日産自動車村山工場

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かつての日産村山工場北部の跡地の一角に建設された「プリンスの丘公園
(2015年10月撮影)

日産自動車村山工場(にっさんじどうしゃむらやまこうじょう)は、2001年(部品は2004年)まで日産自動車の主力生産工場のひとつとして存在していた工場である。プラントコードは「5」。

所在地は東京都武蔵村山市榎1-1(一部立川市に所在)、敷地面積は1,390,000m2で、敷地は東京都立川市武蔵村山市にまたがって立地していた。

概要[ソースを編集]

1962年プリンス自動車工業第一号車であるグロリアのオフラインを皮切りに同社の乗用車生産工場として操業を開始した事が始まりであり、プリンス・ロイヤルやスカイラインもここで生産された。

その後、1966年日産自動車との合併以降、栃木工場追浜工場などと並ぶ日産自動車の中核的な車両生産拠点として重要な役割を果たしてきた。同工場では、プリンス自動車工業時代からのグロリア、スカイラインに加え、セドリック、ローレルプレセアマーチキューブなどの日産の主力車種の生産をも行い、日産自動車武藏村山工場としての累計生産台数は約968万台である。

敷地の西部には一周約4.25kmのコーナー・バンク付きオーバル状テストコースがあり、スカイラインもここでテスト走行が行われた。

1999年、日産の株式を取得して資本提携を結んだフランスルノー社より最高執行責任者(COO)に就任したカルロス・ゴーンにより、日産全体の経営の立て直しを図るために立案された「日産リバイバルプラン」の具体案の一つとして村山工場は閉鎖が決定し、自動車生産工場としては2001年より2004年にかけて順次閉鎖され、工場機能は他の日産工場各所に移転された。これにより、40年余りに渡る日産の主力工場としての歴史に幕を閉じた。

跡地利用[ソースを編集]

工場北端部の跡地に建設された「イオンモールむさし村山
(2008年3月撮影)

移転終了後、工場跡地は売却・譲渡され、再開発が進められたが、建屋と設備は撤去されたものの、工場跡地の全てが再開発はされておらず、テストコース跡を含めて大半が広大な空き地として残存しており、2016年現在においても、航空写真などによる上空からの眺望では長大なテストコース、およびその他の遺構を窺うことができる。

跡地のうち、全体の3分の1、旧テストコースの北側部分を含む北部跡地には「イオンモールむさし村山」・「武蔵村山病院」・「カーミナル東京」・「東京日産新車のひろば村山店」・「わらべや日洋東京工場」などが建ち並んでいる。またその一角にプリンスの丘公園があり、日産工場があった歴史を伝える記念碑が設置されている。

残る3分の2、テストコース中央部および南側、そして敷地東側の工場区画は宗教法人真如苑に譲渡された。この区画は所有者の真如苑を加えた「跡地利用協議会」(五者協議会)が立ち上げられ、「プロジェクトMURAYAMA用地」と称されてまちづくりのための土地利用が検討された[1]

以後、協議会による検討が繰り返し行われているものの、真如苑所有地部分についてはほとんど利用されていないが、2013年8月23日にはサッカーグラウンド「真如苑芝生ひろば」(真如苑グラウンド)が開設され、地元の体育協会・サッカー協会に貸し出されている。

また、武蔵村山市役所の移転が検討されており、2020年度までに基本計画が策定される予定となっている。

沿革[ソースを編集]

生産された車種[ソースを編集]

脚注・出典[ソースを編集]

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  1. ^ a b 日産村山工場跡地”. 武蔵村山市 (2010年4月16日). 2013年11月7日閲覧。
  2. ^ 企業再編により、販売はユニキャリアが現在行なっている。

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]