創価学会

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宗教法人創価学会
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創価学会旗
八葉蓮華入り三色旗
設立年 1930年(昭和5年)11月18日
設立者 創価教育学会
初代会長:牧口常三郎
(在任期間:
1930年11月18日 - 1944年11月18日
第2代会長:戸田城聖
(在任期間:
1951年5月3日 - 1958年4月2日
種類 宗教法人
法人番号 4011105000632
本部 日本の旗 日本
160-8583
東京都新宿区信濃町32
北緯35度40分52.85秒 東経139度43分14.47秒 / 北緯35.6813472度 東経139.7206861度 / 35.6813472; 139.7206861
公用語 日本語
会長 名誉会長(第3代会長)
池田大作 (1979年4月24日 - )
会長
原田稔 (第6代、2006年11月9日 - )
関連組織 支持政党
公明党
国際組織
創価学会インタナショナル
ウェブサイト SOKAnet(創価学会 公式ウェブサイト) (日本語)

創価学会(そうかがっかい)は、日本宗教法人法華経系の在家仏教の団体[1]で、国内に公称827万世帯を擁する。「創価」とは「価値創造」の意味。創価学会は価値の中心に「生命の尊厳」の確立を置き、それに基づいた「万人の幸福」と「世界の平和」の実現を目標としている。

1930年(昭和5年)に創立し、1952年(昭和27年)に宗教法人の資格を取得。
1975年(昭和45年)には創価学会インタナショナル(SGI)を発足させ、現在、日本を含む世界192カ国・地域に1200万人を超える会員を擁している。

総本部は東京都新宿区信濃町[2]

聖教新聞』(日刊)、『創価新報』(月2回)、『大白蓮華』(月刊)、『グラフSGI』(月刊)などの機関紙誌を発行[3]

1964年(昭和39年)に日本初の宗教政党公明党を結成した[1]

目次

概要[編集]

創価学会の三色旗
青は「平和」、黄は「栄光」、赤は「勝利」を表すとされる。

1930年(昭和5年)11月18日に、『創価教育学体系』が発刊され、尋常小学校校長であった牧口常三郎と、戸田城聖ら当時の教育者などが集い、日蓮仏法精神に基づく教育者の育成と雑誌の発行を目的とする「創価教育学会」(初代会長:牧口常三郎、理事長:戸田城聖)を創立した。1937年(昭和12年)に、創価教育学会は日蓮正宗の1つとして位置付けられた[4]。この組織が創価学会の前身となる。

戦時中弾圧を受け、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)6月に牧口、戸田を含む幹部が治安維持法並びに不敬罪逮捕され、牧口は1944年(昭和19年)11月18日に獄死。1945年(昭和20年)7月、出獄した戸田は、組織名を「創価学会」に改称し組織を整備、1952年(昭和27年)、宗教法人の認証を得る。戦後の1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長に就任した戸田城聖の下で、75万世帯を目標にした「折伏大行進」という名の布教運動が行われ、日本国内での創価学会の勢力は急拡大した[5]1958年(昭和33年)4月2日に戸田第2代会長が死去した後、1960年(昭和35年)5月3日に池田大作が第3代会長に就任した(現・名誉会長)。1991年(平成3年)11月に日蓮正宗宗門から破門される。

教義的には日蓮末法時代の本仏と定め、法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊を掲げ、「南無妙法蓮華経」の唱題を実践し、「法華経」思想の布教を宣言(広宣流布)し、仏教思想に基づく平和的な社会の実現を目標とするとしている[6]。1964年(昭和39年)には創価学会内に「公明政治連盟」を創設し、日本の政党の要件を満たしている唯一の宗教政党として「公明党」を結成し、日本政治にも関与し始めた[7]。1999年(平成11年)10月以降、民主党政権時代の一時期を除き、与党として自由民主党と「自公連立政権」を形成している。

沿革[編集]

1930年 - 1949年[編集]

  • 東京市立白金尋常小学校(現・港区立白金小学校)校長だった牧口常三郎が「日蓮正宗」に入信。ほぼ同時期に戸田甚一(後の戸田城聖)も入信。
  • 1930年(昭和5年)
    • 11月18日 - 牧口の『創価教育学体系』第1巻が発行される。戸田は「戸田城外」を名乗る。創価学会ではこの日を創立記念日としている。また「創価教育学支援会」も結成された[8]
  • 1937年(昭和12年)
  • 1939年(昭和14年)
    • 12月 - 「創価教育学会」第1回総会。
  • 1940年(昭和15年)
    • 5月 - 金融業「日本商手」を設立、創価教育学会事務所を現在の東京都千代田区神田錦町に置かれた同社内に移転。
    • 10月 - 東京・九段下の軍人会館(現・「九段会館」)において「創価教育学会」第2回総会。
  • 1941年(昭和16年)
    • 7月 - 機関紙「価値創造」創刊
    • 11月 - 創価教育学会第3回総会。
  • 1942年(昭和17年)
    • 11月 - 東京・一ツ橋日本教育会館において「創価教育学会」第5回総会。支部の数が東京に16、地方に12となる[7]
  • 1943年(昭和18年)
    • 5月 - 創価教育学会第6回総会。直後に神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊命令を受ける。
    • 7月 - 「治安維持法」違反並びに「不敬罪」の容疑で牧口、戸田の他、21名の幹部が逮捕される。
  • 1944年(昭和19年)
  • 1945年(昭和20年)
    • 7月 - 戸田が豊多摩刑務所から出獄。
    • 9月 - 東京都千代田区西神田にビルを取得。創価教育学会本部を再建。
  • 1946年(昭和21年)
    • 3月 - 「創価教育学会」を「創価学会」に改称し、組織整備を始める。
    • 11月17日 - 牧口の三回忌法要および「創価学会」第1回総会を開催。戸田が理事長に就任。
  • 1949年(昭和24年)

1950年代[編集]

  • 1951年(昭和26年)
    • 4月20日 - 機関紙『聖教新聞』創刊[注釈 1]
    • 5月3日 - 戸田が「創価学会」会長に就任。小泉隆が理事長に就任。戸田は就任演説において、7年間で75万世帯を折伏することを目標に掲げる[10]
    • 7月 - 男子部・女子部など現在のスタイルに近いものを結成[9]
    • 11月
      • 4日 - 第6回総会にて戸田は「学会精神と目的」について「弘安2年10月12日図顕の一閻浮提総与御本尊の日本流布、東洋広布、日蓮正宗宗門の顕揚」の3ヶ条遂行を大誓願とする旨発表[11]
      • 18日 - 『折伏教典』を発刊[9]
    • 12月18日 - 戸田が宗務院の命により登山し、「宗教法人創価学会」設立に際して3ヶ条遵守を約束[12]
  • 1952年(昭和27年)
    • 4月 - 「狸祭り事件[7]
    • 8月27日 - 東京都知事より宗教法人の認証を得て9月8日「宗教法人創価学会」が正式に発足する。
    • 11月 - 『新編日蓮大聖人御書全集』、『御書十大部講義』を発刊[9]
    • 12月 - 教学部の任用試験を開始[7]
    • 年末 - 幹部教育の場となる「水滸会」を発足[13]
  • 1953年(昭和28年)
  • 1954年(昭和29年)
    • 3月 -参謀室設置
    • 10月 - 大石寺で青年部が出陣式[7]
    • 11月 - 文化部設置
    • 12月 - 渉外部設置
  • 1955年(昭和30年)
    • 3月 - 北海道小樽市において、日蓮宗(身延派)と創価学会との法論が行なわれる。
    • 4月 - 政界進出を目指し、第3回統一地方選挙に文化部員を出馬[10]。当時はまだ政党組織がなかったため、無所属で創価学会が推薦するという形を取った。
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月 - 戸田が宗門64世法主水谷日昇の隠退表明を拝して「先代牧口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとえ大幹部といえども即座に除名する」との談話を発表[15]。同日の寸鉄では「(創価学会は日蓮正宗の)法主を宗祖大聖人としておつかえ申上げる、どなたが法主様でも一貫不変、これ信者の大精神。」と評した[16]
  • 1957年(昭和32年)
  • 1958年(昭和33年)
    • 3月 - 日蓮正宗の総本山大石寺の大講堂が完成。学会では「大講堂落慶記念総登山」と呼んだ。延べ20万人余の会員が参加。 、また同月、「広宣流布の模擬試験」を大石寺大講堂で行い青年部員6,000人が参加[17]、戸田が広宣流布の一切の後事を青年部全体に託した[18]
    • 4月 - 1日に戸田が体調を崩し駿河台日本大学病院に緊急入院[19]。2日に死去。[20]
    • 5月 - 戸田の四十九日法要を機に開かれた臨時幹部において戸田の七回忌まで後継者となる新会長を立てないことを決定、戸田幾、細井日達立会いの下、池田、石田、和泉、柏原らが誓約書に署名[21]
    • 6月 - 池田が「総務」のポストを新設し、自ら就任。
  • 1959年(昭和34年)
    • 6月 - 池田が青年部参謀室長を辞任し、総務職に専念。

1960年代[編集]

  • 1960年(昭和35年)
    • 5月3日 - 戸田の没後2年(三回忌)を経て、池田大作が創価学会第3代会長に就任。理事長に原島が就任。
    • 7月 - 創価学会海外本部を設置[22]
  • 1961年(昭和36年)
    • 11月27日 - 「公明政治連盟」(後の公明党)を発足。
    • 大石寺大客殿の寄進として32億円を集める[23]
  • 1962年(昭和37年)
    • 1月25日 - 大阪事件で起訴されていた小泉と池田が無罪判決を受ける。
  • 1963年(昭和38年)

1970年代[編集]

1980年代[編集]

1990年代[編集]

2000年代[編集]

  • 2002年(平成14年)
    • 3月- 創価学会会則を改定。初代牧口、第2代戸田、第3代池田の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れる[34]
    • 4月 - 創価大学剣道部監督だった男性が配下の携帯電話会社社員に指示し、付き合っていた女性やその周辺の通話記録を盗み出す。9月になって、関係者3名が警視庁逮捕される。
  • 2003年(平成15年)
  • 2004年(平成16年)
    • 9月10日- 勤行様式を改変
  • 2006年(平成18年)
    • 11月 - 秋谷が会長を辞任し最高指導会議議長に。会長には原田稔が就任。同月、原田の会長就任披露を兼ねた、新時代第1回本部幹部会開催。幹部会の回数がリセットされ「学会新時代」の開始が宣言される
  • 2007年(平成19年)
    • 9月22日 - 「広布第二幕」第1回青年部幹部会。以後、各部幹部会会合の回数がすべてリセットされる。
  • 2008年(平成20年)

2010年代[編集]

  • 2010年(平成22年)
    • 11月18日 - 設立80周年。老朽化した創価文化会館を建て替え「創価学会総本部会館」を建設すると発表[35]
  • 2013年(平成25年)
    • 11月5日 - 創価学会総本部会館(仮称)の大礼拝室で落慶入仏式が執り行われ、広宣流布の大願を誓う殿堂として「広宣流布大誓堂」と命名され、信濃町全体の呼称が「創価学会総本部」となる。
  • 2014年(平成26年)
    • 11月7日 - 創価学会会則・教義条項の変更を決議
  • 2015年(平成27年)
    • 11月17日 - 勤行要典の一部改正が発表され、名称を「創価学会 勤行要典」として2016年に発売すると発表される[36]
      また、総務会と会長選出委員会で、任期満了の原田会長を再任し(3期目)、正木正明理事長の後任に長谷川重夫副理事長が就く人事を発表した。
  • 2016年(平成28年)
    • 11月7日 - 創価学会会則・教義条項の変更を決議

教勢[編集]

創価学会公称の会員世帯数は827万世帯(2007年(平成19年)時点、日本国外のSGIの会員数は除く)となっており、数字の上では神社本庁(およそ9,000万人)に次ぐ勢力となっている。

会員数については、

と資料によってばらつきがある。

活動[編集]

年間主要行事[編集]

  • 1月1日、2日 新年勤行会

   祝日 「成人の日」の記念勤行会

  • 2月16日 「日蓮大聖人御聖誕の日」記念勤行会
  • 3月    春季彼岸勤行法要
  • 4月28日 「立宗の日」記念勤行会
  • 7月15日 諸精霊追善勤行法要(8月15日に行われる地域もある)
  • 8月15日 世界平和祈念戦没者追善勤行法要
  • 9月12日 「竜の口の法難の日」の意義をとどめた勤行会

    祝日 「敬老の日」の記念勤行会

        秋季彼岸勤行法要

  • 10月13日「日蓮大聖人御入滅の日」の意義をとどめた勤行会
  • 11月15日「七五三」の記念勤行会[44]

勤行[編集]

法華経』のうち、「法華経方便品第二」の冒頭から十如是でと、「法華経如来寿量品第十六」の自我偈を読誦ののち、「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。朝と夕方(夜)の2回行う。

組織活動[編集]

会合、幹部会、指導会、協議会、各部の活動者会、御書講義、記念総会、法要、合同法要、諸精霊追善勤行法要、彼岸法要、世界平和記念・戦没者追善勤行法要、座談会、唱題会[要出典]

央忠邦の1968年(昭和43年)の著書によれば、創価学会の会合には、本部総会(5月)、男子部総会(11月)、女子部総会(11月)、学生部総会(7月)、夏期講習会(8月)などがある[45]。央によれば、創価教育学会時代(牧口の時代)から、会員・幹部同士が「それぞれの悩みを訴え、生活の苦しさ、政治の貧しさ、自己の体験などを話合い、お互のきずなの固さを確認し合う」(央忠邦の1968年の著書より引用)場である座談会が伝統となっていた[46]。座談会は班や地区の単位で行われ、央忠邦の1968年の著書によれば座談会の拠点は日本に二十万か所以上あった[46]

『聖教新聞』の購読者の開拓[編集]

財務[編集]

創価学会では年1度、会員より「財務(ざいむ)」という寄付を受付ている。1970年代中頃以前は財務部員と呼ばれ、事前に学会に登録した会員のみが寄付を行えたが、現在では生活保護受給者など一部例外を除き財務を希望できる。「財務」は当初、活動中心者宅に赴き直接納めていたが、会員各自の振込に改められ、金額も1口1万円以上1万円単位と定められた。

教学の研鑽[編集]

学会がまとめた『新編日蓮大聖人御書全集』を基に行われる。その資料として機関誌『大白蓮華』(だいびゃくれんげ)が使われ、会員には教学試験の受験が奨励されている。

葬儀[編集]

地域の儀典長を中心に読経の導師とする「友人葬(ゆうじんそう)」の形式で執り行われる。原則として友人葬への参列では香典は必要ないとされているが、参列者が香典を持参する事、遺族が参列者が持参した香典を受け取る事は各位の自由である。また「読経料」「戒名料」などが必要な他宗派と違い、友人葬の導師は、謝礼を一切受け取らないものと定められている[47]

友人葬料金[編集]

友人葬を取り扱っている葬儀社や住んでいる地域によって若干の差は存在するが、東京の場合では友人葬の基本料金は概ね35万円位から50万円位である[48][49]。 友人葬を取り扱う葬儀社によっては、一式で基本料金に含まれているケースとオプション料金として別料金になる場合がある。 オプション料金の一例として

  • 遺体保全のために使用するドライアイスの費用(場、場問わず)
  • 棺に入れるの代金
  • 病院などから遺体安置所、葬儀場所から火葬場などへの移送料金
  • 参列者への通夜振る舞いの料理代金など基本料金に含まれている葬儀社、オプションとして別料金になる葬儀社がある。

また、Web上でオプション料金を表示していない場合があり、詳細は葬儀社への確認が必要である。 それから

  • 納骨は、地区部長を通じて申し込むと、全国にある創価学会墓地公園が利用出来る。
  • 儀典長を中心に、生前の名前で葬儀を行う為、戒名料・読経料はかからない。

など創価学会特有の話もある。

布教活動[編集]

無宗教あるいは他の宗教を信仰する者を改宗させる事を「折伏(しゃくぶく、しゃくふく)」という。

1951年(昭和26年)に戸田が「青年訓」を発表し、青年部を中心に折伏大行進と呼ばれる大々的な布教が長期間に渡って行われた。布教活動は多くの会員を増やすことになった反面、その強引な手法から社会問題になった。

入会審査[編集]

同一世帯内に学会員がいない全くの新入会であれば「会員希望カード」を記入させ、そこに記載されている「3つの実践」を始めてから3ヶ月ないしはそれ以上の期間をかけて評価ないしは協議し、地域における学会の活動に根付くと判断された者のみが入会を認められる[50]

ただし既存学会員世帯の子供や配偶者は世帯単位信仰の原則上、地区の統監主任に連絡があった時点で会員カードに記載され、学会員と同等に扱われる。この場合でも、活動に参加していない世帯員に活動参加を強制することはなく、参加させるには改めて折伏を行う必要がある。

地域貢献活動[編集]

創価学会では、個々の会員および団体レベルの双方で、近隣友好や地域貢献を推奨している。具体的には、祭りなどの行事への協力がある。創価学会本部および聖教新聞社本社がある新宿区信濃町では、町内会の盆踊り大会や防災イベントに会場を提供するなどしている。また、音楽隊が地域行事に際し演奏を行うケースもある。個人のレベルについては、地域貢献の体験談集が過去に発刊されている[51]

組織[編集]

現在の主要役員[編集]

(2015年11月現在)

  • 名誉会長:池田大作
  • 会長:原田稔
  • 理事長(代表役員):長谷川重夫
  • 主任副会長:山本武、大場好孝、原田光治、池田博正、谷川佳樹、金沢敏雄、萩本直樹、石嶋謙二
  • 尚、歴代の会長、副会長、理事長、副理事長の職に女性の学会員は就任した事が無いが、会長と同程度の権威を持つ創価学会最高指導会議の議員に就任した柏原ヤスの例がある。

また、会長の任期は当初終身制だったが、池田が会長を辞任した際、「1期5年で再任を妨げない」と変更された。会長が途中で辞任、または死亡によって欠けた場合、後任者は前任者の残存任期を引き継がないとされる。後に、会長の任期は「1期4年」に変更された。

組織体制[編集]

創価学会では世代、地域、職業分野などの形で会員(信者)を結びつける体制を採っている。これらを集中的に管理するのが中央の「統監部」であり、各世帯ごとに作成し中央に提出された「会員カード」によって会員や家族の移動などを把握する。

年齢別組織[編集]

  • 多宝会 - 60歳以上の男女が所属。東京では「宝寿会」、関西では「錦宝会」と呼ばれる。
  • 壮年部 - 基本は40歳以上60歳未満の男性が所属。
  • 婦人部 - 基本は既婚者または40歳以上60歳未満の独身女性が所属。香城会、白樺会などがある。なお、年齢によって15 - 20代の・女子高等部・女子学生部・女子部が結婚した場合は、年齢問わず婦人部の所属になる。
  • 男子部 - 15歳から39歳までの男性が所属(独身・既婚は問わない)。人材育成グループとして創価班金城会牙城会、文化班、サテライトグループ、設営グループ、鉄人会(関西のみ)がある。
  • 女子部 - 未婚の39歳までの独身女性が所属。人材グループに白蓮グループ、白樺グループがある。結婚後は年齢問わず婦人部員になる。
  • 学生部 - 男子の大学(院)生・専門学校生で構成。人材グループ21世紀伸一会もこの中のひとつ。
  • 女子学生部 - 女子の大学(院)生・専門学生で構成。女子学生部は女子部同様、学生結婚でも創価学会に於いては結婚後は年齢問わず婦人部員になる。
  • 未来部- 18歳未満(未就学児、小学生、中学生・高校生)を対象とした組織。中等部・全日制高等部(男子・女子)、夜間高等部・通信制高等部(男子は北斗会・女子は南斗会)、少年少女部(未就学児、小学生男子・女子を対象)がある。

地域別[編集]

上から、中央(学会本部) - 方面 - (小)総県 - (分)県 - 圏(地域によっては無し) - 本部 - 支部- 地区 - ブロック となる。

  • 「方面」は北海道・東北(青森県・岩手県・秋田県・山形県・宮城県・福島県)・東京(東京都・山梨県)・関東(千葉県・埼玉県・茨城県・栃木県・群馬県)・東海道(神奈川県・静岡県)・信越(新潟県・長野県)・中部(愛知県・岐阜県・三重県)・北陸(富山県・石川県)・関西(福井県・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県)・中国(広島県・岡山県・山口県・島根県・鳥取県)・四国(香川県・高知県・愛媛県・徳島県)・九州(福岡県・佐賀県・長崎県・大分県・熊本県・宮崎県・鹿児島県)・沖縄(沖縄県)の13に区分されている。一般的な地方の区分けと一部異なる。括弧書きがない「方面」は一般的な区分けと同じ。また、東京・関東・東海道は同会における「首都圏」とされる(法律上の首都圏と異なる)。

分野別組織[編集]

文芸部、ドクター部、白樺グループ 教育本部、学校教育部、幼児・家庭教育部、社会教育・教育相談部、国際本部 通訳・翻訳部国際ボランティア部、国際交流部、在日外国人部、社会本部、社会部専門部、地域本部、農村部、離島部・桂冠会・華冠会・星辰会

大鳳会という組織[編集]

「大鳳会(おおとりかい)」という組織の存在について以下で取り上げられた。

  1. 週刊文春が『雅子妃が外務の創価シンパ「大鳳会」とディナーをした』という記事を掲載したこと[52]
  2. 創価学会が外務省幹部に「外遊特別待遇」要請書を送ったとされる問題[53]
  3. 外務省が、池田大作の海外訪問に特別の便宜を図っている内容が国会で審議されたこと[54]

創価学会の不動産資産[編集]

創価学会の施設は全国に約1200箇所存在する。宗教学者島田裕巳の試算によれば本部がある新宿区信濃町の施設の不動産合計は地価約479億2412万9千円。仮に全国の不動産資産が新宿区信濃町の地価と同程度だと考えてもは8280億円ほどである[55]。なお、自民党が以前内々に試算したところでは創価学会の資産はおよそ9兆円という[56]

教義関連[編集]

教義[編集]

  • 仏の悟りである正法を人々に広め万人を仏の境涯に導くこと(広宣流布)を仏法の目標とする。[57]
  • 人も大きな生命の一実体であり、あらゆる人のなかに存在する生命を引き出していくことが「成仏」である。「成仏」の解釈は、久遠寺を総本山とする日蓮宗の考えと異なる[58]
  • かつては日蓮正宗以外は、すべて邪宗教であり害毒を流すものとして、他の宗教や宗派を一切認めない姿勢を持っていた[59]

経典[編集]

法華経』、『新編日蓮大聖人御書全集』(創価学会版)

勤行[編集]

仏壇の前で経典を読誦する行為。法華経の一節「方便品第二」と「如来寿量品第十六」を読み上げる。法華経の漢訳文を声に出して読む。会員は朝と夕、一日に二回「勤行」を行う[60]

唱題[編集]

「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」(「なむみょうほうれんげきょう」ではない)という題目を唱える行為。「勤行」のあと、随時「題目」を唱える。「勤行」を行わずに、「題目」を唱えてもよいとされる[61]。「南無妙法蓮華経」とは「法華経に帰依する」の意であり、「題目」は経典の表題を唱えることに由来する。

本尊・本仏[編集]

本尊[編集]

  • 日寛書写の本尊を会員へ授与する。
  • 諸事情で自宅に仏壇を安置できない場合は、「お守り御本尊」と呼ばれる小型の御本尊を授与する。この本尊も日寛書写のものである。
  • 「広宣流布大誓堂」に安置されている「大法弘通慈折広宣流布大願成就」「創価学会常住」御本尊は、第2代会長戸田城聖が発願し、当時の日蓮正宗法主・日昇上人によって書写、授与された紙幅の本尊を板に彫刻したものである。
  • 以前は“日蓮正宗総本山大石寺に安置されている「本門戒壇の大御本尊」”とされて来たが、2002年(平成14年)の会則変更により表記が変更された。さらに2014年(平成26年)の会則変更により、「弘安2年(1279年)の本門戒壇の大御本尊は受持の対象とはしない。」と聖教新聞上で公式発表された。
  • 一時期、「謗法払い」といって以前信仰していた時の仏壇や神棚を焼却させることもあったが[7]。創価学会は新入会希望者に対して、
    1. 入会希望者自身が、かつての信仰対象の処分・返却を行うこと。
    2. 本人が承諾しても他人が手伝ったり預かって持ち帰ったりしないこと。
    3. 謗法払いは入会する会員自身が自から自分自身で行う。
    4. 同居家族や所有関係者の事前了解を得ること。
を指導として徹底している[62]

本仏[編集]

施設[編集]

広宣流布大誓堂

創価学会総本部[編集]

  • 広宣流布大誓堂
  • 創価文化センター
  • 本部別館
  • 本部第2別館
  • 創価世界女性会館
  • 戸田記念国際会館
  • 創価女子会館
  • 信濃平和会館
  • 世界青年会館
  • 信濃文化会館
  • 聖教新聞社[64]

日本国内の方面中心会館[編集]

海外への広がり[編集]

創価学会は、創価学会インタナショナル(SGI)として、公称、日本を含む世界192カ国・地域に広がり、日本国外全体で約150万人のメンバーを擁する。[66][67]

社会貢献活動[編集]

災害時の救援・復興活動[編集]

大規模災害の発生時には、地域の会館で被災者を受け入れ、救援活動にあたっている。宗教専門紙の中外日報は、「阪神・淡路大震災では、創価学会の迅速な救援活動に対し兵庫県などから感謝状が贈られ、フランスオーストラリア香港シンガポールなど海外の新聞でも活動が報じられた」ことを報道した[68]東日本大震災に際しては、42の会館で約5千人を一時避難所として受け入れたほか、義捐金を拠出した[69]。避難所はおおむね、地元会員組織の責任者と、他地域から派遣された専従職員を中心に運営され、医師看護師が健康相談を実施した。発災翌日には山形県新潟県などから支援物資が到着している[70]。一部の会館は行政の指定避難所となっている[71]。また、創価学会による東北被災地への救援活動は、アメリカのCNNにも取り上げられた[72]。そして、東日本大震災からの復興にあたっては、「心の福光(復興)プロジェクト」を展開。創価学会しなの合唱団は「希望の絆」コンサート開催し、仮設住宅で合唱を披露している[73]。2015年(平成27年)3月に宮城県仙台市で開幕された国連防災世界会議と、2016年(平成28年)5月にトルコイスタンブールで開催された世界人道サミット(en)では、一連の復興支援活動を報告している[74][75]

難民支援活動[編集]

大規模災害や紛争の発生時に、各国大使館国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への寄付を行い、難民支援にも関与している[76]

国連NGOとしての活動[編集]

創価学会は国連広報局登録NGO(非政府組織)である[77]。SGI(創価学会インタナショナル)は1983年(昭和58年)に、国連経済社会理事会との諮問資格を持つNGOとして登録された[77][78]。SGIニューヨーク国連連絡所は、2009年(平成21年)に、国連の「軍縮平和安全保障NGO委員会」において議長を務めた。SGIジュネーブ国連連絡所は、特に人権教育のテーマで活動を展開。2005年(平成17年)からスタートした国連の「人権教育のための世界プログラム」は、コスタリカ政府とSGIが中核となって実現している[77][79]

図書贈呈運動[編集]

創価学会の図書贈呈運動は、へき地や離島をはじめ教育環境に恵まれていない地域や、震災台風などの被害を受けた地域の子どもたちに書籍を贈呈するものである。1974年(昭和49年)にスタートした。東日本大震災以降は特に、被災地の学校への寄贈が重点的に行われている[80] [81]

法華経の原典資料保全・研究活動[編集]

法華経の原典研究に寄与する「法華経写本シリーズ」の出版活動を、公益財団法人・東洋哲学研究所と協力して推進している。各国に保存されてきた貴重な法華経写本を鮮明なカラー写真で撮影した「写真版」と、写本の“読み”をローマ字化した「ローマ字版」を公刊し、世界の研究者に広く提供して『法華経』を中心とした初期大乗仏教の研究に貢献するためのもの[82]。2016年(平成28年)年頭時点で16点が刊行され、「インド国立公文書館(en)所蔵ギルギット法華経写本:写真版」「ロシア科学アカデミー東洋古文書研究所所蔵梵文法華経写本:写真版」などが含まれる[83]

提言とその影響[編集]

日中国交正常化[編集]

1962年(昭和37年)秋、自民党の、高崎達之助、松村謙三が相次ぎ訪中。中華人民共和国周恩来総理(当時)と会見し、創価学会と池田について言及した[84]。高崎達之助は、「中国は創価学会と交流すべきです。」と促していた[85]

1966年(昭和41年)、中国側は、作家の有吉佐和子を通じて創価学会と接触。これを契機として、交流を重ねていた[86]

1968年(昭和43年)9月8日、池田大作は、東京・両国日大講堂で行われた学生部幹部会の席上、「日中国交正常化提言」を発表した[87]。同提言では、日中首脳会談の開催や国交回復の必要性を強調[88]。 背景には、中国側が日本における創価学会の存在に注目していたことがあげられる[89]。池田の「日中国交正常化提言」は、すぐさま中国で報道された[90]

松村謙三は、「日中国交正常化提言」を高く評価し、1970年(昭和45年)3月に池田を訪問。「ぜひとも、あなたを周恩来総理に紹介したい。」と語った[91]

創価学会へのデマ[編集]

創価学会へは根拠や情報源に乏しい内容や創価学会を陥れようとするデマがあり、中には政局に利用されたり訴訟に発展したケースもある。一例を紹介する。

裁判による認定事例[編集]

創価学会名誉会長が訴権の濫用の被害者になった事例[編集]

1996年(平成8年)、自らの金銭借款が原因で北海道創価学会の幹部を解任された女性が池田大作にレイプされたとの告発手記を『週刊新潮』に掲載。女性とその夫が池田を相手取り損害賠償請求の訴えを起こした。判決は「訴権の濫用による却下」という判決が下った。

映画監督伊丹十三の転落死[編集]

1997年(平成9年)に自殺(転落死)した伊丹十三の死が自殺ではなく他殺説(創価学会が関与したと断定する内容)が2ちゃんねるに掲載された。創価学会は2ちゃんねるの運営者を相手取り、訴訟を起こした。東京地方裁判所は2009年(平成21年)2月、証拠もないのに断定的な内容を掲載し続けたとして、被告に損害賠償金80万円の支払いを命じる判決を言い渡した[92]

「朝木明代市議転落死事件」というデマ[編集]

1995年(平成7年)9月、東京都東村山市議会議員朝木明代マンションから転落死し、後に警察が自殺と断定。朝木が創価学会と公明党の批判活動をしていたことから、他殺説や学会の陰謀説が浮上した。当時、創価学会と対立していた自民党が政権維持のため政局に利用するなどの騒動に発展。『週刊現代』・『週刊新潮』・『東村山市民新聞』の記事に対して、創価学会は名誉毀損で提訴し、3つとも学会側が勝訴した。

「日蓮正宗住職交通事故死事件」というデマ[編集]

1994年(平成6年)7月、北海道内で日蓮正宗住職の運転する自動車と学会員の運転する自動車が正面衝突する交通事故が起き、住職が死亡、学会員が重傷を負った。現場検証で住職の全面過失と認定されたが、週刊新潮など一部週刊誌が交通事故は創価学会によって仕組まれたものとする内容を掲載。自民党議員が週刊誌の記事をもとに国会で創価学会を追及し政局に利用した。後に事故の当事者である学会員が週刊新潮を提訴、最高裁は週刊新潮の敗訴を言い渡し自民党議員も原告に謝罪した。

月刊ペン事件[編集]

雑誌『月刊ペン』が掲載した「四重五重の大罪犯す創価学会」や「極悪の大罪犯す創価学会の実相」という記事が名誉毀損罪にあたるとして、編集長の隈部大蔵が告訴され隈部が有罪となった。

メディアによるデマ[編集]

「香典泥棒」というデマ[編集]

茨城新聞は創価学会信者宅からの取材をもとに昭和37年4月1日号において「創価学会は信徒の家に葬式があると、親戚、知己から集まる香典はすべて創価学会支部が持ち去ることになっている」と報道した。しかしその後、確証が取れないと判断した同社は4月17日、茨城新聞に訂正記事を掲載した。

「池田大作重病説」というデマ[編集]

週刊文春』が2011年(平成23年)、10月27日号(176ページから179ページ)で池田大作の看護師からの情報をもとに『衝撃スクープ 池田大作「創価学会」名誉会長 担当していた元看護師が語る「厳戒病室」本当の病状』と池田大作名誉会長の重病説を掲載、「私がお側で世話をした数ヶ月前には、歩くこともままならず、読み書きや他人と話すことも難しい状態」「先生が車椅子に乗ってらっしゃったとき、突然、奇声を上げてご自分の著作や写真を投げ始めた」「幹部の方々は、心配する我々学会員に対して『先生は元気です』とアピールするばかりです。しかし、それは学会員を欺(あざむ)き、池田先生を冒瀆(ぼうとく)している」「末端の学会員にも先生の現状をお知らせして、先生のために大勤行(ごんぎょう)会を開いたほうがいいと思うのです。」などとの内容が掲載された。週刊文春の記事を受け花田紀凱は産経新聞2011年10月22日付のコラム「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」で「まさに衝撃スクープ」などと記事を絶賛、内容が広まった。創価学会は週刊文春や発行元の文藝春秋社に「該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である」と抗議。週刊文春は2カ月後の12月29日号で当時の編集長が「小誌は再取材を行いましたが、証言者が看護師であるとの確証を得るに至りませんでした。病状についての記述を取り消し、ご迷惑をおかけした関係者にお詫びいたします。」と謝罪した。

自由民主党によるデマ[編集]

自由民主党は、創価学会の支持母体公明党が新進党に属していた時代、自民党は政権維持を目的とした創価学会への攻勢を行った。週刊誌に掲載された「池田大作レイプ事件」の内容を党の機関紙『自由新報』へ引用、内藤国夫、俵孝太郎が「シリーズ新進党=創価学会ウオッチング」と題し「池田大作レイプ問題」を4度掲載した。自由民主党内に公明党との連立を模索する動きが出ると1998年(平成10年)4月、自民党総裁首相橋本龍太郎が(創価学会の抗議に応じて)『自由新報』の「池田大作レイプ問題」について事実ではなかったと謝罪した。

社会問題にまで発展した問題[編集]

入信強要による差別や自殺[編集]

折伏大行進」により学会員が主導した入信強要によって自殺者が出た事例がある。1959年(昭和34年)6月、長崎県に住んでいた当時19歳の少年Aは創価学会員から度重なり入信を強要された。入信を拒むAに対し学会員は自宅で座り込みをするなどの暴挙に出たためAは根負けし入信。入信から20日後Aは「創価学会への入会は誤っていた。こんなものに入ったのは、自分がしっかりしていなかったからだ。」という遺書を残し自殺、Aの自殺を知った母親も後追い自殺をした。中国新聞は「創価学会に入会を強要されたばかりに、2人ともこんなことになって」という長女の談話を掲載した[93]。その後週刊新潮がこの事件を報道。その中でAの自殺は創価学会への信仰の薄さが原因とする学会員から匿名の手紙が届き、それを見てショックを受けた母親が後追い自殺をしたとしている[94]。近年でも創価学会員による悪質な入信や支持政党公明党への投票強要が行われている実態が明らかにされている[95]

また、会社において入信を強要したケースもある。日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」によれば、創価学会に入会しないことと、同機関紙「聖教新聞」を購読しないことを理由に昇給できなかった事例が掲載された。一方で、その会社では、入信して昇給した人もいたようで、差別を受けた社員の憤りも紹介されている。自由法曹団団長の松井繁明弁護士は、従業員に特定の信仰を事実上強制することは、憲法19条思想・良心の自由)、同20条信教の自由)に反する。また労基法3条は、労働者の信条を理由に賃金などについて差別的な取り扱いをすることを禁じており、これにも違反しているとコメントした。また同会社では月に1回の割合で、全員参加による「座談会」が開かれ、その日、会社にいる人間は社長から「全員集合」がかけられ、「人間主義」などのテーマで議論させられている。ある月には、山口那津男(現・公明党代表)が訪れ、支持を訴えたという[96]

言論の自由及び出版の自由に対する問題行動[編集]

創価学会は日本国憲法で保護されている言論の自由及び出版の自由、通信の秘密に対する問題をたびたび起こし組織として問題や事件への関与を指摘されることもあった。ここにあるものはその一例である。

言論出版妨害事件[編集]

1960年代末から1970年代にかけて創価学会と公明党が会長の池田大作や自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するため、学会員や公明党員が著者、流通業者、取次店、書店に脅迫や圧力をかけて出版を妨害したり出版前の原稿に自らの主張を織り込むよう改ざんを命令した事件。これらの行為が、憲法に保障された言論の自由及び出版の自由を侵害するものだとし、創価学会・公明党がマスコミから激しい社会的批判にさらされると共に、創価学会・公明党の密接な関係が政教分離の観点から問題視された。1970年(昭和45年)、池田大作が「言論妨害の意図はなかった」としながらも妨害行為に対し公式に謝罪、創価学会・公明党の問題点を改善することを公約した。後年、池田の著書「新・人間革命」では「衆院選前に、藤沢達造(藤原弘達の仮名)の本とともに、学会の批判本が次々と出されたのだ。暗黒の嵐が吹き荒れ、伸一(池田氏の仮名)を倒さんとする、攻撃の毒矢が放たれたのであった。」と掲載[97]。「週刊新潮」と不破哲三は、年月が経ったことに乗じて、歴史を改ざんするものだと批判した。[98][99]

宮本顕治宅盗聴事件[編集]

1970年(昭和45年)、日本共産党委員長宮本顕治電話回線を創価学会の学生部幹部数名が盗聴。日本国憲法で保護されている通信の秘密を侵害するものとして創価学会は数名の逮捕者を出した。

携帯電話通話記録窃盗事件[編集]

2002年(平成14年)、当時創価大学剣道部監督だった創価学会幹部が交際していた女性の浮気を疑い通信会社に勤務していた部下の学会員に浮気調査の名目で女性や女性が付き合っていた別の男性 A(仮名)の通信記録を調べるよう指示し盗み出したというもの。日本国憲法で保護されている通信の秘密を侵害するものとして学会員3名が電気通信事業法違反で逮捕され、全員が有罪判決を受けた。また捜査の中で創価学会に反目する団体幹部やジャーナリストの通信記録も盗んでいたことが発覚した。

Yahoo! BB顧客情報漏洩事件[編集]

2004年(平成16年)、外部からの不正アクセスによりYahoo! BBの顧客情報が漏洩した事件。逮捕された元社員の中に創価学会幹部が2名含まれていたことが明らかとなる。また逮捕された学会幹部の一人は以前宮本顕治宅盗聴事件でも逮捕・起訴されていた

選挙に対する組織的不正[編集]

創価学会が組織的に選挙違反を行い逮捕者を出したケースが存在する。一例をあげる。

大阪事件[編集]

1957年(昭和32年)4月に参議院大阪地方区補欠選挙が施行された際、創価学会員が大阪あいりん地区に住む日雇い労働者達に候補者名の氏名の入ったタバコ現金を渡したとして創価学会員ら47名が公職選挙法違反で逮捕された。裁判では組織的指示はなかったとして小泉隆、池田大作は無罪、45名に有罪判決が下され、有罪となった会員45名は戸田会長の名で会員除名処分を受けた。

新宿替え玉事件[編集]

1968年(昭和43年)に行われた参議院議員選挙における不正行為で創価学会員34名が検挙された。

選挙活動妨害[編集]

選挙活動妨害で学会員が逮捕された例もある。

  • 2003年(平成15年)4月11日、埼玉県所沢市で日本共産党の後援会員がビラを配布中、「選管(選挙管理委員会)」を名乗る女性に「このビラは違反だ」と指摘される。後援会員が女性に氏名と聞くと、女性は立ち去るも再度「このビラは違反」と妨害。その後の後援会員の追及に女性は「創価学会員」と認めた。後援会員が、選管に確認したところ、「選管」と名乗った女性の該当者はいないことが判明。選管事務局は「悪質な行為で選挙管理委員会に報告し、検討したい。」と赤旗の取材に回答した[101]

創価学会と犯罪[編集]

裁判所が認めた創価学会の組織的関与として大阪事件[102]といった選挙違反、偽造写真事件[103]コーヒーカップ裁判[104]宮本顕治宅盗聴事件[105]といった反目する団体への誹謗中傷行動、手帳強奪事件[106][107]のように学会と袂を分かった元幹部への違法行為が挙げられる。かつて犯罪を起こして逮捕された学会幹部が数年後再び刑事事件を起こして逮捕されたこともあり学会の体質が批判された[108]

日蓮正宗との関係と対立[編集]

かつて創価学会は日蓮正宗の在家の信徒団体であったが、戸田が布教の利便と宗門である日蓮正宗を外護のため、宗門に宗教法人格の取得の許可を願い出た。 日蓮正宗は「新規会員は信徒として末寺に所属させること」、「教義を守ること」、「仏・法・僧の三宝を守ること」を条件に承諾した[14]

昭和52年路線[編集]

1977年(昭和52年)1月の第9回教学部大会において、池田は創価学会を在家・出家の両方に通じる存在として位置付け、「創価学会の会館や研修所こそが近代における寺院」(島田裕巳(2004年)による引用)であり、『人間革命』は日蓮の遺文に匹敵する御書であるとした[109]。これに対し、宗門である日蓮正宗側は池田の主張は教義からの逸脱であると批判し、批判を受けて創価学会は謝罪した[109]山崎正友が独自に宗門若手僧侶を扇動し、批判活動を行わせた。

学会幹部が日蓮正宗総本山大石寺に登山を行う事で一応は収まったものの、その後も日蓮正宗(宗門)僧侶や檀徒による批判は続いた。

1979年(昭和54年)7月22日に管長細井日達が遷化(死去)。日達は生前、後継者を指名していなかった。67世法主として阿部日顕が登座すると学会を含めた日蓮正宗内は混乱に陥る。学会に批判的な僧侶が「正信会」を結成、山崎も学会を退会して正信会に参加した。これに対し日顕は学会に友好的に接し、学会も日達から日顕に血脈相承が行われたと指導、池田も宗門を擁護する立場を取った。その結果宗務院は正信会僧侶の大量処分に踏み切り、ついには批判派僧侶のほとんどが日蓮正宗から追放された。後に池田や学会は日顕が受けたのはあくまでも内証(内定)であって、正式な儀式は行われておらず、後継指名は成り立たないと解釈を変更している。

日蓮正宗との対立・決別[編集]

1990年平成2年)7月17日、日蓮正宗との連絡会議の席上、学会側が宗門や法主を批判して席を立つ[7]。同年11月16日、第35回本部幹部会における池田のスピーチ(「もう宗門から散々やられ、」など)に対し、日蓮正宗側は法主や僧を軽視するものだとして学会に説明を求める「お尋ね」文書を送る[7]。これに対し、学会側は日蓮正宗側が自分たちを誹謗・中傷していると回答を拒否[7]。これを受け、日蓮正宗は規約を改正し、1984年1月に再任されていた池田の総講頭の役職を解くことにした[7]。翌1991年、創価学会は『聖教新聞』紙上等において日蓮正宗へ反論を行う。阿部日顕をはじめとする宗門僧侶の問題点を指摘した。[7]。同年11月、日蓮正宗は、「創価学会」と「創価学会インタナショナル」(SGI)を破門した。 アメリカの宗教学者フィリップ・ハモンド、デヴィッド・マハチェクは、『アメリカの創価学会 適応と転換をめぐる社会学的考察』(紀伊国屋書店)の中で、「1991年(平成3)年に行われたこの分離が、プロテスタント宗教改革になぞらえられてきたのは当を得たことである」と評している。そして、「今回の一連の動きでもっとも印象的なことは、創価学会が塔婆――死者の代わりに供養される追悼のための銘板――を自分たちの金儲けのために売りつける強欲な僧侶たちを非難したことと、プロテスタントの宗教改革者たちが、贖宥状を販売する聖職者たちに異議を唱えたこととが、酷似している点である。」と述べた[110]

シアトル事件[編集]

1992年(平成4年)6月、『創価新報』・『聖教新聞』が「日顕が1963年(昭和38年)に法務でシアトルに出張した際に、現地の売春婦と料金トラブルを起こして警察に通報され拘束を受けた」、「現地在住の学会員、ヒロエ・クロウが保釈手続きを行った」などといったデマを機関紙に書き立て痛烈に批判した。日蓮正宗側は、そのような事実はまったく存在しないと否定。日米両国で訴訟が行われた。またこの報道は創価学会や日顕と敵対する正信会・顕正会の機関紙でも報じられた。しかし、ロサンゼルス上級裁判所は「原告は、名目上の原告にすぎず、この訴訟は、創価学会が阿部日顕上人を日蓮正宗法主の座から追い落とすために提起したものである」とし、訴えを事実上の門前払いにした。日本の裁判所の判決は、創価学会は「シアトル事件・クロウ事件」を材料に日顕および日蓮正宗を攻撃することを禁止している。

偽造写真事件[編集]

破門後の1992年(平成4年)11月、学会は機関紙『創価新報』に捏造した宴席写真を掲載し日顕を批判。日蓮正宗との訴訟に発展。判決では学会が写真捏造を行ったことを認定し、学会側が敗訴したが原告が求めた賠償請求は棄却される。

コーヒーカップ裁判[編集]

1992年(平成4年)、神奈川県川崎市中原区にある日蓮正宗持経寺に息子の遺骨を預けていた創価学会員夫婦が、同伴した数人の学会幹部とともに息子の遺骨を受け取りに訪れた際、本堂で夫が遺骨を受け取り退出。しかし、5分後に再び本堂を訪れ遺骨骨壷ではなくコーヒーカップに入っていたと主張した。

「日顕宗」命名[編集]

創価学会は、「日蓮正宗」を日顕の名から取った「日顕宗」と呼ぶようになり、日顕の隠遁により68世法主早瀬日如が登座した現在でもその呼称は続いている。ただし、地方公共団体および文部科学省宗教法人の登録名に「日顕宗」の名称はない。

池田大作本仏論[編集]

歴代会長の中でも、初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田の「三代会長」は、「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」と2002年(平成14年)の会則変更の際に定められた[34]。ただし、三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。池田は聖教新聞紙上で「私などを絶対視してはいけない。」と明言した[111]

他の宗教や組織との関係[編集]

戸田城聖が存命だった1950年代から、教祖・日蓮の教義に従い、日蓮正宗以外のすべての他宗教・他宗派一切認めず「邪宗・邪教」として批判してきた[59]。特に「立正佼成会」や「天理教」への攻撃は熾烈を極めた。国内の他の新宗教教団とは協調するまでには至っていない[112]

一方で宗門であった日蓮正宗からの干渉により進捗に支障があったキリスト教イスラム教など既存世界宗教との対話は、同宗からの破門と前後して徐々に軟化。その傾向が顕著になったのは「SGI憲章」が制定された1995年(平成7年)11月23日以降で、憲章の7番目の項目として「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。」と記述され、方針転換を正式に表明した。現在、創価学会インタナショナルは(日本を含む)世界192の国と地域に組織を持ち、特定の宗教以外が厳しく制限されているイスラム圏中国北朝鮮など一部地域を除いて全世界に活動の幅を広げるまでに至っている。

小樽問答[編集]

1955年(昭和30年)に日蓮宗妙龍寺と日蓮正宗妙照寺所属の創価学会とで論争が起こり、日蓮宗側は宗門幹部を派遣し公開法論に臨んだ。弁士として創価学会から教学部長と青年部長が、司会として青年部参謀室長兼渉外部長だった池田が参加。創価学会員が聴衆の7割を占めていた事から議論は創価学会側の講師に拍手と声援を送る一方、日蓮宗側の講師には激しい野次や嘲笑を浴びせるなど一方的な展開になる。後に、日蓮宗は創価学会とは一切法論を行わないと各寺に通達した[7]

冨士大石寺顕正会との関係[編集]

創価学会と、顕正会の前身である妙信講は共に日蓮正宗内の一法華講という立場であったが、1970年代に学会が主導した大石寺正本堂の建立をめぐり、正本堂が日蓮の遺言(御遺命)にある「本門の戒壇」にあたるか否かの解釈で対立したのを皮切りに関係が悪化した。

妙信講は「非国立」の戒壇を建立することは認めないという姿勢を顕正会に改名した現在も崩していないのに対し、学会と当時の宗門管長細井日達は折からの言論出版妨害事件もあって「国立戒壇」の建立という考え方を放棄し、正本堂をもって御遺命は達成されたと内外に認めさせようとした。

その後日達の仲介で両団体が協議し「正本堂は御遺命の戒壇にはあたらない」とする学会理事長・和泉覚(当時)の談話を聖教新聞に掲載することで一応和解。この談話は落慶法要直前の1972年(昭和47年)10月3日付紙面に掲載され、法要には妙信講関係者も出席した。しかし、和解した後も妙信講は国立戒壇建立を放棄しなかったとして、1974年(昭和49年)8月12日、日達は妙信講を講中解散処分に付す。

妙信講はこれを学会の陰謀だと決めつけ、2ヵ月後の10月4日、男子部幹部ら70人が創価文化会館に乱入。学会側の自警団である牙城会のメンバーとの間で乱闘騒ぎに発展した。学会では警視庁機動隊出動を仰いで鎮圧、妙信講側に12人の逮捕者を出す結果となった。

事件に至るまでの一連の経緯は、後に山崎を中心とした学会側の秘密工作に妙信講男子部が乗せられたものと判明するが、和泉理事長は鎮圧直後の声明で妙信講を「狂信的過激派」と激しく非難。一方の妙信講も理事長の浅井昭衛が「抗議活動自体を捏造された」と反論、両団体の対立はこの時点で事実上修復不可能となった。

政治との関係[編集]

創価大学中野毅によれば、創価学会の政治参加の動機は、中小企業労働者を中心とする民衆の代弁、政治の監視、信教の自由の確保の三点に集約されるという[113]。会長秋谷日本外国特派員協会での1995年(平成7年)の会見でもこの3点が強調された[114]

創価学会インタナショナルの Rie Tsumura によれば、創価学会の政治への関与は第二次世界大戦時に弾圧された経験をもとにした「主に防御的」("largely defensive")なものであった[115]

國學院大學塚田穂高によれば、第二代会長戸田城聖は「国立戒壇」の建立を訴え、「王法仏法が冥合すべきである」(「王仏冥合」)として政教一致的な理念を論じた[116]。中野毅によれば、戸田の展開した王仏冥合論・国立戒壇論は政教分離原則に反するとの疑念を受けやすかったが、戸田に日蓮正宗国教化を目指す意図はなかったという[117][118]。国立戒壇の建立は創価学会の政治進出における宗教的目的であり、世俗的な目的はあくまで「社会の繁栄と個人の幸福」を一致させることにあったと中野は指摘した[117]。中野によれば、「国立戒壇」建立は戸田時代初期の創価学会の政治参加の目標の一つだったが、早い段階でそれは放棄された[113]島田裕巳は、創価学会の政治への関心について戸田が1956年(昭和31年)に記した中での「本門の戒壇」への言及、池田の1959年(昭和34年)の「国立戒壇の建立と学会員の前途」という講演における「政治上に、本宗の正義を用いる」という発言に注目し[119]、これらの表現は「実質的には日蓮正宗の国教化を意味」[120][121]していたのではないかと論じた。

戸田の下、創価学会は1956年(昭和31年)の第4回参議院議員通常選挙での白木義一郎北条雋八擁立などを通して政治に進出した[116]。第三代会長池田大作の時代に「国立戒壇」という言葉は「本門の戒壇」「民衆の戒壇」などに言い換えられ[122]、「仏法民主主義」「世界民族主義」など普遍性のある用語が目立つようになり[122]、「国立戒壇」は1964年(昭和39年)の公明党結党宣言にも盛り込まれなかった[122]。創価学会批判の妨害や政教分離を巡る言論出版問題を受けて1970年(昭和45年)に創価学会は「国立戒壇論」放棄・「政教分離」を宣言し[123][124]、公明党綱領から「王仏冥合」などの文言が削除された[123][24]

創価学会は公明党結成後の1960年代靖国神社国家護持法案反対・日米安保条約改定反対など革新主義の立場にあった[124]。中野毅によれば、このことが理由で創価学会は保守陣営から危険視された[124]島田裕巳は創価学会は「下層階級を組織化」[125]する点で左翼陣営と競合していたと指摘し[126][125]、創価学会が政界進出を始めた時点で創価学会は左翼陣営に批判されることはあったが保守陣営に批判されることはなかったと主張する[125]。初期の創価学会は大都市に流入した下層民を中心にしており[127]、学会員の圧倒的多数が社会階層の下層から中間層の下に位置することは2010年(平成22年)に至るまで変わりがない[127]

政府の公明党と創価学会に対する見解[編集]

1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)にかけての「言論出版妨害事件」を機に、創価学会と公明党との関係は政教分離原則の観点から議論を呼んだ。1970年(昭和45年)4月24日、民社党中央執行委員長春日一幸が「宗教団体が、議会政治機構を利用して政権を獲得することは、憲法の政教分離原則に反するのでは」と質した質問主意書を送付。政府は「宗教団体が推薦や支持をした者が公職に就任し、国政を担当しても、その宗教団体と国政を担当することとなった者とは法律的には別個の存在であり、(憲法20条が禁じている)宗教団体が政治上の権力を行使することには当たらない」旨の答弁書を出した。

政府の見解は

  • 「宗教団体が政治的活動をすることまで排除するという趣旨ではない。」大出峻郎・元最高裁判所判事
  • 「宗教団体と非常に密接な関係にある政党に属する公職の候補者が、その宗教団体の推薦、支持を受けて公職に就任し、国政を担当するに至る場合でも、その宗教団体と国政を担当する者とは法律的には別個の存在であります。(中略)宗教団体が政治上の権力を行使しているということにはならない。」大森政輔裁判官、元内閣法制局長官
  • 「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が政治的活動をすることをも排除する趣旨ではない。」宮崎礼壹検察官、元内閣法制局長官
  • 「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が、政治的活動をすることをも排除している趣旨であるとは考えていない。」佐藤栄作・元総理大臣衆議院議員
  • 「政教分離は宗教法人の政治的活動を排除する趣旨でない。」麻生太郎・元総理、衆議院議員

となっている。

その後も一部議員により「政教一致」であるとの批判はたびたびなされている。[128]また飯島勲内閣官房参与は2014年(平成26年)6月、「公明党と創価学会の関係は政教一致と騒がれてきたが,内閣法制局の発言の積み重ねで政教分離ということになっている。」と政府見解を説明したうえで、仮定の話として「法制局の発言,答弁が一気に変われば,『政教一致』が出てきてもおかしくない。」と発言した[129][130]。 しかし、直後に政府・与党は飯島の発言を否定。自民党の石破茂幹事長は「内閣を代表した形ではない。」と語り、菅義偉官房長官は政教分離についての政府見解を維持するかと問われ、「まったくその通りだ。」と回答している[131]。 宗教社会学者の弓山達也は、著書のなかで創価学会を例にあげながら「日本においては政教分離の原則があるが、宗教教団の政治への関与を禁じているわけではない。 むしろ、宗教教団が現世での幸福を願う限り、政治への関与は不可欠となり、特定の政治家を応援したり、宗教政党を結成して積極的に政界に進出したりすることは自然なことともいえよう。」と述べている[132]

政治活動[編集]

宗教団体の政治活動の自由を制限したり禁止したりすることは、憲法に定められた表現の自由結社の自由を侵害するものであり、宗教を理由にした差別になる。よって、憲法20条に反しないと解釈される[133][134][135]

一方で、新進党時代は自民党が、自公連立政権時は民主党が、創価学会がその支持政党である公明党の選挙を組織的に行うことを批判、政局にまで利用された。自民党は1993年に有志議員が憲法20条を考える会を結成(会長は亀井静香)、民主党は菅直人石井一が国会で創価学会の施設で公明党の選挙運動を行う事に批判を繰り返すなど各党が創価学会への攻勢を行った。

また、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は、選挙戦で創価学会首脳が陣頭指揮を執り、創価学会の機関紙聖教新聞に会員を鼓舞する記事が掲載されると指摘している[136]

評価・批判・考察[編集]

評価[編集]

日本以外からの評価[編集]

  • ブライアン・R・ウィルソン(国際宗教社会学会初代会長)、カレル・ドベラーレ(ベルギー・ルーベン大学名誉教授) - 創価学会について社会的考察をし、「創価学会は哲学的には明らかに個人主義と平等主義に立っているにもかかわらず、信仰における古参原理が仲間意識と結びついており、その結合には神秘的な要素がある。」と評している[137]
  • ダニエル・A・メトロ(メアリー・ボールドウィン大学教授) - 創価学会の平和運動を分析し、「創価学会が繰り広げている民衆レベルの平和運動は、もちろん、宗教的な使命感にもとづいたものにちがいない。しかし、必ずしも、全人類が創価学会に入会しなくとも仏法を基調にした〝平和のメッセージ〟を送り続けていくことによって、一人一人に〝精神の変革〟をおこさせていくことは可能である。また〝平和のメッセージ〟を全世界の人びとが共有することは、創価学会の使命を果たすことにも通じることだと思う。」と述べている[138]。また、「創価学会は、日本の近代史におけるユニークな現象である。仏法理念を基盤として、これほどまでに広範な社会的運動を成功裏に展開した宗教団体は、かつてなかった」とも述べている[139]
  • フィリップ・E・ハモンド(アメリカの宗教社会学者)、デヴィッド・マハチェク(宗教社会学者) - 創価学会を社会学的に研究。学会の歴史と哲学への考察を著書に記し、「創価学会の活動の原動力は、日蓮仏教がそなえている禁欲的な特質であり、あるいは、宗教的信念に照らして社会状況を変革しようとの強い思いである。」と評価した[140]

日本からの評価[編集]

  • 鶴見俊輔(哲学者、評論家、政治運動家) - 創価学会の布教活動が、日本の宗教の浄化に役立っているとして、「この意味で創価学会は、日本に本当の宗教心をつくるために、その前ぶれとして働くバプテスマのヨハネであるかもしれない。」と所感を述べている[141]
  • 玉野和志(社会学者) - 「創価学会は『幸せにするシステム』とでも呼ぶべき組織原理を生み出し、会員たちがあきらめることなく、地道に自らの生活を継続する手助けをしてきたといえる。」と述べている[142]
  • 森秀人(評論家) - 創価学会について「中世以来、日本人が喪失していた信仰主体が現出した」と位置づけており、「創価学会は、人間による人間の回復という課題に、限定付にせよ応えることができたことの意味のほうがはるかに巨きい。」と評論した[143]
  • 中江克己(歴史作家) - 多くの創価学会員への取材を通して、「創価学会の10年」を編んだ。その中で「生命尊厳の仏教哲学が不動であり、それを社会に生かしていこうという運動が継続されていく限り、やはり創価学会に対する期待は大きいといわなければならない。」と書を結んでいる[144]
  • 佐木秋夫(宗教学者)と小口偉一(東京大学名誉教授) - 創価学会の教学運動について「教学の学習の盛んなことは、創価学会の重要な特色になっている。学習が行動の欠くことのできない源泉であることが、会員のあいだに広く理解されている。」と論及した上で「組織、動員、学習がいきいきと結びついていることが、創価学会を強大にしている」と評している[145]
  • 宮台真司(社会学者) - ウェブマガジンのインタビューで、東日本大震災の被災地における、個人で支え合う人間関係・つながりを持っている者と持たない者の格差を見せつけられたと述べた上で、「創価学会の避難所は物も潤沢だし、配給物資も公平に、順当にシェアできるしくみがある。だから取り合いになったり、殺伐とした対立なども起こりえない。それは教会などのコミュニティと同じで、たとえば欧米などはハリケーン津波で被災しても行政や自治体は動かない。救援物資のディストリビューション(配給)をやるのは、教会なんです。」と発言。教会的なコミュニティーが果たす役割に言及し、その例として創価学会をあげた[146]

批判[編集]

政界進出を始めた時期に創価学会は、日蓮宗系他教団のほか、浄土真宗系教団、左翼陣営からの批判を受けることが増えた[125]。島田裕巳によれば、1957年(昭和32年)の北海道での創価学会青年部隊と日本炭鉱労働組合と間の戦いを一つのきっかけとして[125]、また1960年代の公明党結成に応じて[126]、左翼陣営からの批判が刊行されるようになった[126]。島田はこれらの教団・陣営は「民衆をターゲットとし」[126]、「下層階級を組織化」[125]する点で創価学会と競合していたと指摘し[126][125]、一方の保守陣営はこの段階では創価学会批判を展開していなかったとする[125]

公明党が結成され議席を広げていった時期には、創価学会批判の書物が発表されることが増えた[147]。1969年(昭和44年)の藤原弘達の『創価学会を斬る』をはじめとする様々な批判本に対して創価学会から圧力がかけられていることが明らかとなり(「言論弾圧事件」)、池田は1970年(昭和45年)に謝罪した[147]

上智大学教授の猪口邦子は2000年(平成12年)に、創価学会の「宗教的団結心」("religious solidarity")を核とした「巨大な政治的力」("enormous political power")を警戒する人もいると述べた[115]

離反者による批判[編集]

  • 矢野絢也(公明党元書記長) - 「学会員二世、三世は幼い頃から、家庭において池田大作が著した絵本やアニメを見せられ、いかに池田と創価学会の教義が素晴らしいかを刷り込まれる。しかも、一貫教育システムにより、筋金入りの創価学会員としてエリート教育される。一貫教育システムという醸成装置があればこそ、創価学会は次々と新たな学会員と「池田名誉会長」を信じて疑わない幹部を養成できる。」と指摘している[148]。このほか、現在の学会の幹部は、こうした「池田チルドレン」たちによって固められ、公明党議員にも創価学園創価大学出身者がいる。このような教育によって、学会は強固な組織となり、池田の独裁体制も確立されたとしている[148]。また、「100万円財務は、戸田第二代会長の表現を借りれば、学会が決して手を染めてはならない「邪宗教」への一歩を踏み出した瞬間だった」としている[149]。一部支部では高額の財務を納めるためのコースやパンフレットも用意していた[150]

自民党による「反創価学会キャンペーン」[編集]

自民党1996年(平成8年)頭の運動方針に「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していること」という文言が存在した[151]

かつて自民党は国会で創価学会の資産問題を徹底追及、1995年(平成7年)11月、自民党の熊代昭彦衆議院議員は「宗教法人に関する特別委員会」の中で質問に立ち「我々が内々にいろいろ聞いたところでは、不動産資産9兆円、流動資産1兆円というような堂々たるお力を持っておられるようなことでございますが……」と発言[152]

諸外国からの批判[編集]

創価学会が諸外国から批判され、中にはフランス等のように創価学会をカルト指定している国もある。

イギリス[編集]

イギリスの経済紙『エコノミスト』1999年7月3日号で「創価学会は(日蓮正宗[大石寺]が創価学会との結び付きを断ち池田氏を破門したことによって)主な目的を失った現在、世界中で行っているよい仕事の成果を強調するようになった。さらに創価学会は富裕になって以降初期の目標を失ったその他多くの組織と同様に、批判者を脅迫、主流マスコミを脅して黙らせるという容赦なさでその利害を守っている。」と批判した。

フランス[編集]

2011年9月、フランスの新聞『ル・モンド』の月刊誌「Le Monde DES RELIGIONS」に『創価学会、自己の内なるブッダ』と題するルポタージュが掲載され、創価学会の歴史や活動が詳しく報じられた。ルポタージュは、創価学会が日蓮正宗と絶縁した理由について「創価学会のプラグマティズム、およびその在家による現代世界を中心に捉える方向性は、日蓮正宗の聖職者集団による教条主義的宗教観とはもはやできなくなったからである。」と解説した。また、過去にフランス国会に提出された報告書が創価学会をセクト扱いしていた背景についても解説し、首長直属機関であるセクト逸脱行為監視取締り関係省庁委員長ジョルジュ・フネックによる「ここ5年以上に渡りSGIフランスに関して、我々はセクト逸脱行為の通報を一切受けてない。運動体(SGIフランス)は礼拝文化商業活動を区別し、フランスにおいてはまったく問題を提起しない。」とのコメントを紹介している[153]

幸福の科学による批判[編集]

幸福の科学の総裁大川隆法は自著で「現代社会における二つの悪」として、一つは悪徳マスコミ、もう一つの悪が「邪教・創価学会」であると批判[154]

著名人による批判[編集]

  • 内藤国夫 - 「政界に進出し、国家権力と結びつく、また結びつこうとする権力志向、権力依存の宗教団体は邪教の中の邪教ということだ。オウムより、はるかに始末が悪い難問である」[155]
  • 浅見定雄(元東北学院大学教授) - 「メンバーが結果的に一つの政党しか選ばなかったり、その宗教団体の指示による以外は他の政党に投票することもない-創価学会の指示で信者が自民党に投票する場合のように-もしそういう宗教があれば、その宗教は必ず政教分離の原則を破っているのであり、また恥ずかしいことだが、非常に未成熟で前近代的な宗教である」[156]
  • 松本清張 - 単行本『作家の手帖』で創価学会を批判。松本が仲介し結ばれた協定(創共協定)に対する経緯や創価学会の一方的な態度を批判。
  • 石原慎太郎 - 創価学会池田大作名誉会長を『悪しき天才、巨大な俗物』。」と批判[157]
  • 平沢勝栄 - 創価学会と公明党を政教一致と批判。1999年の自自公連立政権発足以降、自民党議員の中で一貫して創価学会批判を行う。
  • 石井一 - 参議院予算委員会で創価学会と公明党の間で起こる金の流れを批判。元公明党議員の証言をもとにP献金という池田大作への内部献金があると暴露。
  • 亀井静香 - 自民党内勉強会『憲法20条を考える会』の会長。1995年宗教法人法の改正に反対した創価学会、池田大作を批判、自民党離党後も国会審議で公明党、創価学会を批判。
  • 俵孝太郎 - 学会と対抗していた組織四月会の代表幹事。2005年9月1日の『日刊ゲンダイ』でも創価学会を批判。
  • テリー伊藤佐高信 - 共同著書『お笑い創価学会』で創価学会を批判。
  • きっこ - ブログ『きっこのブログ』、ブログの内容を著書にした『きっこの日記』で自公政権および創価学会を批判。
  • 杉田かおる - 自書『杉田』で創価学会を批判、主に池田大作や創価学会幹部を批判した。
  • 大槻義彦 - ブログ「大槻義彦のページ[4]」で池田大作・創価学会・公明党を政教分離の原則の観点から批判。
  • いしいひさいち - 自書『大問題』で創価学会を批判。
  • フロランスラクロワ - パリの国立研究院の博士。十数年にわたり創価学会を取材・研究を重ね、「創価学会、タブーの解剖」というフランス国家博士論文を発表。
  • 筒井康隆 - 『SFマガジン』1965年8月増刊号で発表した短編小説『堕地獄仏法(中公文庫『東海道戦争』収録)』で、創価学会・公明党を連想させる宗教団体・政党が『政教一致体制』で支配する恐怖の日本社会を描いた[158]。また、朝日新聞で連載していた長編『朝のガスパール朝日新聞社 のち新潮文庫)』では、信者らしき人物から筒井康隆に対する個人攻撃の投書があったため、筒井康隆は作中で実名を挙げて批判している[159]。さらに『現代語裏辞典(文藝春秋のち文庫)』では『創価学会。そうか。がっかり』と揶揄する記述が見られる。
  • 段勲 - 自書『反人間革命』で創価学会を批判。
  • 藤本光陰 - 自書『立正残酷物語』で 日蓮正宗が正、創価学会は邪と批判。
  • 後藤忠政(元山口組系後藤組組長) - 自書『憚りながら』で創価学会と後藤組(山口組)との密接な関係を赤裸々に告白。
  • 蛭子能収 - 公明党支持者から食事中に強引なサインを要求され、公明党への支援も頼まれたことに立腹。「公明党の信者って、なんでそう熱心なのか不思議だが、相手の気持を考えない我がままな人ばっかりの集まりなんだろうなーと思う」と批判[160]

市民団体[編集]

日本を護る市民の会代表の黒田大輔は「カルト創価学会撲滅」を掲げており、裁判なども起こしている。

創価学会は池田教であるとの批判[編集]

指導者としての池田大作名誉会長への個人崇拝が顕著であることから、創価学会はもはや宗教団体ではなく池田大作によって私物化された個人団体「池田教」との批判がある[148]。池田教と批判される主な要因として

  • 元公明党委員長矢野氏によれば創価学園の中には池田大作の肖像画が至る所にあり生徒たちはその前を通る時は必ず拝まなくてはいけないという決まりがある[148]
  • 池田大作本仏論の存在及び初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田を「三代会長」「創価学会永遠の指導者」とすることを決めた会則の存在に対し日本共産党が『しんぶん赤旗』で批判している[34]
  • 池田専用豪華施設の存在を元公明党代議士が暴露し批判した[161]

創価学会の顧問を務めていた、戸田城聖の長男は2013年1月没したが、生前、創価学会は今では戸田が作り上げた学会とは大きく異なり、まるで池田ファンクラブのようだと批判。また創価学会は戸田の死後、池田にあげたとし、「今の創価学会は父、戸田城聖をはじめとした戸田家とは全く無関係」という内容が長男の未亡人により明らかにされ「週刊新潮」に掲載された[162]。ただし、新宗教教団においては、伝統的な神仏等を崇拝対象としつつも、事実上は教祖崇拝となっていることが日常的である[163]。新宗教において、創価学会が特異というわけではない。

韓国に関する批判[編集]

韓国に関連した批判が下記のようにある。

  • 1997年に行われた韓国大統領選挙で候補者の金大中が日本で秘密裏に公明党幹部と面会し、日本の公明党の影響下にある韓国SGIから支持を得られるように依頼し公明党幹部の藤井富雄が了承したとされる事実があること[164]
  • 韓国SGIが平和をテーマに行なった集会で竹島の領有権主張や歴史教科書問題、日本の軍国主義批判が背景になっていたことを、週刊新潮が「反日集会と報道する[165]
  • 2002年8月15日、韓国・SGIが池田大作の指示で韓国の政治家へ総額20億ウォンの裏金をばら撒いた不正疑惑が、SGIの内部告発という形で韓国の有力全国紙である『中央日報』『東亜日報』『朝鮮日報』の3紙に掲載され日本では週刊実話が『韓国 三大紙上で暴露 池田大作SGI会長が韓国の政治家にバラまいた20億ウォン裏金疑惑』として掲載されたこと[166]

考察[編集]

  • 島田裕巳(宗教学者) - 昭和30年代から40年代の高度経済成長期には、仕事を求めて故郷を離れて都会を目指し多数の青年たちが、大企業中心の総評などにすいあげられることもなく、未組織労働者・中小零細業者として孤立無援の生活を送らざるを得なかった人たちが、組織化されて、「民族」とも形容できる濃い人間関係ができあがっていった。この組織化が画期的であり、そこに創価学会の社会的な意義があったと主張する[167]。池田の後継者として長男の池田博正創価学会副会長(当時、現在は副理事長)の氏名を出している[168]

世襲への考察[編集]

池田大作名誉会長は当初「学会は永久に世襲制はとりません。これは初代、二代、そして三代の私を含めた不文律のようなものになっている。」[169]と述べていた。一方で、関西創価学会のドンとして知られ、与野党問わず政界とのつながりが深い西口が死去したことを受け、池田から長男・博正への世襲が近くなったと予測する学会関係者もいる[170]

創価学会に関する疑惑[編集]

創価学会に関する様々な疑惑を記載する。

P献金[編集]

創価学会にはP献金と呼ばれる献金が存在しているという疑惑。P献金のPとは「プレジデント」の略で公明党の支持母体、創価学会名誉会長で最高実力者の池田大作を指しているというもの。公明党出身の国会議員福本潤一が2007年(平成19年)6月、外国人記者クラブで外国人記者を前に記者会見し、その席上「公明党の議員は選挙で当選した際に衆議院議員は300万円、参議院議員は600万円の献金を行うよう要請されている」と発言したことから疑惑が浮上。民主党の石井一が2007年(平成19年)10月16日、参議院予算委員会で「P献金」を追及したこともあり疑惑が立てられた。

予算委員会の答弁の中で冬柴鐵三国土交通大臣が「選挙の際、立候補者が公認料として歳費の2か月分を公明党に納めている。」と発言したことで疑惑は拡大、石井の追及に予算委員会は何度も審議がストップした[171]

暴力団への暗殺依頼疑惑[編集]

創価学会が自らに反抗・批判する人間の暗殺暴力団へ依頼したとされる疑惑。後藤組の元組長後藤忠政によれば元公明党最高顧問藤井富雄が後藤のもとを訪れ、池田大作名誉会長の名のもとに反創価学会の活動をしている有名画伯A(仮名)や亀井静香ら4名の暗殺を依頼されたという[172]。また、共同通信社記者の魚住昭は『月刊・現代』の中で藤井が後藤に、創価学会に対して批判的な亀井静香を黙らせて欲しいと依頼する場面が収録されたビデオテープがあることを記している[173]。暗殺リストに名前があった亀井静香は警察関係者、弁護士などと創価学会対策会議が行うこととなる[174]。後藤は著書の中で池田が裏で何をしていたかといったら、山崎や藤井をパイプ役にして俺達ヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺達がちょっとでももの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、頬かむりだ。(池田大作を批判する)竹入にも矢野にも俺にした仕打ちとまったく同じことをしているんだよ。一番の悪はやっぱり裏で、山崎だの藤井富雄だのに汚れ仕事をさせといて、表では善意に満ち溢れた教祖サマ面している、池田大作だろうな[175]。と痛烈に批判した。

財務に関する疑惑[編集]

学会員の貴重な財務が実は学会本部で流用されていたのではという疑惑が流れている。

  • 1977年(昭和52年)に 民社党の春日一幸が国会で池田の豪華専用施設等について調査したところ財務が私的流用されていたのではという疑惑を持ち、当時の公明党委員長委員長竹入義勝宛に質問する旨の手紙を送った[176]。春日は1970年(昭和45年)12月の衆議院予算委員会で池田の証人喚問を求めたが自民党、公明党の反対で証人喚問は見送られた。また春日は創価学会が起こした言論出版妨害事件でも池田の証人喚問を要求したが見送られた経緯がある[177]
  • 1989年(平成元年)6月、横浜市内の解体処理場から持ち込まれていた古金庫から2つの紙袋とともに大量の一万円紙幣が落ちてきたという事件が発生した。拾い集めたところ、総額は約1億7000万円相当あったという、7月3日名誉会長池田大作の腹心といわれる創価学会総務の中西治雄が持ち主と名乗り出て、「20年以上前に、自分が学会内で不正に蓄財したもので、その存在を忘れているうちに誤って捨てられた」等と述べた。しかしすべて聖徳太子像が印刷された旧紙幣(C号券)で、半分は真新しい状態であり、「1000万円」と印字された帯封で束ねられたものや一度も市中に出回っていない新札もあったことや中西が自宅を担保に借金をしていたことから矛盾点をマスコミから追及された。当時の学会内部は中西に同情的であり大多数の幹部が「この事件は中西が池田と学会のために泥をかぶった。」との見方をしていた[178]

裁判での争い[編集]

創価学会は、矢野との裁判で敗訴が確定[179]したほか、竹入との裁判では和解が成立[180]

週刊誌が報じた池田会長就任の経緯[編集]

創価学会では1958年(昭和33年)3月16日に青年部員6,000人が参加した「記念式典」の席上、戸田は広宣流布の一切の後事を青年部全体に託した事が明らかにされている。しかし、この式典で戸田は自らの後継となる学会会長候補者を完全に指名していなかったばかりか、その2週間後に戸田は急死する。

そのため、戸田の急死後、幹部の間で跡目相続を巡り争いが起きた。

また以下の内容は2010年(平成22年)12月2、12月9日と2週にわたり週刊文春で特集が組まれた記事から内容を得ているものである

1958年(昭和33年)4月2日、戸田は東京・駿河台日大病院で急死した。当時、戸田は後継者を選定していなかったため学会内は混乱。理事長の小泉隆は学会をまとめきれず、一部で後継者と目されていた石田次男も、誠実だが病弱ということもあり、トップに立とうとする意思が無かった[181]

そんな中、突如会長の名前に池田が浮上する。池田は当時、幹部ではあったが席次は37位と低かった。さらに、牧口から薫陶を受けた幹部が反池田を掲げ理事の石田次男支持に回ったため、学会内での石田支持は過半数を超えるまで拡大し、池田を凌駕していた。池田は自身が実質経営していた大蔵商事で活躍し稼いだ金銭を青年幹部に分配し支持を獲得[182]。また他の幹部から信頼を寄せられていた原島宏治(後に初代公明党中央執行委員長)が池田支持を表明[183]

元理事長の青木亨は『大白蓮華』の中で「第3代会長は池田総務以外にありえない。青年部はこの思いで一致していた。」「理事の中には威張っている幹部もいた。教学ができることを鼻にかけいつも冷たい態度だった。」と証言した。[184]

欧州のセクト問題[編集]

1995年12月にフランスの下院(フランス国民議会)で採択された「通常の宗教か、セクト(カルト)か」を判定する国際的な指針は調査委員会の委員長の名前を取って『アラン・ジュスト報告書』と呼ばれる。 「①精神の不安定化②法外な金銭的要求③住み慣れた生活環境からの断絶④肉体的保全の損傷⑤子供の囲い込み⑥反社会的な言説⑦公秩序の攪乱⑧裁判沙汰の多さ⑨従来の経済回路からの逸脱⑩公権力への浸透の試み」を「セクト構成要件の10項目」として列挙し、このうち1項目でも該当するものがあればその団体をフランス政府はセクトとみなしている[185]。 リストアップされたのは創価学会を含む全部で174の宗教、宗教団体であった。 フランスでのセクト批判の例をあげる。

フランス国家警察情報機関総合情報局が、UNADFI(カルトの被害者と家族を守る協会の全国連合)など、複数のカルト監視グループと編集
  • フランス国民議会カルトの財務、所有物、収益、同様にそれらの経済活動、経済・金融の関わりに関する公聴委員会報告(1999年)[187]
カルトと金銭に関するフランス議会報告、30数団体に注意を集中させ調査した。

「週刊新潮」によるゴーストライター説[編集]

池田大作の著書は実は本人が執筆しておらずゴーストライターの作品であるという疑惑。週刊新潮は2011年8月4日号で脱会した元創価学会数学部長の原島嵩の取材を元に、創価学会内部には『特別書籍部』という秘密の部署が存在し『人間革命』は篠原善太郎が書いている。また、池田の著書や媒体によって作者が違い実際は数人から十数人のゴーストライターを所有しているという内容を掲載。また、2010年5月以降、病気で表舞台に出てこない池田が次々と執筆したり出版しているのはおかしいとも指摘されている[188]

マスメディアとの関係[編集]

関連メディア[編集]

機関紙である聖教新聞は会員による全国的な宅配網が整備されており、一般紙と同じく日刊で全国に配達されている。聖教新聞社は自前の印刷所を持たず、全国紙の系列の印刷会社や複数の地方紙に聖教新聞の印刷を委託している。地方紙としては輪転機を遊ばせておく時間を減らし且つ印刷代金を確保できる貴重な収入源、聖教新聞社(=学会)としては自社で全国に高速輪転印刷機の設備を維持せずに全国津々浦々に日刊で新聞を届ける事ができるという風に、両者の利害が一致している。全国紙でも、毎日新聞社読売新聞社は聖教新聞の印刷を傘下の印刷会社で受託している[189]

創価学会にもは聖教新聞社(『グラフSGI』)を始め潮出版社(『潮』、『pumpkin』)・第三文明社(『第三文明』、『灯台』)などの系列出版社がある。

また、全国・地方を問わずラジオ局への番組提供は数多い(下記参照)。テレビ局では地方局や独立U局を中心に池田原作のアニメや広報番組が放映されているほか、在京キー局で聖教新聞のCMが放送されている。

スポンサーとして提供している番組[編集]

明確な番組ではないが、「ハートフルストーリー」という名での活動報告スポットCMを放送することもある。

過去にスポンサーとして提供していた番組[編集]

関連する企業・団体[編集]

団体[編集]

企業[編集]

なお、「聖教新聞社」は「創価学会」の出版部門であって一般企業ではない。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時は1ヶ月に3回の「旬刊」からスタートした。

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  190. ^ 月曜 - 木曜の22時台は『SCHOOL OF LOCK!』(TOKYO FMをキーステーションにJFN系)内で放送している。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]