ほんみち

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ほんみち
Honmichi headquarters.jpg
ほんみち本部
設立者 大西愛治郎
種類 宗教法人
法人番号 4120105000680
本部 大阪府高石市羽衣3丁目1-72

ほんみちは、1913年に大西愛治郎によって創始された、大阪府高石市に本部を置く新宗教天理教からの分派。信徒数は約31万8千人[1]

概要[編集]

天理教の教師だった大西愛治郎中山みきの後継者であるという啓示を受け(「甘露台人の理」と呼ばれる)、その事実は天理教内では受け入れられなかったため、やむなく天理教から独立。1925年(大正14年)奈良県で「おさしづ」を研究する「天理研究会」を発足させる。1928年(昭和3年)に『研究資料』を発表・配布し、それが、戦争による国家滅亡の危機を予言・警告し、昭和天皇の神格を否定する内容として、天理研究会の会員らと共に検挙される。不敬罪によって、天理研究会の解散を命じられるも、1930年(昭和5年)、大西愛治郎らが無罪、執行猶予が大審院で判決された。1936年(昭和11年)「天理本道」と改称し、布教が本格化。大西愛治郎の嘗て居た天理教にも布教がなされた。1938年(昭和13年)『研究資料』と同趣旨の『書信』を発表・配布し、警察当局が国家体制を脅かすものとして、治安維持法違反・不敬罪違反で大西らは再び検挙された。教団に対しては結社禁止命令が、大西愛治郎に対しては無期懲役が言い渡されたが、1945年(昭和20年)に第二次世界大戦が終結すると全員免訴となった。

1946年(昭和21年)に大阪府高石市に本部所在地を移転し、1950年(昭和25年)に「ほんみち」と改称。1950年(昭和25年)11月8日、ほんみち本部は脱税容疑で家宅捜索を受けた[2] 。大西愛治郎は中山みきの生まれ変わりと次女・大西玉を養育したが、1962年(昭和37年)大西玉は、ほんみちより「ほんぶしん」として分離・独立した。大西愛治郎の没後、孫に当たる大西泰彦が教団を率いている。その後、1979年(昭和54年)に信者ではない者には、未公開だった本部を公開し、1980年(昭和55年)から1984年(昭和59年)まで「ほんみち紹介のつどい」や、1989年(平成元年)からは信者が同伴が条件であるが、「ほんみち神拝殿一般参拝」などが行われている。

信者の子供は高校進学をせずに中学を出たら信者になるために、泉南市の公立中学校卒業者の高校進学率は82.1%と、諸島部や限界集落を除けば日本一低い。[3]また、信者は月の何日かは作業所で働くために職業が制限されてしまっている。

天理教との相違点・類似点[編集]

天理教では信者は「ようぼく」と呼ばれるが、ほんみちでは「みち人」と呼ぶ。その一方で、個人単位の布教活動を「においがけ」、教団施設の維持管理を「ひのきしん」、神が理想とする「陽気世界」(天理教の「陽気ぐらし」と類似)に住むための精神の成長を「心のふしん」と呼ぶなど、大西愛治郎が中山みきを継承した者であると主張するように、天理教と類似点が多い。

法人・組織[編集]

教祖・教主職[編集]

教祖大西愛治郎。現教主は大西愛治郎の孫である大西泰彦。なお、大西愛冶郎は大西泰彦に生まれ変わったと称される。教主名は「甘露台」と称される。

参拝所[編集]

参拝所は、本部以外に宇陀支部・泉南支部・中部出張所・西部出張所・明石出張所・本部直轄関東出張所など2支部5出張所がある。


年間の主な行事[編集]

  • 元旦祭 1月1日
  • 開扉記念式 5月5日
  • 春季大祭 5月26日
  • 発祥記念祭 8月15日
  • 秋季大祭 10月26日

[4]

脚注[編集]

  1. ^ 大島宏之著『この一冊で「宗教」がわかる!』 三笠書房、1996年、250頁
  2. ^ 山折哲雄/監修『日本宗教史年表』河出書房新社(2004.2.18)P598
  3. ^ 平成28年度学校基本調査 初等中等教育機関・専修学校・各種学校《報告書未掲載集計》市町村別集計 卒業後の状況調査(中学校)
  4. ^ ほんみち - (公財)国際宗教研究所 - 教団データベース(新)

参考文献[編集]

  • ほんみち - 宗教情報リサーチセンター
  • 大島宏之著『この一冊で「宗教」がわかる!』 三笠書房、1996年
  • 井上順孝ほか編『新宗教教団人物事典』 弘文社、1996年
  • 島田裕巳監修『現代にっぽん新宗教百科』 柏書房、2011年
  • 村上重良著『日本宗教事典』 講談社、1988年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]