コンテンツにスキップ

1.FSVマインツ05

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1.FSVマインツ05
原語表記 1. Fußball- und Sport-Verein Mainz 05 e.V.
愛称 Die Nullfünfer (05の人)
Karnevalsverein (カーニバルクラブ)
クラブカラー    
   
創設年 1905年
所属リーグ ドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 1部(2025-26
昨季リーグ順位 6位(2024-25
ホームタウン ラインラント=プファルツ州の旗 マインツ
ホームスタジアム
コファス・アレーナ
収容人数 34,034人
代表者 ドイツの旗 シュテファン・ホフマン
監督 スイスの旗 ウルス・フィッシャー
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

エアスター・フースバル・ウント・シュポルトフェアアイン・マインツ・ヌルフュンフe.V.1. Fußball- und Sport-Verein Mainz 05 e. V.)は、ドイツラインラント=プファルツ州マインツに本拠地を置くサッカークラブ。2025-26シーズンはブンデスリーガに所属している。

歴史

[編集]

前史

[編集]

1905年、前身となる1.マインツァー・フースバルクラブ・ハッシア1905 (1. Mainzer Fussballclub Hassia 1905) が設立され、共同創設者でユダヤ系オイゲン・ザロモンドイツ語版が会長に選出された。翌1906年から南ドイツリーグに参加した。

数年後にFCヘルマニア07 (FC Hermannia 07) と合併して1.マインツァー・フースバルフェアアイン・ハッシア05 (1. Mainzer Fussballverein Hassia 05) が成立し、1912年にはクラブ名からハッシアが削除された。第一次世界大戦後の1919年にシュポルトフェアアイン1908マインツ (Sportverein 1908 Mainz) と合併して、1. マインツァー・フースバル・ウント・シュポルトフェアアイン05 (1. Mainzer Fußball- und Sportverein 05) が成立した。Die Nullfünferはヘッセン地区リーグを制した後、1921年に全国選手権の開幕戦に出場した[1]

1933年にナチス政権が成立するとマインツ05はユダヤ人クラブとみなされ、オイゲン・ザロモンをはじめとするユダヤ人役員が全員解任された。ザロモンは同年にドイツを離れた。1938年には国有鉄道のチームであるライヒスバーンSVマインツとの合併を余儀なくされ、第二次世界大戦の終戦までライヒスバーンSVマインツ (Reichsbahn SV Mainz 05) として活動していた[1]

第二次世界大戦後から1990年代まで

[編集]

第二次世界大戦後は当時の西ドイツ・南西地域の最上位リーグ(セミプロリーグ)であるオーバーリーガ・ズートヴェストに参戦していたものの、中位以上の成績を収めることはできなかった。1963年には全国リーグかつプロリーグとなるブンデスリーガが創設されたが、マインツ05はその後も40年にわたって2部以下のリーグで戦うことになった。1970年代後半から1980年代後半にかけては財政問題によりアマチュア・オーバーリーガ・ズートヴェストに降格して同リーグに参戦していた[2]

1988-89シーズンにプロリーグである2. ブンデスリーガに昇格した。その後も長く同リーグに属した。

2000年代

[編集]

2001年にクラブOBのユルゲン・クロップが監督に就任した後は急速に力を付け始め、2シーズン連続で1部昇格を争うほどになる。2004-05シーズンには、創立から100年目にして初のブンデスリーガ昇格を果たし、シーズン最終順位は11位で1部残留も決める。またこのシーズン終了後にはUEFAフェアプレー賞をドイツのクラブ代表として受賞し、これによってクラブ史上初のUEFAカップ出場権も獲得した。

ブンデスリーガでも稀な程の遅咲きなクラブであるが、代表クラスのメンバーもほとんど所属しない中でクロップ監督が選手達を上手くオーガナイズ。1部でもその走力を土台にした組織サッカーが存在感を発揮しつつあったが、2006-07シーズンは16位に終わり4シーズンぶりの2部降格が決定。留任が決まっていたクロップ監督の下、1部への返り咲きを目指したが、4位と昇格を逃した。

2008-09シーズンはヨルン・アンデルセン監督の下で2部2位となり、2年ぶりの1部復帰となった。しかし1部復帰した途端にアンデルセン監督は傲慢になり、合宿でゴルフに興じたりの問題行動を連発。これにより開幕直前に電撃解任される。前期マインツU-19をドイツ全国大会で優勝へ導いた36歳のトーマス・トゥヘルが急遽トップ監督に引き上げられた。

2010年代

[編集]

2010年6月30日、マインツ市議会の投票により建設中の新スタジアムへのアクセス道路が初代会長にちなんで「オイゲン・ザロモン通り」と命名されることが決定した[3]

2010-11シーズンは開幕7連勝し、一時はリーグ首位に立った。シーズン終了後は過去最高の5位となり、2011-12UEFAヨーロッパリーグ出場を決めた。

2011年4月6日にオイゲン・ザロモン通りの開通式が開催され[3]、7月3日にコファス・アレーナ(34,034人収容)の開場式が行われた[4]。これに伴い、マインツ05は2011-12シーズンより本拠地をコファス・アレーナに移転した。

なお、前本拠地のブルヒヴェーク・シュタディオンは収容人数20,300のうち11,600が座席付き、残り8,700が立見席となっていた。また、ブルヒヴェーク・シュタディオンの屋根にはソーラーパネルが取り付けられ、シャープCMで紹介されたことがある。

2011年9月23日、不明だった初代会長オイゲン・ザロモンの消息について新たな研究結果が発表され、1933年にドイツを出国してフランスに移住するも1942年にナチスに拘束され、同年11月14日にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にて殺害されていたことが判明した[5]

2013-2014シーズンを7位で終えたが、2014年5月11日、クリスティアン・ハイデルSDよりトーマス・トゥヘルの契約期間を1年残し事実上の辞任が発表された。後任にはカスパー・ヒュルマンドが就いた。

2015年2月17日朝、成績低迷によりカスパー・ヒュルマンド監督の解任を発表した。後任にはマルティン・シュミットが就く旨も同時に発表された。

2018年夏にアブドゥ・ディアロ武藤嘉紀スアト・セルダル等を放出し、得た資金を元にジャン=フィリップ・マテタピエール・クンデムサ・ニアカテアーロン・マルティンを獲得。

2020年代

[編集]

タイトル

[編集]

国内タイトル

[編集]

なし

国際タイトル

[編集]

なし

過去の成績

[編集]
シーズン リーグ戦 DFBポカール
ディビジョン 順位
2003-04 ブンデスリーガ2部 34 13 15 6 49 34 54 3位 1回戦敗退
2004-05 ブンデスリーガ1部 34 12 7 15 50 55 43 11位 2回戦敗退
2005-06 34 9 11 14 46 47 38 11位 準々決勝敗退
2006-07 34 8 10 16 34 57 34 16位 1回戦敗退
2007-08 ブンデスリーガ2部 34 16 10 8 62 36 58 4位 2回戦敗退
2008-09 34 18 9 7 62 37 63 2位 準決勝敗退
2009-10 ブンデスリーガ1部 34 12 11 11 36 42 47 9位 1回戦敗退
2010-11 34 18 4 12 52 39 58 5位 2回戦敗退
2011-12 34 9 12 13 47 51 39 13位 ベスト16
2012-13 34 10 12 12 42 44 42 13位 準々決勝敗退
2013-14 34 16 5 13 52 54 53 7位 2回戦敗退
2014-15 34 9 13 12 45 47 40 11位 1回戦敗退
2015-16 34 14 8 12 46 42 50 6位 2回戦敗退
2016-17 34 10 7 17 44 55 37 15位 2回戦敗退
2017-18 34 9 9 16 38 52 36 14位 準々決勝敗退
2018-19 34 12 7 15 46 57 43 12位 2回戦敗退
2019-20 34 11 4 19 44 65 37 13位 1回戦敗退
2020-21 34 10 9 15 39 56 39 12位 2回戦敗退
2021-22 34 13 7 14 50 45 46 8位 ベスト16
2022-23 34 12 10 12 54 55 46 9位 ベスト16
2023-24 34 7 14 13 39 51 35 13位 2回戦敗退
2024-25 34 14 10 10 55 43 52 6位 2回戦敗退

欧州の成績

[編集]

現所属メンバー

[編集]
ブンデスリーガ 2024-25シーズン 基本フォーメーション(3-4-2-1)[開幕戦スタメン]
2025年1月31日現在[6]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ドイツ ラッセ・リース
2 DF オーストリア フィリップ・ムウェネ ()
4 DF オーストリア シュテファン・ポッシュ
5 DF ドイツ マキシム・ライチュ
6 MF 日本 佐野海舟
7 MF 大韓民国 イ・ジェソン
8 MF ドイツ パウル・ネーベル
9 MF フランス アルノー・ノルダン ()
10 MF ドイツ ナディーム・アミリ ()
11 FW ドイツ アルミンド・ジープ
14 FW デンマーク ウィリアム・ボーヴィング
15 MF アメリカ合衆国 レナード・マロニー
16 DF ドイツ シュテファン・ベル ()
17 FW ドイツ ベネディクト・ホラーバッハ
18 DF オーストラリア ケイシー・ボス
No. Pos. 選手名
19 DF フランス アントニ・カシ
20 FW ドイツ フィリップ・ティーツ
21 DF ドイツ ダニー・ダ・コスタ ()
22 MF オーストラリア ニコラス・ヴェラチュニヒ
23 DF フランス ジョシュア・ギラヴォギ ()
24 MF 日本 川﨑颯太
25 DF ノルウェー アンドレアス・ハンチェ=オルセン
26 FW コンゴ民主共和国 サイラス・カトンパ・ムブンパ
27 GK ドイツ ロビン・ツェントナー英語版 (副主将)
29 FW ドイツ ヨナタン・ブルカルト
30 DF スイス シルヴァン・ヴィドマーキャプテン
31 DF ドイツ ドミニク・コール
33 GK ドイツ ダニエル・バッツ英語版
42 MF ドイツ ダニエル・クライバー
44 FW ドイツ ネルソン・ヴァイパー ()
47 DF ドイツ Maxim Dal

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

[編集]


ローン移籍

[編集]
in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
24 MF 日本 川﨑颯太 (京都サンガ)
28 FW ドイツ シュテファン・ポッシュ (コモ1907)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- FW ドイツ ベン・ボブツィエン (SGディナモ・ドレスデン)
-- MF 大韓民国 洪賢錫 (ヘント)
-- MF ドイツ トム・クラウス (ケルン)
No. Pos. 選手名
-- MF ドイツ マルコ・リヒター (ダルムシュタット)

歴代監督

[編集]

歴代所属選手

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b Chronik – Der Anfang” (ドイツ語). 1.FSVマインツ05. 2013年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月12日閲覧。
  2. ^ Chronik – Nachkriegsjahre” (ドイツ語). 1.FSVマインツ05. 2013年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月12日閲覧。
  3. ^ a b Einweihung der Eugen-Salomon-Straße” (ドイツ語). Sensor (2011年4月6日). 2025年9月10日閲覧。
  4. ^ Arena-Einweihung wird zur Mainzer Fastnacht” (ドイツ語). キッカー (2011年7月3日). 2025年9月10日閲覧。
  5. ^ Monika Nellessen (2011年9月23日). “Neue Erkenntnisse: Mainz 05-Gründer Eugen Salomon starb in Auschwitz” (ドイツ語). Rhein Main Presse. 2011年9月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月23日閲覧。
  6. ^ DER 05-KADER DER SAISON 2023/24”. 2024年5月24日閲覧。

外部リンク

[編集]