准胝観音

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准胝観音

准胝観音(じゅんでいかんのん、じゅんていかんのん)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。準胝観音または準提観音とも書く。准胝仏母とも。

日本の真言系では変化観音とされて真言宗系では「六観音」の一尊に数えられ[1]、日本の天台系では観音ではなく仏母とされる[2]。インド・チベットでは一般に仏母とされ、変化観音とはみなされない[3]。インドでは観音は男性名詞のため男尊とされるが、准胝は女性名詞であり、女尊として表現される。准胝は五守護女尊やマーリーチー(摩利支天)と同様に、特定の陀羅尼[注 1]と結びついた女尊である[4]。密教においては七倶胝仏母(しちくていぶつも)[1]とも呼ばれる。密号は最勝金剛、降伏金剛。

日本では従来、准胝の還梵はチュンディーとされている[5]。漢名の准胝はチュンダー陀羅尼における「チュンデー」という語(チュンダーの女性単数呼格、「チュンダーよ」)の音写であるという説もある[5]。インド原典ではチュンダーである[5]

梵名[編集]

准胝はチュンダー(Cundā)を音写したとする説[6][7]、チュンディー(Cundī)を音写したものとする説[8][9]がある。また、准胝を cundī ではなく cuṇḍī[10]に還元する説もある。

由来[編集]

准胝の源流をヒンドゥー教の女神チャンディー (Caṇḍī) に比定する説がある[11][12](チャンディーはドゥルガーの異名とされる[12])。岩本裕は、准胝は多羅観音葉衣観音と同様にヒンドゥー教の女神が仏教に取り入れられた姿であるとする[13]。佐藤任は、売春宿の主人とするモニエル・ウィリアムの説を引き合いに出して神聖娼婦に結びつけている[14]。「チュンダー陀羅尼」[注 2]より生じたという説[16][17]もある[誰によって?]。これは、准胝観音の梵名チュンダーを動詞根 √cud (鼓舞する)の派生語と解釈して、行者が自らを奮起させるために唱える陀羅尼が尊格化されて准胝観音となったとする説である[18]

概説[編集]

日本では「准胝仏母」、「准胝観音菩薩」、「准胝観世音菩薩」、「天人丈夫観音」などさまざまな呼称がある。

中国では密教、この後も広く禅宗や浄土宗、道教等でも信仰されるが、かつてインドから東南アジアでも信仰された[注 3][19]

日本の真言宗の開祖である空海高野山の開基の際に、僧房の次にまず准胝堂を建立し、准胝観音を弟子たちの得度の本尊としてお祀りしたのは有名で、のちに高野山が荒廃した際にも僧俗の手によって庫裡にこの准胝観音を安置し守り続けられた。それゆえ、准胝堂の補修が行なわれた昭和の時代になるまで、高野山では准胝堂で僧侶となるための得度の儀式が執り行なわれていた[20]。また、真言宗醍醐派の開祖・聖宝尊師がこれに倣って醍醐寺の開基に准胝観音を勧請し、その孫弟子の仁海は六観音に准胝観音を加え、その後も長く民衆の信仰を集めている。

真言・三昧耶形・印[編集]

真言[編集]

真言は短呪の「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」(Oṃ cale cule cunde svāhā [21] [15][注 4]などがよく知られている。

三昧形[編集]

三昧耶形は「寶瓶」(方便)[注 5]、「金剛杵」(智慧)[注 6]、「甲冑」(慈悲)。

種子[編集]

種子はबु(ボ、buBonjiBu.png

准胝観音の功徳[編集]

  • 善無畏三蔵の訳による『七仏倶胝仏母心大准提陀羅尼法』(大正蔵№1078)には、「仏いわく、この准胝仏母の真言と印契の密法によって、十悪罪五逆罪等の一切の重い罪を滅して、よく一切の善法を成就し、さらには戒律を具足し、清廉潔白の身となって、速やかに心の清浄を得る。もし、在家の行人がいて飲酒や肉食を断つことなく、たとえ妻子があったとしても、ただ、この准胝仏母を本尊とすることで、あらゆる仏法・密法を成就することができる」と説かれている。
  • 地婆訶羅三藏の訳による『仏説七倶胝仏母心大准提陀羅尼経』(大正蔵№1077)には、「もし、在家の善男善女らが『准胝真言』を唱え、これを日々に保つことがあれば、その人の家には災難や事故、病気等による苦しみが無く、あらゆる行いには行き違いや望みが果たせないということも無く、その人の言葉は皆が信用して、よく聞いてくれるようになる。また、幸福に恵まれず、才能にも恵まれない人があって、密教の才覚もなく、侶の修行である『三十七菩提分法』という釈迦の教えに廻りあうことができない人がいたとしても、この准胝観音の『陀羅尼法』の伝授を受けることができたならば、速やかに無上の覚りを得ることができる。更には、『准胝真言』を常に記憶にとどめ、よくこの真言を唱えて善行となる戒律を守ることができれば、あらゆる願いも成就する」と説かれている。[23]

曹洞宗で「龍樹菩薩讃準提大明陀羅尼」としてよく唱えられ、真言宗では、醍醐寺の在家用の勤行次第「準提観音念誦次第」にも取り上げられている『準提功徳頌』は龍樹菩薩の作とされる。

禅と准胝観音[編集]

『無門関』第三則 【倶胝竪指】(ぐていじゅし)より[24]
  • 倶胝和尚(ぐていおしょう)は禅における馬祖の法嗣の大梅禅法常三世の法孫にあたる。この人の正確な名前は伝わっていないが、准胝観音を一心に信仰し修行前も、修行をなし終えてからも准胝観音の真言を口ずさむのが常であったため、准胝観音の別名である「七倶胝仏母」から名前を取り、倶胝和尚と呼ばれた。この人が寺を構えてそこの住職をしていたところ、尼僧が旅姿のまま土足で上がり込んで来て問答を挑み、「あなたが悟りにかなった言葉を言えば笠を取りましょう」と迫ったが、倶胝和尚が何も答えられずにいると、尼僧は吐き捨てるようにして袖を払って出て行ってしまった。倶胝和尚は一山の住職がこれではと情けなくなり悔しさのあまり涙して寝たところ、「准胝法」の特徴の一つでもある夢告によって夢に神人が現れて、もうすぐこの寺に生きた菩薩が現れると告げられた。その十日後に天龍老師という人が現れて、その人にわけを話して教えを請うたところ、天龍老師はただ黙って指を一本立てられた。その指を見たとたんに、倶胝和尚は落雷に打たれたようになってしまい、瞬時に執着に固まっていた心の底が抜け、無上の覚りを得ることが出来た。
  • それ以来、倶胝和尚は生涯にわたって准胝観音の真言を唱えるかたわら、ただ指を立てるだけで弟子や信徒らを教化したとされている。この第三則の物語を編集者の無門慧開は、「覚りは指先のことではない、しかし、そこが分かれば皆が釈迦牟尼仏となることができる」と批評している。いわゆる中国では、説法印を正面で結んで指を立てる姿の准胝観音の仏像が好まれる理由の一つでもある。

また、明代には浙江省嘉善镸の出身である袁黄(1533-1606)という人物が、当時、占いの名人とされた孔先生に「三式」[注 7][25]という運命学を学び、師の孔先生より科挙を受けることを勧められて合格すると共に、その番号までを言い当てられた。その後の占いも一字一句が孔先生の言う通りであり、すっかり宿命論者となっていた。自身の一生を占ってもらったところ相応の出世はするが前世の(カルマ)により壽命は53歳[注 8]で、結婚はするが子供は無く、薄徳少福の身で失意のうちにその一生を終えると予言されていた。やがて、仏縁により禅密双修の禅僧の雲谷禅師に出会い自身の運命を語ったところ、『七佛倶胝佛母心准提陀羅尼法』の呪法を授かり、正しく戒律を守り善行を積むための『功過格』による指導を受けたことによって運命の呪縛を脱した。壽命が尽きるとされた53歳の時に袁了凡(えんりょうぼん)と改名し、更に出世して高官となって交易と漁民に被害をなす倭寇を平定し、豊臣秀吉による朝鮮出兵の軍を退けた。准胝観音への信仰により願わずして子供にも恵まれ、その寿命も准提観音の延命の功徳と、『功過格』の積善の効果により74歳まで長生きすることができた。

仏像の作例[編集]

経典や儀軌には二臂、四臂、六臂、十八臂、五十四臂、八十四臂を説くが、日本では『七倶胝仏母所説准提陀羅尼経』(不空 訳)が広まり、そこで詳述された像容・一面三目十八臂とするものが最も多い。『仏説持明蔵瑜伽大教尊那菩薩大明成就儀軌経』(宋・法賢 訳)には、四臂は赤色(蓮華部)、六臂は黄色(宝生部)、十八臂は白色(仏部)と述べられている。また、その手の本数が多いことから、その尊像は時に千手観音と混同される場合もあるが、正面の左右の二手が「説法印」[注 9] を結んでいるのが准胝観音で、「合掌」をしているのが千手観音である。なお、醍醐寺准胝観音坐像のように、蓮華座の下に難陀・跋難陀の眷属二大龍王がいる造例が多い。

准胝観音は日本でも禅宗でよく拝まれ、黄檗宗曹洞宗臨済宗等の僧堂にその尊像が祀られているのを見ることができ、また、真言宗の泉涌寺の皇族が拝まれた秘仏も知られているが、いずれも江戸時代以降の作であり、奈良時代や平安時代の密教における単独の造像例はあまり多くない。真言宗智山派の寺である、京都・大報恩寺(千本釈迦堂)の六観音像(重要文化財)中には准胝観音の像がある。奈良・新薬師寺旧蔵の伝・千手観音立像(重要文化財、文化庁保管)は、その像容から本来は准胝観音像と考えられている。

寺院[編集]

日本における准胝観音の歴史は古く、観音信仰の広まりによる札所等や江戸時代の禅の復興に伴い、本尊や守護仏として准胝観音をお祀りする寺院も多い。

准胝観音を本尊とする寺院

その他、准胝観音を祀る代表的な寺院

美術館等[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ダーラニー(Dhāranī)は女性名詞。
  2. ^ チュンダー陀羅尼(准胝陀羅尼):「七千万の正等覚者に帰命する。オーム・チャレー・チュレー・チュンデー・スワーハー。」[15]
  3. ^ セイロン島タイインドネシアを始めとする東南アジア一帯は、今日では上座部仏教イスラム教などで知られるが、もともとは大乗仏教と、その後に伝播した密教やヒンドゥー教の文化圏でもあった。インドネシアには、さまざまな密教遺跡やヒンドゥー教遺跡が残るが、東端のバリ島は、唯一のヒンドゥー教圏として有名であり、現在は土着の文化となった「ケチャ」は有力な観光資源となっている。
  4. ^ 梵文を Oṃ cale cūle cundi svāhā とし、中間の三語を「遊行尊よ、頂髻尊よ、清浄尊よ」と解するものもある[22]
  5. ^ ここでいう「寶瓶」(ほうびょう)は、准胝観音の持物である「如意瓶」を指している。「如意瓶」は、「准胝法」において道場荘厳用の重要な法具でもあり、三昧耶形においては衆生を潤す方便を司る。
  6. ^ 「金剛杵」(こんごうしょ)は「五鈷杵」(ごこしょ)とも呼ばれる。「准胝法」においては菩提心を意味し、五鈷杵の中心部分に覚りとしての種子(しゅじ:密教用語)である梵字の唵(オン)字や阿(ア)字、吽(フーム)字を現出するので、三昧耶形においては智慧を司る。
  7. ^ 三式」(さんしき)は太乙神数奇門遁甲六壬神課の三つからなる古代中国の運命学の一つで、からの時代に完成されたといわれていて、日本にも飛鳥時代から平安時代に渡来したとされている。袁了凡が「三式」を学んだかどうかの史実は確認しがたいが、現在の中国の資料にそのような伝説が載せられている。これは「三式」の中の奇門遁甲が中国では軍学や兵術にも数えられ、袁了凡が倭寇を平定し、朝鮮出兵を退けたという史実に対して占術と結びつけて仮託されたものとも考えられる。また、袁了凡が学んだのは「三式」ではなく、『陰騭録』には「の大家である邵康節先生の秘伝を受け継いだ孔先生」とあるところから、『皇極神数』(こうきょくしんすう;『邵子皇極経世』のこと)や、『鉄版神数』(てっぱんしんすう)であるとする説もある。『鉄板神数』は清代に中国で流行した易学であるが、日本ではまだあまり知られていない。その『鉄板神数』のなかでも、「中州派」と呼ばれる古流派は邵康節の伝とされ、江戸時代の日本には『前定易数』の別名で明代の版本が中国密教と共に伝わっていた。
  8. ^ ここでは数え年なので、52歳とする見方もある。
  9. ^ 説法印には2種類ある。日本式の尊像は両手を開いた、如来もしくは菩薩形の説法印、中国式の尊像は両手の指を組んだ「准胝根本印」とも呼ばれる説法印を結ぶ。
  10. ^ 京都にある仁和寺ではない。

出典[編集]

  1. ^ a b 「准胝観音」 - 大辞林 第三版、三省堂。
  2. ^ 森雅秀『インド密教の仏たち』、春秋社、2001年、202頁。
  3. ^ 田中公明『図説チベット密教』春秋社、2012年、172頁;同「密教の尊格とその図像」『シリーズ密教1 インド密教』春秋社、新装版2005年、106頁。
  4. ^ 森雅秀『インド密教の仏たち』春秋社、2001年、210-212頁
  5. ^ a b c 田中公明 『仏教図像学』 春秋社、2015年、128頁。
  6. ^ 森雅秀『インド密教の仏たち』、春秋社、2001年、305頁、第5章の註(31)
  7. ^ 『岩波 仏教辞典 第2版』、「准胝観音」の項
  8. ^ 佐藤任『密教の神々』、平凡社ライブラリー、p.137
  9. ^ 『コンサイス佛教辞典』大東出版社、新版 1980年。
  10. ^ 岩本裕『日本佛教語辞典』平凡社、1988年。
  11. ^ 中村元『広説佛教語大辞典』東京書籍、2001年。
  12. ^ a b 斎藤昭俊『インドの神々』吉川弘文館、2007年(旧版1986年)、152-153頁。
  13. ^ 佐藤任 『密教の神々』 平凡社〈平凡社ライブラリー〉、2009年、99頁。
  14. ^ 佐藤任 『密教の神々』 平凡社〈平凡社ライブラリー〉、2009年、137-138頁。
  15. ^ a b 佐久間留理子 「『カーランダ・ヴューハ・スートラ』における六字真言と准胝陀羅尼」『印度學佛教學研究』 64(1)、日本印度仏教学会、p.423、2015年12月。NAID 110010033491
  16. ^ 『不空羂索・准胝観音』(至文堂)、p68。
  17. ^ 清水乞 著、第五章 密教の美術「マーリーチーとチュンダー」、『アジア仏教史・インド編Ⅳ 密教』(佼成出版社)、pp.240-242。
  18. ^ 森雅秀『インド密教の仏たち』春秋社、2001年、202頁
  19. ^ 『インドネシアの遺跡と美術』(日本放送出版協会)、pp74-153。
  20. ^ 『高野山』(総本山 金剛峯寺)、p15。
  21. ^ 服部法照「中国鏡にみられる准堤信仰」印度學佛教學研究 44(1)、1995年、p.90
  22. ^ 坂内龍雄『真言陀羅尼』平河出版社、1981年、83-84頁。
  23. ^ 『現代語訳付き「七観音」経典集』(大法輪閣)、「准提陀羅尼經」、p156、p162。
  24. ^ 「口語で読む禅の古典『無門関を読む』」(PHP研究所)、pp.54-58。
  25. ^ 「東洋庶民道徳 - 『陰騭録の研究』 - 」(明徳出版社)、p19。

参考文献[編集]

  • 佐藤任 著 『密教の神々』、平河出版社、1979年刊。
  • 中村元/笠原一男/金岡秀友 監修・編集 『アジア仏教史・インド編Ⅳ 密教』 - 最後の仏教 - 、佼成出版社、昭和49年(1974年)刊。
  • 高野山大学 編纂 『中院三十三尊』、珠数屋四郎兵衛 発売、平成4年(1992年)刊。
  • 『薄双紙』、総本山智積院内・智山講伝所 発行、藤井佐兵衛 印刷、昭和59年(1984年)刊。
  • 宮坂宥勝 著 『講説 理趣経』 -『理趣釈』併録- 、四季社、平成17年刊。
  • 飯島太千雄 写真・文 『新出・空海書 請来上表』(№286)、墨美社、1978年刊。
  • ダライ・ラマ十四世 著 『ダライ・ラマの密教入門』(文庫版)、石濱裕美子 訳、光文社、2001年刊。
  • マルティン・ブラウエン 著 『【図説】曼荼羅大全』、森雅秀 訳、東洋書林、2002年刊。
  • 梶山雄一 著 『仏教タントリズムにおける言葉の問題』(密教学研究 第11号)、日本密教学会、昭和54年(1979年)刊。
  • 金剛峯寺 編 『いのちつながる』 -松長有慶 講演集- 、高野山真言宗総本山金剛峯寺開創法会事務局、平成24年刊。
  • 中川善教 著 『中院流諸尊通用次第撮要』、親王院、昭和63年(1988年)刊。
  • 稲谷祐宣 編著 『普通真言蔵』全2冊、浄厳 原著、東方出版社、1981年刊。
  • 『曹洞宗日課諸経全集』、大八木書店、昭和28年(1953年)刊。
  • 秋月龍珉 著 「口語で読む禅の古典『無門関を読む』」、PHP研究所、平成2年(1990年)刊。
  • 浅井和春 著 『不空羂索・准胝観音像』(日本の美術382)、文化庁東京国立博物館京都国立博物館奈良国立博物館 監修、 至文堂、1998年、ISBN 978-4-7843-3382-0
  • 伊藤丈 著 『現代語訳付き「七観音」経典集』、大法輪閣、平成8年(1996年)刊。
  • 日野西眞定 監修 『高野山』、総本山 金剛峯寺編集・発行、平成10年(1998年)刊。
  • 宇野廉太郎 著 「郷土文化叢書4 『豪潮律師の研究』」、日本談義社、昭和28年(1953年)刊。
  • 石田豪澄 著 『豪潮律師遺墨-永逝150年遠忌出版』(限定版)、日貿出版社、昭和57年(1982年)刊。
  • 永松譲一 編 『豪潮』、城野印刷、昭和47年(1972年)刊。
  • 立川武蔵 監修 『マンダラ -宇宙が舞い降りる-』、マンダラ研究会 発行、(株)新國民社 発売、1990年刊。
  • 彌永信美 著 『大黒天変相』、法蔵館、2002年刊。
  • 石田尚豊 著 『両界曼荼羅 元禄本』、東京美術、昭和52年(1977年)刊。
  • 松長恵史 著 『インドネシアの密教』、法藏館、1999年刊。
  • 佐和隆研 編 『インドネシアの遺跡と美術』、日本放送出版協会、昭和48年(1973年)刊。
  • 頼富本宏 著 「無能勝明妃(アパラージター)の成立と展開」(『宗教研究』通巻323)、2003年刊。
  • 頼富本宏 著 『曼荼羅講伝仏抄録』、(株)同朋メディアプラン、平成25年(2013年)刊。
  • 西澤嘉朗 著 「東洋庶民道徳 - 『陰騭録』の研究 - 」、明徳出版社、平成27年刊。
  • 長谷宝秀 編『大師御請来 梵字真言集』、国書刊行会、昭和51年(1976年)刊。

関連項目[編集]