真如苑

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真如苑(しんにょえん)は、東京都立川市柴崎町に総本部を置く、仏教(真言宗)系新宗教[1][2][3][4][5]。真如苑では、自らの特色として「出家仏教の修行を基盤とする在家仏教教団」としている[6]。真言宗から独立後、「まこと教団」と称していたが、教祖・伊藤真乗が傷害容疑で逮捕・起訴されると、教団は大きな打撃を受け、1953年、真如苑に改名した。[7][8][6]

概要[編集]

伊藤友司(いとう・ともじ 1912~1967)
  • 苑主:伊藤真聰(いとう・しんそう 1942~)
  • 現代表:米村彬(文部科学省所轄包括宗教法人代表役員)[9]
  • 信者数:733,191(H6/12/31現在)[10]  922,160(H26/12/31現在)[11]
  • 所在地:東京都立川市柴崎町1-2-13

略史[編集]

草創期[編集]

開祖・伊藤真乗(俗名・文明)と妻・伊藤友司(1950年の修行法畢後、僧名を「真如」と授与されるも俗名の友司の名を用いた。死後、摂受院さらに摂受心院の法号)は共に山梨県出身[12]。真乗は、昼間の正規の学校としては高等小学校を出ただけであった[13]
伊藤真乗は石川島飛行機(株)勤務の傍ら、少年期に継承した伊藤家家学の易学をもとに、長じて、大日本易占同志会で易を学び[12]易占で、家庭・事業・病気・縁談などを鑑定し判断を与えていた[14]。真乗は易学研鑽の途上知り合った真言行者の紹介で、雑司ヶ谷の天明教会(真言宗醍醐派修験道部)先達、浦野法海と縁を結んだ。妻・友司の祖母は、霊能家であり、明治初年、巷間に多くみられた狐憑き落としなどの除霊を行っていた[14][15]。真乗、友司ともに宗教的背景の中に育った。真乗は少年期から、易学、を嚆矢に、浄土教法華経、また浅野和三郎の心霊科学にも触れ、友司は観音信仰を深くしていた。1932年4月に結婚してのち、夫婦でキリスト教会にも通った。1935年暮れ、伊藤夫妻は東京の仏具屋で見つけた[13]不動明王像自宅に迎え、翌年、友司が、伯母から、祖母の霊能を受け継いだと告げられ、宗教活動を勧められると、4日後の1936年2月8日、真乗は会社勤務を辞し、宗教活動に専念することになった。現在、真如苑では、この日をもって立教の日としている。二・二六事件による戒厳令下、3月、民法に沿い自宅を成田山新勝寺講中とし「立照閣」を届出、合法活動を講じた。5月19日、真言宗総本山醍醐寺に上り、三宝院道場にて佐伯恵眼座主戒師のもと出家得度の儀に臨み辞令を得た[12][6]。立教当初の活動は、真乗の易占に加えて、友司を霊媒として不動明王にお伺いを立てるという形のものであったらしい[13]
1938年、後に「真澄寺」と呼ばれる道場が完成し、組織も「立照閣」から「真言宗醍醐派立川不動尊教会」へと改められた。真如苑の説明では、道場建設場所は、友司による霊意に従って選定された[12]
真乗は、1939年に恵印灌頂、1943年に伝法灌頂を畢めた。[12][16]。1941年3月、真言宗醍醐派管長の命に、東京武蔵村山市「常宝院」の特命住職に任ぜられ[17]僧階も、権律師から少僧都へと昇進した[18]終戦後、立川不動尊教会は真言宗から離れて、独立の宗団となり、1948年には名称も「まこと教団」へと改められた[6][18]

まこと教団事件と真如苑としての出発[編集]

 立川地区警察署は、まこと教団で集団リンチが行われているとの聞き込みで、1950年8月21日午前0時、同教団総本部に手入れを行い、教団管長の伊藤真乗を逮捕した[19]。これは真乗と対立し、教団を去った元教務総長の地位にあった青年の告発がきっかけだった[7]。真如苑では、これを「 虚構に虚構を重ねた事実無根の事柄[20]」と信者に教えている。真乗は以下4つの容疑で起訴された。

 ①一信者が教団金員を盗んだとして会堂内で、全治10日の打撲傷を負わせた。②同所において素行不良の信者を懲らしめる目的で全治一週間の打撲を負わせた。③真乗の長女と婚約中の信者が別の女性A子と恋仲になったと思い込み、懺悔行と称して二週間の打撲傷を負わせた。④A子の姉が長女の婚約者の仲をとりもったと思い込み、懺悔行と称して婚約者・A子姉妹の3人に暴行を加えることを企て、2人の信者が真乗の意をくみ数名と共謀しA子姉妹に一ヶ月の打撲傷を負わせた。

 昭和27年5月7日、一審・東京地方裁判所八王子支部では4件とも犯罪と認定し、伊藤真乗に傷害罪懲役1年の実刑判決を下した。昭和29年1月30日、東京高等裁判所の控訴審判決では、①、②は宗教上の行為として無罪とし、③、④については通常の傷害として認め、伊藤真乗に傷害罪懲役8月・執行猶予3年の判決を下し確定した。[21]。 この事件は「まこと教団事件」と言われ、マスコミをにぎわせた[6][22]。この事件を振り返る際、教団ではこれを法難と呼ぶ[20]

 この事件による教団の打撃は大きく、教団は危機的状態になった。そのためもあって、1952年7月、文部省宗教法人法に基づき、書類を提出し、翌年5月に認証され「宗教法人 真如苑」と改称し再出発した[6][8]。宗教法人法では刑期中の者(執行猶予中を含む)は代表役員となれない[23]ので、真乗は管長を辞し教主となり、妻・友司が代表役員(苑主)に就任した[6]

教主一家の内紛[編集]

1967年8月、苑主・友司が死亡すると、教主・真乗と4人の娘たちの間で対立が起こる。その多くは、セックススキャンダルや警察沙汰なので週刊誌の話題となった。[24][25][26][27][28][29][30][31][32][33][34]

教主・真乗の再婚問題[編集]

友司の死後、真乗は料亭の仲居との再婚を希望して、反対する娘たちと対立した[24][29][27]。友司の存命中から、真乗はその料亭の馴染みの客となっていたとの見解がある[33]一方で、長女は、真乗の性欲の強さに手を焼いた教団幹部らが再婚相手を紹介したものとしている[27]。真乗の性欲が旺盛なことは次女も証言している[27][29]。1969年7月25日の正論新聞には、三回忌がすむまでは再婚せずにのままにしてほしいと次女が真乗に懇請している会話が掲載されている[24]。真乗は娘たちの反対を押し切って、1969年5月に再婚を披露したとされる。[27]

三女自殺未遂報道[編集]

1969年3月、三女・真聰が、長女の夫との不倫を苦に、自殺未遂事件を起こしたとの報道がなされた[31][24][30][25][32]

長女の離脱[編集]

真如苑の説明では、1969年9月に長女の夫で教団幹部の異常性癖の査問が教団内で行われ、本人もそれを認めて謝罪したとしている[34]。結局、1972年に長女夫妻は苑を離脱する[31][24][25][32]。離脱の理由について、真如苑では長女の夫の異常性癖を原因としている[34]が、夫と共に離脱した長女は、真如苑の言うような夫ならば妻である自分がついて行かないとして、真如苑の説明を否定している[26]

次女の離脱[編集]

1977年、次女の不倫現場写真が週刊誌に掲載される[27]と、次女は真如苑を離脱した[31]。1982年、次女は父と話がしたいとして真如苑に立ち入ろうとして、パトカー出動騒ぎが起きている[25]

教主・真乗の葬儀での騒動[編集]

1989年7月、真乗が死亡して真如苑で葬儀が営まれた。このとき、真如苑では長女・次女の参列を拒否したため、二人との間でもめごとが起こった。週刊誌記者が暴力沙汰に巻き込まれ、彼らの要請でパトカーが出動する騒ぎとなった。[28][26]

近年・開祖の死去以降[編集]

2002年、東京都武蔵村山市(一部立川市)の日産工場跡地を739億円で取得した。2004年には、東京都千代田区一番町のホテル跡地を購入し、地上8階地下2階の寺院(友心院ビル)を建てた。2007年には大阪難波の土地約3300平方メートルを買収。2008年にはニューヨークのオークションで運慶作とされる大日如来像を14億円で競り落とした。[35]  2014年10月4日午前6時10分頃、東京都立川市柴崎町の総本部西門付近で、同法人職員(局員)が元信者の男性に刃物で刺され、1か月の重傷を負った。[36] 2015年、仙台市青葉区のホテル跡地2204平方メートルを寺院建設のために取得した。[37]

教義と修行体系[編集]

教えの内容や組織形態を見ると、真如苑は、諸宗教・スピリチュアリズム・易などの折衷により設立されている[38]。心霊科学者の梅原伸太郎は、真如苑の霊能者を用いる方法は、日本心霊科学協会やその前身に学んでいるとしている[39]
真如苑は真如苑宗とも称し、真言小野流の流れを汲む(真如三昧耶流[40]

霊位と三つの歩み[編集]

真如苑では霊言を与える霊能者が重視される。しかし、全員が簡単に霊能者になれるわけではなく、大乗→歓喜→大歓喜→霊能と霊位を上げて行く。そのためには、信者獲得、献金、奉仕の実践が求められる。[35][6] これを、真如苑では「三つの歩み…お救け、お歓喜、ご奉仕」と言う[41]

両童子・抜苦代受[編集]

真如苑では、伊藤夫妻の死亡した2人の息子を「両童子」と呼び、崇拝している。両童子の霊界からの働きによって、信者の苦しみを代わりに引き受けることで、取り除くと説く(真如苑では、これを「抜苦代受」と言う)。長男は死後に、母・友司に感応し、霊能活動に祖先霊との道交を開き、真如接心のもとが築かれたと説いている。さらに、次男の死後、真如苑には力強い救いの力が示されたとしている[42]
1936年、伊藤真乗は、会社勤務を退職し、宗教活動の収入のみで生活することになった。この時、長男が病死したため、宗教家として病気治しなどを実践していた伊藤真乗にとって、信者から宗教家としての能力への疑いを起させる可能性が生じた。この時に考えられたのが、長男は皆の苦しみを代わりに引き受けるために死亡したとの解釈で、死んだ子供には救済者としての役割が与えられ、教団の宗教活動の中で重要な役割を担うようになった。ただし、当時は「身代わり」などと称し、「抜苦代受」の用語は使われていない[43]

対外的活動[編集]

海外交流・社会貢献[編集]

1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災において地域の人々と共に多くの信徒も被災した。助かった信徒の中には建物に埋まった人を助け出した人もいる。震災当日に有志のボランティアが現地入りし、状況を把握すると共にボランティアメンバーを募集。22日より救援物資の積み下ろし、仕分け、医療班の補助についた。その後、特に避難所となっている小学校グランドやお手洗いの清掃活動を中心に約7ヶ月間にわたるボランティア活動を行なった。また兵庫県芦屋市には(摂受心院が遷化した)関西本部があることから、重要な位置づけがなされていることもあり、この経験を通して真如苑救援ボランティアであるSeRV(サーブ)が同年2月1日付で大阪府高槻市の悠音精舎内に組織されるに至った。4月時点ボランティアの登録者は1万人を超え、自治体被災者の要請に応え現地に派遣された。トイレ清掃は神戸市中央区の要請により開始された。また大阪市東住吉区西成区に住む看護士の信徒も自主的に行動し、また同じ信徒で看護士の仲間にも呼びかけボランティア活動を行なった。震災から2ヵ月間でSeRV登録者の約半数が被災地に駆けつけボランティア活動を行なった。[44]

真如苑の位置づけ - 新宗教か否か[編集]

真如苑は、百科事典、日本宗教事典、新宗教事典等では、仏教系新宗教である[1][2][3][5]。 文化庁『宗教年鑑』では、念法眞教孝道教団辯天宗霊友会などとともに、新しい仏教教団とされている[4]
真如苑では、自教団の特色として「出家仏教の修行を基礎とした在家仏教教団」とし、教徒に対して、真如苑は新(新興)宗教ではないとくり返し教えている[45]
新宗教のうち、1970年代以降、顕著に発展した新宗教を特に新新宗教と呼ぶことがある。真如苑は、新新宗教に含まれるとする説もある[46]宗教学者島薗進は、新新宗教を「隔離型」「個人参加型」「中間型」の3つに分類しているが、真如苑を、崇教真光世界真光文明教団霊波之光とともに、「中間型」とした[47][46]

入会・脱会[編集]

真如苑に入会するには「精進願い」に所定の事項を記入して提出する。この時、登録費と会費を収める必要がある。脱会するには、所定の用紙に必要事項を記入して提出(郵送可)する。[48]

参考文献[編集]

  • 一如の道(一如社)
  • 石井研士『理想』-世俗社会における仏教の可能性(理想社、1986年2・3月合併号)
当時、文化庁宗務課職員で東京大学助手だった宗教学者による社会価値観と真如苑を考察、研究した論文。
  • 立井啓介対談集『夢はゆめ色』(清水弘文堂、1987年) 絶版
詩人で非信者である著者が教団の信徒である各界著名人との対談した本。立川商工会議所発行の月刊誌『とぅもろぅ』に連載された対談をカットせず、ほぼオリジナルな形で再収録。
  • 山口富夫『真如苑 常楽我浄への道』(知人館、1987年) 絶版
幻想的共同体論をメインテーマとする著者が、初めて真如苑を内部取材したルポルタージュ。
  • ひろたみを『ルポルタージュ真如苑-その現代性と革新性をさぐる』(知人館、1990年) 絶版
フリージャーナリストである著者が、山口富夫の本に反発し、まこと教団事件や長女・次女問題などの教団事件史も加え教団を内部取材。
  • 桜井秀勲『かっぽう着の法母(上・中・下)』(学研、1990年) 絶版
OLという言葉を提唱し定着させ、また女性自身微笑等の雑誌編集長を歴任した著者による、伊藤友司に関する伝記。
  • 三土修平『水ぶくれ真如苑―急成長の秘密と欺瞞の構図』(AA出版、1987年) 絶版
経済学者。元東京理科大学教授。1986年、華厳宗東大寺にて得度。一時、真如苑に在籍していた体験を元に、徹底した批判を展開した論評。
毎日新聞社によるグラフ。
  • 本多順子『真如苑―祈りの世紀へ』(原生林)
3年間にわたる取材を経た著者が、自身のこころに重ねて綴る異色のルポルタージュ。
  • 秋庭裕、川端亮『霊能のリアリティへ―社会学、真如苑に入る』(新曜社)
社会学者が、真如苑内におけるインタビュー統計調査を踏まえて書いた研究書。
  • 芳賀学、菊池裕生『仏のまなざし、読みかえられる自己 - 回心のミクロ社会学』
(ハーベスト社、2007年1月)ISBN 9784938551926
青年部弁論大会の詳細な記述と分析を通し、弁論=「自己の物語」を語ることにより、一人一人の信者がどのように回心の過程を辿っていくのかを描いた研究書。
  • 奈良康明ほか『真乗 心に仏を刻む』(中央公論新社、2007年)
インド仏教文化専攻の文学博士であり、駒澤大学で教授・学長を務めた著者などによるドキュメント。

制作番組[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 小学館『日本大百科全書 12』(1986.11)P566,P567 新宗教
  2. ^ a b 小野泰博『日本宗教事典』弘文堂(1987/2)P645
  3. ^ a b 井上順孝/他『新宗教事典(本文篇)』弘文堂(1994/07) P38,P60
  4. ^ a b 文化庁『宗教年鑑 平成27年版』 P15,P16
  5. ^ a b 新宗教研究会『図解 新宗教ガイド』 九天社 (2006/01)P42~P47
  6. ^ a b c d e f g h 沼田健哉『真如苑の研究』桃山学院大学社会学論集 24(1), P55-86, 1990年9月
  7. ^ a b 島田裕巳『日本の10大新宗教』 幻冬舎(2007/11) P185
  8. ^ a b 島田裕巳『現代にっぽん新宗教百科』 柏書房 (2011/09) P94,P95
  9. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成27年版』 P113
  10. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成7年版』 P69
  11. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成27年版』 P71
  12. ^ a b c d e 『一如の道 新訂版初版』 真如苑教学部(2007.11 第一刷) P403~P429,P458
  13. ^ a b c 三土修平「水ぶくれ真如苑」AA出版 (1987/12) 歴史①草創期
  14. ^ a b 松野純孝/編『新宗教辞典』  東京堂出版 (1984/10) P153~P156
  15. ^ 梅原正紀・他/著「新宗教の世界Ⅲ」 大蔵出版(昭和53年7月) P116,P117
  16. ^ 真如苑公式サイト”. 真如苑. 2012年9月1日閲覧。
  17. ^ ひろたみを「ルポルタージュ真如苑」知人館(1990) P144
  18. ^ a b 真乗刊行会「真乗 心に仏を刻む」 (2007)中央公論新社 P99
  19. ^ 朝日新聞 昭和25年8月22日(火曜日)(日刊) 8版 2面中段右
  20. ^ a b 『一如の道 新訂版初版』 真如苑教学部(2007.11 第一刷) P443,P449
  21. ^ 井上順孝,対馬路人,西山茂,他/篇『新宗教事典 本文篇』 弘文堂 1994/7 P509,510
  22. ^ 舘澤貢次『宗教経営学』 双葉社 (2004/3) P130~P133
  23. ^ 宗教法人法 第二十二条
  24. ^ a b c d e 秋津黎/著『続・教祖解剖(1)真如苑 伊藤真乗が隠し続けた父子愛憎劇の裏側 』 政界往来 巻次:52(6) (1986/06)p244~252
  25. ^ a b c d 六角宏/編 「怪文書の研究Ⅱ」晩聲社(1987) P281
  26. ^ a b c 『教主が死んで骨肉の争い 沢口靖子・島田陽子・石原理子ら信者260万--「真如苑」四姉妹殴る蹴るのリンチ暴行』週刊文春 巻次:31(31)(1548) 出版年月日:1989/08 p186~189
  27. ^ a b c d e f 『沢口靖子・島田陽子・石原真理子ら信者数260万 長女・次女が内部告発--真如苑教主カネと女の乱脈』週刊文春 巻次:31(34)(1551) 出版年月日:1989/08  p172~175
  28. ^ a b 『真如苑"4姉妹骨肉戦争"は凄い!「オマエたちは悪魔だぁ~」と本誌写真記者も殴られた』週刊ポスト 巻次:21(31)(1011) 出版年月日:1989/08 p48~49
  29. ^ a b c 『真如苑教主の娘が爆弾発言「父の好色を糾弾する」 』週刊現代 巻次:28(34) 出版年月日等:1986/08 p36~38
  30. ^ a b 『注目の新新興宗教を裸にする 「真如苑」のパワーと内紛』 週刊現代 巻次:28(21) 出版年月日:1986-05 p49~51
  31. ^ a b c d 『沢口靖子も驚いた?真如苑のドロドロ』サンデー毎日 巻次:68(37)(3761) 出版年月日:1989/08 p22
  32. ^ a b c 『芸能人信者が多い「真如苑」が発覚を恐れる救主一家の醜聞』噂の真相 出版年月日:1986/6
  33. ^ a b 三土修平/著『水ぶくれ真如苑』第三部第二章「教主一家のスキャンダル」AA出版(1987/12)
  34. ^ a b c ひろたみを「ルポルタージュ真如苑」知人館(1990) P17~P23
  35. ^ a b 『真如苑 不動産・仏像買い取る巨額経済活動の原動力』朝日新聞ウイークリー アエラ2010.1.18 P34~P37
  36. ^ 2014年10月5日 産経新聞
  37. ^ 2015年10月8日 河北新報
  38. ^ 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995年1月) P390
  39. ^ 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995年1月) P395
  40. ^ 中外日報『中外グラフ』 平成21年12月19日号 14項3段目文章
  41. ^ 真如苑 公式サイト”. 真如苑. 2016年4月9日閲覧。
  42. ^ 『一如の道 新訂版初版』 真如苑教学部(2007.11 第一刷) P484~p502
  43. ^ 島田裕巳『日本の10大新宗教』 幻冬舎(2007/11) P181~P183
  44. ^ 1995年4月10日付 産経新聞夕刊「宗教・こころ」欄
  45. ^ 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995年1月) P370,P377
  46. ^ a b 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995年1月) P39,P408
  47. ^ 島薗進『新新宗教と宗教ブーム』 岩波書店(1992年) P8,P9
  48. ^ Shinto Web”. 真如苑. 2016年3月24日閲覧。

外部リンク[編集]

公式
情報ページ
  • 真如苑 - 宗教情報リサーチセンター
真如苑が母体となって設立した諸財団・諸団体