サミュエル・ジョンソン

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サミュエル・ジョンソンSamuel Johnson, 1709年9月18日ユリウス暦では9月7日) - 1784年12月13日)はイギリスイングランド)の文学者。「英語辞典」(1755年)の編集、シェイクスピアの研究で知られる。

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[編集] 生涯

リッチフィールド生まれ。父は書店主であった。オックスフォード大学で学ぶが中退し、故郷に戻り教員になった。1735年、20歳年上で未亡人のエリザベス・ポーター(Elizabeth Porter 1689-1752年)と結婚。1737年、ロンドンに出て、悲劇を書いたり、新聞への寄稿を行った。1746年、「英語辞典」刊行計画を公表。アカデミー・フランセーズがフランス語辞典(1694年)を完成させるのに40年かかったことから、個人で行うのは無理だと考えられたが、1755年に「英語辞典」2巻を完成させた。この業績によりオックスフォード大学より文学修士号を得た。

1754年、キングスカレッジ(後にコロンビア大学と改称)創立とともに、初代学長兼教授に就任。

1759年、小説『ラセラス』を執筆。1763年、30歳年下のジェイムズ・ボズウェルと知り合い、以後交友を結んだ。1765年、シェイクスピアの戯曲集を刊行。1776年に法学博士号を得た。1784年に逝去。

[編集] クラブ向きの男

ジョンソンは "Clubbable man"(クラブ向きの男)と呼ばれ、クラブでの談論風発を好んだ。生涯にいくつかのクラブに加入しているが、特に有名なのは1764年にジョシュア・レノルズの呼びかけで創設された文学クラブ(The Literary Club)である。創立メンバーはレノルズ、ジョンソン、エドマンド・バーク、オリヴァー・ゴールドスミスら9人で、後にギャリック(David Garrick、俳優)、ギボンアダム・スミス、ボズウェルらが加わり、ジョンソンの晩年には35人程になった。週1回の夜、居酒屋(tavern)で食事の後に文学談義などを楽しむ集まりで、機知に富んだ話の得意なジョンソンが会話の中心だった。

[編集] エピソード

  • 弟子のスコットランド人、ボズウェルが著した『サミュエル・ジョンソン伝』は数々の警句で知られるジョンソンを生き生きと描いており、人物伝の名著とされる。
  • 「英語辞典」には時として偏見に満ちた記述も見られる。(エンバクを参照)
  • ロンドンの高等法院近くにジョンソンの暮らした家(ジョンソン博士の家[1])が保存されている。「英語辞典」を完成させた家である。

[編集] 名言

  • When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford. - ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるもの全てがあるから。(ジョンソンの言葉で最もよく引用される言葉)
  • Hell is paved with good intentions. - 地獄は善意で敷き詰められている。
  • Patriotism is the last refuge of a scoundrel. - 愛国心は悪党が最後に逃げ込む場所だ。
  • There can be no friendship without confidence, and no confidence without integrity. - 信頼なくして友情はない、誠実さなくして信頼はない。

[編集] 文献

[編集] 外部リンク

[編集] 関連項目