禊教

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禊教(みそぎきょう)は、禅、観相、医学、神道を学んだ井上正鉄の教えを組む教派神道の一派である。

教祖の修行時代[編集]

井上正鉄(いのうえまさかね)は、青年期には禅宗、1809年(文化6年)より磯野弘道より医学を学び、文化11年からは水野南北より相法調息を学ぶ、1834年(天保5年)には白川伯王家に入門し[1]、天保7年には神拝式許状を得る[2]

教祖による布教[編集]

天保11年、武州足立郡梅田神明宮にて神職になり布教するが寺社奉行より[1]天保12年には嫌疑がかけられる[2]。『神道唯一問答書』を著し応えたが、天保14年6月には三宅島へ流され1849年(嘉永2年)に死去する[1]。相当数の門人がいたため布教が続き、幕末には別個の団体があった[2]

明治維新を経て教派神道へ[編集]

1872年(明治5年)には、吐菩加美(とほかみ)講での布教が公認され、翌年には身禊講社と改称する[3]。1894年(明治27年)に禊教として教派神道の一派に公認される[3]

戦後[編集]

戦後、禊教は東京に本部を置いた。1985年、山梨県北巨摩郡小淵沢に身曾岐神社を創建し、ここを本部・聖地とした。これに先立つ1974年、教団内で混乱が生じ、6代目教主坂田安儀の長男の坂田安弘が禊教真派を設立。1988年、道統継承宣言をし、7代目教主となった。禊教真派は1992年に宗教法人となり、2000年に神道禊教と改称した。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 井上順孝ほか編 1996, pp. 359-360.
  2. ^ a b c 井上順孝 1991, p. 16.
  3. ^ a b 井上順孝ほか編 1996, pp. 294-295.

参考文献[編集]

関連事項[編集]

外部リンク[編集]

(6代教主派)

(7代教主派)