真如苑

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真如苑
前身 まこと教団
設立年 1936年2月8日
設立者 伊藤真乗
種類 宗教法人
本部 日本の旗 日本 東京都立川市柴崎町1-2-13
公用語 日本語
関連組織 一如社
SeRV
ユニベール財団
清里フォトアートミュージアム
ウェブサイト 真如苑

真如苑(しんにょえん)は、東京都立川市柴崎町に総本部を置く、仏教(真言宗)系新宗教[1][2][3][4][5]。真如苑では、自らの特色として「出家仏教の修行を基盤とする在家仏教教団」としている[6]。真言宗から独立後、「まこと教団」と称していたが、管長・伊藤真乗が傷害容疑で逮捕・起訴されると、教団は大きな打撃を受け、1951年、真如苑に改名し、1953年、宗教法人として認証を受けた[7][8][6]

概要[編集]

伊藤友司(いとう・ともじ 1912~1967)
  • 苑主:伊藤真聰(いとう・しんそう 1942~)
  • 現代表:米村彬(文部科学省所轄包括宗教法人代表役員)[9]
  • 信者数:733,191(H6/12/31現在)[10]  922,160(H26/12/31現在)[11]
  • 所在地:東京都立川市柴崎町1-2-13

略史[編集]

草創期[編集]

開祖・伊藤真乗(俗名・文明)と妻・伊藤友司[注釈 1]は共に山梨県出身。真乗は、高等小学校卒業後、[12]農業補習学校に進学、卒業した。上京して中央電信局購買部で働きながら、正則英語学校普通科(1年制、現・正則学園高等学校)を卒業し、ついで高等科に進学するも、青年訓練所に入るため、1ヵ月で退学した。まもなく、購買部を退職し、写真機材会社に就職した[6]。のち徴兵により、東京・立川の近衛師団飛行第5連隊に入隊し、航空写真の撮影に携わった[6][8]
除隊後は、石川島飛行機製作所(株)(のちの立川飛行機株式会社)勤務の傍ら、少年期に継承した伊藤家家伝の易学研鑽のために、大日本易占同志会で易を学び、易占鑑定により、人生相談に応じていた[13]。真乗は、易学研鑽の途上で知り合った真言行者の紹介で、雑司ヶ谷の天明教会(真言宗醍醐派修験道部)先達、浦野法海と縁を結んだ。真乗は、少年期に、天理教信者であった母の影響で天理教に親しみ、曹洞宗禅寺の檀家総代であった父からは、と家伝の易学を学んだ。上京後は、浄土教法華経、また浅野和三郎の心霊科学に触れ、1932年4月に友司と結婚してのちは、夫婦でキリスト教会にも通った。妻・友司の祖母は、霊能家であり、明治初年、横浜で狐憑き落としなどの除霊を行っていた。祖母の霊能を継承した伯母もまた2代目霊能家として活動していた[13][14]。1935年暮れ、真言密教を学ぶうちに、本尊として仏像を迎えたいと考えていた伊藤夫妻は、東京神楽坂の仏師宅で見つけた[15]不動明王像自宅に迎えた。翌年2月4日、寒修行の最中、友司は入神状態となり、居合わせていた伯母から、祖母から続いた霊能を受け継いだと告げられ、友司は、3代目の霊能家となった。これを受けて真乗は、4日後の1936年2月8日、会社勤務を辞し、宗教活動に専念することになった。現在、真如苑では、この日をもって立教の日としている。3月、民法に沿い、自宅を成田山新勝寺講中とし「立照閣」を届出、合法活動を講じた。5月19日、真言宗総本山醍醐寺に上り、三宝院道場にて佐伯恵眼座主戒師のもと出家得度の儀に臨み辞令を得た[6]。立教当初の活動は、真乗の易占に加えて、友司を霊媒として不動明王にお伺いを立てるという形のものであったらしい[12]
1938年、後に「真澄寺」と呼ばれる道場が完成し、組織も「立照閣」から「真言宗醍醐派立川不動尊教会」へと改められた。道場建設場所は、友司による霊意により選定された[16]
真乗は、1939年に恵印灌頂、1943年に伝法灌頂を畢めた[17]。1941年3月、真言宗醍醐派管長の命に、衰微していた東京武蔵村山市の修験寺院「常宝院」の特命住職に任ぜられ[18]、再建に力を尽くした[注釈 2]僧階も、律師から少僧都へと昇進した[19]終戦後、立川不動尊教会は真言宗から独立、1948年には名称も「まこと教団」へと改められた[6][19]

まこと教団事件[編集]

立川地区警察署は、まこと教団で集団リンチが行われているとの聞き込みで、1950年8月21日午前0時、同教団総本部に手入れを行い、教団管長の伊藤真乗を逮捕した[20]。これは真乗と対立し、教団を去った元教務総長の地位にあった青年の告発がきっかけだった[8]。真乗は以下4つの容疑で起訴された。

①一信者が教団金員を盗んだとして会堂内で、全治10日の打撲傷を負わせた。②同所において素行不良の信者を懲らしめる目的で、全治一週間の打撲を負わせた。③真乗の長女と婚約中の信者が別の女性A子と恋仲になったと思い込み、懺悔行と称して二週間の打撲傷を負わせた。④A子の姉が長女の婚約者の仲をとりもったと思い込み、懺悔行と称して婚約者・A子姉妹の3人に暴行を加えることを企て、2人の信者が真乗の意をくみ数名と共謀しA子姉妹に一ヶ月の打撲傷を負わせた。

1952年5月7日、一審・東京地方裁判所八王子支部では4件とも有罪と認定し、伊藤真乗に傷害罪懲役1年の実刑判決を下した。1954年1月30日、東京高等裁判所の控訴審判決では、①、②は宗教上の行為として無罪とし、③、④については通常の傷害として認め、伊藤真乗に傷害罪懲役8月・執行猶予3年の判決を下し、確定した[21]

この事件は「まこと教団事件」と言われ、マスコミをにぎわせた[6][22]。この事件について教団は無実を主張している[7]経済学者三土修平は、「真如苑を研究している宗教評論家たちは、まこと教団事件に関して、おおむね教主側に同情的であり、伊藤の有罪判決は、新宗教を十把ひとからげに邪教淫祀扱いする戦前以来の日本官憲の偏見の犠牲になったものだ、との見方が有力である」としている[23]。真如苑が当時加盟していた[24]新日本宗教団体連合会(新宗連)は、「当然無罪となるべき事件だったが、官憲やジャーナリズムを始め世間一般が、新宗教といえば実体を見極めずに邪教視、弾圧しようとした、そのころの風潮を露骨に示す実例」と総括した[25]

真如苑としての出発[編集]

この事件による教団の打撃は大きく、教団は危機的状態になった。そのため、1952年7月、文部省宗教法人法に基づき、書類を提出し、翌年5月に認証され「宗教法人 真如苑」と改称し、再出発した[6][8]。宗教法人法では刑期中の者(執行猶予中を含む)は代表役員となれない[26]ので、真乗は管長を辞し教主となり、妻・友司が代表役員(苑主)に就任した[6]
1957年3月、教主真乗が新道場の本尊となる丈六の大涅槃像を完成させ、翌年5月、新道場が落慶した。1966年3月、醍醐寺より、教主真乗に大僧正位、苑主友司に権大僧正位が贈られた。7月、タイ国・パクナム寺院より、仏舎利が奉戴された。11月、真如苑一行が、タイ国で開催された「第8回世界仏教徒会議」に日本代表として出席、その後はインドを巡り、仏跡を訪ねた。1967年6月には、「欧州宗教交流親善使節団」として欧州7ヵ国とイスラエルを訪問、バチカンにおいて、ローマ教皇パウロ6世と面会した。欧州帰国後の7月、苑主友司が急逝した。友司には、醍醐寺より大僧正位が追贈された。

苑主・友司没後[編集]

1967年8月、苑主友司の没後、教主真乗の再婚話が持ち上がり、再婚に反対する娘たちの間で対立が起こる[6]。このお家騒動は、友司の死後およそ2年間続いたものとされるが[23]、教勢が拡大し、信者数200万と発表した80年代後半に、メディアから注目され、過去のお家騒動が蒸し返される形で週刊誌の話題となった[27][28]。真如苑は、真乗の死を期に、信者数を実数に合わせ、下方修正した。実数とかけ離れた信者数200万という数字がメディアから注目され、批判的に取り上げられることが多かったため、実数を発表するようになったという[28]

教主・真乗の再婚問題[編集]

友司の死後、教主真乗の再婚話をめぐり、反対する娘たちの間に対立が起こった。再婚に反対する次女・三女・四女は教団から離脱した[23]。再婚相手は、長女夫妻が紹介したされる[29]。一方で、長女は週刊誌で、再婚相手は教団幹部らが紹介したものとしている。また、真乗が1969年5月に再婚を披露したと週刊誌に証言している[30]。1969年7月25日の正論新聞には、三回忌がすむまでは再婚せずに妾のままにしてほしいと次女が真乗に懇請している会話が掲載されている[31]。直接、伊藤家の長女・次女から話を聞いている限りこの話は本当である【開祖直系受承主】。

長女・次女の教団離脱[編集]

1969年3月、三女が長女の夫に不倫を強要されたことを苦に、自殺未遂を起こしていたとの週刊誌報道がなされた[32][31]。 1969年9月に教団幹部である長女の夫の乱行と、長女によってその乱行が隠蔽されていたことに対する審査会が教団内で行われた。長女夫妻は全面的に行状を認め、謝罪した[27]。しかし後に、教団離脱した長女は週刊誌で、夫の乱行の事実を否定している[27]。長女夫妻の教団離脱と入れ替えに、次女・三女・四女は教団に復帰した[23]。これは事実に反する【開祖直系受承主】。これは伊藤家を貶める、現状の空にある真如苑の言である【開祖直系受承主】。

1977年、次女の不倫現場写真が週刊誌に掲載される[27]と、次女は教団を離脱した[29]。1986年、次女はマスコミを連れて教団へ押しかけ、パトカー出動騒ぎを起こし、この騒ぎを写真週刊誌は取り上げた[29]。 これは一部正しい報道であるが、家族の問題と教義の問題を混同している報道であり、真に反する【開祖直系受承主】。


1989年7月、真乗が死去して真如苑で葬儀が営まれた。この際に、マスコミを連れて現れた長女・次女と教団関係者の間で、もめごとが起こった。撮影していた週刊誌記者がこれに巻き込まれ、彼らの要請でパトカーが出動した[33]。これは、週刊誌の記述がいかにも正しいかのように書かれているが、長女・次女、自分の親の葬儀でこのようなことが本当にあるか、ということを現状の真如苑が公にあたかも、開祖の一家を貶めるような書き方を許容している(事実に反している)のは、2014年からの【開祖直系受承主】の活動、すなわち、真の真如苑の活動に違える行動であります。2014年にも、伊藤家の血を継ぎ、本当に伊藤真乗が伝えたいこと、友司が家族に残してくれたものを伝えたいと思い、本稿に記していますが、現在の経済的な活動をしている真如苑総本部以下の方々には都合が悪いのかもしれません。あしあとと履歴は残るので、今後も活動は続けて行きますし、伊藤家に伝わる霊能力をあたかも本流の様に語ると天につばを吐くことになると思います。伊藤家が造ってきた「接心」ということの意味は深いです。2014年からの、現在の真如苑の伊藤家に対する態度を改めて欲しいです。本当に伊藤真乗が思っていたこと、伊藤友司が思っていたことが、伊藤家の末裔に降りてきたと思います。私も知っている米村さんが真如苑を司っても、先はどのようになるのでしょうか。「長女・次女の教団離脱」などと表面的なタイトルをつけても、伊藤家は伊藤真乗・友司の魂の下で生きています。このような下品なタイトルは、今後伊藤真乗・友司を偲ぶ、本流の会を立ち上げる身内としては心苦しいです【開祖直系受承主】。以上、【開祖直系受承主】、伊藤真乗の直系の孫、「伊藤友司・真乗を尊ぶ会」伊藤真應(いとうしんおう)。※現真如苑関係の皆様、コメントの出処はどこか、ということで、揉めないでいただけませんか。本稿の出処も、週刊誌がほとんどではないですか。ほとんどの「真如苑」についての本稿について、伊藤真應は争いはありませんが、本稿を開山した私の家族のことを第一に考えてください。

近年・開祖の死去以降[編集]

1973年3月、真如苑初の海外支部がハワイ(アメリカ)に落慶した[34]
1983年10月、真如法燈継承の儀により、伊藤真聰、真玲が法流を相乗、1989年7月、教主真乗死去により、伊藤真聰が苑主・真澄寺首座を継承し、継主となった[35][34]
1992年3月、醍醐寺より、継主真聰に大僧正位が贈られ、1997年9月には、教主真乗が興した密教法流「真如三昧耶流」を顕彰する「真如三昧耶堂」が醍醐寺に建立された[35][36]
2002年、東京都武蔵村山市(一部立川市)の日産工場跡地を739億円で取得した。2006年3月、東京都立川市泉町に総合道場となる「応現院」が落慶した[37]。2008年、海外流出が懸念されていた運慶作とされる大日如来像(2009年、重要文化財指定)をニューヨークのオークションで14億円で競り落とし、海外流出を防いだ[38]。2012年10月、東京都千代田区一番町に友心院ビルを落慶。2014年10月4日、東京都立川市柴崎町の総本部前で、教団職員が元信者の男性に刃物で刺され、1か月の重傷を負った[39]。2015年、仙台市青葉区のホテル跡地を寺院建設のために取得した[40]

教義と修行体系[編集]

真如苑の教えは、「伝燈法脈」、「大般涅槃経」、「真如霊能」の三つの柱からなる。「伝燈法脈」は、教主真乗が醍醐寺で修行し、醍醐寺座主から受け継いだ真言小野流の法脈である。のちにそれを基盤として、教主真乗は、真如三昧耶流を確立した[41]。「大般涅槃経」は、真如苑の所依の経典であり、教えの根本とされる。「大般涅槃経」の要旨は、如来は不滅であり、永遠に存在するという「如来常住」、生きとし生けるものはすべて仏になれる性質を持つという「一切衆生悉有仏性」、闡提でも成仏できるという「一闡提成仏」、さらに理想の境地とされる「常楽我浄」の4つからなる。「真如霊能」は、教主真乗が受け継いだ家伝易学による霊能と、苑主友司が祖母、伯母を通じて継承した霊能が一体となり湧出したものであり、今日の「接心」修行(後述)の基盤であるとされる。また、このときこの世とあの世は一つにつながっているという「顕幽一如」という教えが示された。あの世で苦しんでいる諸霊は、その子孫や縁故者に悪影響を及ぼすことがあるとされる。あの世の諸霊に廻向をし、この世に生きている者が修行して因縁を清めていけば、成仏が可能となり、その結果として現世の者も幸福が得られるという。真如苑では、六波羅蜜を集約したとする「3つのあゆみ」の実践が修行とされる。「3つのあゆみ」とは、「歓喜」(布施行為)、「お助け」(信者獲得)、「ご奉仕」(教団内外における奉仕活動)をいう[5][8][42]。 その他、朝夕の読経、法要参座、接心も主な修行とされている[43]
教えの内容や組織形態を見ると、真如苑は、諸宗教・スピリチュアリズム・易などの折衷により設立されている[44]。真乗と友司の思いが、米村さんの家族に受け継がれるというのはありえません。伊藤真應が、そのことはよく知っています。宗教というのは、そのような受け継ぎでなされるものではありませんん。

接心と霊位[編集]

真如苑では、「接心」と呼ばれる修行を行う。接心修行は、日常生活における自分の心の在り方や自分の持つ傾向性を霊能者(ミーディアムとも呼ばれる)を通して、見つめ直すもので、日常生活の中で覆われてしまった仏性が開発されるという。 接心には、有相接心・無相接心の2種類が存在する。有相接心では、霊能者と信者が対座し、霊能者から信者に対して、心を磨くために必要なアドバイスが「霊言」として伝えられる。 霊言の内容は、1.教えの内容を再確認するもの、2.先祖や近親者に不幸がないか問うもの、3.健康状態を確かめるもの、の3つに大別されるという。 接心において「障害霊」が指摘されたときは、「護摩」による「お浄め」が奨励される。霊能者から伝えられた霊言の内容を、自己反省し深め、日常生活の中で実践していくことを「無相接心」と呼ぶ。
真如苑では、大乗→歓喜→大歓喜→霊能という4つの霊位が設定されている。霊位向上のための「相乗会座」という修行に参加するには、各霊位によって所定の活動実績(入信させた信者数、歓喜・ご奉仕の継続的な実践等)を満たすことが条件である。「相乗会座」において祈りが深まり、相応しい境涯に達していると判定されることで次の段階の霊位を得られる。霊能者となることで、接心において「霊言」を受ける側から、与える側となる[8][42]
心霊科学者の梅原伸太郎は、真如苑の霊能者を用いる方法は、日本心霊科学協会やその前身に学んでいるとしている[44]

この「接心」というのは、伊藤友司と次女が培ってきたもので、実は伊藤真應も実際の例を数多く聞かされている。

両童子・抜苦代受[編集]

真如苑では、伊藤夫妻の夭折した2人の息子を「両童子」と呼び、霊界の両童子が信者の苦しみを身代わりとなって引き受けてくれるとしている。これを「抜苦代受」と呼んでいる。真乗は、長男が病死した際に、長男は皆の苦しみを代わりに引き受けるために死亡したと解釈した。死んだ子供には救済者としての役割が与えられ、教団の宗教活動の中で重要な役割を担うようになった。ただし、当時は「身代わり」などと称し、「抜苦代受」の用語は使われていない。長男・次男の死後には、信者の病人が救われるなどの救いの力が示されたという[45]。また、長男・次男の他界により、霊界との道交を開かれ、円滑な接心修行が可能となったとしている。

これら、2人の息子は、伊藤真應の血を分けた叔父様であり、かなり深い話を、伊藤家から聞いている。これは、米村さんの家では聞けません。

対外的活動[編集]

社会貢献・海外交流[編集]

1970年より、早朝の清掃活動が始まり、現在では全国約5500ヵ所の駅や公園において清掃活動を行っている[34]1995年1月17日の阪神・淡路大震災において、震災当日に有志のボランティアが現地入りし、状況把握と共にボランティアメンバーを募集、22日より救援物資の積み下ろし、仕分け、医療班の補助についた。信者の中には建物に埋まった人を助け出した人もいる。この経験を通して同年2月1日、真如苑救援ボランティアである「SeRV(サーブ)」が発足した。4月時点ボランティアの登録者は1万人を超え、自治体被災者の要請に応え、現地に派遣された。その後、特に避難所となっている小学校グランドやトイレ清掃活動を中心に約7ヶ月間にわたるボランティア活動を行なった。また大阪市東住吉区西成区に住む看護師の信者も看護師仲間に呼びかけ、ボランティア活動を行なった。阪神・淡路大震災では、1万1330人がボランティアとして活動した[46]2011年3月11日の東日本大震災においても、震災当日に教団施設の一般開放、SeRVはボランティアを被災地に派遣し、義援金を届けるとともに、支援物資の運び込み、炊き出し等を行った。東日本大震災においては、8742人がボランティアとして活動した。SeRVは、1995~2015年において、国内外の59災害にボランティアを派遣した[47]

海外においては、世界文化遺産アンコール遺跡修復事業・現地技術者育成支援、小児病院支援、カンボジア留学生支援などを行うカンボジア・プロジェクトを実施している。スリランカにおいては、1988年より幼児教育施設ランカスクールを設置し、2012年までに6000人の卒園生を輩出している[48]。その他、日本赤十字社国連児童基金(ユニセフ)、世界食糧計画国連難民高等弁務官事務所世界保健機関日本国際ボランティアセンター国境なき医師団世界自然保護基金など多方面の国連諸機関や各種NGO等への支援を行っている[5][49][50]。また、各種財団があり、財団を通じた社会活動も活発である[51]

醍醐寺との関係[編集]

伊藤真乗は醍醐寺で出家・得度したのち、伝法潅頂を法畢した(前掲)。このような経緯があり、醍醐寺との関係が深い。真如苑は、醍醐寺への寄進も行っており、2008年8月、醍醐寺上醍醐の准胝堂が火災で焼失した際には、准胝堂再建勧募2億円、2009年10月、醍醐寺の開祖・聖宝理源大師1100年遠忌法要においては、1億円の遠忌勧進募金があったことが醍醐派定期宗会で報告された[52]

真如苑の位置づけ - 新宗教か否か[編集]

真如苑では、教主が真言宗醍醐派の法流血脈に連なるとして、信者に対して、真如苑は新(新興)宗教ではないとくり返し教えている[53]が、かつて新宗教教団の連合会である新宗連に加盟していた時期がある[24]
百科事典、日本宗教事典、新宗教事典等では、仏教系新宗教に分類される[1][2][3][5]。 文化庁『宗教年鑑』では、念法眞教孝道教団辯天宗霊友会などとともに、新しい仏教教団とされている[4]

問答が陳腐でありますが、伊藤真乗がつくった宗教でしょう。

入信・退会手続き[編集]

真如苑に入信するには「精進願い」に所定の事項を記入して提出する。この時、登録費と会費を収める必要がある。入信には、紹介者が必要であり、紹介者は導き親と呼ばれ、新たに入信した信者はその子信者となる。導き親と子の関係は以後継続し、導き親は子信者の教化の手助けをする。退会するには、所定の用紙に必要事項を記入して提出(郵送可)する[54]

このような手続きを造っている状況では、本来の伊藤真乗の願った形ではありません。

参考文献[編集]

  • 梅原正紀ほか『新宗教の世界 3 日本敬神崇祖自修団・妙智会・真如苑・解脱会・光妙教会』(大蔵出版、1978年) 絶版
新宗教教団をルポタージュし、民衆宗教の動向を探るシリーズ。真如苑の章の執筆は、毎日新聞記者の横山真佳。
  • 石井研士『理想』-世俗社会における仏教の可能性(理想社、1986年2・3月合併号)
当時、文化庁宗務課職員で東京大学助手だった宗教学者による社会価値観と真如苑を考察、研究した論文。
  • 立井啓介対談集『夢はゆめ色』(清水弘文堂、1987年) 絶版
詩人で非信者である著者が教団の信徒である各界著名人との対談した本。立川商工会議所発行の月刊誌『とぅもろぅ』に連載された対談をカットせず、ほぼオリジナルな形で再収録。
  • 山口富夫『真如苑 常楽我浄への道』(知人館、1987年) 絶版
幻想的共同体論をメインテーマとする著者が、初めて真如苑を内部取材したルポルタージュ。
  • 三土修平『水ぶくれ真如苑―急成長の秘密と欺瞞の構図』(AA出版、1987年) 絶版
著者は経済学者。元東京理科大学教授。1986年、華厳宗東大寺にて得度。一時、真如苑に在籍していた体験を元に、徹底した批判を展開した論評。
  • ひろたみを『ルポルタージュ真如苑-その現代性と革新性をさぐる』(知人館、1990年) 絶版
フリージャーナリストである著者が、山口富夫の本に反発し、まこと教団事件や長女・次女問題などの教団事件史も加え教団を内部取材。
  • 桜井秀勲『かっぽう着の法母(上・中・下)』(学研、1990年) 絶版
OLという言葉を提唱し定着させ、また女性自身微笑等の雑誌編集長を歴任した著者による、伊藤友司に関する物語風伝記。一部、フィクションも含まれる。
伊藤真應の祖母の話です。
  • 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』第九章 真如苑の研究(創元社、1995年)
調査対象となる新宗教教団に入信し徹底した参与観察・入手した資料に基づき、考察するというスタイルの研究書。真如苑の章は、沼田健哉『真如苑の研究』桃山学院大学社会学論集(1990)を修正・増補し、収録。
  • 出口三平ほか『新宗教時代〈1〉』(大蔵出版、1997年)
『新宗教の世界(全5巻)』に続き、1970年代以降発展した教団および、大本、創価学会、真如苑の80,90年代の動向の紹介した本。真如苑の章の執筆は、ジャーナリストの溝口敦
毎日新聞社によるグラフ。
  • 本多順子『真如苑―祈りの世紀へ』(原生林、2003年)
3年間にわたる取材を経た著者が、自身のこころに重ねて綴る異色のルポルタージュ。
  • 秋庭裕、川端亮『霊能のリアリティへ―社会学、真如苑に入る』(新曜社)
社会学者が、真如苑内におけるインタビュー統計調査を踏まえて書いた研究書。
  • 芳賀学、菊池裕生『仏のまなざし、読みかえられる自己 - 回心のミクロ社会学』
(ハーベスト社、2007年1月)ISBN 9784938551926
青年部弁論大会の詳細な記述と分析を通し、弁論=「自己の物語」を語ることにより、一人一人の信者がどのように回心の過程を辿っていくのかを描いた研究書。
  • 奈良康明ほか『真乗 心に仏を刻む』(中央公論新社、2007年/中公文庫、2016年)
インド仏教文化専攻の文学博士であり、駒澤大学で教授・学長を務めた著者などによるドキュメント。

制作番組[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1950年の修行法畢後、僧名を「真如」と授与されるも俗名の友司の名を用いた。死後、摂受院さらに摂受心院の法号。
  2. ^ 戦後、常宝院は、青梅市塩船観音寺に吸収

出典[編集]

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  1. ^ a b 小学館『日本大百科全書 12』(1986.11)P566,P567 新宗教
  2. ^ a b 小野泰博『日本宗教事典』弘文堂(1987/2)P645
  3. ^ a b 井上順孝/他『新宗教事典(本文篇)』弘文堂(1994/07) P38,P60
  4. ^ a b 文化庁『宗教年鑑 平成27年版』 P15,P16
  5. ^ a b c d 宗教教団新研究会『最新「宗教」教団ガイドブック』 ベストブック (2011/08)P58~P61
  6. ^ a b c d e f g h i j 沼田健哉『真如苑の研究』桃山学院大学社会学論集 24(1), P55-86, 1990年9月 (本論文は、沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995/1)P359~395 に加筆・修正して収録されている)
  7. ^ a b 島田裕巳『日本の10大新宗教』 幻冬舎(2007/11) P185
  8. ^ a b c d e f 島田裕巳『現代にっぽん新宗教百科』 柏書房 (2011/09) P90~P95
  9. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成27年版』 P113
  10. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成7年版』 P69
  11. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成27年版』 P71
  12. ^ a b 三土修平「水ぶくれ真如苑」AA出版 (1987/12) 歴史①草創期
  13. ^ a b 松野純孝/編『新宗教辞典』  東京堂出版 (1984/10) P153~P156
  14. ^ 梅原正紀・他/著『新宗教の世界Ⅲ』 大蔵出版(1978/7) P116~P117
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外部リンク[編集]

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