UFC

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Ultimate Fighting Championship
UFC logo.svg
設立 1993年
主催 WME-IMG
本部 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ネバダ州ラスベガス
代表者 ダナ・ホワイト
サイト 公式サイト
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UFC 74での試合の様子

Ultimate Fighting Championship(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ、略称UFC)は、アメリカ合衆国総合格闘技団体。


概要[編集]

アメリカケーブルテレビPPVで始まった企画ではあったが、それまでブラジルで行われた何でもありルールの「バーリトゥード」と呼ばれる総合格闘技を世界に本格的に紹介することになった。「金網、究極ルール」という演出で、その後、世界各国において総合格闘技の大会が開催されるようになるなどの影響を及ぼした。

初期は体重無差別によるワンデートーナメントであったが、その後は階級別でのタイトルマッチによりチャンピオンを決定しており、かつて「ルール無しルール」による喧嘩大会の様相で始まったUFCは現在ではコミッションによる裁定、階級別によるマッチメイク等、確立したスタイルとして整備された。

1993年から2000年まではSEG(Semaphore Entertainment Group)社、2001年以降はズッファLLCが運営に当たっている。

歴史[編集]

草創期[編集]

グレイシー一族が様々な格闘技の猛者や道場破りと対戦する様子を収めたビデオ"グレーシー柔術・イン・アクション"を見て触発されたアート・デイビーが、"War of the Worlds"と名づけた8人制の格闘技トーナメントをジョン・ミリアスホリオン・グレイシーに企画提案したのがUFC発足の発端になった。映画監督・脚本家でグレーシー柔術を習っていたミリアスはこの申し出を快諾、企画のクリイエイティブ・プロデューサーに就任する。 デイビーは投資家から資金を調達してWOWプロモーションズを設立し、マルチナ・ナブラチロワジミー・コナーズなどを配給した老舗ペイ・パー・ビュー配給会社のセマフォ・エンターテイメント・グループ(SEG)と1993年5月に契約を交わした。SEGはアートディレクターのジェイソン・カッソンに依頼して試合場のオクタゴンを製作、大会の名称を"アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ"と命名するなど、UFCの基礎を構築することになる。

1993年11月12日、WOWプロモーションズとSEGが第一回大会のUFC 1コロラド州デンバーのマクニコルス・スポーツ・アリーナで共同開催。アート・デイビーはマッチメイカーを担当した。

1995年4月、UFC 5の大会後、アート・デイビーとホリオン・グレイシーがUFCの所有権をSEGとWOWプロモーションズに売却。デイビーは権利売却後もマッチメイカーとコミッショナーとして1999年12月まで在籍した。

ノー・ホールズ・バード禁止法[編集]

ホイス・グレイシーが活躍した初期大会のPPVの契約数は数十万を獲得したとも言われ成功を収めたが、それが逆に既得権益を脅かしかねないと、ボクシング業界に警戒感を抱かせることになった。同時に、親ボクシング派のアメリカ共和党上院議員ジョン・マケインなどが中心となって、アメリカ全50州の知事へUFCを追放するよう要請する手紙を送るなど、UFCは「人間による闘鶏」にすぎず暴力的で危険であるとUFC禁止を訴え、バッシングキャンペーンを展開。この結果ニューヨーク州を含む36州でノー・ホールズ・バード禁止法(ノー・ホールズ・バードは当時の総合格闘技の呼び名)が成立した。また、総合格闘技が禁止されなかった州でも、ネバダ州のように、スポーツ興行を管轄するアスレチック・コミッションが、UFCへ大会開催許可を出さない州が出始めたため、UFCは規制の緩い州を転々とするしか無くなり追い詰められていった。さらに、1997年にマケインが上院議会商業委員会委員長に就任すると管轄下のペイ・パー・ビュー業界に働きかけ、UFCのペイ・パー・ビューをケーブルテレビで配給する会社が次々に撤退したことで、アメリカではマイナーな存在である衛星放送テレビでのペイ・パー・ビュー配給を余儀なくされ、ペイ・パー・ビューの販売も低迷、SEGの経営状況は悪化していった[1][2]

初期の同大会は総合格闘技のセオリーがほとんど知られていなかったため、試合はさながら街の喧嘩のような殴り合いでしかなく、右手はボクシンググローブで左手は素手という姿の選手も現れ、格闘技の経験者からは酷評されることになった[3]。また出場していた選手の流派は数多く、さらにはアマチュアからプロの格闘家まで多岐に渡っていたが[4]、第1回大会では、名の通った選手はパンクラスケン・シャムロックと極真空手やリングスで活躍したジェラルド・ゴルドーのみで、ほとんどは全く無名の選手ばかりであった。当時すでに下り坂にある選手と見られていたゴルドーだったが、ほぼ全ての選手が緊張し興奮した状態で試合をしていたのとは対照的に、的確に相手の急所に突きや蹴りを入れて決勝まで勝ち進んだことで、その評価を払拭した。また、ケン・シャムロックは、2回戦でホイスにチョークスリーパーで敗れたものの、その後はUFCの顔としてホイスと好勝負を繰り返した。

日本では紹介され始めた当初、UFCを「アルティメット大会」、あるいは単に「アルティメット」と呼称することが多かった[5]。「アルティメット」という呼称は、UFCのみならず、同種の何でもありルールの大会の代名詞としても用いられた。今日では一般に本国アメリカと同じく、日本でもUFCと呼ぶのが通例である。

初期のUFCは、規制のほとんどない体重無差別のワンデートーナメント形式であったが、徐々にルールが整備されていった。危険な行為が禁止されるようになり、体重別の階級制も導入され、ひとりの選手が一日に二度以上試合を行うワンデイ・トーナメントが行われることもなくなった。またUFCとは無関係のローカル大会が多く開かれるようになり底辺も広がった。さらに、競技人口の多いレスリングの選手が多く参入したこともあり、選手のレベルが向上した。結果、初期の様な喧嘩さながらの試合はなくなり、より洗練された格闘技となった。特定の格闘技のバックボーンを持たない喧嘩屋タンク・アボットをブラジルの柔術家ビクトー・ベウフォートがボクシングテクニックでKOしたUFC 13での試合は、喧嘩から格闘技へと進化したUFCの象徴的な出来事であろう。

ズッファによる買収[編集]

2001年にSEGはUFCをズッファに200万ドルで売却した[6]ことでUFCは大きな転機を迎えた。ズッファはラスベガスに「ステーション・カジノ」というカジノを経営するイタリア系の会社でオーナーはロレンゾ・フェティータである。前述の通りUFCはアスレチック・コミッションの力が強い州では興行が行えなかった[7]。しかしボクシング業界と表裏一体にあるカジノを運営するズッファ社はコネクションを使い総合格闘技の公式ルールを制定させた。そのため、一時期のバッシングから起こった、ケーブルテレビでのPPVの打ち切りや、コミッションの力が弱い片田舎でしか興行を行えないといった事態を脱し、ラスベガスのホテルで興行を行えるようになったのである。

2005年からアメリカのケーブル局Spike TVで新人UFCファイターを発掘、育成すると言うテーマのリアリティ番組The Ultimate Fighter」の放送が開始され高視聴率を獲得した。また同局が放送していたプロレスWWERAWが放送局移動になったため、後釜として放送されることになったUFCも相乗効果で高視聴率をマークした。これが原動力となり、2006年5月27日のマット・ヒューズホイス・グレイシーをメインにしたUFC 60ではPPVが60万件を記録するなど、この大会以降、PPVの売り上げが軒並み数十万件を記録する盛り上がりを見せている。2006年のPPVの売り上げはボクシングとWWEを超えたと言われている[8]

2005年8月からは、Spike TVにおいてUltimate Fight NightというUFC本戦の二軍的大会の無料放送が開始され、Spike TV開局以来の最高視聴率をマークするなど高い人気を博した[9]

2005年12月にズッファは、活動停止したアメリカの総合格闘技イベントWFAからリョート・マチダクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンヒース・ヒーリングら主力選手の契約を取得する事実上の買収を行った[10]。さらに2006年12月にアメリカの総合格闘技団体World Extreme Cagefighting (WEC) を買収。WFAとは異なり、WECはUFCとは独立運営される形で存続し、バンタム級とフェザー級を中心とした軽量級の大会にシフトしていくことになった[11]

PRIDEの買収[編集]

2007年3月27日、ズッファ社のオーナーであるロレンゾ・フェティータが日本の総合格闘技イベント『PRIDE』を買収し、運営会社として新会社「PRIDE FC WORLDWIDE」を設立することを発表した

2007年10月4日、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所が解散し、旧DSEの日本人運営スタッフは全員解雇された。10日のズッファの声明では、日本でPRIDEをイベントとして開催することが不可能になったとし、その一方でPRIDEのブランドは引き続き保持していくとしている[12]

WECを統合[編集]

2010年10月28日、ズッファ傘下にあったWECをUFCに統合することが正式に発表され、2011年1月1日のUFC 125以降、フェザー級・バンタム級を加えた7階級体制での運営となることが発表された[13][14]。WEC世界フェザー級王者ジョゼ・アルドと同バンタム級王者ドミニク・クルーズが初代UFC王者に認定された。

Strikeforceの買収・統合[編集]

2011年3月13日、全米第二のプロモーションであったStrikeforceがズッファにより買収され、以前のWEC同様別ブランドとして活動していくことが発表された。12月にはStrikeforceヘビー級を廃止しUFCに統合した。

2011年8月18日、4大ネットワークのひとつFOXとの複数年の放送契約が合意したと発表した[15]

2011年10月、ブラジル最大のテレビ局ヘジ・グローボと放送契約を結んだと発表した。

2012年3月、フライ級を新設。8階級体制での運営となった。

2012年12月6日、Strikeforce女子バンタム級廃止に伴い女子バンタム級を新設。Strikeforce女子バンタム級王者ロンダ・ラウジーが初代UFC王者に認定されUFC女子選手第1号となった[16]

2013年1月12日のStrikeforce: Marquardt vs. Saffiedineを最後にStrikeforceとSHOWTIMEの契約が終了したためUFCに統合。Strikeforce所属選手21人と契約を結んだ[17]

2013年2月5日、UFC公式ランキングを開始した。

2013年12月、UFCファイトパスを開始した[18]

2013年12月、女子ストロー級を新設。Invicta FCストロー級王者カーラ・エスパルザを含むInvicta FCストロー級の選手すべてと契約し、男女9階級体制での運営となった[19]

2014年12月2日、リーボックとの6年間のスポンサー契約を発表した[20]

2014年12月16日、独占禁止法違反で元選手数名から起訴を起こされた[21]

2015年6月3日、全米アンチドーピング機構(USADA)と契約して、抜き打ち検査が実施されるようになり薬物検査が強化された[22]

WME-IMGによる買収[編集]

2016年7月11日、4大エージェンシーのひとつ「WME-IMG」が40億ドル(約4200億円)で買収した[23]

ルール[編集]

ラウンド[編集]

UFCではいずれの試合も5分3ラウンド(延長なし)で行われるが、タイトルマッチ(暫定王座戦を含む)は5分5ラウンドで行われる。 2011年11月5日に開催されたUFC 138より、メインイベント(ノンタイトルマッチを含む)は5分5ラウンドで行われる事となった[24]。 ラウンド間のインターバルは1分間であり、ラウンド終了時にはゴングではなくブザーが鳴る。なお、ノンタイトル戦は原則として行われず、王者の試合は必ずタイトルマッチとなる。

勝敗・判定[編集]

試合は1名のレフェリーと3名のジャッジによって裁かれ、勝敗の裁定はノックアウト(KO)、テクニカルノックアウト(TKO)、サブミッション(タップアウト、口頭によるギブアップ、打撃等による戦意喪失)、テクニカルサブミッション(見込み一本)などによる。また、判定はラウンドごとに3人のジャッジがそれぞれ一方に10ポイント、他方に9ポイント以下を付け、各ラウンドのポイントの合計で勝敗を決するラウンドマスト制を採用している。そのため、必ず勝敗がつくマストシステムではなく、ジャッジの合計ポイント次第ではドロー裁定もありうる。

なお、判定の呼称にはユナニマス(Unanimous、3-0)、スプリット(Split、2-1)、マジョリティ(Majority、2-0)、ドロー(Draw、1-1, 1-0, 0-0)がある。

試合場[編集]

UFCの試合はオクタゴンと呼ばれるケージ(金網)で囲われた8角形の舞台で行われる。ケージの直径は8m[25]で、フェンスの高さは6フィート(約1.83m)[要出典]、面積は約42畳である。[26]このオクタゴンは映画監督のジョン・ミリアスが考案したものである[27]。ミリアスは初期UFCのプロデューサーであるホリオン・グレイシーの友人であった。

その他[編集]

選手はスパッツ(トランクス)と、規定に基づく4 - 6オンスのオープンフィンガーグローブ以外いかなるものも身に着けてはならない。道着やシューズ、ロングタイツの着用は禁止されている。

反則[編集]

  1. ヘッドバッティング
  2. 局部への攻撃
  3. 眼球への攻撃
  4. 噛み付き
  5. 髪を引っ張る行為
  6. 鼻腔・耳腔・口腔等の穴に指を引っ掛ける行為
  7. 鼻腔・耳腔・口腔等の穴や、裂傷した部分に指を入れる行為
  8. 小さい関節への攻撃
  9. 背骨や後頭部への打撃
  10. 肘を上から下に打ち下ろして肘の先端を当てる打撃(それ以外の肘を使った打撃はOK。斜めに角度を付けて振り下ろす肘は反則に取られない)
  11. 喉への打撃や喉を掴む行為
  12. ひっかく、つねる等の行為
  13. 鎖骨を掴む行為
  14. グラウンド状態の相手の頭へのキック攻撃(サッカーボールキック、蹴り上げ[28]
  15. グラウンド状態の相手の頭への膝攻撃(いわゆる4点ポジションの膝蹴り)
  16. グラウンド状態の相手を踏み付ける行為
  17. 腎臓の部分を狙ってかかとで蹴る行為(いわゆるガードポジションでの踵落とし)
  18. 相手の頭や首をマットに突き立てるような攻撃
  19. オクタゴンの外に相手を放り出す行為
  20. 相手の着衣やグローブを掴む行為
  21. つばを吐きかける行為
  22. 相手の怪我の原因になるようなスポーツマンらしくない行為
  23. オクタゴンのフェンスを掴む行為(フェンスを掌で押す、蹴る行為は認められている)
  24. 罵声を浴びせる行為
  25. ブレイク中に相手を攻撃すること
  26. レフェリーに保護されている相手を攻撃すること
  27. 終了のゴングがなった後の攻撃
  28. レフェリーの指示を無視すること
  29. 相手との戦いから逃げるような恣意的行為又は怪我のふりをする、マウスピースを頻繁に落とす等を含む臆病な行為
  30. コーナーの人間が邪魔をする行為
  31. 試合中にタオルを投入すること

ルールの変遷

UFC 1(1993年11月12日)
反則は目潰しと噛み付き・金的攻撃のみ。1ラウンド5分の無制限ラウンド制。体重は階級制無しの無差別で、決着は選手の降参かノックアウト、セコンドのタオル投入によるストップのみでつき、グローブおよび道着・シューズ等の着用は自由であった。
UFC 2(1994年3月11日)
1ラウンド5分のラウンド制を廃止して時間無制限に変更され、金的攻撃も有効とされた。
UFC 3(1994年9月9日)
完全なKO決着がなくとも、レフェリーの判断で試合を止めるレフェリーストップが導入され、またシューズを履いたままでの蹴りが禁止となった。(後にシューズを履いたままでのグランド状態の選手への蹴りの禁止に変更される)
UFC 5(1995年4月7日)
試合時間に制限が導入され、トーナメント1回戦・準決勝は20分、トーナメント決勝およびスーパーファイトは30分に改められた。
UFC 6(1995年7月14日)
試合が膠着したときに、選手をブレイクしてスタンド状態から試合を再開させる権限がレフェリーに与えられた。 
Ultimate Ultimate 1996(1996年12月7日)
試合でオクタゴンの金網を掴む行為が禁止された。
UFC 12(1995年4月7日)
ヘビー級(+91kg)とライト級(-91kg)が設置され、初めて階級制が導入された。
UFC 14(1997年7月27日)
公式オープンフィンガーグローブ(4-6オンス)の着用が義務付けられた。
UFC 15(1997年10月17日)
頭突き、金的、頚部および後頭部への打撃、ダウンした相手への蹴り、指などの小さな関節を取ること、髪を引っ張ることが禁止となった。
UFC 17(1998年5月15日)
トーナメントが実施された最後の大会(日本大会UFC 23を除く)
UFC 21(1999年7月16日)
1ラウンドの制限時間が5分間に改められ、ノンタイトル戦は5分3ラウンド、タイトル戦は5分5ラウンド制となった。また、ボクシングに倣い、判定においてラウンドマスト制が導入された。
UFC 28(2000年11月17日)
ダウンした相手の頭部への蹴りおよび膝蹴りの禁止(頭部以外は可)、脊椎と首への肘打ちの禁止が導入され、シューズや道着などの着用が不可となり、また出場のための医学的な必要条件が厳格化され、出場選手への健康状態の厳しいチェックも行われるようになった。
UFC 31(2001年5月4日)
階級区分が変更され、旧バンタム級は現在のライト級へ、旧ライト級は現在のウェルター級へ、旧ミドル級は現在のライトヘビー級へそれぞれ移行し、新たに現在のミドル級が設置された。
UFC 138(2011年11月5日)
ノンタイトル戦であっても大会のメインイベントは5ラウンド制に変更された。

階級・王座[編集]

男子[編集]

階級 重量区分 現王者 防衛回数
ヘビー級 -265lbs: -120.2kg アメリカ合衆国の旗 スティーペ・ミオシッチ 0
ライトヘビー級 -205lbs: -93.0kg アメリカ合衆国の旗 ダニエル・コーミエ
アメリカ合衆国の旗 ジョン・ジョーンズ(暫定)
1
0
ミドル級 -185lbs: -83.9kg イギリスの旗 マイケル・ビスピン 0
ウェルター級 -170lbs: -77.1kg アメリカ合衆国の旗 タイロン・ウッドリー 0
ライト級 -155lbs: -70.3kg アメリカ合衆国の旗 エディ・アルバレス 0
フェザー級 -145lbs: -65.8kg アイルランドの旗 コナー・マクレガー
ブラジルの旗 ジョゼ・アルド(暫定)
0
0
バンタム級 -135lbs: -61.2kg アメリカ合衆国の旗 ドミニク・クルーズ 1
フライ級 -125lbs: -56.7kg アメリカ合衆国の旗 デメトリアス・ジョンソン 8

女子[編集]

階級 重量区分 現王者 防衛回数
バンタム級 -135lbs: -61.2kg ブラジルの旗 アマンダ・ヌネス 0
ストロー級 -115lbs: -52.2kg ポーランドの旗 ヨアナ・イェンジェイチック 3

UFCはネバダ州アスレチック・コミッションの定める階級制に則り、ヘビー級からストロー級の9階級体制で行われている。そのため、通常はこれらの階級に沿った試合が組まれるが、稀にキャッチウェイトバウト(契約体重試合)として、上記以外の契約体重を設定して試合を行うこともある。

公式には上記の階級以外にもスーパーヘビー級(265lbs-)が設置されているが、UFC 28においてジョシュ・バーネットガン・マッギーの1試合が行われたのみ。

公式ランキング[編集]

2013年2月5日、UFC公式サイト[29]でランキングを公開した。 米国の格闘技記者達が、階級ごとに王者以外の選手に1位から15位をつける形式で投票し、パウンド・フォー・パウンドのランキングは王者も投票対象となる。サイトでは記者達の投票を総合したランキングのほか、記者毎のランキングを参照することも可能となっている。

ボーナス[編集]

UFCではイベント毎にファイト・オブ・ザ・ナイトパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトの各賞が設けられており、受賞した選手にはファイトマネーとは別に、5万ドルのボーナスが支給される。

ファイト・オブ・ザ・ナイトには当該イベント中の1試合(該当する試合の勝者・敗者の2名)、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトは当該イベントでベストなパフォーマンスを見せた選手が選ばれるが、受賞に関しては明確な基準はなく、主催者側の判断に委ねられている。

また、ファイト・オブ・ザ・ナイトとパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを同時に受賞することも可能で、その場合は合計10万ドルが該当選手に支給される。体重超過した選手は対象外となる。

なお、UFC 169以前の大会までは現行のパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトの代わりに、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトサブミッション・オブ・ザ・ナイトの各賞が設けられていた。 ノックアウト・オブ・ザ・ナイトは当該イベントでKO(TKO)勝利した選手のうち1名、サブミッション・オブ・ザ・ナイトはサブミッションによる一本勝利した選手のうち1名が選出されていた。

UFC殿堂[編集]

UFC Hall Of Fame(ユーエフシー・ホール・オブ・フェイム)は、2003年11月21日、10周年大会のUFC 45から始まったUFCの功労者を称える制度であり、殿堂入りを果たした選手はオクタゴン型の透明の盾を授与される。最初に殿堂入りを果たしたのは、ホイス・グレイシーとケン・シャムロックだった。3人目は2005年4月16日のUFC 52ダン・スバーンが表彰された。4人目にはヘビー級・ライトヘビー級の2階級で王者になったランディ・クートゥアが、5人目には初代世界ヘビー級王者マーク・コールマンが選ばれた[30]

No. 名前 日付 特記事項
1 ホイス・グレイシー 2003年11月21日 (UFC 45)
2 ケン・シャムロック 2003年11月21日 (UFC 45)
3 ダン・スバーン 2005年4月16日 (UFC 50)
4 ランディ・クートゥア 2006年6月24日 (The Ultimate Fighter 3 Finale)
5 マーク・コールマン 2008年3月1日 (UFC 82)
6 チャック・リデル 2009年7月10日 (UFC 100)
7 チャールズ・ルイス・ジュニア 2009年7月10日 (UFC 100) 選手以外では唯一の殿堂入り[31]
8 マット・ヒューズ 2010年5月28日 (UFC 114)
9 ティト・オーティズ 2012年7月7日 (UFC 148)
10 フォレスト・グリフィン 2013年7月6日 (UFC 162)
11 ステファン・ボナー 2013年7月6日 (UFC 162)
12 パット・ミレティッチ 2014年7月6日(UFC 175

制度改革[編集]

不定期・不規則に運営されていた殿堂制度をグレードアップし、今後、次の4つの部門にわけて、選考・表彰されることになった[32]

現代部門(Modern Era Wing)

対象者はプロMMAデビューが2000年11月17日以降である者

パイオニア部門(Pioneers Era Wing)

対象者はプロMMAデビューが2000年11月17日以前である者

裏方部門(Contributor Wing)

対象者は選手以外でUFCに多大な貢献があったレフリー、ジャッジ、トレーナー、コミッショナー、アナウンサー、解説者、プロモーターなどの個人もしくはグループ

ベストファイト部門(Fight Wing)

UFC史上に残る好試合、重要試合で、行われてから5年以上経過している試合

殿堂入りの条件は選手の場合、35歳以上であるか、引退してから1年以上が経過した者とされている。

No. 現代部門 パイオニア部門 裏方部門 ベストファイト部門 日付 特記事項
1 BJ・ペン バス・ルッテン ジェフ・ブラトニック マット・ヒューズ vs. フランク・トリッグ (UFC 52) 2015年7月11日(UFC189)

日本におけるUFC[編集]

第1回大会に日本の格闘技団体パンクラスに定期参戦していたケン・シャムロックが参戦したことにより、格闘技雑誌、プロレス雑誌はいち早くUFCの登場を伝えた。しかし格闘ゲームの現実化とも言えるUFCの衝撃は、マニアの範囲にとどまらず、一般のテレビ番組でも大きく取り上げる事態となり、日本の格闘技界にも多大な影響を与えた。打撃系格闘技のK-1が、1994年と1995年に総合格闘技の試合を組み込んだ[33]のをはじめとして、UFC開催以前から日本で行われていた総合格闘技大会の修斗[34]リングス[35]、パンクラス[36]はUFCに端を発する総合格闘技の標準的なルールに改正し、PRIDEDEEPなどをはじめとする総合格闘技の新規プロモーションが勃興した。

SEG社時代には、スーパーステージの子会社UFC-Jとの間でフランチャイズ契約を結び、1997年から2000年にかけて計4度の日本大会を開催している。

UFC-Jは代表者の不祥事によって解散になり、ズッファ社体制になってからは、ボクシング帝拳プロモーションをパートナーとして、テレビ放送を行いつつ日本大会の開催を模索していた。2004年12月、2005年6月には、一旦は開催を発表した日本大会を延期している[37]

2011年9月6日、2000年12月のUFC 29以来11年ぶり、ズッファ社体制下では初となる日本大会を翌年2月26日にさいたまスーパーアリーナで開催すると発表した[38][39]。その後問題なく大会は開催され、大成功を収めた。

2012年7月7日、2013年3月3日にさいたまスーパーアリーナで開催を予定していることが明らかとなった[40][41]

日本でのテレビ放送[編集]

ホイス・グレイシーが活躍した初期大会は、NHK衛星放送[42]日本テレビ世界まる見え!テレビ特捜部」、テレビ朝日リングの魂」などの番組内で紹介された。

UFC-J事務局が運営した日本大会は、日本テレビテレビ東京が深夜に放送した[43][44]

CSテレビのディレクTVスカパー!に吸収)は1,500円のPPV放送を行った。

2000年、CSテレビ、ケーブルテレビチャンネルのJ SKY SPORTS(現・J SPORTS)はSEG社とUFC 28から毎回放送の契約を締結したが、UFC 29を放送した時点で、UFCの運営がズッファ社となり契約を解消した。

2001年にズッファ社体制になって、UFC 31からUFC 34までをフジテレビSRS」の番組内でダイジェスト放送した。

2002年4月からボクシングの帝拳プロモーションを仲介して、WOWOWでの定期放送が始まる[37]UFC 36から2時間枠で放送。実況は高柳謙一、解説は格闘家の高阪剛が担当することが多かった。2007年4月8日のUFC 69からはハイビジョン放送となっていた。しかし、諸条件の食い違いで契約がまとまらず[45][46]、4月26日放送のUFC 70(リピート放送)を最後にWOWOWでの放送は一旦終了。2008年10月からWOWOWで帝拳プロモーションを介さずに定期放送が再開された[47]。しかし、2016年4月6日を最後にWOWOWでの放送は終了[48][49]

2002年4月のUFC 36から110度CSデジタル放送プラット・ワンのCS-WOWOWでPPV放送を実施。UFC 36はWOWOWでの放送と同内容で視聴料が1,200円だったが、UFC 37からは視聴料を2,000円とし、生中継ではアメリカのディレクTVと同内容で英語実況のまま放送[50]

2005年2月からはテレビ東京地上波での放送権を取得し、1時間枠で放送した。ただし2005年6月に開催とされた日本大会を含む4大会のみと言われた契約を消化することなく、テレビ東京での放送は1回のみで終了した。解説は船木誠勝[51]

2006年4月からCSテレビの日テレG+でWOWOWから1か月遅れでの放送を再開。実況は日本テレビアナウンサーが務める。解説はプロレスラーの高山善廣。当初は1大会を1時間30分枠で放送していたが、その後、1大会を1時間枠で2回にわけて放送するようになる。WOWOWと同じく帝拳プロモーション経由での放送だったため、2007年6月にUFC 70の放送をもって終了した。

2010年3月31日の「UFC Fight Night」は、テレビ東京にて4月8日22時より放送された。同局での中継は5年ぶり、地上波プライムタイムでは史上初となった。解説は秋山成勲[52]

同年8月1日の「UFC Live: Jones vs. Matyushenko」は、スカパー!のPPVチャンネル「スカチャン」にて視聴料3,150円で生中継[53]

2011年2月よりひかりTVにて、UFCの映像のテレビサービスおよび、ビデオサービスが開始された[54]

2012年に開催されたマカオ大会はBS朝日で放送された。

2013年よりFOX SPORTS ジャパンブランドを開始したFOXスポーツ&エンターテイメント(旧:FOX bs238)は、2013年6月よりマガジンプログラムであるUFC Ultimate Insiderとともに中継を開始。試合初中継はUFC on Fuel TV 10。その後UFC Fight Night 26よりFight Nightシリーズを放送している。解説は中井祐樹、実況は清野茂樹。なお、UFC on FOXシリーズについてはWOWOWが日本での放映権を保持していたため、前述のWOWOW放送終了までFOX SPORTS ジャパンでは放送していなかった。WOWOWで放送されるUFC on FOXについてはWOWOWでは独自タイトルになっており、直前のナンバーシリーズに.5をつけている。例としてUFC 168の後に開催されたUFC on FOX 10は、WOWOWではUFC 168.5となっていた。

2016年4月29日よりフジテレビ「FUJIYAMA FIGHT CLUB」内で月1回「UFC TIME」と題した1時間番組を放送する[55]

日本人の参戦[編集]

前述通り、世界最高峰のMMAの舞台と言えるUFCには、数多くの日本人選手が参戦しているが、多くの選手が苦戦・リリースされており、日本人にとって厳しい状況が続いている。日本人でタイトルマッチ挑戦権を得たのは岡見勇信堀口恭司の二人のみで(ズッファ社による興行後)、いずれも敗北している。日本人最多出場回数は18回、最多勝利は13勝、最多フィニッシュは5で、いずれも岡見勇信の記録である。最多連勝は水垣偉弥の5連勝。

現在出場している選手[編集]

2016年7月現在

過去に出場していた選手[編集]

ズッファ社体制以前に出場していた選手[編集]

開催履歴[編集]

出場選手[編集]

重要人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Ultimate fighting ought to be a great American sport. Instead, cable companies, Sen. John McCainThe Slate Group 1999年7月11日
  2. ^ 井田英登「ジョシュ君のこと(2)」 All About 2003年2月26日
  3. ^ 小島一志『新世紀格闘技論』(スキージャーナル社、1994年)に当時の日本の格闘技関係者のコメント。
  4. ^ 中には流派が忍術という選手(スティーブ・ジェナム)もいた。
  5. ^ 尾崎允実『パンクラス15年の真実 総合格闘技の舞台裏回顧録』エンターブレイン、2009年、p.72。
  6. ^ 「ボブ・メロウィッツ氏、UFCを売却」 BoutReview 2001年1月13日
  7. ^ K-1がアメリカで大会を行うK-1オフィシャルルールで試合が行われないのはアスレチック・コミッションが定めるキックボクシングの公式ルールに則っているため。
  8. ^ 【UFC】2006年度PPV決算と分析
  9. ^ 井田英登「『ジ・アルティメット・ファイター』が引き起こした興行人気」井田英登「UFC 55〜TUF旋風吹き荒れる」シュウ・ヒラタ「ベガス:総合格闘技初の全米無料生中継実現」
  10. ^ UFC WFAを買収。ジャクソン、ヒーリング、LYOTOもUFC参戦? BoutReview 2005年12月13日
  11. ^ 「WECが世界65kgを囲い込む!?」『GONKAKU』2007年6月号増刊、イースト・プレス
  12. ^ スポーツナビ「米PRIDE、事業所解散は「やむを得ず」 日本のファンへ理解呼びかけ」2007年10月10日
  13. ^ UFC&WEC一本化、バンタム級王者は「最高の気分だ」 MMAPLANET 2010年10月29日
  14. ^ UFC ADDS NEW WEIGHT DIVISIONS UFC公式サイト 2010年10月28日
  15. ^ 【UFC】UFCが四大ネットワークの一つFOXと契約 MMAPLANET 2011年8月20日
  16. ^ Ronda Rousey Officially Moving to the UFC; Strikeforce Will Fold After January Eventmmaweekly.com 2012年11月9日
  17. ^ Strikeforce confirms Jan. 12 event is final Showtime broadcast”. MMAJunkie.com (2012年12月20日). 2012年12月20日閲覧。
  18. ^ UFCファイトパス、全世界で配信開始! UFC公式サイト 2016年3月6日
  19. ^ インヴィクタから11名のファイターがUFCに参戦 UFC公式サイト 2013年12月11日
  20. ^ ReebokとUFCが画期的なアパレル契約をアナウンス UFC公式サイト 2014年12月1日
  21. ^ 必読!UFC独占禁止法違反集団訴訟とは何か?■MMA Unleashed Dropkick 2015年2月25日
  22. ^ 【コラム】プロ格闘技史上初! ドーピング徹底排除を目指すUFCの取り組み【後編】 UFC公式サイト
  23. ^ U.F.C. Sells Itself for $4 Billion ニューヨーク・タイムズ 2016年7月11日
  24. ^ UFC 138: Chris Leben, Mark Munoz to Meet in First 5-Round Non-Title Fight2011年11月20日
  25. ^ 渋谷LIVE! ザ・プライムショー」、2013年1月22日放送、WOWOW制作
  26. ^ ザ・プライムショー」、2013年6月14日放送、WOWOW制作
  27. ^ 近藤隆夫『すべては敬愛するエリオのために グレイシー一族の真実』毎日コミュニケーションズ、2001年、p8。
  28. ^ ただし、スタンド状態の相手の顔面を蹴り上げることは反則ではない。
  29. ^ [1]2013年2月6日閲覧
  30. ^ UFC Hall Of Fame Inductees UFC公式サイト
  31. ^ MMA Hall of Fame: Charles “Mask” Lewis Jr.
  32. ^ 桜庭も殿堂入りの可能性!? UFCがホールオブフェイムをアップグレード2015年7月16日閲覧
  33. ^ 西田健『K-1&格闘技の“真実”』本の森出版センター、1997年、p.162.
  34. ^ 修斗は1995年からそれまで禁止されていたグラウンドでの顔面パンチを解禁し、八角形のリングを導入した(『格闘技・超勝負列伝 伝説のベスト・バウト150選』メディアワークス、2000年、p.43)。
  35. ^ 顔面への攻撃はパンチ禁止で素手の掌底とキックのみ、ロープエスケープ制とポイント制というUWFを踏襲したルールを1999年から通称KoKルールというグラウンドでの顔面殴打がない以外はほぼUFCに準拠したルールに変更された(『格闘技スーパースター列伝』ベースボール・マガジン社、2004年、p.47.)
  36. ^ パンクラスもUWFルールを踏襲して素手で戦い、掌底とロープエスケープとポイント制とダウンカウントだったのが、2000年からオープンフィンガーグローブを着用して標準的な総合格闘技ルールになった(BoutReview: 99.9.18 パンクラス 東京ベイNKホール --- 6.船木誠勝vsトニー・ペテーラ BoutReview)
  37. ^ a b 井田英登「UFC日本大会中止に見る“勝ち組”研究(前編) 「UFC vs PRIDE」日米市場戦争」 All About 2005年4月30日
  38. ^ UFC2・26埼玉発表!日本継続開催へ 日刊スポーツ 2011年9月7日
  39. ^ UFCが再上陸 11年ぶりの日本開催が決定 スポーツナビ 2011年9月6日
  40. ^ UFC 13年3月日本再上陸へ 日刊スポーツ 2012年7月7日
  41. ^ 次回UFC日本大会は3月3日に開催か MMA IRONMAN 2012年7月16日
  42. ^ 西田健『K-1&格闘技の“真実”』本の森出版センター、1997年、p.151.
  43. ^ 『格闘技通信』1998年1月26日増刊号、ベースボール・マガジン社、po.4,18,34。
  44. ^ 井田英登「「UFC-J に高阪剛登場!日本での初アルティメット戦へ」 BoutReview 1999年10月27日
  45. ^ 聞き手・ジャン斉藤「緊急インタビュー!! WOWOWチーフプロデューサー大村氏が語るUFC放送再開決定の“真相”!!【前編】」 kamipro公式サイト 2008年
  46. ^ UFCがブレイクしたことにより、UFCは従来は1か月か2か月に1回だった開催ペースが多い月には2回になった。年間の大会数が激増したため、従来の放映権料では契約できなくなった。また、WOWOWはUFCの他に映画やスポーツを放送する総合チャンネルという性質上、UFCだけに資金を注入できなかったとの旨を大村和幸WOWOWチーフプロデューサーは説明している(『kamipro』No.116、エンターブレイン、2007年。大村インタビュー)
  47. ^ WOWOWがハイビジョンで中継を再開。名勝負選も BoutReview 2008年7月11日
  48. ^ WOWOWの放送が終了した「UFC」は、今後どう巻き返していくのか (1/4)ITmediaビジネス Online 2016年04月07日
  49. ^ UFC―究極格闘技―
  50. ^ UFC 36、WOWOWで14日放映。中井&高阪が解説」BoutReview 2002年3月9日
  51. ^ 最強格闘技UFC 金網の中の決闘 テレビ東京公式サイト内
  52. ^ UFC快挙、テレ東がゴールデンで放送 日刊スポーツ 2010年3月10日
  53. ^ 秋山 セコンド解説「貫き通したい」 スポーツニッポン 2010年7月16日
  54. ^ UFC記者会見 ひかりTV、総合格闘技『UFC』の大会映像を見放題で提供開始! 週刊ファイト!ミルホンネット
  55. ^ “【UFC】フジテレビが月イチで『UFC TIME』を放送”. イーファイト. (2016年4月28日). http://efight.jp/news-20160428_237331 

外部リンク[編集]