ロベルト・アボンダンシェリ
ナビゲーションに移動
検索に移動
![]() | この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。(2016年7月) |
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
![]() | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ロベルト・カルロス・アボンダンシェリ Roberto Carlos Abbondanzieri | |||||
愛称 | エル・パト (アヒル) | |||||
ラテン文字 | Roberto ABBONDANZIERI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() ![]() | |||||
生年月日 | 1972年8月19日(46歳) | |||||
出身地 | ボウケト | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 88kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
![]() | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1996 |
![]() | 57 | (0) | |||
1997-2006 |
![]() | 204 | (0) | |||
2006-2009 |
![]() | 83 | (0) | |||
2009-2010 |
![]() | 28 | (0) | |||
2010 |
![]() | 8 | (0) | |||
通算 | 380 | (0) | ||||
代表歴 | ||||||
1989 |
![]() | 3 | (0) | |||
2004-2008 |
![]() | 49 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2012-2014 |
![]() | |||||
2015 |
![]() | |||||
2016- |
![]() | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年4月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ロベルト・カルロス・アボンダンシェリ(Roberto Carlos Abbondanzieri, 1972年8月19日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ州出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。
経歴[編集]
1996年までアルゼンチンのCAロサリオ・セントラルに所属していたが、同年にボカ・ジュニアーズに移籍。はじめはコロンビア代表のオスカル・コルドバの控えであったが、彼の移籍に伴い、正ゴールキーパーの座についた。ボカでは中心選手として、3度のコパ・リベルタドーレスを獲得。2003年には南米最優秀GKにも選出されている。2006年の夏にリーガ・エスパニョーラのヘタフェと契約し、初めて国外でプレーすることとなった。そして初年度の2006-07シーズンにはリーガ最少失点を記録し、サモラ賞を受賞した。ヘタフェでは、アルゼンチン代表の若きオスカル・ウスタリと同僚であった。2009年1月23日、ボカ・ジュニアーズに復帰した。2010年2月17日に、ブラジルのSCインテルナシオナルに移籍。12月18日、アラブ首長国連邦で開かれたFIFAクラブワールドカップ2010の3位決定戦で後半29分に途中交代で出場し、勝利に貢献。この試合をもって現役を引退した。
代表デビューは2004年6月6日に行われたパラグアイ戦。クラブ、そして代表での実績が認められ、2006 FIFAワールドカップではアルゼンチン代表の正GKとして全5試合に出場した。準々決勝のドイツ戦ではミロスラフ・クローゼと接触して負傷し、控えGKのレオ・フランコと交代した。チームはPK戦の末敗れた。
個人成績[編集]
代表での成績[編集]
- 出典[1]
アルゼンチン代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2004 | 11 | 0 |
2005 | 9 | 0 |
2006 | 9 | 0 |
2007 | 14 | 0 |
2008 | 6 | 0 |
合計 | 49 | 0 |
脚注[編集]
- ^ “Abbondanzieri, Roberto”. National-Football-Teams.com. 2016年10月29日閲覧。
外部リンク[編集]
- ロベルト・アボンダンシェリ – FIFA主催大会成績 (アーカイブ)(英語)
|