エスタディオ・モヌメンタル・アントニオ・ベスプチオ・リベルティ
エスタディオ・モヌメンタル・アントニオ・ベスプチオ・リベルティ Estadio Monumental Antonio Vespucio Liberti エル・モヌメンタル | |
---|---|
![]() | |
施設情報 | |
所在地 |
Avenida Presidente Figueroa Alcorta 7597 Buenos Aires, Argentina |
位置 | 南緯34度32分42.80秒 西経58度26分58.81秒 / 南緯34.5452222度 西経58.4496694度座標: 南緯34度32分42.80秒 西経58度26分58.81秒 / 南緯34.5452222度 西経58.4496694度 |
起工 | 1936年-1938年 |
開場 | 1938年5月25日 |
修繕 | 1978年 |
所有者 | リーベル・プレート |
グラウンド | 天然芝 |
ピッチサイズ | 105m x 70 m |
設計者 |
José Aslan, Héctor Ezcurra |
旧称 | |
エスタディオ・モヌメンタル (1938-1986) | |
使用チーム、大会 | |
リーベル・プレート (スーペルリーガ・アルヘンティーナ) サッカーアルゼンチン代表 ラグビーアルゼンチン代表 | |
収容能力 | |
57,921人[1][2][3] |
エスタディオ・モヌメンタル・アントニオ・ベスプチオ・リベルティ (Estadio Monumental Antonio Vespucio Liberti) は、アルゼンチン・ブエノスアイレスにあるスタジアム。通称エル・モヌメンタル (El Monumental) 。
サッカーアルゼンチン代表と、強豪クラブのCAリーベル・プレートがホームスタジアムとして使用する。かつてはエスタディオ・モヌメンタル (Estadio Monumental) という名称であったが、1987年にかつてのリーベル会長の名を冠したものに変更された。
概要[編集]
このスタジアムの最初の試合は、1938年5月25日にリーベル・プレートとウルグアイのペニャロールの間で行われ、リーベルが3-1で勝利した。なおリーベルの最大のライバルボカ・ジュニアーズのホームスタジアムであるラ・ボンボネーラの杮落としの試合も、2年後の同じ日(1940年5月25日)に行われている。
スタジアムは当初は、立見席を含め76,600人の収容能力を有していたが、1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会の際に改修工事が行われ、警備の問題の為にピッチとスタンドの間に緩衝地帯を作る工事が行われ65,645人に減少した。同大会ではメインスタジアムとして開幕戦と決勝戦等が行われた。決勝戦の結果、地元アルゼンチンが初優勝を成し遂げ、スタジアムは歓喜に包まれた。
ピッチの外周のトラックは一時期アンツーカーを剥がして土の状態にしていたが、2004年ごろに再びそれを取り付けるようになった。
スタジアム周辺にはテニス、バスケットボールをはじめ多くのスポーツ施設が存在する。他にも劇場、博物館等を有し、若手選手寮は幾つかの交通機関を利用して短時間で移動できる距離に位置する。また、ブエノスアイレス地域の他の多くのスタジアムに反して、大きな駐車場をスタジアムの傍に保有する。
その他のイベント[編集]
スタジアムを所有するリーベルプレートや、アルゼンチン代表の国際試合など、サッカーの試合に使用する事が多いが、ラグビーアルゼンチン代表の国際試合の際にも使用している。
また、ブルース・スプリングスティーンやデヴィッド・ボウイ、ガンズ・アンド・ローゼズ、マイケル・ジャクソン、ラモーンズ、U2、メタリカ、マドンナ、オアシス、AC/DC、ボン・ジョヴィ、ローリング・ストーンズ、レディー・ガガなど、世界的人気を誇るアーティストのコンサート会場として使用されてきた。
脚注[編集]
|