ボージャン・クルキッチ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はクルキッチ第二姓(母方の)はペレスです。
ボージャン・クルキッチ Football pictogram.svg
Bojan Cat2013.jpg
カタルーニャ州選抜でのボージャン (2013年)
名前
本名 ボージャン・クルキッチ・ペレス
Bojan Krkić Pérez
ラテン文字 BOJAN
セルビア語 Бојан Кркић
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1990-08-28) 1990年8月28日(26歳)
出身地 カタルーニャ州の旗 カタルーニャ州バルセロナ県リニョーラ
身長 170cm
体重 65kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 ストーク・シティFC
ポジション FW (CF)
背番号 27
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2007 スペインの旗 バルセロナB 22 (10)
2007-2011 スペインの旗 バルセロナ 104 (26)
2011-2013 イタリアの旗 ローマ 33 (7)
2012-2013 イタリアの旗 ミラン (loan) 19 (3)
2013-2014 スペインの旗 バルセロナ 0 (0)
2013-2014 オランダの旗 アヤックス (loan) 24 (4)
2014- イングランドの旗 ストーク 43 (11)
代表歴2
2006-2007 スペインの旗 スペイン U-17 20 (16)
2007-2011 スペインの旗 スペイン U-21 21 (4)
2008 スペインの旗 スペイン 1 (0)
2007 カタルーニャ州の旗 カタルーニャ 6 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年5月23日現在。
2. 2013年7月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ボージャン・クルキッチ・ペレス(Bojan Krkić Pérez, 1990年8月28日 - )は、スペインカタルーニャ州リェイダ県リニョーラ出身のサッカー選手プレミアリーグストーク・シティFC所属。ポジションはFWボージャンの他にボヤンとも表記されるが、出身地のカタルーニャ地方では、ボージャンという発音が最も近い。

同名の父、ボージャン・クルキッチは1980年代レッドスター・ベオグラードでプレーしたセルビア人の元サッカー選手で、現在はFCバルセロナのスカウトを務める。母はスペイン人(カタルーニャ人)の看護師。そのためカタルーニャ代表としてもプレーする。

略歴[編集]

幼少のころに名門バルセロナに入団し、カンテラの各カテゴリの得点記録を軒並み塗り替え、バルセロナの若手有望株と期待された。特に2006年に昇格したセカンドチームであるバルセロナBではセンターフォワードのレギュラーポジションに定着し、22試合で10ゴールとジョバニ・ドス・サントスらとともにオフェンスの中心を担う活躍をみせるなど、カンテラ通算7年間(1999年~2006年)で900点以上をあげた[1]

この活躍が評価され、2007-08シーズンからはわずか16歳にしてドス・サントスと共にトップチームへの昇格し、直後のプレシーズンマッチ第2戦のハーツ戦にて得点に絡む活躍を見せている。

リーガ・エスパニョーラにデビューしたのは2007年9月16日のリーガ第3節CAオサスナ戦であり、17歳と18日という若さでのデビューとなった。また、その3日後の9月19日に行われたオリンピック・リヨン戦でUEFAチャンピオンズリーグのデビューを果たした。

そして、それから1ヵ月後の10月20日、リーガ第8節ビジャレアルCF戦で得点を挙げてクラブ最年少得点記録を更新した。この初ゴールのアシストは、それまでの記録保持者であるメッシであった。この2007-08シーズンではリーガデビューからコンスタントに試合に出場し、リーガ10ゴールを挙げるなどトップチームに定着するに至った。これは同じく17歳でデビューしたラウル・ゴンサレスの9ゴールを抜きリーガ・エスパニョーラの新人記録となった。

なお、デビュー時点では、スペインの労働法により18歳未満とはプロ契約を結べなかった為、バルセロナとプロ契約をしていなかった。このため、マンチェスター・ユナイテッドアーセナルチェルシーといったイングランドのクラブがボージャンを獲得しようとしたが、本人はバルセロナを離れるつもりはないと明言し、最終的には18歳になった直後にバルセロナとプロ契約を結んだ。

2008-09シーズンから背番号を移籍したジャンルカ・ザンブロッタが付けていた11に変更した。

スペイン代表としては2008年2月のフランスの親善試合で初めて招集され、代表の最年少出場記録を塗り替えることが期待されたものの、体調を崩したため出場することはなかった。その後、2008年9月10日ワールドカップ2010予選のアルメニア戦で代表デビューを果たした。

2010-11シーズンから背番号を移籍したズラタン・イブラヒモビッチが付けていた9に変更した。2010年12月にはFCバルセロナとの契約を2015年まで延長。契約解除金はそれまでの8000万ユーロから増額され、1億ユーロに設定された [2]。2011年3月リーガエスパニョーラ第29節ヘタフェ戦で、クラブ史上最年少でリーガ100試合出場を遂げ、「本当に素晴らしい夜だった。僕にとっても、チームにとってもこのような試合は必要だったんだ。ピッチに立てて、それもゴールを決められてうれしいよ。100試合出場だって気付いたときは、鳥肌が立ったんだ。それもバルサでの100試合出場。これまでやってきた自分の仕事を、とても誇らしく思っている。これだけ早く100試合出場を達成できたのは、サポーターのおかげだ。いつもファンから愛されていると感じてきたし、そのことが僕に戦い続ける力を与えてくれているんだ」とコメントした[3]

出場機会を求めて、2011年7月にルイス・エンリケ率いるASローマに1200万ユーロで移籍。なお、この移籍契約には2012-13シーズン終了後にFCバルセロナが1300万ユーロで義務的買戻しを実行する条項が含まれている。 この買戻しはASローマによって阻止することは可能だが、その場合は移籍金の総額が4000万ユーロへと増額される[4]。10月1日、アタランタBC戦においてダニエレ・デ・ロッシからのアシストで移籍後初ゴールを記録した。

2012年ASローマからACミランにレンタル移籍[5]。1シーズンのこのレンタル移籍に関して、ローマとバルセロナの間の前述の契約内容に影響は無い旨、レンタル発表時にFCバルセロナは公式サイトで伝えている[6]

2013年7月、バルセロナへ復帰し、アヤックスに1年間のレンタルで加入した[7]

2014年7月22日、ストーク・シティFCに4年契約で移籍した[8]

エピソード[編集]

  • カタルーニャの親善大使である。
  • 元チームメイトのリオネル・メッシとはメッシとボージャンの曾祖父どうしが兄弟で遠縁の親戚である[9]

個人成績[編集]

クラブ ディビジョン シーズン リーグ カップ リーグカップ UEFA その他* 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
FCバル
セロナB
セグンダB 2006–07 22 10 22 10
通算 22 10 22 10
FCバル
セロナ
プリメーラ 2007–08 31 10 8 1 9 1 48 12
2008-09 23 2 9 5 10 3 42 10
2009–10 23 8 4 2 5 1 4 1 36 12
2010–11 27 6 5 1 3 0 2 0 37 7
通算 104 26 26 9 0 0 27 5 6 1 163 41
ローマ セリエA 2011–12 33 7 2 0 2 0 37 7
通算 33 7 2 0 0 0 0 0 2 0 37 7
ミラン 2012–13 19 3 2 0 0 0 6 0 27 3
通算 19 3 2 0 0 0 0 0 6 0 27 3
アヤックス エールディヴィジ 2013–14 24 4 3 1 4 0 1 0 32 5
通算 24 4 3 1 0 0 4 0 1 0 32 5
ストーク プレミアリーグ 2014-15 16 4 1 1 1 0 18 5
2015-16 27 7 1 0 3 0 31 7
通算 43 11 2 1 4 0 0 0 0 0 49 12
セグンダB通算 22 10 22 10
プリメーラ通算 104 26 26 9 0 0 27 5 6 1 163 41
セリエA通算 52 10 4 0 0 0 8 0 0 0 64 10
エールディヴィジ通算 24 4 3 1 0 0 4 0 1 0 32 5
プレミアリーグ通算 43 11 2 1 4 0 0 0 0 0 49 12
総通算 245 61 35 11 4 0 39 5 7 1 330 78

タイトル[編集]

U-21欧州選手権でのボージャン

クラブ[編集]

スペインの旗 FCバルセロナ
オランダの旗 アヤックス

代表[編集]

U-17スペイン代表
U-21スペイン代表

脚注[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]