ヒトラーユーゲント

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ヒトラーユーゲント
Hitlerjugend
Hitlerjugend Allgemeine Flagge.svg
ヒトラーユーゲント隊旗
略称 HJ
標語 血と名誉(Blut und Ehre)
前身 国民社会主義ドイツ労働者党青年同盟(JdN)
設立 1926年7月4日
解散 1945年10月10日
種類 青年組織
所在地 ドイツ
公用語 ドイツ語
重要人物 バルドゥール・フォン・シーラッハ
関連組織 国家社会主義ドイツ労働者党
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ヒトラーユーゲントドイツ語: Hitlerjugend、略称 HJ: Hitler Youth)は、1926年に設立されたドイツナチス党内の青少年組織に端を発した学校外の放課後における地域の党青少年教化組織で、1936年の法律によって国家の唯一の青少年団体(10歳から18歳の青少年全員の加入が義務づけられた)となった。「ヒトラー青少年団」とも訳される。

概要[編集]

ヒトラーユーゲントにおいては、同世代の指導者から肉体の鍛練、準軍事訓練、祖国愛が、民族共同体の一員である青少年に集団活動を通じて教え込まれた。1936年ヒトラーユーゲント法により青少年(女も10歳〜21歳、女子グループは「ドイツ少女団」と呼ばれた)の参加が義務づけられ、1939年には、800万人を擁する集団へと成長した(1940年のドイツの人口は約7000万人)。戦局の悪化とともに1944年に国民突撃隊に併合された。制服は茶色の開襟シャツであったが、支給はされず自弁しなければならなかった。

ヒトラーユーゲントに所属する青少年らは、ナチ・ドイツの未来を保証するものとみなされ、人種差別を含むナチスのイデオロギーを教え込まれた。当初はキャンプやハイキングといった、1935年に禁止されたボーイスカウト運動と同様の活動であった。しかし、時間の経過に伴い、その内容と意図は変化した。たとえば、武器の訓練、基本的な戦術の学習など、多くの活動は青年教育よりも軍事教練に重点が置かれた。これは、ナチ・ドイツのために兵士として忠実に戦うという意識を刷り込む目的で実施され、ナチスの掲げる理想のための犠牲を惜しまないという思想も含まれていた。

歴史[編集]

結成と経過[編集]

ヒトラーユーゲントの前身は、1922年3月に設立された「Jugendbund der NSDAP」(JdN、国家社会主義ドイツ労働者党青年同盟)である。「JdN」の入隊資格は14歳から18歳までの男子で、そのうち14歳から16歳までは「Jungmannschaften」(青年チーム、意訳)としてグループ化され、年長になると「Jungsturm Adolf Hitler」(アドルフ・ヒトラー青年前衛隊、意訳)とされた。組織は突撃隊 (SA) によって管理され、アドルフ・レンク (de:Adolf Lenk) によって率いられた。JdNは1923年ミュンヘン一揆の首謀者だったヒトラーが逮捕、収監されると崩壊した。

その後、JdN の空白を埋めるために多くの地方青年組織がオーストリアおよびドイツで組織され、レンクおよびクルト・グルーバー (de:Kurt Gruber (NSDAP)) の「Großdeutsche Jugendbewegung」(大ドイツ青年運動)や「Schilljugend」(シル青年団)といった組織が結成された。

1926年にグルーバーの「Großdeutsche Jugendbewegung」がヒトラーユーゲントに改名され、これが後ヒトラーユーゲントの基礎となる。当時のヒトラーユーゲント指導者が党機関内を占めていた地位は明確でなかったが、やがて他の指導者(フランケン・グウゲルなど)の下に多数のヒトラーユーゲント群が結成された。 1928年以降は、アルフレート・ローゼンベルクがナチス青少年運動に助力し、各地の指導者が率いた青少年団体を統一に導いた。同年にヒトラーユーゲントは10歳から14歳の男子部門、 Deutsche Knabenschaft(ドイツ少年団)を結成、1931年には Deutsches Jungvolk in der Hitler-Jugend(ヒトラーユーゲント内ドイツ少国民団、意訳)と改名した。茶色の開襟シャツが制服であった。

1929年の党大会には、初めて2千人のヒトラーユーゲントが行進した。また、Schwesternschaft der Hitler-Jugend と呼ばれた14歳から18歳の女子部門も同年に結成された。それは1930年に Bund Deutscher Mädel(BDM、ドイツ少女団)と改名され、より若い女子部門の Jungmädelgruppe(ドイツ幼女団)は1931年に付け加えられた。

1931年からはバルドゥール・フォン・シーラッハが党の青少年全国指導者となり、ヒトラーユーゲントの育成にあたった。1933年ヒトラー内閣成立以降、ヒトラーユーゲントはなかば公的な組織となり、1934年6月以降は各種青少年団体を吸収して拡大された。1936年12月に「ヒトラーユーゲント法」が成立すると、ヒトラーユーゲントは国家の公式な青少年団体となり、10歳から18歳の青少年全員の加入が義務づけられるとともに、他の青少年団体は禁止された。宗教団体については、1933年以降に数十万人の青少年がカトリック教諸団体からヒトラーユーゲントに移ったが、青年団そのものは暫く宗教指導者の下で活動していた。

1940年アルトゥール・アクスマンがヒトラーユーゲントの指導者に就任した。アクスマンは戦争の激化で枯渇していた人的資源の代替としてヒトラーユーゲントを利用した。消防・郵便・ラジオなどの分野にユーゲントの隊員が投入された。1943年以降、戦局が悪化するとユーゲント隊員は兵として動員されたが、十分な装備や訓練を受けない彼らは多くの死傷者を出した。ヒトラーユーゲントはベルリンの戦いにおいても戦闘に参加し、多くの戦死者を出した。その後、ドイツの降伏により解体消滅した。

ヒトラーユーゲントの訪日[編集]

1936年(昭和11年)11月25日日独防共協定の締結によりヒトラーユーゲント指導者バルドゥール・フォン・シーラッハが日独の青少年相互訪問を提案。日本政府がこれを受け入れた結果、1938年(昭和13年)8月から11月にかけてヒトラーユーゲントの訪日が行われた[1]

滞在中は、明治神宮及び靖国神社を参拝した他、東京陸軍幼年学校も訪問した。

『萬歳ヒットラー・ユーゲント:獨逸青少年團歡迎の歌』

朝日新聞社の依頼により、北原白秋作詞、高階哲夫作曲、藤原義江歌唱による歓迎歌『萬歳ヒットラー・ユウゲント:獨逸青少年團歡迎の歌』が作られ、1938年(昭和13年)10月には日本ビクターからレコードが販売されるなど日本国民を挙げての大歓迎を受け、親独気運の醸成に大きく寄与した。

同時期に日本からは各地の学生、青少年団体職員、若手公務員から成る「大日本連合青年団」(現在の日本青年団協議会)の訪独団がドイツに派遣され、ナチス党大会の参観、ヒトラーと会見して同盟国のドイツの見聞を広めた[2]

日本側とドイツ側の訪日の目的[編集]

ヒトラーユーゲントが、他国との交流に熱心な理由は次の3点にあった[3]

第一にナチ党に対する国際批判を逸らし、他国の青年にナチ・ドイツを理解させるためである。第二に共産主義青年を中心とした反ファシズム運動に対抗するため、第三に他国の文化と接することで自国への理解をより深めるためである。これらが、日本の青少年指導者の支持を得てドイツと日本の青少年の交流が実現された。

また、こうした全般的な交流の理由のほかに、訪日には独自の目的が存在した。第一に、日本滞在中のドイツ人教師にドイツ本国の教育状況を伝えることである。第二に、1940年に予定されていた東京オリンピックの下準備のために日本の状況とスポーツ交流の可能性をさぐることである。第三に、外交官養成の実習の場としても使用された。

日本側の背景および目的としては、以下の4点が挙げられる。第一に日独防共協定を前提としていた点、第二に東洋文化の推進力・アジアの中心勢力としての日本への理解の促進。これは、中国と外交関係を維持していたドイツから日中戦争に対する理解を得ようとする目的があった。

第三に日本国内の諸青少年団の連携を促すこと、そして第四に国体の歴史と民族の伝統を示し国民的精神が形成されていることをドイツに顕示することが目的とされた。

第12SS装甲師団[編集]

第12SS装甲師団“ヒトラーユーゲント” (12. SS-Panzer-Division Hitlerjugend) は、上記のヒトラーユーゲント団員から選抜された少年兵(ほとんどが16、17歳であった)及び第1SS装甲師団から抽出された士官下士官を中心に編制された武装親衛隊の部隊。士官の数が足りず、国防軍の士官を出向させた他、下士官は成績優秀で急進的なユーゲント兵士からも選抜して昇格させた。未成年兵士には成年兵士に支給されるタバコの代わりにチョコレートなどが支給された。

当初1943年装甲擲弾兵師団として編制を開始、間もなく戦車部隊をより強力にした装甲師団に格上げされた。実戦経験豊かな士官が多かったので、実戦に即した猛訓練を積む。連合軍は、同師団を「ベイビー師団」「ミルク師団」と揶揄する宣伝を行ったが、1944年ノルマンディーにおける戦闘では、連合国上陸翌日にカーン攻略を目指すイギリス軍に損害を与え、フリッツ・ヴィット (de:Fritz Witt) 師団長と彼の戦死後に師団長を引き継いだクルト・マイヤーが率いる同師団が2カ月近くも勇猛に交戦するのを目の当たりにすることとなった。

しかし、カーン攻防戦で重装備のほとんどを失い、マイヤー師団長が撤退途中、捕虜となる。その後の再編・補充も充分でないままアルデンヌ攻勢に投入される。1945年、東部戦線に転じてハンガリーにおける武装親衛隊を主力とする最後の大攻勢(春の目覚め作戦)に参加し、壊滅的な打撃を受けた。その後、数少ない残部はオーストリアで終戦を迎えた。

ギャラリー[編集]

文献[編集]

  • 『ヒットラー』(講談社の絵本)、大日本雄弁会講談社、1941年
  • 山口定 『ナチ・エリート』、中央公論社、1976年
  • 平井正 『ヒトラー・ユーゲント・青年運動から戦闘組織へ』、中央公論社
  • H.W.Koch 『ヒトラー・ユーゲント ―戦場に狩り出された少年たち―』 根本政信(訳)、サンケイ出版、1981年
  • ハンス・ペーター・リヒタードイツ語版 『ぼくたちもそこにいた』 上田真而子(訳)、岩波書店、1995年、ISBN 4001131358
    ヒトラー・ユーゲントに所属していた主人公と二人の級友の体験を描く。三部作 『あのころはフリードリヒがいたドイツ語版 』、『若い兵士のとき』 の内の一冊。映画「意志の勝利」に記録されたナチ党大会の様子が体験的に描写されている。
  • Hubert Meyer 『ヒトラー・ユーゲント・SS第12装甲師団史』 向井裕子(訳)、大日本絵画、1998年、ISBN 4-499-22678-3
  • Brenda Ralph Lewis 『ヒトラー・ユーゲント・第三帝国の若き戦士たち』 大山晶(訳)、原書房、2001年、ISBN 4-562-03464-5
  • Mishel Tournier 『魔王』 植田祐次(改訳)、ナポラを題材とした小説、みすず書房、2001年、ISBN 4-622-04809-4
  • クルト・マイヤー『擲弾兵―パンツァーマイヤー戦記』 松谷健二・吉本隆昭 訳、<学研M文庫>、2000年、ISBN 4-05-901160-6
    SS第12装甲師団長。同師団設立からノルマンディーの戦いの様子が語られている。
  • 皆川博子 『総統の子ら』、集英社、2003年、小説
ヒトラーユーゲントに反抗する少年たち
日本にやってきたヒトラーユーゲント

関連作品[編集]

映画[編集]

  • ヒトラー青年クヴェックスドイツ語版(原題:Hitlerjunge Quex)』
    1932年に発行された『Hitlerjunge Quex』をナチ党の権力掌握後にウーファが1933年に映画化した物。主人公のモデルヘルベルト・ノルクス英語版はヒトラーユーゲントであり、共産主義者によって殺害された。彼の死は即座にナチ党のプロパガンダに用いられた。
  • 僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ (原題:EUROPA EUROPA)』
    1990年フランス・ドイツ合作映画。旧ソ連西部に住んでいたユダヤ人少年(容姿は純ゲルマン風)が、侵攻してきたドイツ将校に見込まれて(ユダヤ人でピオネール団員である経歴を伏せ)養子縁組を結んでもらい、ヒトラー・ユーゲントに入団。ユダヤ教徒の印の割礼を必死に隠したりなど苦労を重ねつつ、皮肉にも成績優秀者として認められていく物語(実話)。
  • スウィング・キッズ
    アメリカ映画。ナチス政権下、ハンブルクに住む三人のスウィング・ジャズ好き青年の物語。仲間の内の一人がヒトラー・ユーゲントに入団し、段々、思想的に傾倒して主人公と袂を分かってしまう様などを描く。
  • サウンド・オブ・ミュージック
    映画・ミュージカル・アニメなど様々な形で作品化。ナチスを嫌うオーストリア将校が家長の音楽一家の長女の恋人がヒトラーユーゲントの団員。終盤、スイスへ脱出する一家を目撃し、通報の自粛を懇願する長女を裏切る。
  • 『魔王(原題:Orga)』:Mishel Tournier の小説の映画化。
  • 意志の勝利
  • ジョジョ・ラビット

漫画[編集]

  • ひっとらぁ伯父サン - 藤子不二雄Aの作品。ヒットラーそっくりの男が、町内で和製ヒトラーユーゲントをつくる話である。登場する「黒シャツ少年隊」は、ファシスタ党の民兵の名(黒シャツ隊)にちなむ。
  • アドルフに告ぐ - 手塚治虫の作品。文藝春秋文春ビジュアル文庫全5巻。ヒトラーユーゲントに入団してナチズムに傾倒していくドイツ人青年と、彼の友人であるユダヤ人青年との確執、そしてヒトラー本人(全員のファーストネームがアドルフ)を描く。
  • 黒騎士物語 - 小林源文の作品。日本出版社全1巻。物語の終盤、主人公であるドイツ陸軍将校の部隊に年配者と少年から編成された国民突撃隊が配属され、主人公がこのうちヒトラー・ユーゲントの少年たちに帰郷を命じる場面が登場する。

関連書籍[編集]

関連項目[編集]

ヒトラーユーゲントに参加していた著名人
諸外国における、ヒトラーユーゲントに類似した性質を持つ青少年組織

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 平井正, p124-126
  2. ^ 平井正, p125-127
  3. ^ 大串 隆吉 (1996年). “戦時体制下日本青年団の国際連携 : ヒトラー・ユーゲントと朝鮮連合青年団の間(1)”. 人文学報 31: 153-175. 

参考文献[編集]

  • 平井正『ヒトラー・ユーゲント 青年運動から戦闘組織へ』中央公論新社〈中公新書〉、2001年。ISBN 978-4121015723

外部リンク[編集]