城郷には「七星柴魚博物館」という鰹節をテーマにした博物館がある。
[編集] モルディブ起源説
上記の他にも起源説がある。
鰹節が広く伝統的な食習として定着している国は、日本だけであるが、インド洋の島国モルディブにはモルディブ・フィッシュ(Maldive fish)と呼ばれる、サバ科のハガツオ(Sarda orientalis)を原料とするカビ付けをしていない荒節が古くからある。これは、交易によりモルディブから東南アジアを経由して日本に鰹節の製法がもたらされ、その後日本においてカビ付けの工法が考案されたとする説であり、これにより、沖縄が日本における鰹節の最古と言われている[2]。モルディブ・フィッシュは、スリランカ等を含む周辺地域で郷土料理の味つけに用いるが、カビ付けの工程を経ていない荒節であるために削って用いるのではなく、袋に入れて棒でたたき割ってから用いる。手間を省くために工場で粉砕した粗い粒状の製品も市販されている。
[編集] 削り節
詳細は「削り節」を参照
[編集] 伝統的製法の例
- 生きり - カツオを解体する。頭部、内臓を取り除き、三枚におろして形を整える。
- 釜たて - これを籠に入れて、釜で100分前後煮る。慎重な温度管理を要する。
- 骨抜き - 取り出したカツオのうろこをはぎ、脂肪や骨の除去を行う。この段階ではまだ柔らかく、生利節(生節とも)としてそのまま食材に使うことができる。
- 焙乾 - 燻蒸して乾燥させる。ナラやシイなどの木を用いる。必要に応じて幾度か繰り返す。この行程を終えた物が「荒節」で、いわゆる「花かつお」の原料となる。
- 天日干し・カビ付け - 表面を削って汚れを除いて(裸節)から、水分を落とし、天日干しで乾燥させる。その後純粋培養したカツオブシカビを噴霧し、閉め切った室に入れ、カビを繁殖させる。
- カビが繁殖したらこれを削り落とし、5の行程を繰り返す。
行程5→6の繰り返しで、最終的に水分が失われて硬い銘木のように硬くなり、カビも付かなくなる。重量は加工前のカツオの20%以下となり、鰹節(枯節・本枯節)の完成となる。良質の鰹節どうしをぶつけると、「キンキン」と金属(もしくは硬い銘木)同士を叩いたような乾いた音を発し、割れるとルビーに似た透明感のある、濃い赤色の断面が現れる。
[編集] 他の魚を用いたもの
同様の製法(荒節までの場合が多い)でカツオ以外の魚を用いた類似のものに
などがある。 最近では豊漁感のある秋刀魚や鰊で造る試みも行われている。 また、北海道や東北では、川に遡上して産卵を終え死んだサケを、そのままでは味が落ち食用に向かないため、「鮭節」に加工する試みを行っている。
[編集] トリビア
ジョン・レノンは1975年、ビートルズ脱退後のソロ曲を集めたベストアルバム『ジョン・レノンの軌跡 シェイヴド・フィッシュ』(Shaved Fish)を出しているが、ここでの「シェイヴド・フィッシュ」とは鰹節のことだ、と言われる。鰹節のように多目的、との意味が込められているのである。[要出典]
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 鰹節のお話~世界一硬い食品のお話 (フジテレビ商品研究所)
- ^ 宮下章著『鰹節』法政大学出版局
[編集] 外部リンク
- 鰹節博物館
- カツオ(カツオ節) - 「健康食品」の安全性・有効性情報 (国立健康・栄養研究所)
- 鰹節の歴史 1882年創業店による説明