リオネル・メッシ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メッシから転送)
移動先: 案内検索
リオネル・メッシ Football pictogram.svg
2015 UEFA Super Cup 64 crop.jpg
FCバルセロナでのメッシ(2015年8月)
名前
本名 Lionel Andrés Messi[1]
愛称 レオ、リオ[2]
メシアス(メシア[3]
[4]
カタカナ リオネル・メッシ
ラテン文字 Lionel Andrés Messi
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 1987年6月24日(29歳)
出身地 サンタフェ州の旗サンタフェ州ロサリオ
身長 170cm[5][注 1]
体重 72kg
選手情報
在籍チーム スペインの旗 FCバルセロナ
ポジション FW (CF, ST, RWG)
背番号 10
利き足 左足
ユース
1995-2000 アルゼンチンの旗 ニューウェルス・オールドボーイズ
2000-2003 スペインの旗 バルセロナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2004 スペインの旗 バルセロナC 10 (5)
2004-2005 スペインの旗 バルセロナB 22 (6)
2004- スペインの旗 バルセロナ 348 (312)
代表歴2
2004̣-2005  アルゼンチン U-20 18 (14)
2007-2008  アルゼンチン U-23 5 (2)
2005- アルゼンチンの旗 アルゼンチン 112 (55)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年11月28日現在。
2. 2016年6月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リオネル・アンドレス・メッシLionel Andrés Messi [ljoˈnel anˈdɾes ˈmesi] ( 聞く), 1987年6月24日 - )は、アルゼンチンサンタフェ州ロサリオ出身のイタリア系アルゼンチン人サッカー選手リーガ・エスパニョーラFCバルセロナ所属。アルゼンチン代表。ポジションはフォワード

13歳でFCバルセロナに入団し、17歳でトップチームデビューして以降、8度のリーガ・エスパニョーラ優勝、4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝に貢献。自身も5回のFIFAバロンドールを受賞し[注 2]、4回のチャンピオンズリーグ得点王と3回のリーガ得点王を獲得した。

アルゼンチン代表では2005年から代表に選出され、2010年からはキャプテンを務めている。同国代表の通算最多得点記録の保持者でもある。2014 FIFAワールドカップではアルゼンチンの準優勝に貢献し、大会MVPにあたるゴールデンボールを受賞した。また2008年には北京オリンピックに出場し、金メダルを獲得した。

経歴[編集]

幼少期[編集]

アルゼンチンのロサリオにて、工場労働者の父とパートタイムの清掃員の母という低所得な家庭に生まれた[7][8][9]。父方の祖先アンジェロ・メッシはイタリアアンコーナ出身であり、1883年にアルゼンチンに移住した[10][11][9] 。5歳の時には父親がコーチを務めるクラブで本格的にサッカーを始め、1995年には地元のクラブであるニューウェルス・オールドボーイズに入団する。10歳の頃成長ホルモンの分泌異常の症状(低身長)が発覚、成長ホルモン投与などの治療なしでは身体が発達しないと診断されたが、ニューウェルズ・オールドボーイズは治療費の工面を拒否し、リーベル・プレートも獲得を諦めた。

クラブ[編集]

バルセロナ入団[編集]

人生の転機となったのは、13歳の時に受験し合格したスペインリーガ・エスパニョーラFCバルセロナの入団テスト。当時の監督カルロス・レシャックは彼のプレーを一目見ただけでその小さな身体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めたという。FCバルセロナは家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束し、家族もこれを快諾。2001年3月1日正式契約を結びスペインでの新たな生活を始めることとなる。この時、彼の身長は143cmだった。治療のため一家での引越しだったとはいえリオネル少年にとって生まれ育った母国の友人らと別れる事になるのは子供心にショックな事だった。スペイン在住となってからでもアルゼンチン時代の幼なじみや友人知人とはこまめに連絡を取り合っていた[6]

ユースチームで投薬治療を続けた結果、身長は170cmまで伸び、選手としても一流のテクニックを披露するまでに成長。17歳となった2004年10月16日、第7節エスパニョール戦にてプリメーラ・ディビシオン・デビューを果たすと、2005年5月1日の第34節アルバセテ・バロンピエ戦で初得点。17歳と10ヶ月7日で決めたこの得点は、後にメッシ自身のアシストからボージャン・クルキックが17歳と51日で記録するまでクラブ史上最年少得点だった。このシーズンはレギュラー定着とはならなかったが、その才能をのぞかせ、リーガ制覇を経験した。

世界最高峰の選手へ[編集]

バルセロナと2014年まで契約期間を延長し、スペインの市民権を得て臨んだ2005-06シーズン、リュドヴィク・ジュリとの右ウィングのポジション争い時にこのフランス代表のライバルを上回る活躍を披露。ワールドユースも含めた質の高いプレーが人々に認知され、イタリアのスポーツ紙Tuttosportが選ぶゴールデンボーイ賞(U-21欧州最優秀選手賞)にクリスティアーノ・ロナウドウェイン・ルーニーを抑えて選出された。UEFAチャンピオンズリーグの対チェルシーFC戦・1stレグを始め、相手左サイドをしばしば混乱に陥れるビッグプレイを連発した素晴らしいシーズンではあったが、対チェルシー戦の2ndレグ中に右足の筋肉を故障してしまいその後のシーズンを棒に振る。リーガでは17試合、チャンピオンズリーグでは6試合の出場に終わったが、チームはリーガ、チャンピオンズリーグの二冠を達成。その偉業に少なくない貢献をした。

ヘタフェ戦でのメッシのゴールシーン

2006-2007シーズンは故障による欠場が目立ったものの、右サイドから切れ込むドリブルが冴え渡り数々の印象的なプレイを披露する。バルセロナ最大のライバルであるレアル・マドリードとのエル・クラシコでは自身初のハットトリックを達成(試合結果は3-3)し、スペイン国王杯準決勝1stレグ、ホームでの対ヘタフェ戦においては、センターサークル付近から5人をかわして得点を決めた。後者はアルゼンチンサッカー界の英雄ディエゴ・マラドーナ1986 FIFAワールドカップにおける伝説の5人抜きゴールとほぼ同じコースを辿った、同じ13回のタッチでのゴールであり、当時のリーガ最少失点チーム相手に繰り出した「マラドーナ2世」と呼ばれる彼の「後継者」たる所以を見せ付けたスーパープレーだった。第37節のエスパニョール戦では、マラドーナばりの「神の手」ゴールも記録した。チームはリーガ3連覇とチャンピオンズリーグ2連覇のどちらも達成できずに終わったが自身はリーグ、カップ合計で36試合に出場し17得点と奮闘した。

2007-08シーズンは、ジュリがローマに移籍したものの、プレミアリーグアーセナルからフランス代表のエースストライカー、ティエリ・アンリがチームに加入。サミュエル・エトオロナウジーニョにメッシ自身と4人のワールドクラスのFWを揃えた陣容は「ファンタスティック4」と呼ばれその圧倒的な攻撃力が期待されたが、アンリがチームのスタイルに合うまでに時間を擁し、エトオが負傷、ロナウジーニョが不調と、思うように攻撃陣が機能しない序盤戦、単独での突破から貴重なゴールを幾度となく決めチームを支え、欧州最優秀選手を選出するバロンドールではカカクリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位に選出された。

2008-09シーズンは、ACミランに移籍したロナウジーニョに代わって背番号10を背負ってチームを牽引。これまで孤立しがちだった右サイドにダニエウ・アウヴェスという心強い相棒が加わったこともあって、前線のエトオ、アンリと共にゴールを量産。初めて年間通して故障らしい故障もなく過ごし、チームはUEFAチャンピオンズリーグなどで優勝し見事に三冠を達成。メッシは大会を通じて9得点を挙げ得点王に輝いた。2008-09シーズンの総計38得点は、チーム得点王。リーガ第21節、ラシン・サンタンデール戦(エル・サルディネーロ)では、バルセロナのリーガ通算5000ゴール目を決めた。ラシン・サンタンデールは、リーガ初年度第1節(1929年2月12日、エル・サルディネーロ)でマヌエル・パレーラがバルセロナのリーガ初得点を記録した相手でもある。

バロンドール受賞以降[編集]

2011年2月9日に行われたポルトガル戦前のメッシ(右)とクリスティアーノ・ロナウド(左)

2009年12月1日にはアルゼンチン出身の選手としては3人目(4度目)となるバロンドールに選出された[注 3]。12月のクラブワールドカップでは負傷した状態での参加となったが試合には間に合い、準決勝のアトランテFC戦では途中出場し、決勝点を挙げる。決勝のエストゥディアンテス戦では先発出場し、延長戦の末にダニエウ・アウヴェスのクロスを胸で押し込み決勝点を挙げ、バルセロナの優勝に貢献。メッシは大会選定のゴールデンボール賞(MVP)を受賞した。胸でボールを押し込んだことに関してメッシは「相手GKが体勢を崩していて強いシュートを打つ必要がなかったので、確実にボールを押し込むために胸を使った」と話した[12]。12月21日にはアルゼンチン人としては初となるFIFA年間最優秀選手に選出された。2007年、2008年と2年連続で次点となっていた[注 4]ため、3度目の正直での受賞となった。

2010年1月16日のセビージャ戦で、自身バルセロナ通算100得点を史上最年少で達成した。3月6日のアルメリア戦で決勝点を挙げると、14日のバレンシア戦、21日のサラゴサ戦と2試合連続でハットトリックを達成するなど、バルセロナの得点を9連続で記録した[注 5]。4月6日のチャンピオンズリーグ準々決勝・アーセナルとの2ndレグで、大会史上6人目となる1試合4得点[注 6]を達成した[13]。決勝トーナメントでの1試合4得点は史上初であり[13]、この得点でチャンピオンズリーグ通算得点が25となり、リバウドを抜いてバルセロナ歴代1位となった。チャンピオンズリーグは準決勝で敗退し連覇を逃したものの、リーガではその後も得点を挙げ続け、バルセロナの連覇に貢献。メッシ自身は35試合に出場して34得点を挙げ、得点王、ヨーロッパ・ゴールデンシューに輝いた。リーグ34得点、シーズン公式戦通算47得点はロナウドと並び、バルセロナ最多タイ記録となった[14]

2011年1月10日、バルセロナの同僚でありワールドカップ優勝メンバーでもあるアンドレス・イニエスタシャビを抑え、2年連続でバロンドールを受賞した。2年連続でバロンドールを受賞したのは史上6人目であり、複数回バロンドールを受賞するのは史上9人目の快挙である。バロンドールがFIFA最優秀選手賞と統合され、FIFAバロンドールとなってからは最初の受賞者となった。

2010-11シーズンも、前シーズンと変わらぬ活躍を見せる。ダビド・ビジャの加入により、ビジャ、ペドロよりも低い位置でプレーすることになった結果、より自由に攻撃の才覚を発揮した。アシスト数が格段に増えた他、前シーズン同様の得点能力も見せた。リーガ・エスパニョーラでの得点王はクリスティアーノ・ロナウド(40得点)に譲ったもの、CLやカップ戦を含めたシーズン得点数では、ロナウドと同じ53得点を記録した。特筆すべき得点は、レアル・マドリードとのチャンピオンズリーグ準決勝1stレグでの2得点、マンチェスター・ユナイテッドとの決勝での勝ち越しゴールなどが挙げられる。チャンピオンズリーグではルート・ファン・ニステルローイと並び大会史上最多タイとなる12得点を挙げ、3季連続の得点王を獲得。バルセロナの2シーズンぶりの優勝に大きく貢献した。2011年8月25日には新たに設立されたUEFA欧州最優秀選手賞の初代受賞者に選出された[15]

2011-12シーズンも開幕から得点を量産し、2011年9月28日のチャンピオンズリーグ・BATEボリソフ戦で2得点を挙げ、ラディスラオ・クバラと並びクラブ史上2位タイとなる公式戦通算194得点とすると[16]、10月25日のラシン・サンタンデール戦で2得点を挙げ、単独2位となった[17]。2011年12月18日に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝のサントスFC戦ではブラジルの新星ネイマールとのエース対決に注目が集まったが、試合は終始バルセロナがサントスを圧倒し、結果は4-0。メッシ自身も2得点の活躍で大会MVPに輝き、チームの2年ぶり2度目の大会制覇に貢献した。

2012年1月9日にはFIFAバロンドール男性部門の最優秀選手賞を受賞。3度目の受賞は史上4人目、3年連続での受賞はミシェル・プラティニに次ぐ史上2人目の快挙となった。

2月14日のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのバイエル・レヴァークーゼン戦で1得点を挙げ、チャンピオンズリーグ決勝トーナメント通算得点数を19とし、ラウル・ゴンサレスアンドリー・シェフチェンコを抜き歴代単独最多となった[18]。2月19日のバレンシア戦では自身のリーガ通算200試合出場を、4得点を挙げて祝った[19]。同月26日のアトレティコ・マドリード戦では決勝点を挙げたもののハンドリングでシーズン5回目の警告を受け、自身初の累積警告による出場停止処分を受けた[20]。3月7日のレヴァークーゼン戦2ndレグではチャンピオンズリーグ史上初となる1試合5得点を達成し、バルセロナの大勝に貢献した[21]。3月20日のグラナダCF戦でハットトリックを達成してバルセロナでの公式戦通算得点数を234とし、セサル・ロドリゲス・アルバレスの持つ記録を更新し歴代トップとなった[22]。3月24日のリーガ第30節のマジョルカ戦で自己最多となるシーズン35得点目を挙げ、8節を残してロナウドの持つリーガでのシーズン通算得点のクラブ記録を更新した[23]。4月3日のチャンピオンズリーグ準々決勝2ndレグ、ACミラン戦で2得点を挙げチャンピオンズリーグでのシーズン通算得点を14とし、昨年の自身の記録を更新して大会最多得点記録を樹立した[24]。4月7日のリーガ第32節のレアル・サラゴサ戦で2得点を挙げ、1972-73シーズンのゲルト・ミュラー以来39シーズンぶりとなる、1シーズン公式戦通算60得点を達成した[25]。5月2日のリーガ第20節延期分のマラガ戦で3得点し、これでシーズン公式戦68得点とし、ゲルト・ミュラーの持つ、シーズン公式戦67得点の最多得点記録を更新し[26]、最終的にシーズン公式戦73得点を記録し、リーガ、チャンピオンズリーグの両方で得点王を獲得。リーガでは史上最多記録となる50得点を挙げ、1976-77シーズンにディナモ・ブカレストドゥドゥ・ゲオルゲスクが記録した欧州リーグシーズン得点記録(47得点)を35年ぶりに更新した[27]。またチャンピオンズリーグでは前述の通り大会最多得点を記録し、史上初の4シーズン連続得点王となった[28]。しかし、チームはメッシの活躍も実らずリーガ4連覇を逃すと、チャンピオンズリーグでは準決勝でカンテラから昇格して以降まだゴールを奪った事の無いチェルシー戦で1-1(2戦合計2-2だがアウェーゴール数でチェルシー有利な状況)で迎えた後半にファブレガスが倒されたPKを獲得するが、決めれば決勝進出に前進するPKをまさかの失敗。これが尾を引きチームも敗退しアルゼンチン代表の同僚サネッティとルーマニア代表のキブに抑えられた2年前のインテルミラノ戦に続き準決勝で連覇を逃してしまった。

2012年12月9日のリーガ第15節のベティス戦では2得点を挙げてゲルト・ミュラーの年間ゴール記録(85得点)を40年ぶりに更新し、最終的に年間91得点を記録した[29]

2013年1月7日、クリスティアーノ・ロナウドとアンドレス・イニエスタを抑え、バロンドールを4年連続で受賞。4年連続4度目の受賞は共に史上初である[30]

2013年1月27日のリーガ第20節のオサスナ戦では4得点を決めてリーガ200得点を史上最年少(25歳217日)で達成し、テルモ・サラの持つ記録(29歳352日)を大幅に更新した[31]。3月9日のリーガ第27節のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦では第11節のマヨルカ戦から続く17戦連続27得点を達成。その後、第29節から3試合負傷欠場するも復帰後は再び得点を続け、最終的に21戦連続33得点を記録しリーグ戦における史上最多連続得点を記録した[32]。また、この記録によってプリメーラ・ディビシオンのバルセロナ以外の全19チームから得点を奪い、なおかつ得点を途切れさせずにリーグ戦を半周するという史上初の快挙を達成した[33]。シーズン終盤は負傷欠場の影響もあり記録更新はならなかったものの、リーガ46得点、公式戦60得点を挙げ2年連続得点王に輝いた。また、これによって3度目の欧州得点王となり、ヨーロッパ・ゴールデンシューの単独最多受賞者となった。チャンピオンズリーグでは1回戦2ndレグのACミラン戦で2得点を決めてチームの逆転勝利に貢献するも、パリ・サンジェルマンFC戦の1stレグで右足ハムストリングを負傷。2ndレグでは途中出場となり、こちらも逆転勝利に貢献した。準決勝でのバイエルン・ミュンヘン戦では1stレグには出場を果たしたものの、2ndレグでは出場機会はなく、ベンチからチームの敗退を見届けることとなった。9月18日のチャンピオンズリーグ、アヤックス戦ではチャンピオンズリーグ史上最多の4度目のハットトリックを達成した。

2013-14シーズンは開幕当初から度重なる負傷に悩まされ、11月10日のベティス戦では左足大腿の肉離れを起こし、1ヶ月半以上の離脱を強いられることとなった。2014年3月16日のオサスナ戦ではハットトリックを達成して親善試合&公式戦含めて通算371得点を記録、これによってパウリーノ・アルカンタラの記録を87年ぶりに更新しバルセロナ歴代最多得点者となった。続く3月23日のレアル・マドリード戦でもハットトリックを達成してエル・クラシコでの通算得点を21とし、アルフレッド・ディ・ステファノを抜いてクラシコ単独最多得点者となった。2014-15シーズンは9月27日のグラナダ戦で2得点を決め、クラブ、代表合わせて公式戦通算400ゴールを達成した。11月22日のセビージャ戦ではハットトリックを達成してリーガ通算253得点を記録しテルモ・サラを抜いてリーガ最多得点記録者となった。11月25日のチャンピオンズリーグGS、APOELニコシア戦では2試合連続、CLでは5度目のハットトリックによってラウル・ゴンサレスの71得点を抜いてCL累計74得点を記録し、CL歴代最多得点者となった。12月7日のエスパニョールとのダービーマッチでは再びハットトリックを達成して、親善試合&公式戦含めてクラブ通算400ゴールを達成した。シーズン後半からはルイス・スアレスの加入の影響もあり、かつてのように右ウィングで起用されることが多くなった。2015年3月8日のラーヨ・バジェカーノ戦では公式戦32回目(リーガでは24回目)のハットトリックを達成し、公式戦、さらにはリーガでのハットトリック最多記録を更新した。4月18日のバレンシア戦ではバルセロナでの公式戦通算400ゴールを達成した。チャンピオンズリーグ準決勝ではかつての恩師、ジョゼップ・グアルディオラ率いる、バイエルン・ミュンヘンと対戦し、2ゴールを挙げ、前日にクリスティアーノ・ロナウドに抜かれたCL通算得点を77点とし、再びトップに立ち、決勝進出に貢献した。リーグ戦では5月17日のアトレティコ・マドリード戦、コパ・デル・レイでは決勝のアスレティック・ビルバオ戦でいずれも決勝点を決め、チャンピオンズリーグ決勝のユベントス戦では決勝点につながるシュートを打ちチームの史上初の2度目三冠達成に大きく貢献した。チャンピオンズリーグではネイマール、クリスティアーノ・ロナウドと並びCL得点王に輝いた。8月27日にはUEFA欧州最優秀選手賞を54票中49票(得票率90.7%)と圧倒的な票を集めて史上初となる2度目の受賞を果たした。FIFAクラブワールドカップでは決勝のリバープレート戦で先制点を挙げてチームの5冠達成に貢献し、2015年を出場した6大会全てで得点して締めくくった。

2016年1月11日にはクリスティアーノ・ロナウドとチームメートのネイマールを抑えて5度目のバロンドール受賞を達成し、バロンドールの受賞記録をさらに更新した。2月3日のバレンシア戦では34度目のハットトリックを達成し、キャリア通算500ゴールを記録した。同17日のスポルティング・ヒホン戦では2ゴールを決めリーガ通算300ゴールを達成した。

代表[編集]

アルゼンチン代表でプレーするメッシ
2014 FIFAワールドカップ決勝で敗れて悔しがるメッシ

2005年6-7月にオランダで開催されたFIFAワールドユース選手権アルゼンチン代表として参加し、エースとしてチームを牽引した。決勝のナイジェリア戦では先制点を自身がドリブルを仕掛け獲得したPKから、同点とされた後の勝ち越しゴールをセルヒオ・アグエロが獲得したPKから決め、優勝に大きく貢献。大会を通じて6得点、得点王とMVPを獲得する大活躍を見せた。この活躍がフル代表監督ホセ・ペケルマンの目に止まり、同年8月17日のハンガリー戦でフル代表デビューを果たした[34]。この試合では63分に途中出場したものの、そのわずか40秒後に相手選手に肘打ちを入れレッドカードを受け、涙を流しながら退場というほろ苦いデビューであった[34]

2006年夏にドイツで開催された2006 FIFAワールドカップには上述の怪我の回復が危惧されたが、プレイ可能な状態にまで回復し、代表に選出された。レギュラーとしての出場ではなかったが、グループステージの対セルビア・モンテネグロ戦にて、W杯でのアルゼンチン代表の最年少出場、最年少アシスト、最年少得点を記録する活躍をみせ、死のグループとも形容されたグループCの突破に貢献した。チームは準々決勝で開催国ドイツに敗れた。

2007年夏に母国アルゼンチンで開催されたFIFA U-20ワールドカップには出場資格を持っていたものの、既にフル代表に定着していた自身は辞退(アルゼンチン代表は2連覇を達成)、フル代表が臨むコパ・アメリカ2007へ出場した。レギュラーを徐々に手繰り寄せていた彼は、準々決勝の対ペルー戦、準決勝の対メキシコ戦で得点を決めるなどチームの決勝進出に貢献。しかし、決勝のブラジル戦で敗れ、準優勝に終わった。

2010年夏に南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップでは大会最大の注目選手として臨み、マラドーナと同じトップ下でプレー。グループリーグ第3戦のギリシャ戦では初めてキャプテンを務め(アルゼンチン代表史上最年少)、大会選定のマン・オブ・ザ・マッチに選出される活躍を見せた。チームはベスト4の座を懸けたドイツ戦で完敗し(0-4)、自身も30本のシュートを打つも無得点に終わるなど、マラドーナ2世のW杯は不完全燃焼に終わった(前年度にバロンドールを獲得した選手を擁する国は優勝できないというジンクスを破れず。バロンドールの呪い参照)。アルゼンチン国民の失望は激しく、ブーイングの嵐であった。

コパ・アメリカ2011では準々決勝で敗退し、自身も無得点に終わった。大会後に新たにアルゼンチン代表の監督に就任したアレハンドロ・サベージャからチームの新キャプテンに任命され、9月3日のベネズエラ戦ではキャプテンとしてプレーした[35]。2012年2月29日のスイスとの親善試合で、代表では初めてとなるハットトリックを達成した[36]

2013年6月14日にグアテマラとの親善試合においてハットトリックを決め、これによって代表通算得点を35得点としディエゴ・マラドーナの代表通算34得点を抜き、アルゼンチン代表の得点数でエルナン・クレスポと並んで歴代2位タイに浮上した[37]

2014FIFAワールドカップブラジル大会では、4得点をあげ、大会最優秀選手(大会MVP)のゴールデンボール賞に輝いた。しかし、この4得点は全てグループリーグで奪ったものであり、決勝トーナメントでは、アシストこそあったものの無得点に終わったため、これに対しマラドーナは「不当である」とし[38]、FIFA会長のゼップ・ブラッターも「驚いた」とコメントするなど[39]、受賞の妥当性が物議を醸した。ベストイレブンには選出されていない。しかしチームは決勝トーナメントに入ってから決勝のドイツ戦の延長まで無失点を継続して勝ち進み、準優勝に終わった。

コパ・アメリカ2015では決勝で敗れ準優勝。同大会MVPの受賞が決まっていたものの受賞を辞退。同賞は空席となった。[40]

9月4日のボリビアとの親善試合では途中出場で2得点を決め、南米のチーム全てに得点した史上4人目の選手となった[41]

開幕前に負傷し臨んだコパ・アメリカ・センテナリオでは、2016年6月10日に行なわれたグループリーグ第2戦のパナマ戦で61分から途中出場しハットトリックを達成[42]。6月18日の準々決勝・ベネズエラ戦では先発に復帰し、1得点2アシストの活躍で勝利に貢献[43]。続く6月22日の準決勝アメリカ戦では直接フリーキックを決めて代表通算55得点とし、アルゼンチン代表最多得点記録を更新した[44]。チームは3年連続で国際大会の決勝に進出するものの、因縁の再戦が実現したチリ戦では延長戦の末スコアレスドローで2大会連続でPK戦にもつれこむ。PK戦では自身もPKを失敗して2-4で敗れ、3年連続で決勝で敗退しタイトルを逃した[45]

コパ・アメリカ・センテナリオ大会の終了後、代表引退を示唆するコメントを残した[45][46]。引退表明はアルゼンチンに衝撃を与え、国民やマラドーナ、さらにはマウリシオ・マクリ大統領や契約先のアディダスまでもが撤回を求めるなど大きな騒動に発展した。

プレースタイル[編集]

瞬発力と敏捷性を生かした突破力、ゴール感覚は世界最高峰と言われる。それに加え、抜群のキープ力や高いパスセンスも持つ[47]。 相手DFのマークを外すための技術を持ち、MFとしてもWGとしても、そしてCFとしても対応できるなど適応力も高い。身体的にも強靭で、自分より大きなDFにも対応できる。こぼれ球の処理にも秀でている[48]。 セットプレーのキッカーとしても優れる[49]

メッシ自身は自らのプレーがラ・マシアで培われたバルセロナのスタイルに起因するところが大きいとし、直感を重視して本能的にプレーしていると述べている[50]

正確無比なプレーはしばしば「プレイステーションの中の選手のようだ」と喩えられることがある[51][52]

元々は利き足とは逆の右ウィングを持ち場とし、サイドを深くえぐってからのセンタリングや、ドリブルで内側へ切り込んでからのシュートを武器としていた。グアルディオラ監督の采配により0トップ布陣の中央へ移動し[53]、センターフォワードよりも下がった位置で動き回る「ファルソ・ヌエベ(偽の9番)」の役割を会得[54]。2014-15年シーズン途中からは再び右ウイングにポジションを移している[55]

評価[編集]

史上最多となる5回のバロンドールに輝くなど、サッカー史上最高の選手の1人とされ、ジョゼップ・グアルディオラ[56]シャビ[57]セルヒオ・バティスタ[58]など、歴代最高の選手とする声も多い[59]

クリスティアーノ・ロナウドとは、2000年代後半以降は世界最高の選手として度々比較されている[60][61][62]。ロナウドと互いの実力を認め合っており[63][64]、ロナウドはメッシをライバルとして意識している[65]

アレックス・ファーガソンは教え子であるロナウドを世界最高の選手に挙げながらも、メッシの真面目さとサッカーへの愛情、ボールを奪いに行く勇気を高く評価し「ロナウドとは違うタイプの選手で、素晴らしい選手であることに疑いはない」と賛辞を送っている[62]

アーセン・ヴェンゲルは「リオネル・メッシは2位以下を大きく引き離して世界のトップにいる」と世界最高の選手と評価し、トップスピードでありながら方向を変えることができるドリブル技術を「危険極まりない脅威」と表現した[66][67]

アルフレッド・ディ・ステファノは個人技や創造性、両足での決定力に加え、チームのためにプレーする姿勢を高く評価し[68]、自らを魅了する選手の一人であるとしている[59][69]。アルゼンチン代表におけるキャプテン就任についても「数々のタイトルを獲得したメッシはプレッシャーに耐える術を知っている人間であり、彼に相応しい名誉だ」として支持している[69]。マラドーナとの比較については「時代が違う」として、必要のないことであると述べている[69]

デビッド・ベッカムもメッシを世界最高の選手に挙げ、献身的なプレーとともに全ての試合を楽しむ姿勢を評価している[70]ズラタン・イブラヒモビッチも同様にメッシをバロンドールに値する世界最高のプレーヤーと賞賛し、プレイステーションで遊ぶように軽々とプレーすることが信じられないと述べた[71]

ディエゴ・マラドーナは「(メッシが歴代最高の選手かどうかは)歴史が決めること」であるとしながらも、メッシのプレーを見ることが喜びであると語り[72]、メッシが史上最高の選手となることを望む旨を度々発言している[73][74]。マラドーナはメッシのプレーだけでなく、その人柄も高く評価している[75]

サッカー以外[編集]

法的問題[編集]

2013年、メッシと父親のホルヘは、スペイン税務当局から所得税を脱税した容疑で告発された。6月20日、バルセロナのガバ裁判所は告発を受理し、メッシに同年9月17日の出廷を命じた。8月、ホルヘは指摘された税の未納分に利子をつけて500万ユーロ(約6億6400万円)を支払ったが、父子は今なお司法当局の捜査を受けている。

2013年の税務当局の告発は、メッシ父子が実体のない会社をウルグアイとベリーズの租税回避地に設立して、2007年[76]から2009年の3年間、これらに形だけ肖像権を譲渡して収入を偽り、416万ユーロ(約5億5300万円)の支払いを免れたとしている。この疑惑についてメッシとホルヘは関与を否定しており、2013年9月27日に法廷で不正は元代理人によるものと主張した[77]

2014年、バルセロナ検察はメッシ本人の起訴を見送る考えを示したが、裁判所は同年7月28日検察からの起訴見送り要求を棄却し、「メッシ本人が脱税を容認していた可能性がある」として捜査の続行を命じた[78]

2015年6月10日、検察官は「メッシは父親の行為を知らなかった」と発表し、再び告訴の取り下げを表明したが、裁判所は検察の方針を覆してメッシ本人からの2回の異議申し立ても却下し、メッシは税務当局と和解を得られないかぎり裁判にかけられることになった[79]

同年10月6日[80]、バルセロナ検察は「メッシの全ての嫌疑は晴れた」として三たびメッシへの告訴を取り下げ、父親にのみスペインの税務局をだましたとして18ヶ月の懲役と罰金209万ユーロ(約2億7000万円)[81]を求刑する意向を示したが、これも却下した。税務署側の弁護士はホルヘとメッシの両者ともに22ヶ月の禁錮刑を求めた[82]。裁判所はホルヘの審理と本人の審理を平行して進める考えを示し、メッシ本人も召喚されることが決まった。その後、裁判所は契約書にメッシのサインがあることに加えて、親子の関係でこれほど重要な契約の話がまったく行われていなかったのは不自然とし、親子に21ヶ月の懲役刑を下した。

レオ・メッシ財団[編集]

2007年、「レオ・メッシ財団」を設立。難病の人々の救済や彼らの夢を叶え、平等の機会を与えるという信念の元に、自身と家族のアイデアから設立された。財団のホームページは現在では5ヶ国語に翻訳されている。

他の慈善団体と協力してイベントの実施や病院や施設などを訪れたり、施設環境の向上に尽力している模様はブログなどでも度々語られており、その活動が認められユニセフより国際親善大使に任命されている[83]

2008年、財団のホームページとは別に日本でオフィシャルブログを開設した。経緯としては、ファンへの情報配信と財団の協賛企業集めの一環である。財団の存在や活動内容を周知するアンテナの役目も果たしている。2009年には中国語版も開設されたが、英語版やスペイン語版などの開設の目処は立っていない。メッシの個人スポンサーが1業種1社の条件で契約を結んでいるため、同業他社からスポンサーは得ることができず、協賛企業が見つからず開設できないという[84]

エピソード[編集]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

2016年5月22日現在
クラブ シーズン ディビシオン 背番号 リーガ 国王杯 UEFA
CL
国内スー
ペル杯
UEFAスー
パー杯
FIFA
CWC
シーズン
通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
FCバル
セロナB
2003-04 セグンダB 5 0 - - - - - - - - - - 5 0
2004-05 17 6 - - - - - - - - - - 17 6
セグンダB通算 22 6 - - - - - - - - - - 22 6
FCバル
セロナ
2004–05 プリメーラ 30 7 1 1 0 1 0 - - - - - - 9 1
2005–06 19 17 6 2 1 6 1 - - - - - - 25 8
2006–07 26 14 2 2 5 1 2 0 1 0 - - 36 17
2007–08 28 10 3 0 9 6 - - - - - - 40 16
2008–09 10 31 23 8 6 12 9 - - - - - - 51 38
2009–10 35 34 3 1 11 8 1 2 1 0 2 2 53 47
2010–11 33 31 7 7 13 12 2 3 - - - - 55 53
2011–12 37 50 7 3 11 14 2 3 1 1 2 2 60 73
2012–13 32 46 5 4 11 8 2 2 - - - - 50 60
2013–14 31 28 6 5 7 8 2 0 - - - - 46 41
2014–15 38 43 6 5 13 10 - - - - - - 57 58
2015–16 33 26 5 5 7 6 2 1 1 2 1 1 49 41
通算 348 312 55 39 106 83 13 11 4 3 5 5 531 453

代表[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

国際Aマッチ 111試合 54得点(2005年- )


アルゼンチン代表 国際Aマッチ
出場 得点
2005 5 0
2006 7 2
2007 14 6
2008 8 2
2009 10 3
2010 10 2
2011 13 4
2012 9 12
2013 7 6
2014 13 8
2015 8 4
2016 7 6
通算 112 55

ゴール[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

スペインの旗 FCバルセロナ

代表[編集]

北京オリンピックでのメッシ
アルゼンチンの旗 U-20アルゼンチン代表
アルゼンチンの旗 U-23アルゼンチン代表

個人[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 成長ホルモンの分泌障害を抱え、その治療のための成長ホルモン投与によって現在の身長を得ている[6]
  2. ^ 2009年はFIFA年間最優秀選手バロンドールが統合される前だが、メッシは両賞を受賞している
  3. ^ メッシ以前のアルゼンチン出身の受賞者は1957、59年のアルフレッド・ディ・ステファノ、1961年のオマール・シボリであるが、当時は受賞資格が欧州国籍の選手にしか与えられておらず、ディ・ステファノはスペイン人、シボリはイタリア人としてそれぞれ受賞している。そのためアルゼンチン人としてバロンドールを受賞したのはメッシが初である。
  4. ^ それぞれカカクリスティアーノ・ロナウドの次点である。
  5. ^ サラゴサ戦の4点目に、ズラタン・イブラヒモヴィッチがメッシの得たPKを決めて記録は止まった。
  6. ^ 1試合4得点は自身初めてのことである

出典[編集]

  1. ^ 2014 FIFAワールドカップの資料では"Lionel Andrés Messi Cuccittiniリオネル・アンドレス・メッシ・クッシッチーニ)"という複合姓になっていたが、本編ではアルゼンチンの習慣とFCBarcelona.comと公式伝記でのMessiの単独姓で表記している。
  2. ^ 'Lio' Messi y el 'Kun' Agüero se lucieron y volvieron a convertir goles en amistosos” (Spanish). 2016年4月7日閲覧。
  3. ^ Deslumbra la llegada del 'Messías'” (Spanish). Perú21. 2011年5月29日閲覧。
  4. ^ El mundo habla de Messi” (Spanish). La República. 2011年5月29日閲覧。
  5. ^ "Profile: Lionel Andrés Messi". FC Barcelona. 2016年4月7日
  6. ^ a b c 「メッシ 169センチの、本気! 」ルーカ・カイオーリ著 東邦出版 2010年2月18日
  7. ^ Carlin, John (2010年3月27日). “Lionel Messi: Magic in his feet”. London: The Independent. http://www.independent.co.uk/news/people/profiles/lionel-messi-magic-in-his-feet-1928768.html 2010年4月7日閲覧。 
  8. ^ Veiga, Gustavo. “Los intereses de Messi” (Spanish). Página/12. 2009年5月31日閲覧。
  9. ^ a b Hawkey, Ian (2008年4月20日). “Lionel Messi on a mission”. London: Times Online. http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/football/european_football/article3779961.ece 2009年5月30日閲覧。 
  10. ^ Carlin, John (2010年3月27日). “Lionel Messi: Magic in his feet”. London: The Independent. http://www.independent.co.uk/news/people/profiles/lionel-messi-magic-in-his-feet-1928768.html 2010年4月7日閲覧。 
  11. ^ Veiga, Gustavo. “Los intereses de Messi” (Spanish). Página/12. 2009年5月31日閲覧。
  12. ^ sportsnavi.com メッシ「確実にボールを押し込むために胸を使った」 2009年12月20日
  13. ^ a b メッシの大活躍に称賛の嵐 Livedoorスポーツ 欧州通信 2010年4月7日
  14. ^ メッシ2発締めでバルサV2!さあ南アへ 2010年5月18日 スポニチ Sponichi Annexニュース
  15. ^ 初代UEFA欧州最優秀選手にメッシUEFA.com 2011年8月25日
  16. ^ メッシ、バルサ歴代2位に並ぶ通算194ゴール…指揮官は賛辞とともに引退を危惧SOCCER KING 2011年9月29日
  17. ^ メッシ、通算196ゴールでバルセロナ歴代得点記録単独2位にSOCCER KING 2011年10月17日
  18. ^ バルセロナのメッシ、ラウールらを抜きCL決勝Tの歴代得点王にSOCCER KING 2012年2月17日
  19. ^ Barcelona v Valencia Messi rips Valencia apartESPN Soccernet
  20. ^ メッシ、累積警告によりプロ入り初の出場停止…次節のヒホン戦欠場へSOCCER KING 2012年2月28日
  21. ^ メッシがCL史上初の5ゴール…バルサが7発完勝でベスト8進出SOCCER KING 2012年3月8日
  22. ^ メッシがバルサ歴代トップの通算234ゴール…24歳の若さで達成SOCCER KING 2012年3月21日
  23. ^ メッシが元ブラジル代表FWロナウドの記録を破る…今季リーグ35得点目SOCCER KING 2012年3月25日
  24. ^ メッシがCLのシーズン最多得点記録を更新…ミラン戦で今季14点目SOCCER KING 2012年4月4日
  25. ^ メッシが公式戦1シーズン60得点を達成…39シーズンぶりの快挙SOCCER KING 2012年4月8日
  26. ^ メッシが今季68ゴールでシーズン最多得点記録…バルサは4発快勝SOCCER KING 2012年5月3日
  27. ^ マドリーが勝ち点100到達に前進、バルサはメッシがリーガ50得点記録Goal.com 2012年5月6日
  28. ^ バルサのメッシが14ゴールで史上初の4季連続CL得点王に輝く SOCCER KING 2012年05月20日
  29. ^ [ http://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20121210/85092.html メッシが今年86ゴール目で年間得点記録更新] SOCCER KING 2012年12月10日
  30. ^ メッシが4年連続の最優秀選手賞 サッカーFIFACNN.co.jp 2013年1月7日
  31. ^ メッシが25歳217日で200得点を記録…ラウールなどを抜き史上最年少 SOCCER KING 2013年1月28日
  32. ^ 17戦連続弾 メッシ、サッカー史に新たな記録
  33. ^ メッシ19戦連発!!リーガの全19チームから連続ゴールの快挙達成
  34. ^ a b やはりメッシは「10番」…デビューから代表引退示唆までの奇妙な数字SOCCER KING 2016年6月28日
  35. ^ Messi: "Era el momento de aceptar la cinta"canchallena.com 2011年9月4日
  36. ^ 主将メッシ、代表初のハットトリックに喜び「特別なゴールになった」SOCCER KING 2012年3月2日
  37. ^ 親善試合でハットのメッシ、代表通算でマラドーナ抜くSOCCER KING 2013年6月15日
  38. ^ マラドーナ氏:「メッシのMVP受賞は不当」GOAL 2014年7月14日
  39. ^ [1]GOAL 2014年7月14日
  40. ^ コパ・アメリカ、異例の“大会MVP空席”に。メッシが受賞を辞退フットボールチャンネル(2015年7月6日) 2016年6月29日閲覧
  41. ^ メッシ、南米で4人目となる記録を達成していた Qoly 2015年9月8日
  42. ^ 復帰のメッシが圧巻のハット…アルゼンチン、5発快勝で決勝T進出決めるSOCCER KING 2016年6月11日
  43. ^ 代表54得点でバティストゥータ氏に並んだメッシ「タイトルを強く望んでいる」 SOCCER KING 2016年6月19日
  44. ^ メッシ、代表通算得点記録を更新…FK弾でバティストゥータ氏を抜くSOCCER KING 2016年6月22日
  45. ^ a b コパ決勝でPK失敗のメッシ、代表引退を示唆…国際タイトル獲れずSOCCER KING 2016年6月27日
  46. ^ 代表引退示唆のメッシ…バルサが公式サイトで発表「終焉を迎えた」SOVVER KING 2016年6月28日
  47. ^ 選手名鑑 【アルゼンチン】リオネル・メッシ jiji.com
  48. ^ リオネル・メッシ FCBARCELONA.JP
  49. ^ ラキティッチが華麗なFKを決めるも、指揮官「セットプレーはメッシのもの」サッカーキング 2015年5月3日閲覧。
  50. ^ メッシ「バルサのスタイルは、まるで僕のために作られたかのよう」Livedoorスポーツ 2011年4月4日
  51. ^ イブラ:「メッシはプレステみたい」Goal.com 2009年8月3日
  52. ^ L・エンリケ:「メッシのプレーはキャプテン翼でも見たことがない」Goal.com 2014年9月14日
  53. ^ 田邊雅之(2011年6月11日)"最新トレンドは「ポジションレス」!?CL決勝にみる、バルサ究極の進化形。". Number web. 2013年3月4日閲覧。
  54. ^ 浅野祐介、スコット・シールズ文協力(2011年10月14日)"メッシとルーニー、現代サッカーが生んだ2人の“ニュータイプ”". Livedoorスポーツ(SOCCER KING). 2013年3月4日閲覧。
  55. ^ L・スアレス、メッシが右WGにポジション変えたきっかけを明かす Goal.com(2015年4月14日) 2015年11月15日閲覧。
  56. ^ ペップ:「メッシは史上最高のプレーヤー」Goal.com 2011年5月29日
  57. ^ シャビがメッシを絶賛「メッシはペレやマラドーナ、クライフより上」SOCCER KING 2011年6月7日
  58. ^ バティスタ:「メッシは歴史上最高の選手になる」Goal.com 2011年2月9日
  59. ^ a b アルゼンチン紙がメッシを大絶賛「メッシはマラドーナを超えた」SOCCR KING 2011年5月31日
  60. ^ C・ロナウドがメッシより優れている点Livedoor.com、2010年4月9日
  61. ^ サッキ氏:「C・ロナウドはメッシに劣る」Goal.com 2011年11月2日
  62. ^ a b ファギー:「メッシよりC・ロナウドの方が上」Goal.com 2011年4月27日
  63. ^ C・ロナウド:「メッシをリスペクトしている」 asahi.com、2009年5月26日
  64. ^ メッシ 「C・ロナウドはお金を払ってでも見たい選手」 AFP BB News、2009年5月27日
  65. ^ C・ロナウドがメッシに挑戦状「どちらが上かは、いずれ分かる」SOCCER KING 2011年11月5日
  66. ^ ヴェンゲル監督「メッシは世界最高の選手」Livedoorスポーツ 2010年4月7日
  67. ^ 負けず嫌いの3歳の少年が世界最高の選手へ。リオネル・メッシ、そして伝説へ。excite.ニュース、2013年2月20日
  68. ^ モウリーニョ、UEFA処分に正式に異議申し立てGoal.com 2011年6月11日
  69. ^ a b c ディ・ステファノ:「メッシのゴールを楽しんでいる」 Goal.com 2011年10月31日
  70. ^ ベッカム:「世界最高の選手はメッシ」Goal.com 2011年7月17日
  71. ^ Ifreke Inyang. ““Messi plays as if he’s on PlayStation, Zidane made other players look good” – Ibrahimovic”. デイリー・ポスト. http://dailypost.ng/2012/12/19/messi-plays-hes-playstation-zidane-made-players-look-good-ibrahimovic/ 2016年4月閲覧。 
  72. ^ マラドーナ:「メッシが最強かは歴史が決める」 現場復帰の噂には…Livedoorスポーツ 2011年4月30日
  73. ^ マラドーナもメッシを絶賛 「彼が史上最強だ」Livedoorスポーツ 2010年4月8日
  74. ^ メッシの活躍を願うマラドーナLivedoorスポーツ 2010年6月12日
  75. ^ マラドーナ:「メッシはファンタスティック」Goal.com 2011年5月30日
  76. ^ 13年9月のAFPの報道では2006年になっているが、他の新聞は2007年としている。またAFPも訂正は出していないが続報では2007年としている。
  77. ^ Daniel Bosque (2013年9月28日). “メッシが裁判所に出廷、脱税容疑について弁明”. AFPBB News. http://www.afpbb.com/article/sports/soccer/spain/2970727/11421030 2013年9月28日閲覧。 
  78. ^ “AFP メッシの脱税疑惑、裁判所が検察の訴訟見送り要求を棄却”. AFPBB News. (2014.07.29. 09:50). http://www.afpbb.com/articles/-/3021709 
  79. ^ “AFP メッシ側の異議却下、脱税疑惑での裁判に直面”. AFPBB News. (2015.06.11. 15:02). http://www.afpbb.com/articles/-/3051397 
  80. ^ 報道によっては7日
  81. ^ “産経新聞 メッシが1年の出場停止? 脱税で禁錮求刑 復帰遅れならアルゼンチンのW杯出場もピンチに”. 産経新聞. (2015.10.18 07:00). http://www.sankei.com/premium/news/151018/prm1510180016-n1.html 
  82. ^ “AFP 脱税疑惑のメッシ、裁判は5月31日から コパ特別大会出場に影響も”. AFPBB News. (2016.01.21. 15:11). http://www.afpbb.com/articles/-/3073957 
  83. ^ レオ・メッシ財団(日本語)
  84. ^ 日本語だけ 世界でただひとつのメッシ・ブログ 読売新聞2009年12月16日付(2010年5月27日閲覧)、「メッシのブログ 日本発」朝日新聞2010年5月27日付東京版夕刊
  85. ^ 『ウイイレ2009』のイメージキャラクターがメッシ選手に決定” (2008年10月14日). 2010年3月26日閲覧。
  86. ^ メッシ、トーレスのコメントも! 『ウイイレ2010』、本体同梱版が発売決定【TGS2009】” (2009年9月24日). 2011年10月30日閲覧。
  87. ^ 「ウイニングイレブン」が日本のサッカーをさらに熱くする”. コナミデジタルエンタテインメント. 2010年3月26日閲覧。
  88. ^ メッシ“引き抜き”を画策、門前払いを食らった“田舎”クラブ
  89. ^ http://www.cinematoday.jp/page/N0033058
  90. ^ メッシとボージャンは親戚だった?Goal.com 2011年10月14日
  91. ^ メッシ歓喜、ついに父親にGoal.com 2012年11月3日
  92. ^ The World's Highest-Paid Athletes Forbes.com 2014年6月発表。
  93. ^ 米経済誌発表のスポーツ選手長者番付…C・ロナウドがサッカー界のトップに
  94. ^ Leo Messi thanks Steph Curry for sending him a signed jersey
  95. ^ http://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20150315/291041.html
  96. ^ UEFA Champions League squad of the season”. Union of European Football Associations (2015年6月9日). 2015年6月9日閲覧。

外部リンク[編集]