三五教
設立 | 1949年(昭和24年) |
---|---|
設立者 | 中野與之助 |
種類 | 宗教法人 |
法人番号 |
9080405004720 ![]() |
本部 |
![]() 静岡県掛川市横須賀字万神堂725-8[1] |
ウェブサイト | 宗教法人三五教公式サイト (日本語) |
三五教(あなないきょう)は、神道系の新宗教。文部科学大臣所轄包括宗教法人[2]。大本の信者であった中野與之助によって1949年に創始された。その教義から宇宙教とも称される[3]。現在は静岡県掛川市横須賀字万神堂に本部事務所を置く[4]。三五教は自教団について「日本神道を基本とした教派神道の教団」と明示しており[5]、神道の教派ではあるが、戦後立教された新教派[6]である。
概要[編集]
創始者である中野與之助は1887年(明治20年)7月に静岡県焼津の農家に生まれる。與之助は1917年(大正6年)に名古屋に出て木材商を営む傍ら、1921年(大正10年)に大本に入信した。1935年(昭和10年)の第二次大本事件で入獄したのち、友清歓真らとともに[7]御穂神社の長沢雄楯の下で本田親徳の霊学を学んだ[3]。1949年(昭和24年)、「清水に世界的宗教が生まれる」という啓示を受け[8]、清水市(現静岡市清水区)にて三五教を開教した[3]。1956年には大本教とともに世界宗教者会議を開催した[9]。二代目教主は與之助の養女である中野良子[8]、三代目は中野悦子[10]
教義[編集]
宇宙大御祖を信仰対象とする[11]。三五教は天文即宗教という教義を持っており[12]、天文学者・山本一清の勧めもあって1957年(昭和32年)、沼津市香貫山に天文台を設立した[13](月光天文台。のちに函南町に移転)[3][14][15]。宇宙の摂理そのものが教えであり、天・地のもたらす農産物はそれを具現化するものとして重視しており、NGOオイスカを設立して東南アジアなどで農業活動を行っている[8]。現世利益を説かない、という[7]。
祭神[編集]
以下の八柱[16]を宇宙大御祖であるとする。
教勢[編集]
文化庁『宗教年鑑』令和元年版(63頁)によると信者は7,148人。
文書[編集]
- 『玉泉』中野與之助 三五教総本部 1953年
- 『霊界で観た宇宙一巻(鎮魂帰神)』 三五教総本部 1965年
- 『霊界で観た宇宙二巻(幽界)』 三五教総本部 1965年
脚注[編集]
- ^ 文化庁『宗教年鑑』平成29年版、108頁。
- ^ 文化庁『宗教年鑑』平成29年版、62頁および108頁。「文部科学大臣所轄包括宗教法人」とある。
- ^ a b c d (新宗教研究会 1999)
- ^ 文化庁『宗教年鑑』平成29年版、108頁。
- ^ 宗教法人三五教公式サイト
- ^ 文化庁『宗教年鑑』平成29年版、62頁および108頁。「神道系新教派系」に分類されている。
- ^ a b 1954年4月21日読売新聞朝刊8面 2016年4月10日ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b c 「にっぽん診断書 第10部」1994年11月23日毎日新聞東京朝刊3面 2016年4月10日毎索にて閲覧
- ^ 『読売年鑑』昭和32年版、読売新聞社、p369
- ^ 第247回オイスカ四国支部常任幹事会|松野不動産 代表取締役 松野誠寛の日記 2017/1/12
- ^ 「宇宙大精神を神というのである」とある。(中野與之助『人類完成の歓び』(1965年)より開祖のことば宗教法人三五教)
- ^ 「三」は日月星で天体を表し、「五」は木火土金水で地の活動を表し、あわせて「三五」は天地の教えを表しているという。三五教とは宗教法人三五教
- ^ これ以降も日本各地に天文台を建設したが、地元自治体との関係で殆んど撤去されている(月光天文台#注釈)。佐藤愛子の小説『あなない盛衰記』は、現二本松市の霞ヶ城跡に存在した奥州天文台を巡る騒動を描く。
- ^ 渡邉美和「山本一清と三五教沼津香貫山天文台」『第6回天文台アーカイブプロジェクト報告会集録』第6巻、天文台アーカイブプロジェクト(京都大学総合博物館・研究資源アーカイブ+理学研究科附属天文台+理学研究科宇宙物理学教室)、2016年1月、 15-31頁、 NAID 120006654027。
- ^ 香貫山の天文台は土地賃借などの問題から1973年に撤去され、田方郡函南町に移転している。現在の香貫山には遺構のみ残る。
- ^ 三五教の御祭神 三五教とは 宗教法人三五教
参考文献[編集]
- 新宗教研究会 『改訂最新版 新宗教ガイドブック』ベストブック、1999年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 宗教法人三五教公式サイト
- 三五教 - 宗教情報リサーチセンター