真如苑

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真如苑
前身 まこと教団
設立年 1936年2月8日
設立者 伊藤真乗
種類 宗教法人
本部 日本の旗 日本 東京都立川市柴崎町1-2-13
公用語 日本語
関連組織 一如社
SeRV
ユニベール財団
ウェブサイト 真如苑

真如苑(しんにょえん)は、東京都立川市柴崎町に総本部を置く、仏教(真言宗)系新宗教[1][2][3][4][5]。真如苑では、自らの特色として「出家仏教の修行を基盤とする在家仏教教団」としている[6]。真言宗から独立後、「まこと教団」と称していたが、教祖・伊藤真乗が傷害容疑で逮捕・起訴されると、教団は大きな打撃を受け、1951年、真如苑に改名し、1953年、宗教法人として認証を受けた[7][8][6]

概要[編集]

伊藤友司(いとう・ともじ 1912~1967)
  • 苑主:伊藤真聰(いとう・しんそう 1942~)
  • 現代表:米村彬(文部科学省所轄包括宗教法人代表役員)[9]
  • 信者数:733,191(H6/12/31現在)[10]  922,160(H26/12/31現在)[11]
  • 所在地:東京都立川市柴崎町1-2-13

略史[編集]

草創期[編集]

開祖・伊藤真乗(俗名・文明)と妻・伊藤友司(1950年の修行法畢後、僧名を「真如」と授与されるも俗名の友司の名を用いた。死後、摂受院さらに摂受心院の法号)は共に山梨県出身[12]。真乗は、農業補習学校を卒業後に上京、中央電信局購買部で働きながら、英語学校に通い、卒業後は写真機材会社に就職した。 のち徴兵により、東京・立川の近衛師団飛行第5連隊に入隊し、航空写真の撮影に携わった[6][8]
除隊後は、石川島飛行機(株)勤務の傍ら、少年期に継承した伊藤家家学の易学をもとに、長じて、大日本易占同志会で易を学び[12]易占で、家庭・事業・病気・縁談などを鑑定し判断を与えていた[13]。真乗は易学研鑽の途上知り合った真言行者の紹介で、雑司ヶ谷の天明教会(真言宗醍醐派修験道部)先達、浦野法海と縁を結んだ。妻・友司の祖母は、霊能家であり、明治初年、巷間に多くみられた狐憑き落としなどの除霊を行っていた[13][14]。真乗、友司ともに宗教的背景の中に育った。真乗は少年期から、易学、を嚆矢に、浄土教法華経、また浅野和三郎の心霊科学にも触れ、友司は観音信仰を深くしていた。1932年4月に結婚してのち、夫婦でキリスト教会にも通った。1935年暮れ、伊藤夫妻は東京の仏具屋で見つけた[15]不動明王像自宅に迎え、翌年、友司が、伯母から、祖母の霊能を受け継いだと告げられ、宗教活動を勧められると、4日後の1936年2月8日、真乗は会社勤務を辞し、宗教活動に専念することになった。現在、真如苑では、この日をもって立教の日としている。3月、民法に沿い自宅を成田山新勝寺講中とし「立照閣」を届出、合法活動を講じた。5月19日、真言宗総本山醍醐寺に上り、三宝院道場にて佐伯恵眼座主戒師のもと出家得度の儀に臨み辞令を得た[12][6]。立教当初の活動は、真乗の易占に加えて、友司を霊媒として不動明王にお伺いを立てるという形のものであったらしい[15]
1938年、後に「真澄寺」と呼ばれる道場が完成し、組織も「立照閣」から「真言宗醍醐派立川不動尊教会」へと改められた。真如苑の説明では、道場建設場所は、友司による霊意に従って選定された[12]
真乗は、1939年に恵印灌頂、1943年に伝法灌頂を畢めた[12][16]。1941年3月、真言宗醍醐派管長の命に、東京武蔵村山市「常宝院」の特命住職に任ぜられ[17]僧階も、権律師から少僧都へと昇進した[18]終戦後、立川不動尊教会は真言宗から離れて、独立の宗団となり、1948年には名称も「まこと教団」へと改められた[6][18]

まこと教団事件[編集]

 立川地区警察署は、まこと教団で集団リンチが行われているとの聞き込みで、1950年8月21日午前0時、同教団総本部に手入れを行い、教団管長の伊藤真乗を逮捕した[19]。これは真乗と対立し、教団を去った元教務総長の地位にあった青年の告発がきっかけだった[8]。真乗は以下4つの容疑で起訴された。

 ①一信者が教団金員を盗んだとして会堂内で、全治10日の打撲傷を負わせた。②同所において素行不良の信者を懲らしめる目的で全治一週間の打撲を負わせた。③真乗の長女と婚約中の信者が別の女性A子と恋仲になったと思い込み、懺悔行と称して二週間の打撲傷を負わせた。④A子の姉が長女の婚約者の仲をとりもったと思い込み、懺悔行と称して婚約者・A子姉妹の3人に暴行を加えることを企て、2人の信者が真乗の意をくみ数名と共謀しA子姉妹に一ヶ月の打撲傷を負わせた。

 1952年5月7日、一審・東京地方裁判所八王子支部では4件とも犯罪と認定し、伊藤真乗に傷害罪懲役1年の実刑判決を下した。1954年1月30日、東京高等裁判所の控訴審判決では、①、②は宗教上の行為として無罪とし、③、④については通常の傷害として認め、伊藤真乗に傷害罪懲役8月・執行猶予3年の判決を下し確定した[20]。 この事件は「まこと教団事件」と言われ、マスコミをにぎわせた[6][21]。この事件を振り返る際、教団ではこれを法難と呼び、「 虚構に虚構を重ねた事実無根の事柄[22]」と信者に教えている。宗教評論家たち[誰?]の間では、有罪判決が出たことについて、新宗教を十把ひとからげに邪教淫祀扱いする戦前以来の日本官憲の偏見の犠牲になったものとの見方が有力である[23]新宗連はまこと教団事件について、「当然無罪となるべき事件だったが、官憲やジャーナリズムを始め世間一般が、新宗教といえば実体を見極めずに邪教視、弾圧しようとした、そのころの風潮を露骨に示す実例」と総括した[24]

真如苑としての出発[編集]

 この事件による教団の打撃は大きく、教団は危機的状態になった。そのためもあって、1952年7月、文部省宗教法人法に基づき、書類を提出し、翌年5月に認証され「宗教法人 真如苑」と改称し再出発した[6][8]。宗教法人法では刑期中の者(執行猶予中を含む)は代表役員となれない[25]ので、真乗は管長を辞し教主となり、妻・友司が代表役員(苑主)に就任した[6]
 1957年3月、教主真乗が新道場の本尊となる丈六の大涅槃像が完成させ、5月、新道場が落慶した。1966年3月、醍醐寺より、教主真乗に大僧正位、苑主友司に権大僧正位が贈られた。7月、タイ国・パクナム寺院より仏舎利が奉戴された。11月、真如苑一行が、タイ国で開催された「第8回世界仏教徒会議」に日本仏教界代表として出席した。1967年6月には、「欧州宗教交流親善使節団」として欧州7ヵ国とイスラエルを訪問、バチカンにおいて、ローマ教皇パウロ6世と面会した。欧州帰国後の7月、苑主友司が急逝した。友司には、醍醐寺より大僧正位が追贈された。1973年3月、真如苑初の海外精舎がハワイ(アメリカ)に落慶した。
 1983年10月、真如法燈継承の儀により、伊藤真聰、真玲が法流を相乗、1989年7月、教主真乗死去により、伊藤真聰が苑主・真澄寺首座を継承し、継主となった[26][27]

教主一家の内紛[編集]

1967年8月、苑主・友司が死亡すると、教主・真乗の再婚問題が持ち上がり、再婚に反対する4人の娘たちの間で対立が起こる[6]。このお家騒動は、友司の死後およそ2年間続いたものとされるが[23]、教勢が拡大し、信者数200万と発表した時期に、社会から警戒され、過去のスキャンダルが蒸し返される形で週刊誌の話題となった[28][29][30][31][32][33][34][35][36][37]。真如苑は、真乗の死を期に、信者数を実数に合わせ、下方修正した。実数とかけ離れた信者数200万という数字がメディアから注目され、批判を受けることが多かったため、実数を発表するようになったという[37]

教主・真乗の再婚問題[編集]

友司の死後、真乗は料亭の仲居との再婚を希望して、反対する娘たちと対立した。再婚に反対する次女・三女・四女は教団から離脱した[28][32][30][23]。友司の存命中から、真乗はその料亭の馴染みの客となっていたとの見解がある[23]一方で、長女は、真乗の性欲の強さに手を焼いた教団幹部らが再婚相手を紹介したものとしている[30]。真乗の性欲が旺盛なことは次女も証言している[30][32]。1969年7月25日の正論新聞には、三回忌がすむまでは再婚せずにのままにしてほしいと次女が真乗に懇請している会話が掲載されている[28]。真乗は娘たちの反対を押し切って、1969年5月に再婚を披露したとされる[30]

長女・次女の離脱[編集]

1969年3月、三女が、長女の夫に不倫を強要されたことを苦に、自殺未遂事件を起こしたとの報道がなされた[34][28][33][35]。 真如苑の説明では、1969年9月に教団幹部である長女の夫の異常性癖の査問が教団内で行われ、本人もそれを認めて謝罪したとしている[36]。のちに、次女・三女・四女の教団復帰と入れ替えに、長女夫妻は教団を離脱する[34][28][35][23]。離脱の理由について、真如苑では長女の夫の異常性癖を原因としている[36]が、夫と共に離脱した長女は、夫の異常性癖を否定している[29]
1977年、次女の不倫現場写真が週刊誌に掲載される[30]と、次女は真如苑を離脱した[34]。1986年、次女は教団へ押しかけて、パトカー出動騒ぎを起こし、写真週刊誌に取り上げられた。

教主・真乗の葬儀での騒動[編集]

1989年7月、真乗が死亡して真如苑で葬儀が営まれた。このとき、真如苑では長女・次女の参列を拒否したため、二人との間でもめごとが起こった。週刊誌記者が暴力沙汰に巻き込まれ、彼らの要請でパトカーが出動する騒ぎとなった[31][29]

近年・開祖の死去以降[編集]

1992年3月、醍醐寺より、継主真聰に大僧正位が贈られ、1997年9月には、教主真乗が興した密教法流「真如三昧耶流」を顕彰する「真如三昧耶堂」が醍醐寺に建立された[26][38]
2002年、東京都武蔵村山市(一部立川市)の日産工場跡地を739億円で取得した。2006年3月、東京都立川市泉町に総合道場となる「応現院」の落慶法要が行なわれた[39]。2008年、海外流出が懸念されていた運慶作とされる大日如来像(2009年、重要文化財指定)をニューヨークのオークションで14億円で競り落とし、海外流出を防いだ[40]。2012年10月、東京都千代田区一番町に地上8階地下2階の寺院(友心院ビル)を落慶。2014年10月4日午前6時10分頃、東京都立川市柴崎町の総本部西門付近で、同法人職員(局員)が元信者の男性に刃物で刺され、1か月の重傷を負った[41]。2015年、仙台市青葉区のホテル跡地2204平方メートルを寺院建設のために取得した[42]

教義と修行体系[編集]

真如苑では、この世とあの世は一つにつながっているとして、これを「顕幽一如」と呼んでいる。そのため、あの世で苦しんでいる諸霊は、その子孫や縁故者に悪影響を及ぼすことがあるとされる。あの世の諸霊に廻向をし、この世に生きている者が修行して因縁を清めていけば、成仏が可能となり、その結果として現世の者も幸福が得られるとする。真如苑では、六波羅蜜を集約したとする「3つのあゆみ」の実践が修行とされる。 3つのあゆみとは、「歓喜」(布施行為)、「お助け」(信者獲得)、「ご奉仕」(教団内外における奉仕活動)をいう[8][43]。 その他、朝夕の読経、法要参座、接心も主な修行とされている[44]
教えの内容や組織形態を見ると、真如苑は、諸宗教・スピリチュアリズム・易などの折衷により設立されている[45]。 真如苑は真如苑宗とも称し、真言小野流の流れを汲む(真如三昧耶流[46]

接心と霊位[編集]

真如苑では、悪い因縁を善い因縁に変えていくために「接心」と呼ばれる修行を行う。接心には、有相接心・無相接心の2種類が存在する。有相接心では、霊能者と信者が対座し、霊能者から信者に対して、心を磨くために必要なアドバイスが「霊言」として伝えられる。 霊言の内容は、1.教えの内容を再確認するもの、2.先祖や近親者に不幸がないか問うもの、3.健康状態を確かめるもの、の3つに大別されるという。 接心において「障害霊」が指摘されたときは、「護摩」による「お浄め」が奨励される。 霊能者から伝えられた霊言の内容を、日常生活の中で深め、実践していくことを真如苑では、「無相接心」と呼ぶ。
真如苑では、大乗→歓喜→大歓喜→霊能という4つの霊位が設定されている。信者は修行により霊位の向上を目指す。 霊位向上のための「相乗会座」という修行に参加するためには、各霊位によって所定の活動実績(入信させた信者数、歓喜・ご奉仕の継続的な実践等)を満たすことが条件である。この修行において祈りが深まり、相応しい境涯に達していると判定されることで次の段階の霊位を得られる。霊能者となることで、接心において「霊言」を受ける側から、与える側となる[8][43]
心霊科学者の梅原伸太郎は、真如苑の霊能者を用いる方法は、日本心霊科学協会やその前身に学んでいるとしている[45]

両童子・抜苦代受[編集]

真如苑では、伊藤夫妻の死亡した2人の息子を「両童子」と呼び、崇拝している。霊界の両童子が信者の苦しみを身代わりとなって引き受けてくれる働きを「抜苦代受」と呼んでいる。長男の死後、信者の病人が救われるなどの救いの力が示されたという。また、母・友司に感応し、霊能活動に祖先霊との道交を開き、真如接心のもとが築かれたと説いている。次男の死後、真如苑には、さらに力強い救いの力が示されたとしている [47]。一方で、「抜苦代受」は、悪い因縁を一時的に霊界に預かってもらうものであり、抜苦代受の恩恵を受けている間に「三つの歩み」の実践による因縁切りを行うことによって初めて救われるとの説明もなされる[48]
1936年、宗教家として病気治しなどを実践していた伊藤真乗にとって、宗教専従の生活となった直後に長男が病死したため、信者から宗教家としての能力への疑いを起させる可能性が生じたという。この時に考えられたのが、長男は皆の苦しみを代わりに引き受けるために死亡したとの解釈で、死んだ子供には救済者としての役割が与えられ、教団の宗教活動の中で重要な役割を担うようになった。ただし、当時は「身代わり」などと称し、「抜苦代受」の用語は使われていない[49]

対外的活動[編集]

海外交流・社会貢献[編集]

1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災において地域の人々と共に多くの信徒も被災した。助かった信徒の中には建物に埋まった人を助け出した人もいる。震災当日に有志のボランティアが現地入りし、状況を把握すると共にボランティアメンバーを募集。22日より救援物資の積み下ろし、仕分け、医療班の補助についた。その後、特に避難所となっている小学校グランドやお手洗いの清掃活動を中心に約7ヶ月間にわたるボランティア活動を行なった。また兵庫県芦屋市には(摂受心院が遷化した)関西本部があることから、重要な位置づけがなされていることもあり、この経験を通して真如苑救援ボランティアであるSeRV(サーブ)が同年2月1日付で大阪府高槻市の悠音精舎内に組織されるに至った。4月時点ボランティアの登録者は1万人を超え、自治体被災者の要請に応え現地に派遣された。トイレ清掃は神戸市中央区の要請により開始された。また大阪市東住吉区西成区に住む看護士の信徒も自主的に行動し、また同じ信徒で看護士の仲間にも呼びかけボランティア活動を行なった。震災から2ヵ月間でSeRV登録者の約半数が被災地に駆けつけボランティア活動を行なった[50]

真如苑の位置づけ - 新宗教か否か[編集]

真如苑では、教主が真言宗醍醐派の法流血脈に連なるとして、信者に対して、真如苑は新(新興)宗教ではないとくり返し教えている[51]
しかし、百科事典、日本宗教事典、新宗教事典等では、仏教系新宗教に分類される[1][2][3][5]。 文化庁『宗教年鑑』では、念法眞教孝道教団辯天宗霊友会などとともに、新しい仏教教団とされている[4]
新宗教のうち、1970年代以降、顕著に発展した新宗教を特に新新宗教と呼ぶことがある。真如苑は、新新宗教に含まれるとする説もある。宗教学者島薗進は、新新宗教を「隔離型」「個人参加型」「中間型」の3つに分類しているが、真如苑を、崇教真光世界真光文明教団霊波之光とともに、「中間型」とした[52]

入信・退会[編集]

真如苑に入信するには「精進願い」に所定の事項を記入して提出する。この時、登録費と会費を収める必要がある。入信には、紹介者が必要である。退会するには、所定の用紙に必要事項を記入して提出(郵送可)する[53]

参考文献[編集]

  • 一如の道(一如社)
  • 梅原正紀、小野泰博、横山真佳『新宗教の世界 3 日本敬神崇祖自修団・妙智会・真如苑・解脱会・光妙教会』(大蔵出版、1978年) 絶版
新宗教教団をルポタージュし、民衆宗教の動向を探るシリーズ。真如苑の章の執筆は、毎日新聞記者の横山真佳。
  • 石井研士『理想』-世俗社会における仏教の可能性(理想社、1986年2・3月合併号)
当時、文化庁宗務課職員で東京大学助手だった宗教学者による社会価値観と真如苑を考察、研究した論文。
  • 立井啓介対談集『夢はゆめ色』(清水弘文堂、1987年) 絶版
詩人で非信者である著者が教団の信徒である各界著名人との対談した本。立川商工会議所発行の月刊誌『とぅもろぅ』に連載された対談をカットせず、ほぼオリジナルな形で再収録。
  • 山口富夫『真如苑 常楽我浄への道』(知人館、1987年) 絶版
幻想的共同体論をメインテーマとする著者が、初めて真如苑を内部取材したルポルタージュ。
  • 三土修平『水ぶくれ真如苑―急成長の秘密と欺瞞の構図』(AA出版、1987年) 絶版
著者は経済学者。元東京理科大学教授。1986年、華厳宗東大寺にて得度。一時、真如苑に在籍していた体験を元に、徹底した批判を展開した論評。
  • ひろたみを『ルポルタージュ真如苑-その現代性と革新性をさぐる』(知人館、1990年) 絶版
フリージャーナリストである著者が、山口富夫の本に反発し、まこと教団事件や長女・次女問題などの教団事件史も加え教団を内部取材。
  • 桜井秀勲『かっぽう着の法母(上・中・下)』(学研、1990年) 絶版
OLという言葉を提唱し定着させ、また女性自身微笑等の雑誌編集長を歴任した著者による、伊藤友司に関する伝記。
  • 出口三平、横山真佳、溝口敦『新宗教時代〈1〉』(大蔵出版、1997年)
『新宗教の世界(全5巻)』に続き、1970年代以降発展した教団および、大本、創価学会、真如苑の80,90年代の動向の紹介した本。真如苑の項の執筆は、ジャーナリストの溝口敦
毎日新聞社によるグラフ。
  • 本多順子『真如苑―祈りの世紀へ』(原生林、2003年)
3年間にわたる取材を経た著者が、自身のこころに重ねて綴る異色のルポルタージュ。
  • 秋庭裕、川端亮『霊能のリアリティへ―社会学、真如苑に入る』(新曜社)
社会学者が、真如苑内におけるインタビュー統計調査を踏まえて書いた研究書。
  • 芳賀学、菊池裕生『仏のまなざし、読みかえられる自己 - 回心のミクロ社会学』
(ハーベスト社、2007年1月)ISBN 9784938551926
青年部弁論大会の詳細な記述と分析を通し、弁論=「自己の物語」を語ることにより、一人一人の信者がどのように回心の過程を辿っていくのかを描いた研究書。
  • 奈良康明ほか『真乗 心に仏を刻む』(中央公論新社、2007年)
インド仏教文化専攻の文学博士であり、駒澤大学で教授・学長を務めた著者などによるドキュメント。

制作番組[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 小学館『日本大百科全書 12』(1986.11)P566,P567 新宗教
  2. ^ a b 小野泰博『日本宗教事典』弘文堂(1987/2)P645
  3. ^ a b 井上順孝/他『新宗教事典(本文篇)』弘文堂(1994/07) P38,P60
  4. ^ a b 文化庁『宗教年鑑 平成27年版』 P15,P16
  5. ^ a b 宗教教団新研究会『最新「宗教」教団ガイドブック』 ベストブック (2011/08)P58~P61
  6. ^ a b c d e f g h i 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995/1)P361~370
  7. ^ 島田裕巳『日本の10大新宗教』 幻冬舎(2007/11) P185
  8. ^ a b c d e f 島田裕巳『現代にっぽん新宗教百科』 柏書房 (2011/09) P90~P95
  9. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成27年版』 P113
  10. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成7年版』 P69
  11. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成27年版』 P71
  12. ^ a b c d e 『一如の道 新訂版初版』 真如苑教学部(2007.11 第一刷) P403~P429,P458
  13. ^ a b 松野純孝/編『新宗教辞典』  東京堂出版 (1984/10) P153~P156
  14. ^ 梅原正紀・他/著『新宗教の世界Ⅲ』 大蔵出版(昭和53年7月) P116,P117
  15. ^ a b 三土修平『水ぶくれ真如苑』AA出版 (1987/12) 歴史①草創期
  16. ^ 真如苑公式サイト”. 真如苑. 2016年5月10日閲覧。
  17. ^ ひろたみを『ルポルタージュ真如苑』知人館(1990) P144
  18. ^ a b 真乗刊行会『真乗 心に仏を刻む』 (2007)中央公論新社 P99
  19. ^ 朝日新聞 昭和25年8月22日(火曜日)(日刊) 8版 2面中段右
  20. ^ 井上順孝,対馬路人,西山茂,他/篇『新宗教事典 本文篇』 弘文堂 1994/7 P509,510
  21. ^ 舘澤貢次『宗教経営学』 双葉社 (2004/3) P130~P133
  22. ^ 『一如の道 新訂版初版』 真如苑教学部(2007.11 第一刷) P443,P449
  23. ^ a b c d e 三土修平/著『水ぶくれ真如苑』第三部第二章「教主一家のスキャンダル」AA出版(1987/12)
  24. ^ 新日本宗教団体連合会 『戦後宗教回顧録』新宗連調査室(1963年) P70,71
  25. ^ 宗教法人法 第二十二条
  26. ^ a b 真乗刊行会『真乗 心に仏を刻む』 (2007)中央公論新社 P382~393
  27. ^ 『ブッダ最後の教え 真如苑-涅槃経に生きる人びと』 (2001)毎日新聞社 P83
  28. ^ a b c d e 秋津黎/著『続・教祖解剖(1)真如苑 伊藤真乗が隠し続けた父子愛憎劇の裏側 』 政界往来 巻次:52(6) (1986/06)p244~252
  29. ^ a b c 『教主が死んで骨肉の争い 沢口靖子・島田陽子・石原理子ら信者260万--「真如苑」四姉妹殴る蹴るのリンチ暴行』週刊文春 巻次:31(31)(1548) 出版年月日:1989/08 p186~189
  30. ^ a b c d e f 『沢口靖子・島田陽子・石原真理子ら信者数260万 長女・次女が内部告発--真如苑教主カネと女の乱脈』週刊文春 巻次:31(34)(1551) 出版年月日:1989/08  p172~175
  31. ^ a b 『真如苑"4姉妹骨肉戦争"は凄い!「オマエたちは悪魔だぁ~」と本誌写真記者も殴られた』週刊ポスト 巻次:21(31)(1011) 出版年月日:1989/08 p48~49
  32. ^ a b c 『真如苑教主の娘が爆弾発言「父の好色を糾弾する」 』週刊現代 巻次:28(34) 出版年月日等:1986/08 p36~38
  33. ^ a b 『注目の新新興宗教を裸にする 「真如苑」のパワーと内紛』 週刊現代 巻次:28(21) 出版年月日:1986-05 p49~51
  34. ^ a b c d 『沢口靖子も驚いた?真如苑のドロドロ』サンデー毎日 巻次:68(37)(3761) 出版年月日:1989/08 p22
  35. ^ a b c 『芸能人信者が多い「真如苑」が発覚を恐れる救主一家の醜聞』噂の真相 出版年月日:1986/6
  36. ^ a b c ひろたみを『ルポルタージュ真如苑』知人館(1990) P17~P23
  37. ^ a b 島田裕巳『新宗教儲けのカラクリ』宝島社(2013) P30,128
  38. ^ 醍醐寺ホームページ 下醍醐 伽藍のご案内「真如三昧耶堂」参照
  39. ^ 『中外日報』平成18年3月21日号
  40. ^ 『真如苑 不動産・仏像買い取る巨額経済活動の原動力』朝日新聞ウイークリー アエラ2010.1.18 P34~P37
  41. ^ 2014年10月5日 産経新聞
  42. ^ 2015年10月8日 河北新報
  43. ^ a b 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995/1)P374,381
  44. ^ 真如苑公式サイト”. 真如苑. 2016年5月10日閲覧。
  45. ^ a b 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995/1)P390,395
  46. ^ 中外日報『中外グラフ』 平成21年12月19日号 14項3段目文章
  47. ^ 『一如の道 新訂版初版』 真如苑教学部(2007.11 第一刷) P484~p502
  48. ^ 三土修平/著『水ぶくれ真如苑』第二部第四章 AA出版(1987/12)
  49. ^ 島田裕巳『日本の10大新宗教』 幻冬舎(2007/11) P181~P183
  50. ^ 1995年4月10日付 産経新聞夕刊「宗教・こころ」欄
  51. ^ 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995/1)P377
  52. ^ 島薗進『新新宗教と宗教ブーム』 岩波書店(1992年) P8,P9
  53. ^ Shinto Web”. 真如苑. 2016年3月24日閲覧。

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