ナチス式敬礼
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ナチス式敬礼(ナチスしきけいれい)またはヒトラー式敬礼(ヒトラーしきけいれい、独: Hitlergruß)は、ナチス・ドイツが採用していた敬礼。
一般には古代ローマで行われていたとされているローマ式敬礼を、20世紀にイタリアでベニート・ムッソリーニが復活させ[1]、更にドイツでナチスが採用した[2]。日本では「ナチス式敬礼」と呼ばれる場合が多い[3]。
概要
[編集]直立の姿勢で右手をピンと張り、一旦左胸の位置で水平に構えてから、掌を下に向けた状態で腕を斜め上に突き出すジェスチャーによる敬礼[4]。
日本では、1938年、来日したイタリア政府派遣経済使節団が昭和天皇に拝謁した際に、使節団各員が「ファシスト式右手挙手の礼」を行った記録がある[5]。
ドイツでは、この敬礼に「ハイル・ヒトラー」(独: Heil Hitler、ヒトラー万歳)または「ジークハイル」(独: Sieg Heil、勝利万歳)の声を付随させることとなった。これはヒトラーへの権力や力の集中、彼への忠誠を意味しており、これを受ける唯一の存在であるヒトラー自身は、挙手(賛意を表したり発言許可を求める形態と同じ)のジェスチャーによる答礼でこの敬礼に応える。ヒトラー以外の人は同じ敬礼で応える事が義務であった。
なおヒトラーと袂を分かった反ヒトラー派のシュトラッサー率いる革命的ナチスの場合は、同じようなスタイルで「ハイル・ドイチュラント」(独: Heil Deutschland、ドイツ万歳)と言った。
ナチス党内部の組織として発足した突撃隊や親衛隊で公式な敬礼として用いられ、国防軍でも1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件以降、従来の敬礼ではなくこの敬礼が義務付けられた。
第二次世界大戦後のドイツでは、ナチス式敬礼は「ナチ賛美・賞賛」と見做され民衆扇動罪で逮捕・処罰の対象となる。オーストリアでも同様の法律があり、厳しい取り締まりの対象になっている。2006年、ドイツにおいて店のクリスマスディスプレーで右手を斜め上ではなく、天に挙げた複数のサンタクロース人形が、ナチス式敬礼とされて撤去となった[6]。
隠語として 88 (achtundachtzig) とも呼ばれている。これはH がアルファベットの8番目であることから「ハイル・ヒトラー」(Heil Hitler)を意味するものである[7]。
この「88」は、欧州の複数の国で自主規制や制限の対象となっている。例えば2014年に洗剤メーカーP&Gは、ドイツで発売していた洗濯洗剤に印字されていた「88」が不適切であったとして、「18」(アルファベットの1番目がAであるため、18はAH、つまりアドルフ・ヒトラーの頭文字となる)の印字されていた別製品と併せて出荷停止とした[7]。2015年には、オーストリアで自動車のナンバープレートに88や1919(アルファベットの19番目がSであるため、1919はSS、つまり親衛隊の意味となる)を使うことが新たに禁止された[8]。2023年にはイタリア・カルチョで背番号に88を使うことが禁じられた[9]。
非難されたり、処罰されるか否かはその場の状況や行為者の社会的地位や国籍、敬礼を行った時期によって様々である。2017年には連邦議会議事堂前を訪れた中国人がナチス式敬礼をしたとして警察に逮捕され、500ユーロの罰金を科されている。また、2018年、酔ったアメリカ人男性が酒場でナチス式敬礼をした為、暴行を受けるといった事例も存在する[10]。その一方、第二次世界大戦中ドイツと枢軸国としてともに戦った日本の国民的歌手の坂本九が1963年ドイツにおいて明らかにナチス式敬礼と思しきポーズをしながらドイツ語で歌唱し、それに対し観客から好意的に受け止められ喝采を受けている姿が映像記録から確認される[11]。(ちなみにこの時点はナチス式敬礼がドイツ刑法典(StGB)第86a条の前身である1960年の第6次刑法改正法によって追加された第96a条によって禁止行為とされた後に相当する[12][13][14][15][14]。)2007年ドイツにおいて「ハイル・ヒトラー」と掛け声をかけられると右足をナチス式敬礼のように上げるポーズをとる犬が発見され当局によって動物保護施設に収容された。ただし当の犬に対しては行為への責任は問われず、そのような動作をするように調教した飼い主に執行猶予付きの懲役刑と罰金が科せられることになった。ただし飼い主は犬を「ヒトラー」と名付けており、法廷での審理ではそのことの逆説的もしくはアイロニックな意味づけ等については考慮されなかった[16]。
今日、ネオナチは摘発を避けるために肘を伸ばした右腕を斜めに上げ、親指と人差し指と中指のみを伸ばすキューネン式敬礼 (Kühnengruß) を行う事が多い。本来は宣誓のための挙手[17]であったが、転じてヒトラーへの忠誠を誓うという意味を持たせるようになった。1970年代のネオナチによって抵の敬礼(Widerstandgruß、三本指は頭文字のWを示す)として使われ始め、1992年にネオナチ指導者のミヒャエル・キューネンの姓をとってキューネン式敬礼と改称された。
現代のヨーロッパでは、学校で生徒が発言を求める時やレストランで客が店員を呼ぶ時に挙手する場合、挙げた手の人差し指だけを伸ばして他の指は折り曲げ、ナチス式敬礼に見えないようにするのが常識である[18][19]。
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1933年9月、ヴィッテンベルクの国民会議でナチス式敬礼を行うドイツ・キリスト教会のルートヴィヒミュラー司祭ら
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1934年、ベルリンの学校でのナチス式敬礼。この敬礼はドイツの学校で規則化された。
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1936年ベルリンオリンピックの開会式でナチス式敬礼を行うドイツ選手団と観客
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1936年ベルリンオリンピックの授賞式でナチス式敬礼を行う選手と役員
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1936年6月、ハンブルクの進水式でナチス式敬礼を行う人々と、ただ一人行わなかったアウグスト・ランドメッサーの写真
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1943年1月、ベルリンスポーツ宮殿でナチス式敬礼に対して答礼するヒトラー
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「ドイツの挨拶、ハイル・ヒトラー!」と記載されたホーロー看板
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1945年、漫画家のヘルベルト・マルクセンによる風刺画「諸君は総力戦を望むか?」
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2003年、ネオナチのロックコンサート
類似例
[編集]ドイツ共産党員は「 "Heil Moskau!"(ハイル・モスクワ!)」と叫び、右手の握りこぶしを掲げる敬礼を行った。ナチス式敬礼との違いは掲げる手の平を広げるか、閉じるか(握りこぶし)だけだった[20]。
中東に於いては、パレスチナ警察やレバノンの民族主義政党シリア社会民族党、シーア派武装組織ヒズボラがナチス式敬礼を行っている。
イタリアのサッカー選手パオロ・ディ・カーニオが試合中パフォーマンスとして度々ナチス式敬礼をし非難されたが、古代ローマ式敬礼と主張している[21]。スイスでは「宣伝目的でない限りヒトラー式の敬礼は罪に問われない」とする連邦最高裁判所の判例がある[22]。
日本では高校野球での選手宣誓や、国民体育大会での選手行進時の表敬などで類似のジェスチャーが使用されている。例えば、2007年に東京都府中市で開催された第50回市民体育大会の際にローマ式敬礼が多く見られたとして、早稲田大学教授の村井誠人が苦言を呈し[23][24]、議論が発生した[24]。
脚注
[編集]- ^ Winkler, Martin M. (2009). The Roman Salute: Cinema, History, Ideology. Columbus: Ohio State University Press. ISBN 0814208649, 9780814208649.(p74-101)
- ^ Evans, Richard J. (2005). "The Rize of Nazism". The Coming of the Third Reich (reprint, illustrated ed.). Penguin Group. pp. 184–185. ISBN 0143034693, 9780143034698.
- ^ ナチスの敬礼をした庭置き人形、独検察当局が違法性を捜査 - AFP BB News
- ^ Grunberger, Richard (1995). The 12-year Reich: a social history of Nazi Germany, 1933–1945 (illustrated ed.). Da Capo Press. ISBN 0306806606, 9780306806605.
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第七』東京書籍、2016年3月30日、555頁。ISBN 978-4-487-74407-7。
- ^ St. Nick Scandal in Germany: Is Santa Claus a Nazi?
- ^ a b 「「数字でヒトラー礼賛」と指摘 P&Gの洗剤、独で販売停止に」『日本経済新聞』(共同通信社配信記事)2014年5月12日。2024年7月16日閲覧。
- ^ Austria bans 'hidden' neo-Nazi codes on car number plates BBC、2015年7月23日
- ^ “背番号88を禁止 イタリアサッカー、反ユダヤ主義対策で”. AFPBB News. フランス通信社 (2023年6月28日). 2024年7月16日閲覧。
- ^ “酔った米国人男性、ナチス式敬礼して殴られる”. CNN (2018年8月14日). 2018年8月25日閲覧。
- ^ 「坂本九 海外遠征でドイツ語 1963年」『懐かし動画と世界の言語』2022-12-29
- ^ Sechstes Strafrechtsänderungsgesetz vom 30. Juni 1960; zum Gesetzgebungsverfahren siehe sowie.
- ^ “Paragraf 96a”. lexetius.com. Thomas Fuchs. 2024年12月10日閲覧.
- ^ a b Hans-Ullrich Paeffgen, Diethelm Klesczewski in: Kindhäuser/Neumann/Paeffgen/Saliger: Strafgesetzbuch. 6. Auflage 2023, StGB § 86a Rn. 1.
- ^ Gesetz über Versammlungen und Aufzüge vom 24. Juli 1953,.
- ^ 「Dog's Nazi salute lands owner in jail for five months」『Independent』2007-12-21
- ^ http://i30.photobucket.com/albums/c342/zvoncic/handzar_division.jpg
- ^ Misaki Minoura (2021年4月26日). “意外と知らない日本とは違うドイツの生活タブー7選”. Career Management GmbH. 2024年6月22日閲覧。
- ^ 沼口祐子 (2017年3月25日). “日本のような挙手はタブー! ドイツやフランスでは発言するときに「人差し指」をあげる理由”. GetNavi Web. 2024年6月22日閲覧。
- ^ 『ソヴィエト赤軍興亡史Ⅱ』 学研、2001年 P.58
- ^ Nazi deportees speak to Di Canio
- ^ レナート・キュンツィ (2014年6月11日). “ヒトラー式敬礼が許されるスイス 「刑法は鋭い武器であるべき」と法学者”. スイス放送協会 2014年6月29日閲覧。
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ 「第6 点検・評価に関する有識者からの意見 村井 誠人(早稲田大学文学学術院教授)」『平成19年度における府中市教育委員会の権限に属する事務の管理及び執行の状況の点検及び評価に係る報告書』(PDF)府中市教育委員会、2009年1月、36頁。2024年6月27日閲覧。
- ^ a b 運動会の選手宣誓のポーズ、「ナチスを想起させる」? ドイツ出身タレントの指摘で議論広がる (2017/6/21 キャリコネニュース)
関連項目
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