真如苑

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真如苑(しんにょえん)は、東京都立川市柴崎町に総本部を置く、仏教系新宗教[1][2][3][4][5]。真如苑では、自らの特色として「出家仏教の修行を基礎とした在家仏教教団」としている[6]

[7] [8][6]

概要

  • 名称:真如苑
  • 総本山:燈檠山真澄寺(とうけいざん・しんちょうじ)
  • 立教:1936年2月8日
    1951年宗教法人法施行後、1953年文部省が宗教法人として認証。
  • 本尊:久遠常住釈迦牟尼如来(くおんしょうちゅう・しゃかむににょらい、開祖自刻の釈迦涅槃像)
  • 経典:大乗大般涅槃経(正依経、傍依として般若経典と法華経等他、なお般若・法華・涅槃は真如三部経と呼称する)
  • 開祖:伊藤真乗(いとう・しんじょう 1906~1989)
伊藤友司(いとう・ともじ 1912~1967)
  • 苑主:伊藤真聰(いとう・しんそう 1942~)
  • 現代表:松田彰彦(文部科学省所轄包括宗教法人代表役員)[9]
  • 信者数:733,191(H6/12/31現在)[10]  878,673(H20/12/31現在)[11]
  • 所在地:東京都立川市柴崎町1-2-13

略史

草創期

開祖・伊藤真乗(俗名・文明)と妻・伊藤友司(死後に摂受院さらに摂受心院)は共に山梨県出身[12]
伊藤真乗は立川飛行機(株)勤務の傍ら、実家に伝わる易学や、大日本易占同志会で易を学び[12]易占で、家庭・事業・病気・縁談などを鑑定し判断を与えていた[13]。一方、妻・友司の祖母は、霊能者と称して、狐憑き落としの除霊を行っていた[13] [14]。 このような宗教的背景の中、1935年暮れ、伊藤夫妻は縁あって不動明王像を自宅に迎え、翌年、友司が、伯母から、祖母の霊能を受け継いだと告げられ、宗教活動を勧められると、4日後の1936年2月8日、真乗は会社勤務を辞し、宗教活動に専念することになった。現在、真如苑では、この日をもって立教の日としている。3月、成田山新勝寺講中という形式を取って、自宅に「立照閣」の看板を掲げた。[12][6] 立教当初の教団の活動は、真乗の易占に加えて、友司を霊媒として不動明王にお伺いを立てるという形のものであったらしい[15]
1938年、後に「真澄寺」と呼ばれる道場が完成し、組織も「立照閣」から「真言宗醍醐派立川不動尊教会」へと改められた。真如苑の説明では、道場建設場所は、友司による霊意に従って選定された。[12]
1936年5月、真乗は真言宗醍醐寺において出家得度し、その後、伝法灌頂を修め、真言宗醍醐派から、東京武蔵村山市「常宝院」の特命住職に任ぜられた[16]僧階も、権律師から少僧都へと昇進した[17]。なお、真乗は、1941年(昭和16年)に伝法灌頂を修めたとしていた[12]が、真如苑では、1943年(昭和18年)としている[18]
終戦後、立川不動尊教会は醍醐派から離れて、独立の宗教団体となり、1948年には名称も「まこと教団」へと改められた[6][17]

まこと教団事件と真如苑としての出発

1950年、教団内で不祥事を起こし、教団を去った青年により、修行名目でリンチを受けたとの告発があり、伊藤真乗は傷害容疑で逮捕された[7]。昭和31年、東京高裁は、真乗に対して、執行猶予付きの懲役7月の判決を言い渡し、確定した。この事件は「まこと教団事件」と言われ、マスコミをにぎわせた。[6][19]
この事件による教団の打撃は大きく、教団は危機的状態になった。そのためもあって、1952年7月に文部省に宗教法人法に基づき、書類を提出受理され、翌年5月に認証され「真如苑」と改称し、真乗は管長を辞し教主となり、妻・友司が代表役員(苑主)として再出発した。真如苑は(1951年施行された宗教法人法において)1952年に宗教法人の申請を行い、翌年、1953年5月16日、文部省の認証を受け、「宗教法人真如苑」となった。[6][8]

近年・開祖の死去以降

1980年前後から、三女・真聰、四女・真玲を両法嗣(りょうほっし)として公式に真乗の後継者としていたが、1989年に真乗が死去すると、当初は「定記」と呼ぶ真乗の遺言に沿って、 真聰を「継主」(けいしゅ、表苑主)、真玲を補佐として「雍主」(ようしゅ、裏苑主)、この2人を「両常慧(りょうじょうえ)」と定め「表裏一体」の体制を整えた。しかし近年はさらに整理され、真聰が苑主、真玲は一財団の理事長を務め、現在に至る。

1980年代中頃に、爆発的な信徒の増加に伴い公称200万人として文部省に届け出た。これにより「創価学会も驚く新宗教」などとマスコミなどから取り上げられる事にもなった。しかし急激な信徒の増加の裏には、経親や導き親の逸脱行為など様々な問題もあり、教団は公称ではなく実際に活動している信徒数を把握するため、磁気システムによる信徒カードを導入するなどして、活動していない会員などを除いて、実数を届け出るように方針を変更、それにより公称80万人となった。

近年においては、2001年、東京都武蔵村山市の日産自動車村山工場の跡地を購入し話題となった。また、真乗が立教前に勤務していた立川飛行機製作所(立飛企業)跡(現・多摩モノレール立飛駅前、東京都立川市泉町)に信徒修練場「総合道場」(応現院)を建設し、2006年3月25日に落慶法要が行なわれた。

教義と修行体系

教えの内容や組織形態を見ると、真如苑は、諸宗教・スピリチュアリズム・易などの折衷により設立されている[20]。心理学者の梅原伸太郎は、真如苑の霊能者を用いる方法は、日本心霊科学協会やその前身に学んでいるとしている[21]
真如苑は真如苑宗とも称し、真言小野流の流れを汲む(真如三昧耶流[22]

両童子・抜苦代受

真如苑では、伊藤夫妻の死亡した2人の息子を「両童子」と呼び、崇拝している。両童子の霊界からの働きによって、信者の苦しみを取り除き代わりに受けると説く(真如苑では、これを「抜苦代受」と言う)。長男は死後に、母・友司に感応し、霊能活動に祖先霊との道交を開き、真如接心のもとが築かれたと説いている。さらに、次男の死後、真如苑には力強い救いの力が示されたとしている。[23]
1936年、伊藤真乗は、会社勤務を退職し、宗教活動の収入のみで生活することになった。この時、長男が病死したため、宗教家として病気治しなどを実践していた伊藤真乗にとって、信者から宗教家としての能力への疑いを起させる可能性が生じた。この時に考えられたのが、長男は皆の苦しみを代わりに引き受けるために死亡したとの解釈で、死んだ子供には救済者としての役割が与えられ、教団の宗教活動の中で重要な役割を担うようになった。ただし、当時は「身代わり」などと称し、「抜苦代受」の用語は使われていない。[24]

対外的活動

海外交流・社会貢献

1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災において地域の人々と共に多くの信徒も被災した。助かった信徒の中には建物に埋まった人を助け出した人もいる。震災当日に有志のボランティアが現地入りし、状況を把握すると共にボランティアメンバーを募集。22日より救援物資の積み下ろし、仕分け、医療班の補助についた。その後、特に避難所となっている小学校のグランドやお手洗いの清掃活動を中心に約7ヶ月間にわたるボランティア活動を行なった。また兵庫県芦屋市には(摂受心院が遷化した)関西本部があることから、重要な位置づけがなされていることもあり、この経験を通して真如苑救援ボランティアであるSeRV(サーブ)が同年2月1日付で大阪府高槻市の悠音精舎内に組織されるに至った。4月時点ボランティアの登録者は1万人を超え、自治体や被災者の要請に応え現地に派遣された。トイレ清掃は神戸市中央区の要請により開始された。また大阪市東住吉区西成区に住む看護士の信徒も自主的に行動し、また同じ信徒で看護士の仲間にも呼びかけボランティア活動を行なった。震災から2ヵ月間でSeRV登録者の約半数が被災地に駆けつけボランティア活動を行なった(1995年4月10日付の産経新聞夕刊「宗教・こころ」欄など)。

真如苑の位置づけ - 新宗教か否か

真如苑は、百科事典、日本宗教事典、新宗教事典等では、仏教系新宗教である[1][2][3][5]。 文化庁『宗教年鑑』では、念法眞教孝道教団辯天宗霊友会などとともに、新しい仏教教団とされている[4]
真如苑では、自教団の特色として「出家仏教の修行を基礎とした在家仏教教団」とし、教徒に対して、真如苑は新興宗教ではないとくり返し教えている[25]
新宗教のうち、1970年代以降、顕著に発展した新宗教を特に新新宗教と呼ぶことがある。真如苑は、新新宗教に含まれるとする説もある[26]。宗教学者島薗進は、新新宗教を「隔離型」「個人参加型」「中間型」の3つに分けているが、真如苑は、崇教真光世界真光文明教団霊波之光とともに、「中間型」に分類される[27][26]

参考文献

  • 一如の道(一如社)
  • 石井研士『理想』-世俗社会における仏教の可能性(理想社、1986年2・3月合併号)
当時、文化庁宗務課職員で東京大学助手だった宗教学者による社会の価値観と真如苑を考察、研究した論文。
  • 立井啓介対談集『夢はゆめ色』(清水弘文堂、1987年) 絶版
詩人で非信者である著者が教団の信徒である各界著名人との対談した本。立川商工会議所発行の月刊誌『とぅもろぅ』に連載された対談をカットせず、ほぼオリジナルな形で再収録。
  • 山口富夫『真如苑 常楽我浄への道』(知人館、1987年) 絶版
幻想的共同体論をメインテーマとする著者が、初めて真如苑を内部取材したルポルタージュ。
  • ひろたみを『ルポルタージュ真如苑-その現代性と革新性をさぐる』(知人館、1990年) 絶版
フリージャーナリストである著者が、山口富夫の本に反発し、まこと教団事件や長女・次女問題などの教団事件史も加え教団を内部取材。
  • 桜井秀勲『かっぽう着の法母(上・中・下)』(学研、1990年) 絶版
OLという言葉を提唱し定着させ、また女性自身微笑等の雑誌編集長を歴任した著者による、伊藤友司に関する伝記。
  • 三土修平『水ぶくれ真如苑―急成長の秘密と欺瞞の構図』(AA出版) 絶版
経済学を教える著者はその傍ら東大寺にて得度。その視点で徹底した批判を展開した論評。現東京理科大学教授。
毎日新聞社によるグラフ。
  • 本多順子『真如苑―祈りの世紀へ』(原生林)
3年間にわたる取材を経た著者が、自身のこころに重ねて綴る異色のルポルタージュ。
  • 秋庭裕川端亮『霊能のリアリティへ―社会学、真如苑に入る』(新曜社)
社会学者が、真如苑のインタビューと統計調査を踏まえて書いたレポート。
  • 芳賀学菊池裕生『仏のまなざし、読みかえられる自己 - 回心のミクロ社会学』
(ハーベスト社、2007年1月)ISBN 9784938551926
青年部弁論大会の詳細な記述と分析を通し、弁論=「自己の物語」を語ることにより、一人一人の信者がどのように回心の過程を辿っていくのかを描いている。
  • 奈良康明ほか『真乗 心に仏を刻む』(中央公論新社、2007年)
インド仏教文化専攻の文学博士であり、駒澤大学で教授・学長を務めた著者などによるドキュメント。

制作番組

関連項目

脚注

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  1. ^ a b 小学館『日本大百科全書 12』(1986.11)P566,P567 新宗教
  2. ^ a b 小野泰博『日本宗教事典』弘文堂(1987/2)P645
  3. ^ a b 井上順孝/他『新宗教事典(本文篇)』弘文堂(1994/07) P38,P60
  4. ^ a b 文化庁『宗教年鑑 平成21年版』 P15,P16
  5. ^ a b 新宗教研究会『図解 新宗教ガイド』 九天社 (2006/01)P42~P47
  6. ^ a b c d e f 沼田健哉『真如苑の研究』桃山学院大学社会学論集 24(1), P55-86, 1990年9月
  7. ^ a b 島田裕巳『日本の10大新宗教』 幻冬舎(2007/11) P185
  8. ^ a b 島田裕巳『現代にっぽん新宗教百科』 柏書房 (2011/09) P94,P95
  9. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成21年版』 P113
  10. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成7年版』 P69
  11. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成21年版』 P71
  12. ^ a b c d e 『一如の道 補訂第二版』 真如苑教学部(1997.12 第六刷) P345~P356,P363~P367,P394
  13. ^ a b 松野純孝/編『新宗教辞典』  東京堂出版 (1984/10) P153~P156
  14. ^ 梅原正紀・他/著「新宗教の世界Ⅲ」 大蔵出版(昭和53年7月) P116,P117
  15. ^ 三土修平「水ぶくれ真如苑」AA出版 (1987/12) 歴史①草創期
  16. ^ ひろたみを「ルポルタージュ真如苑」知人館(1990) P144
  17. ^ a b 真乗刊行会「真乗 心に仏を刻む」 (2007)中央公論新社 P99
  18. ^ 真如苑公式サイト”. 真如苑. 2012年9月1日閲覧。
  19. ^ 舘澤貢次『宗教経営学』 双葉社 (2004/3) P130~P133
  20. ^ 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995年1月) P390
  21. ^ 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995年1月) P395
  22. ^ 中外日報『中外グラフ』 平成21年12月19日号 14項3段目文章
  23. ^ 伊藤真乗 『一如の道 補訂第二版』 真如苑教学部(1997.12 第六刷) P429~P447
  24. ^ 島田裕巳『日本の10大新宗教』 幻冬舎(2007/11) P181~P183
  25. ^ 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995年1月) P370,P377
  26. ^ a b 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995年1月) P39,P408
  27. ^ 島薗進『新新宗教と宗教ブーム』 岩波書店(1992年) P8,P9
  28. ^ a b 週刊文春1990年8月16日号p42~p44「教祖死んでもまだ続く骨肉相食む真如苑四姉妹」

外部リンク

公式
情報ページ
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