クラブコスメチックス

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株式会社クラブコスメチックス
CLUB COSMETICS Co.,LTD.
本社
本社
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
550-0005
大阪府大阪市西区西本町2-6-11
設立 1939年11月(※1)
業種 化学
事業内容 化粧品の製造・販売
代表者 中山ユカリ(代表取締役社長)
資本金 8,400万円
売上高 55億円(2005年12月実績)
従業員数 175名
主要子会社 マリークヮントコスメチックスジャパン
サロン ド フルベール
プラトン社
関係する人物 中山太一
中山豊三
小山内薫
外部リンク http://www.clubcosmetics.co.jp/
特記事項:※1:創業は1903年4月
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株式会社クラブコスメチックスは、大阪市に本拠を置く化粧品メーカーである。「クラブ洗粉」を発売した中山太陽堂(なかやまたいようどう)を前身とする。

歴史[編集]

雙美人。『クラブ新聞』(1906年)

中山太一の時代[編集]

1903年明治36年)4月3日山口県出身の中山太一が満21歳と5か月で兵庫県神戸市花隈町に個人商店として創業した[1]1905年(明治38年)、商標を「クラブ」に変更し、大阪市東区に支店を開設。1906年(明治39年)4月3日、創業からちょうど3年後に自社製造第1号商品「クラブ洗粉」を発売、製造業に転身した。

「双子の姉妹」のイラストがもともとの商標で、現在のマークはそれをもとにして作成した。また歯磨き粉「クラブ歯磨」の商標は楠木正成の像(現在皇居前にあるもの)を使用していた。

1922年大正11年)、小山内薫を顧問に迎え、化粧品宣伝のためのハウスオーガン(PR誌)を編集発行するために広告社・出版社「プラトン社」を併設し、中山の実弟中山豊三がその経営に当たった。アール・デコ調の装丁で豪華な執筆陣を抱えた女性文芸誌『女性』を同年創刊、翌1923年(大正12年)の暮れには、文芸雑誌『苦楽』を創刊した[1]。これらの雑誌はPR誌の域を超えた総合文芸誌となって阪神間モダニズムと呼ばれる文化を生み出し、1925年(大正14年)11月末に東京の大日本雄辯會講談社(現講談社)が創刊した大衆娯楽雑誌『キング』(大正15年1月1日付発行)と大いに争った[2]が、1928年(昭和3年)にプラトン社は廃業した。1924年(大正13年)には創業20周年を記念し、大阪の堂島ビルヂングと東京の丸の内ビルディング内に中山文化研究所を設立した。

1939年(昭和14年)、組織変更して株式会社化し、株式会社中山太陽堂となった。同年、豊三は同社から独立し、太陽製薬株式会社を東京に設立した[3]。また同年9月には、太一が貴族院議員に選任され、衆議院が廃止となる1947年(昭和22年)5月2日までこれをつとめた。

戦後[編集]

第二次世界大戦終戦の翌年、1946年(昭和21年)に金属部が試作した自転車「中山号」が完成した。1954年(昭和29年)、神栄生絲株式会社(現神栄)の社長田代竹司が第2代社長に就任した[1]。同年、かつて「東のレート、西のクラブ」と呼ばれたレート化粧品(平尾賛平商店)が解散した。

1959年(昭和34年)、かつてプラトン社の時代に『女性』『苦楽』対『キング』で部数を競った講談社と提携して「お肌の診断」を実施し、成功を収めた[1]

1965年(昭和40年)、創業者の長男中山壽一が36歳で第3代社長に就任[1]、創業家に経営が戻った。1970年(昭和45年)6月、クラブ商事株式会社を設立し、製造・販売の両部門を分離した[1]。同年11月、株式会社マリークヮントコスメチックスジャパンを設立。1971年(昭和46年)、株式会社中山太陽堂から現社名の株式会社クラブコスメチックスに商号変更した[1]。1973年(昭和48年)1月には株式会社フルベールを設立、訪問販売を始めた[1]。壽一社長は、1988年(昭和63年)に藍綬褒章、1999年(平成11年)に勲四等瑞宝章を受章した[1]

2002年(平成14年)、創業者の孫・中山ユカリが第4代社長に就任した[1]。2005年(平成17年)、クラブ化粧品販売株式会社(旧クラブ商事株式会社)と合併し、製造販売を合流させた[1]。2012年(平成24年)、株式会社フルベールから商号変更していた子会社のサロン ド フルベールを吸収合併し、サロン ド フルベール事業部とした。

「文化資料室」が2010年にリニューアルオープンし、創業以来、文化への深いかかわりを続けている。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k #外部リンク内のクラブコスメチックス公式サイトリンク先の記事「資料室」の記述を参照。二重リンクは省く。
  2. ^ 松岡正剛の公式サイト「松岡正剛の千夜千冊」内の記事「直木三十五『南国太平記』上・下」(2001年8月24日)の記述を参照。
  3. ^ 太陽製薬株式会社」公式サイト内の「沿革」「会社概要」の記述を参照。

外部リンク[編集]