ジェシー・オーエンス(James Cleveland "Jesse" Owens、1913年9月12日 - 1980年3月31日)は、アメリカの男子陸上競技選手。1936年ベルリンオリンピック男子短距離・跳躍種目のそれぞれに優勝し、4冠を達成したことで知られている。カール・ルイス以前はこのオーエンスが有名だった。現在もルイス以前の四冠王として名高い。
世界記録[編集]
オーエンスは1935年5月25日に、わずか45分の間に5つの世界記録と1つの世界タイ記録を樹立し、陸上競技の歴史にその名を轟かせた。このうち、走幅跳で記録した8m13の記録は1960年にラルフ・ボストンに破られるまで25年間世界記録として輝き続けた。
ベルリンオリンピック[編集]
ベルリンオリンピックにおいてオーエンスは、まず100mの予選でオリンピック新記録を樹立する。決勝では、号砲とともに飛び出しリードし追いすがってくる同じアメリカのラルフ・メトカーフを約1m抑え、1つめの金メダルを獲得した。
走幅跳は最初の2つの跳躍がファールになり苦戦するも、ドイツのルッツ・ロングにアドバイスを受け、予選を何とか突破する。一転して決勝では、誰もオーエンスの上位3つの記録に寄せ付けないという圧倒的な力を見せつけ、2つめの金メダルを獲得する(ちなみに銀メダルはアドバイスをしたロング、銅メダルは日本の田島直人だった)。
翌日、オーエンスは200mで2位に4mほどの大差をつけ、難なく3日間で3つめの金メダルを獲得する。さらに4日後には、オーエンスは4×100mリレーの第1走者として出場し、アメリカは世界新記録で金メダルを獲得、オーエンスは4冠を達成した。
この大会は当時のドイツの指導者であるアドルフ・ヒトラーとナチス党が、持論である白人種(ゲルマン民族)の優越性を証明することを望んだ大会である。しかしベルリンの人々は、オーエンスを「オリンピックのヒーロー」として迎えた[1]。
オリンピック後[編集]
オリンピック後、オーエンスはアメリカのみならず世界における陸上界の英雄的な人物となったものの、アメリカ本国では黒人差別の下に馬と競走させられたり(自伝でこれは屈辱であると批判)、賞金稼ぎの競技に参加したことからアマチュアの地位を取り消された上に、その後破産するなど波乱の人生を送ることとなった。しかしその後、慈善活動を行うなどしてその名声と地位を取り戻した。これらの功績により、1976年に大統領自由勲章を受章した[2]。
関連書籍[編集]
関連作品[編集]
- 映画
外部リンク[編集]