ロンドン

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ロンドン
London
グレーター・ロンドン
上: シティ・オブ・ロンドンの景観、 中央: ウェストミンスター宮殿下左: タワーブリッジ, 下右: ロンドン塔.


紋章
座標: 北緯51度30分28秒 西経0度07分41秒 / 北緯51.50778度 西経0.12806度 / 51.50778; -0.12806
イギリスの旗 イギリス
構成国家 イングランドの旗 イングランド
地域 ロンドン
地区 シティ32の特別区
ローマ人による建設 西暦50年
行政
 - 行政機関 大ロンドン庁
 - 地方議会  ロンドン市議会
 - 市長 ボリス・ジョンソン (保守党)
 - 市長官邸 シティ・ホール
 - イギリス国会
 - ロンドン市議会 
 - ヨーロッパ議会 
74選挙区
14選挙区
ロンドン選挙区
面積
 - グレーター・ロンドン 609mi2 (1,577.3km2)
標高[1] 79ft (24m)
人口 (2007年7月推計)
 - グレーター・ロンドン 7,556,900人
 - 人口密度 12,331人/mi² (4,761人/km²)
 都市部 8,278,251人
 都市圏 12,300,000 - 13,945,000人
等時帯 グリニッジ標準時 (UTC+0)
 - 夏時間 英国夏時間 (UTC+1)

郵便番号

多様
住人の呼称 ロンドンっ子(Londoner)
民族構成
(2005年推計)[2]
ウェブサイト www.london.gov.uk

ロンドン: London英語発音: /ˈlʌndən/)は、イギリスおよびイングランド首都である。漢字による当て字は「倫敦」が用いられるが、明治期には「龍動」と記載した例もある[3]

シティ・オブ・ロンドン」あるいは単に「シティ」と呼ばれる地域を発祥に発展したロンドンは、ヨーロッパにおいても有数の歴史ある都市であり、中世および近世に建設された建造物が数多く残されている。他国の多くの首都と同様に、ロンドンの首都としての地位を明示した文書は存在しない。

シティ・オブ・ロンドンシティ・オブ・ウエストミンスターに31のロンドン特別区を加えた範囲を領域としている。グレーターロンドンの人口は750万人を超えており、近郊を含む都市圏人口では約1250万人である[4]

世界有数の経済文化交通エンターテインメントなどの中心の一つであり、ニューヨークと並ぶ世界都市金融センターである[5]

目次

[編集] 歴史

[編集] 起源

ロンドンの起源はローマ帝国によるブリタニア支配にまで遡る。ローマ人は後のイングランドにあたるブリテン島南東部を征服し、43年にはテムズ川北岸、現在のシティ・オブ・ロンドン(シティ)にあたる場所にロンディニウムを建設してこれをブリタニアの首都とした。街を建設したのはローマ人だが、それ以前にこの地域周辺にはケルト人が居住しており、ローマによる初期の植民の跡が残されている。61年には女王ブーディカに率いられたケルト族がロンディニウムを襲撃し、ローマ人から都市を奪還した。現在のシティにある遺跡からはこの争いによるものと見られる焼け焦げた木材などが出土している。ケルト族の集落はケルト語で「川のあるところ」を意味するリンディン(Llyn-din)と名づけられ、後にロンディニウム(Londinium)と呼ばれるようになった。

その後2世紀頃には防衛のため、テムズ川岸を除く街の三方に市街壁が巡らされた。およそ4万人の人口を擁していたシティを中心として、市内はローマとブリタニアの交易で活況を呈し、現在のウェストミンスター地区にあたる地域も独立した集落が形成されており、現在のフリート・ストリート及びストランド・ストリートによって結ばれていた。しかし4世紀からは衰退し、5世紀初めにはローマ人は撤退。代わってアングロ・サクソン人がこの地方を征服した。初代のセント・ポール大聖堂は、サクソン人の司教によって604年に建設されたとされる。9世紀後半、アルフレッド大王がこの地をウェセックスの首都とする。その後イギリス史は空白期間が続く。

[編集] 中世

11世紀半頃ウェセックス最後の王となったエドワード懺悔王は、ウェストミンスターに大修道院のウェストミンスター寺院と王宮のウェストミンスター宮殿を建設した。1066年にイングランドを征服したノルマンディ公ギヨーム2世は、ウェストミンスター寺院でイングランド王ウィリアム1世として即位し、ウェストミンスター宮殿を住まいとした。以後ウェストミンスター宮殿を中心とするシティ・オブ・ウェストミンスターは政治と宗教の中心地となる。一方、シティはこの頃既に自治機能を有する商業都市に発展しており、ウィリアム1世はロンドン塔などの要塞をシティの東西に建設して市民を威圧した。しかし経済力のあるシティは、1213世紀に市長を選出する権利や独自の法廷を持つ権利を獲得、14世紀半ばからは市参事会を選出し、王権から独立した高度な自治都市として独立を保持した。

[編集] 急成長期

1666年ロンドン大火が発生して市内の家屋のおよそ85%が焼失した。

16世紀ヘンリー8世の元、宗教改革が進展する中で修道院解散に伴いシティ内外で没収地の開発が進んだ。これにより、多くの人口を許容できるようになったロンドンは、当時の経済発展とあわせ急激に成長し始めた。シティとウェストミンスター間には市街地が成長して両者は一体化し、17世紀中期には人口50万以上、更に半世紀後には70万人以上が居住している。

1566年エリザベス1世が王立取引所を開くとシティの重要性は急速に増大する。街の発展にともなって貧困層が流入し、これが王権への抵抗勢力になることを恐れた女王は、1580年に市門の外3マイル以内に新たに建物を建築することを禁じる布告を出した。しかし、町の拡大を法令で阻止することが不可能なことはやがて明らかとなる。

1665年ペストの大流行では10万人近い人々が死亡したとされる。翌年1666年にはシティのパン屋から出火した火の手が市壁に囲まれた地の3分の2まで広がり、辺りを灰と化させたロンドン大火が起こった。これは当時、ロンドンのほとんどの建造物が木造だったこと、道路の幅が狭過ぎもらい火によって火の手を広めたことが、火災の規模を拡大させた理由とされる。

更地となったロンドン中心部をかつての雑然とした町から、パリのような壮大な都市に生まれ変わらせる好機として、クリストファー・レンは新たに都市計画を構想した。しかし、この構想は都市の整備によって土地を失うことを恐れた地主達が、利己的に建物を建設したことによって計画倒れに終わった。だが、レンは大火が再び発生するのを未然に阻止するための法制度整備に努めた。その結果、1667年の再建法では新築建造物には石と煉瓦のみを使用するよう定められた。

再建されたシティは、かつて木造建築が雑然としていた町並みとは全く異なるものとなり、市街中心部は石造に一新して不燃化され、民間投資によって標準化された住居建築群が建造され、かつてレンの構想した都市程ではないが道路も拡幅された。18世紀にはセント・ジェームズ・パークからリージェンツ・パークに至る大通りが敷かれ、街路沿いにピクチャレスクな建物が整然と並ぶ景観が形成された。更に1760年代には中世からの市壁と門も取り壊されている。

[編集] 産業革命

19世紀から20世紀にかけて産業革命を経験したロンドンは更に発展を遂げ、19世紀初頭にかけて橋が増設され、テムズ川南岸が発展。東部や南部には大きな工業地帯が形成され、東部のロンドン港(ドックランズ)は世界有数の港湾となった。1863年には世界初の地下鉄が開業するなど、交通機関も発達して市街地は更に拡大した。1888年、ロンドン州の発足によってそれまで別々の町だったシティとウェストミンスターを含む現在のインナーロンドンが、初めて行政区域としてまとまった。

19世紀にロンドンの人口は爆発的に増加し、北京を抜いて世界最大の都市となった[6]。20世紀初頭には人口が440万人を超えたが、それと同時に下水道設備の不備や貧困地域の拡大などの現代的な都市問題が深刻化した。1858年には大悪臭が発生する。特に大気汚染が深刻で、石炭の煤煙によるスモッグの発生により「霧の都」と揶揄された。

この問題は20世紀以降に労働者階級の地位向上によって大きく改善されたが、今なおロンドン南部のテムズ川南岸や東部のイースト・エンドなどには貧困者の多い地区が存在し、旧植民地諸国からの移民流入もあいまって問題は継続されている。20世紀になるとエベネザー・ハワードの提唱した「明日の田園都市」が世界的な反響を呼び起こし、その理論に基づいてロンドン郊外に世界初のニュータウンであるレッチワース(人口32000人)が建設された。

[編集] 二度の世界大戦

空襲を受けたロンドン

第一次世界大戦ではドイツ軍の飛行機や飛行船による攻撃対象となり、更に第二次世界大戦の初頭にはドイツ空軍の爆撃を受けて数千人が死亡した。

1940年9月7日から1941年5月10日にかけて、ザ・ブリッツと呼ばれる激しい爆撃を受けて数万人が死傷し、ロンドン塔は北側が破壊され、大英博物館では18世紀と19世紀の新聞3万巻が失われた。国会議事堂は図書館、下院、上院が甚大な損害を被った。ギルドホールは内装の一部が焼け、オールドベイリーとして知られる中央刑事裁判所は北東の角が破壊された。更に、セント・ポール大聖堂バッキンガム宮殿、ランベス宮殿、セント・ジェームズ宮殿も被害を受けた。

またドイツ空軍の爆撃機による空襲がバトル・オブ・ブリテン以後に下火になった後にも、同軍によるV1飛行爆弾V2ロケットによる攻撃を受け大きな被害を受けた。

戦後の復興は労働力不足のため一時期滞ったが、大ロンドン計画に基づいて推進され、都心部に郊外区域を加えたロンドンを統括する行政府として大ロンドン議会が設置され、1950年代末までにほとんどが復興し、重要な歴史的建造物が修復された。

[編集] 世界の金融市場へ

1960年代以降イギリス経済は低迷し、それに伴いロンドンも移民層や労働者階級を中心に失業者が増加して街は荒廃し犯罪率が増加した。1980年代に保守党のサッチャー政権は大幅な犠牲を払って規制緩和や産業構造の改革、国有事業の民営化ドックランズ再開発など施策を遂行した。経済は少しずつではあるが息を吹き返してゆき、国内金融機関の退場を引き換えにしてロンドンは世界有数の金融市場としての地位を確立した。

[編集] 現在

再開発によって活気を取り戻したカナリー・ワーフの摩天楼群

1990年代以降には金融に加え観光や情報産業、デザイン産業なども活気を呈しており、ドックランズカナリー・ワーフ以後、超高層ビルの建設が相次いでいる。荒廃したロンドンは完全に過去のものとなった。近年では地価の高騰に悩むなど往年の繁栄を取り戻している。1980年代以降に連続して発生したIRA暫定派によるテロは収束したが、2005年7月7日にはイスラム過激派によるロンドン同時爆破事件が発生している。近年増加しているイスラム系移民と従来の住民間との対立も発生するなど、国際都市特有の問題の解決に注目が集まっている。 かつて、サミュエル・ジョンソンは「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるもの全てがあるから。」と語ったが、現在においてもかつ当てはまるかは不明である。

2005年には2012年に開催される第30回オリンピック誘致に成功した。1908年および1948年に次ぐ3度目のオリンピック開催であり、同一都市としては史上最多となる。2012年には、ヨーロッパで最も高い310m(アンテナを含む高さ)のシャード・ロンドン・ブリッジ(ロンドン・ブリッジ・タワー)が完成する予定[7][8]

[編集] 行政

シティ・ホール
ノーマン・フォスターの設計により2002年に完成

大ロンドンシティ・オブ・ロンドンシティ・オブ・ウェストミンスターを含む32の特別区により構成されている。大ロンドンのうち、シティおよび都心部の13区はインナーロンドン、その外縁部の19区はアウターロンドンと呼ばれる。大ロンドン全体を管轄する広域自治体として1965年大ロンドン議会 (Greater London Council) が発足したが、1986年サッチャー政権の地方行政改革により廃止。大ロンドン議会が廃止されて以来各区は「ユニタリー」と呼ばれる状態にあり、カウンティレベルの行政組織として機能していた。ところが、ブレア政権下の住民投票によって大ロンドンは大ロンドン庁(Greater London Authority)として2000年に復活し、大ロンドンの市長は直接選挙で選出されるようになった。初代市長ケン・リヴィングストンはロンドンの主要な政策課題である公共の安全性の確保と交通問題に務めたが、2008年にボリス・ジョンソンとの選挙に敗れて、ジョンソンが2代目市長となった。シティは、中世から自治組織をもち、ロード・メイヤーと呼ばれるロンドン市長を選出してきたが、現在ではシティの「市長」は名誉職的なものになっている。

また、英国では伝統的に大聖堂(大寺院)がある町 (Town) を都市 (City) と呼称するが、シティ・オブ・ロンドンにはセント・ポール大聖堂、シティ・オブ・ウェストミンスターにはウェストミンスター寺院が存在する。他の大聖堂を有するサザークは16世紀からシティを名乗らず特別区を用いている。

[編集] 地理

ロンドンの衛星写真

ロンドンは、北海に注ぐ三角江の河口から約64km内陸のテムズ川の下流南北両岸にまたがる。地質的には北西をチルターン、南をノース・ダウンズという二つのチョーク層丘陵に囲まれた向斜構造のロンドン盆地底部にあり、地表はロンドン粘土層と呼ばれる重粘土質土壌で覆われる。シティなど都心部はテムズ川の砂礫段丘上を占め、テムズ川河畔には低湿な氾濫原が広がる。市内を東西に流れるテムズ川は川幅180~270mに達し、潮汐限界点にあたるため河港としての機能が大きい。

[編集] 街並み

ロンドン中心部のパノラマ、セント・ポール大聖堂からの眺め

ロンドンのパノラマ


[編集] 気候

ロンドンは、ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候(Cfb)に分類される。ロンドンの緯度は樺太中部と同程度であるが、メキシコ湾流の影響を受けて温暖かつ適度の湿度を持った比較的暮らしやすい気候となっている。ただし、一年を通して小雨や曇天がやや多い。冬季の濃霧は有名であるが、かつてのスモッグは1956年の大気浄化法制定以後、石炭の代わりにガス、電気、石油の使用が推進され、無煙地帯が設定されるなど排煙が規制されてからは激減した。

グリニッジの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 ℃ (°F) 7.9
(46.2)
8.2
(46.8)
10.9
(51.6)
13.3
(55.9)
17.2
(63)
20.2
(68.4)
22.8
(73)
22.6
(72.7)
19.3
(66.7)
15.2
(59.4)
10.9
(51.6)
8.8
(47.8)
14.8
(58.6)
平均最低気温 ℃ (°F) 2.4
(36.3)
2.2
(36)
3.8
(38.8)
5.2
(41.4)
8.0
(46.4)
11.1
(52)
13.6
(56.5)
13.3
(55.9)
10.9
(51.6)
8.0
(46.4)
4.8
(40.6)
3.3
(37.9)
7.2
(45)
降水量 mm (inches) 51.9
(2.043)
34.0
(1.339)
42.0
(1.654)
45.2
(1.78)
47.2
(1.858)
53.0
(2.087)
38.3
(1.508)
47.3
(1.862)
56.9
(2.24)
61.5
(2.421)
52.3
(2.059)
54.0
(2.126)
583.6
(22.976)
日照時間 45.9 66.1 103.2 147.0 185.4 180.6 190.3 194.4 139.2 109.7 60.6 37.8 1,461.0
出典: Met Office 2009-03-20

[編集] 経済

イギリス経済の中心であり、2008年のロンドン都市圏のGDPは5650億ドルと世界では第5位、欧州ではパリ都市圏を僅差で凌ぎ第1位である[9]。欧州の金融市場の重要な拠点として機能しており、ニューヨーク香港と並ぶ世界三大金融センターのひとつである[10]。世界レベルの大企業本社も集積しており、ロンドンは2009年のフォーチュン・グローバル500において、世界で5番目に大企業の本社が集積している都市との評価を受けている[11]

シティを初めとして、ホルボーンフィンズベリーに金融関連会社が数多く存在している。特にシティのロンバードストリート一帯には、市中銀行などの各種金融業者が密集しているが、イングランド銀行を頂点として相互に密接な連携を保って展開する。この市場がロンドン金融市場であり、これは世界三大金融市場の一角を成し、ロンドン証券取引所は世界屈指の証券取引所の一つに挙げられる。

ロンドンでは地域ごとにそれぞれの業種が集中している。例えば、銀行・金融業はシティ、行政機関はウェストミンスター、一流医院はハーリーストリート、紳士服のオーダーメイドサビルロー(日本語の「背広」の語源と言われている)、高級専門店はボンドストリートオックスフォードストリートなど、教育・大学関係はブルームズベリー地区に多く存在する。工業は、サザークから東へ広がるテムズ川南岸で行われている。シティ東部の港湾地帯であるドックランズでは荒廃からの再開発が進み、多くの銀行やマスコミなどがカナリー・ワーフといわれる地域に移転している。

[編集] 交通

[編集] 道路

ロンドンを縦横に走る道路の交点においては交差点とラウンドアバウトの両者が存在する。郊外とは高速道路などで結ばれている。市内中心部では交通渋滞が頻繁に発生しており、渋滞税が実施された現在でも完全には改善されていない。

市内の渋滞は酷いため、渋滞車列を横切って渡ったり、ニューヨークほどではないが横断歩道の赤信号を無視して横断する歩行者が多い。また車の陰からバイクが突進してくることがあるため大変危険である。更に自転車の運転ルールが車道となり、自転車運転のマナーも非常に悪く、事故が絶えない。このルールを守らない歩行者や自転車ドライバーが一部の道路で渋滞の原因となることが多い。一方、縞模様の黄色いポールのある横断歩道では人が立つと車は停止して横断者を通さなければならないルールが厳格に守られているので、何もないところを渡るよりはそこを通る方がまだ安全であろう。

世界的にも有名な黒い車体のロンドンタクシーが市民の足として親しまれている。運転手となるには難関の試験を突破しなければならない。運賃は高めに見えるが、市内道路の半分以上は出口がなかなか無い一方通行で、時に遠回りせざるを得ない。一方通行と進行方向が同じ場合は日本のタクシーと変わらないが、それが異なる場合は運賃が高くなる。黒い車体のタクシーは一般的にブラックキャブ (black cab) と呼ばれている。

また無免許で合法の個人タクシーもあり、それらはミニキャブ (mini cab) と呼ばれている。市民の間ではブラックキャブよりずっと運賃が安いという理由でより一般的である。

[編集] バス

ピカデリーサーカス前を横切る2階建てバスルートマスター

ロンドン市内を縦横に走る赤い二階建てバスダブルデッカー)が世界的に有名であり、安価な市民の足として親しまれている。

旧型の赤い二階建てバス(愛称・ルートマスター)は2005年12月をもって一般路線からは廃止された。車掌が同乗する旧型よりもワンマンバスの方が効率が良いのに加えて、開けっ放しの乗降口は危険であり身体障害者にとっても不便であったためである。旧型はロンドン中心部の観光名所を巡る9番(トラファルガー・スクエア/ハイストリート・ケンジントン)と15番(トラファルガー・スクエア/タワー・ヒル)で一般路線に混じり、日中のみ運行している。

[編集] 鉄道

イギリス各地とロンドンを結ぶ長距離路線のターミナル駅が方面別にいくつか存在し、南東部の通勤路線と共に鉄道網の一大拠点となっている。

かつての国鉄は解体され、官民協力体制 (Public Private Partnership) の元で委託経営が行われている。線路や駅の保有・維持管理は国営会社ネットワーク・レール社が行い(民営化から2001年まではレールトラック社、この会社は破綻しネットワーク・レールに引き継がれた)、各路線の列車運行は複数の民間会社が運営する上下分離方式が採用されている。これらの民間会社はナショナル・レールの共通ブランドを用い、国鉄時代から使われている標章を使用しており、民営化以後も乗車券の販売などにおいて一体化された事業が提供されている。

1999年にはパディントン駅付近で列車衝突事故が発生し、更にその直後にも再び重大事故が度重なるなど、イギリス、特にロンドンの鉄道は大きな政治課題になっている。事故が続発した大きな要因としては株主への利益還元を重視し過ぎたレイル・トラックが列車運行に責任を持たず、整備をおろそかにしたためとされている。

2007年、ロンドンとヨーロッパ大陸を結ぶ特急列車ユーロスターは、開業以来ロンドン側のターミナルとしていた駅をウォータールー駅からセント・パンクラス駅に変更した。これにより、ユーロスターの定時性向上、最高時速約300キロメートルでの運行が可能となり、所要時間がパリまでは2時間15分、ブリュッセルまでは1時間51分に従来より短縮となった。

[編集] 地下鉄

世界で最初に開通した地下鉄であるロンドン地下鉄は「チューブ」と呼ばれて親しまれており、世界有数規模である12の路線網を有している。ただし、遅延が常態化している。乗り場への出入りには大型エレベータを設置していることが多いが、一部施設はエスカレーターが木製であるなど老朽化が見られ、1987年11月にキングス・クロス駅で発生した火災では31人の犠牲者を出した。2005年7月にはロンドン同時爆破事件が発生し地下鉄乗客に被害が出た。

地下鉄に類似した輸送機関としては新交通システムであるドックランズ・ライト・レイルウェイや、ロンドン都心の地下を南北に貫通する英国鉄道のテムズリンクが存在する。2007年10月にはロンドンを東西に貫通するクロスレールの建設が決定され、2017年の開通が計画されている。

なお、普通運賃で乗ると初乗り料金が4ポンドと非常に高いため、トラベルカードと呼ばれる一日乗車券などの各種割引制度や割引運賃が適用されるオイスターカードを利用する人が多いが、オイスターカードを利用した乗車についても徐々に値上げされている。

[編集] 空港

ロンドン付近には6つの空港が存在する。そのうちガトウィック空港、スタンステッド空港、ルートン空港は大ロンドン地域の外に設けられている。ロンドンにおける主要空港はロンドン・ヒースロー空港でありヨーロッパ有数のハブ空港として機能している。ガトウィック空港とスタンステッド空港とロンドン・ルートン空港とロンドンシティ空港も同様に国際空港であり年間2000から3000万人の利用者がある。6つ目のLondon Biggin Hill空港は商用ジェット機の発着が主である。

日本との間には、日本航空ANAブリティッシュ・エアウェイズヴァージン・アトランティック航空がそれぞれヒースロー空港と成田国際空港の間に1日1往復直行便を運航している。

[編集] 街区

バーモンジー付近のテムズ川
ロンドン中心部の地図

ロンドン中心部(インナー・ロンドン)は、大まかに言うとテムズ川によって北部と南部に分断され、より繁華な北部は、更にシティ・オブ・ロンドン(シティ)を中心にその西側のウェスト・エンドと東側のイースト・エンドに大別される。シティはロンドン塔を東端とするほぼ1マイル(1.6km)四方の土地で、あることから、「一平方マイル」(The Square Mile)とも呼ばれている。これは古代のロンディニウムを基礎にして中世に築かれた城塞都市で、ロンドン発祥の地である。18世紀以来大英帝国の発展とともに貿易、金融など経済面で広く世界に勢力を振い、ポンド圏が縮小した今もなお、世界経済の一大中心地である。

シティの中心は、イングランド銀行マンションハウスと呼ばれる市長公邸、商品・金融取引所のロイヤル・エクスチェンジなどが面する八叉路である。そこから南東には銀行や商社が立並ぶロンバード・ストリートが延びる。コーンヒル(穀物丘)、ポールトリ(家禽)、ミルク、ブレッド、チープサイド(安売り街)などの古くからの街路名や町名が現在も残っている。シティは女王の承認を得ていない唯一の自治体であり、独自の警察を持っている。シティ西部のフリート・ストリートには、新聞・通信社が多数集まっている。また、通りの南側にあるテンプルは、イギリスの法律家の最大の拠点である。元々はテンプル騎士団(神殿騎士修道会)のイングランド本部であったが、イギリスで最初の法学院がここに設置され、次世代の公判弁護士を育成する場所となった。付近には他に最高裁判所や公文書館もある。

ウェスト・エンドはシティの西側の地域で、シティ・オブ・ウェストミンスターを中心とする。ウェストミンスターはイギリスの大都市の区の中で最も裕福で、国内で最も高級な住宅群を擁し、一見さびれた地区でも資産価値は非常に高い。そこにはウェストミンスター寺院英国国教会)、ウェストミンスター大聖堂ローマ・カトリック教会)、国会議事堂バッキンガム宮殿、政府庁舎、国内最大級の商業地区、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)、ロンドンの大半の高級ホテル、美術館、博物館などがある。

イースト・エンドは、シティの東側リー川までの地域である。アイル・オブ・ドッグズ、ポプラー、マイル・エンドなど古くからの地名が今も残っているが、公式にはすべてタワーハムレッツ区に含まれる。かつてはロンドンの最貧地区として知られ、そして今は大規模な再開発地区として注目されている。

[編集] 観光

[編集] 美術館・博物館

[編集] デパート

[編集] 宿泊

リッツ・ロンドン

リッツ・ロンドンやコンノート、クラリッジスのような超一流ホテルから、ヒルトンスターウッド・ホテル&リゾートアコーホテルズなどの国際ホテルチェーンに属するホテル、更には日本企業が運営するホテルやデザイナーズホテル、低価格で宿泊できるB&Bに至るまで、様々な種類のホテルが豊富に揃っている。

[編集] 主なホテル

[編集] 文化

[編集] 芸術

長年イギリス美術は、イタリア美術やフランス美術など欧州の美術の周縁にありその後塵を拝してきた。しかしターナーらやラファエル前派など優れた画家や独自の美術運動も登場し、デザイン分野では美術と工芸の間の壁を取り払おうとする美術工芸運動が各国の近代デザインの運動に大きな影響を与えた。優れた工業デザインも生み出している。

戦後はアメリカの影響を受け、流行・デザインなどの分野では1960年代以降、ポップ音楽の隆盛と同時に対抗文化に影響を受けた斬新な作品が多数生まれ、「スウィンギング・ロンドン」は世界中の若者の心を掴んだ。以来、ロンドンは継続して若者文化の世界的中心地となっている。

数人の優れた作家がいる他は余り冴えなかった美術や映画の分野でも、1990年代以降若い世代の美術家・映画監督が多数生まれ「クール・ブリタニア」と呼ばれる活況を呈している。

[編集] 音楽

ロンドンはクラシック音楽のみならず、ロックテクノに至るまで、20世紀以降の音楽史における貢献度、多様性、革新性、人気のいずれも高い水準にある。EMIデッカ・レコードといったレコード会社や、多くの音楽家や専門家もロンドンを本拠地としている。世界的に有名なオーケストラコンサートホールにおいても同様で、ロンドン交響楽団の本拠地バービカン・センターフィルハーモニア管弦楽団ロンドンフィルハーモニー管弦楽団が本拠地とするロイヤル・フェスティバル・ホールロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団カドガン・ホールBBCプロムスの開催されるロイヤル・アルバート・ホールが存在する。オペラでは所謂コヴェントガーデンオペラとして有名なロイヤル・オペラ・ハウスイングリッシュ・ナショナル・オペラが本拠地とするコリシーアム劇場がある。ハー・マジェスティーズ劇場ではアンドルー・ロイド・ウェバーのミュージカル、オペラ座の怪人がここで初演された。ロンドンは音楽大学も多数存在し、王立音楽アカデミー王立音楽大学ギルドホール音楽演劇学校トリニティ音楽院がある。ポップやロックのコンサート会場も豊富で、大規模な会場ではアールズ・コート展示センターウェンブリー・アリーナO2アリーナがある。

[編集] 演劇

ロンドンにはウェスト・エンドを中心に数多くの劇場が存在し、シェイクスピアからミュージカル、前衛演劇まで各種演劇が盛んに行われている。近年では、往年の映画やポップ・ミュージック、ロックの作品を素材にした作品に人気が集まっている。劇場としては、グローブ座ナショナル・シアターオールド・ヴィック・シアタードンマー・ウエアハウスハー・マジェスティ・シアタードミニオン・シアタープリンス・エドワード・シアターがある。

[編集] スポーツ

[編集] フットボール

イギリスではサッカーをフットボールと呼ぶが、ロンドン市内および郊外には多数のフットボール・チームが本拠地を置いている。イングランドの1部リーグに相当するFAプレミアリーグ所属チームだけでも、アーセナルFCチェルシーFCトッテナム・ホットスパーFCフラムFCクイーンズ・パーク・レンジャーズFCがある。世界的にも著名な「サッカーの聖地」ウェンブリー・スタジアムにおいては、FAカップ決勝戦やサッカーイングランド代表の本拠として試合が行われる。

[編集] モータースポーツ

モータースポーツ発祥の地であることから、ロンドン郊外にはフォーミュラ1も開催されるシルバーストンドニントンパークブランズ・ハッチなどのサーキットが点在しており、シーズン中は様々なカテゴリーのレースが開催されている。

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 脚注

  1. ^ London, United Kingdom Forecast : Weather Underground (weather and elevation at Heathrow Airport) (online)”. The Weather Underground, Inc.. 2008年6月6日閲覧。
  2. ^ Neighbourhood Statistics”. Neighbourhood Statistics. 2008年4月29日閲覧。
  3. ^ 現代中国語のローマ字で表記すると、倫敦は「lundun」で、龍動は「longdong」となる。龍動と表記するのは、清国から伝わった外来表記の可能性がある。
  4. ^ Word Polulation
  5. ^ THE GLOBAL CITIES INDEX 2010
  6. ^ Largest Cities Through History
  7. ^ UK NOW Horizon Rising ロンドンのスカイラインはどこへ行く[リンク切れ]
  8. ^ shardlondonbridge.com
  9. ^ プライスウォーターハウスクーパースによる都市のGDP
  10. ^ The Global Financial Centres Index 10
  11. ^ Fortune Global 500

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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