日本敬神崇祖自修団

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日本敬神崇祖自修団本部

日本敬神崇祖自修団(にほんけいしんすうそじしゅうだん)は、法華系の新宗教である。本部は福島県福島市にある。

概要[編集]

  • 名称 宗教法人 日本敬神崇祖自修団
  • 所在地 〒960-0231 福島県福島市飯坂町平野字坂ノ上28-2
  • 創立年 1947年(昭和22年)
  • 主唱者・理事長 戸次貞雄 (べつき さだお、尊称:司大恩師=つかさだいおんし)
  • 2代目理事長 八巻清(やまき きよし)
  • 3代目理事長 八巻昇(やまき のぼる)

教義[編集]

西田無学が提唱した在家による法華経の先祖供養を行う霊友会の教義を引き継ぎつつ、神道キリスト教の影響を受け、祖先祭祀、鎮魂帰神、みそぎの行事を行う。

沿革[編集]

戸次貞雄は、祖父が熱心な法華経の信者であったことに影響され、小学4年生の頃から霊魂の存在を確信していた。14歳で上京して櫛職人となった。1918年(大正7年)に妻オワリと結婚。のちに法華行者である若月チセのもとに通い、1925年(大正14年)にその場を通して久保角太郎と出会った。久保は若月チセの後援組織として霊友会を組織していたが、貞雄もこれに参画。貞雄の妻であるオワリが神の啓示を受け福島県で活動するも、久保や小谷喜美が福島をたびたび訪問するなど交流を持ち、当初は霊友会の福島県支部という性質が強かった。

1929年(昭和4年)、梅津文弥を会長とし、貞雄自身は主唱者として、明法会の結成を主導。しかし翌年以降、布教に対する警察の取締りが厳しくなり、1938年(昭和13年)に貞雄は故郷の熊本に帰り、滝行などの修行を行う日々を送り、1944年(昭和19年)に再び福島に戻る。

1945年(昭和20年)に霊能者であった妻オワリが死去。かねてから霊能者の育成を意図して、大日本自修団と称して活動を再開、昭和22年に現教団名に改称した。

1965年(昭和40年)に貞雄が死去。八巻清が第2代の理事長に就任。1987年(昭和62年)の死去まで任めた。同年、清の死去後に八巻昇が3代目の理事長に就任。

道場・研修所[編集]