新実智光

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新実智光
誕生 (1964-03-09) 1964年3月9日(53歳)
愛知県
ホーリーネーム ミラレパ
ステージ 正大師
教団での役職 自治省大臣
入信 1986年
関係した事件 坂本堤弁護士一家殺害事件
松本サリン事件
地下鉄サリン事件
判決 死刑(上告棄却)

新実 智光(にいみ ともみつ、1964年3月9日 - )は元オウム真理教幹部。ホーリーネームミラレパ。教団内でのステージは正大師で、教団が省庁制を採用した後は自治省大臣だった。1986年オウム真理教の最初に開かれたセミナーから出席し、宮前一明大内利裕と並ぶ古株。坂本弁護士一家殺害事件松本サリン事件実行犯地下鉄サリン事件では運転手役。2010年2月死刑が確定。

人物[編集]

少年時代[編集]

学生時代は、その風貌から「空海」というあだ名をつけられたこともあった。友人にも恵まれ学生生活も楽しむが、生まれつきあった口唇の傷(口唇口蓋裂)に苦しみ、いじめに遭う[1]。さらに高校生時代に地元の東岡崎駅で目撃した2度の自殺事故に衝撃を受け[2]、「死とは何か」を考え精神世界に興味をもつようになり、多くの宗教団体に入信する。麻原の言う「苦を感じなければ修行の道に入らない」との鉄則を高校時代から感じていた。

高校時代に、その団体に入れば傷や病気が治ると信じ、ある宗教団体に入信するが、教義は「入信しない者の魂は、神の意思によって滅ぼされる」というものであった。新実は、そこには何ら神の愛はない、単なる神のエゴイズムに過ぎぬと感じ脱会する。これは新実にとって、最初の宗教への挫折となる。

読書に打ち込んだり、仙道的なことや瞑想を行うが次第に宗教から遠ざかり、空手など肉体的鍛錬に興味が移る[3]

オウムとの出会い[編集]

その後、愛知学院大学に入学。友人の勧めで大学時代の終わりに、再び別の宗教団体に入信するものの、同様に「よいことをしない魂は滅びる」との教義に「存在というものは、この神々の将棋の駒に過ぎないのか、いつでもその神々の意思によってなくなるのだろうか」との思いをいだく。しかし、新実は「私は決してそうではない、私たちには本当の力があるはずだ、神と同じレベルの魂が内在するはずだ」と感じるに至る。このため、神が持つとされる霊力を自分自身も持ちたいと考えるようになる。

このときにオカルト雑誌『ムー』や『トワイライトゾーン』などで麻原彰晃空中浮揚の記事が目にとまり、ヒヒイロカネのプレゼントに応募したことがきっかけで、大学卒業間近の1986年正月、オウムの前身「オウム神仙の会」のセミナーに参加し、すぐに入会し会員となったが、その際に送られてきた運命鑑定書には、新実が自分では認めたくない隠していた内面が書かれていた。シャクティ―パットとこの運命鑑定書により、さらに傾倒を深め行法を続けると赤と青の光が見えるようになり、著しい精神的変化が起こった。

神秘体験[編集]

麻原彰晃に惹かれたのは、他の宗教の多くが「神の啓示を受けた」とするものが多いのに比し、麻原は自分自身で修行をし苦難を乗り越えた「どこにでもいるような人」であったからだという。最初のセミナーで、新実はその雰囲気が自分自身が求めていたものと直感する。そこでバイブレーションに浸りながら修行することで身体の浄化作用を実体験し、宿便が出たり、体調の回復を実感する。この神秘体験によって、深く麻原に帰依するに至る。当初は半信半疑であったもののその考えは180度転換する。

シャクティーパットにより、アストラル体の浮遊を感得し、体が痺れ多大な至福感を覚える。このときに「麻原に一生付いていくほかない」と確信する。このときの体感を「生死を越える」に詳しく書いている。麻原に礼を言い、道場へ行くと、突然肉体のクンダリニーが昇り、シャクティー・チャクラーが起こる。ムーラ・バンダ、ウディヤーナ・バンダが起こり、その後背中の方が盛り上がり、首のところでジャーランダラ・バンダが起こり、頭の方へすっと抜けた感じがした。これが精神集中やマントラを唱えるだけで自分自身で抑えられないほどに、すぐに起こるようになる。新実自身によれば「この霊的な変化が本当に自分の内面で起こったことをきっかけとして、やっと信に目覚めさせてもらった」という。

卒業後は地元の食品会社就職し営業担当となるが、その後、勤務先でも上司の信頼を得、新入社員の代表にもなることができ業務成績も優秀で、会社始まって以来のもっとも優秀な新入社員とまで評価されるようになった[3]

しかし、その後心が現実生活に向かったため「魔境」に陥り二度も自動車事故を起こした。1987年5月のゴールデンウィークの前頃から事故ヴィジョンが見え始める。通常なら事故のヴィジョンは否定するが、新実は事故を実際に起こせばどうなるかという気持ちが沸き起こり、時速120㎞で田んぼに突っ込んだことがあった。麻原のシャクティ―パットや霊的な体験によって守られているという自信があったため、死なない確信があった。普通なら否定すべき誘惑に引っかかったと感じ、後にそれを「魔境」で「暴力のカルマ」だったと受け取った。5月に新実は「魔境へ入り込んだ」と信じ込み、会社を半年で退職

出家[編集]

1987年9月にセミナーでサンガ(出家制度)が結成されたことを知り、即出家を決意。五体投地や麻原の手伝いを行う。サンガで麻原の元で修行を積み、11月には魔境から出たと感じた。先の「暴力のカルマ」は「女性に対してのカルマ」に変化していったと感じる。当時の容貌を「強姦魔」のようだったと感じ、潜在意識表層意識に現れ、心に落ち着きがなくなったと感じていた。その後、オウム内での本の営業のワークに集中することで魔境から脱したという[3]

新実はシッディの経験が豊富で、光が見えたり、変化身が抜け出したり、過去世を思いだすなどの経験があった。空中浮揚の前段階といわれるダルドリー・シッディツァンダリ―のセミナー頃から起こりはじめ激しいクンダリニーの突き上げがあった。頭が空白になり跳んでいる間も意識がない状態を経験するが、それをきっかけにグル・ヨーガ、ツァンダリ―の瞑想を始めサハスラーラに精神集中するだけでぴょんぴょん跳ねだすようになる。この時は寝てもたっても跳ね回っていたため、麻原がヒヒイロカネをバケツ一杯持たせたが、それでも飛び跳ねていた。

その後、15日間にわたる独房修行にて三昧境に入り黄色い光に包まれ、意思のヨーガ ― ラージャ・ヨーガの成就者であるラトナサンバヴァと同一化して黄色の化身となり、光の中に没入した状態となり、それを「ではなく」の状態と感じ例えようのない至福感を味わう。その瞑想の最中に麻原からの電話で成就したことを告げられる。この新実の成就に関して麻原は「最後のエネルギーの固定はまだまだだが、成就と判断したのは六神通の中で過去世をかなり見た、ダルドリー・シッディが早くから起きている、グルを意識すると快感状態になるという条件を満たしている」とコメントした[3]

また、前世に並々ならぬ興味を持っており、他の信者とも前世を話題にすることが多かった。麻原の4女の松本聡香(ペンネーム)を追い回しては「さとちゃんはどこから来たの」と聞いていたが、聡香が1度だけチベット密教カギュ派の僧侶の名前を思いつきで答えたところ、逮捕されたあとに面会に来た信者に伝え広めた[4]

1987年12月3日、24歳のときにオウム真理教内の独房に2週間こもり、クンダリニー・ヨーガを成就したと麻原彰晃に認定され、大師のステージとミラレパのホーリーネームを授けられる。

1990年2月1990年の衆議院議員選挙真理党候補として東京10区から出馬し落選した。7月8日、26歳のときにマハー・ムドラーの成就を認定され、正悟師となる。

1992年9月教団のロシア進出に伴い、ロシア支部の初代支部長を務めながら頻繁に日本との間を往復する。

事件への関与[編集]

一連のオウム真理教事件で計11件で26人の殺人に関与したとして殺人罪などに問われた。死者26人は麻原彰晃の27人に次ぐ死者数である。なお公証人役場事務長逮捕監禁致死事件については被害者の死亡には関与していないが、新実の被害者への死亡への関与が認定されなかったのはこの事件のみである。

当初男性信者殺害事件では犯行後、茫然自失に陥り、後悔の念をあげたりしていた。坂本堤弁護士一家殺害事件の際にも精神的に不安定になり、山に死体を埋めにいった時には、新潟の海岸でひとり呆然としていたという[7]。だが中川智正端本悟とそれぞれ5日間独房に監禁されたり、麻原から与えられた「悪業によって地獄に至っても本望だ」などという詞章を数万回唱えるなどして洗脳され[5][8]、その後、数年間教団の信者の指導、監督、スパイ、拷問などを担当、苦しませるのを楽しんでいるような雰囲気すら持つようになっていった[9]地下鉄サリン事件では人が倒れているのをテレビで見て「グルの意思を達成できて嬉しかった[10]」という。

一方で麻原に指示されたマイクロウェーブ焼却炉での殺害を避けたり殺害した者の転生を麻原に伺ったり共犯者に対して犯行前に意志の確認を行ったりするなどと人間味も見せている。

岡崎一明は新実を「村井と同じくらいかわいがられていた。日本語の解るドーベルマン」と評している[11]

裁判[編集]

1995年4月12日、霞ヶ関のマンションで逮捕される[12]。取調官には「自分を尊師と一緒に日比谷公園公開処刑してほしい」と言ったとされる[13]

法廷では、「尊師と一緒に断罪されたい」「ポアは慈悲の心による救済」と麻原崇拝とオウムの思想を捨てることなく、最後まで事件の正当性を主張し、「私自身は、千年王国、弥勒の世のためには、捨て石でも、捨て駒でも、地獄へ至ろうと決意したのです。つまり、多くの人の喜びのために、多くの人の救済のために、この身体、この生命を投げ捨てて殉じようと覚悟したのです[14]」と語り、「日本シャンバラ化計画オウム真理教の国家転覆計画)が実現させられず申し訳ない」と別の意味での謝罪を行った。贖罪としては死刑となり、来世において真理勝者になることしかないとした[15]。また、内乱罪の適用を主張した[12]

麻原の裁判に証人として出廷した際には麻原を守るためか黙秘することもあったが、自分の裁判では「オウムの正史を残すため」として、事件の全貌を率直かつ正確に答えた。やがて麻原の裁判でも尊師は悟っておられるから問題ないはずとして事件の内容を語り始め、麻原が新実に「消えろ」「破門だ」などと怒鳴り証言妨害をしようとする場面もあった[16]

第一審控訴審死刑判決を受け、上告したが2010年1月19日棄却2月16日に判決に対する最高裁への訂正申し立ても棄却され死刑が確定した。オウム真理教事件で死刑が確定するのは10人目[17]

被害者に対しては、「オウムの犯罪の原点とされる富士山総本部のリンチ殺人事件から最後に関わった地下鉄サリン事件まで、すみませんとか申し訳ないとか言うつもりはありません。それを言うくらいなら、最初からしなければいいのです[18]」、「全ては因果応報。罪の無い人達が亡くなったのではなく何らかの原因がある[19]」と、決して最後まで謝罪しなかった。論告求刑公判では検察側が論告を読み上げるのを声をあげて笑っていた[20]

獄中からも、信者たちへ教義の指導を続けていた。2006年7月から2007年4月までの1年間文通をしていた麻原の四女松本聡香から「責任も取れないのに、そんなことをするのはよくないのではないか」と疑問を呈される。四女との面会の際に新実が「すべてはシヴァ神の意思なのですよ」というのに対し、四女が激しく反発したところ、「責めないでほしい、責めるならやり取りはやめる」と言い、それ以降二人の交流はなくなる。

2015年高橋克也の裁判に証人として出廷した。麻原への帰依は変わっていなかった[10]

2017年現在、東京拘置所収監されている。

人は皆 時の定まぬ 死刑囚 会って別れて 夢と消えゆく

雨が降り 天が泣くのか 水無月に 大地うるおす 慈悲の甘露

— 死刑判決を受けて発表した短歌二首[21]

結婚・妻の不倫[編集]

2012年アレフ信者の女性と結婚。2016年、結婚直後の妻の以前の不倫相手男性2名に対し、「著しい精神的苦痛を被った」としてそれぞれに100万円の損害賠償請求訴訟を起こす。裁判記録によれば、「原告にとってとの交流は生きがいであり、人格的生存に直結することであった。その妻に不貞されたことは、多大な精神的苦痛を与えるものであった」ことや不倫発覚後、急激にやつれ体重が10㎏以上も減って戻らなくなったこと、妻を信じていただけにその苦痛は他人には到底わからない。妻を孤独にさせたのは自分の責任ではあるが、そこに付け込んで単に性欲のはけ口に妻を悪用された私の身にもなってほしい、などという陳述書が添付されていた。裁判では不倫は認定され、新実が出廷できず提訴取り下げ処置となった1件は別にして、他の1件では和解が成立。被告は80万円を支払った[22]

公安関係者の話によれば、新実の妻は貞操観念が緩い女であり、そのことをネタにアレフに男性を勧誘したとして2013年に逮捕され、翌年には有罪判決を受ける。このため、獄中の新実の知るところとなり、上述の結果を招いた。その後、妻はアレフを脱退。妻によれば新実は、訴えたいという気持ちと恥ずかしい、みっともないという気持ちのはざまで揺れていたが、3年の時効が近づいたため提訴に踏み切った。和解金は支援団体に寄付したという[22]

新実と妻はその後「愛の交換日記」などと書かれた週2回の手紙を欠かさない。独房では瞑想ヨガ三昧で、修行のため食事も1日1回に制限しているという。また、死刑執行後は「ガンジス川遺骨を流してほしい」と関東連合石本太一に依頼したという。民事訴訟したうちの一人については、刑事告訴でも訴える構えで準備を行っているという[22]

脚注[編集]

[1]

  1. ^ 中島尚志『オウムはなぜ消滅しないのか 』 p.79
  2. ^ 降幡賢一『オウム法廷12』 p.123
  3. ^ a b c d マハーヤーナ1988年 NO.1O号)
  4. ^ 松本聡香『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店 2010年3月)ISBN 4198627533ISBN 978-4198627539
  5. ^ a b 平成7年刑(わ)894号 平成14年7月29日 東京地方裁判所
  6. ^ 東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』 p.102、江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記2』 p.162
  7. ^ 『オウム法廷12』 p.347
  8. ^ 『オウム法廷12』 p.164
  9. ^ 江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記1』 p.165
  10. ^ a b 新実死刑囚まだ洗脳状態 法廷で「サリンは救済の一環 - 東京スポーツ /2015/2/20
  11. ^ オウム裁判ウォッチャーH氏の法廷傍聴記(#1) 坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会
  12. ^ a b 東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』 p.103-104
  13. ^ 『オウム法廷12』 p.39
  14. ^ 『オウム法廷12』 p.32
  15. ^ 『オウム法廷12』 p.32
  16. ^ 『オウム法廷12』 p.32, 152, 231, 265
  17. ^ オウム事件の新実被告死刑確定へ 10人目、最高裁上告棄却 47NEWS 2010/1/19
  18. ^ 毎日新聞社会部『元信者への死刑判決 (オウム「教祖」法廷全記録)』
  19. ^ 『オウム法廷12』 p.263
  20. ^ 『オウム法廷12』 p.268
  21. ^ 『オウム法廷12』 p.365
  22. ^ a b c デイリー新潮 - 「オウム」新実死刑囚、獄中から妻の不倫相手を提訴 2017年5月18日

関連事件[編集]

外部リンク[編集]