ザ・ブリッツ

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爆撃を受けたコヴェントリー(1940年11月16日)

ザ・ブリッツ(The Blitz、ロンドン大空襲[1])とは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツイギリスに対して1940年9月7日から1941年5月10日まで行った大規模な空襲のことである。空襲がイギリス中の多くの都市や町に行われる間、ロンドンの連続57日間に及ぶ夜間空襲から始まった[2]。1941年5月末までに43,000名以上の民間人(半分がロンドン市民)が爆撃で死亡、100万以上の家屋が損害を受けた[3][4]。ロンドン市民は空襲を避け地下へ潜り込んだ。地下鉄の駅の構内が人々の避難所となった。

あるロンドン市民の回想。

どの駅にも皆、通路やプラットホームに人が3重に折り重なって詰め込まれていました。私は恐ろしさで声も出ませんでした。人間の塊が缶に詰め込まれた毛虫のように眠っている。その光景の悲惨さ、熱気と悪臭、汚れ、赤ん坊が泣き叫びそれを懸命にあやす痩せ衰えた母親・・・。子供達がこの騒音の中で眠りながら痙攣を起こしたり、ビクついたりするんです。[5]

ロンドンだけがドイツ空軍の大規模な空襲を受けた都市ではなく、他にもバーミンガムブリストルマンチェスターベルファストシェフィールドリヴァプールポーツマスプリマスサウサンプトンカーディフコヴェントリーエクセタースウォンジノッティンガムブライトンイーストボーンクライド湾岸の都市など、多数の都市が焼き払われた。アドルフ・ヒトラーの狙いは、イギリス人と政府の士気を砕き、降伏させることであった。しかし、1941年5月までにイギリス空軍の防戦により、潜在的なイギリス侵攻の脅威を払い、ナチス・ドイツの注目は東部戦線へと移った。

戦争が終結するまでドイツ空軍は、大規模な空襲には至らなかったものの、小規模な襲撃を継続し、51,509名の民間人が被害を受けた。1944年に開発されたV1飛行爆弾V2ロケットの登場は、再びヨーロッパ大陸からロンドンを襲撃することを可能にした。これら報復兵器の攻撃で8,938名の民間人が死傷した[6]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 第2次世界大戦中のロンドン大空襲による被災地に関する研究” (英語). CiNii. 2009年11月6日閲覧。
  2. ^ Some authorities say 57 consecutive nights, and some say 76, depending on how one accounts for 2 November, which was too cloudy for bombing.
  3. ^ Air Raid Precautions - Deaths and injuries
  4. ^ Remembering the Blitz Museum of London
  5. ^ NHKスペシャル「映像の世紀~世界は地獄を見た。無差別爆撃、ホロコースト、そして原爆~」
  6. ^ The V Weapons Campaign Against Britain, 1944-1945 Imperial War Museum

外部リンク[編集]