個人崇拝

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個人崇拝(こじんすうはい Cult of personality)とは特定の個人のみを崇拝の対象に据える行為。またはその様式である。

概要[編集]

個人崇拝は様々なレベルで存在し、例えば企業ではカリスマ性のある社長ないし管理職が、マスメディアなどではアイドルタレントなど芸能人がおり、国家というレベルでも絶大な支持を受ける指導者というのも歴史上に散見される。また宗教教祖という形で信仰を集める存在がある。

人間社会的動物である以上、何らかの形で社会に属しているものであるし、またその社会を取りまとめる機能を何がしかに求めるものでもあるため、その延長で優れた施政者ないし祭りにおけるシンボルのような存在が求められもし、このシンボルがトーテムなどのようなものであれ、誰か個人であれ崇拝を被るというのも、よくあることである。そして特定の人物にのみ崇拝が集中するのが「個人崇拝」である。

これが崇拝する側の当人の自由な意思・思想によって支持を行い、また支持される側も適切な指導力・施政力を持つ場合には幸いであることもあるが、こと崇拝される側が自身の持つ権力で崇拝を強要している場合や、まして崇拝される側が無能である場合・有能だとしても人権意識が希薄であったりする場合などの結果はえてして芳しくなく、更には崇拝される側に著しい問題(搾取独善など)がある場合は、彼ないし彼女を崇拝している社会全体に累が及ぶ。

批判[編集]

宗教上の個人崇拝拒否[編集]

宗教では、しばしば個人崇拝は偶像崇拝と並んで忌避される対象であった。これは社会に属する者の幸せと安寧を願うという宗教と、個人に富や権力が集中してしまい易い個人崇拝とが、相容れなかったためだと解される。また一神教では、教祖への個人崇拝は神の唯一性と矛盾するということもある。

このため過去の聖人を称えるための偶像などは忌避された時代もあり、釈迦などはその没後約500年の間は生前の姿を偶像(→仏像)にすることが避けられ、この間は菩提樹ゴータマ・ブッダの菩提樹)や足跡など間接的なシンボルが便宜的に用いられたりもしている。イスラム教にしてもムハンマド・イブン・アブドゥッラーフは神の使徒であるとして崇拝されることを拒絶している。ただし、キリスト教ではイコンなどの形で偶像崇拝は公認されている(偶像の「崇拝」ではなく「崇敬」と主張される)。また、その教義の関係上、ナザレのイエス個人を「神」として崇拝することが一般的に行われている。

政治上の個人崇拝否定[編集]

ソビエト連邦共産党で「1956年個人崇拝とその諸結果について」と題された秘密演説でニキータ・フルシチョフが強烈にスターリン批判を行い、「個人崇拝」という用語が広まる[1]。更に毛沢東とも中ソ対立にて対立、社会共産主義の上で施政者個人を崇拝する(させる)ことは害になるとみなしていた。フルシチョフはヨシフ・スターリン独裁粛清といった行為で反対者を抹殺ないし放逐して支持者ないし恐怖心で支配した人々に個人崇拝されていたことを攻撃、大粛清と呼ばれる弾圧の詳細を暴露し、集団指導の概念を唱えた。

中国共産党でも鄧小平毛沢東への個人崇拝がもたらした弊害への反省から、生前自分への個人崇拝につながりかねない顕彰運動を厳しく禁止していた。

ベトナムホー・チ・ミンは生前個人崇拝を否定していた。

キューバフィデル・カストロ前国家評議会議長は、個人崇拝を嫌いキューバ国内では彼の銅像肖像画は存在しない(代わりにチェ・ゲバラのものが多く作られている)。

歴史的に、北朝鮮で金一族という個人を崇拝し始めたたのは、ソ連軍政当局が金日成を北朝鮮指導者に就かせた解放直後の頃からである。1945年、第2次世界大戦は終息し朝鮮半島は上下(北と南)に分かれた。北の方にはソ連軍が進駐していたが、当時ソ連の司令官であったロマネンコは金日成を一番優れている抗日独立運動家と紹介し、北朝鮮の最高指導者として就かせた。 当時の金日成への崇拝は、「朝鮮の解放者」としての彼の朝鮮抗日闘争運動の業績を称える程度に過ぎなかったが、時間が経つごとにその程度や目的は変質し、もはや常識外れなものとなっていたのであった。

金日成への崇拝行為は1956年の宗派事件をきっかけに、新たなる様相を呈し始めた。 宗派事件が起きる以前までは、党内には金日成以外にも他に数人の指導者がいた。故に、最初はただの「多くの指導者らの中で最も優れている一人」といった意味を込めての崇拝であったが、例の事件後、金日成の展開した抗日武装運動のみ有意味なことなのだと言うような、盲目なまでの崇拝が推し進められた。結局、金日成から始め、金一族の行ってきた数々の活動を絶対化することでその頃の戦時独裁体制を固める原因となった。

例として、1959年5月、朝鮮労働党歴史研究所で発刊した抗日パルチザン(抗日遊撃隊)のエッセー(当時戦場での経験談をまとめ綴ったエッセー集)に書いてあるのは、「金日成は縮地の術で空を飛び回り、砂を米に変え、枯れ葉に乗り大河を渡る」との、まさに現実にありやしない英雄として描かれている。 他にも、「金日成のパルチザン部隊は15年間にわたるおよそ10万回の戦闘で、一度も負けたことがない」と書かれている。それが事実であれば金日成は一日にほぼ20回の戦闘をしていたということになる。 最後に「金日成が睨みつけばいかなる敵であろうと、弱々しい草の如くバタンと倒れ、微笑んで見つめると木に葉が生え、花が咲く」のような、幼い子供にも明らかな嘘だとわかるようなたくさんの伝記が記録されている。


参考[編集]

  • 『フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」』志水速雄翻訳 講談社学術文庫 ISBN 4061582046

出典[編集]

  1. ^ Service, Robert. Stalin: A Biography. p. 362. ISBN 9780674022584.

関連項目[編集]

関連用語