友清歓真

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友清 歓真(ともきよ よしさね、1888年10月9日 - 1952年2月15日)は新宗教神道天行居」の創設者。神道霊学の理論家としても知られる。元名は友清九吾(ともきよ きゅうご)。磐山(ばんざん)、無方斎(むほうさい)、半仙老人(はんせんろうじん)、如甕道人など。初期の頃には、天行道人(てんこうどうじん)、未孩子(みがいし)、晩年には玄扈老人(げんころうじん)、安安先生(あんあんせんせい)とも号した。この他に神から授かった神名として気玉彦(おきたまひこ)とも称した。

略年譜[編集]

  • 1888年(明治21年)10月9日、山口県佐波郡佐山で父祐蔵、母むめの次男に生れた。
  • 青年時代は政治運動をしており、雑誌「東亜評論」を発行した。
  • その後、霊的な方面に興味を抱き、密教神道などを修行し、度々山籠もりをする。
  • 1918年大正7年)の春、浅野和三郎を訪ねており大本に入信。当初は大本教の政治的主張に共鳴しての入信であつたが、次第に霊術面にも力を尽くすようになつた。大本の本部のある京都府綾部に移住し大本の機関誌の主筆となり『綾部新聞』には毎号に記事を書き、ついで大本の機関誌『神霊界』の編集にも携わった。埋もれていた紀州の皇漢医・島田幸安が口述し三沢宗哲が聞き書きして写した島田幸安幽界物語を機関誌に紹介したのが友清であった。大本を脱退後、1920年(大正9年)に刊行した『神仙霊典』その他『幽冥界研究資料』や『天行林・午林』の中に於いてこれらの資料を紹介している。
  • 1919年(大正8年)、大本の出口王仁三郎の教義に失望して脱退した。静岡県に移住し、王仁三郎の師の長沢雄楯本田親徳の弟子)から本田親徳の霊学を学び、これをもとに大本批判の書『乾坤一擲』『事実第一』を著した。また、佐曽利清(さそり あかし)など長沢雄楯以外の本田親徳の弟子にも接触し10月に『鎮魂帰神の原理及び応用』を著した。これは本田親徳の考案した鎮魂法の初公開の書であった(現在、天行居で行われている音霊法は佐曽利の直伝であったという)。
  • 1920年(大正9年)2月7日、静岡県で霊学の実践団体「格神会」を結成した。『鎮魂帰神の極意』9月に『神仙霊典』を自費出版した。同月には有名な霊媒の本田亀次に会い帰神式を行い、10月28日浄身鎮魂法を授かったという。この場に断易家の九鬼盛隆も同席しており、本田亀次は後に九鬼盛隆が創設した宗教団体「本道宣布会」に加わった。
  • 1921年(大正10年)、山口県防府町(現 防府市)に移住、格神会を「天行居」に改称した。同年、神道霊学の名著とされる『霊学筌蹄』(れいがくせんてい)を著した。
  • 友清によると、1922年(大正11年)から宮地水位からの霊啓が始まったという。また、獣医の義兄より高知県立図書館に水位の文庫がある事を知らされた(友清はこれも水位の霊の導きとしている)。同年、高知県の赤堀操と結婚した。
  • 1923年(大正12年)9月、『霊学筌蹄』の続編とされる『天行林』(てんこうりん)を著した。
  • 1924年(大正13年)7月、『闢神霧』を著す。
  • 1925年(大正14年)から神法の授与となる。
  • 1927年昭和2年)10月、倭姫命から代々の斎宮に口伝されてきた(但し、斎宮は常設ではなく、長年の中断が何度かある。1334年の祥子内親王が最後。)10月19日神道の秘事とされる「太古神法」を京都の堀天龍斎より伝えられた。また、同時に山中照道から河野至道川合清丸を経た秘伝も堀天龍斎から伝えられた。11月22日、山口県熊毛郡石城山上の石城神社で神示「山上の天啓」を拝受して、神道天行居を創設した。
  • 1928年(昭和3年)、『古神道秘説』を公刊。その付録には宮地水位の『異境備忘録』を掲載した(これが『異境備忘録』の最初の公開である)。
  • 1929年(昭和4年)天行居基本憲範を制定する。防府の自宅が鳳凰寮であります。
  • 1931年(昭和6年)1月、阿蘇山天孫降臨説を「古道」に発表。同年、井口寅次に宗主職を譲って顧問となった。同年7月より禁足の行に入り、以後死ぬまで防府町の自宅周辺から一歩も外に出なかった。
  • 1934年(昭和9年)、自宅裏庭に磐門神社(いわとじんじゃ)を創建。
  • 1939年(昭和14年)、天行居による第2回白頭山神事の際、友清歓真の指示により友清の霊を白頭山上に鎮祀したという。
  • 1952年(昭和27年)2月15日、帰天。5月に石城山上の磐山神社に祀られた。

エピソード[編集]

大本信者であった友清は、「大正十年頃、欧州大戦に引き続き、日本対世界の戦争が起き、さらに天災地変も同時に起こり、一人も助からない」など、社会不安や危機感をあおり立てた[1]

脚注[編集]

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  1. ^ 出口三平ほか『新宗教時代〈1〉』(大蔵出版、1997年)p33