フェザー級

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フェザー級: feather weight)は、ボクシングなどの格闘技で用いられる階級の1つである。「フェザー」とは「羽毛」を意味する。

ボクシング・ムエタイ・キックボクシング[編集]

プロボクシングでの契約ウェートは、122 - 126ポンド (55.338 - 57.153kg) である。スーパーバンタム級スーパーフェザー級の間の階級であり、全17階級中7番目に軽い階級である。

アマチュアボクシングでは、54 - 57kgであるが、男子シニア・男子ジュニアでは2010年春に廃止された。AIBA世界女子ボクシング選手権大会には設置されているがオリンピックボクシング競技女子部門には設置されていない。AIBA主催のプロボクシングのAPBやワールド・シリーズ・オブ・ボクシングにはフェザー級は存在しない。

ザ・おやじファイトB-UP日本アマチュアキックボクシング連盟ではリミット58kg、シュートボクシングではリミット57kg、R.I.S.E.ではリミット57.5kgで設置されている


プロボクシング初代世界王者はビリー・マーフィーニュージーランド)。

この階級で日本人として初めて世界王座(WBA)を獲得したのは日本人初の海外での王座奪取でもある西城正三協栄)で、同じ時期に柴田国明ヨネクラ)も(WBC)奪取。女子ボクシングではJBC公認前に風神ライカ(当時のリングネームはライカ)が自身のアマ時代からの目標菊川未紀との日本女子ボクシング協会初代王座決定戦制し更にWIBA王座を獲得している。ライカの恩師でプロ・アマ共にボクサー経験皆無のアルファボクシングジム初代会長山木敏弘ナックムエキックボクサーの現役時代首尾一貫この階級でリングネーム「ウルフ隼人」で日本ムエタイ連盟初代王座決定戦で2RKO勝。山木がキック時代に輸入し金子繁治初代会長時代の金子ジムに形式的に預けたシンヌン・チュワタナも同階級のタイ王国王者で1994年秋にOPBF王座決定戦で惜敗し1995年5月来日第1戦で(7か月後、後に同階級史上最多メジャー世界タイトル5度獲得の記録作るマヌエル・メディナ破りWBC世界王座獲得する)元WBAバンタム級世界王者ルイシト・エスピノサフィリピン国籍、マッチメイカージョー小泉と契約しアベジム所属)から2度ダウン奪いながら逆転KO負け。

メディナの同胞オルランド・サリドもこのクラスでメジャー世界王座4度獲得、3度目の世界王座にして生涯初の防衛果たした2011年7月の故郷ソノラ州での同い年の相手山口賢一はJBC非公認時代に史上初のWBO世界王座日本人挑戦者である。サリドは4度目の世界王座でプロ2戦目の(デビュー戦でWBOインターナショナル王座獲得)ワシル・ロマチェンコウクライナ)との防衛戦の前日計量でオーバーし王座はく奪も2-1判定勝、ロマチェンコは3戦目に王座決定戦でゲーリー・ラッセル・ジュニアに判定勝で獲得。

ちなみにアマ男子で同階級設置された時代に1996年アトランタオリンピックにおけるボクシング競技ソムラック・カムシンが全競技通じてタイ王国建国以来初のオリンピック優勝者、日本人選手でメダル獲得した選手は皆無だったが1972年ミュンヘンオリンピックにおけるボクシング競技での小林和男自衛隊体育学校)のベスト8が最高位で廃止の前々年2008年北京オリンピックにおけるボクシング競技駒澤大学5年生の清水聡 (ボクサー)が初戦(2回戦)ヤクプ・キリクトルコ)に判定負。キリクは準決勝で結果的に同優勝者で翌年も2009年世界ボクシング選手権大会制覇し同階級廃止後はライト級2011年世界ボクシング選手権大会ロンドンオリンピック (2012年) におけるボクシング競技制する前出ロマチェンコに判定負。清水は廃止前年の2009年5月、ハバロフスク開催のコンスタンチン記念大会ではフェザー級でセルゲイ・ボドピャノフに敗れ、銅メダルを獲得。珠海開催のアジア選手権でも同級銅メダリストとなった。

特別永住者白永鉄1998年大阪朝鮮高級学校3年で全国高等学校ボクシング選抜大会をこのクラスで制覇し大阪府高校チャンピオンとして全国高等学校総合体育大会ボクシング競技大会出場し母国朝鮮民主主義人民共和国の首都平壌での人民体育大会3位。

1952年に当時の世界王者サンディ・サドラー兵役に着いた後、1953年2月9日パーシー・バセットアメリカ合衆国)がEBU欧州王者レイ・ファメンションフランス)に勝ち、プロボクシング史上初の暫定世界王者となったが結局は統一戦は行われなかった。

正規世界王者の座に留まり1955年7月8日後楽園球場笹崎ジムの看板だった同階級東洋王者・金子にノンタイトルで6RKO勝し12日後にマニラで(対金子4戦全敗)フラッシュ・エロルデに10R大差判定負も1956年1月18日世界王座掛けた再戦で13RKO防衛。

(ベネズエラ国籍ながら日本・東京帝拳を拠点に活動し、大阪市での興行でデビュー)ホルヘ・リナレスは2007年7月21日、無敗のまま24戦目で生涯初の世界戦。アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスで元WBCスーパーバンタム級王者オスカー・ラリオスメキシコ)とWBC暫定王座決定戦を争い、10回TKO勝で一時的に暫定王座に認定。しかし数日後には(同1年半前に日本・福岡市で35歳誕生日直後の越本隆志に僅差の判定で王座奪われルディ・ロペスを倒し返り咲き果たした)正規王者池仁珍が他の格闘技(K-1)転向に対する懲罰として王座剥奪で同試合開催前に遡り正規王座決定戦に認定、という事例も。

この階級の東洋太平洋王座最多防衛記録は関光徳(日本)12度。世界王座最多防衛記録は20世紀中はエウセビオ・ペドロサパナマ / WBA)の19度(1985年6月8日アイルランドの逸材バリー・マクギガン15回判定負で7年間の王座生活と決別。防衛の相手には怪物ルーベン・オリバレスや、後の世界王者ロッキー・ロックリッジも含まれる。日本でも国際のエースロイヤル小林草加有澤の看板で日本王座13連続防衛のスパイダー根本を相手に防衛)。21世紀ではクリス・ジョンインドネシア/WBA)の18度(日本国内でも協栄の看板佐藤修千里馬神戸ジム期待の星武本在樹角海老宝石ジムの俊英たる指名挑戦者榎洋之相手に防衛、スーパー王座昇格し母国で日本・横浜市から招いた花形ジム木村章司大橋ジム細野悟破りレコード伸ばした、2013年12月6日IBO世界王者シンピウィ・ベトイェカ南アフリカ共和国との統一戦及び19度目の防衛戦で6R終了TKO負で10年間の王者生活にピリオド)。日本の選手の最多防衛記録は、20世紀中の西城正三の5度(フライ・バンタム両階級制したファイティング原田も挑戦を熱望したが実現しなかったがオーストラリアでJBC非公認最後のWBC世界王座挑戦者として王者ジョニー・ファメションに三度ノックダウンを奪い圧倒しながら地元判定で三階級制覇失敗)。

この階級のJBC日本王座最多獲得記録は来馬英二郎(神戸)の4度。日本人世界王座指名挑戦者のWBAで榎以外にも杉谷満渡辺雄二

なお、現役時代はJBC日本フェザー級6位のA級中堅選手で終わったが、引退後に強盗放火殺害事件で静岡県警通常逮捕され送致された静岡地検公訴提起され最高裁死刑確定し48年弱留置場・拘置所で過ごした末にボクシング界一丸となった支援活動の末再審請求で釈放された死刑囚袴田巌もWBCから世界フェザー級名誉王者に認定されている。

レスリング[編集]

レスリングでかつてフェザー級と呼ばれたものは、現在の60kg級に当たる。

総合格闘技[編集]

総合格闘技では団体によって差違がある。よってここではいくつかの団体の定める体重分けを例として挙げる。

  • UFCなど北米の多くの団体が準拠するネバダ州アスレチック・コミッション(NSAC)では135 - 145ポンド(61.2 - 65.8kg)と規定している。
  • 国際修斗コミッションは、56 - 60kgと規定している。
  • パンクラスは、2007年までは64kg以下と規定していた。2008年の階級再編成により、現在はNSACに準拠。
  • DEEP事務局は、2007年までは65kg以下と規定していた。2008年の階級再編成により、現在はNSACに準拠。
  • DREAMは、2010年までは63kg以下と規定していた。2011年の階級再編成により、現在は65kg以下と規定している。

外部リンク[編集]